July 08, 2009

いけちゃんとぼく

 
 
  いけちゃんとぼく
 
     西原理恵子 著

       2006年 角川書店
 
 
西原理恵子さんの絵本「いけちゃんとぼく」を読みました。
それは偶々、病院の待合室に備えてあったもの。
診察を待つ間の時間つぶしには、丁度お誂え向きのボリュームでしたからね。

著者の西原理恵子さんと言えば、毎日新聞の日曜版に連載中の私小説風マンガ、「毎日かあさん」の お母さん その人ですよね。
男女二児の母親が、家族に寄せる愛情、毒気の効いたユーモアもさることながら、男の子の世界と女の子の世界それぞれを、地に足の着いたクレバーな観察眼で捉えていることに感心させられます。

で本書、「いけちゃんとぼく」の主人公 ぼく もまた男の子。 やはり、「毎日かあさん」の おにいちゃん を連想させられるのです。 そういえば いけちゃん のデザインは、おにいちゃん の描いたマンガ(?)を元にしているのだそうな。
一応、絵本のカテゴリーに入れられていますけれど、その内容は西原さんの描く漫画とさして変わるところがありません。

物語は主人公の小学生、ぼく とその ぼく だけに見える不思議な生きもの、いけちゃん との対話で綴られてゆきます。
ここで特筆すべきは西原さんの示す、男の子の世界への深い受容力です。
それは、世間一般的意味合いの母親視点から、男の子はこうあれかし、というのとはいささか異なる、西原さんならではの人生観から来るもの。(だからこそ、「毎日かあさん」とは違う世界観ながら、共通の視点/語り口を感じさせられるのだと想います)

子供時代・・・・それは、誰にとっても懐かしい、キラキラと輝いていた日々。
手がつけられないくらいにデリケートな、少年の心の移ろいを、純朴な絵とシンプルな台詞で綴ってゆきます。
この絵本に関して私は、作品全体を満たす静謐な空気感に反応しちまって、深く読み込むよりも先に、さっさと大満足レベルに達してしまったことを、ここに白状しておきます。 ハイ。

絵本だけに、とても短いのですけれど、これは一読して、すぐさまもう一度始めから読み直さずにはいられない佳品です。
 
 

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February 01, 2009

丸善津田沼店

 
 
またまた、ご無沙汰をしています。
このところ、いろんな意味でドタバタと落ち着きのない日々を送っている私です。
目下転職を(すぐに、というわけではないんですけれど)目指して鋭意活動中でして。 それに向けて、あれやこれやと調べものをしたり、ツテを探したり、また勉強をしたり、そして時には現実逃避(おい)もと、慣れないことも含めて、次々にこなしてゆかねばなりません。

で、今日は勉強に役立ちそうな書籍を求めて本屋さんに行ってきました。
以前にもこのブログに書いたことですけれど、我が街津田沼・・・・JR津田沼駅、京成津田沼/新津田沼駅を中心とする界隈・・・・というところはなんというかもう、書店が無駄に多い街なんでありますね。
新刊の本なんて何処のお店で買おうがまったく同じ内容、同じ値段、それ以外にサービスが付け加えられるというわけでもないし。 本屋さんなんて数あってもありがたみがナイや、などとグチを垂れてしまう私です。

それでも、こと専門書を買うという段になれば、やはり一番大きいところに頼ってしまうわけで。 JR津田沼駅の南口傍にある「丸善」の津田沼店にぶらり入ってみました。
ここは書籍売り場として大層広いフロアが二つあって、とにかくこの界隈では一番の大手なんですね。 流石は老舗の「丸善」
もっとも、フロアが広いということは、目的のブツに接近するまで余計に歩かされるということでもあるわけで、これまであまり利用したことがなかったのでした。 なにせ当地は、本屋さんならば幾らでもありますからね。

さて、目指す専門書はやはり店の奥、というか上のフロアの隅の方にありました。
暫しうろうろと捜した挙句、お目当てのジャンルの棚を見つけたのは好いんですけれど、その品揃えの豊富なことといったら。 一つジャンルの書籍が予想を上回る数で、それこそドドーンとあるわけです。
それほどメジャーな分野ってわけでもない筈だけれど・・・・いや、自分の認識がかな~りズレているのかも。 とまれ、暫し呆然と佇んでしまいました。

さて、気を取り直して。
とりあえずは目ぼしいもの。 自分にも判るような易しそうなやつを何冊か大人買い(?)してきました。
こういった、自分にとって未知なる分野についての書物を捜す際は、まずは良さそうなもの数冊を試してみて、その中で一つアタリがあれば、まあ好しとしようってのが私の考えです。
このコーナーには、これから何度も通うことになりそうです。
 
 

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October 09, 2008

麻婆豆腐の女房

 
 
 麻婆豆腐の女房

   ~「赤坂 四川飯店」物語~


    吉永みち子著

         2000年 光文社


我が国の食文化に数々の中華料理、中でも麻婆豆腐を紹介したことで知られる中華料理人、陳建民さんと洋子夫人の一代記であります。

中国は四川省に生まれた建民さんは、早くに父親をなくす貧しい生い立ちのなか、やがて料理人の道を歩み始める。 早くから頭角を現すも、生来の放浪癖もあって、職場の不当な悪条件やケンカ、また経営者に騙されるなど、なにかことある度に、職場を次々と渡り歩いていった。
四川省から上海へ出、さらに台湾から香港を経て、とうとう東京へと辿り着いたのが1952年のこと。

その建民さんと東京で知りあい結婚した洋子さんもまた、苦労の絶えない生い立ちの人であった。
また、国際結婚など珍しかった頃であり、洋子夫人の実家(いささか複雑な)から歓迎はされなかったという。

それにしてもこの時代にあって、国籍、民族、言葉や文化の相違からくる無数の障壁の一々に堂々と立ち向かい、常に正面突破してゆく洋子さんの力強さ、包容力、そしてなにより明るさには、読んでいて只もうひたすら圧倒されてしまう。
まさに、この人あっての「中華料理の神様」陳建民であり、四川飯店であったのだと言えるであろう。

前進あるのみの素晴らしく前向きな性格、ざっくばらんで誰とも直ぐに打ち解ける、明るく屈託のない人柄の洋子さんは、放浪癖の一向に治まらぬ建民さんを巧みに(時に強引に)操縦し、遂に「四川飯店」を興し東京の地に根を下ろさせる。
建民さんはやがて「麻婆豆腐」に代表される四川料理を日本風にアレンジして広く紹介する他、当時始まったばかりのNHKの料理番組では講師を務め全国的な人気をはくした。(私、生憎とこの番組は未見であります)

建民さんにとって洋子さんはなんだったのか、二人はどんな夫婦であったのか。 それは、本書のあとがきに記された、お二人のご子息であり後の「料理の鉄人」陳建一さんの言葉に集約されていると思うので、お終いに引用させて頂きます。
 
 
「母あっての親父だったと思いますよ。 もし母と出会ってなかったら、結婚していなかったら、陳建民の成功はなかったとはっきり言える。 それを親父はよくわかってたから。 ママは神様がくれた宝物ですっていうのが、親父の口癖だったものね」
 
 

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August 07, 2008

裁判長!ここは懲役4年でどうすか

 
 
  裁判長!ここは懲役4年でどうすか
 
     北尾トロ 著
 
        文春文庫 2006年
 
 
裁判を傍聴することは国民の権利であります。 はい、ごもっとも。
その裁判というものは、時に鉄火場へとなり果てる。 そこでは原告/被告の行状や人生、恥も涙も容赦なく衆人の前に曝され、下世話なテレビドラマ顔負けの愁嘆場も珍しくはないのである。
 
そんな裁判を、関係者でもないのに好んで傍聴する人々がいる。
本書は、ライターの北尾トロさんが、裁判傍聴の世界にどっぷりと浸かってゆく顛末を記したもの。
 
元々北尾さんは、法律の学習者や犯罪/裁判の研究者と言う訳ではない。
全くの素人として、何ら目的意識を持たず傍聴に臨むため、その興味の対象や問題意識は、自ずと週刊誌やワイドショーのそれを出ないし、ひどくクダケタ文体もそれに相応しいものになっている。
 
裁き、裁かれる場の見聞録は、やはり究極的な人間観察記としての面白みはあるんだけれど、とは言え人様の苦しみ哀しみをネタにすることへの背徳感が付いて廻るものである。
ところが、作者は事件の顛末から判決の行方までを、あからさまに面白がる態度を貫いている。 早い話が、他人の裁判を次々に覗き廻って愉しんじゃってるのだ。
いや、もちろん被害者/加害者への同情も持っているんだろうけれど、厳粛であるべき裁判を、終始おフザケ調の文体で表現している。 そこの処が、どうにも付いてゆけない。

        ▽▲▽▲▽▲ 
 
皮肉にも、本書の中で一番面白かったのは作者による傍聴の記録ではなく、巻末に配置された、年季の入った傍聴マニア数名を招いての座談会の下りであった。

長い傍聴体験の中で出会った、忘れられぬ名判決から、裁判所内人事の行方まで。 何事であれ、道を極めた人の言には傾聴の価値があると、改めて想った。
 
私としては、この作者の傍聴入門記、他人のトラブルの行方を興味本位で追い掛けただけ(としか思えない)の本書については、もうどうでもイイやって気になっている。
傍聴マニア諸氏の、取って置きの傍聴談ならば、まだまだ聴いてみたい気もするのだけれど。
 

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July 26, 2008

おちおち死んでられまへん

 
 
  おちおち死んでられまへん
    <斬られ役ハリウッドへ行く>


    福本清三、小田豊二著

        集英社文庫  2007年


不肖なんであれ、その道一筋に生きて来たプロと言う存在に弱い。 今風に言えば、リスペクトする傾向にある。

己の役どころを心得ていて、やるべきことをきっちりと勤めあげる。 必ずしも陽の当たらない位置居たりするけれど、でも、その人が居なければ始まらないプロ。

本書の著者、東映京都撮影所に大部屋俳優として半世紀近く勤める福本清三さんもそんなプロ中のプロの一人である。
長年に渡り映画、テレビドラマに脇役として出演して来た福本さん。 中でもテレビ時代劇のラスタチ(番組クライマックスの大立ち回り)では、主演俳優に絶妙の呼吸で斬り掛かり、逆にバッサリ斬り倒される、そんな斬られ役の第一人者である。

本書は、福本さんが柔らかな関西弁で語るのを、小田豊二さんが聞き書きする形式で通しているため、福本さんの腰の低い、そしてユーモラスな人柄が直に伝わって来る。

特筆すべきは福本さんの慎ましさ、礼儀正しさ、優しさ、なにより感謝の心。
役者と言う仕事につき物の華やかな、敢えて言えば虚飾のイメージに反して、驚くほど謙虚で実直なのです。
かつての映画黄金時代から、長年に渡り脇役一筋に勤めてきたこの役者さんのその人生観、斬られ役としての経験談からは、愚痴や他人への悪口が一切出ない。 この本は、だから読んでいて、実に気分が良い。

長年に渡り、名斬られ役で鳴らした福本さんのファンは少なくなく、近年は東映太秦映画村で催される殺陣ショーでも活躍している。

        ▽▲▽▲▽▲

2002年。 定年を間近に控えた福本さんに、思いも掛けぬビッグチャンスが廻って来た。
トム・クルーズ主演のハリウッド作品、「ラスト・サムライ」への出演オファーである。
福本さんに振られたのは、主人公の警護/監視役を忠実に勤める寡黙な老侍、サイレント・サムライ役。

以下の引用は、40年を超える大部屋俳優人生の文字通りクライマックス・シーンとなった撮影風景。
映画「ラスト・サムライ」ご覧になった方もおられると思います。 出来得れば、映画のシーンを思い起こしながら読んでみて下さい。
 
 
 <<< 引用はじめ
 
一番印象に残っているのは、私がトムさんを武士の家に案内するシーン。私が先にあがって、そのあとをトムさんが続く。私はこの時、胸の奥がじーんとしましたわ。
だって、そうでっしゃろ。
このシーン、トムさんを私が案内するんでっせ。
トムさんと私、ふたりだけですわ。ただ、歩いていく。
ただそれだけのシーンなんやけど、これ、私にとってはものすごいことなんですわ。
わかりますか。これまで私がやってきたことと言えば、スターさんとからんだシーンは立ち回りやないですか。それがただふたりだけで歩くんですわ。それも、世界のトム・クルーズと。
五台のキャメラがトムさんと私を追うんでっせ。
こんなこと、あってええんかいなって思いましたわ。
 
 引用おわり >>>
 
 
万感胸に迫りますね。
福本さんの謙虚な姿勢はしかし、ハリウッド・デヴューを飾った後もまったく変わらない。
そこのところが、なにより凄いと想う。
 
 

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July 24, 2008

書のこころ

 
 
  書のこころ

     榊莫山 著

        NHKライブラリー  1996年


昔から、どうしてもその世界に立ち入ることが出来ず、もう悔しくて堪らないものの一つに書がある。
そこに宝物が埋まっていると判ってはいるのに近づけない、判らない。 と言うか、そもそも書かれている字をマトモに読むことすら叶わない。
生涯近寄れないまんまなのかなあ、などと想うと切ないばかりである。

ほんの数十年前までは、必須の教養であった書が、今ではごく一部の学者、好事家でもなければまるで縁のない、判らなくて当たり前のものになってしまった。
千数百年続いた書の伝統というものが、今日ここに絶たれようとしている。

        ▽▲▽▲▽▲

本書「書のこころ」は、元々NHKのテレビ番組「人間大学」(1992年放送)のテキストとして用意されたもの。
私は、残念ながらその番組を見ていないのだけれど、番組から派生したこの本を何気に読んでみたら滅法面白かった。
もう、何年も前に買い求めた本なのだけれど、爾来折に触れ手にする、愛読書の一つとなっている。

本の内容はと言えば、書家の榊莫山さんが、平安の昔から近代まで、書の歴史に残る名筆の数々を紹介し、書家それぞれの人生を語ると言うもの。
専門用語に頼らず、また章一つひとつが短いので、とても読みやすい。
書の図像も豊富に掲載されているけれど、新書サイズの簡易な装丁の本なので、印刷の方もあまり良い状態ではなく、実のところ、見て良く判ると言うものではない。
でも、莫山先生の型にはまらない解説がとにかく痛快で、何度読み返してみても面白いのである。

        ▽▲▽▲▽▲

王羲之の書法に学んだ生真面目な最澄の「久隔帖」に、それに飽き足らず当時のニューモード、顔真卿の書法を取り入れた空海の「灌頂記」。
それぞれ愛弟子に宛てた手紙だったり、イベントのためのメモ書きだったりする。 つまり公式の作品ではない、極々プライベートな文書なのだけれど、そういう、気取らず「何気に書いた」ような書が後世に残り、傑作として高く評価されているというのが実に面白い。

平安の宮廷に生きた書家、小野道風の「屏風土台」は屏風に漢詩を書いた際の、これも下書きである。 (道風って、柳の葉めがけてジャンプする蛙と、傘をさしてそれを見下ろす貴人の図の、アレですね)

そして、そのマイペースな性質ゆえ宮中では浮いた存在であった書の天才、藤原佐理が関係各方面へ向け書きまくった華麗なる「詫び状」の数々。

時代は下って日蓮や一休ら、激しい生涯を送った傑僧の書からは、圧倒的なパワーを感じさせられる。

江戸時代の名僧白陰、仙厓、慈雲ら。 共通するのは、時の権力におもねらず、己の信じる道のみを往く、その姿勢を生涯貫いたこと。

良寛が出て来ればもう幕末も近い。 俗世と関わりを持たず、自由闊達に生きた良寛さまへの、莫山先生の入れ込みぶりがなんとも微笑ましい。

明治の男と言えば、気骨ある人というイメージがあるけれど、莫山先生によれば、書に関しては無気力、安穏に陥っていると言う。
その中にあって硬骨漢は、マリア・ルース号事件で諸外国に向け気を吐いた副島種臣。 書と近代史が結びつく。

そして石川啄木。 ここまで来て、やっと現代に通じるスタイルの字体を見る。 でも、副島種臣の次が啄木とはね。 いきなりセンシィティブになりましたねえ、莫山先生。

昭和に入って會津八一。 またしても気骨の人だ。 そして飄々として生きた熊谷守一。

        ▽▲▽▲▽▲

この本は、もうこれまでに何度も読み返していて、その度に愉しいのだけれど、では書というものが少しは理解出来て来たのかと言えば、依然として判らんちんな私なのである。 もちろん、より一層の興味を掻き立てられはしますけれどね。

本書に収録された書、そして書家のチョイスからは、権威におもねらない莫山先生の人柄や、自由闊達な人生観が伺え、読んでいて誠に気分がヨロシイ。 (だからこそ、何度でも読み返しちゃうんでしょうね)
書が判らなくても愉しめる書の本、と言ったところでしょうか。
書、その豊穣の地平は相も変わらず、自分から遠いとおいところに拡がっている。 書のこころ ふうっ。
 
 

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May 17, 2008

田宮模型の仕事

  
 田宮模型の仕事 (文庫版)
 
    田宮俊作著
 
       2000年 文春文庫
 
 
世界に冠たる模型メーカー、田宮模型。
日本はもとより世界中のモデルショップを席巻するTAMIYAブランド。 その社長が書き記した一代記である。
父・初代社長の興した、倒産寸前の小さな模型製作会社を引継ぎ、やがて世界のタミヤへと育て上げた中でのエピソードの数々、模型の世界の素晴らしさを語る一冊。

一体、こういったものは、社の創業○○周年とかで、社員をはじめ関係者や出入りの業者なんぞに配ったりする、というのが一般的ではないだろうか。
長年に渡る艱難辛苦の末、我が社も今日この繁栄をみたる事ができました。 これも一重に関係各位のお陰であります。(とこの辺は気配りも怠り無く) なんてね。 とまれ、本来あまり世に出る性格のものではない。

それが本書、「田宮模型の仕事」では、ジリ貧時代の苦労から、模型屋としての創意工夫、なりふり構わぬ海外突撃取材、そして事業の躍進ぶりに至るまで、活きいきと描いていて、田宮模型とは全く関係のない私が読んでも、滅法面白かった。

子供の頃、一生懸命(まあ、子供なりにですけれど)組んだ、懐かしいプラモデルたち。
どれもみな愉しい想い出だけれど、しかしその陰では、当時少年だった私が想いもしなかった、発売に至るまでの苦心談があったのだ。

プラモデル事業へ参入の当初、その造りやすさから、戦車の模型を開発し始めたというタミヤ。
世界最高クラスの品質を目指し、よりリアルな造型を市場へと提供すべく、社長自ら欧米の軍事博物館への取材旅行を敢行した。
海外旅行がまだまだ不自由な時代に、各地を廻り、残された往事の戦車の数々を徹底的に調べまくって、かつてない精巧なプラモデルを世に問うたのである。
そのハングリーな姿勢は、昭和のモーレツ社員像そのものである。

プラモデルの箱を飾る箱絵の良し悪しは、売れ行きを大きく左右する。
戦記もの挿絵の第一人者、巨匠・小松崎茂画伯との出会いは、風前のともし火にあった田宮模型を起死回生へと導いた。

プラモデルの開発に関わる話しばかりではない。
やがてタミヤは、ラジコンやミニ四駆など、時代を先駆ける商品を次々と発表していった。
また、製品を売るばかりではなしに、長期的にファン層を育成し、ブームを先導していったのである。
このあたり、模型バカに終わらない社長の、卓越した実業家としての貌が伺える。

少年の日、プラモやミニ四駆で遊んだ人には是非ぜひお奨めしたい、夢ある半生記です。
 

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April 19, 2008

間宮兄弟

 
 間宮兄弟
 
   江國香織
 
     2004年
 
 
齢30代にして独身を貫き、恋愛だの浮いた話しとは、およそ縁無く過ごす兄と弟。 間宮兄弟の共同生活を恬淡と描いた小説。
ネットを見渡せば、兄弟の無邪気さ、純粋さに癒されると言った内容の書評も見られるけれど、私はそうは想わない。
 
同じ著者の「東京タワー」と同様、主たる読者は女性であろうか。 しかし、登場する男性に関しては、「東京タワー」で不倫の相手を務めた大学生二人とは逆張りの、女性読者からは間違いなく「そういう人だけはご勘弁」と断定されそうなタイプに設定されている。
 
そんな、「ありえない」兄弟。 主人公とはいえ、どうにも共感し難いものがある。
むしろ、女流作家(と、主たる読者層)の視角から感じるのは、この(常識を超えて)邪気のない、世にも奇特な兄弟への、「好い人ね」と言いつつ斜め上から見下ろす、不躾で冷ややかな好奇の視線である。
私としては、読んでいて、そんな著者と読者の思惑、興味の拠りどころばかりが気になってしまった。
 
それにしても、兄弟の無邪気な女性観には泣けてくる。
間宮兄弟。 まだアタックを掛ける気があるんなら、相手はもっと選んだほうが好いよ。
 

   「東京タワー」  江國香織
 

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April 03, 2008

山下清の世界

 
  裸の放浪画家・山下清の世界
 
    <貼り絵と日記でたどった人生>

        池田満寿夫
        式場俊三
 
          1993年  講談社カルチャーブックス

  
ちょっとした野暮用があって、千葉県は我孫子市まで往く。
JR常磐線に乗り換え、我孫子駅で降りた。
この駅のホームに店を構える立ち食いそば屋が「弥生軒」。

「弥生軒」はその昔、同じ屋号を使って駅弁屋をやっていた時代に、あの山下清画伯が働いていたことで知られる。
画伯が寄宿していた八幡学園を度々抜け出し、各地を放浪した末、また学園へと戻るその合間に、度々ここで職を得ていたらしい。
特段、風光明媚を持って知られるような当地柄ではない我孫子駅の界隈である。 そこにある駅弁屋が、何ゆえ画伯の気に入ったのかは好く知らない。 余程、居心地の好い、気さくな店だったのかもしれないね。

「弥生軒」の名物は裸の大将ばかりではない。
唐揚げ蕎麦と言うのがメニューにあって、これがすごいコトになってるんだよ。 どデカイ鶏の唐揚げが丼の真ん中にデデデンと沈んでいる。 駅蕎麦好きの間では、結構有名な存在らしい。
もちろん、私も頂きましたよ。 なかなかに食いでがあったけれど、しっかりと完食して参りました。

マクラが長くなった。
後日、図書館で借りて来たのが本書、「裸の放浪画家・山下清の世界」である。
爾来、毎夜パラパラと頁を捲っては愉しんでいる。
素朴なタッチの貼り絵で名高い画伯の作品。 その初期から晩年まで。
貼り絵ばかりではない、素描や水彩画などが多いのも意外だった。 その他、日本各地、そして巴里でのスケッチ。
そこには、世間一般には専ら童画的な作風で知られる画伯の、旅した日々を真摯な視線で見詰め、迷いのない筆致で綴った、多彩な作品の数々があった。
 

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February 21, 2008

東京タワー

  
 東京タワー
 
   江國香織
 
     2001年
 
 
二組の不倫カップルが辿る軌跡を、江國香織が淡い筆致で書き綴った小説。 そう、今回は不倫小説です。
このところ続けさま、自分に合いそうもない小説を選んでいる。 何を求めているんだろうか私は。 ま、好いけれど。

ドラマとして、さほど劇的な動きはない小説だけれど、その代わりに構成の妙が光る。
二組のカップルに、くっきりと対称的な関係を取らせているのである。
・男。 どちらも大学生。 研究、サークルなど、ことさらなにかに打ち込むなどしているわけではない。 スマートというか、小奇麗にしていて、でもその他にこれといった特徴はない。
私から見て、彼ら二人には、どうにも魅力を感じられないのだけれど、著者を含めた、対象と思われる読者層(30~40代の女性というあたりでしょうか?)にとっては、こうあれかしと感じる若い男性像に当てはまるものなのかもしれない。
・女。 どちらも中年に差し掛かる年頃。 既婚で子供なし。 経済的には豊かで、夫とも一応上手くいっているけれど、夫婦べったりというわけではない。

如何にもテレビのトレンディドラマめいた(そういうものをあまり見ていない私が言うのもナンだけれど)雰囲気、設定や、小道具の一つ一つなど、それぞれが作品世界を造りあげているのだろうけれど、私にとってはなかなかついてゆき難いものがある。 とまれ、私がこれまでに読んだことの無いタイプの小説である。

もっとも、この二組の不倫カップルの構造はそのままにして、男女の役所を引っ繰り返してみれば、(つまり女を大学生に、男を妻帯者に)互いの社会的ポジションや精神年齢の差、家族関係なども含めて、そのままフツーにありがちな男性視点の不倫小説になり得るのではないか。

間違えてWomen's Onlyのドアを開けちゃって「スイマセン!」、あるいは、あんまり慌てて飛び乗った電車が女性専用車両だった(幸いにも、実際にはしでかしていないけれど)みたいな、ある種バツの悪さが、読んでいる間中ついて廻った。
読んで面白かったかと問われれば、まあ、そうなんだけれど、でも、なかなか素直に読み進めることが出来ない。 どうにも感想をまとめ難い小説であることよなあ。
 

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February 13, 2008

おやすみ、こわい夢を見ないように

 
  おやすみ、こわい夢を見ないように

    角田光代著

      2006年
 
 
題名に惹かれて手に取ってみた、角田光代の短編集。
角田作品を読むのはこれがはじめてになる。

どの小説も、身近にあるものへの悪意、ごく私的なものへの憎悪を、ねちねちねちねちと、ひつこく、ひつこく描写したり、とうにふさがった筈の傷口を目ざとく見つけて、強引にこじあけてみたりする。 これまでに読んだためしのないタイプの小説である。 こういうのはニガ手だな、とつくづく想った。

ちっぽけな悪意を抱えて日々を送る登場人物ら、そういうこと自体を特段奇異とも想わないけれど。 でもそんな露悪趣味ひとつで、短編集一冊通してしまう気かなあ? なんて呆れつつ、その毒気にはまた惹き込まれるものがあって、とうとうお終いまで付き合ってしまった。

読みはじめる前はゆめ想わなかった後味の悪さから、読後、気持ちの整理に困ってしまった一冊。
 

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January 12, 2008

逃亡くそたわけ

 
  逃亡くそたわけ
 
     絲山秋子著
 
       2005年
 
 
主人公ハナは二十一歳の女性。 「亜麻布二十エレは上衣一着に値する」 こんな不思議な文句が絶え間なく聴こえる幻聴、そして躁病に悩まされて、福岡の精神病院に入院中。
でも、「このままじゃダメになる」。 回復の兆しもなく、止め処ない薬漬けの毎日への不安から、病院を逃げ出し、ゆくあてもない逃避行を始めた。 旅の相棒は、同じ病院の患者仲間「なごやん」。 博多に住みながら、しかし東京を愛してやまない名古屋人。

病気の悩みや、終わりの見えない逃避行の深刻さなどとは裏腹に、小説はなんとも心地好い文体で綴られる。 なにしろこの二人、なごやんのクルマに乗って九州を南下しがてら、観光地はしっかり見て廻るし、温泉にも入るし、更には泊まるところがなくて車中泊をしたり、河に入って流されてしまったりという珍道中ぶり。

旅の間、毎日小さなケンカばかりしているハナとなごやん。 そう遠くないであろう、二人のお別れの予感と、出口の見えない焦燥感が付きまとう旅。 けれど、車窓から眺める景観の描写や、ハナのまくしたてる福岡弁などで、(病気やトラブルと戦いながらも)飄々として爽やかな、ロードノベルに仕上がっている。

どこまで行こうと出口が見えてくるわけでもない。 ただ、どうしようもない現状から逃げ続けているだけ、というのは十分判っている。 この旅も、やがて終わりが来るってことを意識しながらも、その割りにあまり追い詰められた風もないハナ。

読んで気分の好い小説には違いない、でもどこか消化し切れない、釈然としない気がするのは、実はそれだけ主人公に共感しているということなのかもしれない。
 

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November 12, 2007

ハリー・ポッターと賢者の石

 
 ハリー・ポッターと賢者の石
 Harry Potter and the Philosopher's Stone
 
   J.K. ローリング著
   J.K. Rowling

   松岡佑子訳
 
      1997年 英国
 
大ヒットをみた英国の児童文学を、ようやく今頃になって読んだ。
いざ本を手にしてみて、想いの他ぶ厚いのに驚く。 小さな手には、とりわけずしりと持ち応えのある重みではないだろうか。
それにしてもこのボリューム感。 面白くてたまらない物語が、読んでも読んでも終わらない、というのは、人生の至福の一つにあげられると想う。 子供の頃、ロフティングのドリトル先生を夢中になって読み漁ったことを想い出す。

※幼い頃に魔法使いの両親と死別し、意地悪な叔母一家に育てられた主人公ハリーが、十一歳で魔法学校に入学する。 この「賢者の石」では、その全寮制の暮らしの一年目を描く。

小説の全篇に渡って、魔法に関するプロットや小道具が盛り沢山。 それらはどれも古くから伝わる伝統的なもので、新しいところはこれっぽちもなさそうである。(この道に詳しくないので、ハッキリとは言えないのだけれど)
伝統に守られて強固な骨組みと、奥深い陰影を得た物語世界。 時折垣間見られるグロな描写は、怪奇小説好きの英国ならではのことか。

主人公ハリーと、同じ寮に暮らす仲間は、イタズラ好きでシラケとかユトリなんぞとは無縁の、誰もみな気持ちの好い連中ばかり。 一方、敵役の寮もあって、そこにいる子はみんなズルくて意地悪と言う設定。
こちとら、こういう善悪の単純過ぎる構図に、素直に共感出来るような歳でもないので、いきおい客観的に、子供たちの騒ぎ遊ぶのを傍で見守るオトナと言う気持ちになって読み進める。

どの部分も面白くて読ませるんだけれど、お終いの大逆転は、ちと気に入らない。
こういうのは、オトナの読者としては、無邪気に喜んでいられませんよ。 キミたちは、どうして仲良く出来ないの? みんなあいつらがワルイ、果たしてそれだけで済ませてしまって好いのかな? なんて、説教の一つも垂れたくなってしまうではないか。

あゝ、もしも子供の頃にこの物語と出会うことが出来ていれば、どんなにか無我夢中になって読めたろう。 などとぼやかざるを得ない。
1997年の出版ということで、もちろん時間的に無理な話しなんだけれど。 こんなに面白い本があって好かったね、今の子供たち。

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September 30, 2007

嫌われ松子の一生

 
  嫌われ松子の一生
 
    山田 宗樹著
 
       2004年
 
 
小説の冒頭、女教師として故郷の中学に赴任して間もない松子が、悪徳校長に手も無く騙されてしまうあたりから、早くも嫌な予感はあった。

その後、自分の担当する生徒のしでかした、ある事件に対する、身の振り方のマズさから、故郷を飛び出した松子。 あとは、転落に次ぐ転落のモノスゴイ人生を送る。 それにしても、こんな転落の連続ってアリだろうか。 これじゃ転落劇のパロディだよ。

根っからマジメで努力家の松子であった。 小学生の頃から優等生で通し、やがて大学に進み中学の教師になる。 その勤勉さは、皮肉なことに、転落してゆく間も失われることなく、例えどんな仕事に就こうとも、常に抜きん出た成績を示す。 けれど、そうやって成功を掴みかけた矢先、人生の折々の分岐点で、必ず悪い方を選んでしまう松子と言う人。

依存症。 ようやく自分の進むべき道を見出し、上手くゆきかけても、その傍からオトコへの依存に走ってしまう。 毎度毎度これなんだから、読んでいてもう、タマラナク歯痒いです。 だからダメなんじゃないかって、松子を熱く諭してやりたくなってしまう。
あんまりな転落の連続に、もういっそ、堕ちるところまで、堕ちてみせてもらおうじゃないのって気になってしまった。 こういう奇妙なカタストロフの積み重ねが、作者の狙いだったんだろうか。

依存し、その度に裏切られ、を繰り返した松子。 晩年、もう一切のことに感心を失ってしまい、時間だけが矢のように過ぎ去ってゆく。 その姿が憐れでならない。
決して、面白くなかったわけじゃない。 でも、後味の悪いことについちゃ、天下一品の小説です。

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August 26, 2007

魔術はささやく

 
 
  魔術はささやく
 
    宮部みゆき著

        1989年
 
 
ミステリー小説というものを、普段はあまり読まない。 だから、作品の出来と言うことについて、とやかく言うことは、し難いのだけれど。 ともあれ、この作品(日本推理サスペンス大賞受賞作)は、なかなか面白く読むことが出来た。

※主人公は、幼い頃から世の中の辛酸をなめて育った、けれど、心優しくて芯の強い少年。 誰にも秘密にしているけれど、彼は人知れずある技能を身につけていた。 ある日、タクシー運転手を務める彼の叔父が、不可解な人身事故を起こして逮捕されてしまう。

この小説では、少年の居候先となる叔母一家をはじめ、主人公を取り巻く周囲の人々の優しさを描く部分が特に楽しめた。 でも、ミステリーとしては肝心の、犯罪のトリックと言うか、犯行の手口に「アレ」を使っちまうのは安易、と言うか、ルール違反と想うんだけれど。

と言うわけで、この小説をもっぱら人情ものとして評価して、事件の顛末にはとんと興味の湧かない私である。 もしかして、ミステリー小説って、自分にはあまり向かないのかもしれないですねえ。

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August 23, 2007

気まずい二人

 
 
 気まずい二人
 
   三谷幸喜
 
     1997年
 
 
人気絶頂の脚本家による対談集である。 毎回、三谷さんのご指名で各界から迎えるゲストは皆女性。 ならば三谷さん、さぞゴキゲンではないかと思いきや、コチコチに緊張しまくりなのである。

普通、対談と言えば、ホスト側が会話をリードしてゆくものでしょう。 ところが三谷さんは筋金入りの超口下手と来ている。 なので、差し向かいに座った二人の間で、気まずい沈黙が出来たり、ゲストと間合いを取り合ったり、なんていうことが起きてしまう。 この本の変わっているのは、そんな、通常の対談ならばカットされるであろう部分までを収録しちゃってる点。 と言うか、本筋の会話の内容よりも、気まずい時間の場面が可笑しいんだよね。

会話がなにかの切っ掛けでつまづいてしまって、もうこうなると、なにを言ってもシラケたり、ハズしたり、皮肉にしか聴こえなかったり。 そんな、負のスパイラルに陥るようなことって、ありますよね。 この対談では、毎回お約束のようにそれが起きてしまって、これはもう、三谷さんの話し手としての資質によるところ、としか言い様が無い。
対談の中で、どんな話題を振って好いのか判らなくなり、絶句してしまう三谷さん。 焦る! で、ここは何か気の利いたことを話さなきゃ、なんて気負うもんから、余計に焦りまくってしまう。 そして、会話が途切れた時のためにと、あらかじめ用意して来た話題のトホホさときたら、もう。

活字にするにあたって、幾らかの脚色はあったのかもしれないけれど、ここでは、そんな、悪夢のようなバツの悪さ。 奈落へ急降下してゆくホストの姿を活写して笑いを誘う。 ここら辺り、三谷脚本のギャグ感覚に通じるものがあると思う。
 
 
対談のゲストは、以下の皆さん

  八木亜希子 (フジテレビ・アナウンサー)
  十朱幸代 (女優)
  西田ひかる (歌手)
  日笠雅水 (手相観)
  桃井かおり (女優)
  鈴木蘭々 (タレント、歌手)
  林家パー子 (タレント)
  緒川たまき (女優)
  平野レミ (シャンソン歌手)
  森口博子 (歌手)
  加藤紀子 (歌手)
  安達祐美 (女優)
  石田ゆり子 (女優)
 
 
いやはや、ゲストのみなさん、お疲れさまでした。 と言うか、よくぞ三谷さんを見捨てず、お終いまでおつきあい下さいました。
実は、ゲストはこの他にまだ二人いたのだそうで。 でも、よんどころのない事情(!)により、本には収録出来ないのだそうな。 なにがあったのかは知らないけれど、この対談スタイルだと、まあ、ムリもないかな、と思う。
読む側は可笑しいばかりだけれど、喋る側にとってはスリル満点(?)の対談だったかもしれない。

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August 16, 2007

素数ゼミの謎

 
 
  素数ゼミの謎
 
    吉村仁  著
    石森愛彦 絵
 
      2005年  文芸春秋社
 
 
今回の標題をご覧になって、さてはもとよし、「博士の愛した数式」にかぶれて数学の手習いでも始めたかとお思いかもしれませんけれど、然ニ非ズ。 北米に生息する、摩訶不思議な生態を持つ蝉たちについて語った本のお話しであります。 これは子供向けに書かれたものなので、解説がとても丁寧で判りやすく、私のような理数オンチにはありがたい。

素数ゼミとは、北米に生息する17年、そして13年おきに大量発生するセミのことで、一般には周期ゼミ(Magicicada)と呼ばれる。
今年(2007年)はそのジュウシチネンゼミの方の当たり年で、推定で70億匹ものセミが羽化したと言う。(因みに、2007年7月現在の世界人口が66億人)
鳴くのはオスだけとしても、35億匹の耳をつんざく大合唱である。 それが、特定の地域に大発生する。 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」なんて、日本で聴くセミの声のように、風流に浸るどころではない。

なぜ局地的に大発生するのか、そしてその周期が17年と13年になったのか。
その謎は、①氷河期を耐え抜いたセミの、幼虫期~成虫期に至る低成長型のライフサイクル。 ②一匹ずつは非力でも、大群をなすことで強みを発揮する。 種の生き残りを賭けたマス戦略。 ③そして、17と13はどちらも「素数」であり、この2グループのみが、異なる発生周期を持つセミとの交雑を最小限に留め得た。 という各々のポイントから、鮮やかに解くことが出来る。

本書に(蛇足ながら)付け加えるならば、3つの謎は、環境に適応し得た種のみが生き残るという、ダーウィンの進化論の命題に繋がってゆく。 (けれどこの辺りは、子供向けということで、教育課程を意識して、あえて語らないでいるのかもしれないですね)
イラストを多用した説明は、明快にして痛快至極。 子供のみならず、大人が読んでも十二分に楽しめる。 お勉強と言うより、スリリングで秀逸無比なミステリーってトコですな。

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August 05, 2007

博士の愛した数式

 
 
 博士の愛した数式
 
    小川洋子著
 
      2003年


算数、それと数学の勉強ってことについちゃ、あんまりハッピーな想い出がないんだな。 大人になって勉強から開放された今だって、日々の仕事や生活の中で遣う数字や計算など、数学と結び付けて考えているわけではないし。 そんな、数学に対して殊更距離を置きたがるスタンスは、なにも私だけのハナシではない・・・・ですよね?
そしてまた、この小説の著者、小川洋子さんもまたその一人だったりするのかもしれない。
 
 
※数論の博士号を持つ有為の数学者でありながら、交通事故の後遺症により記憶が八十分しか持たないという老人「博士」。 小説は博士と、その家に雇われた家政婦、そして十歳になる息子との交流を、抑えの利いた筆致で描いてゆく。
特殊な病故に世間との交渉を持たず、独り数と遊ぶことを心の糧にする「博士」と、その特異な生活に入り込んで来た語り手の「私」に、独り息子の「ルート」。 数学とはおよそ無縁の世界に住む二人に、博士は折に触れ数学について語って聴かす。 それは極めてユニークで親しみやすく、また時に数の世界の深遠さを垣間見せるものだった。
 
 
慎ましく情感溢れる美文は、まことに静謐で安定した(博士の語る数式のように)美しい世界を創り上げていて、そこには数学者ではない作者の持つ、数の織り成す美学への素直な憧れが見て取れる。

数学への憧れですかい? そういうハナシであれば、こちとらも共感出来ますって。 未知の、美しいものへの憧れならば、人後に落ちない積りだし。
博士が数学への愛を込めて語る、たとえば素数。 博士に言わせれば、それはこの世のなによりも美しいもの。
そして友愛数。 「博士」と「私」をつなぐ因縁の数字がこれだった。 けれど、友愛数って? そもそも謹厳、冷徹をもってなる数学の世界の筈でしょう? そこへいきなり、「友愛」なんていう言葉に出て来られてもねぇ。 ドギマギしてしまうではないか。
それから完全数。 その数自身を除く約数の和が、その数自身と等しい自然数のこと。 滅多にあり得ない、この数字を廻る数奇なエピソードは、小さな冒険譚だ。

どこまでも澄みきって穏やかな、でもうら悲しい、まるで小春日のような小説でした。

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August 04, 2007

シムソンズ

 
  
 シムソンズ  Simsons
 
   森谷雄著
 
     2005年
 
 
巷間知られるように、シムソンズは2002年のソルトレークシティ・オリンピックに日本代表として出場した女子カーリングチームである。 北海道常呂町出身のメンバーで構成されたこと、そしてその爽やかな健闘ぶりが話題となり、カーリングという競技を一躍メジャーな位置に押し上げた。

あの当時、テレビで試合が放送された翌日だったか、友人と「まさか、カーリングを見て感動するとは思わなかったよね」なんて言葉を交わした記憶がある。
この小説はそのシムソンズをモデルに書かれたフィクションである。(シムソンズのことは映画にもなったそうで、著者の森谷雄さんは、その映画版「シムソンズ」のプロデューサーも務めたとのこと)

舞台は北海道、オホーツク海に面した常呂町(現在は北見市)。 知床と網走と言う、二大観光地に挟まれた静かな町である。 名物はサロマ湖に、特産のホタテ、そして、なによりユニークなのは、この町ではカーリングと言うスポーツを町民がこぞって楽しんでいると言うこと。
町内には日本初の屋内カーリングホールがあるし、町民の多くがカーリング経験者であり、また、いっぱしのカーリング評論家なのである。 好いなあ、こういう土地。 出来るなら、いつかこんな町に居を定めてみたいもんだと、切に想う。

小説は、常呂町に生まれ育った女子高生四人がシムソンズを結成するところから、最初の公式戦を果たすまでを描いている。 メンバーは、たとえば映画「リンダリンダリンダ」がそうであったように、個性が見事にバラバラな、現代を生きる、等身大の女の子たちである。

テーマは「信じる」こと。 肝心のカーリングの試合シーンはそれほど多くはない。 極々ユルい、そしてこれと言って新味のないスポ根小説と言えるかもしれないけれど、小説が短いのと、簡潔で優しい文体で通しているのとが相まって、上手くバランスが取れていると想う。

出てくる人物が誰もみな好い人ばかりだし、小説全体を充たす、ホワっとした空気感から来る居心地の好さなど、中々に得がたいものがある佳品と想う。
 
   映画版 シムソンズ
 

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July 28, 2007

固いおとうふ

 
 
 固いおとうふ
 
   中島らも著
 
    1987年~1997年 双葉社
 
 
中島らもがあちこちの雑誌に書いた軽いエッセイを一冊にまとめたもの。
執筆時期的に、飲酒中のものと断酒中のものとに大きく区別出来るものの、統一したテーマと言えるものはこれといってなく、また、「今夜、すべてのバーで」でみせたような怜悧な切れ味は、ひとまず治められている。

ところで、時々差し挟まれるこの人のギャグのことを、私はちっとも面白いと思わない。 それよりもむしろ、なにげない独白の中に余程傑作で、また好いものがあると思う。(本当はそれも計算ずくやっていて、ちっともなにげなくないのかも、だけれど)

読んでいて感じたのは、この人はつくづくエエカッコしだな、ということ。 文章から、作者のどこか他人とは違う、普通じゃあない自分を見せつけたいという抑え切れぬ衝動が伝わって来るのだ。
それが好い方に働く場合があれば、上手くいかないない場合もある。 だがしかし、生憎と後者の目が出たとしても、こちらは、しょうがねえなあ、って感じでお終いまで付き合ってしまう。 中島作品にはそんなところがある。
おっそろしく人を食った、底の知れない面があるかと思えば、また、コワイくらいに素直で真摯な面をも併せ持っている。 おそらくはそれを保つために、中島はあんな生き方を選んだのか、などとと考えさせられるのだ。
  
 
 ・・・・・・
 
「らもさん、これうまいですよ、豚キムチ!」
「はあ、豚キムチですか」
「豚肉とキムチをザッと炒めたやつでね、これが酒にもご飯にも、よう合うんですわ」
「いただきます」
 破戒僧が殺生戒も畏れずすすめてくれた豚キムチは、ほんとうにうまかった。 そいつを肴に一杯二杯と飲むうちに、さっきまで自分ひとりで緊張していたのがふんわりとほぐれていった。
僕の横では、死刑廃止運動のTさんが熱心に僕をオルグしている。 生返事をしていると、そこへスナックのママさんが割り込んで来て話がわけわからなくなってきた。
 ふと自分の右側を見ると、二十前後の、かしこそうな顔の女の子が僕の袖をつかんで、つんつん、と引いている。
「なに。 どうしたの?」
「あのな。 なんでそんな自由そうにしてられるの」
「え。 なんでござりますかいな」
「なんにも執着がないみたいで、自由そうでうらやましいねん。 なんでそうなるの」
「それはたぶん、自分のことがあんまり好きでないからやろうね」
「自分のこと、好きとちがうの」
「うん。 そやから、自分を可哀そうに思ったり、大事にしてあげたりせえへんから」
「ふうん。 それって、気の毒やね」
「そうかもしらんけど、その”気の毒”やとも思わへんねん」
 いま考えても不思議なのだが、この女の子はいきなり横にきて、いきなり僕の心の敷居をまたいではいってきた。 普通、ノックくらいはするものなのだが。
 
 ・・・・・・
 
 
上記は然るお寺で講演を持った後の、レセプションのエピソードからの抜粋である。 あからさまに人を食ったギャグよりも、中島のこうした、心情を吐露しているのかエエカッコしか、判然としないビミョーな辺りが面白いと思う。

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July 02, 2007

ザ・ウイスキー・キャット

 
 
 ザ・ウイスキー・キャット
 
   C.W.ニコル 著
   C.W.Nicol
 
   松田 銑 訳
 
 
猫はウイスキーなんて飲まない。 でも、昔ながらのやり方でウイスキーを造り続ける蒸留所、酒蔵には、必ず猫がいるものなのである。

舞台は英国、スコットランド。 シングル・モルト・ウイスキーを蒸留、貯蔵するレンガ造りの古い酒蔵は、原材料の大麦が仕込まれ、また小さな隠れ場所にもこと欠かないことから、ネズミたちにとっては格好の住処となっている。
そこで古くから、酒蔵ではネズミ退治のために猫を飼って来た。 夜毎、何匹もの得物を仕留める彼ら、彼女らウイスキー・キャットは、誇り高きプロのハンターなのである。 そして、そんな猫たちを、同じ酒蔵を守る仲間として遇する、ウイスキー造りの男たち。

この小説は、長年に渡りウイスキー・キャットとして勤め上げた老牡猫ヌースの昔語りとして描かれる。 ごく平易な文体に、趣のあるスコットランドの酒造所の写真や、イラストのイメージから、なんとなく子供向きの童話、あるいは、女性向きのお洒落なライト・ノベルなどを想像したのだけれど、そこはC.W.ニコル。 まったくの男性の視点で貫かれた、酒と猫を愛するオトコの小説である。

片田舎の古びた酒蔵の、のんびりとした営みの中にあって、しかしウイスキー・キャットらの毎日はけっこう忙しい。
夜は酒蔵を隈なく見回り。 自慢の早業でしとめるのはネズミばかりではない。 昼は酒蔵を抜け出して周囲を見回り、兎、鳥などをハンティング。 雌猫のお相手などにも、抜け目無く通じていながら、酒蔵で働く猫と言うスタンスから離れることは決してない。
ヌースと言う牡猫の、しっかりと地に脚の付いた生き方。 したたかな処世術、ユーモアに、わずかばかりのセンチメンタリズムを交えた、ニャンとも好い話しになっている。


最近はシングル・モルト・ウイスキーも随分と手に入れやすくなった。 我が家の近所のイオンなど、売り場の一角をそのために割いているくらい。
彼の地のシングルモルトを、愛すべきウイスキー・キャットたちに思いを馳せつつ味わう、というのも、また悪くないではないか、なんて想っている。

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May 05, 2007

御家人斬九郎

 
 
  御家人斬九郎
 
    柴田錬三郎著
 
       新潮文庫
 
 
「御家人斬九郎」。 好いねえ、この題。 ネーミング一発で気に入ってしまった。
松平残九郎、人呼んで御家人斬九郎。 御家人と言う、御目見え以下の下級幕臣の故、その俸禄は極端に乏しく、副業に罪人の介錯をして糊口をしのぐと言うダーティー・ヒーローである。

この斬九郎、粋な呼び名に相応しく、色男で滅法強いし、一見向こう見ずなようで、その実アタマも切れる。 同居する老母の麻佐女は小鼓と薙刀の達人にして大食。 その、およそ金銭感覚というものを欠いた食通ぶりが斬九郎の悩みのタネ。 逆に言えば、母親の他にはおよそ怖いもの、悩みなどに縁のないのが、斬九郎と言う男である。

私はこのタイプの時代ものは、実はそれほど好みとは言えない。 この小説にしても、斬九郎の、ある種スーパーマンぶりに共感出来なくて、なかなかその世界に入ってゆけなかった。 愉しむことの下手な、不器用な読者なのである。 それでも読み進める内に、味わいどころが判って来た。 こうなると俄然面白くなって来る。

一話ずつ読みきりの短編集なのだけれど、中でも冒頭に固められた十編のド短編(文庫版で、各々が10頁前後程)が特に好い。 スカッと読める。 その代わりに、読んだ後なんにもアタマに残っていないけれど。
ストーリーに凝られても、話しが妙にややこしくなるだけで、たいして興味が湧かない。 キャラクターの設定や会話、雰囲気で読ませるタイプの短編集なのではないだろうか。 だから、斬九郎は、話しを目一杯切り詰めた掌編で最も冴える、と思うのである。

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April 22, 2007

背負い富士

 
 背負い富士

   山本一力著

      文芸春秋
 
 
山本一力の描く、清水の次郎長の生涯。
廣沢虎造の浪曲、映画やテレビ時代劇の次郎長ものに代表される、古典的な清水の次郎長観とは一線を画した、平成の次郎長伝である。

生涯の盟友、音吉を狂言回しとして、次郎長の出生から晩年までが語られるのだけれど、話しが妙に飛びがちになる構成に、いささかムリがあると思う。
大勢の子分集の内で、詳しく描かれるのは大政と石松だけだし、娯楽色は薄くていっそ禁欲的、ストイックとでも言ってみたくなるくらいに、淡々と語られるスタイルは、まあ斬新と言える。
物語の中では、次郎長がまだ侠客となる前の十代の頃に、空見、籾の目利き、狼煙、韋駄天、怪力、乗馬など、在野のエキスパート七人を拾い集めて、米相場の先物取引に打って出るところが特に面白かった。 次郎長を名乗る以前のエピソードに、もっとも心惹かれるというのは、ちょっと皮肉な気がしないでもないけれど。

相手に舐められちゃ、生きてゆけない侠客の世界。 でも、首尾好く喧嘩に勝ったとしても、役人の来る前に逃げる算段。 と、なかなかカッコ好くはゆかないのである。 山本一力版の次郎長譚は、フィクションながら、ある意味リアルに徹していると言え、従来の次郎長ものがウリにして来たような威勢の好さ、痛快なところがあまりない。

作者の関心は、その分、人情の機微を描く方に向けられているわけなのだけれど、とは言え、自分の中では昔ながらの、痛快な娯楽作品を期待していたところがあって、だからこの小説、いささかもの足りなく感じてしまったところがあるのも確かなのである。

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April 16, 2007

ダ・ヴィンチ・コード

 
 
  ダ・ヴィンチ・コード
  The Da Vinci Code
 
    ダン・ブラウン著
    越前敏弥訳
 
       角川文庫
 
 
言わずと知れたベストセラーを、今頃になって読んだ。
世界的な大ヒットをみた理由は、キリスト教(カトリック)の歴史と教義にまつわる意外史を取り上げた点。 ストーリーに沿って、キリスト教暗黒史みたいなものが次々と開陳されるところでしょうか。
でもそれは、この道に詳しい人ならば、今更なにを騒ぐかなあ、とでも言いたいところかもしれないし、(もしかしたら)こういうのは取り扱い注意事項だからして、ぞんざいに扱ってもらっちゃ困るんだよね、などと呆れ果てるかもしれない。
 
小説の主人公は碩学の米国人宗教象徴学者、そしてその相手役のパリジェンヌは、やり手の暗号解読官。 このタイプの小説には珍しいくらいの常識人で、保守的。 思いっきり奥手の人物にしているところが、キリスト教史についての露悪趣味と上手くバランスを取る結果になっていると思う。
筋立て、構成は巧みだし、登場人物の配置も気が利いているけれど、一方、アナグラムを使った謎解きなどは、英詩を解さない身にとっては、残念ながらちっとも面白くないのである。
このダ・ヴィンチ・コード。 面白い小説のひとつとしてあげるに吝かではないとしても、是非とも読まねばならない傑作、とまでは思わない。 とまれ、通勤の合間に読む本としては最適なエンタテインメントであった。
それに読後、キリスト教史について、ネットでいろいろと調べてみる切っ掛けにもなった。 薀蓄のネタとしては、実にエキサイティングな素材と言える。

よく、歴史ドラマ(NHK大河とか)などで、史実とは別に、ライターによって創作された事件や登場人物がストーリーに差し挟まれることがありますね。 視聴者に、これまでも史実だと思い込まれちゃうとマズイんじゃないの・・・・なんて心配になってしまうことがあるけれど。
それが、このダ・ヴィンチ・コードでは、小説の最初で(無節操にも!)ここに書いてあることはぜ~んぶ事実に基づいてますからねって謳っちゃってる。
まあ、これなど「私は嘘をついたことがありませんっていうウソ」みたいなもので、一々問題にするコトもないんだろうけれど。 とまれ、この冒頭の一文は、本作のキリスト教史に対するスタンスを暗喩している、いわば詞書みたいなものと想う。
それにしても作中、悪者一派みたいに描かれている実在の教団にとって、小説のヒットは災難だったしょうね。

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March 21, 2007

シェルタリング・スカイ

 
 
 シェルタリング・スカイ

    ポール・ボウルズ著

       大久保康雄訳
           新潮文庫
  
  
いやはや降参、である。 このアメリカの作家の代表作にはまったく不覚を取った。
なにしろ文章がもの凄く読み難い。 延々と開陳される主人公の内面描写も、文体があんまりカタくて、読んでいてほとほとクタビレてしまった。 この小説については、テキトーに読み飛ばしてしまった部分が少なくないことを、白状しておかねばならない。

おっそろしく晦渋な文体は、元々の英文からそうなのかもしれないけれど、翻訳のせい、ということもあるのじゃないかと想う。 この日本語版は1955年に初出のものを、90年代、ベルトリッチ監督による映画化を契機に文庫化されたようである。 出来ればその機会に、現代の読者に向けて全面的にリファインするべきではなかったか。  これで読みやすい翻訳になっていれば、素晴らしい小説なのであろうに。

第二次世界大戦の直後。 ニューヨークの有閑階級に属する若い夫婦とその友人、いわばセレブの三人が、北アフリカの砂漠地帯を旅する。
その砂漠の、凝った情景描写はフォトジェニックなもので、ベルトリッチ監督の映画の方もいつか見てみたいと想わせられる。
労苦の絶えない辺境の旅を続けるうち、やがて、そのその過酷な風土の中に飲み込まれてゆく主人公ら。 単調な前半とは対称的に、後半からは思いも寄らぬ展開をみせて、かなり読ませる。 これで翻訳がもう少しこなれていてくれればなあと、惜しくてたまらない気分である。

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March 05, 2007

今夜、すべてのバーで

 
  「今夜、すべてのバーで」   中島 らも 著

          講談社文庫  1990年
 
 
粋な題名に惹かれて手に取ってみたら、なんのことはない、アルコール依存症の闘病生活を描いた小説であった。 中島らもならではの、人を喰ったネーミングである。 小説の形を借りてはいるけれど、アル中で入院したこともある、本人の実体験が生かされているそうな。

飲んでのんで飲み続けたあげく、いつかアルコール依存症となっていた小島容。 酒の肴替わりに、アルコール依存症に関する文献を読み漁りつつ、酒を呑んでいたと言う屈折ぶりだけれど、これなど中島らも自身のエピソードなんだろうか。
小説は、そんな小島が酒で体をボロボロにしたあげく、ついに入院するシーンからスタートする。 担当医赤河の診察を受け、十数年ぶりに酒気なしで過ごす日々の始まり。
 
入院生活の徒然に語られる、酒徒小島容のアルコール漬け人生。 流石は中島らもで、思いっ切り機知に富んだ文章が、先へ先へと読み進ませる。
アルコールの害毒やドラッグに関するコアな記述が続くも、コワイもの見たさのような心理が働いて、次々頁をめくらせられるのである。 作者は小説中のそこかしこで豊富な知識を開陳し、スノッブなイメージを撒き散らしてくれる。
主人公による、何故自分は夜毎酒盃に向かい続けたのかと言う理屈には、一種の鋭利な切れ味があり、そして無闇に説得力があって、なにかにつけ暗示に掛かりやすい自分など、ついフムフムと感心して、主人公の肩を持ちそうになってしまう。

でも、ちょっと待った。 そのご立派な御託宣は、アル中でぶっ倒れた男が入院中のベッドの上で発してるんだよねえ?
この、ヒネたカッコ好さと、どうしようもないみっともなさの同居こそ、中島らもの真骨頂ではないだろうか、なんて、私は考えている。
アル中患者の小島容と、それを指導する立場の赤河医師と。 アルコール依存症と言う、カラダばかりではない、ココロの問題でもある病気を軸に、相対する二人を描き切る中島らものバランス感覚は見事と言う他ない。
   
  
   
小島容  「飲む人間は、どっちかが欠けてるんですよ。 自分か、
       自分が向かい合ってる世界か。 そのどちらか両方かに
       大きく欠落してるものがあるんだ。 それを埋めるパテを
       選びまちがったのがアル中なんですよ」
赤河医師「そんなのは甘ったれた寝言だ」
小島容  「甘ったれてるのはわかってるんですが、だからあまり
       人に言うことじゃないとも思いますが、事実にはちがい
       ないんです」
赤河医師「欠けてない人間がこの世のどこにいる」
  
   <中略>
 
赤河医師「あんた、自分が人とちがってる、と思ってるだろ」
小島容  「誰でもそう思ってるんじゃないですか」
赤河医師「いや。 どうも私には鼻持ちならんのだよ、はっきり言う
       とね。 たとえば、あんたは自分と他のアル中を比べて
       みて、どうだ。 自分はなにか特別にデリケートで、特別に
       傷つきやすくて、そのせいでアルコールに逃げたんだ、
       とか、そういう薄気味悪いことを考えてるんじゃないのか。 
       言やあ、天に選ばれしアル中、みたいな」
 
 
 
主人公、小島容の妙に斜に構えた思考、態度からは、ずっと昔に読んだ村上春樹の小説の主人公が思い起こされてならない。 村上春樹に中島らもというのも対極的な構図だけれど、それぞれの描く主人公の性格について連想を同じゅうするというのも興味深い話しではある。

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January 28, 2007

椿山課長の七日間

  椿山課長の七日間

    浅田 次郎著

          朝日文庫


渋谷の老舗デパートに勤める、椿山和昭(46歳)は、高卒叩き上げの婦人服売り場担当課長。
現場第一の誠実な人柄で、社運を賭けた夏のバーゲンを成功させるために、日夜奮闘の毎日を送っていた。 それが、不幸にもバーゲン初日の夜に突然の過労死を遂げてしまう。

そのまま成仏するには、なにしろ気懸かりが多すぎた。
突然死した働き盛りの男が、現世に残して来た心残りの数々・・・・小学生の息子とのお別れ、自分にはおよそ不似合いだった美人妻、先立ってしまった老父、開催中のバーゲンの売上、そして、あの世の係員(?)から椿山課長が現世で犯したと指摘されたある罪について・・・・の各々にケリをつけねば、とてもではないが死に切れない。
椿山課長はあの世の役所の計らいで、期限付きで現世に戻してもらうことになった。 同じように現世への執着から逆送を希望する二人、武田(人違いで殺されたヤクザ)、雄太(本当の両親を知らない小学生)らと供に。


作品全体を覆う、ユーモラスで、ちょっとユルめの語り口が好い。 主人公たちの運命はあまりにも過酷なのに、雰囲気はどこまでも清澄で、穏やかだら、お話しが少しも深刻にならずに済むのである。
どうあっても悲しみはつきまとうのだけれど、いつか前向きな姿勢で臨もうとする登場人物たちの一人ひとりも魅力だ。
あの世の役所の、いかにもの官庁っぷりがオモシロくて、この小説は出だしからしてすらすらと愉しく読めた。 現世には、なにしろ生前の姿で戻るわけにいかないから、椿山課長は女性の姿を借りる羽目になって、そんな課長の慌てふためきっぷりも可笑しい。

現世で過ごすことを許されたわずかな時間のなかで、生前は知らずにいた、自分を取り巻く人々の秘密に触れる椿山課長たち。 そこには、平々凡々な人生なんてひとつもない。

ラストに向かって、現世に逆送された三人、そして周囲の人々の運命がひとつに収斂してゆく展開は、やや強引かもしれないけれど、最後まで飽きることがなかった。

テーマは家族愛、そして、誇り。 いつもユーモアを忘れずに。 可笑しくて、小粋で、やがて哀しい。 素直に泣ける佳品でした。

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January 08, 2007

旅行者の朝食

「旅行者の朝食」 

  米原万里著

     文春文庫 (2002年)


作家であり、またロシア語通訳者でもあった米原万里さんの、食物に関するエッセイ集。
幼少時にチェコスロバキアの小学校に通い、長じてはロシア語通訳として第一線で活躍した米原さんならではの、ロシア・東欧の食事情についての薀蓄が興味深い。

それにしても、通訳とは、優れた語学力の他に、知性やユーモアをも要求される仕事なのでしょう。 骨太の筆致でぐいぐいと描くような文体は実に頼もしく、だからといって、押し付けがましさなど少しも感じないのである。

人間、こと食に関しては保守的なものである。 現代の日本に居ては、なかなか実感し難いの感があるけれど、歴史的に見れば、そういうことになる。
今でこそ欧風の料理に欠かせないジャガイモも、ヨーロッパの食卓に定着したのは、意外に新しい。 16世紀に新大陸からもたらされた当時から、救荒作物として期待され、国家の肝煎りで栽培を奨励されたものの、気味悪がって誰も食べてくれなかったのである。 ロシアにおいては、一般にまで浸透したのは、実に19世紀も半ばになってからのことであった。

米原さんがチョコスロバキアで過ごした小学生時代、たった一口食べただけで、その虜になったと言うお菓子、ハルヴァ。 爾来二十数年、仕事で訪れる各国でも捜すが、終ぞ再開出来ないその幻の味とは。

美味しいものの紹介ばかりではない。
この本の題名にもなった「旅行者の朝食」は、ソ連時代に多く出回り、でも、あんまり不味いんで誰も食べたがらなかったという缶詰の名前である。
不味いんだったら改良して美味しくするとか、あるいは生産中止にでもなりそうなものだけれど、そこは計画経済のことで、売れまいが、人気が無かろうが、同じ物をひたすら生産し続けた。 そのムダさ加減はロシア小噺のネタになっていたらしい。
こうなると、果たしてどんなに拙いのか、試してみたくなるというもの。(?!) 好奇心に駆られた米原さんが、買い求めた「旅行者の朝食」を開けてみると・・・・

ソ連ネタでは他このにも・・・・
グリム童話の中に、パンを踏んで地獄に堕ちた娘の、ちょっと怖い話しがあったのを覚えていますか。
国民を飢えさせないことをスローガンに掲げたソ連政府が、パンを格安で供給し続けた結果、皆パンを粗末にするようになってしまった。
硬くなったパンは惜しげも無く捨ててしまうし、家畜の餌よりも安いものだから、飼料の替わりにパンを与えて一儲けを企んだりする。 パンを、それこそ水溜りを跨ぐための踏み石代わりに使うみたいに浪費しはじめた。 で、経済的に立ち行かなくなったその国は、やがて崩壊したわけですな。
我が国だって、と米原さんは警鐘を鳴らす。 減反やら補助金行政で、農家の米造りへの誇りを失わせるようなことをしているではないか。 この国もまた崩壊への道を辿ってはいないか、と。

後半は国内編となって、米原さんとそのご一族の、見事な健啖ぶりをユーモアを交えて描く。 読んでいて、人間、喰わなきゃあなんにも出来ないわい、と思わせられるのである。
終章の「叔父の遺言」、そのお終いに来て、ホロリとさせるところがなんともニクイ。

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September 24, 2006

ねこに未来はない

  「ねこに未来はない」
     長田弘.著   角川文庫
 
 
オドケテるんだかニヒルなんだか、いまひとつ捉えどころのない、不思議な標題を持つこの本は、その昔、学校の図書室にあったのを見た記憶があるから、また随分と昔の作品と言うことになる。(実際、1970頃の刊行らしい)
その、表題ばかりが気になっていた本を、今回初めて、実際に手に取って読んでみた。 それで、永らく、この本のことを、子供向けの物語、それとも絵本かなにかと想い込んでいたのだけれど、そうではなくて、見方によっては深い含蓄のある、大人向けの私小説(多分)なのだということを、今頃にしてようやく知った。

本書によれば、一体、猫と言う生き物は、脳内の未来を知覚する部分が未発達であって、だから、こやつらは、自分の将来にバラ色の希望を抱くと言うことがない。 その替わり、先々に不安を感じたりすることも、またないそうで。 つまり、猫にとっては「今」しか考えられない訳だ。(そんなのは、なにも猫に限らないんじゃあないかって突っ込みも、あるかもしれないけれど) とまれ、猫を飼うと言うのは、そういう刹那的人生と寄り添いあって、生きて行くことなんだね。

それまで猫嫌いを通して来た詩人が、結婚して安アパートに所帯を構えると同時に、生まれて初めて猫を飼うことになる。 子供のいないこともあって、もう夫婦して夢中になって可愛がるのである。 小説は、その猫たちとの交流を中心に描かれるんだけれど、なにしろ二人とも猫のことなんて何も知らないもんだから、飼う猫、飼う猫を次々と行方不明にしたり、あるいは死なせてしまう。 このあたり、猫好きの人は、見ちゃあおれんでしょうね。 さして猫好きとは言えない私でも、こいつあ如何な最中と想ってしまうくらい。 よってこの本、愛猫家にはお薦めすることが出来ません。
 
文章からして、おそらくは渋谷のNHK放送センターの近くに居を構えていたと想われる作者。 そこに描かれる日常からは、1960年代も終わり頃の東京の街角を背景にして、無名の文学青年の姿(それもベタな)が浮かび上がって来る。 とは言え、高潔な理想と厳しい現実の狭間で傷つきもがく若く貧しい詩人・・・・なんて、如何にもありがちで自己満足的なパターンに陥らず、それはもう軽いかるい、そしてまた馬鹿っ丁寧なくらいの文体からは、逆に詩人のデリカシーと、現実を見詰める厳しい視線が伝わって来るのだ。
いや、そんな小理屈は別にしても、私はこの私小説を熱烈に支持したい。 その個性的な文体は、読み手の私をして、かつて他の小説からは見出すことの出来なかった、それこそネコにマタタビ的な魅力を発散している。

それにしても、ちょっとばかりまわりくどかありませんかね、この人の文章。 いや、そこがまた好いんだけれど。 おそらくはこの作者、2点間を歩くのに最短コースを選んだりしないね、絶対に。 きっと、細い脇道を好んで歩いたり、猫みたいに、自分だけのお気に入りのルートがあったりするんだ。 私には判る。 なにしろ、私もそうだから。

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August 22, 2006

アポロ13 奇跡の生還

「アポロ13 奇跡の生還」
 ヘンリー・クーパーJr.著
 立花隆訳(下訳 鶴岡雄二)
 
13:THE FLIGHT THAT FAILED
 HENRY S.F.COOPER,JR.
 
 
先にアップした「アポロ13」と同様、これは13号のミッションに関する一冊。
但し、本書はアポロ13号の事故発生から生還までに内容を絞っていて、しかも、発生した事実だけを淡々と述べ、積み上げていくと言う、ストイックな表現手法に徹している点が、船長のラベルが中心軸にあって内容の多岐に渡った「アポロ13」とは大きく異なる。

本のまえがきで、訳者はこのように述べている。
< しかし、私にいわせれば、アポロ11号の成功より、アポロ13号の失敗のほうが、アメリカの宇宙技術のすごさを示していると思う。別の表現をすれば、このような失敗に対応できるだけの技術力を持っていればこそ、アポロ11号の成功があったといえるのである。>
全世界の注視するなかで失敗してしまったアポロ13号のミッションだけれど、しかし絶望的な状況からの生還こそが、むしろ最高の成果であると主張する視点は実に刺激的だし、昨今のリスクマネジメントに対する意識の高まりともマッチして、いろんな意味で興味の尽きない本と思う。

NASAが宇宙船を打ち上げる度に、テレビのニュースなどに映るヒューストンの管制センター。 大教室みたいなところに大勢の職員が同じ向きに座って、正面のスクリーンには地球を中心にした宇宙の概念図に、宇宙船の航路が描かれている。 昔からお馴染みのシーンである。
各職員の前には各々の担当分野別のコンソールが置かれて、アポロ計画の当時など、テレビに映る職員の姿を、畏敬の念をもって見詰めた覚えがある。

あの、ずらりと並んだ宇宙船のスペシャリスト達は、席毎に細かな役割が与えられていて、現場では概ね略称で呼ばれる。 前列から順に挙げてみると、

 <第一列(トレンチ)>
  ガイドー     :誘導主任
  ファイドー    :飛行力学主任
  レトロ      :逆推進ロケット主任
 <第二列>
  イーコム    :指令船の電気系統や環境系統などの担当
  テルミュー   :着陸船システム主任
  GNC、コントロール :誘導航行主任
  キャプコム   :宇宙船通信士
  フライト・サージャン :航空宇宙専門医
 <第三列>
  インコー    :計器および通信主任
  フライト・ディレクター:飛行主任
 <第四列>
  上級職員
  広報担当
 
と言う具合。
 
管制席の第一列目には特にトレンチ(塹壕)と言う異名があるそうで、宇宙船の航行を直接担当する重責を担っている。 トレンチに詰めるレトロ、ファイドー、ガイドーらは、宇宙船のエンジンを噴射させる際など、まるで自分達が実際に宇宙船を飛ばしている気分になると言う。 究極の宇宙船ごっごだね。
第二列は、宇宙飛行士の生命を預かる、船内環境まわりを担当。
第三列には、現場の最高指揮官である飛行主任が座り、ミッションの全体を統括する。

本書では、上に挙げたようなNASA特有の略称が、もう、これでもかってくらいに頻出して、その分、読者は苦労を強いられることになる。(読んでいて、「イーコム? え~と、それってなんの役割だっけ?」とかなってしまう) でもその分、現場の雰囲気、緊迫した会話のスピード感はしっかりと伝わって来るね。 
因みに、先にアップしたラベル船長の「アポロ13」では、略称ではなしに正式名称で表記されることが多かった。 この手法だと判りやすい反面、会話のスピード感や雰囲気には、やはり欠けると思う。ま、これは本の評価と言うよりは、翻訳の姿勢に関する問題な訳だけれど。 自分的には、「アポロ13 奇跡の生還」の略称を容赦なしにビシバシ使うやり方は、結構楽しめたと思う。

本書の場合、アポロ13号の事故発生から着水までの事象のみを淡々と描いて話しが決して脱線しない(「アポロ13」とは異なり)ので、事故と救出劇そのものに関しては、本書の方が余程判りやすいと言える。 その反面「アポロ13」と比べて、本書の描写はあまりにもそっけないと思う人もいるかもしれないけれど、大気圏再突入や着水の場面など、抑えた筆致が、むしろ「アポロ13」を上回る感銘を呼んでいると思う。

ミッションの終わりに至って、3人の宇宙飛行士はもちろんのこと、管制センターの面々もまた燃え尽きていたらしく、ある職員は13号の事故後5日経ってもなおアドレナリン出まくりのハイテンション状態が収まらなかったそうだし、また、イーコムの一人は事故後2週間経っても、毎晩事故発生の夢にうなされたと言う。 宇宙での事故発生から南太平洋への着水までの5日間が、管制センターの面々にとって如何に濃密な日々であったかを物語っていると思う。

本書は事故についての事象のみを淡々と追っているようで、実は、その中で奔走する人々を描き切っている、読み応え十分の優れたルポタージュと思う。

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August 07, 2006

アポロ13

「アポロ13」
 ジム・ラベル&ジェフリー・クルーガー著
 河合裕訳

LOST MOON
 THE PERILOUS VOYAGE OF APOLLO 13
  JIM LOVELL & JEFFREY KLUGER


人類が月に行かなくなって、もう随分と経つ。 なにしろ、最後のアポロ17号の飛行が1972年のことだからして、もう、すっかりお見限りと言うべきか。 1969年のアポロ11号から始まって、12号、13号は失敗で、14号から17号まで。 それ以前の試験飛行段階も含めて、このころのアメリカは、月へ向けて矢継ぎ早に宇宙船を飛ばす、壮大なプロジェクトを廻していたことになる。
さてそのアポロ13号。 13と言う番号を背負ったこの宇宙船が、不幸にも失敗して帰って来たのは知っていたけれど、そこにどんなドラマがあったかについては、これまでまったく知らずにいた。

この本の著者の一人、ジム・ラベルはそのアポロ13号で船長を務めていた。 本書はノンフィクションで、13号の生還劇を中心に描いたものだけれど、内容はそれだけには留まらない。 慎ましい母子家庭に育ったラベルが海軍のパイロットとなり、テストパイロットから、やがて宇宙飛行士となるまでの経歴をまとめた一代記でもある。 
そこに更に、ラベルの参加したジェミニ計画やアポロ8号の飛行なども絡むので、本としてかなりの長編になっている。 また、登場人物も多く、航空宇宙関係の専門用語、あるいはNASAの宇宙開発での現場用語が頻出するし。 読破(と言う表現が相応しいかもしれない)するには結構パワーが要ったのである。
それにしても感じ入るのは、60~70年代のアメリカの(月着陸を頂点とする)宇宙開発。そのプロジェクトは、実にもの凄いパワーの結集であったのだと言うこと。

月に向かう途中、支援船(月に向かう宇宙船の、円筒形の部分)の酸素タンクが爆発して、酸素、電気、水の供給が絶たれ、月着陸はおろか、地球への帰還も絶望的となってしまったアポロ13号。 支援船が機能を停止して、残ったのは指令船(円錐形の部分)と着陸船(虫みたいな)のみである。 もはや絶望的な状況だった。

宇宙の孤児になりかかったアポロ13号を支援するのは、NASAの管制センター。 「こちら、ヒューストン」とか言って、宇宙船と交信していたあの施設である。 飛行計画について全責任を担う飛行主任は、当時37才ののジーン・クランツ。 クランツは、安全策を二重三重に敷いたなかで、それでも、起こってしまった想定外の事故にあたって、忽ちのうちに各分野のスペシャリスト(途方もない人数の)を総動員させる。

なにしろ、宇宙船としては電力が足りないのが致命的だった。 宇宙飛行士の生命維持と宇宙船の航行に必要な幾つかの機械を除いて、止められる機械は全部止めてしまい、電力を節約する。 お陰で船内は酷い寒さに悩まされることになる。
支援船のエンジンはもはや使えないため、管制センターが出した地球帰還への方策は、本来ならば月面着陸用に出来ている月着陸船のエンジンを使って、地球まで飛行しようと言うもの。 着陸船のこんな使い方は、これまでに一度もテストしたことがないのである。 なにしろ、こんな信じ難い事故が実際に起きるなどと誰も想わなかったのだから。 ギリギリに追い詰められた末に出てきた、勇気ある発想と想う。

管制センター内で、各分野の専門家達が、3人の宇宙飛行士を地球に生還させると言う一つの目的に向かって邁進する、その姿はまさに壮観と言える。 その中では、担当者間の争いだってある訳で。 例えば、たった数アンペアの電力を廻っての争奪戦が起こったり。
それでもクランツは、専門家達の判断を信じて、思い切り自由にやらせる方針を貫くのである。 リーダーとしての彼の仕事は、各々のエキスパート達が正しい方向を向くように注意を払うことと心得ている。 時には、各担当者間で意見が対立する。 これの調停もリーダーの仕事。 このあたり、アポロ13号のミッションは、危機管理と言う切り口で見て、大変に興味深い事例なのかもしれない。

宇宙船のプロ達の、人智を尽くした戦いの末に、遂にアポロ13号が地球に生還する場面は、なかなかに感動的である。 でも、本としてあんまり盛り沢山な内容なので、やはり、一気に読ませる緊張感というものはないかな。 本書を読むにあたっては、ちょっと気楽に臨み過ぎたかな。 往事のNASAの持っていたエネルギーを想って、もっと心して読むべきであったかもしれない。

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April 09, 2006

広辞苑の序文

しばらく前の週間文春で、高島俊男さんのエッセイにあった話し。(週間文春 平成18年3月16日号 「お言葉ですが・・・」)
あの(!)広辞苑。 隠れも無い代表的な国語辞典な訳だけれど、その序文は名文だと言うのである。
では、一体どんな具合に名文であるのか、高島俊男さんはこれまでいろんな人にクイズを出してみたけれど、未だかつて一度も正解者が出たことがないと言う。

以下はそのネタバレになるので、クイズに挑戦(?)してみたい方は、広辞苑の序文を調べるなりして答を出した後に読んで頂きたい。


   ▽▲▽▲▽▲ ネタバレ注意! ▽▲▽▲▽▲


昭和二十一年十一月。 内閣訓令により正式に旧かな使いが現代かな使いに改められた。 広辞苑の初版は昭和三十年だからして、当然最初から現代かな使いで編纂されている。
しかし、旧かなから新かなへの移行に抵抗を示した人々もいた訳で、広辞苑の序文を書いた新村出もその一人であった。 自分は、断じて新かなの文章など書きたくはない。 しかし、広辞苑は新かなの辞書である。 まさか序文だけ旧かなで通す訳にもいかない。
このジレンマへの回答として新村出は、新かなと旧かなで表記が相違する語を一切使わずに序文を書きあげると言う離れ技を演じてみせた。

それにしても、これって、作文のハードルとしては相当キツイものになると思う。 なにしろ「ゐる」、「思ふ」、「であらう」、「なのでせう」、「のやうな」と言った、新かなと旧かなで表記の異なる単語はことごとく回避して文章を仕立てなければならない。 それでいて、内容としてこの大国語辞典の劈頭を飾るに相応しい水準でなければならない訳だし。
こちとら、辞書に序文ってモノが載っているのは知っていても、それを読んだことなんぞ一遍も無いと来ている。 まあ、大概の人が同じではないだろうか。 早速、広辞苑の序文を読んでみて納得した次第。
この時代、旧かなから新かなへの切り替えに抵抗した文学者、作家は少なからずいたと思うけれど、新村出の序文に見る、己が文才を駆使しての「これで文句あっか?!」とでも言いたげな抗い方からは、一種のユーモアを感じてしまう。(言葉の大先達に対して、不謹慎な感想だろうか?)

内田百閒が毎日新聞に寄稿した折に、やはり、かな使い衝突語を避けた文章を書いてみせたと言う。 一体、新聞社では、旧かなで書いた原稿を渡されると、勝手に新かなに直した上で新聞に載せるということをやっていたそうで、それに憤った百閒が、かようなプロテストに及んで溜飲を下げたとのことである。 如何にも、百鬼園先生ならばやってのけそうなエピソードと思う。

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October 04, 2005

檸檬爆弾

※ なんだか、屁爆弾さんのご親戚か?と言う感じの標題だけれど、ちょっと気に入ってしまったので、この題で行かせて貰います。 何卒ご容赦を。


丸善(書店)の京都河原町店が近く閉店する。
それで、梶井基次郎の「檸檬」よろしく、陳列してある本の上にそっとレモンを置いて、「なに喰はぬ顔をして」立ち去る客がいるのだという。 そういったことは、これまでにも年に数回あったらしいけれど、それが、閉店を間近に控えたここへ来て急増しているらしい。 駆け込み檸檬だ。
丸善側も心得たもので、こうして集まったレモンをバスケットに納めて、文庫版の「檸檬」の傍に置いてあるのだと言う。 なんとも粋な計らいではないか。 そのお陰か、「檸檬」が日に60冊も売れるのだそうだから、これまた結構な話しである。

私は京都には全く疎くて、無論、丸善の京都河原町店に入ったこともない。 知っているのは、「檸檬」の中に描かれる丸善京都河原町店。 梶井基次郎が黄金色の檸檬爆弾を置いていった、ハイカラな店のイメージのみである。 それでも何時か京都を歩いてみたいな。 ホンモノの、物騒な方の爆弾は御免だけれど、心中の檸檬爆弾ならば、在庫が幾らももあるのだ。

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August 21, 2005

寄席芸人伝

「寄席芸人伝」 古谷三敏著 ファミリー企画 

標題の漫画を、仕事帰りにコンビニで買い求めた。 これは、最近流行の、往年の名作コミックの復刊と言う奴である。
この「寄席芸人伝」は、ずっと昔(初出は80年代)、兄が何冊も買い求めていたのを、自分も読ませて貰った事がある。 その兄は、特段落語好きであったと言うことも無くて、ならば、どうしてこのコミックにご執心であったのか、そに理由に付いては未だに知らない。
何しろ、自分もその当時、落語に付いては何も知らなかったしね。 落語と言えば、それこそ、テレビに映るのを偶に目にするくらいであったと想う。 でも、この漫画の方は、なんの予備知識もなしに読んでさえ、とっても面白かったのを未だに覚えている。

その懐かしい漫画を、今回、実に久しぶりに読み返してみた。
舞台は、明治から昭和初期辺りに掛けての落語界。 まだ、都内のそこいら中に寄席のあった時代である。 (作中のカットに度々描かれる、各地の寄席の玄関の図など、今では新宿末広亭でしかお眼に掛かる事が出来ない)
毎回、異なる噺家を主人公に、噺家社会の哀歓や寄席、遊郭の風情を淡々とした筆致で綴って、中には、結構泣かせられる話しもあるのだ。

作中で高座に掛けられる噺も、あの頃は、それこそ何の気なしに読み飛ばしていたけれど、いっぱしの落語ファンを気取っている今になって改めて読んでみると、それぞれがストーリーとしっかりリンクしているのが良く判る。 実に緻密な構成であったのだと、今頃になって知ったのである。 これは、自分にとっては、かなり痛快な発見であった。 まあ、歳を取ると、こう言った事にも出くわすってことだね。

古谷三敏のシンプルな絵がまた良くて、今見ても、少しも古さを感じさせられない。 テレビからは決して得られない、寄席ならではの空気感が伝わって来るのだ。 そこにあるのは、当節の漫画には滅多に見ることの叶わない、大人の顔、男の顔をした噺家たちの姿である。

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July 30, 2005

「江戸アルキ帖」

「江戸アルキ帖」(新潮文庫)
先日、惜しくも亡くなられた杉浦日向子さんの著作の中で、私がもっとも愛する一冊がこれ。 (杉浦さんの作品を、あまねく読み尽くしていると言う訳ではないけれど) 今ではすっかり手垢が付いて、表紙もボロボロになってしまっている。

これはSF仕立ての、日帰り江戸時間旅行記である。 文庫本の見開き二頁分で一編の江戸旅行記と言う体裁で、右頁にショートストーリー、左頁にはイラストが描かれている。 ショートストーリーは、タイムマシンを利用して毎週末、近未来の東京から江戸への日帰り旅行を楽しむ主人公(おそらくは、30代くらいの女性、と言うか、これは杉浦さん本人なのだろう)の一人称形式。
歴史上の事件などには、とんと興味なく、それよりも市井に住まう庶民の暮らし向きや、四季折々の行事などに温かい視線を向ける。 江戸の町並みを愛で、銭湯や蕎麦屋を訪れてみたり、あるいは、これと言って目的もなしに散歩・・・にしては、かなりの強行軍だけれど・・・を決め込んだり。 タイムマシンで好きな時代に出入り出来るからと言って、例えばミーハーに、赤穂浪士の討ち入りを見物に行ったりはしないのだ。 決して。その辺が、如何にも杉浦さんらしい。

主人公の見て来た江戸の町々を描くイラストが、また実に好い感じなのだ。 色鉛筆か、パステル系の画材を使い、落ち着いた、過不足のない筆致で、江戸の風景を淡々と描いてゆく。
そのあまりの見事さに、最初想ったのは、「杉浦日向子って天才だ!」と言う事。 それくらい、一部の隙も無い、完璧な構図のイラストが幾つもあった。 それが、江戸名所図会などから、図柄をそっくり拝借して来たりしているのに気がついたのは、大分後になってからのことである。
でも、こういったものからは、一枚の絵からイメージを膨らませて、時間旅行記にまとめた作者の、江戸に寄せる愛情が伝わって来て、また楽しいのである。 但し、絵の出典くらいは、巻末にでも記しておいた方が良かったのではないか。

この本は、何時でも手の届くところに置いてあって、手持ち無沙汰になった折など、パラパラと頁を捲ってみたりする。 文句なしの、我が愛読書である。

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July 25, 2005

徳川家康」第7巻 颱風の巻

「徳川家康」 第7巻 颱風の巻 (山岡荘八著 講談社文庫)

覇業の完成を目前にして、今や輝きの絶頂にある信長。 幼少の頃より続く家康と信長との関係も、新たな局面を迎えようとしていた。 家康堪忍の一巻。
 
 
武田勝頼は家臣団の反対を押し切り、徳川家の勢力下にある岡崎、長篠方面に向けて進軍を開始した。 無謀な侵攻に、重臣達の中には武田家の前途を悲観するものが少なくなかった。 勝頼が密かに期待していた岡崎城の大賀弥四郎は、既に謀反が発覚して捕らえられていたため、岡崎城の乗っ取りは諦め、全軍を以って長篠城を攻めに掛かる。

長篠は家康にとって、対武田作戦の要とも言える場所であった。 長篠城の落ちる時は徳川家の滅びる時・・・とさえ考える家康は、城主として女婿の奥平貞昌を送り込んであった。
家康の長女亀姫は築山殿との暮らしで我が侭一杯に育てられ、貞昌の奥平家へは嫌々嫁がされたのである。 最初は夫に激しく反発した亀姫だったが、やがて貞昌の豪放磊落な性格に惹かれはじめる。
若い夫婦して力を合わせ、過酷な状況の中で城を守ることに夢中になって、篭城の苦労さえも楽しんでしまう辺りは若さの持つ特権であろう。 貞昌の、父家康とは正反対の開けっぴろげな性格とも相性が良かったのかもしれない。
その長篠城主奥平貞昌は、とにかく何があろうとメゲナイ男である。 武田の軍勢15,000人に対して長篠城の兵力は僅か500人であったにも関わらず、常にポジティブ・シンキン! 何処までも陽気で、悲観的になると言うことを知らなかった。 僅かな人数で一丸となって城を守る内、長篠城の守備軍全体がそんな貞昌カラーに染まってゆく。
天然の要害に守られ、更に貞昌の機略を駆使して武田軍を容易に寄せ付けない長篠城だが、しかし、兵力の圧倒的な差は如何ともし難く、次第に追い詰められていった。 貞昌は家康に救援を請うため、伝令として鳥居強右衛門を派遣した。 捨て身で敵中を突破して来た強右衛門の剛毅さに打たれた家康と信長は援軍の出発を告げる。
その強右衛門は長篠城への帰路、武田方に捕らえられてしまう。 武田の家臣からは、長篠城内に向けて、援軍はやって来ないと叫べば命を助けてやろうと持ちかけられるが、しかし、強右衛門は気骨の人である。 間もなく援軍が来る故、それまで頑張るよう城内へ叫んだため、敢え無く磔刑に処せられてしまう。
やがて、強右衛門の言葉通りに援軍が到着。 これにより彼我の戦力比は逆転した。 武田軍としては、徳川、織田の連合軍を前にして、もはや長篠城攻略どころではくなったのである。 ここで一気に決着を付けるべしと奮い立つ勝頼は、家中の反対を振り切って合戦を決意する。 信玄以来の重臣達の多くが、武田家の命運ももはやこれまでと覚悟を決めた。

かくして、長篠の戦いが始まった。 戦国最強を謳われた武田騎馬軍団と織田鉄砲隊との戦史上画期的な戦いは、旧弊な合戦の概念から脱却出来ない武田方にとって、あまりにも惨い内容であった。 名立たる歴戦の騎馬武者達が、無名の雑兵らの撃つ鉄砲によって次々に倒されてゆく様は、只々憐れを誘うのみである。

戦は織田、徳川軍の圧勝に終わり、長篠城の守備軍も救われたのである。 援軍の持参した食料が運び込まれて安堵する城内。 蓄えの兵糧など、とうに食べ尽くしていたのだ。 遂に自分達は城を守り抜いた!・・・ 炊き出しの握り飯を頬張りながら、顔を見合す度ににっこりと笑いあう、若い貞昌と亀姫。

長篠の戦いは元々、徳川家の存亡を賭けた戦いであったのが、終わってみれば、信長のステータスを一気に押し上げる結果となっていた。 織田軍、最早向かうところ敵無しである。 上潮に乗って覇業を進める信長は、その拠点とするべく安土城の建設に取り掛かる。
一方家康は、長篠の戦勝を冷静に分析して、織田軍の加勢無しでは到底勝てる戦ではなかったこと、徳川家はまだまだ実力が足らぬことを悟る。
これまでは、信長は西へ、家康は東へ伸びていたから良かった。 互いに背後を守りあう関係にあったからである。 しかし、織田家の全国制覇が完成に近付けば、信長の、徳川家に対する扱いも変わって来ると考えなければならなかった。 家康は、いつか来るその時に備えねばならない。 長篠の戦い。 勝つには勝ったが、これで信長に大きな借りが出来てしまったことを強く自覚する家康であった。

一国の領主から天下人へ。 天下を狙う者から、天下を治める者へ。 この信長の意識改革を、家康はいち早く察知していた。 (後の明智光秀などは、そこに付いて行けなかったのであろう)
今や一織田家の当主としてではなく、天下人としての視点を持ちはじめた信長にとって、織田家を悪し様に言い触らす築山殿と、日頃から乱行の絶えない信康は、同盟国の正室、嫡子として「好ましからざるもの」であった。 信長は、築山殿と信康に切腹を命じる。

妻子の命を差し出せと言う、とてつもない暴挙に対して、家康はあくまでも徳川家の当主としての立場を忘れる訳にはいかなかった。

 信長 「悪いけど、あの奥さんと長男、キミん家の
      ためにならないからね。」
 家康 「え?・・・」
 信長 「って言うか、このまま行って、オタクが傾きでも
      したら、東日本のパワー・バランスは一体どう
      なるのよう!」

二人の間で、こんな会話が交わされた訳では勿論無いけれど、信長の全国制覇構想に組み入れられている自分と、それを遂行するためならばどんな犠牲(信康は、信長から見ても長女の婿なのだ)をも厭わない信長の心中は
充分に推し量ることが出来るのである。

天下人たらんとする今の信長から徳川家を守るためには、信長に付け入られるような、一点の落ち度もあってはならなかった。 その辺りの感覚は、非情なまでに研ぎ澄まされている家康である。 が、その家康にして、前もって築山殿と信康の切腹に至るまでの展開を読み、有効な手を打っておくことが出来なかったのは一大痛恨事であった。
幼い頃、兄弟のように付き合った信長と家康であったが、今や天下の覇者の座に付こうと言う信長に対して、家康は臣下として服属せねばならない関係となっていたのである。 安土に赴いて信長と交渉事の出来得る人材も居なかった。 武芸名誉の者ならば、家中に幾らも居るのに。 何より、一旦言い出したことを引っ込める信長ではない。
本当は家康は、謹慎中の信康が脱走してはくれまいか、あるいは、家中の誰かが手引きして逃がしてはくれまいかと、心密かに期待したのである。 同時に、そんなことを考える自分の甘さを恥じもした。
しかし、信康は頑なであったし、徳川家の家臣達も、ある意味真面目に過ぎた。
家康の苦渋の決断に、信康は武人らしく従容として従った。 一方の築山殿は、当然ながらこの措置に納得する筈もなく、せめて見苦しくない最期をと案じる家臣たちによって、隠密裏に生害させられてしまうのである。

家康は北条家と手を結び、武田方の遠江の拠点である高天神城攻めを敢行。 猛攻の末に、遂にこれを陥落させた。 高天神城の牢からは徳川の家臣、大河内源三郎が救い出された。 源三郎は、かつて高天神城が武田方の手に落ちた時からの虜囚であり、以来、牢内に、九年間に渡り閉じ込められながら、遂に弱音を吐かなかった男である。 この大河内源三郎と言い、長篠城の鳥居強右衛門と言い、底知れぬ粘り強さが三河武士の真骨頂なのであろう。

こうして織田、徳川、北条の三氏を敵に廻した武田家は、これ以降、急速な衰えを見せていった。 勝頼は個々の戦の勝ち負けにのみ拘って、家臣、領民の負担を顧みることをしなかったため、離反する者が後を絶たなかった。 木曾義昌に謀反の疑いありと知った勝頼は、早速に軍勢を率いて木曾に向かう。 信長は好機到来とばかり、家康、金森長近らを伴ってこれに対抗した。 勝頼はこれを迎え撃つも、重臣らの裏切りに合って敢え無く敗退。 急ぎ躑躅が岬に戻った勝頼は、そのまま一族を引き連れて館から落ち延びる。

躑躅が岬館から新府の城、岩殿城へと廻り歩いた頃には、大勢引き連れていた家臣達も何時しか散り散りとなり、最早流浪の衆となり果てていた勝頼一行である。 重臣の小山田信茂に裏切られて、滝川一益の軍勢に追われた勝頼らは、遂に山中で全員が自害して果てる。 かくして武田家は滅亡したのである。
 
 
 
 
徳川家康 「これからはの、暫くは誰も彼もが堪忍の
        しくらべじゃ。
        堪忍ほどわが身をまもってくれるよい楯は
        ない。
        わかるかの、誰にも出来る堪忍のことでは
        ないぞ。
        誰にも出来ないほどの堪忍を、じっと育てて
        ゆかねばならぬぞ」
 
 
 
 
<<登場人部>>

<徳川家>
徳川家康:徳川家当主
徳川信康:徳川家嫡子
瀬名:築山殿 家康の正室 今川義元の姪
徳姫:信康の妻 信長の長女
お愛:西郷の局
あやめ:信康の側室
菊乃:信康の側室
<徳川家家臣>
伊井万千代直政
鵜殿八郎康定
岡三郎佐衛門:馬場信房を討ち取る
岡本平左衛門時仲
梶金平
吉良於初:信康の小姓
原田弥之助:本多忠勝の家臣
幸若三太夫:高天神城攻めに加わる
榊原小平太康政
酒井左衛門尉忠次:宴会芸は蝦すくい
小栗大六重常
松平家清
松平家忠
松平三郎次郎親俊:長篠城を守る
松平弥九郎景忠:長篠城を守る
松平弥三郎伊昌:長篠城を守る
石川太郎左衛門義房
石川伯耆守数正
大河内源三郎政局:高天神城に九年間幽閉される
大久保治右衛門忠佐
大久保七郎右衛門忠世:忠俊の孫
大久保忠隣:忠世の嫡子
大久保平助忠教:忠世の末弟 彦左衛門
大須賀五郎佐衛門康高
鳥居彦右衛門元忠
天方山城守道綱
服部半蔵正成
平岩七之助親吉:信康の守役
本多作左衛門:重臣
本多平八郎忠勝:家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多平八
野中五郎重政:信康付きの家来
お琴:侍女
喜乃:侍女 お琴の妹

<奥平家>
奥平美作守貞能:奥平家当主 山家三方衆の一人 作手城主
奥平九八郎貞昌:奥平家嫡子 長篠の戦いでの戦功で信昌に改名
亀姫:貞昌の妻 家康の長女
<奥平家家臣>
奥平次佐衛門勝吉
鳥居強右衛門:徳川軍へ決死の伝令を勤める

<織田家>
織田信長:織田家当主
織田信忠:織田家嫡子
濃御前:信長の正室
<織田家家臣>
羽柴秀吉
佐久間信盛
柴田勝家
森蘭丸:信長の小姓
前田又左衛門利家
滝川一益
丹羽長秀
明智光秀:惟任日向守

<武田家>
武田勝頼:武田家当主
武田信勝:武田家嫡子
武田信康入道逍遥軒:信玄の弟
武田左馬之助信豊
武田兵庫助信実
小田原御前:勝頼の妻
<武田家家臣>
粟田刑部:高天神城を守る
一条右衛門太夫信龍
奥平次左衛門勝吉
岡部帯刀:高天神城を守る
河原弥六郎:鳥居強右衛門を捕らえる
甘利三郎四郎
甘利新五郎:間者として織田方へ潜入
木曾義昌
穴山梅雪:家康に寝返る
原隼人昌胤
高坂源五郎
作蔵:高天神城の牢番
三枝勘解由左衛門守友
山形三郎兵衛昌景:甲斐の名将
秋山紀伊
小原下総
小山田備中守昌幸
小山田兵衛
小山田兵衛尉信茂
小幡上総介信貞
松阪ト斎:お伽衆
真田源太左衛門
真田昌幸
菅沼新三郎定直
跡部大炊助
長坂釣閑:長篠の戦いでは主戦派
土屋右衛門尉昌次
土屋小四郎:昌次の子
土屋昌恒
内藤修理亮昌豊
馬場美濃守
名倉源太郎:高天神城を守る
油井嘉兵衛:高天神城を守る
落合左平次:鳥居強右衛門の最期の姿を旗印にする
和田兵部信業
お藤:小田原御前の侍女

<その他>
 
 
 
戦に勝ってなお用心深く、禁欲的とも言える振る舞いを見せる家康。 今や天下の覇者として振る舞い始めた信長とは好対照だが、そんな性格・・・人生観の違いが、この後の二人の運命を大きく隔てることになる。

#感想の部とあらすじの部との違いが曖昧になったので、今回はひとつにまとめてみました。
 
 
 
天下泰平まであと19巻。

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June 26, 2005

「徳川家康」第6巻 燃える土の巻

「徳川家康」 第6巻 燃える土の巻
         (山岡荘八著 講談社文庫)

戦乱の犠牲となるのは武士だけに限らぬ。 人質として、罪人の縁者として散らねばならぬ人々・・・哀憐の一巻。

家康は長篠城を手に入れるための秘策として、山家三方衆の奥平美作を徳川方へと寝返らせることに成功する。 大名家の従属関係の常識として、奥平家から武田家に人質を差し出してあるのだが、武田方から徳川方へ寝返った場合、この人質らを見殺しにすることになる。 乱世とは言え、なんとも無残な話しである。 奥平家の繁栄と存続のため、笑って斬られにゆく末子の千丸。 納得のゆかぬまま死ぬおふう。

その奥平家に嫁ぐことになるのが、家康の長女亀姫である。 我が侭一杯に育てられて来ただけに、築山殿の二の舞を演じるのではないかと先々が心配ではある。 ともあれ、幾多の犠牲を払って長篠城は家康の手中に収まった。

信長の浅井攻めにより小谷城が落ち、お市の方と娘らが織田家に戻って来た。 生涯に三度落城を経験することになる茶々の、これが最初の落城である。
お市の方救出劇の立役者、羽柴秀吉の廻りには竹中半兵衛の他、加藤虎之助、福島市松、片桐助作、石田佐吉、蜂須賀小六など、後の豊臣家を支えるメンバーが揃い始めているのが楽しい。

家康も分別盛りと言う事なのか、戦に勝っても喜ぶどころではない。 城に戻るやいなや、今度は農作物の収穫の心配をしているのである。 それが終われば、次の戦いに向けての準備と、三河の領主は休む暇も無く働き続けるのだ。 大名にとっては、戦そのものよりも、戦の前に済ませておくべき仕事の方が余程大変なのではないか、などと思わせられる。

確かに、勝頼のように戦功を焦って無理な戦ばかり重ねていると、国力はあっと言う間に疲弊し果てて、人心もみるみる離れてゆく。 そうすると、武田のような名家と言えども、あっと言う間に落ちぶれてしまうのだ。 だから、単に戦に強いだけでは、やっていかれない。 ともあれ、家康ってあんまり明るい人とは見えない。 家康=インケンと言うイメージは、この無慈悲なまでの現実直視主義から来ているものなのかもしれない。

大賀弥四郎の謀反が漸く発覚した。 財務のスペシャリストとして重用した寵臣だけに、家康としても余程ショックであったろう。 弥四郎の極刑はもちろんとして、当時の習慣により、何も知らない家族もまた処罰を免れ得ないのである。 旧知の弥四郎の妻女に対して、罪過を告げねばならない大久保忠世の苦悩には同情を禁じえない。
 
 
 
羽柴秀吉  「半兵衛、この秀吉が、お市どのに惚れている
         などと思うなよ」
竹中半兵衛 「この期に及んでのお戯れ、恐れ入りました」
羽柴秀吉  「どうだな、久政をあっと言わせる手は」
竹中半兵衛 「あっと言わせるのは久政ではござります
         まい」
羽柴秀吉  「誰だ。長政の方か?」
竹中半兵衛 「いいえ、味方の御大将、信長公でなければ
         なりませぬ」
 
 
 
<<あらすじ>>
徳姫の侍女喜乃は、築山殿から産褥のお万の方殺害を命じられ、浜松城へと入ったが、お愛と本多作左衛門に謀を見破られ、お万の方も事無きを得る。 築山殿の嫉妬心を恐れる本多作左衛門は、お万の方を中村源左衛門宅に預けた。

信玄の死を確信した家康は、長篠城の総攻撃を準備する。 山家三方衆の一人で作手城主奥平美作守貞能を密かに内応させ、武田陣営を混乱させようと言う作戦である。 奥平美作は、徳川方に寝返る代償として、家康の長女亀姫を嫡子九八郎貞昌の嫁に所望した。
武田方から謀反の疑いを掛けられた奥平貞能は、武田信豊に決死の申し開きをして、その場を切り抜けると同時に、末子の千丸と九八郎貞昌の名目上の妻おふうを人質として差し出す。 寝返りの代償として彼らが処刑されるのは覚悟の上である。
こうして奥平貞能の協力を得た家康は、漸く長篠城を落とす事が出来た。

勘定方の大賀弥四郎は、家康が長篠城を攻めている隙に、城主不在の岡崎城に武田軍を引き入れようと、部下の山田八蔵を武節城に送り込むが、八蔵は勝家とのコンタクトに失敗してしまう。
大賀弥四郎の計略が上手く運ばないことに感づいた築山御前は気落ちするが、しかし、今度は長女の亀姫が、築山御前の気性を受け継いだような勝気さ、傲慢さを発揮し始めた。

長篠城攻めを終えて浜松へ引きあげた家康は、ほっとする暇も無く、今度は内政に立ち働いた。 それはまるで、安心し切って何ものかに足元を掬われることを畏れるかのようであった。
お万の方が男児を出産。 が、家康は築山御前に気兼ねして、我が子に会おうとはしなかった。 我が子に対して、率直に愛情を示せない家康に憤る徳川家の重臣達。

信長の浅井家攻略が始まった。 強大な信長軍に攻められれば、万に一つも勝ち目の無い小谷城だったが、信長からの再三に渡る降伏勧告に対して、信長を嫌いぬく浅井久政は断固として投降を拒み続けた。
お市の方は三人の姫ら共々、浅井久政、長政父子と運命を同じくする覚悟であったが、長女茶々姫だけは生への強い執着を見せた。
軍使による説得が効かぬと見て取った信長は、秀吉にお市の方と三人の姫の救出作戦を一任する。 秀吉にとってこれは出世のチャンスであると同時に、失敗の許されない賭けでもあった。 秀吉と軍師竹中半兵衛は、手勢を投入して城内を二方に分断させ、浅井父子の連絡を絶つ事で、見事にお市の方と三人の姫の保護に成功する。
かくして浅井氏は滅んだ。 秀吉は浅井攻めを成功させた功績により、小谷城十八万石の城主となった。 早速に領内を視察する秀吉は、没落していた京極家の房姫を見出す。 貴種好みの秀吉は、嬉々として室に迎えることにした。

武田勝頼は長篠城の落城に苛立っていた。 更に、信玄以来の旧臣達の信頼を勝ち得ないことから来る焦りから、奥平美作守から差し出された人質の千丸、おふう、虎之助を磔刑に処した。 幼くとも武人として死ぬ覚悟の千丸と虎之助。 一方おふうは、政略の道具とされたことへの、不当な思いを胸に留めたまま処刑される。 この後、武田軍は長篠から甲州へと兵を退いていった。

家康は、武田軍が再び襲ってくる事態を見越して、領内の米を早めに収穫させて城内へ蓄えるなど、糧食の確保の余念が無かった。 磔刑にあったおふうを憐れに思う家康は、おふうの妹の於阿紀を弟松平定勝(元の長福丸)の妻へと迎えた。
やがて、家康の読みの通り武田軍が浜松に向けて襲来した。 が、正面切っての対決に持ち込まず、随所で翻弄させて廻る家康。 三方ケ原の戦いの折、信玄に歯向かって手痛い目にあった家康だが、今度は家康が勝頼をあしらう番だった。 無念を抱いて甲斐に引きあげる武田勝頼。

お万の方の子、於義丸が誕生した。 それを知って素直に喜ぶ我が子信康を見る築山御前は寂しかった。 徳姫の侍女の小侍従は、築山殿と大賀弥四郎の陰謀に気付いて徳姫に告げた。 癇癪を起こした信康は、徳姫に怪我をさせ、更に小侍従を斬り捨ててしまう。 しかし小侍従は只の侍女ではなく、信長が徳姫のために特に寄越した者である。 自らの仕出かした所業に呆然とする信康。

甲州勢が高天神城攻めを開始した。 家康の元には高天神城からの再三に渡る救援要請があったが、家康は城将の小笠原与八郎を信頼していなかった。 家康からの要請を受けて、信長も救援に向かったが、これも戦略上の駆け引きで、本気で戦う気持ちは無かったのである。 遂に、高天神城はおちるに任せた。

築山殿を見限った大賀弥四郎は、徳姫に謀反を告げ口する。 無論、自分に付いては清廉潔白であると言い添えての上である。 山田八蔵は、そんな大賀弥四郎の無慈悲さを見て怖れをなし、次は自分が捨てられると思い込んで、同僚の近藤壱岐に全てを打ち明けた。
主君の寵臣を謀反人として訴えることは、並大抵の覚悟で出来る事ではなかった。 近藤壱岐は決死の思いで家康に直訴する。
こうして大賀弥四郎は遂に捉えられ、城下で処刑されたのである。
 
 
 
<<登場人部>>
<徳川家>
徳川家康:徳川家当主
徳川信康:徳川家嫡子
瀬名:築山殿 家康の正室 今川義元の姪
徳姫:信康の妻 信長の長女
亀姫:家康の長女
於義丸:家康とお万の長男
お愛:家康の傍に仕える
お万:家康の側室
あやめ:信康の側室
<徳川家家臣>
伊井万千代直政
久世三四郎広宣:高天神城を守る
近藤壱岐
今村彦兵衛:町奉行配下
坂部又十郎:高天神城を守る
榊原小平太康政
小笠原与八郎長忠:高天神城の守将
松平外記
石川家成
石川数正
大岡助右衛門:町奉行
大河内源三郎政局
大賀弥四郎:勘定方 築山殿と不義を働く 甲斐と内通
山田八蔵重秀:大賀弥四郎の手下
小谷甚左衛門:大賀弥四郎の手下
倉地平左衛門:大賀弥四郎の手下
大久保忠世:忠俊の孫
大久保平助:忠世の末弟 彦左衛門
中山是非之助:高天神城を守る
中村源左衛門:産褥のお万を預かる
渡辺金太夫:高天神城を守る
平岩親吉
本間八郎三郎:高天神城を守る
本多作左衛門
野中五郎重政:信康付きの家来
おつね:山田八蔵重秀の妻
於阿紀:夏目治貞の娘 おふうの妹
お粂:大賀弥四郎の妻
お琴:侍女
喜乃:侍女 お琴の妹
小侍従:徳姫の侍女

<奥平家>
奥平美作守貞能:奥平家当主 山家三方衆の一人 作手城主
奥平九八郎貞昌:奥平家嫡子
千丸:貞能の末子 武田方の人質
おふう:貞昌の名目上の妻 夏目治貞の娘 武田方の人質
<奥平家家臣>
奥平虎之助:武田方の人質
奥平六兵衛
夏目五郎左衛門治貞
黒屋甚九郎重吉:千丸の守役
同苗六兵衛

<織田家>
織田信長:織田家当主
濃御前:信長の正室
<織田家家臣>
森蘭丸:信長の小姓
羽柴秀吉
竹中半兵衛:秀吉の軍師
加藤虎之助:秀吉の荒小姓
石田佐吉:秀吉の荒小姓
福島市松:秀吉の荒小姓
片桐助作:秀吉の荒小姓
蜂須賀小六:秀吉の腹心
木下家定:寧々の兄
お八重:秀吉の妻 寧々
佐久間信盛
柴田勝家
前田又左衛門利家
丹羽長秀
不破河内守:小谷城への軍使を務める
明智光秀

<浅井家>
浅井長政:浅井家当主
浅井久政:隠居 長政の父
お市の方:長政の室 信長の妹
茶々姫:長政とお市の長女
高姫:長政とお市の次女
達姫:長政とお市の三女
<浅井家家臣>
浅井七郎
浅井石見守親政
浅井福寿庵
井口越前守政義
三田村左衛門佐
小野木土佐
森本鶴若太夫:幸若舞の太夫
赤尾美作守清綱
千田釆女正
藤掛三河
木村小四郎
木村太郎次郎
雄山和尚

<朝倉家>
朝倉義景

<武田家>
武田勝頼:武田家当主
武田逍遥軒:信玄の弟
武田左馬之助信豊
<武田家家臣>
一条右衛門
甘利左衛門尉昌忠
穴山梅雪
山形三郎兵衛昌景:甲斐の名将
初鹿野伝右衛門
小池五郎衛門:信豊の家老
跡部大炊助
土屋右衛門尉昌次
馬場晴信
片山勘六郎

<上杉家>
<上杉家家臣>
山形秀仙:織田家に使いする

<その他>
房姫:京極家の姫
京極若童子丸:京極家当主
助右衛門:日近村の農夫
随風:諸国行脚の僧
 
 
 
遂に大賀弥四郎が捉えられた。 家康もこの事件に付いては反省するのだが、しかし、もともとの原因はといえば、家康の築山殿に対する態度であろう。 それは駿府に人質になっていた時代に端を発している、どうしようもなく根深いものである。 その意味で、家中の病根は、未だすっかり取り除かれた訳ではないのである。
 
 
天下泰平まであと20巻。

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June 11, 2005

「徳川家康」第5巻 うず潮の巻

「徳川家康」 第5巻 うず潮の巻 (山岡荘八著 講談社文庫)

姉川、三方ケ原と合戦に明け暮れる家康に、家庭を放ったらかしにして来たツケが・・・・・惑乱の一巻。

織田信長の朝倉攻めに付き合う家康。 家康としては、ここで、どうしても、自分の実力を信長にアピールしておかねばならないのだが、家中の一部、特に築山殿にはそれが理解されなかった。 伯父の今川義元を討った信長に尻尾を振っているとだけ見えて、その不満が築山殿をして遂に大賀弥四郎を相手の不倫に走らせてしまう。 
様々な廻りあわせの悪さから築山殿の悲劇が始まった。 しかしここで、決して築山殿一人を悪者にしてはいない作者の視点には共感を覚えるのである。

浅井家の寝返りによって退却を余儀なくされる織田軍だが、岐阜でその留守を守る濃姫は、主君不在の城内で巧みに采配を振るい、防御体制を整える。 戦となれば成す術を知らず右往左往するだけの側室たちと、戦略的思考の持ち主濃姫とを比較する作者の視線は結構シビアだと思う。

姉川の合戦では大活躍をした三河勢。 信長への、と言うよりも天下へのアピール度は充分であったろう。 まさに、三河武士ここにあり! なのである。

そして、武田信玄との三方ケ原の戦いこそは、信玄に黙って枕を跨がせるわけにはいかない、家康の意地を掛けた、一世一代の負け戦である。
家臣達の多くは最初反対したが、家康が一旦こうと決めた後は、従容として戦列に連なった。 壮絶に戦い、ものの見事な負けっぷりをする徳川軍。 襲い掛かる武田軍への恐怖に取り乱し気味の家康は、家臣達の犠牲により、辛うじて浜松城に生還することが出来た。 戦の済んだ後、死んでいった家臣達を想って独り涙する家康。

家康が合戦に明け暮れる間、岡崎城では築山殿の暴走をもう誰にも止めることは出来なかった。 大賀弥四郎との関係に加えて、今度は医師の減敬とも不倫に及ぶ。 その減敬は武田勝頼が岡崎に送り込んだスパイであり、養女あやめを信康の側室にしてしまうのだから、岡崎城はもはや俎上の鯉である。
信康も好い若者なのだが、育てられ方が決して理想的とは言えない。 どうにかならなかったのだろうかと、ここのところは家康を恨みたくもなる。 それにしても、激情に任せて小侍従に斬り付けてしまう信康の姿はあんまりである。

築山殿と大賀弥四郎の陰謀は面白いように進み、遂に武田勝頼の間に密約が交わされる。 家康が、強大な武田家を相手に脇目を振る暇もないのは判るが、その間、家中は大変な事になっているのだと教えてやりたい。 なんとも歯痒い想いが残った。
 
 
 
大久保忠隣 「お館・・・・・本田忠真どの討死なされてござりまする」
徳川家康   「なに、忠真も死んだと・・・・・して、しんがりには誰が
         居るぞ」
大久保忠隣 「内藤信成にござりまする。 殿! いまのうちに早く」
徳川家康   「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         忠隣、正成、返り合せ! 信成を殺すな」
大久保忠隣 「お館!
         お館は何というバカ大将じゃ。忠真どのも信成どのも、
         お館をご無事に城へお返ししたいばかりとお分り
         なされませぬか」
 
 
 
<<あらすじ>>
木下藤吉郎は足軽頭藤井又右衛門の娘、お八重を娶った。 成り上がり者の藤吉郎を嫌う又右衛門に取り入るに当たって、得意の知略を駆使したことは言うまでもない。

上洛を果たした信長は朝倉攻めを開始する。 これには家康も援軍として加わっていた。 織田家と浅井家は、長政とお市の方の結婚で結ばれていたが、朝倉家への義を重んじる隠居久政に押し切られた形で、浅井長政は遂に朝倉家に味方する事を決める。
織田軍は朝倉軍を追って一乗ケ谷に攻め入ったが、浅井家の寝返りによって事態は一気に急転。 腹背に敵を受けて全滅の危機に陥ってしまう。
もはやこれまでと、敵軍と刺し違える覚悟を固める信長に、家康は、ここは一旦退却することを進言する。
浅井軍が来る前に総退却する織田勢。 危険なしんがりを引き受けたのは木下秀吉である。
濃姫は将軍足利義昭の不穏な動きから信長の危機を察知する。 急ぎ岐阜に帰って織田家の防備を固める濃姫。 急場にあたって成す術を知らない側室たちに比べ、濃姫はこの場を巧みに仕切ることが出来たのである。 この辺り、この当主にしてこの妻ありの呼吸である。
一方岡崎城では、命がけで退却する家康の苦労をよそに、夫の戦略を理解出来ず独り悶々とする築山殿が、勘定方の大賀弥四郎を相手に不義を働いていた。

一旦は退却した信長であるが、立ち直りは極めて早かった。 リターンマッチは姉川の合戦。 家康はその布陣に当たって、敵軍最精鋭の朝倉本隊との対戦を所望する。 家康としては、この戦いで自分の実力を信長にアピールしておかねばならなかったのである。 その三河勢の大健闘により戦は徳川織田連合軍の勝利に終わった。

甲斐の武田信玄が遂に上洛の動きを見せ始めた。 家康の領土は、その上洛のルート上に位置するのである。 浜松城に戻った家康は、休む暇も無く武田信玄との戦いに備えねばならなかった。
武田勝頼は家康との戦いに備えて、岡崎城に間諜として医師の減敬を送り込む。 徳川家を内側から切り崩そうと言う謀略である。 減敬は養女あやめを信康の側室として、信康と徳姫を離間させ、一方自身では築山殿に近付いていった。
家康は武田軍と戦うべきか悩み抜く。 元々、どうあっても戦って勝てる相手ではなかった。 武田軍に黙って領内を通過させれば、戦いは避ける事が出来るが、しかし、それでは信玄に向けて尻尾を振った事になる。 徳川家は何処にも帰属してはならない。それが家康の信念であった。
一部の家臣の反対を押し切って、開戦を決定する家康。 三方カ原の合戦が始まる。 当初は健闘した三河勢だが、一旦崩れ始めるとその後は脆かった。 軍勢はバラバラとなり、家康は家臣に守られて辛うじて城に生還した。 多くの犠牲を払って、天下の何者にも屈っせぬ意地を貫いて見せた徳川家康。
その頃、岡崎城では信康があやめを側室に迎えていた。 勝頼の陰謀が、岡崎城内に徐々に食い入る。 減敬と大賀弥四郎のそれぞれを相手に不義を働く築山殿。
浜松城下を通過して侵攻を続ける武田軍であったが、野田城攻めの途中、武田信玄が病に倒れ、退却を余儀なくされる。
いよいよ勝頼と築山殿との間で密約が成立する。 築山殿は岡崎城を武田軍に渡す代わりに、信康には岡崎の領土を安堵し、自分は武田方に保護して貰う条件である。 お万の方懐妊を知った築山殿は、侍女の喜乃にお万の方暗殺を命じる。
信康を慕うあやめは、自分が甲州から送り込まれたスパイであることを徳姫の侍女小侍従にバラしてしまう。
減敬は、不穏な動きに気付いた信康に斬られる。 その信康は武田方の城を攻めて初陣を果たす。 大賀弥四郎はその隙に勝頼軍を場内に迎え入れるべく、手下の山田八蔵を武田方へ派遣した。 大賀弥四郎の陰謀は成就目前。 弥四郎は得意の絶頂にあった。
 
 
<<登場人部>>
<徳川家>
徳川家康:徳川家当主
徳川信康:徳川家嫡子
瀬名:築山殿 元康の正室 今川義元の姪
徳姫:信康の妻 信長の長女
<徳川家家臣>
伊井万千代直政
夏目正吉:三方が原の合戦で家康の身代わりとなる
外山正重:三方が原の合戦で一番槍を付ける
久松弥九郎俊勝:於大の方の夫
減敬:医師 築山殿と不義を働く 実は甲州の間者
向坂五郎次郎:向坂兄弟の次男
向坂式部:向坂兄弟の長男
向坂六郎三郎:向坂兄弟の三男
高木九助
榊原小平太康政
山田八蔵重秀:大賀弥四郎の手下
柴田泰忠
酒井忠次:旗頭
小笠原長忠
小谷甚左衛門:大賀弥四郎の手下
松平家忠
松平康純
松平次郎右衛門重吉
松平与一郎忠正
植村正勝
成瀬小吉
成瀬正義
西郷左衛門佐清員:お愛の叔父
青木所右衛門
石川家成:旗頭
石川数正
倉地平左衛門:大賀弥四郎の手下
村松芳休:笛の名手
大賀弥四郎:勘定方 築山殿と不義を働く
大久保七郎右衛門忠世:忠俊の孫
大久保忠隣:忠世の子
大久保彦左衛門忠教:忠世の末弟
大久保彦忠佐:忠世の弟
鳥居元忠
鳥居三左衛門
鳥居四郎左衛門忠広:「殿! 忠広は臆病でござりましたか」
天野三郎兵衛康景
渡辺半蔵守綱
内藤信成
内藤正成
平岩親吉:信康付きの重臣
米沢政信
本多作左衛門
本多忠真
本多平八郎忠勝:旗本
野中五郎重政:信康付きの家来
鈴木久三郎
あやめ:信康の側室 実は減敬の送り込んだスパイ
お愛:西郷義勝の後家
お琴:侍女
お粂:大賀弥四郎の妻
お万:家康の側室
喜乃:侍女 お琴の妹
小侍従:徳姫の侍女

<織田家>
織田信長:織田家当主
織田信忠:織田家嫡子
濃姫:信長の正室 斎藤道三の娘
お類:信長の側室
奈々:信長の側室
深幸:信長の側室
<織田家家臣>
安藤範俊
稲葉一鉄
下方平内
蒲生鶴千代
佐久間右衛門
佐久間盛政
佐々成政
坂井右近
氏家直元
柴田勝家
松永弾正久秀
森三左衛門可成
菅谷九郎右衛門:岐阜城留守居
生駒八郎衛門:岐阜城留守居
前田又左衛門利家
滝川一益
丹羽長秀
池田信輝
竹中久作:半兵衛の弟
竹中半兵衛:秀吉の軍師
猪子兵助:伊賀者奉行
藤井又右衛門:足軽頭 秀吉の舅
福富平左衛門:岐阜城留守居
平手汎秀:三方が原の合戦で戦死
明智光秀
木下藤吉郎秀吉
矢部善七郎:岐阜城留守居
お八重:秀吉の妻 藤井又右衛門の娘 寧々

<浅井家>
浅井長政:浅井家当主
浅井久政:隠居 長政の父
お市の方:長政の室 信長の妹
茶々姫:長政とお市の長女
高姫:長政とお市の次女
<浅井家家臣>
小野木土佐:織田軍に使いする
礒野員昌:姉川の合戦で先陣に立つ
遠藤喜右衛門:重臣

<朝倉家>
朝倉景隆
<朝倉家家臣>
山崎長門:浅井親子を説得する
真柄十郎左衛門直隆:五尺二寸の大太刀「千代鶴の太郎」を使う
真柄十郎三郎直基:直隆の子 「千代鶴の次郎」を使う

<武田家>
武田信玄:武田家当主
武田勝頼:武田家嫡子
武田信豊
<武田家家臣>
穴山梅雪
山形三郎兵衛昌景:甲斐の名将
室賀信俊
秋山信友
秋山晴信
小山田信茂
小幡信貞
上原能登守
天野景貫
同苗満信
内藤昌豊
馬場晴信

<足利家>
足利義昭:征夷大将軍
<足利家家臣>
細川藤高

<その他>
朽木元網:敗走中の信長一行を泊める
藤野勝楽:本願寺から武田家に派遣された使者
 
 
 
前半は姉川の合戦、三方ケ原の合戦と戦が続くけれど、山岡作品の合戦シーンはそれ程華やかなものでもなく、むしろ、あっさりと描かれる。
一方、後半の大部分を占める築山殿の謀反は、読んでいて、正直辛いものがある。 銃後(?)を守る女性達に対して、いささか厳しいとも感じさせられる作者の視線は、戦中を生き抜いた世代ならではだろうか。
 
 
天下泰平まであと21巻。

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May 29, 2005

「徳川家康」第4巻 葦かびの巻

「徳川家康」 第4巻 葦かびの巻 (山岡荘八著 講談社文庫)

晴れて一国一城の主となった元康だが苦難は尽きない。 内憂外患の一巻。

元康は、忙中自ずから閑ありとばかり、桶狭間の戦いの合間に於大の方と実に16年ぶりの母子対面を果たす。 第一巻からずっと、元康と於大の方親子の成長振りを見守り続けて来た読者としては感無量のシーンであり、その淡々とした描写には素直に泣ける。

長年に渡って岡崎城を占拠していた今川勢だが、まさかの義元敗北に動揺して全軍が駿府に引きあげてしまった。 棚から牡丹餅的に岡崎城を取り戻した岡崎党。 城内の大広間に集い、祝膳を前にして今川軍に城を奪われていた十余年間の苦労を振り返って男泣きする老臣達は、第一巻からひたすらに忠節振りを見せて来た面々だけに、これまた泣かせられるものがある。

晴れて一国一城の主となった元康は、長年苦しめられた今川家とは袂を分かち、以後、織田家と手を携えてゆく。 清洲を訪問して、幼馴染の信長と11年ぶりの再会を果たす元康。 今は互いに一国を背負う身だが、暫しの間少年の頃に帰って語り合う二人。 とにかく、今回は矢鱈と感動シーンが多いのである。

駿府に残して来た瀬名親子は、石川数正の外交手腕で見事に奪回する事が出来た。 しかしこの数正、凄腕であると同時に多情多感で感激屋の面がある。
駿府に於いては今川義元の姪としての立場を誇った築山殿(瀬名)であったが、それは、反今川の姿勢を取り始めた松平家中では何の意味も持たなかった。 かつてのような我侭の通らない事に苛立ちまくる築山殿は、このまま悲劇の坂を転げ落ちてゆくしかないのか。

築山殿との仲が上手くいかくなった家康は、その反動で可禰、お万と側室を増やしてゆく。 当然、築山殿とはどんどん疎遠になってゆく訳で、この辺り、家康と言う人は実に不器用に出来ているのである。
お万は嫉妬する築山殿に打擲される。 見かねた無骨一辺な忠臣本多作左衛門から諫言を受ける家康。 家康としては、こんな野暮なオヤジから色恋の口出しまでされたかぁない・・・とでも言いたい処であったろう。 一体、家康は家臣達から諫言(時には決死の)を貰う事が少なくない。 家臣には極めて恵まれた人と想う。

三河で一向一揆が勃発した。 信長ならば問答無用で殲滅させてしまうところを、家康は辛抱強く対応し、投降する者は無条件に許すと言う寛大な姿勢で臨んだ。 これは於大の方の教えである。
 
 
 
本多作左衛門 「殿! 殿はわしに言葉のすぎたを謝れ
           と仰せられてか」
松平家康    「あやまれと誰が申した。思うところを
           述べよと言うのだ」
本多作左衛門 「なるほど。それでは述べずばなるまい。
           殿は女子に惚れなさるか」
松平家康    「それは・・・・・わからぬ!」
本多作左衛門 「わかっている。色恋にうつつのぬかせる
           殿ではない。
           いや、あるいはそうであったとしても、
           そのような時代でないことを殿はよく
           知りすぎている・・・・・」
松平家康    「また予をそちの算盤で割切ったな」
本多作左衛門 「割切らねば答が出ぬ。したがって殿の
           色恋は遊びなのだ。
           これで城を傾け、家臣の心を失うては
           ならぬと、ちゃんと計算した上の遊び
           なのだ。その遊びで生命がけの女子
           の恋に立向かう。
           ここが大切なところだ殿!
           自分の方では遊びながら、生命がけ
           の白刃に立向かって勝てると思うか、
           殿」
 
  
<<あらすじ>>
田楽狭間での義元討ち死にを未だ知らない元康は、軍務の合間に阿古居の久松家を訪ね、於大の方との16年ぶりの親子対面を果たす。
義元の死は今川軍を動揺させ、岡崎城を守っていた今川勢まで駿府に引き返してしまった。 今や無人となった岡崎城に堂々入城する松平党。 元康は大樹寺の登誉上人の教えを受け、「厭離穢土、欣求浄土」を唱える。
信長は一国一城の主となった元康の器量を試すため、滝川一益に元康の身辺を探らせる。その滝川一益の送り込んだ腰元の可禰をスパイと見破った元康は、可禰をそのまま側室にしてしまう。
清洲の信長を訪問した元康は信長と11年ぶりの再会を果たす。 元康と信長の同盟の始まりである。
駿府では今川家の当主となった氏真がリーダーシップを発揮出来ずにいた。 元康は石川数正を駿府に派遣し、瀬名親子を奪還することに成功する。
今や今川家と袂を分かった元康は家康と改名をする。 一方、実家とも言うべき今川家の衰退振りに焦り始める瀬名は、次第に家康との関係を悪化させ始める。 家康が信じられない瀬名は、気に入りの侍女お万をスパイに使うが、逆に家康に奪われてしまう。
諸国行脚中の怪僧随風が、明智十兵衛光秀と言う浪人を連れて竹之内波太郎の宅を訪れた。 光秀は波太郎に織田家に推挙してもらう。
この頃、三河では一向一揆が勃発した。その鎮定に奔走する家康。 家康の家臣団の中からも一揆に参加するものがおり、これまでにない、信仰を相手の戦いに苦戦を強いられた。 壕を煮やして、殲滅戦に出ようとする家康を嗜める於大の方。
家康と瀬名の不仲はいよいよ本格的となり奥が乱れ始めた。 その反動で、可禰、お万と、気まぐれに側室を増やして一向に落ち付かない家康を嗜める本多作左衛門。
家康の嫡子竹千代と信長の長女徳姫の結婚。 これにより、東進する松平家と西進する織田家の同盟はより強固なものになった。
家康は徳川の姓を名乗る。 東進を続ける家康軍は、吉良御前の守る曳馬野の城を攻める。 吉良御前とは、今は飯尾豊前の後家となっているかつての亀姫である。 甥の伊井万千代を家康に託した吉良御前は、若き日の家康への想いを胸に秘めて曳馬野城の炎上と運命を共にした。 初恋の人、吉良御前を偲ぶ家康に、本多作左衛門は側室としてお愛を推挙する。

<<登場人部>>
<松平家(岡崎城)>
松平蔵人佐元康:松平家当主 松平元康>松平家康>徳川家康と改名
信康:幼名竹千代 松平家嫡子 元康と瀬名の長男
瀬名:築山殿 元康の正室 今川義元の姪
徳姫:信康の妻 信長の長女
亀姫:元康と瀬名の長女
花慶院:田原御前 元康の継母
<松平家家臣>
阿部善九郎正勝
阿部大蔵:老臣
伊井万千代:側小姓
奥平美作
金阿弥;同朋頭
慶琢:祐筆頭
戸田彈正
榊原小平太康政
三宅藤左衛門
柴田七九朗
酒井雅楽助正親:主家想いの賢臣
酒井左衛門尉忠次:元康の叔母の夫
酒井将監忠尚:一向一揆に加わる
酒井与四郎
松平伊忠
松平家忠
松平景忠
松平康忠
松平康定
松平信一
松平甚太郎
松平清宗
松平弥右衛門
松平与一郎忠正
上村出羽
植村新六郎秀安:本多平八郎忠勝の祖父
菅沼伊豆守
菅沼刑部
菅沼新八郎
西郷清員
青木四郎兵衛
石川安芸
石川清兼
石川日向守家成
石川彦五郎家成:安芸の息子
石川与七郎数正
設楽越中
大久保七郎右衛門
大久保新八郎忠俊:豪放磊落な好漢
大久保忠佐
中根平左衛門
長坂彦五郎:血槍九郎と呼ばれる槍の達人
鳥居伊賀守忠吉
鳥居彦右衛門元忠:鳥居忠吉の三男
天野三郎兵衛康景
天野又兵衛:台所人頭
渡辺半蔵:足軽差引物見役 一向一揆に加わる
内藤弥次右衛門
内藤弥七朗:小姓
服部半蔵:足軽差引物見役
平岩七之助親吉
平岩新左衛門
蜂屋半之丞:槍の名人 一向一揆に加わる
牧野康成
牧野惣次郎康成:家康に投降する
本多広孝
本多作左衛門重次
本多半右衛門:お万を預かる
本多彦八郎
本多百助
本多平八郎忠勝
鈴木紀伊
鈴木久三郎
鈴木兵庫
碓氷の方:酒井左衛門尉忠次の妻 駿府で瀬名親子に仕える
可禰:花慶院の侍女 実は滝川一益のスパイ 家康の側室
お万:瀬名の侍女 家康の側室
お愛:西郷義勝の後家
登誉:岡崎城外、大樹寺の住持
祖洞:岡崎城外、大樹寺の豪僧

<久松家(阿古居)>
久松弥九郎俊勝:久松家当主 誠実な好男子
於大の方:俊勝の正室 元康の母
三郎太郎:久松家嫡男
源三郎:次男
長福丸:三男
<久松家家臣>
竹之内久六:実は出奔した水野信近

<熊の若宮>
竹之内波太郎:熊の若宮当主

<織田家>
織田信長:織田家当主
徳姫:長女 竹千代に嫁ぐ
濃姫:信長の正室 斎藤道三の娘
<織田家家臣>
織田信盛
木下藤吉郎
滝川一益
長谷川橋介:隻腕の小姓
太田又介:弓の名手
楓:濃姫の腰元 実は斎藤義龍の間者

<今川家>
今川氏真:今川家当主
<今川家家臣>
関口刑部少輔親永:瀬名の父
吉良義安
鵜殿藤太郎長照:西郡城で元康に討たれる
鵜殿長忠:西郡城で元康に討たれる
万千代:伊井直親の嫡男
三浦義鎮:氏真の色小姓
岡部元信
田中次郎右衛門:義元の敗退後、岡崎城から退却する
飯尾豊前
吉良御前:飯尾豊前の妻 椿 亀姫 竹千代と束の間恋仲に

<水野家>
<水野家家臣>
浅井六之助道忠

<その他>
随風:諸国行脚中の僧侶
明智十兵衛光秀:浪人


登場人物が、また一段と増えたけれど、これは、駿河への侵攻を目論む家康が家中の再編成を行うに際して、主要な武将の名をずらりとあげてみせたためである。 徳川軍、なかなか壮観ではないか。
かつての竹千代の側小姓達が、今では立派な武将に成長して徳川軍を支えている。


天下泰平まであと22巻。

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May 21, 2005

角川俳句4月号

角川書店の「俳句」誌 平成17年4月号を読んだ。

5月も半ばになって4月号のことを書くってのもナンだけれど、ゆっくりマイペースで読んでいたら、今頃になっていたと言う訳だ。

俳句の雑誌と言うものを、日頃は買わないのだけれど、

  大特集 国民的俳句-極め付きの3句
   一流性と一般性を兼ね備えた「国民的俳句」を選ぶ!

と言うのに釣られて手に取ってしまった。 これは、古今の俳句中から、誰からも愛されて質の高い句を、30名の俳人が各々3句選ぶと言う趣向である。
それぞれの選んだ句や、それに寄せるコメントが中々面白かった。 やっぱりその句で来たかと言いたくなるような正統派の選択があるかと思えば、あえて人の選ばぬ句を・・・確信犯的に趣旨を無視してないか?なんて勘繰れるチョイスも・・・取り上げる変化球派もあったりで、読んでいて中々面白かった。
そんな中で、「国民的俳句」として多くの俳人から共通して選ばれていたのは

  古池や蛙飛びこむ水の音    松尾芭蕉

  柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  正岡子規

の2句なのであった。
成る程ねぇ。 さもありなん、と思う。 さもありなんとは思うけれど、これは、例えば自分がベスト俳句などをあげた時に、必ずしも入る句ではないと思う。 これら2句をチョイスした俳人各位にしても、「国民的俳句」と言うちょっと大仰な(?)条件が付いていなければ、なかなか登場する事もないのではないだろうか。 どうだろう?

自分の予ねて好む句、大切にしている俳句というものは、必ずしも一流性と一般性と併せ持つ句とは限らないと言う事を認識した次第。

   ▽▲▽▲▽▲

4月号の企画としてもうひとつ、

  追悼大特集 桂信子の生涯と仕事部屋

が特に読み応えのある内容であった。 自分は、昨年九十歳で亡くなったこの俳人に付いては殆んど知らなかったのだけれど、もっとも有名と思われる句

  ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

  窓の雪女体にて湯をあふれしむ

などは、かつて何処かで読んだ覚えがある。 その他の代表句の数々や、周辺の人々の追悼文ともに味わい深く印象に残るものであった。

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May 16, 2005

「徳川家康」第3巻 朝露の巻

「徳川家康」 第3巻 朝露の巻 (山岡荘八著 講談社文庫)

竹千代改め元康の、家臣と共に生きる覚悟を描く一巻。

駿河の今川家に預けられた竹千代。 岡崎の家臣たちの窮状を気に掛けつつ、人質の身として8歳から16歳までを過ごすのである。 何かと不自由な身ではあったけれど教育の面では恵まれて、学問は大原雪斎、武道は奥山伝心の教えを受ける。 但し、信長がうつけを通していた同じ年頃を、竹千代は終始目立たぬ用心をしていなければならなかった。 この、敵地で過ごした長い歳月が、後のタヌキ親父を生む萌芽となったかもしれない。

岡崎では今川の軍勢が我が物顔の振る舞い、時には乱暴狼藉にまで及ぶ中で、松平家の家臣、岡崎の領民達は貧窮に喘いでいた。 故国の窮状を聞かされ、当主としての責任を自覚し始める竹千代。
亀姫と束の間の恋を味わい、そして義元の肝煎により鶴姫と結婚。 元康の結婚生活は、しかし穏やかではなかった。 何しろ、妻は義元の姪と言うのに自分は今川家の人質に過ぎず、しかも、その妻は出自を笠に来て威張るタイプ(ヤな女)と来ている。 居心地の悪さは並大抵ではないだろう。

やがて、元康に決断の時が迫る。 来るべき義元の上洛戦では、義元本隊の露払いをさせられる運命の松平勢であるが、その際、信長軍と正面切ってぶつかれば全滅は免れ得なかった。 松平家の窮状を救うには、今川家の支配下を強引に去るしかないのだが、その時、妻子を岡崎に連れ帰る手立てがないのである。 万が一の場合は妻子を見殺しにせねばならないとしても、自分一人を信じて十数年間辛抱して来た家臣達が大事と言い切る元康。 元康は、大原雪斎の教えを通して、家臣との信頼関係を何よりも重く見るようになっていたのだ。 それにしても、なんとも厳しい話しである。 そんな内心を義元に悟られぬように警戒しつつ、傍目には泰然自若と構える元康。 早くもタヌキぶりを発揮である。

織田家では、信長のうつけぶりに手を焼く忠臣平手政秀が、新しい時代の到来を確信しつつ諌死を遂げる。 いよいよ木下藤吉郎も登場する。 それにしても、山岡作品の藤吉郎はのっけからスーパーマンぶりを存分に発揮し過ぎて、なんだか他の登場人物達から浮いている気もするけれど・・・
桶狭間の戦いが始まった。 信長は元康を、早くも将来の重要なパートナーと考えていて、その軍勢とは直接ぶつからぬように配慮する。 そして田楽狭間での、織田軍まさかの大勝利。 この一戦により、元康たちの運命が大転換を遂げるのだ。


松平元康   「爺・・・・・
          わしの決心はもう決まって居るのだ。
          打明けよう。他言するな」
酒井雅楽助  「ご本心・・・・・と仰せられるは」
松平元康   「わしはな、妻子には縛られぬ。その域
          からは脱し得た・・・・・
          わしを縛るものは唯一つ、岡崎に残った
          家臣たちの、今日までの忍耐じゃ。
          わかるかわしの言うことが。」
酒井雅楽助  「はい、よっくわかりまする」
松平元康   「わしはな、駿府の城下を離れた刹那から、
          そちらたちだけのものになろう。
          妻も想わぬ、子も捨てる・・・・・」
酒井雅楽助  「殿!」


<<あらすじ>>
信長のうつけぶりに手を焼く平手政秀は、信長が既に自分の理解の届かぬところまで成長を遂げた事を確信して諌死を遂げる。

駿府で人質の身となっている竹千代は武道では奥山伝心にシゴカレ、学問では大原雪斎の教え受ける充実した毎日を送っていた。 ある日、本多忠高の後家が幼子(鍋之助)の手を引いて岡崎から訪ねて来た。 貧しい身なりの後家から岡崎の家臣、領民達の窮状を聴かされる竹千代。

竹千代は元服して松平元信を名乗る。 元信は亀姫に惹かれつつも、今川家の嫡子氏真に弄ばれていたのを承知で鶴姫と結婚する。 やがて、岡崎への墓参を果たすが、歓喜する家臣、領民達に対して何もしてやる事の出来ない元信の心は切なかった。 彼らの為に、いつか妻子を捨てねばならないと覚悟を決める元信。 駿府に戻った元信は元康と改名する。 嫡男、竹千代の誕生。 元康の初仕事となった大高城への兵糧輸送任務は、頭脳プレーで織田方の裏をかき大成功を納めた。

織田家では、木下藤吉郎が早くも頭角を現し始める。 今川家との決戦が近付く中、前田利家は愛智十阿弥を斬って出奔する。 いよいよ義元の上洛が始まった。 木下藤吉郎は信長から、義元軍の行軍ルートを探索する任務を授かる。 そして田楽狭間での、まさかの義元軍敗退。 この大勝利によって、織田信長は一気に全国区へと踊り出た。


<<登場人部>>
<松平家(岡崎城)>
竹千代:松平家当主 元服して次郎三郎元信 改名して蔵人元康
松平広忠:故人 松平家先代当主 最も戦国大名に向かない男
松平清康:故人 松平家先々代当主
瀬名:信元の正室 今川義元の姪
竹千代:松平家嫡子 元康と瀬名の長男
亀:信元と瀬名の長女
華陽院:源応尼 故清康の妻、広忠の義母、故水野忠政の元妻、於大の方の母(複雑!)

<松平家家臣>
酒井雅楽助正家:主家想いの賢臣
酒井左衛門尉忠次:元康の叔母の夫
鳥居忠吉:家臣中の最長老
鳥居元忠:鳥居忠吉の三男 駿府で竹千代の傍に仕える
植村新六郎
大久保新八郎:豪放磊落な好漢
本多平八郎忠豊:故人 広忠の安祥城攻めの折、広忠の身代わりとなって戦死
本多平八郎忠高:故人 忠豊の子 今川の安祥城攻めの折、戦死
本多鍋之助:忠高の子 元服して平八郎忠勝(ただ勝つから、忠勝)
本多の後家:今川の安祥城攻めで戦死した本多平八郎忠高の後家
平岩七之助:駿府で竹千代の傍に仕える 後の平岩親吉
阿部大蔵:老臣
安倍甚五郎
榊原孫十郎長政
石川安芸
石川彦五郎家成:安芸の息子
石川与七郎:後の石川数正
長坂彦五郎:血槍九郎と呼ばれる槍の達人
平岩金八郎
天野甚右衛門
内藤与三兵衛
野々山藤兵衛
内藤小平次
天空:岡崎城下、大樹寺の和尚

<久松家(阿古居)>
久松弥九郎俊勝:久松家当主 誠実な好男子
於大の方:俊勝の正室 元康の母
三郎太郎:久松家嫡男
源三郎:次男
長福丸:三男
<久松家家臣>
竹之内久六:出奔した水野信近

<熊の若宮>
竹之内波太郎:熊の若宮当主

<織田家>
織田信長:織田家当主
奇妙丸:織田家嫡男
茶筌丸:次男
三七丸:三男 茶筌丸とは同日の生まれ
濃姫:信長の正室 斎藤道三の娘
類:生駒出羽の娘 信長の側室
奈々:吉田内記の娘 信長の側室
深雪:信長の側室
岩室:故信秀の側室

<織田家家臣>
平手政秀:平手の爺 信長のうつけぶりを嘆いて諫死する
平手監物:政秀の長男
平手五郎右衛門:政秀の二男
平手弘秀:政秀の三男
柴田権六朗勝家
林佐渡守通勝
前田犬千代:元服して又左衛門利家 愛智十阿弥を斬って出奔
簗田政綱:桶狭間の戦いで今川方の位置を伝える
愛智十阿弥:小姓 美貌で毒舌家 利家に斬られる
生駒出羽
佐久間大学盛重:丸根の砦を守って元康に破れる
織田玄蕃信平:鷲津の砦を守って朝比奈泰能に破れる
藤井又右衛門:足軽組頭
木下藤吉郎:厩の掃除番、沓取り、山林方、台所奉行を歴任
服部小平太:桶狭間の戦いで義元に一番槍を付ける
毛利新助:信長の傍に仕える 桶狭間の戦いで義元を討ち取る
八重:藤井又右衛門の娘
阿松:前田利家の許婚者
お勝:岩室殿の元召使 斎藤道三の側女
大雲:織田家縁、万松寺の和尚

<今川家>
今川義元:今川家当主
今川氏真:今川家嫡子
<今川家家臣>
大原雪斎:今川家の柱石 竹千代の師
関口刑部少輔親永:竹千代を預かる
吉良義安
朝比奈泰能
鵜殿長照
三浦備後守
浅井政敏
岡部元信
葛山信貞
堀越義久
瀬名:親永の娘 義元の姪 鶴姫(勝気) 竹千代と結婚
椿:義安の娘 亀姫(おっとり)竹千代と束の間恋仲に
智源:駿府城下、智源院の住持 竹千代の師
奥山伝心:浪人 駿府城下に寄宿し、鬼コーチとして竹千代を鍛える

<その他>
随風:諸国行脚中の僧侶


松平元康、既に二児のパパである。 長い長い物語りなのだからして、竹千代の少年時代をじっくりと描くのかと思っていたのだけれど、なんだか、あっという間にここ迄来てしまったの感がある。 恋に浮かれず、妻子に流されず、何より家臣を大事にする。 それが元康と言う人である。


天下泰平まであと23巻。

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May 08, 2005

「東京イワシ頭」

「東京イワシ頭」 (杉浦日向子著 講談社文庫)
以前に読んだものを再読。

イワシって何か? 著者の杉浦日向子さんは、それを信じるものにのみ価値やご利益のあるもので、そうでない一般大多数にとっては何の価値もないもの。 そして若干の出費を伴う(只では駄目)モノを、即ちイワシの頭と定義している。(例えば上野広小路の黒焼屋さんで売っている孫太郎虫

江戸風俗研究家の筆者が、小説現代の若手編集部員ポアール嬢を相棒に得て、東京都内の各所に潜む「シアワセの鍵」=「イワシの頭」を訪ねて歩く。
黒焼屋さん、五木ひろしのディナーショー、高級エステ、女子プロレス、国技館の升席、東京都庁の展望台・・・
杉浦日向子さんの、好奇心全開、江戸っ子気質的な向こう意気の強さと、相棒ポアール嬢の脳天気さ加減の組み合わせがとっても好い感じである。 自分は元々、杉浦日向子さんの漫画のファンだけれど、この本に納められている杉浦さんのイラストはどれもカワイクて好きだ。 この本は、素早く一気に読み進めたりしないで、だらだらとページを繰ってゆくのが好いと思う。 杉浦さんの語るテンポに身を委ねてしまうのが、凄く好い気分なのだ。 人によっては、この本を「癒し」系とか呼ぶかもしれない。 自分に言わせれば、この本自体が「イワシ」である。

それにしても、イワシの頭大のシアワセくらいならば、結構あちこちに転がっているものと感心させられる。 但し、それは、こちとらに信心(それとお賽銭)が無ければ決して捕まらないものなのである。 毎回、いわゆるアポなし体当たりレポートを敢行するのだが、生憎イワシではなかったり(スカ)、時には相手がイワシどころかウミヘビで、杉浦&ポ・コンビの方が尻尾を巻いて逃げ出したりもする。

文中、大相撲の若貴ブームに触れていたり、オウムやフセインが冗談のネタになったりで、流石にその辺りは時代を感じさせられる。 もしも杉浦さんが、今もう一度この企画をやるとしたら、一体何をイワシに選ぶのだろう?

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May 05, 2005

「徳川家康」第2巻 獅子の座の巻

「徳川家康」 第2巻 獅子の座の巻 (山岡荘八著 講談社文庫)

「徳川家康」第二巻は竹千代の幼年期~少年期を描く。 竹千代流浪の半生の始まりであり、松平党我慢の一巻でもある。

松平広忠@最も戦国大名に向かない男。 戦には負けるわ、家庭内も上手く行かないわで、相変わらず散々の星まわりである。 周囲に向けても不幸を振り撒き続けて、もう目も当てられない状況が続く。 乱行の末、遂には家臣に殺害されてしまう広忠だが、戦国大名として生きねばならない苦悩から開放された、その最期は意外に安らかなものであった。

一方、幼い竹千代は早くも物事に決して動じない大物ぶりを見せ付けてくれる。 織田家への捕らわれの身で信長との出会いを果たし、今川家の人質となってからは、その存在感で周囲の人々を惹き付け始めた。 その竹千代の性格は、とにかく大物らしいと言うだけで、今ひとつハッキリとしないのである。まぁ、未だ幼児なのだから仕方ないのだけれど。

織田家に捕らわれた竹千代の助命嘆願に奔走する於大の方、そして、今川家の人質となった竹千代の身を案じて駿府入りする華陽院。 作者はこの二人に理想的な女性像を託しているような気がする。 今川家の柱石、大原雪斎と竹千代の祖母華陽院との邂逅。 この二人は、戦国の世を各々異なる角度から見詰めながら、お互い平和を願っていたのことを知る。 やがて、幼い竹千代の教育は当代きっての教養人でもある大原雪斎に託されることになる。

主君広忠を失った松平家に早速介入して来る今川家は、保護と言う美名の下、事実上岡崎城を占領してしまう。 この辺り、大国のエゴに振り回される小国の悲しさが容赦なく描かれるのである。 竹千代を取り返し、主君に頂く日だけを夢見て逆境に耐え抜く松平党の人々。 物語はいよいよ、竹千代を中心に廻り始めた。


織田信長  「人生すべてこれ座興かもしれぬ。
         ところでお許はこんどわしに何を土産に持って参った?」
於大の方  「はい。 母のこころ・・・・・・それ一つでござりまする」
織田信長  「よし、くれい」
於大の方  「差上げまする。 お受け取りを・・・・・・ (涙)」
        「差上げまする。 (涙) 母のこころ・・・・・・母のこころ・・・・・・ (号泣)」
織田信長  「もろうた。もろうた。 (大笑)
         お許の土産をたしかにもろうた。 もうよい (大笑)」


<<あらすじ>>
久松家に嫁いだ於大の方の元に、ある日、竹之内久六と名乗る男が仕官を請うて来た。 会ってみると、水野家を出奔して小川伊織を名乗っていた兄の信近である。 何やら思うところあるらしく、身分を偽ったまま久松家に使えることになる。
戸田家から田原御前(真喜姫)を娶った松平広忠だが、新妻にどうしても馴染む事が出来なかった。 広忠は於大の方を失った傷心の癒えないまま、家臣の反対を振り切って安祥城攻めを敢行。 織田信秀の率いる織田軍の反撃に会い絶体絶命となったところを、本多平八郎忠豊の犠牲によって辛うじて生還する。
一方、於大の方も広忠と竹千代のことが忘れられず、夫久松俊勝の誠実さに応えられない罪悪感に苛まれる日々を送る。
竹千代は今川家への人質としてへ駿府へと送られる途上を織田方にさらわれる。 同行の金田与三左衛門は三河武士の意地を見せて自害した。
一旦は主君から遠ざけられた片目八弥。 お春の犠牲によりカムバックを果たすが、主の心を理解出来ぬまま、遂に広忠を殺害してしまう。
織田方に捕らえられた竹千代の助命嘆願のため、信長に謁見する於大の方。 その信長は城下にうつけぶりを轟かす一方で、捕らわれの竹千代とは不思議と気が合うのであった。 信長、斎藤道三の娘濃姫と結婚。
今川家に岡崎城を取り上げられ、野に放り出された松平党の面々は、安祥城攻めの最前線に投入されて苦戦を強いられる。 激戦の末、遂に安祥城を落として城主織田信広を捉える中、先頭に立って戦った本多平八郎忠高は壮絶な戦死を遂げる。
松平竹千代と織田信広の人質交換を済ませると、竹千代、今度は今川方の人質となった。(やれやれ) 
華陽院、竹千代を案じて駿府入りする。 駿府では関口刑部少輔親永に預けられる竹千代。 親永の娘鶴姫と出会い、元日の賀では義元に気に入られる。 一方、尾張では信長の廃嫡運動が進む中、信秀が急死。 信長はその葬儀の場でも乱行に及ぶのである。


<<登場人部>>
<松平家(岡崎城)>
松平広忠:松平家当主 先代からの今川家寄り 最も戦国大名に向かない男
松平清康:故人 松平家先代当主 広忠の父
竹千代:松平家嫡子
華陽院:故清康の妻、広忠の義母、故水野忠政の元妻、於大の方の母(複雑!)
田原御前:真喜姫 広忠の後妻 広忠とは不仲
楓:田原御前の侍女(性格悪し)
お春:広忠の側室 岩松八弥の元許婚者
随念院:広忠の伯母
<松平家家臣>
酒井雅楽助正家:主家想いの賢臣
本多平八郎忠豊:広忠の安祥城攻めの折、広忠の身代わりとなって戦死
本多平八郎忠高:忠豊の子 今川の安祥城攻めの折、戦死
鳥居忠吉:家臣中の最長老
阿部大蔵:老臣
阿部四郎兵衛
阿部四郎五郎
阿部新四郎重吉
植村新六郎
大久保新十郎
大久保新八郎:豪放磊落な好漢
大久保甚四郎
石川安芸
松平外記
岩松八弥:小豆坂の合戦で片目を失い、以来片目八弥と呼ばれる一途な忠臣 お春の元許婚者
阿部徳千代:竹千代の側小姓 竹千代と共にさらわれる 後の善九郎
天野三之助:竹千代の側小姓 竹千代と共にさらわれる
天野又五郎:竹千代の側小姓 三之助の兄
石川与七郎:竹千代の側小姓
平岩七之助:竹千代の側小姓
松平与一郎:竹千代の側小姓
内藤与三兵衛:竹千代の側小姓
野々山藤兵衛:竹千代の側小姓
金田与三左衛門:竹千代を駿府に送る途中、織田方に奪われて自害する。

<久松家(阿古居)>
久松弥九郎俊勝:久松家当主 誠実な好男子
於大の方:俊勝の正室 松平家離縁後に俊勝と再婚
<久松家家臣>
竹之内久六:久松家に仕官して来た男 その正体は出奔した水野信近

<熊の若宮>
竹之内波太郎:熊の若宮当主 美青年 謎の多い人物

<織田家>
織田信秀:織田家当主
織田信長:信秀の嫡子
織田信行:信秀の子(嫡腹の次男)
織田信広:信秀の子(妾腹の長男) 安祥城城主だが今川方の捕虜となる
土田御前;信秀の正室
濃姫:信長の正室 斎藤道三の娘
岩室:信秀の側室
<織田家家臣>
平手政秀:いわゆる、平手の爺
前田犬千代:信長の側小姓
柴田権六朗勝家:信行派
林佐渡守通勝
加藤図書助:竹千代を預かる

<今川家>
今川義元:今川家当主
<今川家家臣>
大原雪斎:今川家の柱石 竹千代の師
関口刑部少輔親永:竹千代を預かる
吉良義安
瀬名:親永の娘 鶴姫(勝気)
椿:義安の娘 亀姫(おっとり)

<戸田家>
戸田弾正左衛門康光:戸田家当主
戸田宣光:戸田家嫡子
戸田五朗政直:康光の次男


大国の政策に振り回される小国の辛さが、第一巻から引き続いて、これでもかと描かれている。
この第二巻で特に印象的なのは、逆境を耐え抜く松平党の人々の辛抱強さと、幼い竹千代の見せる大物ぶりである。 山岡荘八の描く三河武士像と言うものに注目してみたい。


天下泰平まであと24巻。

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April 29, 2005

「徳川家康」第1巻 出生乱離の巻

「徳川家康」 第1巻 出生乱離の巻 (山岡荘八著 講談社文庫)

山岡荘八の「徳川家康」を読み始めた。 (おそらくは)なにより長いことで有名な、文庫版で全26巻にもなる、あの小説である。

未曾有の長編の第一巻は家康の誕生前夜、両親である松平広忠と於大の方の縁談話しから離別までを中心に話が進んで行く。
しかしこの「出生乱離の巻」。 戦国時代絵巻らしく豪快な戦闘シーンがあるかと思いきや、駿河の今川、尾張の織田と言う大国に挟まれて生きて行かねばならない小国の悲しみを弱者の視点で描いて、全編が諦観に満ちていているのである。
名君と称えられた先代松平康清へのコンプレックスと、やる気まんまんの家臣団の間で追い詰められる、最も戦国大名に向かない男、松平広忠の苦悩。

他家の大名が羨む程の鉄の団結を見せる松平家家臣団は、一人一人が魅力的な、個性溢れる男達として描かれている。 やがては天下の覇者となる三河武士ここにありと言う感じだ。
今川義元と言うと、よく公家かぶれのダメ大名として描かれるけれど、ここでは大国を取り仕切るに相応しい大人の風格あり。
そしてもう一方の織田家と言えば、桶狭間までは弱小国なのだと思っていたら、ここでは今川家に張り合う急進勢力となっているのが意外であった。 その織田家を引っ張るのが当主信秀は、息子の信長を彷彿とさせる猛将ぶりを見せ付けてくれる。 そして、早くも大器の片鱗を見せ付ける吉法師の登場。
まあこの辺は、大国間に揉まれる松平家や広忠のダメ当主ぶりと言う設定を生かす為なのかもしれない。


石川安芸 「殿!」
松平広忠 「なんだ」
石川安芸 「堪忍が大切でござりまするぞ」
松平広忠 「予は堪忍するために生まれてきたのかッ」
石川安芸 「御意のとおりでござる」
松平広忠 「いつまで・・・いつまで堪忍すればよいのだ。 死ぬまでか」
石川安芸 「御意のとおり」


<<あらすじ>>
岡崎の松平家は駿河の今川家、尾張の織田家と言う大国の間に挟まれた中、名君と慕われた先代清康の代から、今川に随身する政策を取って生き抜いて来た。 当代の主、松平広忠は水野忠政の娘、於大の方を娶る事になる。 二大国に挟まれた小国同志、手を携えて行こうという政略である。
最初は政略結婚に頑なだった広忠だが、於大の方の聡明さに、次第に心を開いてゆく。 織田と今川の小競り合いと言うべき小豆坂の戦いと前後して嫡子竹千代が誕生した。 同じ日、岡崎城の片隅ではこれも広忠の子である恵新が側室を母として生まれる。
数年後、於大の方の父、水野忠政が死去して水野家は信元の代となり織田家へ随身する事になる。 勢い広忠は、今川家への配慮から於大の方を離縁せねばならなくなった。
幼い竹千代を残して水野家に戻る於大の方。 最愛の妻との別れから乱心する広忠に、許婚お春を奪われた忠臣片目八弥の悲劇。 その一方で、竹千代が家中の期待を一身に担う。 広忠は心ならずも戸田弾正の娘、真喜姫と再婚する。


<<登場人物>>
登場人物があまりに多岐に渡るので、整理しておくことにする

<松平家(岡崎城)>
松平広忠:松平家当主で先代からの今川家寄り 最も戦国大名に向かない男
松平清康:広忠の父 松平家先代当主で故人
竹千代:松平家嫡子
華陽院:故清康の妻 広忠の義母 水野忠政の元妻 於大の方の生母(複雑!)
於大の方:広忠の正室 水野忠政の娘
百合:於大の方の召使 竹千代の出生時に、於大の方の命により鳳来寺峰の薬師の普賢菩薩を盗み出す
小笹:於大の方の召使
お久の方:広忠の側室 於大の方とはライバル関係
勘六:広忠=お久の方の長男
恵新:広忠=お久の方の次男 竹千代と同じ日に生まれたために生まれて直ぐ僧籍に入れられる
お春:広忠の側室 岩松八弥の元許婚者
<松平家家臣>
酒井雅楽助:主家想いの賢臣
本多平八郎
鳥居忠吉:家臣中の最長老
阿部大蔵:老臣
植村新六郎
大久保新十郎
大久保新八郎:豪放磊落な好漢
大久保甚四郎
石川安芸
松平乗正:お久の方の父
岩松八弥:小豆坂の合戦で片目を失い、以来片目八弥と呼ばれる一途な忠臣 お春の元許婚者
須賀:老女

<水野家(狩谷城)>
水野忠政:水野家当主 今川家寄り
水野藤五郎信元:忠政の嫡子 忠政没後は水野家当主で織田家寄り(悪役!)
水野藤九郎信近:忠政の子 今川家寄りだったが、信元と対立して出奔後は小川伊織を名乗る
水野忠近:忠政の子
<水野家家臣>
土方縫殿助:忠政の寵臣
土方権五郎:忠政の没後、石山御堂に入る
杉山元右衛門:小笹の父
杉山元六
牧田幾之助
芥川権六郎:信元の懐刀 忍者
於俊:土方権五郎の娘 忠政の没後は石山御堂に入るも、小川伊織と出会い出奔

<熊の若宮>
竹之内波太郎:熊の若宮当主 美貌で謎めいたバイプレーヤー
国:波太郎の妹 水野信元に捨てられる

<織田家>
織田信秀:織田家当主
吉法師:信秀の嫡子
<織田家家臣>
平手政秀:信秀の重臣 言わずと知れた吉法師の爺
久松弥九郎

<今川家>
今川義元:今川家当主
<今川家家臣>
大原雪斎:禅僧にして今川家の柱石

<松平家(他)>
松平信定:広忠の大叔父、織田家に随身

<戸田家>
戸田弾正左衛門康光
戸田宣光:康光の嫡子
真喜姫:康光の娘、広忠の後妻に入る

<その他>

随風:諸国行脚中の僧侶 後の天海僧正か?


と言う訳で、第1巻 出生乱離の巻 は竹千代の誕生編と言う事になろうか。
信長や秀吉と違って、最初から周囲に愛され期待されている家康であった。 ただ、その周囲が常に逆境にあって、それを盛り立てて行かねばならない運命を背負わされているのである。 こういった主人公の設定は、この小説が書き始められたのが、戦後間も無くと言う事と関係しているのだろうか? 因みに、自分的にはむしろ、すぐにへこんでイジケル広忠の方に親近感が無くはないのである。

竹千代、未だ赤ん坊である。 しかし、家康よ、早く成長して活躍しろ、などとは思わない。 そのくらい、周囲の人々が魅力的に描かれているのだ。 未だ幼い竹千代と、松平家の人々、その、いじらしいくらい忠義な家臣達にはこれから長い試練が待っている。


天下泰平まで、あと25巻。

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March 13, 2005

「どろろ」

「どろろ」(上/下巻 手塚治虫著 秋田書店)を読んだ。

近頃はコンビニで、往年の名作漫画の復刻版を売っているのを良く見かけるけれど、これもそのひとつである。 ああいった復刻版漫画は、いずれ劣らぬ名作揃いのようで、漫画とは縁遠くなってもう随分となる、自分のような者でも知っている作品がある。 これまでに心惹かれた事も無くはないのだけれど、いかんせん長いシリーズものが多くて、一旦買い始めると切りが無いと思って手を出さずにいた。 それが今回「どろろ」を買ってみたのは、手塚作品が好き、と言うだけではなしに、全上下二巻という手軽さにちょっと安心したから、と言う事もあるかもしれない。

時は中世~戦国時代。 天下取りを狙う父、醍醐景光が妖怪に力を借りる代償として、目、鼻、耳、腕、足、他全身の48箇所をそれぞれ妖怪達に奪われた状態で生まれた百鬼丸。 やがて、成長した百鬼丸は孤児のどろろと二人、行く宛ての無い旅を続ける。 百鬼丸は、身に付けた義手や義足の中に武器を装備しており、妖怪を退治する毎にひとつずつ、身体の失われた部分を取り戻してゆく・・・このプロットは凄く魅力的だ。

自分はこの「どろろ」を、ずっと以前になんらかの形で読んだ経験がある筈である。 殆んど記憶に留めていないのだけれど、それでも、ストーリーの断片や科白の一部、絵などを微かに覚えているのだ。

  百鬼丸 「どろろ、どうしたんだ。 何を考えこんでるんだ?」
  どろろ 「うん・・・・・・マンジュシャゲの花はなぜ血の色に似ているんだろう・・・・・・」

この百鬼丸&どろろのコンビが後に、ブラック・ジャック&ピノコと言う名コンビへと昇華したのじゃあないかな。

妖怪ものとは言っても、そこは手塚作品らしく温かな絵で自分は好きだ。 舞台が中世と言う事で、時代劇と言うよりは昔話しめいた感じのする処も新鮮に感じる。 なにより出て来る妖怪達の、なんとも人間臭い事・・・
滅法腕の立つ代わりに時々へこむ百鬼丸と、小さいけれど負けん気だけは誰にも(妖怪にも)負けないどろろ。
作品全体の中では、どろろと百鬼丸の出生の秘密を語る前半辺りが充実していたのではないかと思う。 妖怪退治を繰り返す後半は、作品の魅力において少し劣るかもしれない。 なにより、百鬼丸と父、醍醐景光との関係もイマイチ掘り下げが甘いのだ。 基本的には百鬼丸の欠落した体を取り返す旅なんだろうけれど、サブテーマとして父との闘争、更にどろろの成長(いずれ隠し財宝を手に入れて、民衆の救世主となる運命らしい)などは未消化のまま、ハッキリせずに終わってしまう憾みがある。 そこは人気漫画家の手塚治虫で、「どろろ」だけに打ち込む事が出来なかったと言う事なのかもしれないけれど。
とは言え、久々に手塚作品を愉しんだ。 ストーリーと絵の共に勝れた、何度でも読み返すに足りる名作と思う。 

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March 08, 2005

芸術新潮 三月号

雑誌の芸術新潮の三月号を買った。 普段は買わない。 習慣にない事をするのは、ラ・トゥールの特集が組まれていたからである。 題して「特集 神秘の画家 ラ・トゥールの夜へ」とある。 折りしも3月8日~5月29日と、国立西洋美術館で「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 光と闇の世界」展が開かれるので、それに併せての企画と思う。(読売オンラインに拠れば、初日開門前から行列が出来たとの事)
ラ・トゥールは自分の好きな画家の一人である。 この人の事は、確か、堀田善衛の著作を読んで知った筈である。  その本に影響されて、自分がフルートを持ち歩く際に使う鞄には、横浜美術館で買い求めた「ダイヤのエースを持ついかさま師」のポストカードを飾ってある。 だから、今度開催される展覧会も楽しみにしていた。 (奇しくも、「ダイヤのエースを持ついかさま師」が展示されるのだ!) とは言え、ラ・トゥールに関しては、堀田善衛経由で得たほんの少しの知識しか持ち合わせがないときている。 だから、芸術新潮のこの特集は、自分にとって大変にありがたいのである。 題材も、宗教的なものと世俗的なものとバランス良く紹介している。 所々、絵の中の見所をクローズアップして見せてくれて、読む者を飽きさせない。 それにしても、絵に付された「イエスぷにゅぷにゅ」とか「いけずな眼差」とか言ったキャプションは、一体誰が考えるんだろう。

特集ではこの他、「如来から隅鬼まで 唐招提寺の多士済々」と題して唐招提寺展も紹介されていた。 先日、東京国立博物館で参拝して来たばかりの盧遮那仏の他、帝釈天、持国天、それから勅額の写真もあって、あの時の感激を思い返す。 この中で盧遮那仏の写真など、実物の荘厳さにはまるで及ばないけれど、まあ無理もない。
この特集で特筆すべきは隅鬼がクローズアップされている事である。 そう言えば、この隅鬼さんたち、会場でも人気を集めていたようである。 そもそも自分がこの雑誌を買う切っ掛けは、のばちゃんさんのブログでこの事を知った事による。 深謝です。> のばちゃんさん その、のばちゃんさん曰く「沢山あった展示物の中から、4ページの特集記事の中で隅鬼を結構大きく扱ってくれたのは芸術新潮の英断!」には自分も同感であります。

それからもうひとつ、「今月のほれぼれ my favorite things」で紹介されている澤田知子<School Day/C>が面白かった。  この人は自分一人をモデルに起用して、女子高校の卒業アルバムのクラス写真を造り上げたのだ。 数十名からなるのクラス全員が(各々髪型や顔つきを変えた)澤田なら、先生もまた澤田である。 それに付けられたキャプションには「櫻の木の下にはサワダが並んでゐる!」、だって。 芸術新潮、なかなかヤルではないか。

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February 25, 2005

「天平の甍」

「天平の甍」(井上靖著 新潮文庫)
鑑真和上の来日は西暦753年。 それに伴って唐招提寺が建立された事などは学校で学んだ。 渡航の度重なる失敗と、その末の和上の失明など、来日を果たすまでの苦労も良く知られている話しであろう。 また先日、自分は東京国立博物館で開催中の唐招提寺展で鑑真和上坐像を拝見し、深い感銘を受けると共に鑑真和上への関心も増したのである。

「天平の甍」は、手にとって見ればそれほどの大著ではないけれど、鑑真和上来日までの二十年に渡る歳月を描いた、中身は堂々たる大河小説と思う。 小説は、和上の渡航を、それに関わった五人の留学僧達の半生を通して見てゆく。
当時、大陸への航海は遭難に見舞われる事が度々であり、文字通りの命賭けなのであった。 そんな悪条件の中、身を賭した留学僧達が乗り込んだのは第九次遣唐使船であった。 いずれも、一旦唐に渡れば十数年は帰国しない覚悟の若者達である。
帰国するまでの長い時間を、一体どのように使うか。 留学僧達の選んだ道は様々であった。 只ひたすら学問に邁進しようと願う者。 寺を出て大陸を歩き回る者。 諦めて望郷の念に焦がれる者。 写経のみに半生を費やす者。 そして、和上を日本に招聘する事に奔走する者たち・・・ 自分は、和上を迎えようとした普照や栄叡だけではない、どの留学僧の生き方にも(多少の差はあっても)それぞれ共感を覚えるのである。 異郷の地に居ながら、それぞれの目的を見つけて生きる人々の姿は、他人の目にどう映ろうとも各々が真剣であり、ギリギリである。 そこに、感動した。
鑑真一行が数度の失敗の末に来日を果たしたのは第十次遣唐使船においてである。 第九次遣唐使船での留学僧達の旅立ちから二十年が経っていた。

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February 04, 2005

「雪国」

「雪国」(川端康成著 新潮文庫)を読んだ。

これまでずっと、雪に縁の無い地域で暮らして来た自分は、子供の頃から雪国への漠とした憧れを持ち続けている。 そんな事を言うのは、雪の降らない地方で生まれ育ったからこそだってことは理解している積もりである。 以前、都内で小雪が舞い散るのに浮かれていたら、雪国出身の友人に呆れられた。 そりゃそうでしょうよ。 傍観者として眺めるのと、その中で生活するのとではまるで違う、判ってますとも~。

とまれかように、訪問者とは身勝手なものなのである。 「雪国」の主人公も、東京での何不自由ない暮らしに飽いた頃、手前勝手に非日常を求めてやって来る。 東京に在っても、実際には見た事の無い西欧の舞踏の評論をやるなど、浮世離れした渡世を選ぶのだ。 (どうでも良いけれど、これは、クラシック音楽の熱心なリスナーであった時代の自分のようではある。 実際の演奏を聴かないうちに、伝記や評論を読んだだけで感激しちゃった。 なんて言う経験が自分にもあるんだ。 生憎と、高等遊民じゃない一般庶民だけれどね。)
非日常の中に現実が見え隠れし始めたら、さっさと東京に帰ってしまえば良いのだ。 手前勝手のフィルターを通して見る「雪国」の冬、そして夏、捨て身でぶつかってくる雪国の女。
だが、主人公から見て非日常に在る女といえども、実際は地に足を付けて生きている。 無論のこと、主人公とてそれを承知しているであろう。 両者の求めるもの、与えるものに付いてのギャップから、女との間に何時か亀裂が生じるのを判らぬ主人公では無い。 二人の関係が決定的な破綻を見るよりも前に、物語は急速に結末を迎えるのである。

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January 21, 2005

ステレオグラム

別に真剣に悩む程の事ではないけれど、自分は昔からステレオグラム(ステレオ写真、立体写真などとも)を観賞するのがもの凄く不得手なんである。
で、昨日職場の同僚に教わったのが(今頃になってかよ!)ランダム・ドット・ステレオグラム(RDS)と言う奴である。 それまで観る度に梃子摺っていた、平行法とか交差法のステレオグラムなどとは違い、これは自分でも直ぐに楽しむ事が出来るのだ。 すっかりハマってしまった。
一見して不規則な点の集まりや、本題とは全く無関係な絵柄を見詰めていると、やがて立体が浮き出て来る。 正に、異世界を垣間見る感じだ。
平行法や交差法が、いろいろと試してきて駄目だったのに、ランダム・ドット・ステレオグラムだとどうして上手く観賞できるのか、自分でも良く判らないでいる。 そもそもが、どういった原理で立体的に感じているのか理解していないのだから、仕方ないけれど。

だんだんと、思い出して来たぞ。
そもそもステレオグラムの事を、自分は尾辻克彦の「カメラがほしい」と言う本で知ったんだ。 この本は、ずっと以前の事、北海道へ渡るフェリーの休憩所に置いてあったのを読んだ。 何しろ船中は暇である。
ステレオカメラ、立体写真と言うものは、一般にあまり知られていないにせよ、それこそ大昔から存在する。 「カメラがほしい」には、立体写真の作例として第二次世界大戦前に撮られた、歴史的に貴重な写真もあったと記憶している。 それは平行法だったと思うけれど、ともかく、どんなに頑張っても自分には立体視は出来なかったんだ。
だから、昨日になって突然、ランダム・ドット・ステレオグラムの世界にすんなりと入れてしまった事は、実に新鮮な驚きだった。 異世界を覗く扉の鍵を手に入れた、なんて言えば大袈裟に過ぎるけれども。

「カメラがほしい」を読んだ数日後、北海道から帰る際にも偶然に同じフェリーに乗った自分は、またしても同じ本を手に取った。 都合二回読んで立体写真もさんざ眺めたけれども、その時は、とうとう立体視は出来なかった。

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January 20, 2005

「猟奇の果」

「猟奇の果」江戸川乱歩著(江戸川乱歩全集 第四巻 講談社)を読んだ。

ごく普通に生活する市民、もしもその前に瓜二つの人物が現れたり、さらに本人を名乗って勝手に動き回るとしたら・・・と言う不安を中心に据えた作品で、二部構成となっている。

前篇「猟奇の果」
最初、犯人の意図がなかなか見えて来ない事もあって、どこと無くユーモラスな(あくまで乱歩にしてはであるが)雰囲気を湛えてさえいる。 退屈で退屈で堪らぬと言う主人公の設定もなかなか好い。 小さな事件が連続する中で、主人公が次第に追い詰められて、この先は一体どうなると言う処で終わってしまう。 自分的には悪くない展開と想った。

後篇「白蝙蝠」
後半では名探偵明智小五郎が登場。 これと同時に、作風もガラリと変化して捕り物が中心となってしまう。 なってしまうと書いたのは、それだけ不満があるからで、明智小五郎ものとなった後半には、前半にあった趣が少しも生かされていないからである。 前後篇を、各々全く異なる二つの作品と思えば、その方がより楽しめるかもしれない。 後篇がこうなったにあたっては、著者や出版社の事情がいろいろとあったようで、後世の読者としては、その辺りも鑑みて味わうのが良いのかもしれない。

先日読んだ「孤島の鬼」が感銘深かっただけに、我ながら今回は点が辛くなってしまったなぁ。

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January 14, 2005

「孤島の鬼」

「孤島の鬼」江戸川乱歩著(江戸川乱歩全集 第四巻 講談社)を読んだ。

これまでに読んだ乱歩作品(と言っても、大した数ではないけれど)の中では最も楽しめた。
主人公は花の東京に暮らす極々平凡な、金も力もなかりけりの優男である。 それがある日、得体の知れぬ犯人によって、理由も知れないまま恋人を殺されてしまう。 そして名探偵が登場するも、彼もまたあっさりと殺されてしまう。 この辺りは乱歩作品に良くある流れと思うけれど、主人公の手記の形を取っている分、恋人を殺された苦悩や、犯人に振り舞わされる恐怖がダイレクトに伝わって来るのだ。
途方に暮れる主人公を救うべく、次は友人が名探偵役を買って出るのであるが、この男、例えば明智小五郎などと違って、マイノリティとしての負い目を背負っている。 この謎めいた男の存在が、小説全体にダークな色合いを与えていると思う。
それにしても、二人が手に入れた人外境便りの不可思議な美しさと来たらどうだろう。 中世の音楽や絵画に見るような無心な境地から成っていて、この部分は、けだし圧巻と思うのだ。

後半は、主人公達が犯人の住まう孤島に乗り込んでの冒険談となる。 探偵小説から冒険小説へと、ガラリと様相が切り替わる訳で、読者である自分にも気合が入る。 舞台となる小島は、本土とは隔絶された一種異様な世界である。 ここでは作者の筆も、トリックなどよりも背景を描くのに熱心のようである。 大勢の不具者が登場するのは如何にも乱歩らしいと言えるけれど、彼らマイノリティを哀しい存在として捉えている処が、これまでに読んだ乱歩作品に見られなかった点であり、物語に奥行きを与えていると思う。

孤島での冒険を終えた主人公の黒髪は、僅かの内に真っ白に変じていた。 もしかしたらこれは、主人公が不具者達の世界に近しくなったと言う意味なのかもしれない、と思った。
それにしても作中、不具者=悪人と言う方程式で作品世界を作り上げているかに見えた作者が、最後に至って、決してそうではない事と言うが知れるのである。 物語のお終いは、これまでに読んだ乱歩作品には見られない感傷的なもので、読んでいて心を打たれた。
これは、異形のロマンスなのである。

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January 11, 2005

「痴人の愛」

「痴人の愛」(谷崎潤一郎著 新潮文庫)を読んだ。
平凡な男が、いつしか悪女に翻弄されてしまうと言う悲喜劇。 しかし、その悪女を育て上げたのは誰あらぬ自分自身なのだ。 女の事を誰が責められよう。 女を好き放題に着飾らせたのも、英語やダンスを習わせて能う限り西洋風に仕立ててやったのも、みな主人公の男なのである。
そうやって女を育成し、自分の思い通りに振る舞っていた積もりが、いつしか、逆に支配されている事態に気付く羽目になる。 だからと言って主人公は、女を手放し、あるいは追い出してしまったりはしないのである。 この、元来平凡な男は、いっそ人生を何者かに委ねてしまって、そのまま滅びの路を歩んで行きたかったのではあるまいか。
いやいや、滅びの美学などと振り被るには、主人公自身があまりに俗めいている。 そしてその分、著者の、伝統的な価値観へと送る惜別の情も、なんだかこう、妙にアッケラカンとした格好で見えて来る。 主人公の、滅多に得られぬものへの憧れから始まったこの手記は、遣る瀬無いような諦観を以って終わるのである。

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January 08, 2005

「赤ひげ診療譚」

「赤ひげ診療譚」(山本周五郎著 新潮文庫)を読んだ。
世を拗ねた若い医師が小石川養生所の名物医師「赤ひげ」と行動を共にする内、真の医療に目覚めて行く過程を軸として、医師達と社会の底辺に住む庶民との交流を描いてゆく。
なんだか、テレビの勧善懲悪タイプの時代劇に良く見るような設定ではあるけれど、中には救いの無い悲惨なエピソードもあったりして、ゴールデンタイムのお茶の間向きばかりとも言えない内容なのである。 扱うテーマが厳しい程、そこに流れるヒューマニズムも力強いものになる・・・ならざるを得ないのだと思う。
赤ひげ達小石川養生所の医師らの仕事は、手術などの治療もさる事ながら、民衆を相手の予防医学には特に重点が置かれている。 赤ひげの時代、衛生に関する知識が乏しかったし、まして保険所などの公的機関が無かったからである。 そもそも民衆の貧困が医療にとっての最大の敵であると嘆く赤ひげの怒りは、やがて、必然的に徳川幕府、武家社会そのものへと向かってゆく。 どうにもならない歯痒さに独り悩み抜く赤ひげ。
この他、精神病やPTSDなど、今日であっても対処の困難な治療も、また赤ひげの仕事である。 例え、完治に至らないと判っていても、常に真っ向から治療に務める医師らの姿は、読者の静かな感動を呼ぶ。

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January 03, 2005

「砂の器」

「砂の器」松本清張著(新潮文庫)を読んだ。
この小説は1974年に映画化されていて、随分と以前の事になるけれど、自分も観た事がある。 また、昨年テレビドラマ化もされて、テーマ曲として使われた千住明作曲のピアノ協奏曲「宿命」共々話題を(自分の周囲のピアニスト諸兄姉の間では)呼んだ。 但し、こちらは自分は観ていない。
自分は昨年12月11日のピアノオフでこの「宿命」のフルート+ピアノ編曲版を演奏していて、その印象が未だ鮮烈に残っている。 この小説を読んでいる間中もずっと、頭の中でピアノ協奏曲「宿命」の断片が鳴り続けていた。 脳内BGMである。
長年の経験と勘、そして不屈の粘りを武器にして、絶望の中から一点の光明を見出して捜査を続ける今西刑事の姿が、その堅実な生活ぶり(昭和30年代の庶民の生活と言えるのだろう)の描写も含めてとても良かった。 現在ならば、こう言った人物は精神論を振りかざすアナクロなタイプとして敬遠されがちなのではないか。 とまれ作者は、この昔気質の刑事を主人公に据えたのである。 テレビ版「砂の器」ではSMAP中居くんが話題を呼んだらしいけれど、もちろん彼は刑事役ではない。 原作の通り今西アナクロ刑事に焦点を当てたような演出は、もはや成り立たない時代になっているのかもしれない。
捜査の手掛かりは色々と、読んでいてちょっと不自然に感じるくらい頻々と今西刑事の周辺に漂っている。 但しそれらは、本人が粘り強い努力を重ねた末でなければ決して手に入らない筋立てになっている。 ここら辺り、幸運の女神は努力を惜しまぬ者だけに微笑むとでも言いたげではないか。 今西刑事と事件との間には運命的なものを感ぜずにはいられない。 そう思うとテーマ曲の題名「宿命」と符合して来るようで気になるよね。 やはりテレビも観ておけば良かったか・・・
もう一方で、これは、新時代の旗手として脚光を浴び続ける一方で、その実、虚飾にまみれている文化人達の物語である。 作者の視線は、そういった者達に批判的であり、また、その陰で犠牲となる人々への視線は優しい。
今西刑事の、文字通りの東奔西走の後、遂に犯人に辿り着く辺りは読んでいて興奮した。 但し、その後、逮捕状請求に至るまでの捜査の部分はいささか興を削ぐ。 (巻末の解説でも指摘されているけれど) 捜査もこの段階まで来ると大掛かりな捜査陣と科学者が投入されて、今西刑事も経験と勘のベテラン刑事から、大掛かりな捜査陣の中心人物へと役割が換わってしまうからである。
感銘の大きい一冊であった。

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December 22, 2004

「ニッポニア・ニッポン」

「ニッポニア・ニッポン」杉浦日向子著(ちくま文庫)を読んだ。 1980年代に発表された、何れも明治時代以前の日本を舞台とした短編漫画集である。
自分は杉浦日向子の漫画を好むけれど、何処がどう良いとか言った説明をするとなると難しい。 何しろ、扱うテーマが換わる毎に絵の印象もガラリと変えてしまうのだ。 漫画家として、決して一定の画風、スタイルに落ち着かない人のように思う。
構図、各コマから時に流れ出る余韻がとても心地好い。 気に入った作品を何度か繰り返し読む内、ストーリーなどはどうでも好くなって、気が付けば特に気に入った一つのカットにじっと見入っていたりする。 漫画と言うよりは、掌編の小説を読んだ気分にさせられるんだ。
収録作品 「殺生」、「夏草とリボン」、「夢幻法師」、「馬の耳に風」、「月夜の宴」、「冥府の花嫁」、「湯治湯にて」、「鏡斎まいる1」、「鏡斎まいる2」、「前夜」、「安らかな日々」

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December 18, 2004

「悪魔の紋章」

「悪魔の紋章」江戸川乱歩著(江戸川乱歩全集 第十一巻 講談社)を読んだ。
先日読んだ「緑衣の鬼」に引き続いての乱歩作品である。 なんともまあ凝りに凝ったトリックに、捜査陣も読者である自分も翻弄されまくった一巻であった。 でもねぇ犯人さん、この10分の1の労力で充分に目的は遂げられると思いますよぉ・・・ハハ。 とまれ天才的犯罪者の手に掛かると、犯罪の大小に関わらずコトは簡単に遂行する訳にいかないのでしょうね。 天才の苦悩は凡人には分からんのだぁ!
名探偵が好んで周囲を煙に巻きたがるのは「緑衣の鬼」と同じである。 こういうのが江戸川乱歩のスタイル、乱歩調(お、この表現気に入った!)なのであろうか。 物語としては全く救いの無い話しなんであるが、作者の興味は専ら犯罪のトリックの方に注がれている。 最後、犯人を罪に駆り立てた事情への思いもさることながら、前代未聞のトリックを賞賛せんばかりの名探偵。 この辺がまた乱歩なんだろうね。

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December 09, 2004

「緑衣の鬼」

「緑衣の鬼」江戸川乱歩著(江戸川乱歩全集 第十一巻 講談社)を読み終えた。
日頃は推理小説に縁の無い自分であるが、江戸川乱歩その人にはなんとなく興味があって、何か読んでやれと全集の一冊(この際どれでも良かった)を図書館で借りて来た。
この小説にはかの有名な明智小五郎は出て来ないけれど、それを彷彿とさせる名探偵の乗杉竜平が登場する。 それにしても、乱歩の描く名探偵ってのは、もう嫌味なくらいクールだねぇ。 そういったキャラクターが歓迎された時代(昭和11年~12年当時)なのかもしれないけれど。 そんな、冷静沈着で時に人を食ったような言動をみせる探偵とは対照的なキャラクターとして、商売柄に似合わぬ多血質と言える探偵小説作家の大江白虹を登場させたのは、作者の優れたバランス感覚の賜物であろうと思う。
乱歩作品の常と言うべきか、説明が一々回りくどい気がするけれど、古い推理小説なので、まぁ仕方ないか。 随分と凝った筋立てだけれど、通勤途上にぼんやりと読んでいてさえ、話に付いて行けなくなると言う程でもない。 この辺の手際の鮮やかさが乱歩を読む醍醐味・・・とか言い切る自信の無いのが、我ながら情けない処ではあるなぁ。 とまれ、乱歩読みとしてはまだまだの自分である。

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December 04, 2004

「古今東西 陶磁器の修理うけおいます」

「古今東西 陶磁器の修理うけおいます」甲斐美登里著(中央公論新社刊)を読んだ。
陶磁器の金継ぎには、以前から興味があったのである。 興味と言うのは、技術そのものよりも、そういったものを受け入れる(育て上げる)文化に対してであるが。 この本は、一介の骨董好き(但し筋金入りの)であった甲斐さんが、長年憧れ続けた金継ぎの技を、様々な紆余曲折の末に身に付けて、遂に店を構えるまでを自伝風に綴っている。

 月も雲間のなきは嫌にて候  村田珠光

と言う茶道の言葉をこの本で知った。 一体、金継ぎと言うのはヨーロッパ的な美意識からすると、全く理解の外なのだそうな。 そういった事に付いては自分なども、さもありなん、くらいには思うけれど、英国で陶磁器の「修復」技術を習い、英国美術骨董修理修復家協会の会員にもなった甲斐さんの体験談からは読んで考えさせられる事が少なくない。 それにしても、一方での美がもう一方では醜になってしまう文化のギャップと言うのは興味深いと言うか、はたまたオソロシイと言うべきか。
文章は機知に富んでいて、読み進めるが実に楽しい。 但し、こちとらに理解力の乏しいせいか、肝心の修理の技術に関しては今ひとつ良く理解出来なかった。 だから、陶磁器の金継ぎとは何か?を知るのに好適の書と言う訳でもないと思う。 むしろ、ユニークな経歴を持つ甲斐さん独自の視点から語る日本とヨーロッパの骨董品修理修復事情が実に興味深い。 あと、文章を読む限り、かなり強気なタイプとお見受けして、ハテナマークが脳裏に瞬いた事が何度もあった。
甲斐さんの修理の対象は、高価な陶磁器ばかりでなしに、廉価ではあっても持ち主が愛情を持って使ってきたものが多いと言う。 自分も、身の回りの陶磁器が割れなどしたら甲斐さんのような修理屋さんに持ち込んで金継ぎして貰いたいくらいの気持ちでいるのだが、いかんせん愛情を持って接しているような陶磁器など一つも無いのに気付いて愕然とするばかりである。 総じて、とても楽しめた本であった。

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November 28, 2004

「アポロってほんとうに月に行ったの?」

「アポロってほんとうに月に行ったの?」 エム・ハーガ著 (朝日新聞社刊)を読んだ。
NASAのアポロ計画で宇宙飛行士達が月面で撮影してきた映像は捏造、つまり地上のスタジオで撮影したされたもので、月に行ってきたなんて真っ赤な嘘だったって説があるそうで、その一々に付いて資料を上げて解説している。
でも、論拠としては苦しいなぁ。 「写真のトリックを見抜く」みたいな持っていき方は、テレビの超能力やUFOもの番組を思わせてガックリ来てしまうし 『「信じる」「信じない」は、あなた自身の問題です!』なんて言葉を何度も繰り返して、低姿勢なのもイケマセンです。
昔々、「カプリコン1」と言う映画を観た事がある。 この本の中でも紹介されているけれど、火星有人飛行の失敗を隠そうとしたNASAが、宇宙船内や火星着陸地点のセットを組んで宇宙飛行士たちに演技をさせ、その映像を公開してミッションが成功した事にしてしまおうとする陰謀話しであった。 映画の方は痛快な秀作であったが、それに比して、「アポロってほんとうに月に行ったの?」は、世の中に流布する『アポロは月に行かなかった』説を寄せ集めましたと言う程度の、安直な本ではないかと思うのである。

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November 25, 2004

「風流江戸雀」

杉浦日向子の「風流江戸雀」(新潮文庫)を読んだ。
江戸時代の人々の暮らしを描いた作品を、杉浦日向子は幾つもものしているけれど、この作品のユニークなのは江戸時代の川柳を漫画化していると言う事。
江戸時代の川柳の中で、今日にも通じる内容を持つものは少なくないと思うが、それを育んだ江戸時代の文化風俗までを偲ぶのは至難の業である。 ここには川柳を手掛かりとして、江戸庶民のドラマが活き活き描かれている。

  ばかめらと雪見のあとにのんでゐる

  れてゐてもれぬふりをしてられたがり

これが1988年の文春漫画賞を受賞したと言うから侮れない。 無論、文春漫画賞の方がである。

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November 18, 2004

大塔宮

新太平記に登場する大塔宮で想い出した。 かなり前の事になるが、鎌倉に遊びに行った折に護良親王その人の墓所を訪れた事があるのだ。 太平記の時代の事など、今日では知る人の方が少ないかと思うけれど、ここは名所のようで、確か近くのバス停の名前からして「大塔宮」と称したのではなかったか。
あの界隈は観光地・・・もとい神社仏閣と住宅が軒を並べている訳だけれど、そんな周囲から隔絶するようにもっこりと盛り上がった小山の天辺が、後醍醐天皇第一皇子の墓所であった。 良く茂った木立の他には辺りに何も無いのが、孤高を守って散っていった大塔宮に相応しいように思う。 次に訪れる事でもあれば、新太平記で受けた印象から、感慨を新たにするに違いない。

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November 17, 2004

「新太平記」

山岡荘八の「新太平記」を読んだ。
これまでに織田信長、異本太閤記と山岡作品を読んで来た中では、この作品が最も優れていると思う。 なんと言っても前半、大塔宮の逃避行から勝利までが好かった。青春の輝きと挫折。
そして楠木正成。 この小説では天才的な戦略家にしていささかの私利私欲も無しに勤皇一筋、完全無欠の武将のとして描かれていて、序盤から中盤にかけて鬼神の如き大活躍をする。 正成があんまり凄いので、湊川の戦いで彼が戦死した後は途端に物語が詰まらなくなった。 何だか、諸葛孔明亡き後の三国志のようだね。
正成の後を引き受ける形の新田義貞を、それにしてはあまりに魅力の無い人物として描いてしまったのも辛い処だ。 物語は新田義貞の戦死の辺りで終わっているけれど、これではあまりにも中途半端な気がする。 いっそ正成の最期で止めておけば良かったのではないか、とも思う。 総じてかなり面白かったけれど、終盤が今ひとつなので、ちょいとばかり物足りなさも残った。

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