December 16, 2009

歓喜の歌

 
  
 歓喜の歌
 Kanki no Uta
 
 
   原作:立川志の輔
    「歓喜の歌」 (新作落語)
   監督:松岡錠司
   出演:小林薫
      :安田成美
      :由紀さおり
      :加藤俊輔
 
         2008年 日本
 
 
条件反射って、ありますねぇ。
特定のきっかけを与えられたら思わず反応しちゃう、「パブロフの犬」とかのアレ。
私の場合はベートーヴェンの交響曲第九番がそのキッカケでして、ニ短調の旋律が聴こえてくると、心はいきなり年の瀬へとトリップ! 今年も一年いろいろありましたなあやれやれってな歳末気分に浸ってしまいます。
何事かなし終えたような満ち足りた気分。 ハレの日の厳粛さ。 なにやら感傷的なキモチ。
脳内で、その年のトピックまでプレイバックされそうな勢いですよ。
それが、春夏秋冬季節に関わらずオールシーズン発生するんですから、やっぱ条件反射ですよね。
ハイ、我ながら至って乗せられやすいタイプなんです。
 
         ▽▲▽▲▽▲
 
※.原作は立川志の輔師匠の新作落語「歓喜の歌」。 生憎と、私は未聴です。
とある地方都市に建つ瀟洒な公民館。 小林薫さん扮する公民館の主任が、二つの女声合唱団のコンサートをウッカリ同日同時刻(大晦日の夜)で請けてしまった。 いわゆるダブルブッキングしちまったことから巻き起こる騒動の数々・・・・大晦日の夜、歓喜の歌は鳴り響くのでしょうか?!
 
 
小林薫さん扮する主任さん、その絵に描いたような小役人ぶりがステキです!
万事ことなかれ主義で規則を振りかざすばかりの無責任男。 セコくて小ズルくて。 筋金入りのダメ亭主でもある。 けれど、飄々としてどこか憎めないところもあって。 失礼ながら、こんなに芸力のある役者さんとは想わなかったです。
そんな主任さんが、果たしてヤル気オトコ(?)へと目覚めるかが見所!
この人で持っている映画と想います。
 
小林薫さんに哀れダブルブッキングされてしまう二つの女声合唱団は、片や働く庶民のオバサンたち、もう一方はセレブな奥さまたちと、メンバー構成をハッキリ描き別けていて判りやすいのです。
 
庶民派合唱団の美人リーダーは安田成美さん。
実は私、その(ある意味)笑顔の貼り付いたようなマスクがあんまり得意ではないのですよ。 とはいえ、この人が主任と絡んでしでかすワルダクミの顛末では、そのキャラが見事に生かされていて、この映画きっての見せ場と感じました。
 
ダブルブッキングされた二つの合唱団が、見事コンサートを成功させるまでを描いた映画ですけれど、生憎合唱のシーンはさほど印象に残りません。 撮影上、あんまり手間を掛けずに済ませちゃったって感じです。
中でもコンサートのシーンは余程物足らなくて、その直前の、ステージ改造のエピソードなど設ける替わりに、演奏シーンをもっともっと工夫すれば好かったのにと、合唱好きの私としては残念に想います。 折角の、合唱を素材にした映画なんだからサ。
 
大晦日の夜(!)のコンサートの大詰めに、二つの女声合唱団により演奏されるのが、ベートーヴェンの交響曲第九番、その終楽章「歓喜の歌」。
でも、そのシーンの音声を吹き替えで済ましたのはまだ許せるとしても、女声合唱+ピアノ伴奏の画像に、混声合唱+オーケストラの音声をかぶせていたのはあんまりだなァ・・・・肝心のクライマックスというのに、付いて行くことが出来ませんでした。
これは、あるいは女声合唱+ピアノ伴奏では(知らない方には)第九の第四楽章と判って貰えないと懸念してのことかもしれませんね。 因みにこの「歓喜の歌」の演奏シーン中、私の条件反射は一切発動しませんでした。 ハイ。
 
この映画の劇中奏でられる合唱については、合唱愛/合唱へのリスペクトがまずは足りない気がします。
まあ、私が「らんちゅう」って一体何処がイイの?って想ってしまうのと同じ程度に、合唱って一体何処が・・・・ってのが、製作者の合唱感なのかもしれません。
 
それからストーリーの性格上、クレームを付けたり付けられたりのシーンが幾つもあるんですけれど、中にはけっこう殺伐と感じる場面もあって、そんなのは見ていて決して気分の好いものではなかったですねえ。 険ばかり感じてしまって、見てて嫌ンなる。
オレってどこまでもキレイごとが好きなのか・・・・
 
 

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November 20, 2009

喜劇 駅前旅館

 
 
 喜劇 駅前旅館
 Kigeki ekimae ryokan
 
 
  監督:豊田四郎
  脚本:八住利雄
  原作:井伏鱒二
  出演:森繁久彌 (生野次平:柊元旅館の番頭)
     フランキー堺 (小山欣一:旅行代理店の添乗員)
     淡島千景 (お辰:番頭たちの行きつけ、辰巳屋の女将)
     淡路恵子 (於菊:次平のかつての恋人)
     伴淳三郎 (高沢:次平とは旅館の番頭仲間)
     森川信 (柊元三治:柊元旅館の主)
     市原悦子 (修学旅行中の女学生)
 
       1958年 日本
 
 
先日惜しくも亡くなられた森繁久彌さん。
その出演映画の代表作に数えられる、駅前シリーズの第一作を見ました。
昭和の三十年代に、上野駅界隈の旅館を舞台として造られた人情もの。 もちろん当時の上野駅の映像も登場します。 リアルALWAYSですね。

さて、私(ばかりではないでしょうけれど)の場合、子供の時分からテレビやラジオを通して培ってきた森繁感というものがまずあって、たとえば俳優/コメディアンとして活躍していても、あるいは知床旅情を唄っても、そこにある種インテリジェンスや大人の風を感じ、また碩学の演劇人、有徳の士という印象があります。 だからして、どんなドラマに出てもコメディーをやっても、それは只の役者ではない、文化人・森繁が演じているという意識が付いて廻るんですね。

この映画での森繁さんも、只々面白可笑しくして笑わせる、というばかりではないですね。 それに、(撮影年度からして当たり前ですけれど)とってもお若いのです。
上野駅前、柊元(くきもと)旅館のベテラン番頭生野次平に扮した森繁さんは私の中の森繁像、後年の貫禄に充ち満ちた熟年ではありません。(映画が始まって暫らくの間、出演者の内一体誰が森繁さんか判然としなかったくらいです)
また、メガネもヒゲもなしで、どちらかと言えばのっぺりした顔が、如何にもインパクトに乏しいのですよ。 今時の俳優/タレントによく見られるような、いわゆる濃い顔とは正反対な、当時の森繁さんです。

         ▽▲▽▲▽▲

高度経済成長期の日本。 東京の東の玄関は上野駅。
その駅前に集結する数多の旅館は、永らく上京の旅人が宿を取るのに欠かせぬ存在でした。
が、高度成長に伴い、その客層はかつてのような個人客から、修学旅行(女学生役、若き市原悦子さんのぶっ飛び加減!)や社員旅行などの団体客へと移り変わりつつあります。

いきおい旅館の方も、個人客のリピーターよりも団体客相手をメインにと経営方針がシフトしてゆくわけで。
こうなって来ると、海千山千の番頭が腕を揮ってきた職人芸的な客寄せの手管や、肌理細やかなサービスなどはもはや過去の遺物。 なにしろ旅館としては、旅行代理店が次々に団体客を突っ込んで来るのを受けて、スピーディに捌いてゆけばそれで好いんですから。
と言うワケで、老舗旅館へ怒涛のように押し寄せる団体客。 その喧騒の日々。 昭和三十年代のエネルギーがスクリーン一杯に横溢します。

この映画、題名に喜劇と銘打ってはいますけれど、大笑いできる肩の凝らないコメディーを期待してはイケマセン。 一途に笑いを求める方には向かないのじゃあないかな。
都会の片隅でしたたかに生きてきた者たちが、時代の流れに押され、次第に居所を失ってゆく。 そんな日々の哀歓。
中でも哀の側がとても印象的で。 ユーモアよりは、ペーソスの配分がハッキリ勝っていますね。
それから(もう決して若くはない)男の意地。

笑いどころなど、今日とはもはや感覚がズレてしまっているのか、ストレートには笑えないシーンもあるし。 それよりも、当代一流の芸達者らによる芝居、その練達のアンサンブルを賞味すべし、そして繰り返し観て愉しむ価値のある映画と想いました。
森繁さん、やはり偉大です。
 
 

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May 27, 2008

逆境ナイン

  
逆境ナイン
 
  監督:羽住英一郎
  出演:玉山鉄二
     堀北真希
     藤岡弘、
  原作:島本和彦「逆境ナイン」
 
     2005年 日本
 
 
島本和彦の同名の高校野球スポ根ギャグ(?!)マンガを実写映画化!!
弱小野球部を率いるキャプテンで投手の不屈闘志(って名前なんです)が、襲い来る数々の逆境にもめげず、甲子園を目指す姿を描く。 高校野球マンガのパロディと、ナンセンス・ギャグの要素を併せ持つ青春ドラマである。

なんたってこの映画、原作者・島本和彦の描くマンガの世界感をそのまんま、無理矢理に実写映画化してしまった。 そのこと自体のバカバカしさに、まずは笑うしかないでしょ。

ナンセンスなギャグの連続するドラマなんだけれど、それをつなぐ映像の一々を、カメラが本格的に捉えている。
キッチリ映画しているのである。
それゆえ、登場人物たちがバカをやる中で、映像だけは唯もう純粋に美しいのだ。 そのお陰で、笑いの場面が余計に可笑しくなってるね、絶対に。

主人公の投手・不屈闘志役に玉山鉄二。
この役者のことを私は好く知らなかったのだけれど、彼の演じる島本和彦ワールド的熱血漢ぶり。 純情無比で、暑くるしく、そしておバカな高校球児の姿に惹きつけられた。 まずはハマリ役と言って好いのではないか。
不屈以外のナインも皆好演するけれど、いずれも小粒で印象は薄い。 やはりこの映画、玉山鉄二の独り舞台の感があるね。
そして、マネージャー役・堀北真希の可憐さ。
重厚な雰囲気で島本和彦ワールドを支える、校長役・藤岡弘、。

おバカで熱い青春ドラマに散々笑い転げさせられて、お終いは岡村孝子の「夢をあきらめないで」に思わずジンと来ちまう映画です。
 

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March 08, 2008

かもめ食堂

  
 かもめ食堂
 ROUKALA LOKKI
 Kamome Diner
 
  監督:荻上直子
  脚本:  〃
  出演:小林聡美
     片桐はいり
     もたいまさこ
 
        2006年
 
 
小林聡美はホント綺麗になりましたな。
この映画の撮影当時で、そろそろ四十台に乗っかったあたりだろうか。
若い頃に比べ、ドガチャカしたところが抜けて、本来持っていたボーイッシュな雰囲気に、適度な円満さが加わった。 過ごして来た日々の充実を感じさせられる。

「かもめ食堂」は、北欧、フィンランドの首都、ヘルシンキで三人の女性が小さな日本食堂をやるという、大人のための童話とでも言いたくなるお話し。
ドラマ全体が、どこか浮世離れしてファンタスティックなのも、ヘルシンキと言う土地柄、その夏の淡い色彩感と良く合っていると想う。

小林聡美 と共にかもめ食堂を切り回すことになるのは もたいまさこ と 片桐はいり。
どうです? このラインナップ。
室井滋はいないの? なんて突っ込んでみたくなるのは、あながち私だけではあるまい。

それぞれに違う事情を抱えて北都ヘルシンキへとたどり着き、縁会ってこの地で知り合った三人。
各々の来歴について、一応紹介はするものの、詳しいところは良く知らないまま。
特段、我が身について多くを語りもせず、また殊更他人の事情について深く知ろうともしないのである。

他人に優しく、己をしっかりと律して生きる。 かもめ食堂の主人で、武道家の娘という設定のサチエ役に小林聡美。

マサコ役に もたいまさこ。 三人の中では年長で、その慇懃な物腰からは、なにやら人生の修羅場を潜って来たらしく察せられる、ある種スゴミを漂わす。 やっぱり猫が好きなのか・・・・・

ミドリ役に 片桐はいり。 他の二人に比べて幼さを残す言動は、いささか繊細さに欠けるようでいて、でも、三人のハーモニーを乱すことはないのである。

その他、かもめ食堂の常連で日本オタクのトンミ・ヒルトネン青年をはじめ、登場するのは穏やかでシャイな好人物ばかり。
暖かで、でも、人さまの領域には必要以上に立ち入らない。 絶妙の距離感を保つことの出来る人たちと、共に居ることの心地好さ。
いつまでも、そのドラマの中に浸っていたくなる、丁度好い湯加減の映画です。
この作品にすっかりハマった私は、一週間の間に四度観てしまった。 いくらなんでも、これはやりすぎだろう、と想って、以降は自粛しているけれど。 でも、もうしばらくしたら・・・・・

三人の小気味好いやりとりから、陽水の「クレイジーラブ」へとつなげる、ラストシーンがまた粋だ。
 

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October 07, 2007

機動戦士ガンダム00

 
 
 機動戦士ガンダム00
   第1話 「ソレスタルビーイング」


TVの秋の新番組。 懐かしや、ガンダムではありませんか。
休みの過ごし方を考えてなかったので、こんなのばかり見ている。

昔のガンダムでは巨大なスペースコロニーが印象的だったけれど、今度のガンダムの作品世界では軌道エレベーターが建造されていて、大規模に運用されているのが面白い。
天空に聳え立つ柱。 こればっかりは、生きてる内に、実用化された姿を見上げてみたいもんだ。

ガンダムそのもののデザインは、昔のやつとあまり違わない。 けれど、主要キャラたちの瞳がやたら大っきいんだよね。 そして、アムロがそうであったような、思春期の男の子的な昏さがない。 こういうのは、ターゲットとする視聴者層を意識してのことと想うけれど、とまれ、昔のガンダムとは隔世の感がありますなあ。
 

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August 19, 2007

皇帝ペンギン

 
  
 皇帝ペンギン
 LA MARCHE DE L'EMPEREUR
 THE EMPEROR'S JOURNEY
    (MARCH OF THE PENGUINS)


   監督:リュック・ジャケ

      2005年 フランス


暑い日が続くんで、せめて映像から涼を得たいゾと。
選んだのは標題そのまんまに、南極に暮らす皇帝ペンギンの、求愛から抱卵、育雛、そして巣立ちまでを捉えた映画。

なにしろ主人公は「ペンギン」と言うから、その通俗的なイメージから、ほのぼの志向の子育て映画を連想したのだけれど、なかなかどうして、中身は至って地味かつシリアスな作品であった。
「ユーモラス」とか「カワイイ」と言ったイメージだけで臨んだり、娯楽作品を期待したりすると、肩透かしを食らい、と途中で退屈してしまうのは必定。

南極大陸。 一面白と青の世界。 繁殖地に向けて氷原を粛々と歩み続ける、無数の皇帝ペンギンの行列を遠景から捉えたショットは、まるでヒトが群れ彷徨うようで、実に夢幻的な眺めである。
その他、二羽のペンギンがハートマークを描く求愛のダンス。 過酷を極める真冬の抱卵。 海中のペンギン。 雛の誕生。 と、印象に残る映像が続く。

この映画、本国フランスで大ヒットしたそうである。 ペンギンの生態を淡々と追うのではなしに、父ペン、母ペン、雛ペンに別の声優を充てて、それぞれの想いを語らせている。
文学的な味付けが濃いのはお国柄だろうか。 私としては、登場するペンギンの擬人化に、ちょっと付いて行き難いものがあった。

ところで、日本語版の吹き替えは個人的にダメでした。 父親の声はカッコ好過ぎで、母親の声はカワイ過ぎる。 過酷な自然と力強く立ち向かう、ペンギンの両親と言う感じがしない。

極めて良質な映画だけれど、ゆとりのない時に見てもダメ。 自室でDVDを、仏語+字幕なしにして、ボンヤリ流してみたら、ゆったりと好い時間が過ごせそう。

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December 11, 2006

NHK大河「功名が辻」

NHK大河ドラマの「功名が辻」が昨日、最終回を迎えた。 例年のことながら、大河が終わると今年もあとわずかって気になる。

今年は、山内一豊とその妻が主人公ってことで、当初はこんな地味な題材で果たして一年間も持つのかしらと想ったけれど、始まってみれば、これがとっても面白かったのである。
もっとも、私が見始めたのは長篠の戦いのあたりから、ぼちぼち、というところだったけれどね。 それでも、本能寺の変の辺りからは、すっかりハマッて毎週楽しみに見ていたっけ。

信長、秀吉、家康といった大河の常連、ビッグネームらが主人公の場合と違い、武力、知略共にそこそこのレベルにあって誠実律儀の一豊と、知恵女房千代の視点を通して戦国時代を描くことで、これまでにない、新鮮なドラマに仕上がったと想う。
それにして「功名が辻」はキャスティングが滅多矢鱈と好かった。 それこそ、大河史上最高ではないかと想うくらいに。 なかでも、取り分け印象に残った配役を挙げてみると・・・・・

豊臣秀吉:柄本明
柄本秀吉。 若い頃は流石に苦しくて、これはミスキャストだろうと想っていたら、その代わりに、壮年期以降が素晴らしかったのにはホントに驚いた。 秀吉と言う人の持つ多面性・・・・・ひょうきんさ、賢さ、怖さ、威厳、晩年の老耄までを演じ切って、これ以上の秀吉役はいないのでは、とまで想わせた。

淀の方:永作博美
誇り高く、でもそれと表裏をなす哀しさ。 美しさと毒気、驕慢さと愚かさを描いて、これもドラマ史上最高ランクと想った。

寧々:浅野ゆう子
正直、ここまでやれる人とは想わなかった。 シリアスなシーンで精一杯威厳を張り通す姿勢が好いし、また、秀吉とのコミカルな掛け合いも可笑しいのである。

石田三成:中村橋之助
正直一途。 建前を通した挙句に周囲から嫌われちゃう損な役回り。 その風格は流石と想う。 最初はヤな奴だったけれど、お終いにはいじらしくなってしまった。

明智光秀:坂東三津五郎
貴族的で気品のある、「大人」の光秀。 これならば、信長と上手く行く筈がないよね。 納得のキャスティングで、もう、やられたって感じ。

徳川家康:西田敏行
家康と言うと、その狸親父ぶりを嫌う人は少なくないけれど、ここでの西田家康は苦労人で懐が深く、それでいてどうにも捉えどころがない・・・・それ見ろ、やっぱりタヌキだ! これまでに見てきた中でのベスト家康と想う。

この他にも、井伊直政の篠井英介、黒田官兵衛を演じた斎藤洋介、本多平八郎忠勝をやった高田延彦(!)など、毎回楽しみだった。
忘れてならないのは一豊の重臣コンビ、五藤吉兵衛の武田鉄也と祖父江新右衛門の前田吟の好演。
中でも、五藤吉兵衛討ち死にの回は、俳優やスタッフのもの凄い熱気が伝わって来る、全編中の白眉だったと想う。

さて、来年の大河は井上靖の「風林火山」なんだそうで。 山本勘助を中心に描いて一年間も持つのかいな、なんて、またぞろ懸念してしまうけれど、来年の今頃には「あゝ、面白かった!」とか言っている自分がいるんだろうね。 きっと。

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September 08, 2005

コーラス

 映画「コーラス」 (2004、仏)
   監督: クリストフ・バラティエ
   出演:ジェラール・ジュニョ(クレマン・マチュー先生)
       フランソワ・ベルレアン(ラシャン校長)
       ジャン=バティスト・モニエ(モランジュ)

標題の映画を観た。
不肖、かつて合唱団で歌っていたことがる。 学生時代から始めて、社会人となってからも長く続けていた。 通算すると、かなりの年月を合唱に捧げてきたことになる。
今はやっていない。

一体、音楽に関わる映画と言うのは少なくないけれど、その中でも合唱が主役となると、とんと思い当たらない。 別に映画に詳しい訳ではないけれど、多分、殆んど存在しないのではないだろうか。 自分の合唱団時代を懐かしむような気分で、映画館へと脚を運んだ。

ニューヨークの、とあるコンサートホール。 楽屋で開演を待つフランス人指揮者モランジュ・・・ベテランの域から、巨匠への路を歩み始めたと言う辺りか・・・のもとへ届いた故国からの電話は、愛する母親の死を告げるものだった。
急ぎ帰国した彼は、葬儀を済ませた後、かつて寄宿舎で共に暮らした幼馴染のペピノと、半世紀ぶりの再開を果たす。
古いアルバムを挟んで、幼い日々を懐かしむ男たち。 指揮者として飛ぶ鳥を落とす勢いのモランジュの眼光の鋭さと、ペピノの人の良さ丸出しの顔つきからは、二人の過ごした、半世紀に渡る人生の相違を見て取ることが出来そうだ。
アルバムの集合写真に見入る二人の話題は、やがて、舎監のマチュー先生の想い出に・・・

巧みなイントロに導かれて、観客は第二次世界大戦後間もないフランスの片田舎、山中に建つ古城、と言うよりはまるで監獄のような寄宿舎へと誘われるのである。
その、山中の寄宿舎に舎監として赴任したマチュー先生が出会ったのは、殺伐とした環境の中で荒みきった少年たちと、体罰を信奉して止まない校長であった。
かつて音楽を志していたマチュー先生は、少年たちの悪戯に手を焼きながらも、彼らに合唱を教えることで、その荒みきった心を開かせることに成功する。 幼くて、未だみんなと声を揃えて歌うことの出来ないペピノ。 問題児だったモランジュは、マチュー先生からその音楽の才能を見出され、独唱者として抜擢される。

練習のシーンは、階名を教え、パート割けしたと想ったら、すぐに綺麗なハーモニーを響かせ始めるなど、至極あっさりとしたもので、先生や子供たちがどう苦労したかとか、猛練習したとか、その中で忍耐力や集中力を獲得していったかなど、語られることはないのである。 もっとも、自分は児童合唱と言うものをまるで知らないので、全然的外れのことを言っているかもしれない。
肝心(自分にとって)の合唱の方は、何れも初めて耳にする曲ばかりであった。 流石はフランス本国で大ヒットを記録し、音楽関係の賞を幾つも受賞したと言うだけあって、なかなか聴かせる内容である。 それも、音楽的に過度に洗練されきった風ではないので、その分、映像から浮き上がってしまうと言ったことも無いのである。

この映画は、ストーリー上ところどころに起伏があるものの、クライマックスらしきものはなく、どちらかと言えば淡々と進む。 コンサートを開くでもないし、コンクールに打って出るとか言う訳でもない。 慈善道楽の伯爵夫人を寄宿舎に招いての、言わば御前演奏会が、彼らにとっての唯一の晴れ舞台だったと言える。
そんな地味な展開の中での唯一のトキメキはと言えばマチュー先生の、モランジュの母親で寡婦のヴィオレットへの淡い恋心である。 中年男女、なかなか好い雰囲気ではないかと想っていたら、ヴィオレットはマチュー先生などまるで眼中になかったらしく、あっさりと他の男・・・自家用車を乗り回し、パリッとした身なりの伊達男と・・・再婚してしまう。

こんなオヤジは、やっぱり駄目ですか? ハゲだし(失礼)、デブだし(すまぬ)、でも優し、く誠実で、忍耐強く、あなたを愛し、その上子供たちの心をしっかりと掴んでいます。

ところで、ヴィオレットのこの選択は、後々モランジュのトラウマとなったのではないか? 彼の美貌と才能に惹かれる女たちは後を絶たなかったが、「オマエら、どーせ、見てくれだけが肝心なんだろ!?」 とばかりに、女性に心を開くことの無いモランジュは生涯を独身を通す・・・なんてね。 これは、もとよしの妄想ですが。

寄宿舎に札付きのワル、問題児が入って来た。 流石のマチュー先生も彼の心を開かせることは出来ず、挙句、最後には寄宿舎が放火されてしまう。 責任を問われたマチュー先生は職を追われる羽目に会う。
それから校長。 体罰の信奉者として登場した彼も、一旦は合唱団を始めたマチュー先生の理解者となったかと想うと、その合唱団の評判を我が身の出世に利用しようと立ち回ったりする。 寄宿舎への放火騒ぎに激怒して、マチュー先生を解雇したのも彼である。

同じく音楽教師と子供たちを描いた映画でも、例えば「ミュージック・オブ・ハート」(1999、米)などは、登場人物がみんな好い人・・・敵役で登場しても、ラストには主人公の頼もしいサポーターになっていたり・・・なのに比べて、ここでは、ワルは最後までワルなのである。 救いが無い、と言えばそれまでだけれど、ある意味リアルだし、観る側にも、それだけ懐の深さを要求していると想う。

この映画を観終わった後、実は若干の物足りなさが残ったのである。 やはり、盛り上がりには欠けましたからねえ。 でも、その翌日からじわじわと感動が湧き上がって来たのには、我ながら驚いている。 それは、今までに感じることのなかった、不思議な類の感動である。

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