February 16, 2008

潮騒

 
  潮騒

    監督:谷口千吉
    原作:三島由紀夫
    音楽:黛敏郎
    出演:久保明 (新治)
        青山京子(初江)
        沢村貞子(とみ)

           1954年 日本


ちょいとした野暮用があって、以前住んでいた川崎市中原区へゆく。
用事は午前中に済ませたので、午後から、以前ここに住んでいた頃よく訪れた川崎市民ミュージアムに、久々に入ってみた。

折しもミュージアム内の映像ホールでは、昨年亡くなった映画監督、谷口千吉の特集をやっていて、その監督作品のうちの一本、1954年製作の「潮騒」を観ることが出来た。
「潮騒」の映画は今日までに、なんと5本も造られている。


 <製作> <監督>  <新治>  <初江>
1.1954年 谷口千吉  久保明   青山京子
2.1964年 森永健次郎 浜田光夫  吉永小百合
3.1971年 森谷司郎  朝比奈逸人 小野里みどり
4.1975年 西河克己  三浦友和  山口百恵
5.1985年 小谷承靖  鶴見辰吾  堀ちえみ


邦画界の人気コンテンツと言うわけだけれど、その嚆矢となるのがこの54年作品である。 その後、10年を超さずにリメイクされ続けていて、でもここ20年間は造られていない。

鄙びた漁村の風景や、貧しくも地に足が着いた漁師の生活など、明朗で判りやすい作風は、谷口監督の特徴なんだろうか。 二人の前に立ちはだかる、村社会の旧弊さの描写なども、あまり陰湿にならないのが好い。

そしてなにより、主役の二人の瑞々しさに好感が持てる。 新治はひたむきで謙虚な滅茶好い奴だし、フレッシュでしかし浮ついたところのない初江。 脇役陣もしっかりしている。 気骨のある新治の母、とみに沢村貞子。
音楽は黛敏郎。 伊勢湾にフランス近代を持ち込んだ。

最初はうんと地味な文芸作品と想っていたのだけれど、いつしか夢中になって観ている自分があった。
私は5本ある「潮騒」の映画をどれも観ていないし、三島の原作も未読なので、純情一筋な二人(平成の日本にあっては絶滅危惧種に指定されそうな)の恋路をハラハラしながら見守ってしまったのである。
あまり期待せずに臨んだから、余計にそう想うのかもしれないけれど、見終えての満足度の、ものすごく高い映画だった。

この1954年版「潮騒」。 残念ながら、現在のところDVDなどは市販されていないらしい。 この日の上映はフィルムの状態が良くなかったのだけれど、この素晴らしい映画、なんとかDVD化して貰えないだろうか。

思いがけず、ホントに好い映画を観ることが出来て嬉しい。
清々しい気分に満たされて、川崎市民ミュージアムを後にした。
  

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January 08, 2008

シムソンズ

 
 シムソンズ
 
  監督:佐藤祐市
  出演:加藤ローサ
     藤井美菜
     高橋真唯
     星井七瀬
     大泉洋
 
       2006年
 
 
ずっと以前、私がバイクであちこちを走り回っていた頃、独りで夏の北海道を旅したことがある。 東京や神奈川を走るライダーにとって、北海道という処はなににもまして魅力的な土地なのですよ。
北の大地を夢中で駆け抜けた中には、サロマ湖を見下ろす道、この映画の舞台となる常呂町の辺りもあった。 もちろん、当時はそこがカーリングの町だなんて知らなかったわけだけれど。
サロマ湖岸のキャンプ場でテント泊。 関東では考えられぬほど、しつこい藪蚊の襲来に悩まされた。 砂地に無くしたペグの一本は、今も砂中に刺さったままだろうか。

後に2002年ソルトレークシティ・オリンピック日本代表なったシムソンズ。 四人の女子高生の青春ストーリーを見ながら、遠い日の旅のことどもに想いを馳せてしまった。
どこまでも真っ直ぐに伸びる路。 ゆるやかに起伏する台地。 遮るものとて無い広々とした景色。 それらを包み込む広い空。 映画のシーンと、記憶の中の北の大地がオーバーラップしてゆく。

「シムソンズ」は小説と映画で、基本的な設定は共通なのだけれど、各々の展開はかなり異なる。
つまり、小説では夏季の基礎練シーンがメインで、試合はほんの少し。 主人公の心境を叙述する部分が多かったのに対して、映画の方はいきなりリンクでの練習、そしてゲームが始まるなど、ヴィジュアルに訴える。 小説では難しく感じたカーリングのルールも、CGを多用して判り易く解説されるのである。 なにより、四人のうち三人までが素人ながら、みるみる強くなってゆくシムソンズ。 映像と文章での、この見せ方の違いはそれぞれ正しい選択と言える。 「シムソンズ」は小説版、映画版で内容が異なっていて、そのどちらもが、それぞれに面白い。

シムソンズの主たる移動手段たる自転車や、軽トラの荷台とか、そのユルイ速度感に共感してしまう。
何度か顔を出すテレビ取材クルーのシーンは、話しが生臭くなる気がして、ここは不要と想うな。
アニメのシンプソンズがカメオ出演していないかなと、ちょっぴり期待していたのだけれど。 そこのところだけが残念。
シムソンズの四人がみんなカワイイし、子連れやもめのコーチ、大らかな和子の母の他、ガミさんやしゃべりたいのマスターら、脇役陣も好い。 
映画「シムソンズ」。 爽やかで、そしてなんとも気分の好い佳品です。
 
   小説版 シムソンズ
 

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December 20, 2007

ALWAYS 続・三丁目の夕日

 
 ALWAYS 続・三丁目の夕日
 
  原作:西岸良平
  監督、脚本:山崎貴
  出演:吉岡秀隆
      堤真一
      薬師丸ひろ子
      小雪
      堀北真希
 
       2007年 日本
 
 
その当時を知らぬ世代が見てさえ、何故か郷愁を覚える昭和三十年代という時代。 その当時を生きる庶民の哀歓を、VFXを駆使して美しくリアルに描き、大ヒットをみた前作の続編であります。
 
主要キャスト(と端役の何人か)が前作と同じなのが嬉しい。 懐かしい三丁目の人々に再会した気分にさせられるから。
子役の二人が大きくなってしまって(子供さんの成長、それ自体は目出度いわけですが)、それぞれの配役には、いささか旬を過ぎているかもしれない(特に淳之介)。 それでも、あえて前作と同じキャストを押し通したのは英断でしょう。
 
前作が、原作のマンガのエピソードを巧みにつないで成り立っていたのに対して、今作では、前作の内容を引き継ぎつつも、淳之介の親権争いから茶川先生の芥川賞挑戦に至る一本の流れがあって、ドラマ性を高めている。
茶川先生は、ヒロミと淳之介との暮らしを夢見て奮起する。 一方、怒髪天を衝く昭和の雷オヤジ、鈴木オート社長はかつての戦友を懐かしみ、そして奥さんは初恋の想い出を秘めた日本橋を歩むのである。
 
その日本橋。
前作と同様、旧き好き時代を描くという姿勢を貫いたためであろう。 この映画に描かれる日本橋の上には、未だ首都高速道路が見当たらない。 (「もうすぐ、この上に道路が出来るんだぜ」なんて、無邪気に喜ぶ一平) 私が初めて目にする、日当たりの好い日本橋。 その光景は、前作で瞠目させられた、建築中の東京タワーに負けないくらい新鮮だ。

今、中央区の日本橋を渡るとするなら、その頭上すれすれを横切る、首都高速道路の姿を見上げて嘆息する破目になる。 高度経済成長期、オリンピックを前に急造された、この高架のあまりに強引なレイアウトは、下手な現代美術などよりも余程、あの時代の狂気を今に伝えていると想う。

映画のラスト。 出来得れば、竣工して間もない東京タワーの展望台から見下ろす、昭和三十年代の都内の俯瞰を、CGで精緻に再現して欲しかったところ。
高層建築の未だ一つもない(東京タワーを除いて)頃の東京。 それは、私が切に眺めてみたい、しかし今では決して見ることの叶わぬもののひとつなのだ。

実写版の「三丁目の夕日」。 東京オリンピック絡みで、もう一作くらい造れそうな気がする。 開会式の興奮など、三丁目の人々の視点で見てみたいではないか。 でも、ダメか。 なにしろ、その頃には首都高速が完成して、変わり果てた様子の日本橋を見届けねばならないもの。 想い出はあくまで美しくが、この映画のお約束なのだから。 三丁目の世界はここまで。
 

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December 02, 2007

ALWAYS 三丁目の夕日

 
 ALWAYS 三丁目の夕日
 
  原作:西岸良平
  監督、脚本:山崎貴
  出演:吉岡秀隆
      堤真一
      薬師丸ひろ子
      小雪
      堀北真希
 
        2005年 日本
 
 
私が未だ親元に暮らしていた学生の頃、居間のTVで、母親と一緒にドラマや映画を見るのがニガ手であった。
なにしろ母親は、TVを見ながらあれこれと感想を述べるし、一方の私は、のめり込んで見るタチなので、母親の言葉が一々五月蝿くて溜まらず、終いには怒りだすこともしばしばであった。

2005年の劇場公開時に大ヒットし、今また続編が上映中の「ALWAYS 三丁目の夕日」。 この映画はCGを駆使したかつてない映像のリアルさでもって、その冒頭から、見る者をして昭和三十年代の世界に連れ去ってしまう。 私はこの時代を見知っているわけではなく、時代の残り香をかすかに覚えている程度だけれども、「ALWAYS」のタイトルが出た時点で、すっかり感激してウルウルきてしまったよ。

私は今、この映画を、本当は亡き母と見てみたかったものだと、切に想う。
一緒に見て、そして好きに語って欲しい。 あの頃はみんなこうだった・・・結婚した頃に住んだのがあんな場所だった・・・・・・・・・・・・大阪はこうやなかった・・・あんたらも、ああいう処で生まれたんやで・・・幾らでも、好きなだけ喋って好い。 怒らずに、みんな聴くからサ。

聴くところによれば、この「ALWAYS 三丁目の夕日」。 映画館で上映中は、客席での話し声が多かったのだそうな。 私は、客席での私語については、とりわけ耐えられない方なのだけれど、でも、この映画に関しては、こればっかりは、そういう映画なんだと想う。 過ぎし日を懐かしみ、しばし感傷に浸る。 そんなための(最先端の技術を駆使した)映画があっても良い。

緻密に再現された、昭和三十年代の東京の街並み。 取り分け、建築途中で半分までしかない東京タワーの映像が、もの凄いインパクトである。
この作品について好く言われるように、想い出は美しくとばかり、昭和三十年代の世界が、実際よりも美化されているきらいはある。 ドラマと言うよりも、昭和三十年代を舞台にしたファンタジーとでも言うべきかもしれない。
でも、批判はあるかもしれないけれど、現存する古い町並みでのロケや、往事の記録映像ではない、造りものの、セットやCGで造りこまれた虚構の世界だからこそ、アソビ心が活きるのだと想う。

茶川先生を演じる吉岡秀隆は、髪かきむしるショボクレ加減が見事なハマリ役。
鈴木オートの社長に堤真一。 昭和のカミナリオヤジという性格設定は、原作とはまったく異なる。 この人については、「ローレライ」での悪役の印象が強かったけれど、ここでは短気でコワくて、でも人の好いお父さんを好演する。
その奥さん役に薬師丸ひろ子。 クリスマスの夜、眠っている一平の枕元にこっそりプレゼントを置いて、階下に引き返す社長の背中に、そっと添える手が好い。 それからラスト間際、上野駅に向かって走り出すオート三輪の荷台に立って、運転席の屋根をバンバンって叩く手も。 母の手、妻の手の力強さ、暖かさに参った。 (ついでに言うと、この後、走ってゆくオート三輪の、テールランプがあまりにも赤く輝く、そのギミックが心に沁みた)
子役にも人を得た。 小柄な一平役、小清水一揮クンの利かん気。 そして淳之介役、須賀健太クン「万年筆です」。 こんなに喜んでくれる、プレゼントの送り主になってみたいよね。

もしもし・・・・こちら二十一世紀です。
一平くん、淳之介くん。 今なら五十代のオジサンってところですね。 一平くんの夢見た五十年先の夕日は、あの頃と変わらず、綺麗に照り映えています。 更に五十年後の夕日は、見る人の目に、どんな風に映ることでしょう。
 

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May 27, 2007

スーパーマン

 
 スーパーマン (ディレクターズカット版)
 Superman The Movie Expanded Edition
 
  監督:リチャード・ドナー
  出演:クリストファー・リーブ
     マーゴット・キダー
     ジーン・ハックマン
  音楽:ジョン・ウィリアムズ
 
    1978年 米国
 
 
もう、30年近くも前に大ヒットしたSF超大作。 私は封切り時には見逃しているけれど、その昔、どこかの場末の名画座で観たことがある。

この映画のウリは、なんといってもスーパーマンが颯爽と空を飛ぶシーンだった。 すなわち、それまでのSF特撮ものでの飛翔シーンが、概ねスクリーン上を平面的に移動させるだけであったのに対して、この映画では3次元的に飛んでみせたのであって、そのリアルさは画期的だった。
ただ、(ワイアーアクションを使ったシーンを除いて)主としてフィルム合成画像によっていたので、現在のCGに慣れてしまった眼には、その画像がかなりショボく映ってしまうのは、まあ致し方のないところ。

と言う訳でこの映画、最早SFXの面では興味を持つことが難しくなっている。
その替わりに、それぞれの役者のキャラクター創りや、役処を心得た演技が素晴らしい。 SF特撮ものありながら、特撮以外の部分をより高く評価出来ると言うのは、つまり、この映画が元々持っているクオリティの高さを物語っていると思う。

スーパーマン役のクリストファー・リーブ。 これは当人の本意ではなかったかもしれないけれど、未だにスーパーマンと言えばこの人の面影を思い浮かべてしまうほどの、正に当たり役でありますなあ。 そのリーブが二役で演じるクラーク・ケント(繊細な大男!)で見せるトホホぶりの可笑しさ。
ロイス・レイン役のマーゴット・キダー。 勝気でやり手のキャリア・ウーマンでありながら、同時にデリケートな面も併せ持つ役柄を好演。
その他、新聞社の同僚たちや、ジーン・ハックマン演じる天才的犯罪者とそのドジな手下、情の深い愛人。 地球での育ての両親(質朴なアメリカの農夫)は、マーロン・ブランドらが演じるクリプトン星の両親よりもずっと好いと思う。

作品前半のハイライトとも言うべき、スーパーマンとロイス・レインの夜空のデートは、けだし名場面中の名場面でしょう。 ここだけは、昔名画座で初めて見た折のイメージが、今もくっきりと残っているし。 ジョン・ウィリアムズの甘く切ない音楽に、マーゴット・キダーの淡々とした語りがかぶるあたりが、また好いんだ。
確かにSFXは、今のレベルからすればショボイんだけれど、それを超えて訴えかけて来るものがあるんだなあ。 特撮に古さを感じさせられるとはいえ、夜空を夢のように舞う、二人の演技だけで十二分に魅せます。 なによりマーゴット・キダーの表情(くるくると変化してみせる)の可愛らしさ!

この映画、SFX的にどんなに古くなっても、永遠に愛されることでしょう。

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February 18, 2007

世界の中心で、愛をさけぶ

  世界の中心で、愛をさけぶ

    監督:行定勲
    出演:大沢たかお :朔太郎(現在)
        柴咲コウ   :律子(現在)
        森山未來  :朔太郎(高校時代)
        長澤まさみ :亜紀(高校時代)
        山崎努    :写真館の主

           2004年 日本
 
 
いわゆる、セカチューの映画。
純愛ものとしてヒットした作品だけれど、観てみて気づかされたのは、男性側の視点で描かれているということ。 それでいて、この映画に多く女性が共感したというのが興味深かった。

主人公の朔太郎。 その高校時代は、これといって取り得のない、ごく普通の男の子であった。
不器用で、ひたむき。 これといって摂り得もなければ、目立つところもない。 時々見せる劣等感まるだしのヒクツな表情が好い。 映画を観る男性の多くが、朔太郎に高校時代の自分を重ねてみるのではないかな。
一方、ヒロインの亜紀はカワイくて、勉強が出来て、学校でも注目される、と朔太郎から見てまぶしいばかりの存在。 これってもう、男の子の視点でしょう?
主人公らをアイドル映画風な、美男美女高校生カップルとはしなかったことで、この映画は幅広い層の観衆に訴えかける佳作になり得ている。

高校時代の夏。 ひなびた海辺の街。 そこだけ時間が止まってしまったような古風な写真館と、その主(山崎努)など、老練なスタッフが、観客を心置きなく感傷に浸らせるためのお膳立てとして、万全の態勢を敷きましたって感じである。
なにもかも、あんまりなベタさなんで、こっちだって、騙されるもんかって気になろうってもんだけれど、でも、そんな青春の日々への感傷に、素直に心を委ねてしまおうという気になれないならば、この映画は観る価値がない。

切なくも美しい、ハイティーン時代の夏の想い出。 それは、いつなりと逃げ込むことを許してくれる、感傷のオアシスみたいなものでしょう。
残された者たちは、いつか大人になり、過去を背負いつつ、現実に立ち向かって、生きてゆかねばならない。 
今では故郷と疎遠になってしまっていて、想い起こすこともなくなっている自分など、心に故郷持つ人はウラヤマシイなあ、などと想うばかりなのである。

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January 04, 2007

素晴らしきヒコーキ野郎

素晴らしきヒコーキ野郎

Those Magnificent Men in Their Flying Machines, or How I Flew from London to Paris in 25 hours 11 minutes


  監督:ケン・アナキン
  製作:スタン・マーガリーズ
  脚本:ジャック・デイヴィスケン・アナキン
  撮影:クリストファー・チャリス
  音楽:ロン・グッドウィン
    1965年 米国


1903年のライト兄弟による歴史的快挙の後、ほんのわずかな年月ではあるけれど、世の全ての飛行機たちにとって、ただ飛ぶことだけがその目的であった、幸福な時代があった。
このドラマの舞台は、そんな旧き好き時代の1910年。 世界各国の飛行家達が集まって繰り広げた、ロンドン~パリ間の航空レースである。

当時の飛行機と言えば、骨組みに布を貼っただけのシンプルな機体に、非力なエンジンを乗っけた代物。 操縦席は、覆いも窓もない吹きっさらし。 航空力学が未発達な故、飛行機のデザインもまちまちであって、なかには笑っちゃうような、奇抜なナリをしたヤツもいる。
そんな黎明期の飛行機たちが、イギリスやフランスの田園地帯の上空を、ふわふわと、それこそカゲロウのように儚げに飛翔する。 その様子と来たら、本当に、夢見心地に見入ってしまうほど美しい。

喜劇だからして、飛行機を使ってのスラップスティックなドタバタ・コメディシーンにも事欠かないけれど、私は、こういうのはあまり好きではないな。 それよりも、クラシックなヒコーキ達が飛ぶシーンを見せてくれるだけで十分楽しいのに、なんて想ってしまう。

各国から集った飛行家達のキャラも楽しい。 西部劇から抜け出て来たようなアメリカ人。 愛妻家で子沢山のイタリア人。 調子好くて女好きのフランス人。 劇中コケにされまくる役処のドイツ人は石頭でマニュアル墨守と、それぞれの役者が芸達者で笑わせる。
そんな中で日本代表を演じるのは石原裕次郎。 出番はあまりないけれど、堂々とした立ち居振る舞いが頼もしい。 マジメで優秀だが、堅物の石部金吉と言う役どころで、コメディのシーンに参加させてもらえないのが、ややカナシイけれどね。
日本は未だ純国産の飛行機を持たなかったという設定で、外国製の2機の飛行機から、それぞれ翼と胴体を取って組み合わせ・・・・いわゆるニコイチですな・・・・メイド・イン・ジャパンを仕立ててしまう。 ここら辺りからは、ケン・アナキン監督のシニカルな視線を感じ取るべし。

この映画はまた、音楽が素晴らしい。 
テーマ曲は楽天的で威勢の好い男声合唱。
そして各国から集った飛行家達の一人ひとりには、それぞれに相応しいライトモチーフと言うか、テーマ音楽が付けられている。 すなわち、アメリカ人には西部劇風。 ドイツ人は軍隊行進曲風。 イタリア人はカンツオーネ風といった具合で、いずれもステレオタイプと言うか、あまりにもベタなのが可笑しい。
それにしても、ヒロイン(セーラ・マイルズ)に与えられた音楽は、どうしてこんなにも甘くて切ないんだろう。 どうということのない場面でも、ヒロインのテーマ音楽が流れるだけで、涙が出そうになって来るよ。 それはまるで、ここに登場するヒコーキ達の将来。 新兵器として軍事利用されることになる運命を暗示しているような気がしてならない。

この他、当時の自動車やバイクも登場するし、レース会場に集う人々の典雅な服飾など、見せ場に事欠かない。 私はこの映画を、これから折々、何度でも見返すに違いない。 堂々の娯楽作品だ。

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September 15, 2005

セプテンバー11

映画「セプテンバー11」(2002、仏)
  監督:S・マフマルバフ(イラン)
      C・ルルーシュ(フランス)
      Y・シャヒーン(エジプト)
      D・タノヴィッチ(ボスニア=ヘルツェゴビナ)
      I・ウェドラオゴ(ブルキナファソ)
      K・ローチ(イギリス)
      A・G・イニャリトウ(メキシコ)
      A・ギタイ(イスラエル)
      M・ナイール(インド)
      S・ペン(アメリカ)
      今村昌平 (日本)

総選挙のあった2005年9月11日(日)。 投票を済ませてから、川崎市民ミュージアムで標題の映画を観た。
世界11カ国の映画監督が、2001年9月11日アメリカで起きた同時多発テロをテーマに撮った短編オムニバス映画である。 上映時間は各々11分9秒1フレーム。 それ以外には、統一したコンセプトなど無い。 その分、各国を代表する映画監督たちの個性や、この事件に対する視点がストレートに現われることになる。

イランからの作品。 もうすぐ、怒ったアメリカが攻めて来るぞ! 核シェルターを造ろうと、慌てて土を捏ねてレンガを焼き始める人々。
子供たちに貿易センタービルを説明しあぐねる若い先生。 この辺りで一番高いもの・・・レンガを焼く煙突を指差す先生。 円らな瞳で煙突を見上げる子供たち。

ブルキナファソ。 アフリカの小国からの作品も、アメリカの大事件など実感されない暮らしの中で、ビンラディン(のそっくりさん)を見つけた少年たちの、小さな冒険をユーモラスに描く。

イスラエルからの作品は、こっちではテロなんて日常茶飯事で珍しくもないさ、とでも言いたげに、テルアビブ市内のテロ現場からの中継を丸々11分描いてしまう。

フランスはクロード・ルルーシュ監督。 静謐さの中に、信じ合う心を描いて最も感銘が深かった。

インドの作品。 あの日、救助のために、崩落する貿易センタービルに飛び込んで、そのまま亡くなったイスラム教徒の少年がいた。 イスラム教徒である故に、実行犯の一味ではないかと疑われて、その家族は、世間はおろか、日頃から親しくしていた隣人からも白い眼を向けられる・・・ 信仰と信念、そして勇気を描いた秀作。

アメリカだけれど、不思議と怒りを描こうとしない。 何故だろう。 抗議しない、戦わないアメリカを見せられて、観ているこちらおn方が途惑ってしまった。 愛する者を失った老人の悲しみを、抑制の効いたタッチで描いた、素晴らしく完成度の高い映像作品である。

そして日本。 今村昌平監督の作品はある意味もっとも難解かもしれない。 聖戦を謳う太平洋戦争から、故郷の村へと帰って来た男。 旧弊な村社会の中で、もはや人間としての自分を否定し、蛇になってしまった男を描いて、聖戦なんかありはしないと叫ぶのである。

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June 14, 2005

戦国自衛隊1549

 映画「戦国自衛隊1549

 監督:手塚昌明
 出演:江口洋介、鈴木京香、鹿賀丈史、中尾明慶、北村一輝、宅麻伸、伊武雅刀
   2005年 日本

標題の映画を観た。 原作は福井晴敏の同名の小説。 これにはオリジナルがあって、その、半村良の「戦国自衛隊」も1979年に映画化されている。 自分はずっと昔に、半村良の「戦国自衛隊」ならば読んだ事がある。 1979年の映画版「戦国自衛隊」と、福井晴敏の「戦国自衛隊1549」に付いては知らない。
 
 
   ▽▲▽▲▽▲  以下はネタバレがあります  ▽▲▽▲▽▲
 
 
前置きなしで、いきなり人口磁場実験の失敗シーンから始まる簡潔さが良い。 突如として戦国時代に放り込まれた隊員達(もちろん、彼らは自分たちがタイムスリップしたことなど知る由も無いのだが)に襲い掛かる弓、槍と刀の一団。 全て実物(しかも現役装備!)を使用した戦車や装甲車の迫力もさることながら、白兵戦のコワさがひしひしと伝わって来る演出であった。 それにしても、何処からともなく飛来する矢の恐怖と来たら、もう・・・

冒頭の実験の失敗により、戦国時代へとタイムスリップした的場1佐の第3特別実験中隊と入れ替わりに、斎藤道三の家臣、飯沼七兵衛が平成の世に現われた。 戦国の世に生まれ育ったこの七兵衛、現代日本にあっては、もはや絶滅し果てたと言って好い高貴なサムライである。 この七兵衛が、平成日本を世直し行脚する・・・なんていうストーリーで映画の一本くらいはいけそうなくらい、凄く魅力的なキャラクターと思う。 洋服(武人らしく、さっぱりとした装いの)を着た飯沼七兵衛が、早朝、主人公の鹿島が店長を務める居酒屋の店先に現われる場面は、自分がこの映画の中で取り分けて好きなシーンである。

的場1佐と第3特別実験中隊を救いに(場合によっては倒しに)向かうのがロメオ隊である。(この「ロメオ」ってどんな意味なんだろう?) 的場1佐の元部下であった鹿島もこれに加わる。 この映画は殆んどが富士山の裾野で撮影されたようで、どこまでもススキの原が拡がる背景は雄大だけれど、まぁ、単調と言えば単調。 陸上自衛隊が戦国時代のゲリラ戦法に手を焼くシーンはリアリティもあって凄く見応えあり。 戦国武者達に捉えられたロメオ隊は、織田信長を僭称する的場1佐の居城、天母城に連行される。

さて、ここまでは、まがりなりにもハードSFであったのが、ロメオ隊の一行が天母城に入った後は、急激に漫画チックな展開を始める。 自分は、こういうのも嫌いではない。 もしも、このままシリアス路線でドラマが進んだら、イラク派遣とオーバーラップしてゆくのかもしれないね。
殺らねば殺られる、という状況の中で、実弾の使用を廻ってなお葛藤するロメオ隊。 実弾の非使用にこだわり抜いた森3佐の壮絶な戦死を契機に、ロメオ隊の反撃が始まった。

この映画は脇役陣が好い。
戦国時代の申し子的存在、中尾明慶の藤助と北村一輝の飯沼七兵衛がそれぞれ好演。 彼らをそれぞれ秀吉、信長に仕立てるアイデアは秀逸の一言。 そう言えばこの二人、確かに秀吉と信長にピッタリのキャラな訳で、これには「やられた!」と思いましたね。 ハイ。
宅麻伸の蜂須賀小六は、出番こそ少ないけれどハマリ役。 伊武雅刀@デスラー総統の斎藤道三と言うのは、如何にもの配役だけれど、腹黒剽軽なマムシっぷりが、とにかくお茶目で可笑しいのだ。

とにかく急げ急げと言った感じのクライマックスは、あんまり深く考えるべきではないのだろう。 戦車も城も燃え尽きてしまい、秀吉、信長が現われて、歴史はかく補完された。
鹿島達ロメオ隊の生き残りが現代に戻って来たラストシーンは、なんか好い感じで、「ルパン三世 カリオストロの城」のラスト(好きなのだ)を、ちょっと思い出した。
妙にダサくて(失礼)、かつウェットな音楽に付いては・・・今ひとつ良く判らなかった。 (しかし、チェロに美味しいソロが多かったのだよ)
後半は、もうすっかり漫画なんだけれど、ビジュアル的に実にしっかりと造りこんであって、見応え十分だった。 ストーリー的にもなかなか楽しめたし、歴史上の矛盾をあれこれ突っ込むのもまた楽し、などと思うのである。

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May 05, 2005

曽根崎心中

 曽根崎心中

  監督:増村保造
  原作:近松門左衛門
  脚本:白坂依志夫、増村保造
  撮影:小林節雄
  音楽:ダウンタウン・ブギウギ・バンド
  出演:梶芽衣子、宇崎竜童、井川比佐志、左幸子、橋本功

    1978年 日本


川崎市民ミュージアムの映像ホールで標題の映画を観た。

曽根崎心中」 1978年 日本 112分

前回観た「音楽」に引き続いての増村保造監督作品である。 徳兵衛を騙して悪びれない九平治や、決然として道行を選ぶ徳兵衛とお初の心理を描くどろどろとした表現に当てられぱなしの112分。 これが増村保造監督の持ち味なのだろうと思う。

天満屋の女郎お初役の梶芽衣子が、「音楽」の黒沢のり子と同様のハイテンションで道行までを貫く。 増村保造監督作品では、「情の強い女」がキーワード足り得るのかどうか、好くは判らないけれど、ともあれ、そんな映画を続けて観た事になる。
平野屋の手代徳兵衛役は、俳優としてはこれがデビュー作という宇崎竜童。 流石に他のプロの役者達と比較すれば稚拙な演技だけれど、それが徳兵衛と言う男の純情さに、丁度上手い具合に結び付いていると思う。 この人の顎の張った骨相は意外に古風な容貌を持っている事に、今回観ていて気が付いた。 徳兵衛役に宇崎竜童を据えたことで、他の役者達、お初役の梶芽衣子や九平治役の橋本功らのアクの強い演技と、あるいは丁度好く吊り合いが取れるものなのかもしれない。

音楽はダウンタウン・ブギウギ・バンド。 これは、当時の時代劇としては画期的だったかもしれない。 本来、古典的なものからは遠いイメージのある彼らがエレキギターやシンセサイザーを駆使して作る音楽は、しかし、おそろしくウエットなのである。

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