June 30, 2007

リンダリンダリンダ

 
  リンダリンダリンダ
 
    監督:山下敦弘
    出演:ペ・ドゥナ
       前田亜季
       香椎由宇
       関根史織
 
         2005年 日本
 
 
学生の頃、友達と廊下で交わした立ち話や、部室にこもっての部員らとの駄弁りとか。 無為な、どうにもこうにもウダウダした、学生時代だけに許された時間。 大人になってから、そんな、当時は当たり前に享受していた時間が無性に懐かしくなったりするわけだけれど。
この映画の主人公、女の子四人からなるバンドのメンバーも、そんな青春の切なさに感付きつつ、後先知らずにその場その時を突っ走る。

大した期待もなしに映画の鑑賞に入った筈が、見終わってみれば、なかなか味わうことのない、大きな感銘を受けていた。 但し、私にとっては、鑑賞するにあたって、いささかハードルの高い映画でもあったのも確かなのだけれど。
 
 
「コンサートなんて始まったら夢中だから、後々なんにも覚えてなかったりする。 それよりも、こうやってみんなで練習したり駄弁ったりしてる時間がサ、案外想い出に残ったりするんだよね・・・・・」
「ナニ独りで浸ってんだよ(笑)」


※文化祭を目前に控えた、とある高校。 準備のために学校中がてんやわんやする中で、軽音楽部に所属する主人公ら3年女生徒のバンドは、諸般の事情からメンバーが離脱してゆき、三人になっていた。
なりゆきで急遽ボーカルに迎えたのが、韓国から来た留学生のソンちゃん。 引っ込み思案で、日本語もあまり得意ではない様子だが。
文化祭のステージへ向けて、四人の練習が始まった・・・・・

 
この映画を最初に見た時は、その独特のスタイル(?)に戸惑いっぱなしで、途中何度もドロップアウトしかけたことを白状しておく。
極々自然体に徹した演出とでも言うのか、まるでドキュメンタリーでも見ているような演技からは、芝居らしい雰囲気が感じられない。 人物を意図的に画面の中央に配置した、ニュース番組のような構図や、緊張感をまるで欠いた台詞まわし。 それを撮るカメラもまた、アングルを固定したままだらだらと長回しするし。
こういうスタイルを受け付けない人は、少なからずいることと想う。 かくいう私も、最初に見た際は、何度も挫折しかけたし。 それでも、最後までなんとか踏み止まりましたぜ。

映画としてこのスタイルを貫いた結果として、鑑賞する者は、出演者たちのラフな演技を、まるで物陰から覗くように傍観し、雑談めいた台詞に聞き耳を立てることになる。
こうして、普通の映画よりも更に一歩乗り出して観る分、動作や微妙な間合い、あるいは台詞の端々から、更にその場の空気から、微妙な人間関係や心の移ろいを汲み取ることになるのだ。 脚本や演出など、なにもかもテキトーにやっているように見えて、その実、緻密に計算し尽されていると思う。

私がこの映画をスゴイと思い始めたのは、ドラマも既に半ばあたりまで来てからのことである。 さっさと視聴を中断したりしないで、ホントに好かった。 持ち前の優柔不断な性格も、時には役に立つこともあるってこと。
2度目に見た際は、最初から最後まで映画の世界にどっぷりと浸かり込んで見ることが出来た。

バンドの4人目のメンバーは、韓国人女子留学生のソンちゃん。 異郷に来て独りぼっちでいた。 普通、小説や映画ではお約束で乗り越えてしまう「言語のギャップ」を、この映画では最後まで引きずっていて、だからソンちゃんは映画のラストまで、日本語で想いを充分に伝え切ることが出来ない。 だから、時には、相手に理解されないのを承知で、韓国語で語らずにはいられなくなることもある。

人気の無い夜の校内を独り歩き回るソンちゃん。 昨日まで孤独でいた留学生が、今ようやく味わう開放的な空気。 誰もいない体育館に入って、気分はオンステージ。 我々のバンド、3人の頼もしいメンバーを紹介します。 もちろん韓国語でネ・・・・・ 日本に来て、ようやく友を得た喜び。 バンドで唄える幸せ。 その抑え切れない昂揚感が伝わってくる。 私がこの映画で一番好きなのが、このシーン。

文化祭の最終日、体育館でのコンサートが始まった。
4人が寝過ごして(!)遅刻したため、繋ぎ(前座)役を買って出る中島、萌らの演奏がハイレベルで、その場の音楽的興趣が一気に高まってゆく。 そして、バンドの4人が雨でずぶ濡れになりながら登場。

引っ込み思案だったソンちゃんがステージでリンダリンダを唄い出し、クールに徹して来た恵がそのリフレインでシャウトする瞬間が、ワタシ的にこの映画のクライマックスである。 映画のラストは、カメラを引いて体育館の全景を見せ、見ている側の心の中にほのかな余韻を残して終わる。

この映画を見て、もうしばらく経つけれど、今でも思い出す度にジンと来てしまうよ。(好い歳をしてからに、もう)
一緒になってバカが出来る仲間と、好きなことに夢中になって取り組む。 演出のスタイルとしては異色ながら、青春ものの王道をキッチリと抑えた作品として、忘れられない映画になった。
 

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June 19, 2005

ローレライ

 ローレライ

 監督:樋口 真嗣
 出演:役所広司、妻夫木聡、香椎由宇、柳葉敏郎、堤真一、石黒賢

  2005年 日本

標題の映画を観た。 原作は「戦国自衛隊1549」を書いた福井晴敏。

潜水艦に乗るってのは、一体どんな気分がするものだろうか。 なにしろ普通の船舶とは違って、一旦乗り込んだら最後、寄港するまでは密室に閉じ込められた形である。 もちろん水中を覗く窓なんぞ、ありはしない。 外界と遮断されたその中では、昼も夜も無いのではないか。 乗っていて、艦が進む感覚とか、周囲の海流の流れとか、感じる事があるのだろうか? などと、いろいろと好奇心をそそられるのである。

太平洋戦争末期、広島に原子爆弾が投下された翌日から物語は始まる。 特攻を嫌ったために艦長職から外されていた絹見少佐が伊507の艦長に着任した。 次なる原爆投下を阻止するため、南太平洋のテニアン島に向かのである。 米艦隊の集結する海域への進入は困難を極めるが、伊507はドイツ軍の開発した新型索敵装置ローレライシステムを装備していた。
絹見艦長の下、潜水艦と言う名の密室で共に戦う乗組員達は急場の寄せ集め。 ローレライシステムの恐るべき実態。 次々に襲い掛かる米艦隊との戦いなど、見所には事欠かない映画であった。

   ▽▲▽▲▽▲  以下はネタバレがあります  ▽▲▽▲▽▲
 
まずは、潜水艦内部のセットの素晴らしさに拍手を贈りたい。 もちろん、自分は潜水艦に乗った事などないから、どれほど忠実に造ってあるかなど、判りはしないのだけれど。 それでも、艦内中そこかしこ手垢の付いたようなリアリティは素晴らしいと想った。 薄暗い照明に照らされる艦内は、機能一点張りで至る所が部品だらけ。 その中で勤務する乗組員たちと一体になって、現場感覚がびんびん伝わって来る。

役所広司演じる絹見艦長以下、潜水艦乗組員の面々は、皆一癖も二癖もあって魅力的だ。 彼らが展開する密室劇が、この映画の魅力の大部分と想う。 先任将校木崎の職人気質や元回天特攻隊員折笠の純情。 酒飲みの岩村機関長は、宇宙船艦ヤマトの佐渡先生へのオマージュではないだろうか。 そして、そこに加わるのがローレライシステムの中枢部分そのものとなる少女パウラで、感情を抑えた演技が好い。

海上~海中シーンの殆んどはCGだろうか。 最新の技術が導入されているのであろう。 一幅の絵を見るような美さで、惚れ惚れと見とれてしまう場面も多かった。 造り手のイメージを、そのままCGに生かせるような時代になったと言う事なのかもしれない。 取り分け、潜水艦の孤独さを象徴するかのような、海中の蒼さは印象的である。 一方、CGのリアリティと言う事でいけば、まだまだイマイチとも想う部分も多々あって、この辺は、気になる人にとってはユルセナイと言う事になるのかもしれない。 その辺り、ヴィジュアル的に何を求めるかで、人に寄って評価が分かれると想う。

戦闘シーンのスピード感溢れる演出は特筆もので、これはCGやデジタル編集を多用したお陰だろうか。 実写や模型では得られない、新たな魅力が、最新の技術によってもたらされているのだろう。 伊507の航海が始まって直ぐに「敵機襲来!急速潜行せよ!」と来るのだけれど(実は抜き打ち訓練)、最後まで艦橋に居た絹見が、艦の潜行寸前に艦内に飛び込むあたり、きっと実際にはありえないのではないかと想うけれど、ファンタジックな演出で取り分け印象に残った。

クライマックスの戦闘シーン。 たった一隻の潜水艦が米艦隊を翻弄してのけるあたりは、「沈黙の艦隊」の原潜やまとを思い出す。 ローレライシステムを備える伊507が敵の爆雷、魚雷網を自在に掻い潜るのは良いとして、
魚雷も連装砲も百発百中と言うのは、あまりにも不自然と言う気がするけれど、演出のスピード感と相まって、まあ良いか、と想う。
エピローグで、伊507の乗組員の生き残り達のその後消息は不明であること。 またしかし、伊507から切り離されたN式潜航艇に乗っていた折笠とパウラは子孫を残した事が示唆される。 現代の米国(おそらく)の砂浜の、優しい陽射しの中で映画は終わるのである。

潜水艦の映画は、随分久しぶり(Uボート以来か?)に観た気がする。 総じて、とっても楽しめた映画である。

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