October 25, 2009

時代屋の女房

 
 
  時代屋の女房
 
     監督:森崎東
     脚本:森崎東、荒井晴彦、長尾啓司
     原作:村松友視
     出演:渡瀬恒彦
        夏目雅子
        津川雅彦
        大坂志郎
 
           1983年 日本
 
 
小生、学生の頃そして社会人となってのかなり長い期間、合唱団で唄うことにどっぷりと、それこそ身も心もハマっていた時代がありました。 今は、もう止めてしまったのですけれどね。
その頃、相次いで所属した幾つかの合唱団(活動形態やメンバー構成、その目指す音楽など各々異なる)の内の一つに、品川区を拠点に活動する混声合唱団がありました。
 
その団では週に一度ある練習の会場として、品川区は大井にある小学校の教室を借りていたものです。
練習が何曜日にあったのかなど(あの頃、熱心に通ったくせに)もはやハッキリと想い出せなくなっていますけれど、でも、いつもJR大井町駅から件の小学校まで、商店街続くの緩い坂を歩いて通った、その道程は善く覚えています。
合唱の練習を終えての後、テノールとベースのメンバーを中心に呑み歩くのが恒例でした。 いえ、あの界隈は廉くてイイお店が幾らもあってサ。 本当によく呑んだなぁ。 そういうのが、ひたすら愉しかった頃だったんですね。
 
         ▽▲▽▲▽▲
 
この映画の原作たる小説「時代屋の女房」は、第87回直木賞を受賞した村松友視の代表作。
そのモデルとなった骨董店・時代屋は、大井町駅から小学校に往く経路上、大井三つ又の地に実在した小さな一戸建ての店舗です。 1983年に撮影されたこの映画の中では、まさにその時代屋の建物、つまりホンモノがロケに使われています。

品川の合唱団に通っていた私は、ですから大井町駅から練習場所のある小学校への往き返り、週に一度は時代屋の店舗を目にし、その前を歩いていたわけです。 残念ながら、お店の中に入ったことはないのですけれど。
ともあれこの作品、私にとって、自分の一時代を振り返るようなカットが幾つもあって、見ていて堪らなく懐かしい気持ちになってしまうのです。
 
時代屋の主人安さん役に渡瀬恒彦さん。 こういう寡黙な男をやらせると、やはりピタリとハマリますね。 漂わす渋さもさすが。 もっとも、真弓からは「ダンマリスケベ」などとあっさり看破されてしまう安さんです。

そして、その女房真弓役に夏目雅子さん。 一世を風靡した、早世の惜しまれる名女優ですね。 けれど私は、何故か惹かれるものをあまり感じないのですよ。 特段苦手とか嫌いとか、そういうワケではないんですけれど、演技力とか存在感などとは別のところで、どこか相合わないものがあるのかもしれませんね。

原作の小説も(もう随分と昔に)読みましたけれど、あちらと比べて映画の方は全体の質感(音楽なんか特にね)がかなりウェット、多情多感気味。
描写が生々し過ぎて、いささか下世話に感じてしまうのです。 もっとしっとりと、会話や雰囲気を主にして進めればいいのに、とも想います。 ベッドシーンなんて要らないからサ。
原作ではもっとずっと洒落ていて粋や軽み、そしてどこかうら哀しい空気感があったと想うのです。
 
そうは言っても、安さん真弓夫婦と友人達との台詞のやりとりや、大井界隈の風情など、その生活感漂う描写はとてもイイ。 この辺りは映画ならではですね。
そして、真弓の標榜する「何も言わず、何も聞かずが都会の流儀」に対して、そうはいかない安さん・マスター・今井さん達それぞれの抱える未練の描き方などストレートで判りやすく、映画は映画で非常に面白かったです。
私がちょっと原作に拘り過ぎているのかも、ですけれど。
 
今回ネットで調べて知ったのですけれど、時代屋の建物は既に取り壊されてしまっているそうですね。 大井三つ又のあの狭い敷地へと綺麗に収まって、なかなか風情のあるお店でしたけれど。 諸行無常。
この映画の公開当時、「時代屋の女房」のポスターが当の時代屋の店舗にまで貼ってあったのがなんだか面白可笑しく、未だ印象に残っています。
あの当時は小説に関心がなく、映画も見ずじまいだったのですけれど、今頃になって何気にDVDを鑑賞して時代屋と再会した私は、あの頃あの界隈の風景一々が恋しくてなりません。
 
 

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September 21, 2009

ヱヴァ破、ふたたび

 
 
絶賛ロングラン公開中の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」に続いて、エヴァンゲリオンの新劇場番二作目となるこの映画もヒットのようです。

一度観ただけでは飽き足らず(いずれDVD化されることは無論承知の上で)二度、三度~更にさらにと、何度も映画館へと脚を運ぶ熱心なファンの少なくないのが、他のヒット映画とは違うところです。

で私も、映画館のスクリーンで見ることの出来る今のうちに、と想ってまた観てきましたよ。
やっぱり今度も面白かったです。 二回目ともなると、台詞のひとつひとつをよく噛み締め、映像の細かい描写まで確認出来る分、映画をより一層愉しむことが出来ますからね。 リピーターさんの大勢いることも、大いに納得がゆくのです。

俯き加減の中学生・碇シンジ君の登場から、壮大なヤシマ作戦に至るまでの作品世界、その台詞/カットの一々について(まるで神話の語り部の如く)「新世紀エヴァンゲリオン(以下、前作)」に忠実になぞらえてみせた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」に対して、前作の世界感を構成してきたキーポイントを次々に書き換えて来た本作、破の段。

         ▽▲▽▲▽▲

今回観て私がオモシロいと感じたのは(本筋とはまったく関係のないところですけれど)背景に描き込まれた電力設備の描写でした。

SFものでは大概、電子/機械工学、そしてコンピュータ関連の映像が多い、というかSFものの製作者がもっともハリキルのがこういった部分の描写ですよね。 前作だと、エヴァンゲリオンとシンクロする際のサイバー・パンクな描写も印象的でした。

それが、新劇場版では背景に電力関係の描写が多々見られます。 ええ、電子ではなくて電力。 電子装備満載の近未来世界に、なぜかプリミティブな部分が目立つんです。

それは思えば、序の段のクライマックスに描かれたヤシマ作戦でも顕著でした。
日本中の電力全てを一本のビームに収束させて一大血戦に臨むという、燃える(!)クライマックスの描写は巨大電力設備の大集合。 人力と電力を掻き集めての総力戦でした。

で、本作の舞台となる第3新東京市の描写では、街中に張り巡らされた配電線。 電柱と建物を行き来するアレの描写が印象的です。

従来、景観を破壊するとされ、また諸外国(といっても主として欧米でしょうけれど)と比較されて・・・・こんなのは日本だけみっともない・・・・みたいに言われてきた街中の電柱とその間を複雑に行き交う架空電線。
とても近未来の日本、それも使徒迎撃専用要塞都市としては似つかわしくないと想うんですけれど。
でもそれを、わざわざ描きこ込んできたのはとても興味深いこと、とこう想ったわけです。

街中の電線たち。 改めて眺めると景観の一部として、なんだか人々の暮らす生活圏に張り巡らされた血管のようにも見えてきます。 そんな生命観を、新劇場版の作品世界にも持ち込みたかったのでしょうか。
ところで私、こういった街の配電線や電柱。 実を言うと、これはこれで嫌いではないのですよ。
こうして電線の張り巡らされた風景を、ある意味キレイとさえ想う、そんな感覚があります。

そういえば前作では、従来のアニメでは極力避けられていた日本語の文字表記(特に明朝体)をスクリーン上で多用して、そのカッコよさを世界にアピールしたものでしたね。
工場萌えが認知され出しているご時勢ですから、今度は電気関係がクルかもしれませんよ。
なんて、勝手にあれこれ考えて愉しんでます。
 
 

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July 30, 2009

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

 
 
 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
 Evangelion: 2.0 You Can (Not) Advance
 
 
    総監督:庵野秀明
    出演 :緒方恵美  (碇シンジ)
        林原めぐみ (綾波レイ)
        宮村優子  (式波・アスカ・ラングレー)
        石田彰   (渚カヲル)
        坂本真綾  (真希波・マリ・イラストリアス)
        三石琴乃  (葛城ミサト)
        山口由里子 (赤木リツコ)
        山寺宏一  (加持リョウジ)
        立木文彦  (碇ゲンドウ)
 
            2009年 日本
 
 
 
公開中の映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観て来ました。

オリジナルのテレビアニメ、新世紀エヴァンゲリオン(全26話)の放映されたのが1995年~1996年のこと。
その後、新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2(1997年)、新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを君に(1997年)と続き、これらは未だ評価の高い超人気コンテンツです。

そして、新たな再構築の始まりとして前作 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 の公開されたのが2007年の夏。 掛け値なしの傑作でした。(私は二度劇場に脚を運びましたっけ) あれから2年経ったんですね。

今回も素晴らしい出来ですよ。 待ち続けた甲斐は、十分にありました。
オリジナルのテレビ版や前作映画のテイストを残していた序の段(再構築、リビルド版として新たに始まった物語の「序」として、それは実に正しい方向付けなのですけれど)とは異なり、今回は物語の造り諸々をこれまでとは異なるカタチに改めています。 まさに破の段。

映画館の巨大なスクリーンをフルに生かした画面構成。 ド派手なアクション・シーンや精緻な描写により、堂々たる娯楽作品として誰にでも(コアなファン限定ではなく)愉しめる映画に仕上がっています。
ヱヴァンゲリヲンと言えば、今ではアニメ界のみならず邦画の大看板。 見込める市場が大きく、注目度も高い作品ですから。 興行的にも、絶対に失敗できないでしょうしね。

従来、エヴァの魅力の大きな部分を占めていたある種の難解さ、物語としての収集のつかなさ(?!)、無節操なまでの衒学趣味など、それらは幾分矯められてきている(今のところは、ですけれど)と言って良いのではないかと想います。
だからといって、エヴァならではの魅力は尽きないのですけれど。
 
 
さて、ここから先の内容はネタバレになります。
映画を未見の方はご注意下さい。
 
 
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前作(テレビ版~映画)に時折差し挟まれた大胆な、いっそ前衛的ともいえる心象風景的シーンは、今回は少ないのですけれど、そんな中で、黄昏の中をガタンゴトンと往く電車は健在です。 このコダワリ。 あるいは、庵野総監督の原体験なのでしょうか?。
BGMや劇中歌に「翼をください」やら「三百六十五歩のマーチ」を使う(それも、凄惨な戦闘シーンの中で!)など、また、往年の特撮怪獣映画へのリスペクトなど、作者の世代を感じさせられ、個人的にハゲシク共感するのです。
 
 
 ・渚カヲル君、今回もイイ場面で登場
そういえば、序の段でもイイトコで登場していましたね。 今回も未だまだ謎を引っ張り続けますよ。
その台詞から、この世界(新劇場版)がテレビ版+前作映画の内容をまた繰り返している、リピート/ループの中にあることをそれとなく暗示。
そう、新劇場版はリメイクではなく、また2(続編)というのでもなく、再構築、リビルドということなのだと想います。
 
 
 ・碇シンジ君、強し!
初号機の鬼気迫る闘いぶり、リミッターの振り切れたラフ・ファイトは、シンジ役・緒方恵美さん入魂の熱演も相まって、シリーズ中でも最高レベルに達しています。

これまで、闘うことに意義を見出せず悩んできたシンジ君。
その彼が<ただ綾波のため>に渾身の力を振り絞って闘い抜きます。
そして綾波レイの名台詞「私が死んでも替りはいるもの」に対して、今回はあの(!)シンジ君がダメを出すのです。
不肖はこの瞬間こそ未来への希望、破の段のクライマックスと確信致しました、はい。
 
 
 ・綾波レイのキャラ、ややチェンジ
嬰児のように無垢で、未だ情というものを知らずにいる少女、綾波レイ。
その彼女の、前作(テレビ版)では終盤にまで及んだ情緒の覚醒が、今回は早くから始まります。

打ち解けられない碇父子の仲を取り持とうと(不器用ながらも微笑ましく)画策さえする綾波。 あるいは、母性の目覚めさえ始まっていたかもしれません。
前作(テレビ版)でも、シンジ君らとの交流により人間らしい情緒や自我を獲得しかけて、でも、あとわずかというところで、闘いの中に果てたのでしたね。 それが綾波レイ、薄幸の少女。

破の段での綾波からは、そんな前作よりも幾分、悲劇の色合いが薄らいでいるような印象を受けます。
綾波レイと言えばオリジナル(テレビ)版の放映以来、数多のスピンアウト作品に描かれてきたアニメ回屈指の人気キャラですけれど、しかしそこでは、落ち着いて佇む姿、あるいは和やかに微笑む姿などが多く、必ずしも悲劇のヒロインとしては描かれていませんでしたからね。
なにしろ年季の入ったファンの多いエヴァです。 取り分け好きなキャラには、情も移ろうというもの。
今回の変節は、あるいはそんなファンの想いが通じてのこと、ということもあるのではないでしょうか。
 
 
 ・アスカもまた
今回、ホントに思い切ったことをしてきたもので、エヴァ人気の一翼を担ってきた人気キャラ。 アスカの扱いを換えてきました。
それ故にでしょうか、姓も「惣流」から「式波」へと換わっています。 おそらくは前作(テレビ版)で描かれた彼女の出自/トラウマなども、なかったことにされるんじゃないでしょうか(と私は見ています)。

前作(テレビ版)の後半から終盤に掛けてあった彼女の疑心暗鬼~自我崩壊の顛末はもはや、ストーリーから外されたようですね。(ある意味エヴァで一番クラく、また現実的なテーマと言えますし)
こちらも綾波と同様、十数年を経てのキャラ変節といえるでしょうか。

綾波とアスカ、両ヒロインがやがて迎える結末は、案外と明るいものになるのかもしれない(破のラストでは、二人とも大変なことになっているんですけれど)、そう予感させられます。
ところで彼女、今回はいささか出番が少ないんですよね。 そこのところが残念至極。
 
 
 ・真希波・マリ・イラストリアス
今回初登場の新パイロットはシンジ君らとは違い、謎の多いネルフやゼーレの内情あれこれを知っている模様。 カヲル君と同様、謎のチルドレンです。
そして、戦うことについて一点の疑いも持たぬ、根っからの戦士タイプ・・・・というか命知らずで、しかもアスカとは違い、メンタル面もタフで隙のない様子。
でも、そこはヱヴァの登場人物ですからね、そう単純なキャラではない筈と想うのですけれど・・・・
 
 
 
さてもヱヴァンゲリヲン新劇場版:破の段、ファンがこれまでに体験してきたヱヴァの世界を大胆に掻き回してくれました。
この先、例えば人類保管計画なんて一体どんな形でケリをつけるんでしょう。
とまれ、残すは「Q」(「急」ではなかった!)と、そして「?」。
この続きが、とても愉しみです。
いくらだって待ちますよ。
 
 

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June 02, 2009

ラン・ラン・ピアノ・リサイタル

 
 
またまた、ご無沙汰をしております。
目下、某資格試験に向けて鋭意勉強中の私であります。 現実逃避がてら(こらこら)、ここらでちょいと書き込みをば。

今夜はNHK・FMの「ベストオブクラシック」で中国は瀋陽出身の若手トップ・ピアニスト、ラン・ラン(郎朗)のピアノ・リサイタルを聴きました。


 郎朗:pf

   シューベルト:ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D.959
   バルトーク:ピアノ・ソナタ
   ドビュッシー:前奏曲集から
   ショパン:英雄ポロネーズ

      2009年1月24日、サントリーホール


郎朗のピアノはどの演奏もエネルギッシュ! 一貫して隈取の濃い表現で通し、一音一音にハッキリとした意思を感じさせられます。
極太の筆を大胆にふるってぐいぐいっと、素早く躊躇いなしに描きあげる書画・・・・といったイメージ。
聴いていてワクワクさせられますよ。 とにかく始めっからお終いまで、一時たりとも退屈させないんだから!
そして勢いの善さばかりではなしに、緩徐楽章でも聴かせ/泣かせるのですから、これは大変な才能ですね。

でも逆に言えば、その表現に作為性・・・・幾分の「ワザとらしさ」を嗅ぎ取れないではない。
どの曲も作品に(作曲者に)委ねるでなしに、ランラン節になってしまうようなところがあって。
この個性の強烈さは、聴き手によって好悪が分かれるものかもしれませんね。

で、今宵の私はそんな郎朗のピアノを堪能させて貰ったのでした。
 
 

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May 14, 2009

天地人

 
 
「天地人」は今年、2009年のNHK大河ドラマ。 2007年の「風林火山」以来の戦国ものです。
上杉謙信の養子景勝に仕えた忠臣、直江兼続の生涯を描く長丁場のドラマも、そろそろ折り返し地点へと近づいた辺り。
ネットでは、時に芳しくない評価も聴こえてきますけれど、私は最初からずっと見ていますよ。

常々、NHKの大河ドラマには、私のありきたりな先入観を大きく打ち壊すほどのもの、その年ならではの作品であって貰いたいと想っています。
2009年の大河ドラマは、2009年にしか造ることのできない内容でなければ意味がない、と考えるのです。
どの年の大河でも、その時代の映像技術/世相を反映した意欲的な表現が見てみたいし、民放の歴史もの(お正月特番など)にありそうなお定まりのパターン、安定路線には進んでいって欲しくないですからねえ。
仮に試みの内の幾つかが不評に終わったとしても、(表現の)攻めの姿勢は崩して欲しくないですよ。 どこまでも、付いていきますから。

今年の大河は合戦シーンなど、あまり大掛かりなロケが見られなくて、戦国物としては大人しいという気もします。 けれど合戦場を空高くより俯瞰するシーンなど、CGを駆使した(CGでしか表現でき得ない)斬新なカットがあったりして、見せ場にも事欠かないのじゃあないでしょうか。

大島ミチルの音楽は、戦国らしい土俗的なテーマ曲は別として、劇中の音楽など妙に甘ったるい旋律や、時折ジャズっぽい和音が現れるなど、違和感が付いて回り、ちと弱ります。(それも、最近になってこちらが順応して来た気がしますけれど)

         ▽▲▽▲▽▲

それからキャスティング。
あえて、気に入ったところだけ書いてみましょう。
 
 
主人公、直江兼続役に妻夫木聡。 心優しく、誠実な気質(すぐ泣いちゃうんです)は好感度120%。
但し、その辺は事前に、それこそ妻夫木聡主演と聞いた時点で予想していた通りなので、(上述のように)新鮮味というのは無かったんですけれど。
いや待てよ、妻夫木クン持ち前のキャラはそのままに、主役を張らせたってところに意外性があるのか。
かつてない、草食系戦国武将の誕生ですね。
 
 
その主、上杉景勝役に北村一輝。
あまりにも偉大な上杉謙信の後継者としてのプレッシャーに耐える、極めて口の重い、しかしながら兼続の仕えるに相応しい名君という難役を好演。
言わねばならない、でもなかなか言葉の口に出ないモドカシサ、みたいな感覚の伝わってくる演技力はさすがです。
 
 
先代の上杉家君主、上杉謙信役に阿部寛。
激しさと高潔さ。 まさにハマリ役でした。
「天地人」の序盤は阿部謙信にすべて持っていかれたかの感がありますね。 いっそこのキャスティングで謙信を主人公にしたドラマが見たかった・・・・とは誰しも思ったんじゃないでしょうか。
 
 
心優しい兼続の気丈な奥さん。 お船役に常盤貴子。
この女優さん、元々あまり好みではなかったのですよ。 それが今年のヒロインとは、トホホ・・・・などと案じていたのですけれど。
いざ始まってみれば、お船の凛とした立ち姿と、キビキビとした所作の美しいこと。 もうそれだけで、お船という女性の人柄、イメージがしっかりと伝わってきます。
今では、兼続とは好対照のパートナー役として、ナイス・キャスティングと想っています。
 
 
織田信長役に吉川晃司。
こちらも素晴らしい! おそらくは意識してそうしているのであろう、ちょっと奇妙な台詞回し(イントネーション)や、何処か遥かなものを見通しているかのような視線からは、常人離れしたイメージが伝わってきます。
実際の信長その人も、おそらくはこんな風貌だったのではないかと想わせられて、個人的に歴代信長役者ナンバー1の座を差し上げたいのです。
 
 
羽柴秀吉役に笹野高史。
こちらも好キャスティング。
でも、(NHK大河の)マイベスト秀吉としては、既に「功名が辻」の柄本明がいますからねえ。
笹野秀吉の出番としては、信長没後からが本領発揮でしょうから、これからが見ものなのです。
 
 

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December 29, 2008

NHK大河 篤姫 最終回

 
 
今年のNHK大河ドラマ「篤姫」が最終回を迎えた。
徳川十三代将軍家定の正室篤姫(のちの天璋院)を中心に、徳川家の興隆をじっくりと描き切った。
それにしても、薩摩今泉島津家の娘に過ぎなかった於一の登場から、明治維新まで、一年過ぎることの速いことはやいこと。
と、なんだか去年の今頃と同じようなことを書いていますね。

私は篤姫その人についてまるで知らず、当初はどんなドラマになるか予想も付かなかったんですけれど、始まってみれば想定外の面白さで、結局一年を通してお付き合い出来ました。

お終いのあたりは、勝海舟(北大路欣也)の存在が特に好かったですね。
ドラマの終盤に至って、天璋院と海舟の居る距離が次第に近づいてゆく・・・・って男女のってやつではなくて、大御代様と一介の幕臣と、世が世ならばお目見えも叶わぬような間柄の二人の対面風景が、お座敷での改まった形から、縁側や庭での気の置けない談話へと移ってゆき、更に江戸が東京と改まってからは揃って市中を散策するなど。 そんなところに世相の移り変わりを感じさせられ、なんとも小気味の好い演出でした。
最終回、維新の後しばらくを経ての大奥同窓会(?)も愉しかったです。 「篤姫」では、全編の随所でこういった遊び/粋な演出が冴えていましたね。

さて、来年の大河ドラマは戦国もの、上杉家の忠臣直江兼続を描く「天地人」ですと。 徳川家康に噛み付いた直江状、そして前立に「愛」の字を飾った兜で名高いお方ですね。 今度は守備範囲内ですぜ。 よしよし。
 
 

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December 28, 2008

あの戦争は何だったのか ~日米開戦と東条英機~

 
 
 あの戦争は何だったのか
   ~日米開戦と東条英機~

  <ドラマとドキュメンタリーで綴る開戦への道>

  12月24日(水)18:55~23:32  TBS


<出演>
 東条英機 (総理大臣・陸軍大臣)ビートたけし
 石井秋穂 (陸軍省軍務局軍務課高級課員)阿部 寛
 東郷茂徳 (外務大臣)橋爪 功
 近衛文麿 (前総理大臣)山口祐一郎
 木戸幸一 (内大臣)風間杜夫
 昭和天皇  野村萬斎
 山本五十六 (連合艦隊司令長官)市川團十郎
 徳富蘇峰  西田敏行


太平洋戦争とは一体誰が、どういった経緯で始めたものなのか。
無謀としか想えない戦争に、なぜ突入したのか。
「あの戦争は何だったのか」を問うTVドキュメンタリーとドラマです。
私は前に原作の同名書(保阪正康著)を読んでいて、それがとても面白かったので、前々から期待していた特番でした。
かなり長尺の番組で、録画してあったものを2日掛かりでようやく診きりました。 ふう。

開戦前夜、戦争回避を最後まで模索する(時勢の読めている一部の)軍人や、一方闇雲に開戦を希求する世論があったという皮肉。
原作にはなかった徳富蘇峰(と戦後彼にインタビューを試みる記者)、つまり当時のマスコミ/言論知識人という視点は、私にとっては新鮮でした。
その彼らに戦争責任は? というところまで、テレビというマスメディアの上で踏み込んでいる点は特に評価したいところです。

導入部の歴史解説ドキュンタリーパートも含めて、実に長い番組ですけれど、クライマックスとなる長丁場の会議(大本営政府連絡会議~御前会議)シーンで少しも飽きさせないのは脚本、演出、キャストの面白さと、なにより開戦の決断というテーマの重み故でしょう。

永い会議の終盤、いよいよこれで開戦が決定するというあたりは、「え、こんなんで決まっちゃったの?!」というくらいのあっけなさですけれど、それが製作者側の狙いなのだろうと想います。
この時の、彼らの決断により日本の運命、300万人を超える犠牲が決したわけです。

原作では触れている、東条はじめ一部軍人らの戦時中のトホホぶりは、ここでは描かれていません。 東条など、その分好い人になっちゃってますね。 それはそれで、原作とは異なるTV版の視点なのかもしれませんけれど。

とまれ、キャスト中の、東条はじめ歴史的映像で見知っている人々が皆々そっくりさんで、それを見るだけでも、ある意味楽しく、また娯楽性も十分含んだ番組でした。
 
 

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December 12, 2008

世界ふれあい街歩き

 
 
日曜夜はご多分に漏れず「篤姫」タイムなわけですが、ただし最近は別件があって、リアルタイムで見ることはなく、専ら録画でチェックってことになってます。

でその後、休日のお終いに同じチャンネルで放送されるのが「世界ふれあい街歩き」 このゆる~い旅番組に目下ハマってます。

毎回世界各国の街を訪れ、特に目的も持たずに、ただもうぶらぶらと歩く、それだけの番組。
広く名の知れた名所旧跡には目もくれず、でも地元の人が自慢するスポットは見逃しません。
街行く人々との会話。 なにやら面白そうな店があれば覗いてみ、古い路地を見つければ潜り込んでしまう。
移動にはクルマなどの機動力を一切頼らない。 つまり、日中掛けて歩いて回れる範囲内でのロケに徹してます。
早朝から歩きはじめて夕方まで。 常に陽の傾き具合を感じながら番組の進むのが、また好いんですよね。

それは例えば言えばグーグルのストリートビュー・・・・・いろいろと問題も指摘されるようですけれど・・・・・あれでご近所の散歩など試みた方も少なくないのではないかと想います。
「世界ふれあい街歩き」のスピード感は、ちょうどあの感じ、ストリートビューで地図上を移動する時の体感速度に近いんですよね。

毎回入れ替わる番組の語り手は俳優やタレントさんなど、いずれも穏やかな語り口を持つ、のんびりまったり系の人たちが好演。 私は、中でも中嶋朋子さん担当の回が特に好きかな。
テーマやBGMとして流れる音楽も、とっても趣味が好いし。 休日のおしまいを惜しむかのような、やさしいことこのうえない番組。 少しでも長く続いて欲しいものです。
 
 

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July 26, 2008

おちおち死んでられまへん

 
 
  おちおち死んでられまへん
    <斬られ役ハリウッドへ行く>


    福本清三、小田豊二著

        集英社文庫  2007年


不肖なんであれ、その道一筋に生きて来たプロと言う存在に弱い。 今風に言えば、リスペクトする傾向にある。

己の役どころを心得ていて、やるべきことをきっちりと勤めあげる。 必ずしも陽の当たらない位置居たりするけれど、でも、その人が居なければ始まらないプロ。

本書の著者、東映京都撮影所に大部屋俳優として半世紀近く勤める福本清三さんもそんなプロ中のプロの一人である。
長年に渡り映画、テレビドラマに脇役として出演して来た福本さん。 中でもテレビ時代劇のラスタチ(番組クライマックスの大立ち回り)では、主演俳優に絶妙の呼吸で斬り掛かり、逆にバッサリ斬り倒される、そんな斬られ役の第一人者である。

本書は、福本さんが柔らかな関西弁で語るのを、小田豊二さんが聞き書きする形式で通しているため、福本さんの腰の低い、そしてユーモラスな人柄が直に伝わって来る。

特筆すべきは福本さんの慎ましさ、礼儀正しさ、優しさ、なにより感謝の心。
役者と言う仕事につき物の華やかな、敢えて言えば虚飾のイメージに反して、驚くほど謙虚で実直なのです。
かつての映画黄金時代から、長年に渡り脇役一筋に勤めてきたこの役者さんのその人生観、斬られ役としての経験談からは、愚痴や他人への悪口が一切出ない。 この本は、だから読んでいて、実に気分が良い。

長年に渡り、名斬られ役で鳴らした福本さんのファンは少なくなく、近年は東映太秦映画村で催される殺陣ショーでも活躍している。

        ▽▲▽▲▽▲

2002年。 定年を間近に控えた福本さんに、思いも掛けぬビッグチャンスが廻って来た。
トム・クルーズ主演のハリウッド作品、「ラスト・サムライ」への出演オファーである。
福本さんに振られたのは、主人公の警護/監視役を忠実に勤める寡黙な老侍、サイレント・サムライ役。

以下の引用は、40年を超える大部屋俳優人生の文字通りクライマックス・シーンとなった撮影風景。
映画「ラスト・サムライ」ご覧になった方もおられると思います。 出来得れば、映画のシーンを思い起こしながら読んでみて下さい。
 
 
 <<< 引用はじめ
 
一番印象に残っているのは、私がトムさんを武士の家に案内するシーン。私が先にあがって、そのあとをトムさんが続く。私はこの時、胸の奥がじーんとしましたわ。
だって、そうでっしゃろ。
このシーン、トムさんを私が案内するんでっせ。
トムさんと私、ふたりだけですわ。ただ、歩いていく。
ただそれだけのシーンなんやけど、これ、私にとってはものすごいことなんですわ。
わかりますか。これまで私がやってきたことと言えば、スターさんとからんだシーンは立ち回りやないですか。それがただふたりだけで歩くんですわ。それも、世界のトム・クルーズと。
五台のキャメラがトムさんと私を追うんでっせ。
こんなこと、あってええんかいなって思いましたわ。
 
 引用おわり >>>
 
 
万感胸に迫りますね。
福本さんの謙虚な姿勢はしかし、ハリウッド・デヴューを飾った後もまったく変わらない。
そこのところが、なにより凄いと想う。
 
 

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May 27, 2008

逆境ナイン

  
逆境ナイン
 
  監督:羽住英一郎
  出演:玉山鉄二
     堀北真希
     藤岡弘、
  原作:島本和彦「逆境ナイン」
 
     2005年 日本
 
 
島本和彦の同名の高校野球スポ根ギャグ(?!)マンガを実写映画化!!
弱小野球部を率いるキャプテンで投手の不屈闘志(って名前なんです)が、襲い来る数々の逆境にもめげず、甲子園を目指す姿を描く。 高校野球マンガのパロディと、ナンセンス・ギャグの要素を併せ持つ青春ドラマである。

なんたってこの映画、原作者・島本和彦の描くマンガの世界感をそのまんま、無理矢理に実写映画化してしまった。 そのこと自体のバカバカしさに、まずは笑うしかないでしょ。

ナンセンスなギャグの連続するドラマなんだけれど、それをつなぐ映像の一々を、カメラが本格的に捉えている。
キッチリ映画しているのである。
それゆえ、登場人物たちがバカをやる中で、映像だけは唯もう純粋に美しいのだ。 そのお陰で、笑いの場面が余計に可笑しくなってるね、絶対に。

主人公の投手・不屈闘志役に玉山鉄二。
この役者のことを私は好く知らなかったのだけれど、彼の演じる島本和彦ワールド的熱血漢ぶり。 純情無比で、暑くるしく、そしておバカな高校球児の姿に惹きつけられた。 まずはハマリ役と言って好いのではないか。
不屈以外のナインも皆好演するけれど、いずれも小粒で印象は薄い。 やはりこの映画、玉山鉄二の独り舞台の感があるね。
そして、マネージャー役・堀北真希の可憐さ。
重厚な雰囲気で島本和彦ワールドを支える、校長役・藤岡弘、。

おバカで熱い青春ドラマに散々笑い転げさせられて、お終いは岡村孝子の「夢をあきらめないで」に思わずジンと来ちまう映画です。
 

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May 11, 2008

HINOKIO

 
 HINOKIO
 
   監督:秋山貴彦
   出演:中村雅俊
      多部未華子
      本郷奏多
      堀北真希
      林原めぐみ(声)
 
         2005年 日本
 
 
テレビのニュースだったか、それともコマーシャルでかは忘れたけれど、本田技研工業のASIMO。 あの二足歩行ロボットが歩く姿を初めて見た時は、いやもう、ぶったまげたもんである。

普通、ロボットの歩きと言えば機械的な、ギクシャクとした動きを想像しがちだけれど、その先入観に反してスタスタと歩く、その動きのあまりな人間っぽさ。
これは絶対中に人間が入って歩いているんだろうそうだそうに違いない!って、どうしても疑惑の目を向けてしまうんだけれど、その形状から見て、人間が収まるとは考えられず、改めて驚いてしまう。
あれを見た人の反応は、まずは誰しも一様にクチあんぐりと驚いて、次いで顔をほころばす。 ってところじゃあないだろうか。
人類史上初の本格的二足歩行ロボットは、誰からも愛されるナイスな奴であった。
 
 
※ロボット研究者を父に持つ小学生のサトルは、交通事故により母を亡くし、自身も車椅子の生活を余儀なくされる。 また心に負った傷により、他者とのコミュニケーションを拒否するようになり、自宅から一歩も出ない日々を送っている。
その頃、様々な理由から登校出来ない児童に、本人が遠隔操作するロボットによる代理登校をさせる試みが始まった。
 
 
サトルの操るH-603(HINOKIO)は、ASIMOと同様子供サイズで、ちょっとたどたどしい足取りの二足歩行ロボット。
HINOKIOの動くシーンは専らCGで描かれるのだけれど、それがとても自然で虚構と言う感じがまるでしないのは、ASIMOを見ていての学習効果に拠る処が大きいと思う。

お芝居の方は、ジュン役の多部未華子をはじめ、子役の縁起が素晴らしく上手い。
堀北真希が小学生に見えないのは、ま、ご愛嬌か。
我が子との距離が縮まらず悩む、お父さん役に中村雅俊。 ラスト近くで見せる会心の笑みが好印象。

子供たちの友情、勇気、母への慕情、淡い恋心。
そしてイジメ、非行、嫉妬、父への反目、親の再婚など。
子供たちとロボットの触れ合いということで、ほのぼのしたストーリーかと思えば、子供なりに結構重いものを含んでいるのだ。

昔、千住に実在した「おばけ煙突」の使い方の上手さ。
現実の世界とコンピューター・ゲームの電脳世界とがリンクしているという設定は、随分とっぴだけれど、ここは大人の常識で判断するのではなしに、学校の怪談を真剣に論じあう子供の感覚で、率直に受け取れば好いのだと想う。

あまり期待もせずに見始めたのだけれど、映画が終わってみれば、夢中になって見入っている自分がいた。
あくまで子供中心のドラマながら、大人の視線で見ても十分に愉しむことの出来る佳品です。
 

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May 03, 2008

玉川上水

 
明日から連休ということで、開放感ありまくりの金曜日の夜(というか、もう土曜)。
グラス片手にタモリ倶楽部を見始めたら、今回のテーマは玉川上水ですと。

その昔、私がサイクリングに凝っていた頃。 近くにあった多摩川の両岸に設置されているサイクリングコースに、足繁く通ったものである。
始めたばかりの頃は手近なエリア、川を渡る東横線と東海道線の間辺りを走っていたのが、何度もサイクリングを重ねるうち、次第に行動範囲が広がってゆき、最終的には下流は多摩川の河口付近、羽田空港の傍まで。 上流は羽村取水堰とそして阿蘇神社まで達した。

玉川上水は江戸時代、市中の水源を確保するため造られた水道である。 工事にあたった庄右衛門、清右衛門兄弟は、その功績により玉川の姓を賜る。
タモリ倶楽部でもちらと映った、その玉川兄弟の銅像(これが、なかなかカッコイイのですよ)の据えられているのが羽村取水堰である。

番組では生憎と、羽村取水堰そのものは取り上げず、都心部にあって、現在は使用されていない上水道の跡、その多くは暗渠化されている部分をタモリ一行が辿る、と言うことをやっていた。

玉川上水沿いには部分的に遊歩道が整備されていて、私は羽村取水堰から神田川のあたりまで、何度か自転車を走らせたことがある。
遊歩道の全てが一本の道で繋がっているというわけではなく、(それは多摩川のサイクリングコースも同じだけれど)あちこちで、市街の一般道に出なければならない。 けれど、わずかに残った上水道跡の、両岸に樹木の生い茂る中、ゆっくりとペダルを漕ぐのは、まことに気持ちの好いものであった。

番組の方では、折りしも満開の桜をバックに、薀蓄を披露しながら、ゆっくりぞろぞろと歩を進めるタモリ一行。
そのゆる~いノリを愉しんでいる内に、ほっこりと眠気がやって来た。
 

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April 16, 2008

ドクター・ドリトル2

 
 ドクター・ドリトル2
 Dr.Dolittle2
 
   監督:スティーブ・カー
   出演:エディ・マーフィ
 
      2001年 米国
 
 
エディ・マーフィのトーク、そして、動物たちと組んでのギャグで人気を呼んだ「ドクター・ドリトル」の続編。

前作「ドクター・ドリトル」で沢山の動物達と関わったドクターだけれど、今作では特に熊のアーチーをメインにすえた。

思えば前作では、登場する人間も動物も、それぞれに悩みを抱えつつ、精一杯に世渡りをしていた。
動物たちなど、ネズミみたいに小さな奴ほど気が強かったり、また逆に、トラみたいに大きな多き奴ほど繊細だったりする。 そんなところに、ヒネリの利いた風刺を感じたし、また、人間社会の世知辛さを、動物に託して表現していたのも面白かった。

それが今回は、サーカスで育ったシティ熊、アーチーの野生回帰という、ある意味、正攻法なテーマに焦点を絞ってみたと言うわけ。
なにしろ絵本、童話、動物園やサーカスでも人気者の熊さんが主になるわけだからして、まずは大人から子供まで、誰にでも親しみやすい路線を目指したのであろう。

エディ・マーフィの繰り出すジョークも、前作に比べてずっとソフトになった。
これもやはり、ファミリー向けということを意識しているのじゃあないかと思う。 ポリティカルコレクトネスって言うんですか。 ヤバげな台詞など、あまり聴かれなかったし。 ご家族で安心して楽しめるようになってます。

リラックスして、のんびりと愉しむにはおあつらえ向きの映画だけれど、でも、総じて前作の面白さには及ばないかな、と想いました。
 

   「ドクター・ドリトル」
 
 

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April 09, 2008

UDON

 UDON

  監督:本広克行
  出演:ユースケ・サンタマリア
     小西真奈美
     トータス松本
     小日向文世
     木場勝己
     鈴木京香
 
       2006年  日本
 
 
うどんと言えば香川県。 本場のうどんは讃岐うどん。 押しも押されもしないソウルフード。
その地に生まれ育ち、日々うどんを打って、喰らう人々。
四国に渡ったことのない私が、うどん文化圏の一端を知ることの出来た映画であります。

舞台となる讃岐地方の風景の見事さ、素晴らしさ。
日頃、みいさんのブログで美しい写真を見せて頂いている、讃岐富士を中心とした明朗な田園風景と、そこに住まう人々の暮らし。 見ているだけで、もうニコニコである。

但し、地元タウン誌の取材をきっかけに巻き起こる、うどんブームの顛末を描く映画の前半が、私としてはイマイチの感があった。
タウン誌の編集スタッフが県内各地に点在するうどん屋を取材するシーンなど、いろいろと演出を工夫しているのが、テレビの旅グルメ番組などで、芸能人がレポートしている風に見えて、どうにもシラけてしまうのだ。

主人公の松井香助役にユースケ・サンタマリア。
その型破りな言動、押しの強い無責任男ぶりは、見ていて憎めない奴と笑う人と、許せない奴と怒る人に分かれるのではないだろうか。 で、私は後者の側と。
なにしろ表情がコワイ(眼が、決して笑わないのだ)。 人気男優ながら、私とは余程相性が悪いのかもしれない。

ライターの宮川恭子役に小西真奈美。
童顔で、終始カワイイ表情を保つばかりで・・・・・でも、それだけ。 こちらも、私とは相性が好くないのかなあ。 随所に差し挟まれる、この人のナレーション(自己愛が、少しばかり鼻に付く)はいらないと想うな。
 
そして後半は、讃岐の小さなうどん屋、松井製麺所一家の後継者問題へと話しが移る。
こちらは好い役者が揃った。
松井家の老父、頑固一徹なうどん職人の拓富役に木場勝己。 その娘、しっかり者の万里に鈴木京香。  気の優しい婿、良一役に小日向文世。 この一家に、前述の香助が絡むことになる。

いっそ前半の、タウン誌編集部の活躍編はバッサリ切り捨ててしまい、後半の松井製麺所一家のストーリーひとつでまとめてくれれば、この映画は佳作に成り得たと想うのだけれど。

ラストの香助の選択に、私は納得がいかないのだけれど、この映画を造った本広監督をはじめ、大挙カメオ出演した香川県出身の俳優・タレント諸氏、つまり故郷を離れて都会に出て行った人々に重ねて考えてみれば合点がゆく。 でも、そうだとすると、これも一種の自己愛に見えてしまって、共感し辛いんだよね。
上映時間134分が、矢鱈と長く感じた。

いろいろと文句を垂れたけれど、すっかりうどん気分になってしまった私。 映画を観たその翌日、いそいそとうどんを喰いに出掛けたのは言うまでもない。
いつか讃岐へ、ソウルフードを喰いに行ってみたいモンです。
 

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March 23, 2008

バタリアン

  
 バタリアン
 Return of the Living Dead
 
  監督、脚本:ダン・オバノン
  出演:クルー・ギャラガー:バート
         (医療機器販売会社の社長)
      ジェームズ・カレン:フランク
         (同社のベテラン社員)
      トム・マシューズ:フレディー
         (同社の新入社員)
      ドン・カルファ:アーニー
         (葬儀屋、バートの旧友)
      ベヴァリー・ランドルフ:ティナ
         (フレディーの恋人)
 
         1985年 米国
 
 
私は、映画を好む者である。 しかしながら、ホラーものだけは一切見ないことにしている。
なにしろこちとら、筋金入りの超怖がりと来ていますからね。 誰が好き好んで、お金と時間を費やして、わざわざ怖い想いをしますかって。
それが、この春の凶悪な花粉症のおかげで何処かのネジが吹っ飛んでしまったものか、生涯縁のない筈のホラー映画に手を出してしまった。
 
「バタリアン」。 そのタイトル(あんまり、好い邦題ではないと想う)だけは、以前から私も聞き知っているくらいだから、さぞかし名作なのであろう。
ホラーのマスターピースと来れば、コワさの方も、また超絶級に違いない。 この手のものに対して、まったく免疫力を持たない私などが観て、果たしてダイジョーブなのであろうか。
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
結果から言ってしまうと、コワさはなんとか許容囲内に留まってくれ、最後まで鑑賞し切ることが出来た。 ふぅ。
それどころか、笑っちゃいそうな展開さえあり、ドラマとしても優れた、予想外に楽しめる映画だったのである。
 
出演の役者、特に医療機器販売会社の三人と葬儀屋の演技が秀逸。 映画の冒頭部あたり、バートとフレディーの絡みがとても好かった。
社員二人が社長のいない間に交わすヨタ話し、その怪談ネタを切っ掛けに好奇心を煽られ、(止せば好いのに!)ある事情から永く地下室に仕舞い込まれている、決して開けてはならないと言われるカプセルに手を掛けてしまい・・・・・・
 
如何にもホラーっぽい雰囲気を醸して、さあさあ恐怖シーンが来るぞ始まるぞと、見る側を煽るあおる。 さあ、いよいよ怖くなるかとドキドキさせておいて、いつか可笑しささえ込み上げて来る造りには、してやられたって感じです。
 
いずれも等身大に描かれる登場人物らは、ちょっと頼りないオトナたちに、80年代風イカレタ若者たち。 あんまり立派なのは出てこない。
大の男が、Living Deadを目の当たりにして、恐さと気持ち悪さで半泣きになってしまうあたりが、いっそリアルで、ホラー&(やや)コメディと言うばかりでなしに、人の織り成すドラマとして良質だと想う。
ロックを多用した音楽も、ホラーらしさと時代の雰囲気を伝えて、実に好い感じ。

監督、脚本のダン・オバノンは、あの「エイリアン」(1979年)でも脚本を担当していた。
そのためであろう、細かいところで「エイリアン」のセルフパロディーをやっているのが興味深い。
・Living Deadを封じ込めていたカプセルは、エイリアンの卵そっくり。 地下室には同型のカプセルが幾つか眠っていて、これもエイリアンの産卵場に似ている。
・身体を寸断されたLiving Deadを拘束して、なぜ人を襲うのかを聞きだすシーン。 やたら饒舌なLiving Deadは「エイリアン」の船医、あの悪夢のようなシーンを髣髴とさせる。

ホラー映画ってことで、ビビリながら観始めたものの、怖いのがまったくダメな私でも十二分に愉しめる映画になっている。 ほっ。

と想ったら、衝撃のラストシーンが私を待っていた。
 

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March 08, 2008

かもめ食堂

  
 かもめ食堂
 ROUKALA LOKKI
 Kamome Diner
 
  監督:荻上直子
  脚本:  〃
  出演:小林聡美
     片桐はいり
     もたいまさこ
 
        2006年
 
 
小林聡美はホント綺麗になりましたな。
この映画の撮影当時で、そろそろ四十台に乗っかったあたりだろうか。
若い頃に比べ、ドガチャカしたところが抜けて、本来持っていたボーイッシュな雰囲気に、適度な円満さが加わった。 過ごして来た日々の充実を感じさせられる。

「かもめ食堂」は、北欧、フィンランドの首都、ヘルシンキで三人の女性が小さな日本食堂をやるという、大人のための童話とでも言いたくなるお話し。
ドラマ全体が、どこか浮世離れしてファンタスティックなのも、ヘルシンキと言う土地柄、その夏の淡い色彩感と良く合っていると想う。

小林聡美 と共にかもめ食堂を切り回すことになるのは もたいまさこ と 片桐はいり。
どうです? このラインナップ。
室井滋はいないの? なんて突っ込んでみたくなるのは、あながち私だけではあるまい。

それぞれに違う事情を抱えて北都ヘルシンキへとたどり着き、縁会ってこの地で知り合った三人。
各々の来歴について、一応紹介はするものの、詳しいところは良く知らないまま。
特段、我が身について多くを語りもせず、また殊更他人の事情について深く知ろうともしないのである。

他人に優しく、己をしっかりと律して生きる。 かもめ食堂の主人で、武道家の娘という設定のサチエ役に小林聡美。

マサコ役に もたいまさこ。 三人の中では年長で、その慇懃な物腰からは、なにやら人生の修羅場を潜って来たらしく察せられる、ある種スゴミを漂わす。 やっぱり猫が好きなのか・・・・・

ミドリ役に 片桐はいり。 他の二人に比べて幼さを残す言動は、いささか繊細さに欠けるようでいて、でも、三人のハーモニーを乱すことはないのである。

その他、かもめ食堂の常連で日本オタクのトンミ・ヒルトネン青年をはじめ、登場するのは穏やかでシャイな好人物ばかり。
暖かで、でも、人さまの領域には必要以上に立ち入らない。 絶妙の距離感を保つことの出来る人たちと、共に居ることの心地好さ。
いつまでも、そのドラマの中に浸っていたくなる、丁度好い湯加減の映画です。
この作品にすっかりハマった私は、一週間の間に四度観てしまった。 いくらなんでも、これはやりすぎだろう、と想って、以降は自粛しているけれど。 でも、もうしばらくしたら・・・・・

三人の小気味好いやりとりから、陽水の「クレイジーラブ」へとつなげる、ラストシーンがまた粋だ。
 

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February 16, 2008

潮騒

 
  潮騒

    監督:谷口千吉
    原作:三島由紀夫
    音楽:黛敏郎
    出演:久保明 (新治)
        青山京子(初江)
        沢村貞子(とみ)

           1954年 日本


ちょいとした野暮用があって、以前住んでいた川崎市中原区へゆく。
用事は午前中に済ませたので、午後から、以前ここに住んでいた頃よく訪れた川崎市民ミュージアムに、久々に入ってみた。

折しもミュージアム内の映像ホールでは、昨年亡くなった映画監督、谷口千吉の特集をやっていて、その監督作品のうちの一本、1954年製作の「潮騒」を観ることが出来た。
「潮騒」の映画は今日までに、なんと5本も造られている。


 <製作> <監督>  <新治>  <初江>
1.1954年 谷口千吉  久保明   青山京子
2.1964年 森永健次郎 浜田光夫  吉永小百合
3.1971年 森谷司郎  朝比奈逸人 小野里みどり
4.1975年 西河克己  三浦友和  山口百恵
5.1985年 小谷承靖  鶴見辰吾  堀ちえみ


邦画界の人気コンテンツと言うわけだけれど、その嚆矢となるのがこの54年作品である。 その後、10年を超さずにリメイクされ続けていて、でもここ20年間は造られていない。

鄙びた漁村の風景や、貧しくも地に足が着いた漁師の生活など、明朗で判りやすい作風は、谷口監督の特徴なんだろうか。 二人の前に立ちはだかる、村社会の旧弊さの描写なども、あまり陰湿にならないのが好い。

そしてなにより、主役の二人の瑞々しさに好感が持てる。 新治はひたむきで謙虚な滅茶好い奴だし、フレッシュでしかし浮ついたところのない初江。 脇役陣もしっかりしている。 気骨のある新治の母、とみに沢村貞子。
音楽は黛敏郎。 伊勢湾にフランス近代を持ち込んだ。

最初はうんと地味な文芸作品と想っていたのだけれど、いつしか夢中になって観ている自分があった。
私は5本ある「潮騒」の映画をどれも観ていないし、三島の原作も未読なので、純情一筋な二人(平成の日本にあっては絶滅危惧種に指定されそうな)の恋路をハラハラしながら見守ってしまったのである。
あまり期待せずに臨んだから、余計にそう想うのかもしれないけれど、見終えての満足度の、ものすごく高い映画だった。

この1954年版「潮騒」。 残念ながら、現在のところDVDなどは市販されていないらしい。 この日の上映はフィルムの状態が良くなかったのだけれど、この素晴らしい映画、なんとかDVD化して貰えないだろうか。

思いがけず、ホントに好い映画を観ることが出来て嬉しい。
清々しい気分に満たされて、川崎市民ミュージアムを後にした。
  

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February 05, 2008

NHK大河 篤姫

 
NHK大河ドラマ「篤姫」。 とりあえず見てみっか、くらいな気分で見始めたのが、いつしか、しっかりとハマってます。

第五回まで来た、これまでのところは青春編という趣で、この時代の幕府や薩摩藩の状況を説明すると共に、後に維新の主役となる人々の若き日々を描く。

於一(のちの篤姫、天璋院)に宮崎あおい。 無邪気な笑顔が思いっきりカワイイです。
お姫様ものの王道を往くお転婆ぶりで、周囲を掻き回すも、様々な階層の人々との出会いを体験し、世の中について、人生について学んでゆく。 「篤姫」序盤はそんな於一の青春ストーリーというところ。 なかなかにハッチャケた演出もあって、ギャグも愉しめる。

於一ら若者たちを取り巻く大人たちが好い。 島津のお殿様(斉彬)の懐深さ、調所広郷の奥深さ、堅物だが好人物の父、賢い母、主家想いな乳母の菊本。

そして若者たち。 世に出る前の西郷や大久保など、後に維新の立役者となる有為の下級武士ら。
そして、彼らと交わる肝付尚五郎(瑛太)、のちの小松帯刀。 この人が「篤姫」のもう一人の主人公になる模様。 今のところ文武共にパッとせず頼りない尚五郎だけれど、この時代にあって人の身分に拘泥しないという美質を持つ彼は、下級武士たちとの間にコネクションを広げてゆく。
若者たちのなかでは、西郷吉之助(小澤征悦)がすごく好い。

音楽もなかなか好い感じです。 テーマ曲など、大河にしては随分と爽やかな印象で、クリムト風のタイトルバックとは、ちと合わない気もするけれど、でもなかなかの佳曲で、まずは一年つきあってゆけそう。
 

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January 08, 2008

シムソンズ

 
 シムソンズ
 
  監督:佐藤祐市
  出演:加藤ローサ
     藤井美菜
     高橋真唯
     星井七瀬
     大泉洋
 
       2006年
 
 
ずっと以前、私がバイクであちこちを走り回っていた頃、独りで夏の北海道を旅したことがある。 東京や神奈川を走るライダーにとって、北海道という処はなににもまして魅力的な土地なのですよ。
北の大地を夢中で駆け抜けた中には、サロマ湖を見下ろす道、この映画の舞台となる常呂町の辺りもあった。 もちろん、当時はそこがカーリングの町だなんて知らなかったわけだけれど。
サロマ湖岸のキャンプ場でテント泊。 関東では考えられぬほど、しつこい藪蚊の襲来に悩まされた。 砂地に無くしたペグの一本は、今も砂中に刺さったままだろうか。

後に2002年ソルトレークシティ・オリンピック日本代表なったシムソンズ。 四人の女子高生の青春ストーリーを見ながら、遠い日の旅のことどもに想いを馳せてしまった。
どこまでも真っ直ぐに伸びる路。 ゆるやかに起伏する台地。 遮るものとて無い広々とした景色。 それらを包み込む広い空。 映画のシーンと、記憶の中の北の大地がオーバーラップしてゆく。

「シムソンズ」は小説と映画で、基本的な設定は共通なのだけれど、各々の展開はかなり異なる。
つまり、小説では夏季の基礎練シーンがメインで、試合はほんの少し。 主人公の心境を叙述する部分が多かったのに対して、映画の方はいきなりリンクでの練習、そしてゲームが始まるなど、ヴィジュアルに訴える。 小説では難しく感じたカーリングのルールも、CGを多用して判り易く解説されるのである。 なにより、四人のうち三人までが素人ながら、みるみる強くなってゆくシムソンズ。 映像と文章での、この見せ方の違いはそれぞれ正しい選択と言える。 「シムソンズ」は小説版、映画版で内容が異なっていて、そのどちらもが、それぞれに面白い。

シムソンズの主たる移動手段たる自転車や、軽トラの荷台とか、そのユルイ速度感に共感してしまう。
何度か顔を出すテレビ取材クルーのシーンは、話しが生臭くなる気がして、ここは不要と想うな。
アニメのシンプソンズがカメオ出演していないかなと、ちょっぴり期待していたのだけれど。 そこのところだけが残念。
シムソンズの四人がみんなカワイイし、子連れやもめのコーチ、大らかな和子の母の他、ガミさんやしゃべりたいのマスターら、脇役陣も好い。 
映画「シムソンズ」。 爽やかで、そしてなんとも気分の好い佳品です。
 
   小説版 シムソンズ
 

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January 06, 2008

のだめカンタービレ 新春SP欧州

 
 のだめカンタービレ 新春スペシャル in ヨーロッパ
 
 
2006年にフジテレビで放送した、同名のコミックを原作とするテレビドラマの続編。 正月特番として、1月4日~5日に掛けて放送された。

のだめ役・上野樹里と千秋役・玉木宏をはじめ、その他の主要メンバーも健在で、一昨年の放送と同様、とっても面白かったです。

二回に分けられた新春スペシャルの第一夜は千秋の挑戦編。
渡欧して、まず手始めに指揮者コンクールに挑戦する千秋。 今回の千秋は、日本に居た頃、時に自暴自棄となっていたのに比べて、とにかく溌剌としてカッコイイ。 念願叶ってヨーロッパの地に来た喜び、高揚感が伝わってくる。 指揮ぶりも上手になったね。 コンクールのシーンでは、他のコンクール参加者や、オケとの確執などを描いて面白い。 が、その最中に彼らしくもない挫折を体験する。
リハーサルでオケに無茶な要求を押し通し、一旦はオケを敵に廻してしまう千秋。 この辺の演出には、一昨年のシリーズで造り上げた千秋像、そのオレ様ぶりの設定が上手く活かされている。 そこからの巻き返しの過程が省略されていて、これではちょっと簡単に勝ち過ぎの感もあるけれど、尺の中に収めねばならない関係もあるだろうし、まあ仕方ないか。

第二夜はのだめの挑戦編。
なんとまあ、名高いパリのコンセルヴァトワールに入学してしまったのだめ。 (建物や、その内部など、あれは実物なんでしょうか?) 変態パワーを発揮して、超短期間でフランス語を習得するも、今度はアナリーゼの授業で周囲のレベルの高さにまるで付いてゆけない。 留学生活の早々に味わう挫折。
音楽家が、自分の楽器を演奏すること以外の音楽諸々については意外に弱く、例えば市井の音楽ファンの方が余程詳しい、なんていうのは往々にしてあり得ることですが。
自身を失ったのだめは、演奏の方もダメになってしまうけれど、やがて本来の自分を取り戻すことで立ち直る。 例によってギャグとシリアスを交えた、この挫折から立ち直りへの過程は、今回のスペシャル編中で最も面白かった。 音楽ドラマとして楽しめたと言う点では、一昨年の放送で最も高水準と想った、モーツァルトの二台ピアノのエピソード以来、出色の出来と想う。
 
私は原作を読んでいないけれど、もしもこの先のストーリーがあるのなら、年に一度くらいのペースで好いから、その後ののだめや千秋の活躍ぶりも見せてもらえればと想う。
 

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December 20, 2007

ALWAYS 続・三丁目の夕日

 
 ALWAYS 続・三丁目の夕日
 
  原作:西岸良平
  監督、脚本:山崎貴
  出演:吉岡秀隆
      堤真一
      薬師丸ひろ子
      小雪
      堀北真希
 
       2007年 日本
 
 
その当時を知らぬ世代が見てさえ、何故か郷愁を覚える昭和三十年代という時代。 その当時を生きる庶民の哀歓を、VFXを駆使して美しくリアルに描き、大ヒットをみた前作の続編であります。
 
主要キャスト(と端役の何人か)が前作と同じなのが嬉しい。 懐かしい三丁目の人々に再会した気分にさせられるから。
子役の二人が大きくなってしまって(子供さんの成長、それ自体は目出度いわけですが)、それぞれの配役には、いささか旬を過ぎているかもしれない(特に淳之介)。 それでも、あえて前作と同じキャストを押し通したのは英断でしょう。
 
前作が、原作のマンガのエピソードを巧みにつないで成り立っていたのに対して、今作では、前作の内容を引き継ぎつつも、淳之介の親権争いから茶川先生の芥川賞挑戦に至る一本の流れがあって、ドラマ性を高めている。
茶川先生は、ヒロミと淳之介との暮らしを夢見て奮起する。 一方、怒髪天を衝く昭和の雷オヤジ、鈴木オート社長はかつての戦友を懐かしみ、そして奥さんは初恋の想い出を秘めた日本橋を歩むのである。
 
その日本橋。
前作と同様、旧き好き時代を描くという姿勢を貫いたためであろう。 この映画に描かれる日本橋の上には、未だ首都高速道路が見当たらない。 (「もうすぐ、この上に道路が出来るんだぜ」なんて、無邪気に喜ぶ一平) 私が初めて目にする、日当たりの好い日本橋。 その光景は、前作で瞠目させられた、建築中の東京タワーに負けないくらい新鮮だ。

今、中央区の日本橋を渡るとするなら、その頭上すれすれを横切る、首都高速道路の姿を見上げて嘆息する破目になる。 高度経済成長期、オリンピックを前に急造された、この高架のあまりに強引なレイアウトは、下手な現代美術などよりも余程、あの時代の狂気を今に伝えていると想う。

映画のラスト。 出来得れば、竣工して間もない東京タワーの展望台から見下ろす、昭和三十年代の都内の俯瞰を、CGで精緻に再現して欲しかったところ。
高層建築の未だ一つもない(東京タワーを除いて)頃の東京。 それは、私が切に眺めてみたい、しかし今では決して見ることの叶わぬもののひとつなのだ。

実写版の「三丁目の夕日」。 東京オリンピック絡みで、もう一作くらい造れそうな気がする。 開会式の興奮など、三丁目の人々の視点で見てみたいではないか。 でも、ダメか。 なにしろ、その頃には首都高速が完成して、変わり果てた様子の日本橋を見届けねばならないもの。 想い出はあくまで美しくが、この映画のお約束なのだから。 三丁目の世界はここまで。
 

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December 18, 2007

NHK大河 風林火山 最終回

 
今年のNHK大河ドラマ「風林火山」が最終回を迎えた。
軍師山本勘助(内野聖陽)を中心に、武田家の興隆をじっくりと描き切った。
それにしても、一介の浪人に過ぎなかった勘助の登場から、川中島の決戦まで、一年過ぎることの速いことはやいこと。
勘助と信玄、由布姫らの関係など、大河では原作と異なる設定を選んだけれど、山本勘助と言う男の最期を感傷的に描いた最終回については、原作に通じるものがあると想った。

風林火山は、武田家と上杉家の戦いだけではない。 今年の大河では、武田家に仕える以前の真田氏や、後北条氏、今川氏など、諸将のドラマにも力が入った。 とりわけ今川義元など、既成のイメージを見事に覆したイケメンぶりが痛快至極。

戦国ドラマらしくイカツイ男優陣が、また魅力であった。 武張った中に、優しさや、ユーモアさえ垣間見せる男たち。
内野聖陽演じる山本勘助は、天晴れなハマリ役。 ワイルドな風貌に野太い声音。 若い頃から晩年までの、歳相応に施したメイクが、どれも格好イイですな。
市川亀治郎の武田信玄も、カリスマ性を感じさせて良かったと想う。 上杉Gackt、当初はどうかと思ったけれど、斬新さを楽しめた。 板垣信方という武将に、俳優人生の総決算を託した千葉真一。 緒方拳演じる宇佐美定満は、流石に年齢を感じさせ、しかし貫禄十分。

さて、来年の大河ドラマは幕末もの、将軍家の御台所「篤姫」ですと。 やべぇ、まったくの守備範囲外だわ。
 

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December 02, 2007

ALWAYS 三丁目の夕日

 
 ALWAYS 三丁目の夕日
 
  原作:西岸良平
  監督、脚本:山崎貴
  出演:吉岡秀隆
      堤真一
      薬師丸ひろ子
      小雪
      堀北真希
 
        2005年 日本
 
 
私が未だ親元に暮らしていた学生の頃、居間のTVで、母親と一緒にドラマや映画を見るのがニガ手であった。
なにしろ母親は、TVを見ながらあれこれと感想を述べるし、一方の私は、のめり込んで見るタチなので、母親の言葉が一々五月蝿くて溜まらず、終いには怒りだすこともしばしばであった。

2005年の劇場公開時に大ヒットし、今また続編が上映中の「ALWAYS 三丁目の夕日」。 この映画はCGを駆使したかつてない映像のリアルさでもって、その冒頭から、見る者をして昭和三十年代の世界に連れ去ってしまう。 私はこの時代を見知っているわけではなく、時代の残り香をかすかに覚えている程度だけれども、「ALWAYS」のタイトルが出た時点で、すっかり感激してウルウルきてしまったよ。

私は今、この映画を、本当は亡き母と見てみたかったものだと、切に想う。
一緒に見て、そして好きに語って欲しい。 あの頃はみんなこうだった・・・結婚した頃に住んだのがあんな場所だった・・・・・・・・・・・・大阪はこうやなかった・・・あんたらも、ああいう処で生まれたんやで・・・幾らでも、好きなだけ喋って好い。 怒らずに、みんな聴くからサ。

聴くところによれば、この「ALWAYS 三丁目の夕日」。 映画館で上映中は、客席での話し声が多かったのだそうな。 私は、客席での私語については、とりわけ耐えられない方なのだけれど、でも、この映画に関しては、こればっかりは、そういう映画なんだと想う。 過ぎし日を懐かしみ、しばし感傷に浸る。 そんなための(最先端の技術を駆使した)映画があっても良い。

緻密に再現された、昭和三十年代の東京の街並み。 取り分け、建築途中で半分までしかない東京タワーの映像が、もの凄いインパクトである。
この作品について好く言われるように、想い出は美しくとばかり、昭和三十年代の世界が、実際よりも美化されているきらいはある。 ドラマと言うよりも、昭和三十年代を舞台にしたファンタジーとでも言うべきかもしれない。
でも、批判はあるかもしれないけれど、現存する古い町並みでのロケや、往事の記録映像ではない、造りものの、セットやCGで造りこまれた虚構の世界だからこそ、アソビ心が活きるのだと想う。

茶川先生を演じる吉岡秀隆は、髪かきむしるショボクレ加減が見事なハマリ役。
鈴木オートの社長に堤真一。 昭和のカミナリオヤジという性格設定は、原作とはまったく異なる。 この人については、「ローレライ」での悪役の印象が強かったけれど、ここでは短気でコワくて、でも人の好いお父さんを好演する。
その奥さん役に薬師丸ひろ子。 クリスマスの夜、眠っている一平の枕元にこっそりプレゼントを置いて、階下に引き返す社長の背中に、そっと添える手が好い。 それからラスト間際、上野駅に向かって走り出すオート三輪の荷台に立って、運転席の屋根をバンバンって叩く手も。 母の手、妻の手の力強さ、暖かさに参った。 (ついでに言うと、この後、走ってゆくオート三輪の、テールランプがあまりにも赤く輝く、そのギミックが心に沁みた)
子役にも人を得た。 小柄な一平役、小清水一揮クンの利かん気。 そして淳之介役、須賀健太クン「万年筆です」。 こんなに喜んでくれる、プレゼントの送り主になってみたいよね。

もしもし・・・・こちら二十一世紀です。
一平くん、淳之介くん。 今なら五十代のオジサンってところですね。 一平くんの夢見た五十年先の夕日は、あの頃と変わらず、綺麗に照り映えています。 更に五十年後の夕日は、見る人の目に、どんな風に映ることでしょう。
 

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November 04, 2007

魔笛

 
 魔笛
 The Magic Flute
 Die Zauberflote
 
 
  監督:ケネス・ブラナー
  出演:ジョゼフ・カイザー:タミーノ
      エイミー・カーソン:パミーナ
      ベン・デイヴィス:パパゲーノ
      シルヴィア・モイ:パパゲーナ
      リューボフ・ペトロヴァ:夜の女王
      ルネ・パーペ:ザラストロ
      トム・ランドル:モノスタトス
      テゥタ・コッコ:第一の侍女
      ルイーズ・カリナン:第二の侍女
      キム=マリー・ウッドハウス:第三の侍女
  脚本:エマヌエル・シカネーダー
      スティーヴン・フライ
  作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
  指揮:ジェームズ・コンロン
  演奏:ヨーロッパ室内管弦楽団
 
       2006年 英国
 
 
これは魔笛のオペラ映画。 最寄りの映画館に掛かったのを見て来た。 (出演者欄が矢鱈と沢山だけれど、魔笛の主要な配役をあげるとこうなるわけですな)
実は、この日は風邪気味でちと辛かった。 それに、心なしか、夕べのが残っている気もするし。 そうは言っても、この機会を逃すと、もうしばらくは見られないかも知れないので、押して映画館まで出向いたという次第。

オペラ映画だからして、音楽は全てモーツァルトその人のスコアから。 但し、台詞も歌詞も英語による。
舞台を古代エジプトから、第一次世界大戦を思わせる、二大陣営の相対する塹壕戦の真っ只中に持って来た。 タミーノとパパゲーノは兵隊であり、三人の侍女は従軍看護婦である。 更に、ザラストロと夜の女王はそれぞれが両軍の指導者と言う設定。 ここでのザラストロは、民衆の好きリーダーとして描かれるのが印象的。 この演出が、フリーメイソンとどう関わりがあるのか、それともないのか、私には判らない。
CG使いまくりの、凝りに凝りまくった演出だけれど、こちとらの体調の悪さが災いしたか、途中ちと退屈してしまった。 残念至極。

ジェームズ・コンロン指揮、ヨーロッパ室内管弦楽団による演奏は、颯爽としたなかに繊細さを併せ持つ、21世紀のオペラ映画に相応しい現代的なモーツァルトを表現。 これで低弦をもっと効かせてくれていれば尚好かったけれど、あるいは映画館の音響バランスがイマイチだったのかもしれない。
キャストでは特に女声陣が、夜の女王、三人の侍女、タミーナの順で素晴らしかった。

せっかくのオペラ映画、それも「魔笛」だというのに、今ひとつすぐれない体調のお陰で、充分に愉しむことが出来なかったのが残念である。 この映画は、そのうちに、DVDなどでじっくりと鑑賞し直したいところ。
 

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October 28, 2007

ミリオンダラー・ベイビー

 
  ミリオンダラー・ベイビー
  Million Dollar Baby
 
    監督:クリント・イーストウッド
    出演:クリント・イーストウッド
        ヒラリー・スワンク
        モーガン・フリーマン
 
           2004年 米国
 
 
クリント・イーストウッドの監督、主演で、女子ボクシングの世界を描いた映画。

落ちぶれた老トレーナーと、未だ無名のボクサーが出会い、トレーナーの老練さと、ボクサーの負けん気を武器に、勝ち進んでゆくと言う、ボクシング映画として好くありそうなシンデレラ・ストーリー。 その女子版。

老トレーナー役にクリント・イーストウッド。 そんな彼のことを、誰よりも好く理解する旧友の元ボクサー役にモーガン・フリーマン。 そして、30代と遅咲きだが、ボクシングに全てを捧げる一途なボクサー役に、ヒラリー・スワンク。

※トレーナーのフランキーに弟子入り志願するマギーは既に30代。 「女には教えない」、「今からでは遅すぎる」、「ボクシングはタフなだけじゃダメだ」と、すげなく断るフランクだが、マギーの覚悟は生半なものではなかった。 ようやく弟子入りを許可されたマギーは滅法強く、各地の試合で連勝街道を突っ走る・・・・

これが前半。 もしもここで終わっていたなら、この映画は女ロッキーになり得たろう。 それが、後半に至って驚天動地の展開を見せる。 いや、ホントにびっくりしました。 三人の演技が素晴らしくて、見終わってしばらくの間、シーンや台詞を心中で反芻してしまった。 そして、様々なプロットが絡み合って、因果関係を形造っている脚本も見事。
 
 
※以下はQ&A風に

面白かった?:とても面白うございました。

オススメ?:前半の痛快さに比べて、後半はおっそろしくへヴィーなので、誰にでも是非、とは言いません。

印象に残ったシーンは?:沢山ありますよ。
1.マギーの弟子入りを断った時、泣き出されるんじゃないかとうろたえたフランキー。
2.夜遅く、ボクシング・ジム帰りのバスの中でパン(?)を齧るマギー。 未来への希望に満ちて、充実した時間。
3.フランクから海外遠征の話しを告げられ、狂喜乱舞するマギー。
4.フランキーと盟友スクラップの友情。
5.マギー「ヒ・ゲ・の・ば・す・の?」
6.レモンパイ。

また、見たい?:また見るかもしれません。 でも、見るにはそれなりの覚悟が要ると想うので、機会は限られて来るでしょうね。

見終わって、どう?:とても好い映画を見たと言う充実感と共に、心の中に、なにか澱みたいなものが溜まっているのを感じます。

問題作と言える?:問題だけれど、なかなか答えが出せない類ですな、これは。

で、好い映画だった?:それはもう、間違いなく。
 
 

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October 21, 2007

善き人のためのソナタ

 
 
  善き人のためのソナタ
  DAS LEBEN DER ANDEREN
  THE LIVES OF OTHERS

 
    監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
    出演:ウルリッヒ・ミューエ

       2006年 独国


「ベルリンの壁」崩壊前夜の東ベルリンを描いたドイツ映画。
この邦題は素晴らしいと想う。

人気劇作家のドライマンは表向き、東独の体制に迎合しているかに振舞っているが、密かに芸術家仲間と反政府的な意見を語り合っていた。 その彼が、国家保安省からマークされ、自宅に盗聴器を仕掛けられる。
これは実は、劇作家の妻に横恋慕する悪徳大臣の差し金であった。 劇作家が反政府的な思想の持ち主との証拠を掴むことが出来れば、有無を言わさず彼を処断してしまえるからである。

盗聴者は、東独と言う国家に疑いを持つことを知らぬ、叩き上げの国家保安省局員、ヴィースラー。 孤独な中年男。 コードネームはHGW。
コチコチの愛国者であるHGWは、しかし、劇作家の部屋を盗聴するうちに、彼の交友関係(自由な思想を持つ芸術家ら)、文学、そして音楽について知ることとなる。

諜報活動を描くものの、普通のスパイ・アクション映画などとは違い、ここでは撃ち合いも、格闘も、逃走や追跡さえもない。 映画全編を貫く、寒色系の映像の中で、ベテラン盗聴者の己が信念に対する惑いを淡々と描いてゆく。

HGWを演じるウルリッヒ・ミューエが素晴らしい。
普通ならば、自由を語る劇作家のドライマンの方に惹かれそうなものだけれど、この映画ではむしろ、密室で独り盗聴器に取り付き、芸術家の生活に耳を傾け続けるHGWが、ついに国家に背き、善き人としての路を選ぶ姿の方に共感してしまうのである。
彼の、劇作家やその妻に寄せる想いと、無償の好意。 東独と言う国家の揺らぎと、その中で翻弄される人々。 劇作家とHGWとの奇妙な絆。

地味な映画だけれど、機会があれば、今一度、真剣に対峙してみたい作品である。
映画のラスト、HGWの一言が心に沁み入った。
 
 

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October 07, 2007

機動戦士ガンダム00

 
 
 機動戦士ガンダム00
   第1話 「ソレスタルビーイング」


TVの秋の新番組。 懐かしや、ガンダムではありませんか。
休みの過ごし方を考えてなかったので、こんなのばかり見ている。

昔のガンダムでは巨大なスペースコロニーが印象的だったけれど、今度のガンダムの作品世界では軌道エレベーターが建造されていて、大規模に運用されているのが面白い。
天空に聳え立つ柱。 こればっかりは、生きてる内に、実用化された姿を見上げてみたいもんだ。

ガンダムそのもののデザインは、昔のやつとあまり違わない。 けれど、主要キャラたちの瞳がやたら大っきいんだよね。 そして、アムロがそうであったような、思春期の男の子的な昏さがない。 こういうのは、ターゲットとする視聴者層を意識してのことと想うけれど、とまれ、昔のガンダムとは隔世の感がありますなあ。
 

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October 06, 2007

ULTRASEVEN X

 
 
 ULTRASEVEN X 
   Episode1 DREAM
 
 
開放感ありまくりで、なかなか眠くならない金曜日の夜。 TVでウルトラの新番組が始まったので、しっかりと見てしまった。 なんで、セブンかって言うと、今年はウルトラセブンが放送されて40年目になるから。
今度のウルトラは思いっきり深夜枠(2:25)の放送。 完全にオトナ向きということですな。

舞台になる近未来の東京は、徹底した管理社会という設定で、そのクラ~イ描写は、なんちゃってブレードランナーってところ。 主人公も、ハリソン・フォードを意識してるかのようなイメージ。 格闘シーンは、マトリックスを髣髴とさせる。

ULTRASEVEN Xの造型はなかなか凝っていて、これまでのウルトラヒーローにはないマッチョな体系、そして小顔。 顔つきも精悍に・・・・と言うか、目付き悪いゾ。
それにしても頭部、小っさ過ぎないか。 この容積の中に、どうやってスーツアクターが収まるのやら、心配になっちまう。 ともあれ、40年の間にスーツも、かく進歩したということ。

ウルトラの主人公といや、世を欺く仮の姿として、防衛チームの一員に身をやつすのが常なわけだけれど、今回は、エイリアンを追う秘密組織のエージェントと言う設定。 但し、基地も、制服も、戦闘機もなし。 特撮シーンの街並みは、ミニチュアのセットではなしに、実写と合成しているらしいし、 深夜枠に相応しく(?)、低額予算ウルトラマンって感じ。 それはそれで、面白そう。

役者は、若手を揃えたのは好いけれど、凄んでばっかりで、その割りに緊迫感がない。 第一回を見た限りでは、ウルトラセブンの持っていた一見して明朗な、でも深いドラマ(回によっては、救いのない)とは、方向性を異にしたカタチを目指しているのは確かと想う。
BGMはなんだかメタルっぽくて・・・・あちゃ、こういうのニガ手なんだよな。
 
 

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October 04, 2007

ヱヴァ序、ふたたび

またも、見て来ました。 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」

初めて見た折に比べて、新鮮味は薄くなる代わり、二度目ともなると、細部まであちこち見て取ることが出来(=よりアタマに入って)、ヱヴァのように、細かい部分をつつきまくって愉しむことの出来るドラマの場合、より深く楽しめるってことがある。

序について、一回目で見落とし、または勘違いしていた点を書き留めておこうと想う。
・冒頭の海辺のシーンは、旧作のラストシーンを引き継いでいるのか? この後、それを暗示するような描写が続出。
・半ば廃墟と化した都市の中に、使徒との戦いがあったかのような、巨大な人型の白線。 多分、これが第三使徒で、この時点で既に殲滅済みなのかもしれない。 (でも、どうやって?)
・ゲンドウがゼーレに提出した人類補完計画の中間報告が、TV版の第17次から第27次へとカウントアップされている。
・ネルフの地下で磔刑に処せられている巨人の名はリリス。
・月面で目覚めたカヲル君曰く、碇シンジ君は「また、三番目」だって。

なにはともあれ、ヤシマ作戦は何度見ても燃えますな。 今回、CGを多用した細かな描写を、しっかり見ることが出来たと想う。 シンジ君が零号機のエントリープラグのハッチをこじ開けてからの、綾波とのやりとりは、やはり泣かせます。

次回は、ヱヴァ弐号機以降が続々登場する模様。 前作では、5号機以降は全て同じデザイン(スナメリみたいな頭部を持つ)の量産型だったけれど、破の段では、まったく新たな展開になりそう。
アスカ登場編のTV版第八話は、弐号機八艘飛びの名場面があって好きなんだけれど、その辺りはカットされてしまうのだろうか。 ちと、気懸りではあるな。

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September 24, 2007

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

 
 
 
 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
 Evangelion: 1.0 You Are (Not) Alone
 
 
  総監督:庵野秀明
  出演  :緒方恵美  (碇シンジ)
       三石琴乃  (葛城ミサト)
       林原めぐみ (綾波レイ)
 
         2007年 日本
 
 
自民党の総裁選挙が行なわれた日、現在公開中の標題作品を観て来た。
1995年にTV放送されて以来、未だ人気の衰えを見せぬエヴァの、十年ぶりのリメイク作品であり、個人的に、ここ一ヶ月余りの間続いたエヴァ・フィーバーの、これがひとまずの総決算となる。

私の場合、つい最近になってエヴァを見始めた、にわかファンだからして、リアルタイムで見た来たファンの、エヴァとの十年ぶりの邂逅、と言った感慨を持つことが出来ないのが、ちと寂しい気もする。
でもその代わりに、前作の「THE END OF EVANGELION Air/まごころを君に」を見た直ぐ後に、十年の歳月を一揆に飛び越えて、このリメイク作を見ることが出来たわけで、それはそれで興を覚える。

声優さん達が今も健在なのは、なにより嬉しい。 実写作品では、こうはゆかないよね。
それでもその声に、意地悪く(!)耳傾けてみれば、特に主役の三人(シンジ君、ミサトさん、綾波)の声音など、ほんの少うし変わっているのが聴いて取れる。
ミサトさんがヱビス缶を呑んでの「クーーーーッ」(に伸びがない)や、綾波の「なんで泣いてるの?」の幽けき声音など。
いや、突っ込んじゃいけない、ここは愛が必要なところと想うんですが、とまれ歳月を感じるなと。 勝手に感慨に耽ってます。 ハイ。
もちろん、演者の人生経験の積み重ねと共に、解釈の深まりが期待出来る、いやしなければならない。 若さと引き換えにね。

映画の内容は、TV版の第壱~六話プラスαと言ったところ。
TV版で素晴らしかった、日常風景の精緻な描き込みも健在。 シンジ君、未だDAT使ってるし。
ミサトさんの、ヱビス缶で「クーーーーッ」も楽しい。 TV版ではオールド・パーはじめ洋酒の空き瓶が転がっていた、酒豪ミサトさんの部屋だったけれど、今回は「獺祭」の一升瓶が何本も転がってる。 一緒に呑みたいねえ。

TV版で、私が気に入っていたシーンも幾つか取り入れられていて、今回はそれをリメイク版ならではのハイクオリティな映像で愉しむことが出来た。
第3使徒サキエル戦で暴走した初号機が、一足飛びに襲い掛かるところ。 アンビリカルケーブル(電源コード)のだらんと垂れてるのが不気味で好いんだ、これが。
それから、起動実験中の零号機が暴走して、壁にアタマをがんがん打ち付けるところ。 こいつ、ホントに苦しんでるよ。 なんて人間的な動きなんだろう。(ヘンなシーンばかり好きでスイマセン)

第5使徒ラミエル(◆のやつ)との闘い。 ヤシマ作戦を、映画のクライマックスに持ってきたのは上手かった。
難攻不落。 「攻守共に、ほぼパーペキ」な敵に対して、有効なのは超長距離からの陽電子砲の射撃のみ、と言う状況下。 その唯一つの目的に向かって、巨大プロジェクトを廻してゆく姿が、見ているこちらをワクワクさせるんだよね。
途方もない数の機材、多くの人材(各方面のプロ達)、そして日本中の電力の全てを掻き集めての、文字通り総力戦を、CGを多用した、細かなカットの畳み掛けで描いてゆく。

リメイク版ならではの、解釈の微妙な変化もあった。 印象に残ったのは・・・・
・第4使徒シャムシエル戦で、指揮官としてシンジ君を掌握仕切れなかったミサトさん。 苛立って、自分にビンタ。(自分の弱さに気付くのが早くなったね)
・ヤシマ作戦の直前。 病室で寝ているシンジ君の前で、ヤシマ作戦の要綱を暗誦する綾波(スゴイ記憶力?)
・3バカトリオの友情が、モチベーション不足のシンジ君を勇気付けた(初号機に搭乗するシンジ君に、クラスメイトのトウジ君、ケンスケ君から激励のメッセージが届きました・・・・ベタだけど、好きだな。 こういう演出)
・ヤシマ作戦のお終いで、綾波がシンジ君にゲンドウの面影をみるところはカットされた(この方が、シンジ君的に救いがあると想う)
・そしてこの時、溶解しかかった零号機のエントリープラグのハッチを、無理やりこじ開けたシンジ君のグローブが溶けていて、TV版のゲンドウの掌を髣髴とさせた。
・シンジ君が綾波のアパートを訪れたのは、ゲンドウの画策によるものらしい。(さてはゲンドウ、意図的に二人を近づけたな!) あと、あの殺伐としたアパートの外で、絶え間なく打ち続けるパイルの音がコン、コンとなんだか綺麗過ぎて、ちと興を削ぐんだな。

前作からのファンにそっぽを向かれてはいけないから、ストーリーや性格設定など、ヘタに替えられないであろうし、また、新しい観客を無視するわけにいかないから、一通りの説明的描写は欠かせない。 とくれば、いささか新鮮味に欠けるのは止む無し、か。
リメイク4部作の最初は、これまでの路線から大きく外れることのない、まずは無難な内容にせざるを得なかったのかと想う。 次回、破の段では、リメイク版らなではの新たな展開を見ることが出来そうで、楽しみたのしみ。
もちろん、三石琴乃さんの名調子で、次回の予告まで、しっかりと愉しんで来たのであります。
 

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September 17, 2007

エヴァンゲリオン Air/まごころを君に

 
  
 
 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを君に
 
 
  総監督:庵野秀明
  出演  :緒方恵美  (碇シンジ)
       三石琴乃  (葛城ミサト)
       林原めぐみ (綾波レイ)
       宮村優子  (惣流・アスカ・ラングレー)

         1997年 日本


新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2に続いて造られた、エヴァ2作目の映画。
時系列的には、1995年~1996年に掛けてTV放送された新世紀エヴァンゲリオンの第24話以降の出来事となる。

全ての使徒を倒したNERVにとって、最後の敵は(皮肉にも!)同じ人間だった。
エヴァをはじめ、NERVが独占している使徒に関する機密事項の引渡を要求して、NERV本部に戦略自衛隊の精鋭部隊が突入して来る。 銃弾を浴び、次々に倒れて行くNERV職員。 エヴァ史上もっとも凄惨な殺戮シーンの連続。 これに比べれば、これまでの対使徒戦なんぞカワイイもんである。
一方、第24話でカヲル君を殺してしまったショックから立ち直ることの出来ないでいるシンジ君は、この危急存亡の時にまたもや本領発揮! 座り込んでしまって、エヴァに乗り込もうとしない。

前半「Air」の見せ場は、アスカの駆る弐号機が9体のエヴァ・シリーズを相手に孤軍奮闘するシーン。 闘争本能を剥き出しにして獅子奮迅の闘いを繰り広げる。
その実力は圧倒的で、一旦は敵を悉く殲滅するも、やがてエネルギー切れにより、活動限界を迎えてダウン。 エヴァ・シリーズの好餌とされ、お終いには、文字通りの満身創痍と成り果てる。
この辺りは、アスカが憤怒の形相で頑張るのが、いっそ憐れでならない。

思うにこの部分は、TV版の25~26話で、ロボット・アニメらしからぬ内省的展開を見せ、一部のファンに不興をかったことへの補完作業なんじゃないかと想う。 なんとなく、造り手側のある種、微妙な悪意を感じるんだよね。
「結局キミたちは、こういうアクションシーンがないと満足出来ないんでしょう?」
だから、主人公のシンジ君ではなしに、アスカが闘ってみせるし、初号機など、なんにもしないうちに、エヴァ・シリーズたちの虜となり果てるのではないか。

後半「まごころを君に」では、ついに起こってしまったサードインパクトの一部始終を描いて、TV版の25~26話と同様、一般的なロボット・アニメのお約束をことごとくひっくり返してゆく。

時空を超えて遍在する綾波。 いつか見た、ダリの絵の中に浮かぶかのようなエヴァ初号機。 シュルレアリズムを想起させる映像のシンフォニー。 見ている側は、庵野監督の創り出すイメージの奔流に巻き込まれてしまう。
全て人類はLCLの海に。 惑える群体から個体へと「進化」するのである。

こんな終局が待っていたとは、TV版の最初の方を愉しんでいた頃は、ゆめ想わなかったよねえ。 途中流れる音楽「Komm, susser Tod」も素敵だ。 パッヘルベルのカノンと同じく、カノン進行の曲。

そしてラストは、TV版の終わり方と同様、理解を拒むような内容。 こういうの、私は決して嫌いではない。 シンジ君とアスカがひしと抱き合って、「人間って、素晴らしいね・・・・・」なんて言ったら、エヴァにならないものね。

これは世界に誇ることの出来る、ホントに素晴らしい映画だけれど、でもあらかじめTV版のエヴァを見ておくなど、予備知識がないと、好く判らないと想う。 今はネットで、TV版の第壱話からこの「Air/まごころを君に」まで、手軽に鑑賞することが出来るので、興味(と時間)のある方は、是非とも見て頂きたい、これはJapanimationの問題作であり、掛け値なしの傑作です。

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September 16, 2007

エヴァンゲリオン DEATH(TRUE)2

 

  
 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2
 
 
  総監督:庵野秀明
  出演  :緒方恵美  (碇シンジ)
       三石琴乃  (葛城ミサト)
       林原めぐみ (綾波レイ)
       宮村優子  (惣流・アスカ・ラングレー)

         1997年 日本


1995年~1996年に掛けてTV放送された新世紀エヴァンゲリオンの映画版。
内容は、TV版全26回中、1回~24回の時系列が大胆にシャッフルされていて、単なる総集編とは言えない。 シンジ君のエヴァとの出会いから、カヲル君の死までを大きく俯瞰して、「新世紀エヴァンゲリオン」と言うドラマを総括する。
映像は、大部分がTV版からの流用のようだけれど、ところどころ、新たに書き下ろされた絵と差替えられたシーンもある。(ヤシマ作戦での綾波の笑顔など、よりオトナっぽくなっている)

映画化するに際して、スタンダード・サイズからビスタ・サイズへと、画面の縦横比が変更されている。 画面の上下をトリミングしているので、構図的にちょっと印象が違ってしまった、残念なシーンもある。

エヴァ名物、画像固定&台詞なし&長回しのシーンは、テレビ版でのあの緊張感を、なぜか感じられなかった。 TVほど時間をたっぷり取ることのできない映画の場合、この手法は無理があるのではないか。
1.小田急ロマンスカー(?)のホーム越しのシンジ君とミサトさん。(ホームのアナウンスなし)
2.エレベーターで二人きりになった綾波とアスカ。(画面のトリミングで、綾波の首から下が欠けちゃった)
3.初号機によるカヲル君握殺(!)。 音楽(第九終楽章)が雄弁に過ぎて、かえって緊張感を欠いてしまったように想う。 ここは無音にした方が好かったのではないか。

テレビ版本編ではチェロの独奏を披露したシンジ君。 映画では、随所に弦楽四重奏の練習風景が差し挟まれる。 そのメンバーは以下の通り。

  1st Vn. :渚カヲル
  2nd Vn. :惣流・アスカ・ラングレー
  Va.    :綾波レイ
  Vc.    :碇シンジ

このシーンは、シンジ君が第3新東京市に来る前の出来事であるにも関わらず、この時点では未だ出会っていなかったエヴァのパイロットたちが奏者として出て来る。 これは、シンジ君のイメージの世界、夢の中ということであろう。
三人の仲間を、誰ひとり欠けても成立しない、カルテットのメンバーになぞらえ、それぞれを「第一絃」、「第二絃」、「第三絃」、そして自らは「第四絃」と言う風に紹介している。

こうしてみると、シンジ君の中での、三人の位置付けというものが窺えて興味深い。
綾波がヴィオラと言うのが好いね。 なるほど、彼女はここ意外考えられない。
アスカが第一ヴァイオリンでないのは意外、と言うか、よくも第二ヴァイオリンで納得したなと。
「このア・タ・シが、どうしてセコバイなのよぉ!」
アスカでなく、カヲル君にストバイを取らせたのは、シンジ君の心中の采配であろう。(「アスカ、ごめんよ」)

四人が弾いたのはパッヘルベルのカノン。(楽器編成が、ちと違うけれど、まあ好いか) バロック期に書かれた楽曲の常として、チェロは通奏低音を担当する。
「チェロは好いわよねえ」
アスカが羨む通り、チェロにとって、これ以上単純な曲はない。 シンジ君のチェロは単純な二小節のパターンを延々と繰り返し弾くのみである。 (但し、単純 イコール 簡単、というわけでは決してなく、チェロは同じテンポ/リズムを曲の始めからお終いまでキープし続けなければならない) そしてその通奏低音の上で、他の三人は各々思い思いの旋律を奏でてゆくのだ。
シンジ君がこの三人と実際にカルテットを組んだわけではないけれど、そのような関係であれかし、と言うシンジ君の願いを絵にしたのがこのシーンであろう。

映画のエンディングもまたパッヘルベルのカノン。 全てを弾き終えたシンジ君は、チェロを担いで去ってゆく。 やがて来るエヴァ、そしてそれに関わる人々との出会いを、未だ知らずに。

TVで印象的だった、綾波が雑巾を絞るシーンは健在で、これは好かった。 たたんだ雑巾を縦に持って、きゅっと絞るのが美しいんだよね。

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September 08, 2007

エヴァンゲリオン(TV版)

 
 
 新世紀エヴァンゲリオン (TV版)
 
 
  監督:庵野秀明
  出演:緒方恵美 (碇シンジ)
     三石琴乃  (葛城ミサト)
     林原めぐみ (綾波レイ)
     宮村優子  (惣流・アスカ・ラングレー)
 
     初放送:1995年~1996年(全26話)
 
 
 
今更説明の必要もない、Japanimationの金字塔。 放送されて、もう10年にもなるけれど、未だ人気の褪せない超優良コンテンツである。
折りしもリメイクされた新映画版、四部作中の序の段が公開中。 その原典とも言うべきTV版の全26話がネット上で配信されているとは、晴薫さんのご紹介で知った。 で、これまでこの金字塔を見る機会に恵まれなかった私も、放送後十年も経った今頃になって、ようやく鑑賞出来たと言うわけ。 いや~、ものすごく面白かったです。 ワクワクしながら、全26話を愉しみました。

1995年(製作年)の時点で描いた2015年(設定年)の日本というものを、こうして2007年に見るってのもまた一興。 緻密に書き込まれた近未来日本の日常風景など、実にリアルで、また絵として美しいのである。 そして、登場人物の心の内側を抉る大胆な表現など、オトナが楽しめるアニメになってます、これは。
基本的に悪と戦うロボットのアニメなのだけれど、放送回を重ねるにつれてヒーローものの約束事からズレてゆく。
人類補完計画だなんて大風呂敷を広げたけれど、畢竟は思春期の心の惑いと成長がテーマと言えるよね。 まあ、これも人類的に共通の主題には違いないし、時代や国境を超えて愛され続ける由縁かと想う。

シンジ君:エヴァンゲリオン初号機パイロット
14歳。 ヒーローものに相応しからぬ、内向きの性格。 そもそも彼はエヴァンゲリオンなんかに乗りたくなかった。
 「僕のこと好き?」 思春期のコなら死ぬほど気になって、でも(とりわけ男の子は)死んでも口にできない言葉。
それを、歯を食い縛って極限まで突き詰めてゆく、このアニメの最終回は好かった。

ミサトさん:シンジ君の上司にして保護者
謎の多いドラマだけれど、この人に関しては判りやすく出来ている。 美人で気性が激しく、仕事は誰にも負けない。 恋は不器用。 家事はまるでダメ。 アメリカのアクションものの女主人公にいなかったっけか、こんなヒト。

綾波レイ:エヴァンゲリオン零号機パイロット
世紀末に創造され新世紀を生き抜く、今や日経のコラムにも登場する国民的(かも?)美少女。

アスカ:エヴァンゲリオン弐号機パイロット
「ア・タ・シが一番!」でないと気の済まない、シンジ君のラブコメのお相手。
すべてにおいて、シンジ君とは逆張りの設定は、終幕に至って悲劇を呼んでしまう。 嗚呼。
アスカのことを考えていて、ふと想い出した歌がある。(記憶に頼っているので、実際と違っているかもしれないし、誰の作だったか思い出せないのだけれど)
 
 
 
  ママが嫌う私を私も嫌ってる公園通りルナ・カルナバル
 
 

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August 19, 2007

皇帝ペンギン

 
  
 皇帝ペンギン
 LA MARCHE DE L'EMPEREUR
 THE EMPEROR'S JOURNEY
    (MARCH OF THE PENGUINS)


   監督:リュック・ジャケ

      2005年 フランス


暑い日が続くんで、せめて映像から涼を得たいゾと。
選んだのは標題そのまんまに、南極に暮らす皇帝ペンギンの、求愛から抱卵、育雛、そして巣立ちまでを捉えた映画。

なにしろ主人公は「ペンギン」と言うから、その通俗的なイメージから、ほのぼの志向の子育て映画を連想したのだけれど、なかなかどうして、中身は至って地味かつシリアスな作品であった。
「ユーモラス」とか「カワイイ」と言ったイメージだけで臨んだり、娯楽作品を期待したりすると、肩透かしを食らい、と途中で退屈してしまうのは必定。

南極大陸。 一面白と青の世界。 繁殖地に向けて氷原を粛々と歩み続ける、無数の皇帝ペンギンの行列を遠景から捉えたショットは、まるでヒトが群れ彷徨うようで、実に夢幻的な眺めである。
その他、二羽のペンギンがハートマークを描く求愛のダンス。 過酷を極める真冬の抱卵。 海中のペンギン。 雛の誕生。 と、印象に残る映像が続く。

この映画、本国フランスで大ヒットしたそうである。 ペンギンの生態を淡々と追うのではなしに、父ペン、母ペン、雛ペンに別の声優を充てて、それぞれの想いを語らせている。
文学的な味付けが濃いのはお国柄だろうか。 私としては、登場するペンギンの擬人化に、ちょっと付いて行き難いものがあった。

ところで、日本語版の吹き替えは個人的にダメでした。 父親の声はカッコ好過ぎで、母親の声はカワイ過ぎる。 過酷な自然と力強く立ち向かう、ペンギンの両親と言う感じがしない。

極めて良質な映画だけれど、ゆとりのない時に見てもダメ。 自室でDVDを、仏語+字幕なしにして、ボンヤリ流してみたら、ゆったりと好い時間が過ごせそう。

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July 23, 2007

マトリックス

 
 
 マトリックス
 THE MATRIX

  監督:アンディ・ウォシャウスキー、
      ラリー・ウォシャウスキー
  出演:キアヌ・リーヴス、
      ローレンス・フィッシュバーン、
      キャリー=アン・モス

        1999年 米国


子供の頃など、いろいろと妙ちきりんな空想に耽ったりしたものである。
例えば、今自分がいるこの世界は、何処かよその世界で眠っている、誰かの夢の中の出来事に過ぎないんじゃあないかって想った。 だから、次の瞬間、ぱっと眼が覚めると、別の世界の人として覚醒した自分がいたりする、なんて・・・・・かなりヘンな子供だったかもしれない。

数年前に大ヒットしたこの映画を、今頃になって始めて見てみたら、似たようなことを考える人が、やっぱりいるモンだと知ってビックリしたり、納得してみたり。

この映画では、久々にSFらしいSFを堪能した気がする。 その世界観を提示されて、胸がトキメクのをおぼえたもの。 電脳空間と言うものを、ここまでリアルに構築し、見るものに待ったなしで叩きつけてくる映画ははじめて見た。 こんなならば、もっと早く見ときゃ好かったな。
ネオがカプセルの中で覚醒したシーンなど、背筋がゾクゾクと総毛立ったモンね。 こういうのは、ブレードランナー以来の興奮だ。

どうにも気が滅入ってしまいそうな、なんともキツイ世界観なんだけれど、悲劇的な終わり方にはしないでくれるのもブレードランナーと同様。 そのお陰で、見終わった後、随分救われた気がする。
香港から世界一流のワイヤーアクション、殺陣のチームを招いたと言うだけあって、アクションでも思いっきり魅せます。 空を飛び、壁を歩き、銃弾をかいくぐり、更には本格手なカンフー・アクションまで。
現実世界からマトリックスにやって来た彼らだから、常人離れした、物理法則無視の動きが出来るんだね。 ラストに至って、覚醒したネオなど、無敵フラグが立ってしまうし。

それから映像美。 退廃的かつ妖しげなサイバー・パンクの世界。 惚れ惚れするような、スタイリッシュなカットが随所に差し挟まれて、実にカッコ好いです。
大ヒットのワケは、ハードSFとして評価されたと言うよりも、むしろこの辺がウケたのかもしれない。
音楽の方は、あまり印象に残らない。 いまひとつ凡庸かな。
極めて斬新で複雑な設定の割に、ストーリーそのものはスッキリしていて、実に上手くバランスが取れている。

極めて上質のハードSFとして、息継ぐ間もないアクションとして、刺激的でスタイリッシュな映像として、これは滅多に出て来ない傑作と想う。

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July 21, 2007

NHK大河 風林火山「両雄死す」

今年のNHK大河ドラマは、井上靖原作の「風林火山」である。 武田信玄に軍師として使えた山本勘助の生涯を、一年掛けて描く。
私はこのドラマを第一回から見続けていて、今のところまだ脱落を免れている。 うん、面白いんだ。 途中の何話かを見逃しているかもしれないけれど。

「風林火山」は昨年の大河、戦国ホームドラマとでも言えそうな「功名が辻」(これはこれで、とても楽しかったけれど)とは対照的。 戦国時代の甲斐信濃を描くに相応しい、ストイックで少うし暗めの演出が好もしい。
また、山本勘助役の内野聖陽以下、武張った諸将のキャスティングも見事と思う。 このクオリティを続けてくれれば、このまま年末の最終回まで付き合っていけそうな気がする。

これは果たしてキチンと狙ってやっているのか、内野聖陽はじめコチコチの硬派な武将らを描くドラマ中に、時折(一話につき一度くらい)ひょうひょうとしたユーモアの漂うシーンが差し挟まれるのが実に面白い。
一方、音楽(千住明)は、メイン・テーマはまことに威勢が好いのだけれど、その他の曲はいささか深みに欠けると想う。

内野聖陽は、例年の大河ドラマの主役に類のなかったワイルドなキャラ。 野性味溢れる風貌に、野太い声音からは、如何にもの戦国武将らしさが横溢する。
武田晴信(後の信玄)役の市川亀治郎の、懐の深さとカリスマ性も特筆すべきところ。
そして晴信の下に集う武田家家臣たちの武張った雰囲気。 中でも最もハマリ役と思えるのが武田の重臣板垣信方役の千葉真一。

先日の放送「両雄死す」では、その「風林火山」も前半のクライマックスを迎えたところ。 武田晴信対村上義清の決戦。 上田原の戦いである。(1548年3月23日)
この戦いで武田晴信は痛恨の敗北を喫し、若き晴信をここまで支えてきた両雄、父とも頼む重臣の板垣信方(千葉真一)と甘利虎泰(竜雷太)を失うのである。

ドラマの中では甘利と板垣の最期の場面が、けだし圧巻であった。 板垣役の千葉真一さんは、このドラマの出演をもって、俳優業を引退されるとのこと。
俳優人生のラストを、主家を案じて無謀な戦いにのぞみ、乱戦のさなか、大立ち回りの末に討ち死にするという、一世一代の壮絶な演技で締めた。 アクション俳優として、本懐ではないだろうか。 子供の頃から千葉さんを見て来た、こちらもまた感無量である。

例年の大河ドラマに共通する設定として、(歴史的評価とは別に)主人公はあくまで「好い人」に徹すると言うのがある。 その点、今回は山本勘助が主人公だからして、信玄の持つダークな部分、外(他国)に対しては苛烈な侵略者として、また内(家中)に対しては時に暴君的に振舞う面をも自由に描ける訳だ。 一方、主人公と言うことで「好い人」属性を振られた勘助は、軍師としてそんな信玄の暴走ぶりに振り回される格好となる。

忠臣板垣信方の最期を見事なクライマックスにして「風林火山」の前半が終わった。 後半は川中島の戦いまで。 これからは上杉謙信が物語の主軸に絡んで来るのであろう。

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July 08, 2007

ダ・ヴィンチ・コード

 ダ・ヴィンチ・コード
 THE DA VINCI CODE


    監督:ロン・ハワード
    出演:トム・ハンクス
       オドレイ・トトゥ
       イアン・マッケラン
       ジャン・レノ
       ポール・ベタニー

          2006年 米国


つい先日、ベストセラーの原作に文句を垂れたところなのに、やっぱり観てしまった。
文庫版で3巻になる原作を、能う限り変更、省略なしに映像化しようとしている、その手際の好さには感服した。 但し、150分間にぎゅっと詰め込んだ分、抒情的側面、余韻みたいなものは端折られる傾向にある。
例えて言えば、強行スケジュールの海外観光ツアー。 これ見たらあっち行って、はい次はこっち。 時間がないから立ち止まらないで下さい! と言う感じだろうか。
原作を読んだ後から鑑賞に臨んだので、予備知識無しで見たら果たしてどうなのかは判らない。

世界的にベストセラーとなった原作を映画化するということで、映画の方もヒットが見込めることから、制作費をふんだんに掛けることが出来るのであろうけれど、その反面、原作から離れた独自の解釈を持ち込んだりする自由はなかったりするんだろうか。 ともあれ映画の製作サイドに、原作を超えた映画を撮ってやろうとかいった野心は、多分ない。 あくまで原作に忠実に。 宗教方面からのバッシングは、事前に回避して、とか。 きっと。

主人公ラングドンの慎重居士ぶりはトム・ハンクスにぴったりと想った。
オドレイ・トトゥのソフィーは、聖女ぽく(?)して来るかと想っていたら、やり手のキャリア・ウーマン風で、これは原作にとても近いイメージ。
ファーシュ警部役、ジャン・レノは何故か腰が引けていて、存在感が薄い。 原作にあった野心家、やり手の警部という感じがしないのである。
そしてアリンガローサとシリス。 この二人にもっとスポットを当てていれば、もっと奥の深いドラマになったのに。 でも、原作でもこの二人の扱いは不遇であったと想う。

「ダ・ヴィンチ・コード」の題名の由縁たる、最後の晩餐についての図解は、言葉のみでなく映像付きで説明されるため、実に判りやすかった。 映画化のメリットである。
一方、ソニエールの遺した暗号の方は、小説よりも更に判り難く、というより適当にスルーされているの感があるけれど、まあ、これは止む終えないことと想う。

原作で特に面白かったのが、ラングドンとティーピングによるキリスト教暗黒史の解説のくだり。 宗教象徴学者対聖杯オタクの薀蓄合戦の場面なのだけれど、映画では、NHKの歴史教育番組のような歴史再現映像が差し挟まれるなど、なかなか凝った描写がワクワクさせる。 これも映画化のメリット。
一方、音楽は荘重な雰囲気を醸して、映画をムリやり格調高く持ち上げようとするきらいがある。

この作品、キリスト教暗黒史を扱うと言うことから、いっそ破天荒なB級映画にしても好かったのかもしれない。 この手のテーマは野次馬根性全開で迫るのが相応しいものを、原作の虚構部分に説得力を与えようとしてか、無理やりに品好く、格調高い作品に仕立て上げようとている。

監督や俳優に文句はないけれど、大ヒットした小説の緊急映画化、ということの難しさを実感させられた作品であった。

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July 04, 2007

トトに!

「トトに!」と言う名のバトンです。
トトって「小さき勇者たち ~GAMERA~ 」に出たガメラのことですよね。 と言うわけで、晴薫さんのところから頂いて来たこのバトン、ずばり、怪獣がテーマです。
 
 
☆1番好きな怪獣は?
「帰ってきたウルトラマン」の古代怪獣ツインテール。
え、あんまりマイナー過ぎてご存知ない?
 
 
☆その理由
デザインの斬新さが衝撃的でした。
アタマが足許に来る、倒立状態。 締まりのないデカ口に、しれ~っとして緊張感というのものまるで無いマナザシ。 で、見掛けのインパクトが強烈な割りに、戦ったら弱いでやんの。
 
 
☆1番好きな怪獣特撮映画(TV番組)は?
そのツインテールが出ていた「帰ってきたウルトラマン」
 
 
☆その理由
初戦でウルトラマンが怪獣に敗けちゃったり、小学生のイジメがテーマになったり、主人公の恋人が殺されてしまったり・・・・などなど、斬新で結構シリアスな内容だったかと。 子供の頃から刺激系とクライのが好きだった私にはツボだったようです。 そして、音楽が本当に素晴らしかった。
 
 
この「トトに!」バトン、こちらから指名してお渡しはしません。
「心がつながった誰かが、自ら受け取ってくれるバトン」なのです。

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June 30, 2007

リンダリンダリンダ

 
  リンダリンダリンダ
 
    監督:山下敦弘
    出演:ペ・ドゥナ
       前田亜季
       香椎由宇
       関根史織
 
         2005年 日本
 
 
学生の頃、友達と廊下で交わした立ち話や、部室にこもっての部員らとの駄弁りとか。 無為な、どうにもこうにもウダウダした、学生時代だけに許された時間。 大人になってから、そんな、当時は当たり前に享受していた時間が無性に懐かしくなったりするわけだけれど。
この映画の主人公、女の子四人からなるバンドのメンバーも、そんな青春の切なさに感付きつつ、後先知らずにその場その時を突っ走る。

大した期待もなしに映画の鑑賞に入った筈が、見終わってみれば、なかなか味わうことのない、大きな感銘を受けていた。 但し、私にとっては、鑑賞するにあたって、いささかハードルの高い映画でもあったのも確かなのだけれど。
 
 
「コンサートなんて始まったら夢中だから、後々なんにも覚えてなかったりする。 それよりも、こうやってみんなで練習したり駄弁ったりしてる時間がサ、案外想い出に残ったりするんだよね・・・・・」
「ナニ独りで浸ってんだよ(笑)」


※文化祭を目前に控えた、とある高校。 準備のために学校中がてんやわんやする中で、軽音楽部に所属する主人公ら3年女生徒のバンドは、諸般の事情からメンバーが離脱してゆき、三人になっていた。
なりゆきで急遽ボーカルに迎えたのが、韓国から来た留学生のソンちゃん。 引っ込み思案で、日本語もあまり得意ではない様子だが。
文化祭のステージへ向けて、四人の練習が始まった・・・・・

 
この映画を最初に見た時は、その独特のスタイル(?)に戸惑いっぱなしで、途中何度もドロップアウトしかけたことを白状しておく。
極々自然体に徹した演出とでも言うのか、まるでドキュメンタリーでも見ているような演技からは、芝居らしい雰囲気が感じられない。 人物を意図的に画面の中央に配置した、ニュース番組のような構図や、緊張感をまるで欠いた台詞まわし。 それを撮るカメラもまた、アングルを固定したままだらだらと長回しするし。
こういうスタイルを受け付けない人は、少なからずいることと想う。 かくいう私も、最初に見た際は、何度も挫折しかけたし。 それでも、最後までなんとか踏み止まりましたぜ。

映画としてこのスタイルを貫いた結果として、鑑賞する者は、出演者たちのラフな演技を、まるで物陰から覗くように傍観し、雑談めいた台詞に聞き耳を立てることになる。
こうして、普通の映画よりも更に一歩乗り出して観る分、動作や微妙な間合い、あるいは台詞の端々から、更にその場の空気から、微妙な人間関係や心の移ろいを汲み取ることになるのだ。 脚本や演出など、なにもかもテキトーにやっているように見えて、その実、緻密に計算し尽されていると思う。

私がこの映画をスゴイと思い始めたのは、ドラマも既に半ばあたりまで来てからのことである。 さっさと視聴を中断したりしないで、ホントに好かった。 持ち前の優柔不断な性格も、時には役に立つこともあるってこと。
2度目に見た際は、最初から最後まで映画の世界にどっぷりと浸かり込んで見ることが出来た。

バンドの4人目のメンバーは、韓国人女子留学生のソンちゃん。 異郷に来て独りぼっちでいた。 普通、小説や映画ではお約束で乗り越えてしまう「言語のギャップ」を、この映画では最後まで引きずっていて、だからソンちゃんは映画のラストまで、日本語で想いを充分に伝え切ることが出来ない。 だから、時には、相手に理解されないのを承知で、韓国語で語らずにはいられなくなることもある。

人気の無い夜の校内を独り歩き回るソンちゃん。 昨日まで孤独でいた留学生が、今ようやく味わう開放的な空気。 誰もいない体育館に入って、気分はオンステージ。 我々のバンド、3人の頼もしいメンバーを紹介します。 もちろん韓国語でネ・・・・・ 日本に来て、ようやく友を得た喜び。 バンドで唄える幸せ。 その抑え切れない昂揚感が伝わってくる。 私がこの映画で一番好きなのが、このシーン。

文化祭の最終日、体育館でのコンサートが始まった。
4人が寝過ごして(!)遅刻したため、繋ぎ(前座)役を買って出る中島、萌らの演奏がハイレベルで、その場の音楽的興趣が一気に高まってゆく。 そして、バンドの4人が雨でずぶ濡れになりながら登場。

引っ込み思案だったソンちゃんがステージでリンダリンダを唄い出し、クールに徹して来た恵がそのリフレインでシャウトする瞬間が、ワタシ的にこの映画のクライマックスである。 映画のラストは、カメラを引いて体育館の全景を見せ、見ている側の心の中にほのかな余韻を残して終わる。

この映画を見て、もうしばらく経つけれど、今でも思い出す度にジンと来てしまうよ。(好い歳をしてからに、もう)
一緒になってバカが出来る仲間と、好きなことに夢中になって取り組む。 演出のスタイルとしては異色ながら、青春ものの王道をキッチリと抑えた作品として、忘れられない映画になった。
 

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June 16, 2007

頭文字D THE MOVIE

 
 頭文字D THE MOVIE
 頭文字D
 InitialD
 
   監督:アンドリュー・ラウ
       アラン・マック
   出演:ジェイ・チョウ
       アンソニー・ウォン
   原作:しげの秀一
 
      2005年 香港
 
 
私、普通自動車免許を所持してはいるけれど、日頃はクルマの運転をすることなどまずない、つまりはペーパードライバーである。 クルマの車種や性能にもとんと疎くて、街を走るクルマの車名など、ほとんど判らない。
そんな、クルマに興味の薄い私だから、この映画の原作、公道レースの世界を描いたしげの秀一の、同名の人気コミックについても、ほとんど知らなかった。

※主人公の藤原拓海は、家業の豆腐屋の手伝いで、毎朝山向こうの得意先に豆腐を配達する。 早暁の誰も通らない峠道で、独りクルマを走らせ続けるうちに、いつしか驚異的な運転技術を身に付けていた。 その拓海が、配達中の峠道で公道レースの猛者を難なく抜き去ったのを切っ掛けに、走り屋としての自分に目覚めてゆく・・・・

そんな日本のマンガを、香港で映画化したという。
面白いのは、原作の設定を(言語を除いて)、そのまんま映画化したというところで、つまり舞台は群馬県であり、登場人物はもちろん日本人なのである。 全編に渡り日本ロケを敢行。 もちろん、香港映画だからして、演じるのは香港の役者(一人を除いて)だし、台詞は広東語である。
原作のテイストを大切にしたいばかりに、なんとも手間の掛かることをやってのけたわけだ。 そういや、日本の映画にも中国を舞台にした時代ものがあったけれど、演じるのは日本の役者で台詞は日本語だったりしたから、おあいこみたいなものか。

ともあれ、クルマにも香港映画にも疎い私にとって、興味は自然、香港映画と言うフィルターを通して見た日本、それも都会ではない一地方の風景やら、そこで暮らす人々の日常といった辺りに向かう。
でも、その点については、ちょっとばかり裏切られたの感がある。 つまり、日本の風景や日本人について、思いの他自然に描けているのだ。 例えば欧米の映画で描かれる日本に、往々にして見られるような奇天烈さを感じることが、この作品ではまったくない。 それでも、オープニングの映像と音楽の冴えた感覚や、如何にもの香港風ギャグとか、随所に非日本的な、香港映画らしい(?)ニュアンスを探り当てることが出来るのが愉しい。

さて、クルマ同士の追っ掛けっこ。 カーチェイスと言えば、なんと言ってもハリウッド映画の独壇場だろう。 どでかいアメ車のパワーを見せつける、豪快な走りっぶりが見ものである。
それが、この映画に登場するのは全て国産のクルマたちである。 アメ車に比べればちっぽけな車体を道幅一杯、対抗車線まで使い切ってドリフトさせる、クレージーでアクロバティックな走りは、アメリカ映画などには見られない新鮮さで、レースに興味のない私が見ても興奮させられる。

登場するクルマたちは、いずれもチューンナップを施されているのであろうけれど、素人目には極々フツーの、如何にもそこいらの道路を走っていそうな車体ばかりである。
主人公の駆るのはトヨタ・スプリンター・トレノ。 型は旧く馬力もないけれど、ドリフトさせれば無敵という、コダワリの車種らしい。 豆腐の配達に使うため、どてっ腹に「藤原とうふ店(自家用)」と記しているのがご愛嬌(らぶりい)であります。

主人公、藤原拓海役のジェイ・チョウ。 無表情を通す。 でもってクールと言うのか、終始眠たげ顔つきで、済まして構えて。 原作のイメージからいくと、こうなるのだろうか? 無表情に徹した演技は、ワタシ的に、どうにも馴染むことが出来ない。 感情移入のし難い主人公だった。

その父、藤原豆腐店の店主、藤原文太役にアンソニー・ウォン。 飲んだくれだし、口よりも先に手が出るしで、どうしようもないオヤジなのだけれど、若い頃は公道レースの王者だったらしい。
ドラマの進行と共に、懐の深さ、アヤシさとちょいワルさをあらわにし、その存在感を増してゆく、一筋縄ではゆかぬ男である。 この映画、レース・シーンは申し分ない出来だけれど、ドラマとしては、この俳優一人で持たせているかの感がある。 素晴らしい役者を知りました。

拓海の相手役なつきに鈴木杏。 この映画で唯一の日本人俳優。 拓海とのシーンは、安手のテレビドラマみたいで、テンション下がりっぱなし。 ユルすぎ。 演出上の問題で、当人に非はないのだけれど。

この映画はどこが好いって、かつてないスタイルで見せるレース・シーンの迫力と、日本の一地方に暮らす主人公親子の生活を、過度に好くも、また酷くも描いていない点。 確かなバランス感覚でもって日本を描いてくれた。 こういうのは嬉しい。
 

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June 02, 2007

ドクター・ドリトル

 
 
 ドクター・ドリトル
 Dr.Dolittle

   監督:ベティ・トーマス
   出演:エディ・マーフィ

      1998年 米国


主演のエディ・マーフィのことは知っていたけれど、特段ファンと言うわけではない。 まして、普段私が興味を持つことのないタイプの、一見してファミリー向きと思われるこの映画を、あえて見てやれという気になったのは、ひとえに「ドクター・ドリトル」と言う題名に惹かれてのことである。

なにしろこの映画の原作、ヒュー・ロフティング作のドリトル先生シリーズは、我が少年時代の最高の愛読書であったからして。
ドリトル先生の名を冠したこの映画も、だから、一応見といてやるか、と言うくらいの至って軽い気分で鑑賞に入った。 それに、日々お疲れ気味のところに、こういった、屈託なしに愉しませてくれそうな映画は、まったくお誂え向きかと思って。
 
と言う訳で、大した期待もなしに見てみたけれど、なかなかどうして、結構愉しかったですよ。
原作からは、動物と言葉を交わすお医者さんと言うプロットだけを借りて来て、あとは、ドリトル先生に扮するエディ・マーフィがその本領を発揮する、現代のアメリカ社会を舞台にした明るいコメディに仕上げてある。 まあ、予想通りの展開です。
世評の高い、エディ・マーフィのお喋り、と言うか話芸。 私は英語が判らないので、その真髄をちゃんと愉しむことが出来ないのはザンネン無念である。 まぁ、仕方ないか。 その代わりに、日本語吹き替え版の声優さんたちが、大健闘していたと思います。

それにしても、こういうファミリー、子供向きの映画でありながら、脚本や演出の隅々まで、手抜かりなく実にしっかりと造り込まれているのにはほとほと感心しています。 流石はハリウッド作品なり。
動物が喋るドラマは、古今東西珍しくもないけれど、この映画ではCGを駆使して、人間と動物たちとをごく自然に共演させることに成功している。 声優さんたちの話芸と相まって、これまでの「動物が喋る」ドラマとは一線を画していると思う。
虎や梟など、捕食する側の動物の性格が一様に温和で、ネズミなど小さな動物らの、どれも鼻っ端が強いのが、さもありなんという感じですな。 軽いシモネタもあるので、必ずしもファミリー、子供向きの映画ってわけではなかったのかもしれない。

原作の世界からは随分と掛け離れた映画だけれど、小説のファンのために、さりげなく小ネタも用意されている。
サーカスの虎を問診するドリトル先生(ドラマ中の英語ではドゥーリィルと聴こえる)の背後を横切る双頭の珍獣オシツオサレツ。 それと、視力の衰えた馬のためにあつらえた特大馬用メガネ。 どちらも、原作を読んだ方ならば「ニヤリ」の場面であります。

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May 27, 2007

スーパーマン

 
 スーパーマン (ディレクターズカット版)
 Superman The Movie Expanded Edition
 
  監督:リチャード・ドナー
  出演:クリストファー・リーブ
     マーゴット・キダー
     ジーン・ハックマン
  音楽:ジョン・ウィリアムズ
 
    1978年 米国
 
 
もう、30年近くも前に大ヒットしたSF超大作。 私は封切り時には見逃しているけれど、その昔、どこかの場末の名画座で観たことがある。

この映画のウリは、なんといってもスーパーマンが颯爽と空を飛ぶシーンだった。 すなわち、それまでのSF特撮ものでの飛翔シーンが、概ねスクリーン上を平面的に移動させるだけであったのに対して、この映画では3次元的に飛んでみせたのであって、そのリアルさは画期的だった。
ただ、(ワイアーアクションを使ったシーンを除いて)主としてフィルム合成画像によっていたので、現在のCGに慣れてしまった眼には、その画像がかなりショボく映ってしまうのは、まあ致し方のないところ。

と言う訳でこの映画、最早SFXの面では興味を持つことが難しくなっている。
その替わりに、それぞれの役者のキャラクター創りや、役処を心得た演技が素晴らしい。 SF特撮ものありながら、特撮以外の部分をより高く評価出来ると言うのは、つまり、この映画が元々持っているクオリティの高さを物語っていると思う。

スーパーマン役のクリストファー・リーブ。 これは当人の本意ではなかったかもしれないけれど、未だにスーパーマンと言えばこの人の面影を思い浮かべてしまうほどの、正に当たり役でありますなあ。 そのリーブが二役で演じるクラーク・ケント(繊細な大男!)で見せるトホホぶりの可笑しさ。
ロイス・レイン役のマーゴット・キダー。 勝気でやり手のキャリア・ウーマンでありながら、同時にデリケートな面も併せ持つ役柄を好演。
その他、新聞社の同僚たちや、ジーン・ハックマン演じる天才的犯罪者とそのドジな手下、情の深い愛人。 地球での育ての両親(質朴なアメリカの農夫)は、マーロン・ブランドらが演じるクリプトン星の両親よりもずっと好いと思う。

作品前半のハイライトとも言うべき、スーパーマンとロイス・レインの夜空のデートは、けだし名場面中の名場面でしょう。 ここだけは、昔名画座で初めて見た折のイメージが、今もくっきりと残っているし。 ジョン・ウィリアムズの甘く切ない音楽に、マーゴット・キダーの淡々とした語りがかぶるあたりが、また好いんだ。
確かにSFXは、今のレベルからすればショボイんだけれど、それを超えて訴えかけて来るものがあるんだなあ。 特撮に古さを感じさせられるとはいえ、夜空を夢のように舞う、二人の演技だけで十二分に魅せます。 なによりマーゴット・キダーの表情(くるくると変化してみせる)の可愛らしさ!

この映画、SFX的にどんなに古くなっても、永遠に愛されることでしょう。

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March 01, 2007

春の雪

 春の雪

   監督:行定勲
   撮影:李屏賓(リー・ピンビン)
   出演:妻夫木聡、竹内結子
   原作:三島由紀夫

       2005年、日本
 
 
監督はセカチューの行定勲。 とはいえ、とても同じ人が撮ったとは思えない、こちらは本格文芸大作に仕上がっている。
原作がMISHIMAと言うだけで、若干のキンチョーを否めない自分にいささか後ろめたいキモチを抱きつつ見てみた。 因みに原作は未読である。

この映画、なにせ上映時間が滅茶長いし、屈託なしに楽しめる娯楽作品と言うんでもない。 映像美には溜息をつきっぱなしだったけれど、また同時に、見終わった頃にはうんと疲れ果てていたと言うのも確かである。 あまり、誰にでもオススメ出来る映画と、言うわけにはいかないと想う。

とは言えこの作品、文明開化期の浮世絵がお好きな方ならば、是非とも見て頂きたいのである。 当時の風俗、上流社会の贅を尽くした洋館やそこに群れ集う紳士淑女など、ここではそれらを素晴らしい実写で見る事が出来るのだから。

それにしても映像。 とにもかくにも映像。 それも、唖然とさせられるほど美しい。 自分にとって、この映画はこれに尽きる。
映画の冒頭、幼い日の二人が百人一首に興ずるシーンからラストに至るまで。 2時間半に及ぶ映画の、ほとんどのカットで賛嘆をもらさずにいられなかった。 スクリーンの隅からすみまで、徹底した美意識に貫かれた映像である。 撮影監督のリー・ピンビンのことを私は知らなかったのだけれど、本作品を観て、とてつもない才能の人と確信した。

難しい、長い、疲れる。 なんて、散々文句を言いつつも、主人公の屈折した心情がなかなか理解し辛くて気になるのと、映像美に酔いしれたいのとで、この映画、都合二回見てしまった。

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February 18, 2007

世界の中心で、愛をさけぶ

  世界の中心で、愛をさけぶ

    監督:行定勲
    出演:大沢たかお :朔太郎(現在)
        柴咲コウ   :律子(現在)
        森山未來  :朔太郎(高校時代)
        長澤まさみ :亜紀(高校時代)
        山崎努    :写真館の主

           2004年 日本
 
 
いわゆる、セカチューの映画。
純愛ものとしてヒットした作品だけれど、観てみて気づかされたのは、男性側の視点で描かれているということ。 それでいて、この映画に多く女性が共感したというのが興味深かった。

主人公の朔太郎。 その高校時代は、これといって取り得のない、ごく普通の男の子であった。
不器用で、ひたむき。 これといって摂り得もなければ、目立つところもない。 時々見せる劣等感まるだしのヒクツな表情が好い。 映画を観る男性の多くが、朔太郎に高校時代の自分を重ねてみるのではないかな。
一方、ヒロインの亜紀はカワイくて、勉強が出来て、学校でも注目される、と朔太郎から見てまぶしいばかりの存在。 これってもう、男の子の視点でしょう?
主人公らをアイドル映画風な、美男美女高校生カップルとはしなかったことで、この映画は幅広い層の観衆に訴えかける佳作になり得ている。

高校時代の夏。 ひなびた海辺の街。 そこだけ時間が止まってしまったような古風な写真館と、その主(山崎努)など、老練なスタッフが、観客を心置きなく感傷に浸らせるためのお膳立てとして、万全の態勢を敷きましたって感じである。
なにもかも、あんまりなベタさなんで、こっちだって、騙されるもんかって気になろうってもんだけれど、でも、そんな青春の日々への感傷に、素直に心を委ねてしまおうという気になれないならば、この映画は観る価値がない。

切なくも美しい、ハイティーン時代の夏の想い出。 それは、いつなりと逃げ込むことを許してくれる、感傷のオアシスみたいなものでしょう。
残された者たちは、いつか大人になり、過去を背負いつつ、現実に立ち向かって、生きてゆかねばならない。 
今では故郷と疎遠になってしまっていて、想い起こすこともなくなっている自分など、心に故郷持つ人はウラヤマシイなあ、などと想うばかりなのである。

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February 10, 2007

トップガン

  トップガン
  Top Gun

     出演:トム・クルーズ
     監督:トニー・スコット

        1986年 米国
 
 
大ヒットした航空映画。 あの「素晴らしきヒコーキ野郎」から76年後の、Magnificent Men の物語である。

はねっかえりで怖いもの知らずの若い戦闘機パイロットが、米海軍の空中戦訓練学校(トップガン)で猛訓練を受ける中、女教官との恋や、僚友との事故を経験し、パイロットとして、そして人間として成長を遂げると言う、まあ、よくありそうなストーリー。
見ものは、なんと言っても戦闘機同士の空中戦シーンで、こればっかりは、繰り返し何度見てもワクワクしますな。
それにしても、当時のトム・クルーズの若いこと。 製作年度を見てみて、二十年ほど前の作品であったことに気づき、ビックリしてしまった。

主人公(トム君)が駆る戦闘機はF14トムキャット。 複座だし、双発だし、可変翼だしで、なんだかやたらとデカく見えるヒコーキである。 それが、ジェットの圧倒的なパワーを駆使して自在に飛び交い、また、くるくると軽快に舞って見せる。
このF14、1970年代にデビューして、映画の撮影当時も米海軍の主力艦上戦闘機だったけれど、昨年遂に退役したとのことである。

トム君ら教習生を飛行訓練で鍛え上げるベテラン教官が操るのはA4スカイホーク艦上攻撃機。 こちらはF14よりも更に古くて、1950年代半ばから飛んでいる。 単発、単座。 とにかく小さくてすばしっこい。 私には、やたら図体のデカイF14よりも、このA4の方が余程カッコ好く見えるけれど。

敵国の戦闘機に扮するのは、実は米国製のF5タイガー。 スリムで優美なボディライン(なんだかコカコーラのビンを連想してしまう)を持つこの機も、F14よりずっとスマートに見えるなあ。

映画は、早暁のインド洋上を航行する航空母艦からの、艦載機離着艦シーンから始まる。 映像美と、ジェットの圧倒的なパワーを見せつけて、掴みはバッチリ、なのである。
そしてなによりの見せ場はトップガンでの、教官対生徒の空中戦訓練シーン。 すべて実写。 ホンモノのジェット戦闘機同士の追っ駆けっこは、大空を自由に飛んでみたいという人類有史以来の夢を、現実のものとして見る者に叩きつけてくれる。 こんな映画は、CG全盛の今となっては、もう再現不可能なのではないか。

その一方で、人間ドラマ的にはイマイチの感がある。 主人公(トム君)の俺様ぶりからは、それほどの魅力を感じないし、ヒロイン(ケリー・マクギリス )も、ちっとも綺麗と想わない。(それよりも、僚友の奥さん役のメグ・ライアンが好い) でも、これはそもそも空中戦シーンばかりが見たい映画なので、然程気にもならないのである。

音楽は至って軽めのロック。 飛行シーンに流れるチャカポコしたサウンドも、聴き慣れてくると、ヤバイくらいに心地好く感じる。 とはいえ、時々ベタベタに感傷的で甘ったるい曲が流れるのにはマイッタな。 このお陰で、映画の格を相当落としている気がする。

映画の構成上、クライマックスは敵国戦闘機との空中戦で、敵機を見事撃墜してみせなきゃならんのであろう。 けれども、映画のラスト、トップガンの卒業式から敵機とのドッグファイトまでの、なんだか安直な演出からは、「本当はヒコーキが飛び回る映画が造りたいだけで、戦争映画なんて興味ないんだよね」とでも言いたげな、製作者側のバツの悪さを・・・・私の妄想でしょうか・・・・感じてしまう。 だからしてこの作品、戦争映画というよりは、あくまで航空映画と呼ぶべきと思うのである。

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January 22, 2007

イージー・ライダー

  イージー・ライダー

  EASY RIDER

    監督:デニス・ホッパー
    撮影:ラズロ・コバックス
    出演:ピーター・フォンダ、
        デニス・ホッパー、
        ジャック・ニコルソン

          1969年 米国
  
 
星条旗デザインのチョッパーにノーヘル、長髪。 旅する二人。
この時代のアメリカ文化に食い入った脚本、大陸を捉えた映像に音楽(当時のロック・・・と言い切ってしまって好いものか、この手の音楽にはまったく疎いので自信無し)も素晴らしい、言わずと知れたロードムービーの名作。 

自由ってなに? と言う、一旦ぶちはじめたらヘビーになりそうなハナシはこの際さて置くとして、ですね。 映画の冒頭、Born To Be Wildの名調子と共に「EASY RIDER」のタイトルが上がるシーンのカッコ好さときたらないって。 元バイク乗りとしては、どこまでも続く一本路を二台のハーレーが疾駆するシーンに、長く忘れていた原風景を突きつけられたような気にさせられて、心中狼狽してしまった。

でも、今回見直して気が付いたけれど、バイクの疾走シーンは、上映時間中の割合にすれば意外に少なかったのですね。 それよりも、前回、初めてこの映画を見た時(高校時代に、地元の名画座で)にはひたすら退屈だった、キャンプでの焚火を囲んでのラフな会話や、後半の娼家から謝肉祭、そして墓地(ドラッグ体験を映像化したに違いない場年)に到るシーンが重要だったのだと、馬齢を重ねた今頃になって気が付く。

すっかり判った気になっていた映画でも、歳を経て見直してみると、もっとも多感であった筈の十代の頃には見落としていた、判らなかった部分が、なんと多かったことか。 こうしてみると、オトナになってゆくのも、そう悪くはないかって(ちょっと溜息混じりに、ではあるけれど)想うんだな。

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January 18, 2007

宇宙戦争

 宇宙戦争

 War of the worlds

   出演:トム・クルーズ、
       ダコタ・ファニング、
       ティム・ロビンス
   監督:スティーブン・スピルバーグ
       2005年 米国


原作はH・G・ウェルズの古典SF小説。 そして1953年に造られた同名のSF映画のリメイクでもある。 実はこの映画、ネットで映画ファンの感想を見るに、あんまり評判が悪いものだから、逆に興味が沸いて見てみた次第。

H・G・ウェルズの原作は読んだことがあるけれど、情けなや、ほとんど記憶に残っていない。 1953年の映画の方も、また昔テレビで見ていて、こちらはとっても面白かった覚えがある。

突然地球を襲ったエイリアンたちの圧倒的な攻撃力の前に、人類の兵器がまるで歯が立たず、人々は逃げ惑うばかり、と言う内容は、リメイクされたこの映画でもそのまま踏襲されている。 一つ目の探視装置やら、ラストの瀕死のエイリアンなども、1953年の映画と同じ演出。
ラストのオチも、ウェルズの時代であってみれば、最新の科学であったわけだけれど、現代に持って来ると、流石に辛いものがあるよね。 それだけこの映画は原作に忠実、いっそ教条的と言えるのかも知れないけれど。

トム君、この映画では意外にもダメ親父を演じる。
二人の子供たちも好演(ダコタ・ファニング嬢、上手すぎ!)しているけれど、それがかえってアダになったと想うな。 二人して父親に反抗しまくる演出がリアル過ぎて、どうにも救いが無いのだ。 いや、ドラマに奥行きを与えているのは認めるけれどもね。
それにしても、逃避行中の親子の葛藤や、地下潜伏中の仲間同士の反目など、この映画は見ていてイライラがつのって来る場面が多い。

トライポッド。
エイリアンたちの奇妙な乗り物。 三本のおっそろしく長い脚を、生き物のように自在に動かして歩き回るコイツらこそが、この映画の主役と想っている。 (そういえば、昔見たサルバドール・ダリの絵の中にも、こんなのが出て来たっけ・・・・いや、あれはバカに脚の長い象だったけれど) 時々、チューバみたいな野太い低音で吼える。
このトライポッドたちが、レーザー光線で家屋をなぎ倒し、無辜の人々を次々と、情け容赦なしに切り裂き進む。 こいつらのオッカナさったらないですよ。 もしもこんなのが実際に現れたら、絶対に逃げられないよなぁ、と確信させられるもの。
そんな邪悪極まりないメカだけれど、造形的には実に見事なもので、遠景の中にほんのりと浮かび上がるトライポッドのシルエットや、夜景の中で触手をうごめかすトライポッドたちには、夢幻的な映像美を感じてしまう。

なんだかトホホなラスト・シーンには、だって原作がそうなんだからサ、とでも言ってみる他ない。 SFの古典たるH・G・ウェルズの原作や、1953年の「宇宙戦争」へのオマージュと想えば、私としては十分に納得出来るんですけれどね。
ともあれ、スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演、そして「宇宙戦争」と言う題名から、痛快なSF娯楽作品を期待すると、見事に肩透かしを食らうことになる。

この映画が大方の映画ファンの不評を買ったのは判る気がする。 でも、トライポッドの迫真の戦闘シーンは見事の一語だし、親子の逃避行や地下室の潜伏シーンも、地味ながらずしりとした手応えを感じるしで、私にとっては観て好かった映画の一本に加えたい、これは秀作なり。

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January 07, 2007

えびボクサー

 えびボクサー

 CRUST

   2002年 イギリス
   監督、脚本
     マーク・ロック
   出演
     ケヴィン・マクナリー
     ペリー・フィッツパトリック
     ルイーズ・マーデンボロー
     マドハヴ・シャルマ


<あらすじ>
イギリスのとある片田舎でパブを経営するビルは元ボクサー。 現役時代を懐かしみながら、面白くもない毎日に我が身の不遇をかこっていた。
ある日、何でも屋のアミッドが手に入れた、全長2メートルにもなる巨大エビをボクサーに仕立て、目下連敗中のボクサー、スティーブと組ませて、人間対エビのボクシング・ショーをテレビ局に売り込むことを思いつく。


「えびボクサー」(CRUST)はイギリスのB級コメディ映画で、元々それほど注目されていなかったこの作品に眼をつけた配給会社の慧眼は中々のものと想う。
日本で上映してみたら意外(?!)にヒットしたそうだけれど、ナンセンスなコメディ作品と言うのに留まらず、「おもしろうてやがて悲しき」ドラマに仕上がっているのが、日本人の感性にも受け入れ易かったのではないだろうか。

ドラマの中心軸になる、全長2メートルにもなる「えびボクサー」。 エビと言うよりは、実際はシャコのようだけれど、それがどう見ても張りぼてと判る、露骨に造り物めいたところが可笑しい。 CGは全く使用していないか、使っていたとしても最小限度に留めているのだと想う。 エビを少しでも可愛くデザインしたり、まして人間と対話したりとかは、あえてやらない。 ナリはデカくても、あくまで海老はエビ。 見てくれや動作、それから鳴き声とかも結構グロいです。

建物、景色やら空模様のクラさ加減、どこか寒々とした感触に、やっぱりイギリス映画だよなあ、なんて勝手に納得してしまう。
一攫千金を夢見てロンドンに打って出たビル一行は、労働者階級を象徴するようで、それと、テレビ局に集まるセレブたちとの対立の構図が見て取れる。 この辺りはイギリスの社会事情をとらえているのではないかと想うけれど、実際のところはどうなんだろう。

ビルたち、それぞれにとって、一番居心地の良い場所を見つける、穏やかなラストがなかなか好い感じです。
とどのつまり、男たちはオロカなロマンチストで、女はどこまでもシタタカな生き物なんだよねえ・・・・・なんて、古今東西どこでも通用しそうな命題にオチを持っていくあたりがヒットの秘密かもしれない。

コメディとは言え、あんまりなバカバカしさだし、結構お下劣なシーンもあるしで、どなたにもお勧めの映画とはゆかないんですけれどね。

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January 04, 2007

素晴らしきヒコーキ野郎

素晴らしきヒコーキ野郎

Those Magnificent Men in Their Flying Machines, or How I Flew from London to Paris in 25 hours 11 minutes


  監督:ケン・アナキン
  製作:スタン・マーガリーズ
  脚本:ジャック・デイヴィスケン・アナキン
  撮影:クリストファー・チャリス
  音楽:ロン・グッドウィン
    1965年 米国


1903年のライト兄弟による歴史的快挙の後、ほんのわずかな年月ではあるけれど、世の全ての飛行機たちにとって、ただ飛ぶことだけがその目的であった、幸福な時代があった。
このドラマの舞台は、そんな旧き好き時代の1910年。 世界各国の飛行家達が集まって繰り広げた、ロンドン~パリ間の航空レースである。

当時の飛行機と言えば、骨組みに布を貼っただけのシンプルな機体に、非力なエンジンを乗っけた代物。 操縦席は、覆いも窓もない吹きっさらし。 航空力学が未発達な故、飛行機のデザインもまちまちであって、なかには笑っちゃうような、奇抜なナリをしたヤツもいる。
そんな黎明期の飛行機たちが、イギリスやフランスの田園地帯の上空を、ふわふわと、それこそカゲロウのように儚げに飛翔する。 その様子と来たら、本当に、夢見心地に見入ってしまうほど美しい。

喜劇だからして、飛行機を使ってのスラップスティックなドタバタ・コメディシーンにも事欠かないけれど、私は、こういうのはあまり好きではないな。 それよりも、クラシックなヒコーキ達が飛ぶシーンを見せてくれるだけで十分楽しいのに、なんて想ってしまう。

各国から集った飛行家達のキャラも楽しい。 西部劇から抜け出て来たようなアメリカ人。 愛妻家で子沢山のイタリア人。 調子好くて女好きのフランス人。 劇中コケにされまくる役処のドイツ人は石頭でマニュアル墨守と、それぞれの役者が芸達者で笑わせる。
そんな中で日本代表を演じるのは石原裕次郎。 出番はあまりないけれど、堂々とした立ち居振る舞いが頼もしい。 マジメで優秀だが、堅物の石部金吉と言う役どころで、コメディのシーンに参加させてもらえないのが、ややカナシイけれどね。
日本は未だ純国産の飛行機を持たなかったという設定で、外国製の2機の飛行機から、それぞれ翼と胴体を取って組み合わせ・・・・いわゆるニコイチですな・・・・メイド・イン・ジャパンを仕立ててしまう。 ここら辺りからは、ケン・アナキン監督のシニカルな視線を感じ取るべし。

この映画はまた、音楽が素晴らしい。 
テーマ曲は楽天的で威勢の好い男声合唱。
そして各国から集った飛行家達の一人ひとりには、それぞれに相応しいライトモチーフと言うか、テーマ音楽が付けられている。 すなわち、アメリカ人には西部劇風。 ドイツ人は軍隊行進曲風。 イタリア人はカンツオーネ風といった具合で、いずれもステレオタイプと言うか、あまりにもベタなのが可笑しい。
それにしても、ヒロイン(セーラ・マイルズ)に与えられた音楽は、どうしてこんなにも甘くて切ないんだろう。 どうということのない場面でも、ヒロインのテーマ音楽が流れるだけで、涙が出そうになって来るよ。 それはまるで、ここに登場するヒコーキ達の将来。 新兵器として軍事利用されることになる運命を暗示しているような気がしてならない。

この他、当時の自動車やバイクも登場するし、レース会場に集う人々の典雅な服飾など、見せ場に事欠かない。 私はこの映画を、これから折々、何度でも見返すに違いない。 堂々の娯楽作品だ。

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December 24, 2006

ゼロゼロナインワン オリジナルサウンドトラック

CD 「ゼロゼロナインワン オリジナルサウンドトラック」

  作曲:岩崎琢    
                Aniplex SVWC 7423


やっぱり、買ってしまいましたぜ。 先日最終回を迎えたテレビ・アニメ「009-1」のサウンドトラック盤。
私は普段、こういうものは、まず買い求めたためしがないのだけれど、これだけは特別。 なにしろ、劇中とエンディングに流れる音楽があんまり気に入ったから、それに、番組の方も終わってしまって、こうでもしなければ、もう、あのゴキゲンな曲たちを聴くことが出来ないからね。

CDには、劇中で使用された音楽とエンディングのテーマ、そしてボーナストラックも含めて全22曲が収録されている。 (番組オープニングの主題歌は入らない)
いかにもアクション!といった趣の、激しく攻撃的なビッグバンド編成の曲。 幽玄で、淡い哀しみを湛えたストリングス主体の曲。 そして、叙情的なアコースティック・ギター・ソロや、やさしい三拍子の、けれどアンニュイなピアノ・ソロ。 洒落たJAZZコンボまで。 作曲者、岩崎琢さんの音楽語法はとにかく多彩。 大変な才人ぶりと想う。

けれど、これらの曲たちの中で、番組の中で耳にした覚えのあるものは、ごく一部なのではないか。 番組をあんまり熱心に観ていたというわけでもないのけれど、そんな気がする。 なかには、劇中で一度も流されることのなかった曲なども、あったりするのかもしれないね。

とまれ、絶品の一語に尽きるエンディング・テーマをはじめ、毎回のように劇中で流れて聴き親しんだ曲や、また、そうではない不遇な曲も、どれも皆すごくカッコイイ。 クールさが基調にあって、なによりお洒落で。
繰り返し何度聴いても飽きが来ず、むしろ聴くたびに新しい発見がある。 これぞ名曲の証であろう。

番組の方はたったの12回で終わってしまった。 これほどクオリティの高い音楽をあつらえておきながら、もったいないかぎりなのである。
そのうちに第2シーズンが始まらないかな、なんて、こっそりと期待している。


   009-1

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December 11, 2006

NHK大河「功名が辻」

NHK大河ドラマの「功名が辻」が昨日、最終回を迎えた。 例年のことながら、大河が終わると今年もあとわずかって気になる。

今年は、山内一豊とその妻が主人公ってことで、当初はこんな地味な題材で果たして一年間も持つのかしらと想ったけれど、始まってみれば、これがとっても面白かったのである。
もっとも、私が見始めたのは長篠の戦いのあたりから、ぼちぼち、というところだったけれどね。 それでも、本能寺の変の辺りからは、すっかりハマッて毎週楽しみに見ていたっけ。

信長、秀吉、家康といった大河の常連、ビッグネームらが主人公の場合と違い、武力、知略共にそこそこのレベルにあって誠実律儀の一豊と、知恵女房千代の視点を通して戦国時代を描くことで、これまでにない、新鮮なドラマに仕上がったと想う。
それにして「功名が辻」はキャスティングが滅多矢鱈と好かった。 それこそ、大河史上最高ではないかと想うくらいに。 なかでも、取り分け印象に残った配役を挙げてみると・・・・・

豊臣秀吉:柄本明
柄本秀吉。 若い頃は流石に苦しくて、これはミスキャストだろうと想っていたら、その代わりに、壮年期以降が素晴らしかったのにはホントに驚いた。 秀吉と言う人の持つ多面性・・・・・ひょうきんさ、賢さ、怖さ、威厳、晩年の老耄までを演じ切って、これ以上の秀吉役はいないのでは、とまで想わせた。

淀の方:永作博美
誇り高く、でもそれと表裏をなす哀しさ。 美しさと毒気、驕慢さと愚かさを描いて、これもドラマ史上最高ランクと想った。

寧々:浅野ゆう子
正直、ここまでやれる人とは想わなかった。 シリアスなシーンで精一杯威厳を張り通す姿勢が好いし、また、秀吉とのコミカルな掛け合いも可笑しいのである。

石田三成:中村橋之助
正直一途。 建前を通した挙句に周囲から嫌われちゃう損な役回り。 その風格は流石と想う。 最初はヤな奴だったけれど、お終いにはいじらしくなってしまった。

明智光秀:坂東三津五郎
貴族的で気品のある、「大人」の光秀。 これならば、信長と上手く行く筈がないよね。 納得のキャスティングで、もう、やられたって感じ。

徳川家康:西田敏行
家康と言うと、その狸親父ぶりを嫌う人は少なくないけれど、ここでの西田家康は苦労人で懐が深く、それでいてどうにも捉えどころがない・・・・それ見ろ、やっぱりタヌキだ! これまでに見てきた中でのベスト家康と想う。

この他にも、井伊直政の篠井英介、黒田官兵衛を演じた斎藤洋介、本多平八郎忠勝をやった高田延彦(!)など、毎回楽しみだった。
忘れてならないのは一豊の重臣コンビ、五藤吉兵衛の武田鉄也と祖父江新右衛門の前田吟の好演。
中でも、五藤吉兵衛討ち死にの回は、俳優やスタッフのもの凄い熱気が伝わって来る、全編中の白眉だったと想う。

さて、来年の大河は井上靖の「風林火山」なんだそうで。 山本勘助を中心に描いて一年間も持つのかいな、なんて、またぞろ懸念してしまうけれど、来年の今頃には「あゝ、面白かった!」とか言っている自分がいるんだろうね。 きっと。

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November 19, 2006

009-1

009-1(ゼロゼロナインワン)。 この番組、知る人ぞ知るって言って好いんでしょうね。 深夜のテレビ・アニメ番組だもの。
この間、夜遅くに帰宅した折に、テレビのリモコンをカチャカチャやっていて見つけたのを、最初は、「なんじゃこれは?」って感じで、ぼんやりと見ていた。 それで、じきにスイッチを消すつもりでいたのが、いつしか、しっかりとハマってしまっていたと言う訳。

原作は石ノ森章太郎の漫画「009ノ1」。 代表作のサイボーグ009と、007シリーズに代表されるスパイ映画の系統と、いわゆる「くノ一」ものを、ぎゅっと混ぜ混んだような作品。 サイボーグの女スパイと言う設定を見事、一言に集約してみせた、なかなかに秀逸な題名ですな、これは。

公式HPからの引用
<冷戦が140年続くもうひとつの未来。 地上は二つの世界に分断されている。 ウエストブロックとイーストブロック。 核の脅威で保たれたいつわりの平和の下、両陣営は情報という名の戦争を続けていた。 非情の世界に生きるスパイ同士の争いに、ミレーヌ・ホフマンは何を見るのか。>

近未来SF女スパイものと言うストーリーそのものには、実は、あんまり興味がない。 それに私、昔から石ノ森章太郎のキャラクター・デザインを苦手としていて、それはこの、009-1でも例外ではないのだだけれど、ならば、どこに引かれたかと言えば、作品全体を支配する、独特の、静謐で冷んやりとした雰囲気。
それは、たとえば夏の日、どこか高原のリゾート地でも訪れて、山々や流れる雲などを見入る時のような、非日常的な感覚である。 だけれど、放送時間帯に相応しく、回によってはお色気シーンもあったりするので、どなたにもお勧めとはいきませんです。 良い子は見てはイケマセン。

おそらくは、あえてそうしている、アクション系のアニメにしては淡い色調に、あくまでも淡々としたドラマ構成や、主人公の女スパイの吹き替えを担当する釈由美子の、目一杯に感情を抑えた口調がまた、深夜の時間に相応しくて、アニメに見入るというよりは、浸るという表現が、いっそ相応しいかもしれない。

そして、なによりも音楽。
番組オープニングの主題歌の評判が好いらしいけれど、自分的にはまったく好みではない。 その替わりに、私にとって、この作品の魅力の半分以上は、劇中で流れるBGMとエンディングの音楽である。
それは、目新しいところなどひとつもない、どこかで聴いたような音楽だけれど、素晴らしく均整がとれて、お洒落で、そしてなにしろカッコ好い。 中でも、弦楽合奏のアレンジの見事なこと。 優しい主旋律に対峙する、内声部のねとねと感は、もう後期ロマン派まで行っちゃってるね。
とにかく、テレビ・アニメで、これほど音楽のクオリティの高い作品を、私は他に知らない。 なかでもエンディングのテーマがすっかり気に入ってしまって、毎回、番組の一番お終いまでしっかりと楽しませてもらっている。

おっと、あくまでもオトナの時間の番組なので、良い子は見てはイケマセンぞ。

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November 04, 2006

のだめカンタービレ(TV版)

原作は今まさにブレイク中の、クラシック音楽界を舞台にしたコミック。 私はその原作を読んでいないのだけれど、私の周囲のアマチュア音楽家の中には殊のほかファンが多いようである。 そのテレビドラマ化というので、私も好奇心いっぱいで見てます。
で、自分的には、とっても面白く観ることが出来たのだけれど、バルカローレさんのところで、相手役の玉木宏がイマイチだって感想を聴き込んで、そいつがどうにも気になるもんだから、第一回をまた観直してみたという次第。

主人公の音大生、のだめ役に上野樹里@スウィング・ガールズ。
ここでは楽器を、スウィング・ガールズで熱くブロウしたテナーサックスからピアノに換えて、篠原ともえ風のキャラ造り(なんとま、思い切ったコトを・・・と想いましたけど)が、とってもか~いいっす。 

で、相手役の千秋真一役に玉木宏。 
渋くキメて、なかなか好いではないですか。 因みにこの人は今年のNHK大河ドラマ「功名が辻」で山内康豊(山内一豊の弟)役をやっている。 つまり、同じ時期に戦国武将とピアニストを演じ分けるということをしているわけですな。
面白いのは、山内康豊よりも千秋真一の方が、役造り上、押し出し良く、態度もデカイ(!)ということ。 なンたって、ピアニストよりも戦国武将の方が余程ナイーブでさわやかなんだから可笑しいって。

それから、ドイツ人指揮者シュトレーゼマン役に竹中直人。
おそらくは、このドラマ中で原作からもっとも乖離しているのは、この人ではないかと。 とにかく、どのドラマで誰を演じてようと、竹中直人は竹中直人なのであって、そこンところを受け入れることが出来れば、この役者は文句なしにオモシロイ。

ストーリーの方はドラマの初回らしく、のだめと千秋の出会いと、各人物の登場編といったところ。 そして、クラシック界をテーマにしたドラマらしく、二人がレッスンで取り組むモーツァルトの2台のピアノのためのソナタ ニ長調 KV448 第一楽章のシーンが見もの聴きものだった。

練習を始めた当初は、二人のピアノが上手く揃わずにガタガタだったのが、次第に音楽として形をなしてゆくのが痛快。 秀才肌で楽譜通りにキッチリ弾くのが信条の千秋が、のだめの勝手放題、自由奔放な音楽性を認めることがブレイクスルーとなって、レッスンが終わってみれば、音楽的に行き詰まりをみていた千秋のピアノが一皮剥けていたというオチになる。

レコードや演奏会などで、完成形をポンッと出して来られるよりも、こうして、練習の過程を追ってゆく方が、余程面白いと想うことがあるけれど、このドラマでのモーツァルトもまた然り、である。
それにしても KV448 って、なんて良い曲なんだろうと、改めて想う。

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February 12, 2006

モーガン警部と謎の男

映画「モーガン警部と謎の男」 (1961年、日)
監督 : 関川秀雄
出演 : ジョン・ブロンフィールド、鶴田浩二、久保菜穂子、中山昭二

久々に時間が取れたので、川崎市市民ミュージアムで標題の映画を観た。 現在、同館では関川秀雄監督作品特集をやっていて、この映画もその一本なのである。

かつてアメリカに「モーガン警部」と言うテレビドラマがあって、我が国でも1958年から1960年にかけて放映されて人気を博していた。(再放送とかあったのかな? 私自身は観た記憶がないけれど)
これはその「モーガン警部」を日本に招いて撮った純然たる日本映画である。 ジョン・ブロンフィールド扮するモーガン警部の吹き替えは、低声の魅力で聴かす若山弦蔵。 この当時、お歳は幾つくらいだったのだろう。 それにしても渋い声音。

テレビドラマから発展した映画と言うのは今でもよくありますね。 「鬼平犯科帳」とか、「必殺!」とか、テレビドラマの設定はそのままに、スペシャル版と言う位置付けで。 でも、この「モーガン警部~」はもっと凄いと思う。 この時代、向こうのスターを役柄込みで連れて来て、オリジナルストーリーを造っちゃったんだから。

それにしてもこの映画、冒頭のアリゾナの荒野でのシーンはどうみても日本でのロケだったりして、今観るとアヤシイところだらけでタノシイのである!
鶴田浩二(若い!)扮する特攻隊上がりの流れ者風早が、中山昭二扮するかつての戦友中川刑事と再会するシーンの背景は、これはどう見ても皇居のお壕・・・・なんだけれどあの辺りって、この当時はおっそろしく閑静だったんだねえ! 東京タワーなんて、ものすごく高く感じるよ。 (都内に高層ビルがひとつもないのだ)
その風早が中川刑事の家に招かれて、お膳を挟んで中川夫妻と旧交を温め合うシーンも好かった。 60年当時の食卓風景だ。 え? もっとマジメに観ろって? ま、こういう発見のあるのも古い邦画の楽しみ方の一つだってコトで何卒ご海容願いまっす。

さて、ジョン・ブロンフィールド。 米国のスターとして、日本の役者陣の中でぽっかり浮いちゃうんじゃないかと懸念されたけれど、いやいや、そんなことは全然なかった。 そこは流石にプロの役者なのである。
鶴田浩二や久保菜穂子との共演もごく自然にこなし、中山昭二をはじめとする警視庁の捜査メンバーとの呼吸もバッチリだ。 風早との殴り合いシーンはボロボロになるまでやるし、ラストの犯人との銃撃戦では敵弾を避けるのに地面に這いつくばって進む。 その真摯な演技に、ストーリーの持つユルさが相まって、ホントに好い人なんだなあ、って感想を抱きましたです。 ハイ。
1950年代後半から1960年頃に掛けて、こういう人がスターだった時代があるんだね。
堂々たるB級作品でした。

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October 10, 2005

にっぽん昆虫記

映画「にっぽん昆虫記」(1963、日)
監督: 今村昌平
出演: 左幸子、吉村実子

標題の映画を観た。 また、今村昌平監督の作品。
題名からファーブルの「昆虫記」が連想されるように、これは、一人の女の半生を冷徹な視点で描く。 それも、学者が地を這う昆虫を観察するようなクールさで。 そう。 虫は、その行く手にどんな困難があっても決してメゲナイ。 時に、傍目には愚かな程の実直さでひたすらに歩み続けるのである。

山間の貧しい村に生まれ育ち、終戦と同時に家族を離れて上京する主人公。 ふとしたきっかけから賤業に手を染め、その世界で漸く成功を収めようというところで惨めな挫折を味わう。 それでも、主人公はどこまでも自分の道を往くのである。
場面の変り目毎に画面がストップモーションとなって、主人公がその心境を詠う狂歌がアッケラカンと朗詠される。 モノクロの画像が凄く好い。 モノクロの旨味を知り抜いているね。 流石。

主人公が地にしがみつくように、無我夢中で生きていく様子を観察する今村監督の視線は厳しい。 けれど、その厳しさを突き抜けたところに姿を現わす人間の力強さからは、観る者を惹き付けて離さない一種の磁力を感じる。
決して軽くは無いテーマを描いて、時折コミカルな部分もあるのは「豚と軍艦」と同様で、これは今村監督の持ち味なのだろう。
「豚と軍艦」と同様、これも、深い感銘を受けた映画。

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September 23, 2005

にあんちゃん

映画「にあんちゃん」(1959、日)
監督: 今村昌平
出演: 長門裕之、松尾嘉代、沖村武、前田暁子

標題の映画を観た。 これも今村昌平監督の作品。
舞台は、昭和28~9年頃の、佐賀県にある小さな炭鉱。 石炭産業が不況のどん底に喘ぐ時代、両親を失い他に身寄りの無い兄弟四人が、懸命に生きてゆく姿を描いた作品である。

両親を亡くし、今や唯一の稼ぎ手となった長男の失業。 口減らしのために長女が奉公に出たり、未だ小学生の次男と次女は知り合いの伯父さんの家に預けられたりと、四人兄弟は分かれて住むことを余儀なくされ、更に、これでもか、これでもかと、困難が降りかかる。
どんなに生活が苦しくとも、兄弟四人揃って暮らしてゆきたいと言うのが、彼らの唯一の望みなのだが、貧困のためにそれも叶わない。 やがて、炭鉱も閉山と決まる。

こういったシチュエーションから予想される愁嘆場とか、お涙頂戴の名場面とかは、しかし、今村監督作品の場合出て来ないのである。 その代わりに、過酷な現実を、ひたひたと、クールに描き綴ることで、却って四人兄弟それぞれの強さ、前向きさが伝わって来る。

長男役は長門裕之。 ここでは一家を背負って立つ純朴な青年役で、「豚と軍艦」でのようなハジケ方は見せない。 映画そのものは、どちらかと言えば暗い話しなのだけれど、隣家の伯父さんや、先生、長男の親友など、兄弟の周囲に好人物を絡めて、ドラマを軽快に進める。 コミカルな場面もある。
この映画からは、 「豚と軍艦」のような圧倒的なパワーは感じられないのだけれど、小学生の次男と次女の視点から描いて、将来への希望を語らせることで、ラストを明るくしているのである。 観終わって、気分の爽やかになる秀作であった。

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September 19, 2005

豚と軍艦

 
 映画「豚と軍艦」
  監督: 今村昌平
  出演: 長門裕之、吉村実子、丹波哲郎

    1961年、日本


標題の映画を観た。 セプテンバー11に続いての、今村昌平監督作品である。
舞台は昭和30年代の横須賀。 米軍基地に寄生するヤクザ組織のチンピラ欣太(長門裕之)が主人公。
夏だって言うのに、一張羅のスカジャンを手放さない。 兎に角滅法活きが好い。 これっぽっちも品が無くて、虚勢を張りたがるくせに傷付きやすく、その上、不器用で一途な大バカ野郎である。 要するにカワイイ奴なんである。
白状してしまうと、私、この時代の長門裕之に付いては何も知らなかったのである。 子供の頃から、テレビのホームドラマやバラエティものの人としだけ見知っていたので。
昔から、イワユルフツーの伯父さんとばかり想っていたのが、若い頃にはずいぶん無茶をやってたのね、ってな感じ。 すっかり認識を新たにしてしまったよ。 あのオジサンに、こんなにも輝いた青春があったのかよ! なんて言ったら失礼だろうか?

欣太の相手役、「はるっぺ」こと春子(吉村実子)。 若い。 その若さ故の、体当たりの演技・・・・・ってのは使い古された表現だろうけれど、この人に関しては兎に角他に言いようが無くて、その若さに終始当てられるっぱなしであった。

欣太の兄貴分、人斬り鉄次(丹波哲郎)。 この役者に付いても、壮年期以降のドラマや、やはりバラエティものでの怪演しか知らないのだけれど、どこか人を食った演技は、やはりこの頃から、単なる二枚目に納まる人ではなかったのだと想わせられる。

昭和30年代の横須賀の景観がまた好いのだ。 夏の横須賀の街と海と山、湾内にぷかぷか浮いたアメリカの軍艦、戦勝国らしく脳天気な米兵たち、そこにハゲタカのように群がる男女の群れ。
それからドブ板の様子。 その造り込み振りが素晴らしい。 ドブ板を闊歩する男女、米兵の一人一人に至るまでが活き活きと呼吸して、作品世界を造っているのだ。
映画のラストでは、そのドブ板を、無数の豚の群れが埋め尽くしてしまう。 全編汗臭くて泥臭い、夏の映画だ。 もの凄い映画を観た。
 

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September 15, 2005

セプテンバー11

映画「セプテンバー11」(2002、仏)
  監督:S・マフマルバフ(イラン)
      C・ルルーシュ(フランス)
      Y・シャヒーン(エジプト)
      D・タノヴィッチ(ボスニア=ヘルツェゴビナ)
      I・ウェドラオゴ(ブルキナファソ)
      K・ローチ(イギリス)
      A・G・イニャリトウ(メキシコ)
      A・ギタイ(イスラエル)
      M・ナイール(インド)
      S・ペン(アメリカ)
      今村昌平 (日本)

総選挙のあった2005年9月11日(日)。 投票を済ませてから、川崎市民ミュージアムで標題の映画を観た。
世界11カ国の映画監督が、2001年9月11日アメリカで起きた同時多発テロをテーマに撮った短編オムニバス映画である。 上映時間は各々11分9秒1フレーム。 それ以外には、統一したコンセプトなど無い。 その分、各国を代表する映画監督たちの個性や、この事件に対する視点がストレートに現われることになる。

イランからの作品。 もうすぐ、怒ったアメリカが攻めて来るぞ! 核シェルターを造ろうと、慌てて土を捏ねてレンガを焼き始める人々。
子供たちに貿易センタービルを説明しあぐねる若い先生。 この辺りで一番高いもの・・・レンガを焼く煙突を指差す先生。 円らな瞳で煙突を見上げる子供たち。

ブルキナファソ。 アフリカの小国からの作品も、アメリカの大事件など実感されない暮らしの中で、ビンラディン(のそっくりさん)を見つけた少年たちの、小さな冒険をユーモラスに描く。

イスラエルからの作品は、こっちではテロなんて日常茶飯事で珍しくもないさ、とでも言いたげに、テルアビブ市内のテロ現場からの中継を丸々11分描いてしまう。

フランスはクロード・ルルーシュ監督。 静謐さの中に、信じ合う心を描いて最も感銘が深かった。

インドの作品。 あの日、救助のために、崩落する貿易センタービルに飛び込んで、そのまま亡くなったイスラム教徒の少年がいた。 イスラム教徒である故に、実行犯の一味ではないかと疑われて、その家族は、世間はおろか、日頃から親しくしていた隣人からも白い眼を向けられる・・・ 信仰と信念、そして勇気を描いた秀作。

アメリカだけれど、不思議と怒りを描こうとしない。 何故だろう。 抗議しない、戦わないアメリカを見せられて、観ているこちらおn方が途惑ってしまった。 愛する者を失った老人の悲しみを、抑制の効いたタッチで描いた、素晴らしく完成度の高い映像作品である。

そして日本。 今村昌平監督の作品はある意味もっとも難解かもしれない。 聖戦を謳う太平洋戦争から、故郷の村へと帰って来た男。 旧弊な村社会の中で、もはや人間としての自分を否定し、蛇になってしまった男を描いて、聖戦なんかありはしないと叫ぶのである。

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September 08, 2005

コーラス

 映画「コーラス」 (2004、仏)
   監督: クリストフ・バラティエ
   出演:ジェラール・ジュニョ(クレマン・マチュー先生)
       フランソワ・ベルレアン(ラシャン校長)
       ジャン=バティスト・モニエ(モランジュ)

標題の映画を観た。
不肖、かつて合唱団で歌っていたことがる。 学生時代から始めて、社会人となってからも長く続けていた。 通算すると、かなりの年月を合唱に捧げてきたことになる。
今はやっていない。

一体、音楽に関わる映画と言うのは少なくないけれど、その中でも合唱が主役となると、とんと思い当たらない。 別に映画に詳しい訳ではないけれど、多分、殆んど存在しないのではないだろうか。 自分の合唱団時代を懐かしむような気分で、映画館へと脚を運んだ。

ニューヨークの、とあるコンサートホール。 楽屋で開演を待つフランス人指揮者モランジュ・・・ベテランの域から、巨匠への路を歩み始めたと言う辺りか・・・のもとへ届いた故国からの電話は、愛する母親の死を告げるものだった。
急ぎ帰国した彼は、葬儀を済ませた後、かつて寄宿舎で共に暮らした幼馴染のペピノと、半世紀ぶりの再開を果たす。
古いアルバムを挟んで、幼い日々を懐かしむ男たち。 指揮者として飛ぶ鳥を落とす勢いのモランジュの眼光の鋭さと、ペピノの人の良さ丸出しの顔つきからは、二人の過ごした、半世紀に渡る人生の相違を見て取ることが出来そうだ。
アルバムの集合写真に見入る二人の話題は、やがて、舎監のマチュー先生の想い出に・・・

巧みなイントロに導かれて、観客は第二次世界大戦後間もないフランスの片田舎、山中に建つ古城、と言うよりはまるで監獄のような寄宿舎へと誘われるのである。
その、山中の寄宿舎に舎監として赴任したマチュー先生が出会ったのは、殺伐とした環境の中で荒みきった少年たちと、体罰を信奉して止まない校長であった。
かつて音楽を志していたマチュー先生は、少年たちの悪戯に手を焼きながらも、彼らに合唱を教えることで、その荒みきった心を開かせることに成功する。 幼くて、未だみんなと声を揃えて歌うことの出来ないペピノ。 問題児だったモランジュは、マチュー先生からその音楽の才能を見出され、独唱者として抜擢される。

練習のシーンは、階名を教え、パート割けしたと想ったら、すぐに綺麗なハーモニーを響かせ始めるなど、至極あっさりとしたもので、先生や子供たちがどう苦労したかとか、猛練習したとか、その中で忍耐力や集中力を獲得していったかなど、語られることはないのである。 もっとも、自分は児童合唱と言うものをまるで知らないので、全然的外れのことを言っているかもしれない。
肝心(自分にとって)の合唱の方は、何れも初めて耳にする曲ばかりであった。 流石はフランス本国で大ヒットを記録し、音楽関係の賞を幾つも受賞したと言うだけあって、なかなか聴かせる内容である。 それも、音楽的に過度に洗練されきった風ではないので、その分、映像から浮き上がってしまうと言ったことも無いのである。

この映画は、ストーリー上ところどころに起伏があるものの、クライマックスらしきものはなく、どちらかと言えば淡々と進む。 コンサートを開くでもないし、コンクールに打って出るとか言う訳でもない。 慈善道楽の伯爵夫人を寄宿舎に招いての、言わば御前演奏会が、彼らにとっての唯一の晴れ舞台だったと言える。
そんな地味な展開の中での唯一のトキメキはと言えばマチュー先生の、モランジュの母親で寡婦のヴィオレットへの淡い恋心である。 中年男女、なかなか好い雰囲気ではないかと想っていたら、ヴィオレットはマチュー先生などまるで眼中になかったらしく、あっさりと他の男・・・自家用車を乗り回し、パリッとした身なりの伊達男と・・・再婚してしまう。

こんなオヤジは、やっぱり駄目ですか? ハゲだし(失礼)、デブだし(すまぬ)、でも優し、く誠実で、忍耐強く、あなたを愛し、その上子供たちの心をしっかりと掴んでいます。

ところで、ヴィオレットのこの選択は、後々モランジュのトラウマとなったのではないか? 彼の美貌と才能に惹かれる女たちは後を絶たなかったが、「オマエら、どーせ、見てくれだけが肝心なんだろ!?」 とばかりに、女性に心を開くことの無いモランジュは生涯を独身を通す・・・なんてね。 これは、もとよしの妄想ですが。

寄宿舎に札付きのワル、問題児が入って来た。 流石のマチュー先生も彼の心を開かせることは出来ず、挙句、最後には寄宿舎が放火されてしまう。 責任を問われたマチュー先生は職を追われる羽目に会う。
それから校長。 体罰の信奉者として登場した彼も、一旦は合唱団を始めたマチュー先生の理解者となったかと想うと、その合唱団の評判を我が身の出世に利用しようと立ち回ったりする。 寄宿舎への放火騒ぎに激怒して、マチュー先生を解雇したのも彼である。

同じく音楽教師と子供たちを描いた映画でも、例えば「ミュージック・オブ・ハート」(1999、米)などは、登場人物がみんな好い人・・・敵役で登場しても、ラストには主人公の頼もしいサポーターになっていたり・・・なのに比べて、ここでは、ワルは最後までワルなのである。 救いが無い、と言えばそれまでだけれど、ある意味リアルだし、観る側にも、それだけ懐の深さを要求していると想う。

この映画を観終わった後、実は若干の物足りなさが残ったのである。 やはり、盛り上がりには欠けましたからねえ。 でも、その翌日からじわじわと感動が湧き上がって来たのには、我ながら驚いている。 それは、今までに感じることのなかった、不思議な類の感動である。

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June 19, 2005

ローレライ

 ローレライ

 監督:樋口 真嗣
 出演:役所広司、妻夫木聡、香椎由宇、柳葉敏郎、堤真一、石黒賢

  2005年 日本

標題の映画を観た。 原作は「戦国自衛隊1549」を書いた福井晴敏。

潜水艦に乗るってのは、一体どんな気分がするものだろうか。 なにしろ普通の船舶とは違って、一旦乗り込んだら最後、寄港するまでは密室に閉じ込められた形である。 もちろん水中を覗く窓なんぞ、ありはしない。 外界と遮断されたその中では、昼も夜も無いのではないか。 乗っていて、艦が進む感覚とか、周囲の海流の流れとか、感じる事があるのだろうか? などと、いろいろと好奇心をそそられるのである。

太平洋戦争末期、広島に原子爆弾が投下された翌日から物語は始まる。 特攻を嫌ったために艦長職から外されていた絹見少佐が伊507の艦長に着任した。 次なる原爆投下を阻止するため、南太平洋のテニアン島に向かのである。 米艦隊の集結する海域への進入は困難を極めるが、伊507はドイツ軍の開発した新型索敵装置ローレライシステムを装備していた。
絹見艦長の下、潜水艦と言う名の密室で共に戦う乗組員達は急場の寄せ集め。 ローレライシステムの恐るべき実態。 次々に襲い掛かる米艦隊との戦いなど、見所には事欠かない映画であった。

   ▽▲▽▲▽▲  以下はネタバレがあります  ▽▲▽▲▽▲
 
まずは、潜水艦内部のセットの素晴らしさに拍手を贈りたい。 もちろん、自分は潜水艦に乗った事などないから、どれほど忠実に造ってあるかなど、判りはしないのだけれど。 それでも、艦内中そこかしこ手垢の付いたようなリアリティは素晴らしいと想った。 薄暗い照明に照らされる艦内は、機能一点張りで至る所が部品だらけ。 その中で勤務する乗組員たちと一体になって、現場感覚がびんびん伝わって来る。

役所広司演じる絹見艦長以下、潜水艦乗組員の面々は、皆一癖も二癖もあって魅力的だ。 彼らが展開する密室劇が、この映画の魅力の大部分と想う。 先任将校木崎の職人気質や元回天特攻隊員折笠の純情。 酒飲みの岩村機関長は、宇宙船艦ヤマトの佐渡先生へのオマージュではないだろうか。 そして、そこに加わるのがローレライシステムの中枢部分そのものとなる少女パウラで、感情を抑えた演技が好い。

海上~海中シーンの殆んどはCGだろうか。 最新の技術が導入されているのであろう。 一幅の絵を見るような美さで、惚れ惚れと見とれてしまう場面も多かった。 造り手のイメージを、そのままCGに生かせるような時代になったと言う事なのかもしれない。 取り分け、潜水艦の孤独さを象徴するかのような、海中の蒼さは印象的である。 一方、CGのリアリティと言う事でいけば、まだまだイマイチとも想う部分も多々あって、この辺は、気になる人にとってはユルセナイと言う事になるのかもしれない。 その辺り、ヴィジュアル的に何を求めるかで、人に寄って評価が分かれると想う。

戦闘シーンのスピード感溢れる演出は特筆もので、これはCGやデジタル編集を多用したお陰だろうか。 実写や模型では得られない、新たな魅力が、最新の技術によってもたらされているのだろう。 伊507の航海が始まって直ぐに「敵機襲来!急速潜行せよ!」と来るのだけれど(実は抜き打ち訓練)、最後まで艦橋に居た絹見が、艦の潜行寸前に艦内に飛び込むあたり、きっと実際にはありえないのではないかと想うけれど、ファンタジックな演出で取り分け印象に残った。

クライマックスの戦闘シーン。 たった一隻の潜水艦が米艦隊を翻弄してのけるあたりは、「沈黙の艦隊」の原潜やまとを思い出す。 ローレライシステムを備える伊507が敵の爆雷、魚雷網を自在に掻い潜るのは良いとして、
魚雷も連装砲も百発百中と言うのは、あまりにも不自然と言う気がするけれど、演出のスピード感と相まって、まあ良いか、と想う。
エピローグで、伊507の乗組員の生き残り達のその後消息は不明であること。 またしかし、伊507から切り離されたN式潜航艇に乗っていた折笠とパウラは子孫を残した事が示唆される。 現代の米国(おそらく)の砂浜の、優しい陽射しの中で映画は終わるのである。

潜水艦の映画は、随分久しぶり(Uボート以来か?)に観た気がする。 総じて、とっても楽しめた映画である。

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June 14, 2005

戦国自衛隊1549

 映画「戦国自衛隊1549

 監督:手塚昌明
 出演:江口洋介、鈴木京香、鹿賀丈史、中尾明慶、北村一輝、宅麻伸、伊武雅刀
   2005年 日本

標題の映画を観た。 原作は福井晴敏の同名の小説。 これにはオリジナルがあって、その、半村良の「戦国自衛隊」も1979年に映画化されている。 自分はずっと昔に、半村良の「戦国自衛隊」ならば読んだ事がある。 1979年の映画版「戦国自衛隊」と、福井晴敏の「戦国自衛隊1549」に付いては知らない。
 
 
   ▽▲▽▲▽▲  以下はネタバレがあります  ▽▲▽▲▽▲
 
 
前置きなしで、いきなり人口磁場実験の失敗シーンから始まる簡潔さが良い。 突如として戦国時代に放り込まれた隊員達(もちろん、彼らは自分たちがタイムスリップしたことなど知る由も無いのだが)に襲い掛かる弓、槍と刀の一団。 全て実物(しかも現役装備!)を使用した戦車や装甲車の迫力もさることながら、白兵戦のコワさがひしひしと伝わって来る演出であった。 それにしても、何処からともなく飛来する矢の恐怖と来たら、もう・・・

冒頭の実験の失敗により、戦国時代へとタイムスリップした的場1佐の第3特別実験中隊と入れ替わりに、斎藤道三の家臣、飯沼七兵衛が平成の世に現われた。 戦国の世に生まれ育ったこの七兵衛、現代日本にあっては、もはや絶滅し果てたと言って好い高貴なサムライである。 この七兵衛が、平成日本を世直し行脚する・・・なんていうストーリーで映画の一本くらいはいけそうなくらい、凄く魅力的なキャラクターと思う。 洋服(武人らしく、さっぱりとした装いの)を着た飯沼七兵衛が、早朝、主人公の鹿島が店長を務める居酒屋の店先に現われる場面は、自分がこの映画の中で取り分けて好きなシーンである。

的場1佐と第3特別実験中隊を救いに(場合によっては倒しに)向かうのがロメオ隊である。(この「ロメオ」ってどんな意味なんだろう?) 的場1佐の元部下であった鹿島もこれに加わる。 この映画は殆んどが富士山の裾野で撮影されたようで、どこまでもススキの原が拡がる背景は雄大だけれど、まぁ、単調と言えば単調。 陸上自衛隊が戦国時代のゲリラ戦法に手を焼くシーンはリアリティもあって凄く見応えあり。 戦国武者達に捉えられたロメオ隊は、織田信長を僭称する的場1佐の居城、天母城に連行される。

さて、ここまでは、まがりなりにもハードSFであったのが、ロメオ隊の一行が天母城に入った後は、急激に漫画チックな展開を始める。 自分は、こういうのも嫌いではない。 もしも、このままシリアス路線でドラマが進んだら、イラク派遣とオーバーラップしてゆくのかもしれないね。
殺らねば殺られる、という状況の中で、実弾の使用を廻ってなお葛藤するロメオ隊。 実弾の非使用にこだわり抜いた森3佐の壮絶な戦死を契機に、ロメオ隊の反撃が始まった。

この映画は脇役陣が好い。
戦国時代の申し子的存在、中尾明慶の藤助と北村一輝の飯沼七兵衛がそれぞれ好演。 彼らをそれぞれ秀吉、信長に仕立てるアイデアは秀逸の一言。 そう言えばこの二人、確かに秀吉と信長にピッタリのキャラな訳で、これには「やられた!」と思いましたね。 ハイ。
宅麻伸の蜂須賀小六は、出番こそ少ないけれどハマリ役。 伊武雅刀@デスラー総統の斎藤道三と言うのは、如何にもの配役だけれど、腹黒剽軽なマムシっぷりが、とにかくお茶目で可笑しいのだ。

とにかく急げ急げと言った感じのクライマックスは、あんまり深く考えるべきではないのだろう。 戦車も城も燃え尽きてしまい、秀吉、信長が現われて、歴史はかく補完された。
鹿島達ロメオ隊の生き残りが現代に戻って来たラストシーンは、なんか好い感じで、「ルパン三世 カリオストロの城」のラスト(好きなのだ)を、ちょっと思い出した。
妙にダサくて(失礼)、かつウェットな音楽に付いては・・・今ひとつ良く判らなかった。 (しかし、チェロに美味しいソロが多かったのだよ)
後半は、もうすっかり漫画なんだけれど、ビジュアル的に実にしっかりと造りこんであって、見応え十分だった。 ストーリー的にもなかなか楽しめたし、歴史上の矛盾をあれこれ突っ込むのもまた楽し、などと思うのである。

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June 05, 2005

ツィゴイネルワイゼン

 ツィゴイネルワイゼン

  監督:鈴木清順
  出演;原田芳雄、大谷直子、藤田敏八、大楠道代
    1980年 日本  シネマ・プラセット 

川崎市民ミュージアムのビデオライブラリーで標題の映画を観た。
先週の「オペレッタ狸御殿」ですっかり興味の湧いた鈴木清順監督の代表作として知られる作品である。

原作はやはり、内田百閒の『サラサーテの盤』 と言う事になるのだろうか。 サラサーテ自作自演による「ツィゴイネルワイゼン」のSP盤。 その演奏中に聴こえる「ある声」(おそらくは録音中に紛れ込んだ)を発端として描かれる、独逸語教師青地と中砂の間で交わされる奇妙な交流を中心としたストーリー。
夢と現、生と死の間を絶えず彷徨い続けるかのような不可思議な演出は、「オペレッタ狸御殿」にも通じるものがあって、成る程これが清順ワールドなのかと感じ入った次第。

「オペレッタ狸御殿」(もとよし、逆上気味に賛美した)の時に書きそびれたのだけれど、鈴木清順監督の作品と言うのは、見る人によって評価がハッキリと二分しやすいようである。 つまり、好きな人は大絶賛。 苦手な人は、まったく駄目。 という具合に。
この映画の場合も、その不条理世界は万人向けとは言えないと想う。 多分、観る時は、一々ストーリーを追いかけようなどとしない方が好いのかもしれない。 上手く雰囲気に身を任せる事が出来たなら、ある種、至福の時間に浸ることが出来ると想うのである。

原田芳雄の無頼漢ぶりは、なにせサイコーのはまり役と想う。 雰囲気で魅せる藤田敏八。 大谷直子の凛とした美しさに、大楠道代の妖艶さ。 舞台を鎌倉、湘南とした事から、原作の世界に幽玄かつ浪漫的雰囲気を加味する事に成功した。

それにしても今回は、「オペレッタ狸御殿」を観た時と比べると、ずっと素直に清順作品の世界に浸る事が出来たのである。

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May 30, 2005

オペレッタ狸御殿

 「オペレッタ狸御殿」

 監督 : 鈴木清順
 出演 : チャン・ツィイー、オダギリ ジョー、
      薬師丸ひろ子、由紀さおり、平幹二朗、
      山本太郎、美空ひばり、高橋元太郎

   2005年 日本

鈴木清順監督の映画「オペレッタ狸御殿」を観た。
これは、唐の国から来た狸御殿の狸姫と、安土桃山の世継ぎ雨千代との恋物語。 1939年から59年にかけて、当時のスターを起用して大ヒットさせた人気シリーズ「狸御殿」の続編である。

    「狸と人は恋におちてはなりませぬ。」

オペレッタと題してはいても、そこは鈴木清順作品である。 伝統的なオペッレッタ、例えば「こうもり」などを連想して入ると、肩透かしを喰らうのは必定。
映画とは言え、極度に象徴化されたカットも少なくなく、演劇やオペラの舞台(それも前衛的な演出の)を見ているような気分にもなる。 かなりアートしていて、単純明快な娯楽作品とは聊か異なるのである。

鈴木清順監督作品に馴染みの無い自分としては時折、清順ワールドに入り損ねる事があって、冗長に感じてしまう部分もあったのも確か。 これが映画館ではなしに、独りでビデオで観賞したら、また印象が替わるのではないかと想うけれど。 それから、狸御殿の大宴会シーンなど、サービス精神旺盛なのは好いとして、ちょっと手馴れていない気もしたのである。 その辺は、つまり、こちとらが一生懸命に観過ぎたと言う事なのかもしれない。

時代設定を安土桃山時代としている事から、衣装は多彩かつ豪華で、中世風、戦国風、伴天連風、その他何でもアリなのが文句なしに楽しい。 時代劇とは言え、全編に渡って特殊効果が多用されているけれど、中でも水墨画や日本画に実写を嵌め込んだCGの素晴らしさは、よくぞやってくれましたと快哉を叫びたくなったくらいである。

出演者の中で、鈴木清順ワールドにもっとも見事に溶け込んだのが平幹二朗、由紀さおり、薬師丸ひろ子の芸達者な面々。 それぞれギトギトに濃い、そして一筋縄ではゆかない魅力的な人物像を演じていて、唄も踊りも素晴らしかった。
その他、狸御殿の面々が個性豊かで楽しい。 連夜繰り広げられる(らしい)大宴会の主役、狸楽団。 高橋元太郎@うっかり八兵衛ってこんなに「唄える」役者だったとは・・・露も知らなかったわい。 どこか剽軽な狸侍達。 端役ながら随所で見せます&聴かせますの狸腰元達。 そして雨千代役オダギリ ジョーは誠実さで魅せる。

それにしても、狸姫を演じるチャン・ツィイーの可愛いさは、もはや犯罪的と言うべきなのではないか。 踊りや所作の美しさは言わずもがな。 中でもオダギリ ジョーとのデュエット、「恋する炭酸水」で聴かせた甘~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い歌声は、きっと、ここ暫くは、脳裏から振り払うことが出来ないと想うのである。

独特の清順ワールドは、観ていて何度も置いていかれそうになったけれど、なんとか最後まで喰らい付いていった積りである。 大団円の雰囲気には、何時までも浸っていたいと切に想う。 誰にでもお薦めできる作品とは言えないけれど、美術の好きの方には是非勧めてみたい映画である。

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May 05, 2005

曽根崎心中

 曽根崎心中

  監督:増村保造
  原作:近松門左衛門
  脚本:白坂依志夫、増村保造
  撮影:小林節雄
  音楽:ダウンタウン・ブギウギ・バンド
  出演:梶芽衣子、宇崎竜童、井川比佐志、左幸子、橋本功

    1978年 日本


川崎市民ミュージアムの映像ホールで標題の映画を観た。

曽根崎心中」 1978年 日本 112分

前回観た「音楽」に引き続いての増村保造監督作品である。 徳兵衛を騙して悪びれない九平治や、決然として道行を選ぶ徳兵衛とお初の心理を描くどろどろとした表現に当てられぱなしの112分。 これが増村保造監督の持ち味なのだろうと思う。

天満屋の女郎お初役の梶芽衣子が、「音楽」の黒沢のり子と同様のハイテンションで道行までを貫く。 増村保造監督作品では、「情の強い女」がキーワード足り得るのかどうか、好くは判らないけれど、ともあれ、そんな映画を続けて観た事になる。
平野屋の手代徳兵衛役は、俳優としてはこれがデビュー作という宇崎竜童。 流石に他のプロの役者達と比較すれば稚拙な演技だけれど、それが徳兵衛と言う男の純情さに、丁度上手い具合に結び付いていると思う。 この人の顎の張った骨相は意外に古風な容貌を持っている事に、今回観ていて気が付いた。 徳兵衛役に宇崎竜童を据えたことで、他の役者達、お初役の梶芽衣子や九平治役の橋本功らのアクの強い演技と、あるいは丁度好く吊り合いが取れるものなのかもしれない。

音楽はダウンタウン・ブギウギ・バンド。 これは、当時の時代劇としては画期的だったかもしれない。 本来、古典的なものからは遠いイメージのある彼らがエレキギターやシンセサイザーを駆使して作る音楽は、しかし、おそろしくウエットなのである。

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May 04, 2005

音楽

 音楽

  監督:増村保造
  原作:三島由紀夫
  脚本:増村保造
  撮影:小林節雄
  音楽:林光
  出演:黒沢のり子、細川俊之、高橋長英、森次浩司

     1972年 日本


川崎市民ミュージアムの映像ホールで標題の映画を観た。

音楽」 1972年 日本 104分  

題名からして音楽を中心に据えた、例えば音楽家が主人公の物語などを期待したのだけれど、そうではなかった。 まったく、全然、違っていた。 これは、良心の呵責・・・と言うよりも精神のバランスの混乱から心身の機能に異常を来たし、遂には音楽が聴こえなくなってしまった女の、心の救済の物語なのである。

この、思いっきりどろどろした作品の主人公、麗子を演じるのは黒沢のり子・・・・いや、何も言いますまい。 すごいお方です。 それにしても、至福に至った時にのみ聴こえて来る音楽って・・・
麗子の幼少時からの、心の奥底に秘められた秘密をひとつひとつ解きほぐしてゆく精神科医を演じる細川俊之(若い!)は、ここではおそろしくクールな二枚目である。 最近の、ちょっと腹黒剽軽な感じとは程遠くて、この人は今の方がずっと好いと思う。 上手に歳をとったってことだろうか。
森次浩司@モロボシダンって、こういう役もやっていたんですね。 正直、驚天動地でした。 まあ、好い子が観る映画ではないから良いんだけれどね。

全編を彩る、林光の音楽(映画「音楽」の映画音楽!)がもの凄く好いです。 剃刀のように怜悧で、それでいてちょっと自棄っぱちところもある。 チェロ、フルート、ハーモニカ等の使い方に痺れました。 そして忘れてならないのがハサミの効果音。

映画「音楽」。 自分としては、なにより映画監督増村保造と言う人を知った映画と言う事になろうか。

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