August 10, 2017

小説:高円寺純情商店街

 
 
高円寺純情商店街
 
 
  ・天狗熱
  ・六月の蠅取紙
  ・もりちゃんのプレハブ
  ・にぼしと口紅
  ・富士山の汗
  ・真冬の金魚
 
     ねじめ正一著
 
        1986年   日本
 
 
商店街ってのはイイものです。
これという目的が無くっても、一旦入ってしまえば愉しくなって時間を忘れてしまう。 なので、一旦入ってしまうと、これが中々出ては来れないんだよね~。

私が昔住んでいたところの隣駅には、それはそれは大きくて素晴らしい好い商店街があって、時折遊びに行ってました。 未だ、栄えているんだろうか?
今住んでいるところの隣駅にあたる京成大久保駅の付近にも、立派な商店街がありまして、ここも好く訪れます。
一方、京成谷津駅前のは、規模は小さいけれど、綺麗に整備されており、BGMにジャズが流れたりする小粋な商店街です。 ここも偶に行きます。
で、我が地元はと言えば、私が当地・津田沼に引っ越して来た時、既に商店街は姿を消していました。

wikipediaで「津田沼」を検索すると「津田沼戦争」(大手スーパー同士の生き残り合戦)なんて項が出て来るくらいで、市場として決して小さくはなかったと想うんですけれど、津田沼駅前の周辺に24時間(または深夜まで)営業の大型スーパーが続々と出来ちゃいましたからね。 商店街にあるような小店舗なんてひとたまりも無かった筈。
ともあれ、便利さの代償として失ったものは少なくないと想いますね。

        ▽▲▽▲▽▲

本書は詩人、ねじめ正一の自伝的内容の連作短編集です。
著者が多感な少年時代を過ごした当時の、高円寺駅前の商店街。 その内の一軒、削り節が評判の江州屋乾物店。 そこの一人息子・正一少年の視点から見た商店街、父と子、家族、商店主たちの姿。

乾物屋に生まれた子として、手伝いは日課のうちです。 正一少年にもいろんな役が、当たり前のように割り振られます。
他にも往時の乾物屋ならではの、深刻な湿気との戦い。 大手の乾物屋との受注を巡る戦い。 などなど、子供ながら(主として、店の存続に)あれこれと心を痛めます。 大変だねぇ。
その他にも、店員の青年の実らぬ恋に心を砕いたり、隣に化粧品店の仮店舗が出来たら周囲の情景が一変して見えちゃったり、家風呂が壊れて銭湯に行くようにしたら・・・・などなど、純情とはまさにこれです。

文章が流石に綺麗で、読んでいてなかなか気持ちの好い一冊でした。
野菜は八百屋で、鮮魚は魚屋、そして鰹節やタマゴは乾物屋でひとつひとつ買い求めていた頃(って、ボクなんかほとんど覚えていないけれど)の、昭和の商店街・純情だった少年の姿です。
 
 

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August 07, 2017

小説:下町ロケット

  
 
下町ロケット
 
 
   池井戸潤 著
 
       2010年  小学館
 
 
この小説のこと、以前、電車の車内広告やなんかで見たことがあるのを覚えています。
出版社としても大いに力を入れて、肝いり大プッシュしたのではないでしょうか。 ドラマ化もされていますね。

「下町ロケット」と聴いて、こちらで勝手に想像していた、小さな街工場のベテラン職人さんが技術を武器にして不可能との戦い・・・・とかではなかった。
これは、どちらかと言えば 中小企業 VS 大企業 の戦い(納品に至るまでの)だね。 こちらの方が、いっそ現実的なのかもしれないけれど。 ともあれ表題から想像していたのとは、大分違っていました。

        ▽▲▽▲▽▲

小さな町工場のオジサンが一念発起して、長年鍛え蓄えた匠の技で宇宙ロケットを打ち上げる、くらいに考えていたのが、実際は(こっちが勝手に想像していたよりも)もうちょっと大きくて現代的な企業の、ロケットに搭載するある部品(だが、とても重要な)を大企業に納品するお話であったんですね。 たしかにこの方が現実的ではあるわいな。

主人公である経営者の考えなきゃならないことは、技術者出身若社長の夢と言うよりもむしろ、お金・資金・特許・訴訟・ワナと騙し!・幹部の思惑・若い世代との乖離・などなど。 もはや経営者の視点で、せつなくて気の毒になってくるよ。

小説として、読者の期待を裏切るという意味では(ある意味)成功と言えるかもしれませんね。 オモシロいけれど、でも、自力でロケットを打ち上げるとか言う話ではなかった。
ただねぇ、小説は善悪の違いがくっきりとし過ぎです。 あまりにも人間描写が浅くって、もはや非現実的と言えるレベル。 登場人物がイイ奴/ワルイ奴に二極化されていて、これじゃぁ勧善懲悪の世界だよ。

主人公が技術者を志すも、いつしか経営者になっていて、今ではお金の心配ばかりしなきゃならなくなっている皮肉。 その悲哀は好~く判ったけれど。 ともあれ、読む前に想像していた内容とは大分違っていましたねぇ。
 
 

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April 15, 2017

小説:八日目の蝉

 
  
八日目の蝉
 
 
   角田光代 著
 
               2007年
 
 
ワタクシの中で、堅~く封印しておいた筈の角田光代作品。
以前『おやすみ、こわい夢を見ないように』(2006年)を読んだ折り、十二分に懲りてはいるんですけれど、その題名に惹かれて、つい(またしても!)手に取ってしまいました。 はぁ~。

お話しの内容、これが突拍子も無いものなんですけれど、でも、妙にリアリティを感じますね・・・・ひょっとして、本書を書く際にモデルとした事件とか、あったのでしょうか?

小説の序盤、世にも不幸な運命に弄ばれる主人公の選んだ道は・・・・世間一般の価値観、正義/倫理などから見て、あからさまに相反している、ある行いでした。

結果、主人公の数奇にして長~い逃避行が始まるのですけれど、でも私はこの間のシーンの一つ一つに魅了され、いつか夢中になって読み耽っていました。

主人公の選択、それはもう明白に許されざること、絶対ワルイことに違いないんですけれど、でもそこに、ある種、昇華された美しさを感じ取ってしまう。
どこか奇妙な感覚を味わいつつも、強烈に惹かれてしまったんですね。

文章が、静謐で抑えたものであるのに対して、ストーリー展開の方は、もう怒濤のそれ。
スゴイですよ、このお話しは。

ともあれ、私がこれまでに読んだ角田作品(と言っても、連作短編集『おやすみ、こわい夢を見ないように』の一冊のみナンですけれど)とはハッキリと違う味わいです。

これが前半。

        ▽▲▽▲▽▲

明確な二部構成を取っている本書。
後半になってから、かつての私が(『おやすみ、こわい夢を見ないように』で)体験したのと同様の、どよ~んと厭世的な角田世界に突入します。 あちゃ~。

ホント、虚を衝かれた格好でしたよ。
マァ、こうなるよね。 角田作品だもの。(笑)

そうは言っても、ここまで来たら、今更引き返せませんって。
後はひたすらに強行突破。 読破する以外の道は考えられませんでした。

結局のところ、私がかつて読んで辟易した角田ワールドに、またしても連れ戻されることに。 トホホ。

        ▽▲▽▲▽▲

そうは言っても、小説のお終いまで、私はキッチリとお付き合いしましたよ。
哀れな主人公の運命が気になってしまって、このまま放り出すわけには行きませんって。

相変わらずの完全なる女性視点に、終始傍観者の気持ちで立ち会ったワタクシ。
それにしても容赦の無い運命、と言うかプロットにみちみちた小説ですなぁ。

措辞、修辞の巧みさは相変わらずで、やっぱりこの作者の小説力は凄い、と再認識させられました。
好い小説には間違いありませんけれど、今回もまた、なんかこう、複雑な後味が残っちゃいましたね。 
  
 

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March 26, 2017

小説:復活の日

 
 
復活の日
 
 
   小松左京 著   1964年
 
 
いつ何処で聴きかじったのかは忘れてしまいましたけれど、人類最大の脅威と言えば・・・・犯罪・戦争・飢餓・自然災害から野生動物といろいろとあれど、細菌・ウィルスなどの微生物がトップなのだそうで。 奴ら、確かに有史以前から、他の何よりも多く人のを苦しめ、また命を奪って来た、人類の仇敵なのかもしれません。

小松左京、初期の代表作である本書。
熱心なSF小説ファンであった父の書棚にも、これがあったような(微か~な)記憶が。
が、なにしろ若きSF作家が全力投球で書き下ろした野心作ですからね。
ガチなハードSFで、生憎と子供に興味の持てるような内容ではなかったです。
以来、手に取にすることもなかった「復活の日」ですけれど、それを今頃になって読んでみたんです。

※ 時は冷戦時代、某国が軍事目的で開発したウィルスが外部に流出。
ウィルスは歴史上例の無い程の高い致死性と増殖力とを持ち、感染したものは次々と正体不明(当初は)の病気に倒れ、死んでゆく。 瞬く間に世界中に蔓延した結果、人類を含むほぼ全ての動物が死に絶えてしまうのだが・・・・

壮大な破滅ものSFでした。(今風に言えばディザスター・パニック小説ってところでしょうか)
条件さえ揃えば、驚く程短期間に広がるのがウィルスというもの。
まして、軍事目的で創られたが故に、感染力も致死性も圧倒的で、新種故(また、ウィルスってのは次々と変種が現れるだけに)対策が容易でないときています。

なにしろ冷戦当時の小説です。 実際に、どこか大国の研究機関が造っていたとしても、ちっとも不思議ではない生物兵器。
それがきっかけとなって、人類が全滅の危機に・・・・
この顛末が、博覧強記のSF作家によって、一つ一つ理詰めで、論理的に展開されるだけに、リアリティと怖さはいや増すワケですね。 お話はその分、若干お固くもなっているんですけれど。

主人公こそ日本人ですけれど、その他の登場人物や舞台などは国際的。 ストーリーは世界各地で進行します。
大阪万博まであと6年前と言うタイミングで記された本書。 ネットでつながった現在とはまた異なった、世界的な視点への志向を感じますね。
ややお固い文体は、あるいは純文学を意識していたんじゃないかと、私は思います。
SFってものが、未だ異端視されていた時代ですから。

ところで、バイオテクノロジーが一般的なブームとなったのって、いつ頃でしたっけ?
もう随分と前のような気がしますけれど、ともあれ、本書の発表当時は(バイオもそうですが)パンデミック、感染爆発、スーパースプレッダーなどと言う言葉(概念)自体、未だ一般的ではなかったと想います。
そんな時代に、細菌・ウィルスによる破滅をテーマにした長編ハードSFをものした小松左京の慧眼。

ウィルスと聴けば、まずはコンピューター・ウィルスを連想してしまう現代ですけれど、日頃から納豆を好んで食し、ヨーグルト造りにはまり、漫画「もやしもん」を愛読し、更に先日、風邪にこっぴどく悩まされた身としては、意外に身近であり、共感し易いプロットを持つSF小説でした。
 
 

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September 01, 2016

読書:最後のクレイジー 犬塚弘

 
 
最後のクレイジー 犬塚弘
 
  ~ ホンダラ一代、ここにあり! ~
 
 
 
    犬塚弘、佐藤利明 著
 
 
        2013年   講談社
 
 
 
「ハナ肇とクレージーキャッツ」のベーシスト、犬塚弘の一代記です。
元々は東京新聞の夕刊に連載していたエッセイを、一冊にまとめたものなのだそうで。
執筆の当時、他のクレージーキャッツメンバーが(そして関係者の多くも)既に鬼籍に入っていた為、表題も「最後のクレイジー」と。

犬塚弘(1929年生まれ)その人の生い立ちから、クレージーキャッツの結成と活躍。 当時創成期にあったテレビ界の寵児となり、息継ぐ間もないほど忙しかった超売れっ子時代。 そして、各々のソロ活動がメインとなるクレージー後期から現在までを描きます。
こうしてみると、クレージーキャッツの歴史ってそのまんま、戦後ジャズ史であり、芸能史であり、なによりテレビ放送の歴史なんですね。

七人編成の「ハナ肇とクレージーキャッツ」ですけれど、犬塚弘に言わせれば、その人気は三人のメンバーの力に因るのだとか。
豪快な印象のリーダー・ハナ肇。 その素顔は(やはり)ガキ大将/お山の大将であったようで。
個性派の谷啓は、天性のギャグメーカーであった反面、極端にシャイで神経質な男。
人望と明るさで圧倒的な人気を得た植木等。 でも、その素顔は繊細で悩み多き人であったのだとか。

この三人が、クレージーの中心という訳ですけれど、中でもハナ肇は(ジコチュー故に)グループの和を乱してしまいがち。 そこで、他のメンバーとの仲を取り持つべく、ハナの女房役を買って出たのが犬塚弘でした。 バランス感覚に優れ、なにより、ご自分の立ち居地を心得てられるんですね。 犬塚弘、ジェントルで、そして気骨の人でした。

さて、一時代を切り開いたパイオニアのお話と言うのは、すべからく傾聴するに値するものなんであります。
草創期のテレビ放送業界にあって、「おとなの漫画」、「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演を果たし、全国区の人気を確立したクレージー。
全盛期クレージーのコミックバンドとしての活躍、私もテレビで見ていたのかもしれませんけれど(不覚にも)全く覚えていません。 動画サイトにあった(便利な次代になったもので)演奏を見てみましたけれど、なるほど!スゴイもんですね!!
こういう番組を、リアルタイムで味わった当時の視聴者。 なんてラッキーなんでしょう。

ジャズバンドとして確かな実力を持つ一方で、それをアッサリ(惜し気もなく)ぶち壊し、ギャグへと昇華(それもスマートに)してみせる、この思い切りの良さ!
こういうのって、余程粋で、お洒落で、なにより実力がなくっちゃ出来ませんよね。 彼らの後継者がなかなか現れないワケだ。

元々、メンバーのソロ活動が目立つクレージーキャッツですけれど、犬塚弘はやがて(五十代も後半となって)本格的な俳優の道へと、大胆な転進を果たします。(当時、あたかも第二の青春を往くかのような高揚感があったと言います)
本書には、テレビ/映画での大活躍が収束して以降の、云わばそれからのクレージー。 功成り名遂げて後の、メンバー各々の活躍。 そして、来し方を振り返っての感慨について頁が割かれており、そこがなにより印象的でした。
 
 

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December 17, 2015

小説:白いへび眠る島

 
 
白いへび眠る島
 
 
  三浦しをん 著
 
 
     2001年  角川書店
             (初出時の題名は「白蛇島」)
 
 
三浦しをん 作品。 私はこれまでに「まほろ駅前多田便利軒」、「風が強く吹いている」、「舟を編む」などを読んで参りました。 本書「白いへび眠る島」は、それらとはかなり違います。 ライトタッチなホラーと言うか、あるいは伝奇小説と言いますか。
読んでみて、ストレートに不快感を与えるようなシーンや極悪人の見当たらないところは、やはり三浦しをん。 「まほろ~」や「舟を編む」のようなドハマリはしませんでしたけれど、、ゆっくり/じんわりと愉しめました。
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
※ 拝島。 近海に浮かぶ、この小島にあって、「奥」と俗称される、ごく小さな集落に生まれ育った、主人公の悟史。
人とは異なる感受性を持って生まれた彼は、拝島に古くから棲むと言う、妖異らや もののけ の存在を感じ取れてしまうんです。

そういう特異な体質ゆえ、内省的な少年へと育った悟志。
見たくもない妖異が見えてしまう、この鋭敏に過ぎる体質に悩む悟志はやがて、島から逃げるように本土の高校へと進学して、寮生活を送ります。
自然、島とは距離を置くようになって、今では年に数回帰省する程度に。

悟志、高校三年生の夏休み。 この年は地元・荒垣神社で十三年毎に行われる大祭にあたり、更に神主が代替わりすることもあって、「奥」集落中がこれまでにない昂ぶりに包まれていました。
そんな中に帰省した悟志は・・・・

        ▽▲▽▲▽▲

この小説、一篇の中に青春ものの要素と、ホラー要素の同居しているところが特徴です。

お話しの舞台となる「奥」は、ごく小さな集落故、人と人との繋がりは極めて濃厚です。
が、それを殊更窮屈に感じるでもなく、古くからの仕来りも、ごく当たり前のこととして継承してゆく若者らの姿。
そこには暗さ/閉塞感ってものがありません。(じわじわと迫り来る過疎化にも、危機感がないですしね)
なにより、こういう穏やかな環境/恵まれた自然の中で暮らす光市たちの日々って、実に愉しそう。 私は素直に、羨ましい人生だなァと想いました。
こういう温和な空気感を描くのは、三浦しをん ならではですね。
 
ともあれ、本書に登場する若者らが、残らず飾り気なく質朴で居る中で、屈折した心情を抱えているのは主人公・悟志のみ。 この結果、読者の大部分は悟志にこそ感情移入し易いのではないでしょうか。
この辺が、本書の青春もの要素。
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
それから、ホラー要素。
島の(精神的な)中心には荒垣神社が存り、その傍には荒神様がまします。
そして人々から「あれ」と呼ばれる、極めて邪悪な存在。
互いの力が拮抗した<三すくみ>みたいな関係はしかし、手際好く描かれており、読んでみると意外に判り易かったです。
 
邪悪な存在と闘う神主の息子・荒太と、彼に付きまとう犬丸。 この小説が純粋なホラーであれば、この二人がヒーローのポジションでしょう。
この二人だけでも十分面白い小説になったと想いますけれど、悟志・光市とのコンビネーションでより奥深いものになっていると想います。
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
作中で幾つも提示される島の謎ですけれど、お話しの最後に至って、何もかも綺麗に解き明かされるかってワケでもない。 お終いに至っても、いろいろと未解決なままなんだけれど、それはそれで悪かぁなかった。
不思議を不思議として、あるいは畏怖すべき存在として、素直に受け入れる感覚が、むしろ自然に感じられました。
どうやら私も拝島・・・・三浦しをん の創造した作品世界の魅力に引き込まれてしまったようです。 
 
 

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September 17, 2015

小説:ビブリア古書堂の事件手帖

 
 
ビブリア古書堂の事件手帖
 
   ~栞子さんと奇妙な客人たち~
 
 
     三上延 著
 
         2011年   アスキー・メディアワークス
 
 
 ・プロローグ
 ・第一話 夏目漱石『漱石全集・新書版』(岩波書店)
 ・第二話 小山清『落穂拾ひ・聖アンデルセン』(新潮文庫)
 ・第三話 ヴィノグラードフ・クジミン『論理学入門』(青木文庫)
 ・第四話 太宰治『晩年』(砂子屋書房)
 ・エピローグ
 
 
初めて訪れる土地の、偶々見掛けた古本屋に、ふらりと入ってみる。
この小説のあとがきで、著者が好んで取る行動として書いているんですけれど。
そういうのって私も好きで、あちこちでやったことがあります。
古書そして古書店に対する著者の熱い思い入れ。 私は素直に共感することが出来ました。

こういった若い世代向けの小説って、私はジュブナイルという呼び名で認識していたんですけれど、今はライトノベルって言うんだそうで。
今時のジュブナイル(?)とはどんなものなのか? 偶々図書館で本書を見つけたので、早速読んでみることにしました。

        ▽▲▽▲▽▲

JR北鎌倉駅前の「ビブリア古書堂」は、店構えもこじんまりとした、個人経営の古書店。
訪れる客もまばらで、北鎌倉界隈の景観にすっきり溶け込んでいます。

店主の栞子さんは、ある事故のため、地元の病院へと入院中。
人手不足のところへ(縁あって)アルバイト店員として入ったのが就活中の若者、五浦大輔。 本書の語り手です。

探偵役は、古書に関して底知れない知識と、そして計り知れない洞察力を発揮する栞子さん。
そして、とある事情から読書を大の苦手とする(のに古書店に勤めてしまった!)五浦さんがワトソン役を務めます。
栞子さんは病院のベッドの上に寝て居て動けませんから、これは、いわゆるアームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)スタイルの推理小説ですね。

名探偵ポジションの栞子さん。 超人見知りで、口下手、当然人付き合いなんてチョー苦手です。
けれども、こと古書のこととなると、途端にスイッチが入り(!)、別人のように積極的にふるまうっていう設定。
小説の主人公として、なんだかメンドクサそう(!)な性格なんですけれど、それをクドクなる一歩で前で上手にまとめていると想います。

        ▽▲▽▲▽▲

連作短編集の体裁を取った本書。
毎回、ビブリア古書堂の扱う古本をテーマに推理劇が展開します。
取り上げる本は、一般にあまり知られていない書物だったり、あるいは有名でも、ちょっと訳アリだったり、(マニア垂涎の)稀覯本だったり。(いずれも、著者の思い入れ深い書籍なのだそうです)

主人公らの潔癖さ。 全編を覆う、サラリとした軽さ。 なんとも薄味な作風で、私などこれはこれで好きなんですけれど。 でも、若い世代が好んで読むモンなのかなぁ? どうしてヒットしたんだろうって。 そこのところは読後の今も疑問です。 作品そのものの価値とは、関係のないお話ですけれど。

主たる読者層としては、書物を手に取ることの(比較的)少なくなっている、イマドキの若い世代でしょうけれど。 彼らもまた(我々がそうであったように)書物の山に囲まれた古書店の雰囲気に憧れたりするんでしょうか?

本書の設定、若者向けの小説としては、いささか地味に過ぎる設定のようにも感じられますけれど。 ともあれ、こういう小説が近年のミリオンセラーとなったんですね。
 
 

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September 07, 2015

小説:黄金の日日

 
 
黄金の日日
 
 
    城山三郎著
 
      1978年   新潮社
 
 
経済小説の大家、城山三郎がものした歴史小説であります。
戦国時代を舞台とする小説やドラマの場合、その主人公は大名・武将というのが相場ですけれど、本書「黄金の日日」は、堺の豪商・呂宋助左衛門と堺・・・・外国貿易の拠点として栄え、中立を保って(特定の大名の傘下に下ることなしに)自由貿易都市としての立場を貫いた町・・・・を物語の中心に据えた、大変ユニークな内容の一冊でした。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、勇猛をもってなる戦国武将とはいえ、武士たちの力だけでは、戦に勝つことは出来ませんでした。
戦にはなにせ、兵站ってものがありますから。 腹が減っては戦は出来ぬ。
そこに鉄砲というハイテク兵器も登しました。 大名らはこぞって商人と好い関係を保ち、武器弾薬食料の補給を円滑に保たねばなりません。 武力のみではなしに、経済・数字にも長けていなければ、生き残ってゆけなかったんですね。
日々戦に明け暮れる戦国大名らを相手に(戦火の中、身の危険を顧みず)したたかに商売に励む堺の豪商ら。 時には、交戦中の大名の陣地に(飛び交う矢弾を、文字通り掻い潜って)商品を届けにゆくことも。 彼らもまた、武将並みに腹の据わった連中であったようです。

激動の戦国時代・・・・風雲児・信長が志半ばで倒れ、それを引き継ぐ形で秀吉が天下統一するも、その豊臣も滅びて徳川時代が始まる・・・・そんな武士の世界の栄枯盛衰を横目に、商売に精を出す堺の豪商ら。
まぁ、戦国特需(!)が続いたお陰で、助左衛門らは大儲けが出来たってことなんですけれど。 そして千利休に代表される、茶の湯の文化。 茶器という、新たな価値観の創出。

自由貿易都市・堺から眺めた戦国時代を描く本書。 実に経済小説の大家らしい視点と想います。

        ▽▲▽▲▽▲

やがて、海外貿易の規制が強化され(朱印船貿易や、鎖国令など)はじめます。
かつての(黄金の日日を味わった)堺の豪商らにとってみれば、窮屈極まりない状況となってゆくのでした。 ついに、身代の一切を処分して呂宋(フィリピン・ルソン島)へ新天地を求める助左衛門。
私など、長く続いた江戸時代の鎖国令があまりにも印象的で、これまで気が付かなかったんですけれど、この時代の商人たちは広く外洋に出てゆき、外国との貿易に励んでいたんですね。 なんともスケールのデカイお話しです。

そういえばこの小説、ずっと昔に、NHKの大河ドラマになりましたね。
もはや断片的な記憶しかないんですけれど、主人公・呂宋助左衛門を演じた松本幸四郎(市川染五郎)より、杉谷善住坊役の川谷拓三のことが、何故だか印象に残っています。
 
 

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July 30, 2015

小説:天地明察

 
 
天地明察
 
   冲方丁 著
 
      2009年   角川書店
 
 
小説やドラマなんかで、登場人物が科学者または技術者、あるいはそれらを目指す若者~子供。 すなわち理系の人という設定は、それ自体特段珍しくもなんともありませんよね。
しかしながら、ストーリーや台詞を追う中で、ナルホド! これは理系の人ならではの言動ですねって納得させられる作品、意外と少ないんじゃあないでしょうか。 ・・・・と言うのは、私の年来密かに(って何も隠すことはないんですけれど)抱えている持論でアリマス。
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
この小説「天地明察」は、とりわけ序盤。 主人公の若き日を描くシーンが素敵でした。

江戸時代の未だ初めの辺り。
マニア/オタクというのは江戸の昔にも居たわけで。 囲碁を職とする家に生まれながら、根っから数学オタクであった渋川晴海です。

晴海の周囲には(算術と囲碁の)仲間あり、師あり、無論強力なライバルや挫折もありまして、それから恋も。
更に、彼の前には「壁」(それはまた「憧れ」と表裏を成すものでした)とも言うべき数学上の課題が立ち塞がります。 それを解くのに苦悶する若き日の晴海。

読んでいるコチラは、そんな主人公が苦悩を重ねながら成長してゆくのを見守ってゆく格好です。
すなわち、「天地明察」は江戸を舞台としたビルディングスロマンなんですね。

後に晴海のライフワークとなる、暦術と出会うのもこの頃。
とにもかくにも算術と暦に無我夢中、時々囲碁も(!)な、若き日の主人公です。

私が本書「天地明察」から理系の小説という印象を受けたのは、文中に具体的な理数系描写があるからとかではなしに(小説中に数式とか持ち出されても、読んでいるコッチがてんで判りませんからね~)主人公が全身全霊を掛けて難問に取り組む情熱が、無理なく共感出来るように書いてあるからなんです。

        ▽▲▽▲▽▲

駆け抜ける青春的な序盤と比べ、中盤以降はぐっと趣を変えて来るこの小説。
改暦という一大事業が、成長した主人公を待っていました。
暦の精度というのは、米の生産高にも関わって来る一方で、古くからの利権も絡んだ、高度に政治的なテーマなんですね。 こういう権謀術数、刺激的でとってもオモシロイです。

この小説は作中経過する時間が、主人公の若き日から晩年までと永く、またストーリーの方も、囲碁の家に生まれた者の生き方・算術の勝負・それから改暦の事業と(ライトな筆致で、軽く読める割に)多彩です!

序盤は(上述の如く)教養小説の趣き。
中盤は、当事としては先鋭的な事業を進めてゆく面白さ(プロジェクト・エックスの如し)。
そして国策レベルの政治ドラマから、終盤に至って大事業の完遂に取り組む主人公。
ライトな筆致とユーモア感覚から、気軽に頁をめくってゆけるんですけれど、読み終えてみれば、大河小説を読破したかのような充実感がありました。

        ▽▲▽▲▽▲

主人公がバカっ丁寧な性格で、ひとつコトにこだわり、長年掛けて(周囲の人々の助けられつつ)遂に結果を出すあたり。 先日読んだ 三浦しをん の「舟を編む」と似たところがありますね。
「舟を編む」のマジメさんは言葉に拘ったわけですが、一方「天地明察」の主人公・渋川晴海は(本業は囲碁の棋士ながら)和算に夢中の数学オタク。
明朗さと爽やかさと。 二つの小説から、相通じる読後感を得ました。
 
 

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May 19, 2015

小説:プリンセス・トヨトミ

 
 
プリンセス・トヨトミ
Princess Toyotomi
 
 
    万城目学 著
 
 
       2009年   文藝春秋
 
 
橋下徹大阪市長と大阪維新の会の掲げる大阪都構想。 先日の住民投票の結果は「反対」ってことになりましたけれど、しかしまた僅差でしたねぇ。
橋下さんはこれにてキッパリ引退されるとのこと。 会見に臨む橋下さん、なんだか吹っ切れた風に見えます。

それにしても「都構想」という言葉自体には一種の妙味がありますね。 なんか(そういう意味じゃあないと判ってはいても)革命にでも臨むような感じ(錯覚)を誘発させて。

        ▽▲▽▲▽▲

今、私は千葉県に住んで居るんですけれど(以前にも書かせて頂きましたけれど)元々は大阪の生まれなんです。
幼い頃(小学校へと上がる直前)一家が静岡へと引っ越しまして、以来ずっと関西文化圏の外で暮らしています。
ですから今の私は、どこから見てもコッチの人間なんですけれど、一方両親の方は筋金入りの大阪人です。
東京近郊に何年暮らそうと、喋る言葉は相も変らぬ大阪弁でしたし、ものの考え方や生活習慣、なにより家庭の味など、大阪のそれを引き摺っていました。
つまり、何処へ引っ越そうと、実家の内はず~っと大阪文化圏であり続けたわけですね。

ともあれ、当事(私が両親の元に居た頃)の我が家は当地の文化に上手く溶け込んでいまして、今時のネット上で時折り見受けられるような「東京 vs 大阪」みたいな意識はなかったように想います。

が、果たして両親の心中はどうだったんでしょう?
生まれ育った大阪を離れ、生活の基盤をこちらに築いて、関東で暮らしていた両親が、コッチの文化をどう感じていたのか・・・・
母から関東の文化についての違和感/不満といったものを聴いたのは私が小学生の頃。 一家が静岡に引っ越した当初だけだったような気がします。
 
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ずっと昔、私が大阪市内に住む伯父のところに遊びに行った時のこと。
伯父は大張り切りで、大阪城の周辺を案内してくれたんですけれど、私の大阪城に対する無関心さ/つれなさ(空気の読めない子だったんですね)が随分とショックであったらしく、普段気の好い伯父の不興を買ってしまいました。
大阪城については、そんな苦い想い出があります。
 
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※ 舞台は大阪市内。 東京の会計検査院から実地検査にやって来た辣腕検査官たち三人が市内各所で検査を続ける中、とある謎の団体と相対します。 その団体の目的/設立理由、そして歴史とは一体・・・・

これは大阪で無ければありえない、類のない壮大なお話し。
なんといってもアイデアが秀逸ですよ。 花丸、二重丸!

会計検査院から来た三人がそれぞれ個性的で愉しいし、登場人物の名前を戦国武将・姫らになぞらえる演出も(ミスリードを仕掛けて来るみたいで)オモシロイ。

やっぱり大阪城(そして太閤秀吉)って、大阪人のシンボルなんですね。
きっと、この辺の気持ちは大阪に生まれ育たないと判らない・・・・つまり、私なぞには理解の出来ないものなんだと想います。

ただ、中盤以降で若干ダレちゃいましたね。 グイグイと引っ張ってゆくような魅力/パワーに欠けるというのか。
大阪市内に暮らす庶民/市井の人々の描写。 それらが点景的に描かれるんですけれど、長ったらしくてあんまり巧みじゃあないですね。
それと、今ひとつ説得力に欠けるんですね。 アイデアが奇想天外なだけに惜しい(生意気な書き方かもしれませんけれど)と想った。

大阪夏の陣からこっち、首都ポジションを持っていかれたまんまでいる商都大阪の抱えるルサンチマンやら反骨精神やら・・・・と言ったコトは書いてなくって、そこにあるのは太閤家への愛惜。 大阪人のシンボルとしての大阪城と太閤秀吉。
そういうことどもについて、これまで考えたことが無かった者にとっては、実に新鮮な視点を提示する小説です。

その昔、情に厚い伯父御を怒らせてしまった記憶を蘇らせた(!)こともあり、私にとって読後感のややホロ苦い小説でした。
 
 

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