January 06, 2020

読書:あかんやつら

 
  
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あかんやつら
 
  ~ 東映京都撮影所血風録 ~


    春日 太一 著

        2013年 文藝春秋

 


  序幕:小指のない門番

第一部:時代劇黄金期

  第一幕:東映京都を創った男
  第二幕:親父に捧げる「赤穂浪士」
  第三幕:鬼の岡田

第二部:混乱する撮影所

  第四幕:時代劇の凋落
  第五幕:集団時代劇の興亡
  第六幕:岡田茂の改革

第三部:暴力とエロスの都

  第七幕:仁侠映画、快進撃
  第八幕:女の世界を覗き見る
  第九幕:「仁義なき戦い」

第四部:必死のサバイバル

  第十幕:高岩淡所長と映画村
  第十一幕:迷走する大作映画

  終幕:逆風の中で・・・・・・



「あかんやつら」って。(^^ゞ
また、真摯なノンフィクションとも思えぬタイトルですが。(笑)
しかし、これが至ってマジメな本。
若い著者が情熱を注ぎ、体当たり取材でものした、正しく真剣勝負の一冊でした。

私が本書を初めて読んだのは、二年前、人生で初めての入院を体験した病院のベッドの上でのことでした。
入院中の無聊をかこつ中、病院の図書室にあったのを見つけ、俄然興味を持って借りてみた次第。
そして、これが実に面白かったです。
退屈を忘れ、一気読みしてしまいました。

その「あかんやつら」。
今また手に取って(今度は地元図書館で借りて)みました。

        ▽▲▽▲▽▲

著者は新進気鋭の時代劇研究家。
元々は映画の製作を志すも、しかし挫折。
手詰まりとなった著者が活路を見出したのが(同世代の誰もやっていなかった)時代劇の研究/ライター業と言います。

        ▽▲▽▲▽▲

その全盛期を、直接には体験して来なかった若い世代による時代劇の論評は、かつて時代劇に熱狂したオールドファン、そして当時を知らない若い世代から好表裏に迎えられ、なにより、かつて時代劇の製作に携わった関係者の多くから歓迎を受けました。

著者の仕事は、映画の(タイトルロールの下の方に、まとめて記される)スタッフらにまでスポットを当てたことが画期的でした。
彼らスタッフなくして映画は、なかでも時代劇(という、造るにおっそろしく手間の掛かるシロモノ)は成り立たないですからね。

時代劇を支えてきた数多のスタッフの仕事ぶりを、よくぞここまで詳しく調べ/書き記してくれた。 って言うところでしょうか?
言い換えれば、これまで(こういったカタチでは)誰ひとり書き残してこなかったと言うこと。

もちろん、同世代の先行者/同じ事を試みた者など他に無く、若い著者にとしては上手くニッチを捉えた形です。
映画製作の世界であれこれ模索を続けた末、ようやく見出した仕事が、今や高く評価されている著者。
ライターとして、金の鉱脈を掘り当てたってところですね。(笑)

        ▽▲▽▲▽▲

「モーレツ社員」なる言葉を、耳にしなくなって久しい令和の世。
政府は「働き方改革」を進め、世間ではブラック企業の存在が取り沙汰される昨今です。
しかし、50~60年代の邦画全盛期、東映時代劇の製作に携わったスタッフらの仕事ぶりは、猛烈どころではない、壮絶極まりないものであったと言います。

戦後の新興映画会社であった東映。
その発足の当初から、酷い資金難に苦しめられ、失速寸前の苦しい経営状況でした。
なにしろ、資金が足りません。
そこで、東映京都撮影所が採った戦略。 それは、数多くの映画を提供して、映画館から客を絶やさないというテでした。

        ▽▲▽▲▽▲

その為に、とにかく次々と(それこそ、息を継ぐ暇もないほどのペースで)時代劇を撮り続けたんです。
当時は(娯楽の少ない時代だけに)映画館に幾らでもお客の入る時代。
新作映画を造り/公開し続け、その度、なにがしかの利益を確保して、生き延びてゆくしかなかったんですね。

おっそろしくタイトな撮影スケジュールが敷かれる中、撮影所のスタッフにもハードワークが要求されました。
名優/映画スターについて、その仕事ぶり/忙しさについて語られることは多々ありますけれど、本書では数多居るスタッフ。 監督や脚本家はもとより、製作・キャメラ・照明・編集などなど。 中でも、制作進行というポジションの重要さ(タフさ (^^ゞ )について触れているところがユニークです。

        ▽▲▽▲▽▲

撮影にあれこれ手間の掛かる時代劇を、滅多矢鱈と急ピッチで、次から次へと造り続け、眼の回るほど忙しかった東映京都撮影所。
ですから、無茶もしました。(^^ゞ

撮影所のスタッフにオーバーワーク/無理難題を強いるばかりでなしに、ロケ先でも超ハードな撮影を敢行したり、またその為に現場の準備/現地との交渉を行ったり、時には裏社会と関わったりすることも。(^^ゞ(このあたりは、制作進行の腕の見せ所!)
と言うか、この人たちって、やる事なす事が無茶なこと/ブッ飛んだことの連続で、文字通り「あかんやつら」です。(^^ゞ

        ▽▲▽▲▽▲

売れると見れば(どんな映画であろうと)すかさず飛びつく。 そして、それがヒットしたと見るやパート2・3と(節操もなく)柳の下の泥鰌を狙いに(笑)いくのが東映です。

東映が我が世の春を謳歌した時代劇全盛期を経て、やがて、その人気が凋落を迎えたと見るや(時代劇をアッサリと諦めて)今度は任侠映画へと転進します。
生き残るためには、なりふり構わぬ東映でしたけれど、その基本はあくまで娯楽映画。
お客さんが楽しめる映画を提供することですから、その姿勢は一貫していると言えます。

ともあれ、それまでスタッフ一同が心血を注いで造り続けていた映画のジャンルを、号令一下で進路変更させるんですから、本当に思い切ったコトをする会社ですね。(^^ゞ

        ▽▲▽▲▽▲

やがて、東映ばかりではなしに、映画全体/邦画界そのものが低迷する時代が訪れます。
各映画会社とも業務を縮小、こぞって合理化が始まりました。

東映(その全盛期は、あまりにも短かかったです orz )も、また例外ではなく、苦心惨憺するわけです。
が、東映京都撮影所は、どんなに苦しくとも撮影所を手放すことなく、大規模リストラにも手をつけませんでした。
オレたちには映画造りしか無い!って言う、映画人としての矜持。 そこのところを、深~く自覚してたんですね。

さて、苦戦を続ける中で、京都撮影所内を一般に開放する試み(テーマパーク化ですね)が予想外の大ヒット!
今に続く、東映太秦映画村の始まりです。

いやぁ、なんとも逞しい人々です。(^ァ^)
生き残りを掛けて、どんなことでもやって来た東映京都撮影所。
その行き着いたところが、時代劇の世界で遊べるテーマパークとは。(^ァ^)

こういった場で、若い時代劇ファンを育て、ベテランが後進を指導する。
なんて具合に世代交代を進めてゆけば、時代劇の灯も消えることなく、次世代へと引き継がれるんじゃあないでしょうか。

本書で語られるのは、東映京都撮影所にまつわるエピソードのあれこれですけれど、これって芸談というより、むしろ一種の経営論になっていますね。
東映時代劇愛溢れる一冊でした。
 
 

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December 29, 2019

荷風の散歩道

 
 
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作家・永井荷風が京成八幡駅のすぐ傍(千葉県市川市)に居を定めたのは昭和三十二年のこと。 以来、亡くなるまでを、この地の住人として暮らしたわけです。

そんなことを、先日訪れた「永井荷風と谷崎潤一郎展」(市川市文学ミュージアム)で知り得た(今更ですけれど (^^ゞ )私。
文豪の足跡を訪ねて、京成八幡駅の付近へと行ってみることにしました。
なに、京成本線の二駅先。 自転車を漕いで、ちょっと遠出するくらいの距離です。

八幡までは単純そのものなコースですし、荷風の住居があったと思しき地域も、簡単に(いささか拍子抜けするくらい、呆気なく (^^ゞ )見つけることが出来ました。

荷風の暮らしたのは駅の北側。
このあたり、住宅が密集しています。
が、現在建っているのは(サスガに)新しい建物ばかりで、文豪の暮らした当時の雰囲気は、最早ありません。

荷風の住居。 あるいはその跡を示すような案内板とかも立ってはおらず。 しかし、近所の商店街に沿って「荷風の散歩道」なる旗が、ずらり下がっていました。(^ァ^)

永井荷風、京成線の走り過ぎる音(すぐ傍ですし)など聞きながら、「断腸亭日乗」を書き綴ったんでしょうか。
この商店街も、日々歩いたことでしょうね。
晩年の荷風が贔屓にしたという「大黒家」(いつもカツ丼を頼んだのだそうな)の場所も確認出来ました。
生憎と、近年閉店してしまった由。 その味、確かめること能わず。 此のこと心残りなり。

 
 

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December 21, 2019

永井荷風と谷崎潤一郎展

 
 
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永井荷風と谷崎潤一郎展

 
  2019年度市川市文学ミュージアム企画展

   荷風生誕140年 没後60年を記念して
 


    会場:市川市文学ミュージアム
    期間:2019/11/2 ~ 2020/1/19
 
 
お隣の市川市で、上記の企画展が催されていました。
荷風とも谷崎とも縁遠い私で、確かそれぞれの著作を一冊ずつ程度しか読んでいない筈なんですが。(記憶も、最早曖昧です (^^ゞ )

両文豪の自筆原稿、手紙とか日記(荷風の「断腸亭日乗」のごく一部)などなど、いろいろと展示してあったんですけれど、これが(あんまり達筆過ぎて (^^ゞ )中々読めない。orz
サラサラっと草書で書かれた手紙なんかが読めないのはともかく、原稿や日記までも歯が立たない。
だって、戦後の作品ですよ。 もうちょっとイケるかと想って掛かったら全然でした。(特に荷風!)

        ▽▲▽▲▽▲

驚いたのは、荷風が一時期、市川市内に暮らしていたということ。
京成八幡駅から、そう遠くない辺り・・・・って、私が通勤で日々通過している路線からも近いじゃないですか! 晩年あの辺りに転居して、亡くなるまで住み続けた由。
意外や文学に縁のある当地でした。(^ァ^)

その荷風と、同時代の作家として親交のあったのが谷崎。
と言うわけで、今回の「永井荷風と谷崎潤一郎展」の開催と相成ったようです。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、荷風と言えば、ヒョロリとした体躯、スーツに帽子、そして(いかにも度の強そうな)眼鏡を掛けた姿を想い出されますけれど、あの丸メガネが展示してあったのはヨカッタ。(^ァ^)
この企画展での最大の収穫は、永井荷風の丸眼鏡を見れたって事です。(笑)

小規模で、割合にアッサリとした展示でしたので、すぐに見終わっちゃいました。
 
 

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December 17, 2019

小説:ワンちゃん

 
 
ワンちゃん
 
 
   楊逸 著
 
       2008年  文藝春秋
 
 
 
  ・ワンちゃん
  ・老処女
 
 
 
拙宅周辺にあります何軒かのコンビニ。 その内で最も多く利用しているのは、県道沿いの100円ローソンだったりします。
お店で働いているのは、多くの場合外国人(とおぼしき人々)ですけれど。 当たり前すぎて(フツーに世間話 (^ァ^) を交わしたりしますし)今では何の感慨もなくなりました。
まぁこんなのは、今時どこのコンビにで同様に見られる風景でしょうけれど。

ともあれ、使っている当の日本人ですら、難しくて途方に暮れる (^^ゞ ことすらある日本語。
異郷で、その地の(複雑極まる)言語を習い覚え、使いこなして(レジがバーコード対応されて、やり易くなっているとは言え)働こうって言うんですから、これってもう、スゴイ行動力/バイタリティーと想うワケです。 逞しいねぇ!

        ▽▲▽▲▽▲

さて、本書は楊逸のデビュー作です。
中国ネイティブの著者ですけれど、この作品は最初から日本語で書いたらしいですね。
世に出て早々に文学賞を受賞した他、芥川賞候補にまでなっています(後に別作品で受賞)。
これだけ見ると、順風満帆と言う印象の著者ですけれど、ここまでの道程は(本書の二編の主人公たちの運命と同様)苦労が多かったようですね。

        ▽▲▽▲▽▲

デビュー小説「ワンちゃん」


※ 中国で、遊び人の亭主に散々苦労させられた挙句、ついに日本まで逃げてきたワンちゃん。
日本人と再婚して改名しますけれど、旧姓が王だったので、その後もワンちゃんで通ってます。
中国では女一人ファッション関係の会社を立ち上げ(スゲェ!)、一頃は改革開放の恩恵を受けて羽振りの好かったワンちゃん。
でも、日本に来た当初は言葉も不自由でしたし、まして商習慣とか、まるで判らないワンちゃんです。
(中国でやっていたような)商売はムリとみたワンちゃんが(なにも判らぬまま)徒手空拳で始めたのが、国際結婚の紹介業。
日本で結婚志望の男性を募り、中国で相手の女性を見つけて、くっつけるというものです。

さて、日本でワンちゃんの下に集まったのは、過去に結婚で失敗した男とか、勘違いした(スケベ)男とか・・・・
一方中国側でも、日本に行きさえすれば、裕福で快適な暮らしが出来るものと期待して集まってくる女たち。 あるいは、中国に居づらくなった(離婚、嫁ぎ先との関係悪化などなど)女性も。
お互いの思惑/利害がビミョーに食い違い、あるいは勘違いして、この男女たち、果たしてダイジョウブなのか?(笑)


なんか、日中互いの文化への勘違い/差異にまつわるドタバタが噴出しそうで。(^ァ^)
風刺の効いたコメディになりそうですけれど。(笑)

でも、小説「ワンちゃん」、そうとはなりませんでした。(^^ゞ
お話しが、次第にシビアな展開へと移ってゆくのが、楊逸の持ち味のようですし、そこに妙味・文学性を感じます。
あるいは、ここには、来日して苦労を重ねた著者の経験/人生観が反映されていると言うべきなのか。

お話しは、ワンちゃんが請合う結婚志望の客(とその老母)のエピソードと、ワンちゃん自身の義母とのエピソードとが、交互に進行してゆきます。


客の老母 「うちの介護のことでも考えてやろか、この間、急に結婚する言うて五月の連休に中国へ行くってな。吃驚したけん、けどな、これで落ち着いてくれたら、うちも安心して死ねるんやから・・・・
  ~ 中略 ~
けどな、良い人を紹介してもらわんとな、顔が綺麗な人より優しい人が・・・・一緒に苦労してな、うちのことはなんでもかまわんで良いけ、勝雄と店のことを手伝ってくれたら・・・・あと、孫の顔を見たいけん。腰が悪くても、子守は出来るけん・・・・」

ワンちゃん 「お婆ちゃん、私の紹介、安心ください。良い女を、絶対」


日本人のそれとはビミョーに異なった習慣/倫理観の中で生きるワンちゃん。
異郷で逞しく生きる、なにより心優しいワンちゃんを待っている、シビアな(に過ぎる)運命が、なんとも切ないです。

他の(日本語ネイティブの)小説家とは微妙に異なる文体や、言葉遣い/措辞と、日中の狭間で逞しく生きているワンちゃんのポジション(それはまた著者の立ち位置でもあります)とが重なって感じられ、心を揺さぶられました。

ワンちゃんの人生/旅路は続きます。

        ▽▲▽▲▽▲

単行本化された際の書き下ろし小説「老処女」


※ 中国で生まれ育ち、大学では児童心理学を選択。
日本の大学に留学した後、現在は大学講師を務める主人公。
博士号を目指していますけれど、これが、なかなか上手くいかない様子。
博士と呼ばれるまでは、と独身を貫いて既に四十代。
そんな折、お相手として過不足の無い助教授(日本人)が赴任して来ます。
ここへ来て、結婚を意識し始めた主人公は・・・・


上記の「ワンちゃん」と同様、ここでも<異郷の地で頑張る中国人女性>が描かれ、小説として、より巧みなものとなっている気がします。
でも、よりシビアでストレートな展開を見せる分、「ワンちゃん」(こちらはまだ、淡い悲恋でしたから)よりも余程切なかったですねぇ。
日本まで来て踏ん張る主人公には、やっぱりシアワセになって欲しかったなぁ。
読む者をして、そう想わせるところ。 独特の切ない読後感が、楊逸文学ということなのかもしれませんね。

 
 

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November 08, 2019

読書:少年の名はジルベール

 
 
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少年の名はジルベール
 
 
     竹宮惠子 著
 
 
        2016年   小学館
 
 
 
  ・ 缶詰旅館
  ・一人暮らし
  ・少年愛の美学
  ・大泉サロン
  ・少女たちの革命
  ・不満と焦り
  ・男の子、女の子
  ・ライフワーク
  ・悲観
  ・ヨーロッパ旅行
  ・契約更新
  ・プロデューサーの仕事
  ・新担当編集者
  ・読者アンケート
  ・大学でマンガを教えるということ
 
 
 
その夜。 午後も、既に十時を廻った頃合い。
当時、デビューして間もない新進少女漫画家・竹宮惠子は、突然湧き出した漫画の構想。 その奔流に、昂ぶりを抑え切れずにいました。

舞台は十九世紀末、フランスの田舎。 寄宿制の男子校で・・・・

汲めども尽きぬ構想。 アイデアは次から次へ、爆発的に溢れ出て止まりません。

「少年の名はジルベール。 絶対に、それ以外じゃない」

突如降りてきた漫画の着想を、誰かを相手に語らずにはいられなくなった竹宮。
彼女が最も信頼する漫画仲間、増山法恵に(こんな時間ですけれど)電話します。

それは、当時の少女漫画の禁忌に触れざるを得ない、というより、その常識を根底からブチ壊すかのような、あまりに過激なアイデアでした。
なにしろ、これまで誰もやってこなかった少年同士(!)の恋愛漫画。 少年愛の世界を描こうというものです!

なんと言っても「BL」、「腐女子」などと言った言葉の現れる、はるか昔のこと。
現在とは、状況が違い過ぎます。

今でこそ、広辞苑の見出し語にまで「BL」が加えらる時代です。


・ビー・エル【BL】①(bill of landing)船荷証券。②ボーイズ・ラブ。


・ボーイズ・ラブ(和製語 boys love)男性同士の恋愛を描く、主に女性向けの小説・漫画などのジャンル。BL


それが、竹宮が少女漫画を発表し始めた1970年代。
少年愛をテーマに漫画を描く、などということ。
ましてや、それを少女漫画雑誌へ連載する(そこまで、竹宮は意識していました)なんて、とても考えられない時代でした。

しかし、卓越した少女漫画の読み手であった増山は、この、当時としては斬新過ぎとも言える構想に、すぐさま深い興味を示し、しかしながら、至ってクールに受け取めます。

ふん、ふん。
それから? それから?

とうとう、明け方まで続いた長電話。
竹宮は、この時のドライブ感/高揚感を、生涯に一度の体験であったと言います。

学生たちの間では、政治談議/革命論議の盛んであった時代です。
同じ若者として、それに大きな刺激を受けずにいられない竹宮。
ならば、と決意します。
「私の革命は漫画でする」

この時、竹宮の志した革命が、少女漫画「風と木の詩」となって実を結ぶのは、もっとずっと後のこと。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、本書は少女漫画家・竹宮惠子の自伝。
主として、デビュー当時の体験/苦心談が熱く語られます。

徳島から上京して来たばかりの若手少女漫画家・竹宮惠子は、出版社の担当編集者から、同世代の少女漫画家として萩尾望都を紹介されます。
やがて、萩尾のファンであり友人でもあった音大浪人生(当時)増山法恵とも知り合って意気投合。

増山は少女漫画のみならず、文学・音楽・映画・美術と、表現の全般に渡って驚くほど造詣が深く、なにより卓越した審美眼の持ち主でした。
竹宮・萩尾の二人にとっては、歯に衣着せぬアマチュア評論家として、他の誰よりも(それこそ、プロの編集者顔負けの)厳しく的確な判断を(一片の容赦もなしに)下して来る存在です。

        ▽▲▽▲▽▲

やがて竹宮・萩尾は(萩尾の上京を機会として)増山家の斜向かいに共同で家を借ります。

それは、若い女性が好んで住まうとも思えぬ、古く質素な木造家屋(つまり、ボロイ借家 (^^ゞ )でしたけれど、ともあれ、この場所で、若手少女漫画家二人の共同生活がスタート。
そして(そこに増山を加えた)三人の濃密な関係が、ここから始まります。

この家で、竹宮・萩尾は各々の少女漫画作品を描き、そして増山は毎日のように(なにしろ自宅が目の前です)通い詰めることに。

少女漫画家二人が互いに刺激を与え合い、そこに、担当編集者以上にシビアな(舌鋒鋭い)批評家である増山が、付っきりで創作に関わるカタチです。

        ▽▲▽▲▽▲

新人漫画家二人と熱心な読み手が、ひとつ屋根の下、好きなことに思いっきり打ち込む共同生活。
なんかもう、若い漫画家にとっての夢みたいな空間を実現させてますね。(^ァ^)
云わば「トキワ荘」の少女漫画版。
漫画だけに集中して、漫画漬けになって仲間と暮らす日々。
こんなの、愉しくないワケがないですよ。(笑)

担当編集者からは、漫画家の共同生活なんてものが上手くゆく筈無いと言われ(トキワ荘との違いを説かれて)猛反対されます。
が、そこは若い彼女ら。
止めることなど、誰にも出来ません。

少女漫画作品の創作に打ち込み、互いの作品を批評し合い、更に(他の少女漫画作品・映画・音楽など)興味を持ったあらゆる分野について、大いに語り合う日々。
「少女マンガを変えようよ。 そして少女マンガで革命を起こそうよ」

木造の質素な借家は、やがて(その地名から)「大泉サロン」と呼ばれることになります。

        ▽▲▽▲▽▲

三人の意向もあって、「大泉サロン」は訪れる者を拒まぬ、ウェルカム/オープンな雰囲気に保たれていました。
それに惹かれ、熱心なファン・漫画家志望の若手・更には編集者さえ出入りしはじめます。

それは、「サロン」と言う名称から来るイメージとは程遠い、およそ質素な木造家屋でしたけれど、しかし、夢と活気に溢れる少女漫画創作の場でした。

        ▽▲▽▲▽▲

竹宮らが「大泉サロン」に暮らした期間中、「大泉サロン」の住人三名 + 漫画家仲間一名で、ヨーロッパへ取材に出掛けています。
当時としては珍しい、若い女性四人の欧州旅行。

ヨーロッパを舞台、あるいはイメージの源泉とすることの多い少女漫画家として、一度は本場を見ておかなければと考え、思い切って旅立ったわけです。

少女漫画作品に生かすべく、1970年代のヨーロッパの姿(今となってみれば、実に貴重な体験でした)を、その眼に焼き付けました。
彼女ら、旅先のトラブル・言葉の壁・更には体調不良ですら若さで乗り切ります。 と言うか、その珍道中ぶり。(笑)

        ▽▲▽▲▽▲

若き日の竹宮。
自分の現状に満足することなく、絶え間なくダメ出してゆくタイプの天才でした。
満足するということを知らないその創作活動は、ですから、厳しく辛いものとならざるを得ません。

その竹宮惠子が、かねて天才と認め、(自分に足りない要素の、すべてを手にした者と見え)意識して来た萩尾望都。
やがて、彼女に対し、嫉妬に近い感情が芽生え始めるのを抑え切れませんでした。

自分自身では、どうにもコントロールし切れない、イライラの募る竹宮。
そんな天才・萩尾と、ひとつ屋根の下に住んでいるという重圧・・・・

意外なほど早く訪れた、「大泉サロン」の終焉。
少女漫画に捧げた青春でした。

        ▽▲▽▲▽▲

さて竹宮には、「少年愛の世界を少女漫画化し、発表する」という大きな目標がありましたね。
やがて竹宮は、担当編集者と談判した上で、少女漫画雑誌の人気投票で竹宮の作品が一位を獲得しさえすれば、「風と木の詩」を連載させるという条件を引き出します。(やった! (^ァ^) )

さてこうなったら、なにが何でも、例えどんなことをしてでも(笑)人気投票で一位を獲らねばなりません!(これまでは、下位の辺りで低迷していたことも度々でした)

「一位の取り方教えてよ! 作戦立てなきゃ」
竹宮は、百戦錬磨の少女漫画通、少女漫画を誰よりも知り尽くしている増山に協力を請います。 最強の軍師/作戦参謀ですね。(笑)

増山は、設定・ストーリー・シリーズ構成・そしてファンサービス(ファンクラブの組織、サイン会の開催)などなど。 ウケる少女漫画を描くための戦略的アドヴァイスを、次々と授けました。
それに応える(これまでは、増山の意見に抗うこともあったのですが)竹宮。
すべては「風と木の詩」の連載を勝ち取るためです。

人気投票で首位を獲る目的の下、描きはじめた新作漫画「ファラオの墓」に猛然と取り組む竹宮。
その中で、かつてない漫画家としての充実を実感し、更に熱心なファン層の存在を意識しはじめます。

こうして、少女漫画家として覚醒してゆく竹宮惠子。(この辺り、読んでいて実に痛快でした)
そして遂に・・・・

        ▽▲▽▲▽▲

パイオニアの軌跡というのは、なんであれ(どれほど時代を経ても)決して疎かに出来ない、意義深いものです。
まして、この世代の少女漫画家の(少女漫画における表現技法の開拓、そして少女漫画家の地位向上に務めた)奮闘ぶり!

「風と木の詩」は、やがて少女漫画雑誌上に連載され、当然、大きな話題に!
少女漫画が、他の様々な分野(学者/評論家/文化人なども含め)から、広く語られる嚆矢となります。

革命は成し遂げられました。

        ▽▲▽▲▽▲

本書は、昭和を駆け抜けた一女性の手記として、読む者をして夢中にさせます。
少女漫画に付いてなにも判らず、この手の漫画を未読の私でも、充分に愉しむことの出来た、そして刺激に満ちた、少女漫画家一代記でした。

 
 

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October 22, 2019

「今年の新語」が愉しみ

 
 
毎年の師走、通信教育会社がスポンサーとなって発表される「新語・流行語大賞」ってのがありますね。
どういうワケか(年の瀬の時事ネタとしてイイ塩梅なんでしょうか?)ニュースで取り上げられることが多くって、でも、特にココ十年間くらいに選ばれたワードが、どれもイマイチだなって感じています。orz 例年の事ながらネ。(笑)

大概の場合、あんまり感心しないっていうか、納得がゆかない。
流行語とか言いながら、初めて聞くような言葉もありますし。
(いえ、まぁ、そこは、オレが時代から置いてかれてるってだけのコトかもしれませんけれど (^^ゞ )

ともあれ、それにしても、センスがねぇなぁ! と想うワケです。
こんなの一体何処の誰が選んで、そして決めてんの?
(個人的には選考委員が少な過ぎ/狭過ぎだって想うんだよね)

wikiで過去の受賞語を調べていたら、時事芸人のプチ鹿島曰く

「「そんなの流行ってねーよ」とSNSからツッコミが発生するまでが流行語大賞」

なんだそうで、これは言い得て妙って感じましたです。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、それとは別に、「今年の新語」ってのがありますね。
こちらは(株)三省堂の主催するキャンペーン。

なにしろあの三省堂。 数々の国語辞典を世に送って来た出版社のすることです。
同社の誇る辞書編集者の皆さんが選考委員を務めるって言うんですから、こいつぁ心強い。(^ァ^)

その上、選ばれた語は「新明解国語辞典」/「三省堂国語辞典」/「三省堂現代新国語辞典」/「大辞林」の各辞書に、その語釈が(各辞書毎に、相応しいスタイルで)載せられるんだそうで、新語の採集にも役立てているわけですね。 流石は辞書の三省堂。(笑)

こちらもwikiを調べたんですけれど、各年の受賞ワードの中でも、「今年の新語2016」に選ばれた「ほぼほぼ」ってのが(一体どこで見掛けたのやら(笑))記憶に残っています。
「上手ぇなあ~」って。(^ァ^)
この年の選考は、まさに慧眼! 絶妙の言語センスと想います。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、こうなると2019年・令和元年の「今年の新語」が、今からとっても楽しみです。
(オレ的に、「新語・流行語大賞」の方は、まぁ、どうでもイイっす(笑))

 
 

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October 15, 2019

小説:影との戦い(ゲド戦記1)

  
  
影との戦い (ゲド戦記 1)
A Wizard of Earthsea
 
 
  アーシュラ・K・ル=グウィン 著
 
 
         1968年  米国
 
 
1968年に発表されてこの方、その独特の世界観が、広く各方面に影響を与えてきたファンタジーの名作「ゲド戦記」。 その第一巻が本書「影との戦い」です。

この本、地元図書館では児童図書の置かれている書棚に在りました。
児童文学の扱いですね。 でもこれ、充分大人の鑑賞に耐える逸品と想います。

そしてこれ、なんでまた「ゲド戦記」なんて副題を付加したんでしょう?
あくまで魔法使いの活躍するお話しであって(戦いこそすれ)決して戦記ものじゃあないですし。 いや、この題も嫌いじゃないですけど。(笑)

        ▽▲▽▲▽▲

私、実はこの小説を初めて読んだ折りは、全然面白く感じられ無かったんです。
とんと惹かれるものがなかった。

とはいえ、ファンタジーの名作として誉れ高い本書です。
これは絶対、自分の読み方が好くない/間違ってるに違いない。 ウン、絶対そうだ。(笑)

そう確信しまして、しばらく経ってから、二~三度(我ながらシツコイことに (^^ゞ )に渡って読み返してみまして、そしてようやく、その好さが実感出来るまでになりました。

時間を置いて、過度な期待は持たずに(気を落ち着けて、じっくりと)作品と対峙する事で、はじめて、その愉しさ/奥深さに触れることが叶ったかと想います。
「影との戦い」とは、私にとってそういう小説。

        ▽▲▽▲▽▲

※ とある小島の寒村に、鍛冶屋の息子として生まれた少年ゲド。
魔法使いとしての類稀な資質を見出され、島の魔法使いの下で修行に入ります。

ゲドにとって最初の師匠となったオジオンは、強大な魔法の力を持ちながら、ひっそりと隠遁者のようにして暮らす、穏やかで寡黙な人物。
その指導は、ゲド少年にとって地味で退屈に過ぎました。
(若者らしい)強烈な野心/抑えようの無い好奇心を満たすような、自由自在/派手やかな魔法など、なかなか教えてくれません。

そんな、島の魔法使いオジオン。
後に旅に出て、世界屈指の偉大な魔法使いの門下で研鑽を積むことになるゲドですけれど、それでも、オジオン師匠のことは決して忘れませんでした。
彼にとって一番大切な人。
後に各地を遍歴して、様々な(驚くべき)経験を積んだ末、最初の師匠の下に帰って来るゲド・・・・ この流れが素敵です。

        ▽▲▽▲▽▲

※ ある日、薬草を摘みに山中へと分け入ったゲド少年。
花咲く野原で、不思議な女の子と出会いました。

女の子はゲドに、魔法を見せてくれるよう熱心にせがみます。
雛にも稀な美少女の前で(すっかりイイ気になってしまい(笑))覚えたての魔法を次々と披露してみせるゲド。
お終いに女の子が出したリクエストは、死者の魂を呼び出してみせて欲しい、というものでした。

「あんた、こわいんでしょ。」
「こわくなんか、あるもんか。」

無論のこと(!)死者を呼び出す術というものは、みだりに試してはならない禁断の魔法に属します。
しかし未だ若く、およそ分別など持ち合わせないゲドです。
師匠の眼を盗んで、こっそり、この魔法を使ってしまうのですが・・・・

       ▽▲▽▲▽▲

それにしても、なんと奥深い設定/構成からなる作品でしょう。
後にこの「ゲド戦記」が、数多のファンタジー小説に多大な影響を与えたというのも、充分にうなずけるところ。 (「ハリー・P」のシリーズなど、「ゲド戦記」の影響下で書かれているのがハッキリ判ります)

多島海と呼ばれる、無数の小さな島々から構成される(瀬戸内のような(笑))地域。
文明レベルは中世ヨーロッパのそれ。
しかし各地に魔法使いが棲んで居り、自在に力を揮う世界です。
庶民/市井に住まう人々と、魔法との距離の、極めて近い社会。
人々は魔法というものと、日々、ごく当たり前に接しています。

        ▽▲▽▲▽▲

でも、いくら魔法だからって、どんなことでも出来るってワケじゃあないんです。
この作品世界には確たる大原則が在って、それが物語りのリアリティを高め、奥深いものにしています。

何事かを成すにあたっては、その代償を支払わねばなりません。 魔法も然りです。
陰と陽。 光あればこそ、影もあり。
そして魔法を行使するには、その物の「真の名」を知らねばなりません。(ココ重要!)

        ▽▲▽▲▽▲

※ その後、オジオン師匠の下を巣立ち、海を越えて魔法学校に入学(やっぱ「ハリー・P」ですね(笑))したゲド。

向上心/野心の塊のようなゲド。 錚々たる大魔法使いたちの下で、様々なまじない・太古の言葉・古の英雄譚・そして何より大切な「真の名前」などなどを学びはじめます。

程なくして彼は、その卓越した資質から、開校以来の逸材として周囲の注目を集めました。
が、ある日、若気の至りから、習い覚えた魔法を駆使して「影」を呼び出してしまいます。

この世にあっては、実態を持たない「影」。
それ故「影」は、(実態を得て、この世に現れ出でる為)ゲドに取り付いて、その心身を喰らい(!)、彼を乗っ取ろうとします。(>_<)

        ▽▲▽▲▽▲

それは、若さゆえの過ち。(ベタな表現ですけれど (^^ゞ)
ゲドが好奇心・虚栄心(自分をより大きく/強く見せたいという)、つまり己の未熟さ/弱さ故に仕出かした、愚かな行為でした。

が、なにしろ、後に偉大な魔法使いとなる少年です。
その性格。 強い負けん気や探究心・好奇心などは、優れた魔法使いに不可欠な資質だったのかもしれませんね。
しかし、同時に野心・功名心・嫉妬・驕りといった(時に取り扱い注意となる)感情も、併せ持っていたゲドでした。

だから「影」なんか(ホント、止せばイイのに)呼び出しちゃったんですね。orz

        ▽▲▽▲▽▲

ここまでならば、如何にも若者にありがちな、修行中の失敗談ということになります。
しかし、この「影」ってのがシャレにならない、もう超絶にタチの悪い奴でした。

ゲドを喰らい尽くそうとして、どこまでも。
野越え・山越え・海までも越えて、ず~っと付いて来ます。
想像を絶する執念深さ。

魔法使いとしてのキャリアの、最初のところ(魔法使いの資格を得る以前)で土を付けちゃって、以来ず~っと、そいつを引っ張ってるカタチです。(>_<)

若気の至りから禁忌に触れてしまう。 誰にでもあり得ることですけれど、しかし、ゲドの場合、その代償はあまりにも高く付きました。

        ▽▲▽▲▽▲

浅はかな私は(^^ゞ、最初この小説を、若き魔法使いの大冒険/単純明快、痛快なエンタメくらいに考えていました。

なので、上記の展開には、大いにがっかりさせられたものです。
なにしろ、キャリアの最初に背負ったハンデが途方もなく重いですからね。
ガックリ来ちゃって、ホント、愉しむどころじゃあなかった。

けれど、小説を読み返してみて、感想が大きく変わりました。
つまり「影」って、もう一人の自分ってコトですよね。

誰しもが抱えている負の側面。
誰にも(あるいは自分にも)覚らせない裏側。
そのものと相対することは困難で、まして、それを乗り越えることなど、中々出来ないけれど。

まして、後に史上最も偉大な魔法使いと讃えられることになる少年ゲドです。
超弩級に優れた資質を持つ彼だけに、その「影」もまた超絶級でした。
乗り越えようったって、とてもじゃあないけれど御しきれません。 その前に喰われちゃいますって。(^^ゞ

読んでいる私は、痛快な冒険が始まるものとばかり想っていましたれど、これって実は、自分自身と対峙し、それを乗り越えよう/先に進もうとする、若者の成長物語だったんですね。

だから、終盤に至ってゲドは気付くんです。
「影」から逃げ回ってちゃダメってことに。

「影」と向き合い、戦いはじめてからのゲドの苦悩と成長。
ファンタジー小説で、かつて経験した類の無い感動を味わいました。

        ▽▲▽▲▽▲

なるほど深いワ。
単純明快なエンタメどころではなかったです。

この「影との戦い」。
私はこれから、何度も読み返すことでしょう。(多分 (^^ゞ )

ファンタジーの名作と呼ばれるに相応しい、素晴らしい逸品でした。

 
 

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September 30, 2019

読書:すべての道は役者に通ず

  
 
すべての道は役者に通ず
 
 
    春日太一著
 
 
        2018年   小学館
 
 
  ・織本順吉
  ・加藤武
  ・宝田明
  ・山本學
  ・左とん平
  ・中村嘉葎雄
  ・上條恒彦
  ・山本圭
  ・石坂浩二
  ・藤竜也
  ・橋爪功
  ・寺田農
  ・江守徹
  ・西郷輝彦
  ・武田鉄矢
  ・火野正平
  ・勝野洋
  ・滝田栄
  ・中村雅俊
  ・笑福亭鶴瓶
  ・松平健
  ・佐藤浩市
  ・中井貴一
 
 
日本映画界を代表するベテラン俳優の皆さん(総勢二十三名!)に対して個別取材を敢行!!
その役者人生を(大いに!!!)語って貰った一冊です。
 
長きに渡る俳優生活の中で、競演してきた役者たちのこと。
お世話になった/シゴかれた監督や先達(ベテラン役者)への想い。
長年培ってきた映画/演技への持論、体験談、交遊録、そしてデビューの切っ掛けなどなど。

そこから浮かび上がってくるのは、二十三名の役者それぞれが、一つの道を究めた「一人の職業人」であるということ。
「週間ポスト」誌の連載をまとめたらしいです。
それにしても、ここに上がった名前をざっと一覧しただけで、もう壮観なものがありますね。

        ▽▲▽▲▽▲

ここに上がった二十三名の皆さん、いずれ劣らぬ個性派揃いですけれど、それぞれが俳優として自分のスタイル/ポジションを確立するに至るまでの悩み/コンプレックス/逡巡/葛藤。 これらが時に熱く、生々しく語られて読ませます。

とはいえ、役者によっては、語る内容の多い/深い人がいたり、一方、簡単に済ませる(あまり語りたがらない?)人もいて、まぁ、それぞれです。(^ァ^)

各回とも共通して、まずは各々の俳優デビューの切っ掛けから語って貰っているんですけれど、その辺に頁を裂くよりも、もっと演技論や、名監督/名優たちの逸話を読みたかったなぁ。
誰もが興味深い(オモシロイ(笑))デビュー時のエピソードを持ってるってワケでもないし。
まぁ、企画段階でこういう段取りでいこうって決めちゃったのかもしれないけれど。

        ▽▲▽▲▽▲

本書に掲載された記事は(雑誌に載った際とは別に)俳優各々の生年順に並べてあるんだとか。 この編集の仕方、判りやすくってイイです。(^ァ^)

ところで、私など、ここに上がった俳優のデビュー当時をあまり知らなかったりします。
初めて(スクリーンに限らず、テレビやビデオで)見たのが、既に俳優として完成された姿であったりしますし。
なにしろ皆さん、大ベテランですからね。
(宝田明については「ゴジラ」(1954)で、そのデビュー当時の演技を眼にしていますけれど)

ですから、武田鉄矢あたりからですかね。 私の場合は。
デビュー当時から知っていて(その俳優としての成長ぶりを)追っ掛けて来られたのって。
あ、中村雅俊も見た。 って言うか、若い頃見まくりました。 青春ドラマなんかに出てたもんね。(^ァ^)
佐藤浩市はCMで見掛けたのが最初かな?(当時、ド下手クソだった(笑))

ともあれ、これから(DVDなどで)旧作を観るのが、より愉しみになったのは確かです。
古い映画や昔のテレビドラマに親しんできた身にとっては、そのバックグラウンドまで窺い知ることの出来る一冊でした。

 
 

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September 14, 2019

読書:潜水服は蝶の夢を見る

 
  
潜水服は蝶の夢を見る
Le scaphandre et le papillon
The Diving Bell and the Butterfly
 
 
      ジャン=ドミニック・ボービー 著
 
 
                1997年   フランス
 
 
未だ眼の具合が回復しない私。
視野の半ば以上に渡って、ものが二重に見えているんです。
眼科医院には通ったんですけれど(今は治療そのものは一時休止して)少し様子をみましょうってことになっています。

そんな中、ゆっくりゆっくり読み進めたのが本書「潜水服は蝶の夢を見る」でした。
時々、片側の目を瞑って字を追ったりしてね。(こうすると、ちゃんとひとつに見えるんです(笑))
ともあれこの本、信じ難い、途轍もない一冊でした。

        ▽▲▽▲▽▲

「ELLE」(エル)という雑誌をご存知でしょうか?

フランス発の婦人誌。
ファッションの本場(!)パリの空気を伝える、世界のトップ・ファッション誌なんだそうで。
60箇国以上に渡り、43もの(各国向けの)版が出版されています。

我が国では「ELLE japon」と称した日本版が発刊されているそうなんですけれど、オレなんかまったくの未読・・・・ というより、書店でその手の雑誌の置かれたコーナーに近寄ったことすらありません。(笑)

        ▽▲▽▲▽▲

さて本書の著者ジャン=ドミニック・ボービーは、執筆前まで本家本元・フランス版「ELLE」誌の編集長を務めていたという男性です。

若い頃こそ硬派なジャーナリズムの世界で活躍したものの、あちこち経巡った末に落ち着いたのが、ファッション誌「ELLE」の編集長という仕事。

多彩な人生経験を積んだ四十代にして、二人の子供、離婚暦もあり。
如何にものヤリ手、口八丁手八丁で、更にちょいとイケメンらしいんですけれど、天下の「ELLE」誌編集長ともなれば、そりゃモテるでしょうよ。(笑)
人生の酸いも甘いも噛み分けて来た、チョイワルなトップ女性誌編集長なわけですね。

さて、功成り名を遂げて、今正に人生の絶頂期に居る男が、ある日突然の発症に見舞われます!
身体の自由が一切利かなくなってしまったジャン=ドミニック。
医師からは「ロックト・イン・シンドローム」なる難病と診断されます。

        ▽▲▽▲▽▲

こうして寝たきりとなった彼。
歩いたり喋ったりはおろか、指一本動かすことすら出来ませんけれど、それでもアタマは明晰ですし、視覚/嗅覚/聴覚なども未だ自由を失っていません。
つまり、身体のインプットの方は(いろいろと制限付きながら)受け付けても、アウトプットの一切が出来なくなってしまったんです。

半生を言論/出版の世界で生きて来た(例えそうでなかったとしても、ですが)この男にとって、これは過酷に過ぎる運命の変転でした。
そんな中、唯一残されたコミュニケーション方法が、左の瞼の動きを使ってメッセージを発信するというもの。

ジャン=ドミニックにとって今や身体中で唯一、自らの意のままになるのが左眼。
そのマブタをパチパチ開閉させて、そのオン・オフを用いてウイ/ノン(イエス/ノー)やアルファベット各文字を指して会話するっていうんですけれど、これって介護の世界で、こういった症状の患者さん向けに開発された手法らしいですね。

こうやって会話を成立させていくのって(もう気の遠くなりそうな)とても手間の掛かる作業(!)ですけれど、身体の自由を封じられた「ロックト・イン・シンドローム」患者にとって、コミュニケーションの手段は(もはや)これしかないんです。

        ▽▲▽▲▽▲

ベッドに横たわったまま、まったく身動きの取れないジャン=ドミニック。
喋れず、手の自由も利かない以上、残された左目のマブタの動きで意思を伝えるしかありません。

始めは医師や看護師や介護士、そして見舞い客との簡単なやりとりから。
やがて編集者をベッドサイドに呼んで、文章を書き留めて貰うということを始めます。(「病牀六尺」は、それでも自分で筆を執ることが出来ましたから、あれよりも更に過酷な状況ですね)

瞼を開閉させることで、アルファベットのを一文字一文字を伝えてゆくって言うんですから、これは大変な根気と労力ですよね。
そこからは、止むことのない創作意欲。 生きている証左を残したいというマスコミ人としての意地と執念を感じさせられますね。

著者は本書に綴られた一篇一篇について、まずはアタマの中で文章を完成させておいて、そのアルファベットの一文字一文字を、瞼の開閉(延べ二十万回にもなるそうな)だけで、ベッドサイドに控えた担当編集者に伝えたと言います。

そんな、世にも稀な事情の中で綴られた文章。 それは、ハンディを感じさせない、あまりにも巧みなものでした。
アウトプットにおっそろしく手間の掛かる分、ギリギリに研ぎ澄まされた表現になるのかもしれませんね。

        ▽▲▽▲▽▲

序章と28編の散文は、
・闘病生活、・ベッドから見た病院の暮らし、・(発症する以前の)想い出、・家族への想い(とりわけ老父と子供たち)、・昨夜の夢、そして ・発症した(あの、運命の)日のこと、
などなど、その内用は多岐に渡っており、それらが、冷徹な観察力/洒脱とユーモア/皮肉とウィット/趣味の好い文学性を持って描かれます。

「入魂の一冊」という表現の、これほど相応しい作品を他に知りません。
人間の意志の力というものを強く実感させられる、掛け値無しに驚くべき一冊でした。
 
 

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August 24, 2019

小説:苦役列車

  
 
苦役列車
 
 
   西村賢太 著
 
 
      2010年   新潮社
 
 
 
 
   ・苦役列車

   ・落ちぶれて袖に涙の降りかかる
 
 
 
 
少し前に話題となりましたね。
この小説で、著者は芥川賞をゲット、映画にもなったそうでケッコウなこと。

        ▽▲▽▲▽▲
 
 
・「苦役列車」
 
 
小説の一行目、その劈頭からして、かつてないタイプの難読な文章の世界に放り込まれます。
パッと見、悪文ですか?(笑)
なんか、ワザワザ難しい漢字を突っ込んでくるし。 
この歳になって始めて目にしたような単語が、幾つも出て来ましたよ。
文章も、ストレートな叙述を避けて、妙に捻じ曲げて来たりするし。
でも、こういう文体、嫌いじゃないです。
 
          ▽▲
 
※ 一九歳の主人公(♂)。 過去の不幸な経験のため、学業/定職に付かず、その日暮らしの日々を送っています。
金に困れば、その都度日雇い仕事に(渋々ながら)出て行き、その場を(持ち金の無くなるまで)しのぐ日々。
交友関係・学歴・資格など一切持ちあわせず、世を拗ねて自堕落に過ごす毎日。(若いのにねぇ)

ある日(イヤイヤ入った)日雇い仕事の現場に、同い年の学生アルバイト君が現れます。
至極平均的な若者、笑顔の爽やかなナイスガイと出会って、自然、彼我を比べてしまう十九才でした。
これまで、他者との交流を一切拒んで来た主人公ですけれど、そこは同い年同士です。
(その境遇の、あまりにも異なる)二人はすぐに打ち解けあうのですが・・・・
 
          ▽▲
 
これって、私小説に分類されるらしいですね。
だとすれば、もう超絶級(!)に自虐的な内用ではあるんですけれど、徹底して客観的に描かれていることもあって、読んでいても私小説とは思い至りませんでした。
なにしろこの作品、主人公に対する共感・同情ってものが一切ありません。

徹底的にクズな主人公の、自堕落そのものな暮らし。
でもね、これ、面白いんです。 ついつい、先へ先へと読み進んでしまう。
なにしろ、どうしようもない主人公の行動、悲惨な顛末。
それが、これだけ延々と続くと、もう呆れるのを通り越して、だんだんと笑えて来ます。

なにか中毒性があるんですね、この小説。
自虐趣味っていうのとも、ちょっと違うけれど。 手足に出来た小さな傷口を、弄い始めたら止まらない的な・・・・

そして、この著者独特の文体のお陰も、ひとつにはあると想います。

        ▽▲▽▲▽▲
 
 
・「落ちぶれて袖に涙の降りかかる」
 
 
上掲の小説の続編です。 第二章みたいなもんですな。
 
          ▽▲
 
※ 主人公、既に四十代になっています。

今では小説家(但し、まるで売れない)として、糊口をしのいでいる模様。
その彼が、酷いギックリ腰に罹って途方に暮れているところから、このお話しは始まります。
ホント、この男、いつも散々な目にあってるよなぁ。(笑)

そんな彼に、川端康成文学賞の候補にってハナシが舞いこんで来ました。
願ってもないビッグタイトルを目の前に、期待を(あさましくも)ふくらませる主人公なのですが・・・・
 
          ▽▲
 
毎度、止せばイイのにって方向に向かってしまう主人公。
そして、その挙句、ダメなんだね。(やっぱり)
付いて廻る、星回りの悪さは相変わらずです。

でも、ここまで生きてきた。 流れてきた。
がんばったね。 って、オレは誉めてやりたいよ。(オレもまた、この自堕落な主人公みたいなもんだし)
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
特異な魅力を放つ一冊でした。
主人公の生活観/行状が、余りといえば余りにアレ(^^ゞだし、その悪文(?!)ぶりもあって、どなたにもお勧めとはいきませんけれど。
 
 

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