March 20, 2017

映画:沈黙 サイレンス

 
 
沈黙 ~ サイレンス ~ 
Silence
 
 
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジェイ・コックス
   マーティン・スコセッシ
原作:遠藤周作 「沈黙」(1966年)
出演:アンドリュー・ガーフィールド (セバスチャン・ロドリゴ)
   アダム・ドライヴァー     (フランシス・ガルペ)
   窪塚洋介   (キチジロー)
   イッセー尾形 (井上筑後守)
   塚本晋也   (モキチ)
   笈田ヨシ   (イチゾウ)
   浅野忠信   (通辞)
   リーアム・ニーソン      (クリストヴァン・フェレイラ)
 
 
     2016年     米国
 
 
既に公開は終わっている頃でしょうか。 少し前のことになりますけれど、私はマーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙 ~ サイレンス ~」を観て参りました。

フランシスコ・ザビエルを嚆矢として、あの当時、ヨーロッパから、未だ神の恩寵に預からぬ国(しかもその地での布教は困難を極め、主人公の旧師は棄教さえしたと言います)、遥かな日本へとやって来た宣教師たち。

長い月日を掛け途轍もない距離を、遭難のリスクを承知の上で大海原を越えて、しかも生還の可能性はわずかという。 今で言うなら、火星移住計画の募集に申し込みますかってレベルですよ。

これはもう、宗教家と言う以前に、冒険家とでも呼ばねばならないのではないでしょうか。 ともかく、この時代の人間のスケールの壮大さには圧倒されます。
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
実にしっかりと造られた映画でした。
微に入り細に渡って配慮の行き届いた演出・美術・撮影等々には、もう感服するしかありません。

キャストは序盤(日本国外)のシーンと、宣教師役等の数名を除いて、そのほとんどが日本人俳優で占められます。
世界的大監督とスタッフ、ハリウッドの製作システム、邦画とは桁違いの大資本。 しかも、日本文化に対する理解とリスペクトを受ける中で、役者魂が炸裂!
日本人キャストが奮起! 頑張っちゃうところは、「ラストサムライ」(2003年)の折りと同様でしょうか。
ともあれ、極めて良質の芝居空間を創り出してくれました。

中でも、老獪な奉行に扮したイッセー尾形。
温和にして冷徹、無邪気で知的、ユーモラスでかつ無情。
私は、この方の一人芝居を度々テレビで見て来ましたけれど、長年続けた人間観察・表現の成果がハッキリと感じられる、奥行きのある演技が素晴らしかったです。

この「沈黙 ~ サイレンス ~ 」は無論、キリスト教徒である米国人マーティン・スコセッシ監督の作品ですけれど、ドラマ中に見る 主人公 VS 奉行 間で繰り広げられる問答を描くシーンの、その視点は至極公平に見えます。 政治経済軍事から歴史までも踏まえた東西文化の衝突は見応えがありました。

それから映像のクオリティの高さ。
アジアの空気を感じさせる(台湾での撮影と言います)島の風景、慎ましい漁村の佇まいは、そのまま主人公であるポルトガル人宣教師らの孤独感を物語るようです。
夜のシーンなど、そのまま一幅の宗教画のようで。 漆黒の闇に松明、貧しい漁民と殉教者と静寂と・・・・もはやジョルジュ・ド・ラ・トゥールの世界です。

さて、映画の映像は斯様に素晴らしいのですけれど、音の方もそれに負けないくらい雄弁でした。
それでは音楽はと言えば・・・・まるで無い、わけではないですけれど、でも、ほんのわずかしかありません。
その替わりに自然音の繊細な演出。 風になびく草木、打ち寄せる波、虫の声などなど・・・・夏の日差しから、草木の匂いまで伝わって来そうでした。
その音響の効果は目覚しく、見知らぬアジアの島国に来て、次第にその地の自然・文化へと取り込まれてゆく、西欧人の孤独・不安感が立ち現れます。

地道な布教活動、苛烈な拷問の末に辿り着いたのは、「この国は沼だ」と言う、あまりにも皮肉な結論。
すべての宣教師が捕らえられた後も、草の根レベルで伝えられ、やがて日本風にカスタマイズされてゆく教え。
外国語の典礼文も、意味は判らずとも音だけはそのままに、土着の信仰として永く残ってゆくのですけれど。
でもこれ、ローマ・カトリック的には歓迎すべからざる展開でしょうね。 その昔、原作を読んだ当時は、そんなこと考えもしませんでした。

終盤は布教云々よりも、主人公個人の信仰の問題へとテーマが移ってゆきます。 そして映画オリジナルのラストについては、私はとても好いと想いました。

        ▽▲▽▲▽▲

骨太のテーマとがっぷり四つに組んだ、極めて良質な作品として、この映画は長く見続けられ、語り続けられることと想います。 初見の折りには未消化であったため、私としては珍しく(シン・ゴジラの折もそうでしたけれど)二度鑑賞しています。
 
 

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September 18, 2016

映画:男はつらいよ 望郷篇

 
  
男はつらいよ 望郷篇
Tora-san's Runaway
 
 
監督:山田洋次
脚本:山田洋次、宮崎晃
出演:渥美清     (車寅次郎)
   倍賞千恵子   (さくら)
   森川信     (おいちゃん)
   三崎千恵子   (おばちゃん)
   前田吟     (博)
   太宰久雄    (タコ社長)
   津坂匡章    (登)
   佐藤蛾次郎   (源公)
   笠智衆     (御前様)
 
   長山藍子    (三浦節子 <マドンナ>)
   杉山とく子   (節子の母・富子)
   井川比佐志   (木村剛)
 
 
         1970年   日本
 
 
 
Photo
 
 
  
「男はつらいよ」のシリーズ第五作目。
ここから山田洋次が監督へ復帰します。 待ってました!

映画の冒頭、寅さんが旅の枕に見る夢は・・・・まさかの おいちゃん 臨終の場面ですよ! ったく寅さん、何を考えてんだか。

衰弱しきって床に伏すおいちゃんを囲む、おばちゃん・さくら・博(他に医師と看護婦)。
ここ(この場面)は夢の中ですから、それぞれの人物は、寅さんが脳内で(潜在意識下で)イメージする出で立ちで現れるわけです。
おいちゃん・おばちゃんは「とらや」の店内で見掛ける、いつもの格好。 博は(インクと機械油で汚れた)ランニング・シャツ姿。 なるほどね。
それに対しさくらはと言えば、なぜか和服姿なんです。 着物のさくらって、珍しくない?

寅さんにとって、妹さくらは、やはり、掛け替えのない特別な存在なのでしょう。
そして寅さん的に、女性の装いと言えば断然和服に限るのだと想われます。
だからして、夢の中のさくらも、楚々とした和装でいなければならないと言うわけ。
寅さんが胸に抱く、さくらへの気持ちの暗示されるオープニングでした。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、冒頭のシーンに見るように、シリーズ五作目「男はつらいよ 望郷篇」は寅さんの妹、さくら に焦点を置いた映画となっています。
 
 
※ 古いテキヤ仲間の非業の最期に立会い、また、さくら からも懇々と説得(説教?)され、自分もそろそろまっとうに生きなければと、殊勝な決心を固める寅さんなのですが・・・・
 
 
テキヤ仲間の一人息子を訪ね、北の大地を往く寅さんの旅。
夏の北海道・煙を吐いて疾駆するSL・ローカル線の鄙びた駅と、映画の序盤は見る者の旅情をそそる要素がたっぷりです。
蒸気機関車がまだまだ現役であった、当時の北海道の鉄道事情。
操車場の様子まで見せて貰えて(私は鉄ちゃんではないけれど)なんだか得した気分! 今作「望郷篇」の題名は、この辺りから来ているのかも?

その後帰京して(いろいろとありまして、いつものように)「とらや」を飛び出してしまう寅さん。
目の前の江戸川を小舟で(川の流れに任せ)下れば、やがて辿り着くのは浦安。
そう、今度の舞台は浦安なんです。 私の地元から、そう遠くない辺りでもあります。

        ▽▲▽▲▽▲

浦安の小さな豆腐屋に、住み込み店員として転がり込んだ寅さん。
豆腐造りから小売まで律儀にこなし、母娘二人暮らしの豆腐屋(ザックバランな母と、気さくな娘と)を支えて、すっかり頼りにされている様子。
額に汗して、油まみれになって働いている様子をみると、すっかり改心したように見えます。
が、そこは勿論、この店の一人娘にゾッコンなわけです。

本作のマドンナ長山藍子もまた、寅さんにとって特別な人と言えるでしょう。
寅さん、このシリーズで既に四度の失恋を経験済みですけれど、その相手は誰も皆、どう見ても高嶺の花だったり、住む世界/育った環境が違い過ぎたり、あるいは寅さんの一方的な想い込みであったり、などなど、いろいろと無理がありました。

でも、今回ばかりは違います。
長山藍子が演じるのは、下町に生まれ育った娘さん。
飾り気がなくって、気の置けない、この娘さんこそ、寅さんにピッタンコじゃないですか。
このまま下町の豆腐屋の婿に入って、ごく自然に、ピッタリと納まりますよ。 絶対に。
ヨシっ 今度こそ間違いなし!

・・・・と想わせて追いて、無論のこと、上手くは運ばないワケですよ。
成就していれば、寅さんの人生が大きく変わったに違いないだけに、今度の失恋はあまりにも痛い!
山田洋次監督、寅さんにナンと過酷な運命を与えるんでしょう。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、寅さんの実らぬ恋の顛末を 付かず離れずの距離から見守るのが妹さくらです。
浮かれる寅さんを、時に気遣い、嗜める。
さくらには、始めっから見えていたんですね。寅さんの辿るであろう運命が。
思えば、こんな寅さんを決して見放さない、いつだって兄の行く末、幸せを案じて来た さくら でした。

ドラマの背景として映し出される1970年(大阪万国博の年ですね)当時の浦安が、また素晴らしいんです。
半世紀近くも前の当地の風景。 港街の点景や、河沿いに幾多の漁船が舫ってあるカットなど(極々短いシーンなんですけれど)感激しました。
それは人々が、後々この地に夢の国(米国発の巨大テーマパーク)が出来ようなど、夢にも想わなかった頃の、港街浦安の姿でした。
 
 

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August 07, 2016

映画:シン・ゴジラ

  
 
シン・ゴジラ
GODZILLA Resurgence

総監督、脚本 :庵野秀明
監督、特技監督:樋口真嗣
出演       :長谷川博己
           竹野内豊
           石原さとみ
音楽       :鷺巣詩郎
           伊福部昭
 
 
     2016年   日本
 
 
イイ大人のクセして怪獣映画を愉しんでしまう私ですけれど、いつだって無条件に満足して来たと言うワケじゃありません。
私が怪獣もの(ゴジラに限らず)を観て度々想うのは、大怪獣が現れる、その一点だけを作品中のフェイクとして、あとはすべて現実に即してドラマを進めてみたらどうでしょう? ってコトです。
未知の巨大生物に対する世の驚き/混乱、それから退治/事態を収束させるまでの顛末を、現実に即して精緻にシミュレーションしてみたら絶対に面白いと想うんですが。

なにしろ行政府は、前例のない事態を前に右往左往することでしょうし、そもそも現行の法制で対応出切るのか、などなど不安材料で一杯です。
政治・経済界の動き、諸外国の反応も(もちろん、各国はエゴ剥き出しで)大いに気になるところ。
我が自衛隊が、怪獣に堂々(超兵器とか抜きで)立ち向かうところを観たいです。
また、住民の避難誘導/救助活動も大切な役目。 これについては、現実の自然災害でのニュース映像で目にすることが少なくなく(哀しいことですが)、その働きぶりは我々のよく知るところですね。

これってつまり、かつて小松左京の「日本沈没」(原作・最初の映画とも1973年)がやって見せた手法ですけれど、SFの愉しさというのは、まさにここにあると想うんです。 それを怪獣映画でも、やって呉ンないカナって想うワケですよ。

果たして、「シン・ゴジラ」はそれをスクリーン上に実現して見せてくれました。

        ▽▲▽▲▽▲

ここに登場するのは、主として(これまで、怪獣映画として主役に廻る事の無かった)国政・省庁・役所のトップら、そして自衛隊の人々です。
これといって目立つ熱血漢/ヒーローの見当たらない替わり、各々の行動はキビキビと素早く、そして誰もが早口で喋り捲る(専門用語だらけ、さながら論理的な会話のシャワー・・・・皆さん頭の回転が速いんですね)辺り、なんか臨場感ありまくりです。

で、ここには強力なリーダーシップを取る者が見当たりません。
これが凡百のアクション・SF・怪獣映画なんかであれば、頼りになるヒーローとか、天才科学者とかが居て、ドラマを引っ張るんでしょうけれど、その点この映画は至極現実的。 特定の誰かをではなしに、「日本」を描こうとしている映画なんだと想います。

スーパーヒーローや超兵器に頼らずとも、面白い怪獣映画は可能ってコトを、この「シン・ゴジラ」は証明しています。
なにより、愛と勇気のヒーローが活躍する従来路線(?)については、2014年に米ハリウッドが、決定版とも言える「GODZILLA ゴジラ」を造っちゃいましたから。

さて、お上のなすこと故、何事を成すにも会議の招集/文書の作成ありきです。
まして謎の巨大生物登場と言う、前例のない事態に対して、政府関係者の行動は一々ジレッタイったらないわけです。
が、一見能率の好くないこのやり方が、日本人の強みだったりするのかも、と想わせられる(強力なリーダーシップを取る者が不在でも、その都度最善の方策を打ち出し、やっていける)場面もあって、一種の日本人論になり得ているところが、また興味深かったです。

        ▽▲▽▲▽▲

もしも、大怪獣が現れたら。
もちろん実際にはあり得ないお話しですけれど、でも、もしホントに来ちゃったらどうなるの? ・・・・我らが自衛隊は、災害派遣という名目で出動。 怪獣に対しては有害鳥獣とみなして、これを駆除出切るんだそうです。

そもそも自衛隊の指揮は防衛大臣があたり、そして、発砲にあたっては自衛隊の最高指揮監督権を有する内閣総理大臣その人の裁可が必要。

そこで、都心に侵入した正体不明の巨大生物に対し、攻撃の火蓋を切るに当たって、自衛隊(現場の自衛官/指揮官)は防衛大臣を通し、最高指揮官たる総理大臣に何度も確認します。

そりゃそうですよね。
なにしろ戦後70年。 自衛隊の発足以来、初めて迎える実戦であり、しかも都心での発砲ですよ。
「撃ってイイですね?」、「ホントに撃ちますからね?」的な意味のことを、繰り返し訊いて来る現場に対して、最終的な判断をし、応えねばならない総理大臣。 念を押して来る防衛大臣。
ゴジラへの攻撃開始前から、緊迫感はMAXに跳ね上がります!

怪獣出現とみるや、自衛隊が躊躇いなくドンパチ始めていた、これまでのゴジラものとはまったく違うリアル演出です。
攻撃のGOサインを出すまでの総理の逡巡を、大杉漣が好演。 コワイ顔で詰め寄る(!)防衛大臣(余貴美子)共々好かった。

        ▽▲▽▲▽▲

戦争の記憶も未だ生々しい1954年に造られた初代「ゴジラ」では、ゴジラを戦災の暗喩と感じたものですけれど、今作のゴジラでは、随所で自然災害(地震・津波)と、それに続く原発事故を彷彿とさせられます。 3.11の体験の後、初めて造られたゴジラ映画として、これは、まさに相応しいやり方と想います。

これまでに無い、そして是非とも造って欲しかったタイプの怪獣映画。 その公開に立ち会うことが出来て、本当に好かったです。

劇中、ゴジラが自分の好く知っている土地(昔住んでいた辺りの、武蔵小杉や多摩川の川原、そして職場のある千代田区界隈など)に現れ、これはワタシ的にもの凄いインパクトでした。
 
 

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July 31, 2016

映画:ニッポン無責任時代

 
  
ニッポン無責任時代
Irresponsible Era of Japan
 
 
監督:古澤憲吾
脚本:田波靖男、松木ひろし
撮影:斎藤孝雄
音楽:神津善行
製作:安達英三朗、渡辺晋
出演:植木等     (平均)
   ハナ肇      (太平洋酒・氏家社長)
   谷啓       (太平洋酒・部長)
   犬塚弘      (太平洋酒・社員)
   桜井センリ    (太平洋酒・社員)
   石橋エータロー (太平洋酒・社員)
   安田伸      (太平洋酒・社員)
 
   重山規子    (太平洋酒・社員)
   中島そのみ   (芸者)
   団令子     (ホステス)
 
   峰岸徹     (氏家の息子)
   田崎潤     (太平洋酒・新社長)
   由利徹     (北海物産・社長)
 
  
 ※挿入歌
   「ハイそれ迄ヨ」
   「無責任一代男」
   「やせ我慢節」
   「五万節」
   「ドント節」
   「スーダラ節」
     作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶
 

     1962年   日本
 
  
The_crazy_cats2_1
 
 
ハナ肇とクレージーキャッツの全盛時代を知らないで育った私です。
もちろん、私とて子供の頃からテレビで見て、クレージーキャッツの存在を知ってはいましたけれど、でも、あんまり関心はなかった。 なにしろ当時は、ザ・ドリフターズの方がずっと好きでしたからね。 子供ってそういうもの。
 
ジャズバンドからスタートし、やがてコメディバンドへと転進して大成功を納めたクレージーキャッツですけれど、彼らの活動はそれだけに留まらなかった。
植木等や(この映画でも重要な役割を演じている)ハナ肇・谷啓はじめ、メンバーそれぞれが、クレージーキャッツとしての活動をキープしつつ、個別に映画/テレビで活躍。 つまりグループでの活動とソロ活動とを兼務/両立させたんですね。
そういった個々の活躍が、またクレージーの更なる人気にも繋がるワケで。 今時の人気グループ(SMAPみたいな)の戦略を先取りしていたとも言えそうです。

この映画「ニッポン無責任時代」は、クレージー全盛期の1960年代に続々と作られた一連の東宝クレージー映画の嚆矢にして代表作です。 主役はもちろん植木等。

        ▽▲▽▲▽▲

と言うわけで、大いに期待して鑑賞に臨んだ私ですけれど、でも初見の際は、一体どこが面白いのか(我ながら情けないことに)まるで判らなかったです。 はぁ。

それがDVDを再見、三見、四見する(我ながらシツコイですね)間に、認識が大転換!
その魅力に覚醒(!)しまして、以来、面白いのなんのって・・・・もう幾度となく観返しています。 こうなると、当初はいささか古臭く想えた台詞の一々さえ、粋に聴こえ始めるから不思議なもの。

なにしろ最初に観始めた折は、その題名からして、さてはおバカで楽天的なだけの映画に違いあるまいって(だって「ニッポン無責任時代」ですよ)想い込んでいた私です。
テーマもイズムも抜きで気楽に楽しめる、気の置けない娯楽作品を期待していたんですけれど。 でも、そうではなかった。(繰り返し見て、ようやく気が付いたんですけれど)

主人公の平均(植木等)は、自ら「無責任」を標榜する男。
おっそろしく口達者で、人の心を巧むのが上手く、なにより要領がイイ。
太平洋酒なる会社に入社するや、たちまち社長(ハナ肇)に取り入って、要職に就いてしまいます。 そんな男ですから、人の反感も買うけれど、当人はへっちゃら。

この男、底抜けに明るく、誰にもフレンドリーに接するんですけれど、しかし決して優しい人/善人ってワケじゃあない。 周囲を自分のペースに巻き込むことが巧みなんだけれど、でも当人はあくまで孤高の人なんだよね。(だから、時に人から手痛く裏切られることだってある)
ともかくメゲルということを知らない、そして自らの規範に忠実に生きる、ある意味で気骨の人なんですね。
こういう男の所に人心は集まり、チャンスは舞い込むもの。 「銭のない奴ぁオレんとこへ来い。 俺もないけど心配すんな」なんでありますよ、まさに。

植木等の魅力を100%引き出した、人物設定の巧みさ!
クレージーのメンバーをはじめとする脇役の人々がまた絶妙です。
演出も調子好く、スピード感があって、そしてなにより粋でスマートなのが素敵です。 この映画を繰り返し観る度、そう想う。
 
 
The_crazy_cats1_1
 
 
撮影の当時、三十代半ばの植木等。 唄って踊って逆立ちまでするなど、エネルギー横溢!
高度経済成長期の空気と、全盛期クレージーキャッツの魅力を味わうことの出きる傑作でした。
 
 

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July 01, 2016

映画:モスラ対ゴジラ

 
 
モスラ対ゴジラ
Mothra vs. Godzilla
 
監督:本多猪四郎(本編)
   円谷英二(特撮)
脚本:関沢新一
音楽:伊福部昭
出演:宝田明    (酒井市郎:新聞記者)
   星由里子   (中西純子:カメラマン)
   小泉博    (三浦:生物学者)
   藤木悠    (中村:新聞記者)
   田崎潤    (丸田:編集部デスク)
   藤田進    (陸自ゴジラ対策本部長)
   佐原健二   (虎畑:悪徳実業家)
   田島義文   (熊山:ハッピー興業社社長)
   ザ・ピーナッツ(小美人)
 
 
      1964年     日本
 
 
通勤電車の窓から、新作ゴジラの広告を見る今日この頃。
なんでも近々、ゴジラの新作が公開されるのだそうで、ファンとしては心強い限りですね。
さて今回は怪獣映画の名作、1964年版の「モスラ対ゴジラ」を見返してみました。

        ▽▲▽▲▽▲

大型台風が日本を通過した翌日のこと。 とある漁村に、途轍もなく大きなタマゴが流れ着きました。

巨大タマゴは、インファント島に棲むモスラのものでした。
ここにゴジラを登場させれば、タマゴを守るためモスラ(成虫)が飛来して、バトル開始! これで怪獣映画の一丁上がりです。

でもこの映画は、それだけにはしなかった。
前作「キングコング対ゴジラ」で娯楽映画を極めた製作陣としては、そこから一歩進めた、メッセージ性の高い怪獣映画を目指したんじゃあないかと想います。

今日、名作怪獣映画として語り継がれる「モスラ対ゴジラ」。
込められたメッセージには、いささか中途半端の感がありますけれど、でも映画としては実に面白いんで、一視聴者として文句なしです。

        ▽▲▽▲▽▲

この浜で獲れるものは、すべからく漁民の財産。 そういう理屈で、流れ着いた巨大タマゴの所有権を主張する地元民。

一方、そのタマゴに観光資源として目をつけ、漁民から買い上げるのは、如何にも胡散臭い興行師。 そのバックには、悪徳実業家の姿が見え隠れします。

ここに現れるのは、誰も彼もが強欲で、オノレの欲望のままに突き進み、邁進する人々です。 高度成長期の映画らしい社会風刺と言えるでしょうか。

悪役コンビを演じるのは、東宝特撮映画の常連、佐原健二と田島義文。
いつもはイイ人役の二人が、この映画では悪役を好演。 これが愉しい。
普段とは正反対の役を、本人らが愉しんで(ノリノリで!)演じている様子が伝わって来ます。

        ▽▲▽▲▽▲

それにしても、鄙びた漁村の浜に引き上げられた巨大なタマゴと、それを取り囲む人間たちってのが、なんとも奇態な構図ですなぁ。
 
 
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怖れと好奇心と欲の入り混じった、人々の視線。

        ▽▲▽▲▽▲

漁民の純朴さに付け込み、巨大タマゴを手中にした、佐原健二と田島義文の悪人コンビ。
その前に現れたのが、モスラを守護神と崇めるインファント島から来た小美人(ザ・ピーナッツ)。 今回はモスラ(成虫)をタクシー代わりに使っての極秘来日です。
 
 
ザ・ピーナッツ(ユニゾンで) 「タマゴを返して下さい」
 
 
それにしても、ザ・ピーナッツ演じる小美人って、怪獣映画史上最高の当たり役ですね。 改めてそう確信しました。
その歌声については言わずもがな。
小美人二人の台詞と所作のシンクロした演出が神秘的だし、悪人コンビを不安そうに見上げるたたずまいがまた素晴らしい。
 
  
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ですが、世にも貴重なモスラのタマゴです。 悪人コンビがそうおいそれと手放す筈も無く、あまつさえ、小美人を捕えて見世物にしようと画策する始末。
あえなく交渉決裂です。

        ▽▲▽▲▽▲

そうこうしている間に、強引な干拓事業(これまた社会風刺の対象)を進めていた倉田浜にゴジラが出現!

干拓地の土がもりもりと盛り上がって、尻尾からドーンと現れるゴジラの登場シーンはインパクト絶大です! 歴代のゴジラ登場シーンのなかでも、特筆ものの素晴らしさじゃあないでしょうか。
今回のゴジラは、身体の造りのしなやか(頭部とか尻尾とか)さがステキです。

自衛隊は対策本部長(藤田進)を中心に、ゴジラ対策を講じますけれど、果たして勝ち目はあるのか?

そうだ、モスラに来て貰おう!
宝田明・星由里子・小泉博らは、インファント島に棲むモスラ(成虫)に、ゴジラを退治させるアイデアを想い付きました。

        ▽▲▽▲▽▲

だけど、ちょっと待った。
そのお願いは、あまりにもムシが良すぎるのでは? と疑問符を投げ掛けるのは熱血新聞記者の宝田明。 ここで彼は、この映画の主演/ヒーローのポジションに居るヒトらしからぬ消極発言を開陳します。

だって、日本の浜に流れ着いた以上、タマゴはこちらのものだから返すことは出来ません。 でも、ゴジラが暴れて困っているから、日本まで来て助けて下さいってのは、あまりにも手前勝手な理屈じゃないですか、だって。(オレもその考えにはナットクだな)

そうは言っても、天下無敵のゴジラを相手にして、他に手の打ちようもないワケだし。 ここは無理を承知で、インファント島へ出向いてお願いするしかないよと反論する、こちらは科学者らしく現実的な小泉博。


宝田明 「僕は断ります」
田崎潤 「どうしてだ」
宝田明 「だってそうじゃないですか? 向こうの頼みは断っておいてですよ、こっちが大変だからって、頼みに行けた義理じゃあありませんよ」
小泉博 「インファント島の人たちは、僕たちを虫のイイ奴だと軽蔑するかもしれないけど、それは甘んじて受けるよ。 そして、心から頼んでみる積もりだ」


結局、三人はインファント島へと飛び、交渉の末、最後は星由里子の説得で、モスラ(成虫)を、ゴジラ討伐へと向かわせることに成功します。
小美人いわく、このモスラ(成虫)は寿命が尽きかけて余命幾ばくも無く、今ゴジラと闘えば、生きて島に帰っては来れないとのこと。

それにしても、欧米が南洋でやらかした原水爆実験のお陰で、猜疑心MAXになっている島の人々と小美人から、破格の好条件を引き出してみせた星由里子。 交渉の達人過ぎます。

        ▽▲▽▲▽▲

かくしてモスラは、ゴジラの暴れる廻る日本に飛来。


ザ・ピーナッツ(ユニゾンで) 「あたしたち、約束は守ります」


だって。(ちょっと皮肉っぽい?)

ここに、モスラ(親子)とゴジラとの、戦いのゴングが鳴りました。
怪獣映画ですから、このバトルも愉しいんですけれど、それよりも、そこへと至るドラマが何より面白かった。 今回は、大人の視点で見ていたワタシです。

それはそうとして今度の「シン・ゴジラ」、早く見たいよね。
 
 

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May 29, 2016

映画:レザボア・ドッグス

 
 
レザボア・ドッグス
Reservoir Dogs

 監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
 出演:ハーヴェイ・カイテル
 
 
    1992年  米国
  
 
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とあるカフェの一室。 テーブルを囲んで朝食を愉しむ男たち。
とまぁ、こんな構図から、この映画は始まります。
その年齢は様々。 下品な上に乱暴で、道義も礼節も持ち合わさず、どの顔を見ても明らかにそれと判る、ワルな連中。
まぁ確かに、これから皆してヤバイ仕事に取り掛かろうってところなんですけれど。 でも、それにしちゃあ和気藹々で、なんかこう、好い感じなんですよね。

男たちが好き勝手に交わす、実にもう馬鹿ばかしいヨタ話し/猥談・・・・ なんだか、男子学生らが放課後に交わすバカ話しみたいなことをやっている。
どいつもこいつも、イカツイ顔にデカイ身なりをしたガキだ。 イイねぇ。 キャラ立ち度、満点です。

カメラワークも気が利いていて、そこにカッコイイ音楽が被さる。 
なんとも粋なオープニングじゃありませんか。

        ▽▲▽▲▽▲

と想ったら、それに続くシーンは急転直下の展開ですよ。 もう目も当てられない、グダグダの修羅場に放り込まれた気分。
安堵から絶望へと切り替わる、この落差の激しさ!、明暗の対比の強烈さ!
クエンティン・タランティーノ監督、この映画がデビュー作なんだそうですけれど、その力量たるや恐るべきものがあります。

男たちの宝石強奪は失敗!
警察官の追跡を振り切って、車で逃走するMr.ホワイトとMr.オレンジ(仮名)の二人。
ようやく辿り着いた一味のアジトには、その後、さっき朝食のテーブルを共にした連中が次々に到着。

以降、このアジトの一室で繰り広げる緊迫の密室劇/室内劇がドラマの主軸となります。
一体、誰が裏切ったのか(警察に内通したのか)? と言う謎解きが大きなテーマで、それを巡って、男たち各々の視点からの(時間軸を遡った)小ドラマが差し挟まれるっていう仕掛け。

        ▽▲▽▲▽▲

それにしてもこの「レザボア・ドッグス」、繰り返し何度見ても面白いんですよね。
謎解きの要素を抜きにしても(ストーリーが判っていても)、見ている者をここまで惹きつけるのは、演出の巧みさ、映像の格好好さ、そしてキャラクターの魅力が卓越しているからってコトでなんしょう。
若い監督のデビュー作品らしく、如何にも低予算で仕上げられた様子の映画。 それがこんなに面白いんですから痛快です。
 
  

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May 22, 2016

映画:マッドマックス

 
 
マッドマックス
Mad Max
 
 監督:ジョージ・ミラー
 出演:メル・ギブソン
 
 
      1979年    豪
 
 
ご存知メル・ギブソンの出世作であります!
この映画「マッドマックス」と、それからシリーズ二作目の「マッドマックス2」。 私はこの二作品を、ずっと昔に見たことがある筈なんですけれど、でもそれがいつ頃のことであったか、とんと想い出せないでいます。

でも、ワタシの頼りない記憶の中で、「マッドマックス」の登場人物らは日本語を喋り、一方「マッドマックス2」では英語を喋っているんです。
なるほど、一作目は自宅のテレビ(吹き替え版)で観、二作目は劇場で観たってことのようですね。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、その一作目「マッドマックス」を、今回初めて英語で視聴してみたわけです。

荒廃を極め、暴力が支配する近未来世界。
大陸を縦横に貫く道路網と、そこを疾駆するクルマを中心に描いたバイオレンス・ドラマ。
「マッドマックス」と、それに続く「マッドマックス2」に描かれた凄惨な世界観には、観る者を惹きつけて止まない魅力があるようで、その後に造られたドラマはもちろんのこと、本邦のマンガなどにも大きな影響を与えました。

やり過ぎ! としか言い様のない、凄まじいカーアクション・シーン(クラッシュ・シーンと言った方が早いか?)。
暴走に次ぐ暴走、そしてクラッシュの連続で、その過激さには、驚くより先に呆れるしかなかったです。
撮影の際、果たしてスタントマンは大丈夫だったんでしょうか? そう案じてしまうシーンが幾つもありました。

ワタシ的に、そう遠くない未来に対する不安を、ここまでストレート/リアルに描いた映画を見たのって、この「マッドマックス」初めてだったかもしれません。
小説やマンガならばともかく、映画でここまで描いちゃって大丈夫なの? なんて、ビックリした記憶がありますね。

        ▽▲▽▲▽▲

一見してアメリカ映画のようだけれど、あれ?ハンドルの位置や車線に違和感があるゾ・・・・と想ったら、そうか! オーストラリアって国は右ハンドルの左側通行でした。 これって世界でも少数派。 日本とはお仲間なんですね。

一目瞭然なことなのに、その昔、初めて観た当時は、まるで気が付いていなかったんですね。
当時の私、どうやらハンドルがどちらにあろうが、クルマがどちらの車線を走ろうが、まったく関心がなかったようです。
これってつまり、前回この「マッドマックス」を見たのは、未だ運転免許を持つ前だったってことで間違いないですね。 自分にも、そんな時代があったって事。

外国映画と言えばクルマは左ハンドル、という強固な先入観があるため、終始ビミョーな違和感の付いて廻る、左側通行・右ハンドルの国オーストラリア発の超過激カー・アクション映画でした。
 
 

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January 30, 2016

映画:遠すぎた橋

 
 
遠すぎた橋
A Bridge Too Far

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 監督:リチャード・アッテンボロー
 脚本:ウィリアム・ゴールドマン
 出演:

 <英軍>
  エドワード・フォックス (英・機甲師団 司令官)
  マイケル・ケイン    (英・機甲師団 大隊長) ④

  ダーク・ボガード    (英・空挺 司令官)
  ショーン・コネリー   (英・空挺 師団長) ③
  アンソニー・ホプキンス (英・空挺 大隊長) ③
 
 <ポーランド軍>
  ジーン・ハックマン   (ポーランド・空挺 旅団長) ③
 
 <米軍>
  エリオット・グールド  (米・空挺 連隊長) ①
  ジェームズ・カーン   (米・空挺 軍曹) ①
  ライアン・オニール   (米・空挺 師団長) ②
  ロバート・レッドフォード(米・空挺 大隊長) ②
 
 <独軍>
  ハーディ・クリューガー (独・親衛隊少将) ②
  マクシミリアン・シェル (独・親衛隊中将) ③

 <民間>
  ローレンス・オリヴィエ (蘭・医師)
  リヴ・ウルマン      (蘭)
 
 
     1977年    英国、米国
 
 
私はこの映画を高校時代に、静岡市内の映画館で観ています。
かつてない超大作戦争映画の公開ということで、当時話題となり、確かテレビで特集をやっていたような。
で、高校生の私も期待しまくりで観に行ったんですけれど、しかし好く判らなかったですねぇ。(笑)

その映画「遠すぎた橋」を、今頃になってDVDで再見。
自宅ですから、マイペースな鑑賞が許されるわけです。
そこで再生の途中、何かしら判らないことのある都度、キャストの面々やら実際の戦史、更には映画ファン・サイトの分析など、一々ネットで検索してみたんです。

DVDを一旦停止して、ネットで調べて、また再生に戻って・・・・を何度も繰り返すもんだから、PC上はメディアプレーヤーとブラウザとが並んで立ち上がっている状態です。 一種の「ながら再生」ですかね。 観終えるまでに、随分と時間が掛かっちゃいました。

疑問に想うことがあったら、なんでもその場でチェック。
こんな鑑賞スタイルを採った今回は、初めっからお終いまで(退屈する暇も無しに)とっても興味深く鑑賞する事が出来ました。
DVDとインターネットさまさまです。 やっぱり、高校生がたった一度観て、愉しめるって映画じゃありませんでしたね。(笑)

        ▽▲▽▲▽▲

※ 時に1944年9月。 連合軍の補給線は延び切っており、戦線は膠着状態に陥っています。 それを打破するべく立案されたのがマーケット・ガーデン作戦でした。

1.オランダ領内数箇所の橋に空挺部隊を降下させ、それぞれを同時に急襲!
2.ベルギー側から戦車隊を進め、「1」で奪取した橋から橋へと要路を制圧して行く!

この空陸両面作戦で、ベルギーからオランダ領内を通過してドイツへと至るルートを確保しようと言う筋書きです。

映画は各橋の攻略に掛かる空挺部隊①②③と、陸路を進撃する戦車隊④、そして迎え撃つドイツ軍のそれぞれを、同時進行で描いてゆきます。
が、その部隊にしろ、登場人物にしろ、なにしろ(大作戦に相応しく)数が多い上に、場面もどんどん(問答無用に!)切り替わるもんだから、シーンのそれぞれが一体どの地域で起こっている事なのか、判り難いったらないんですね。
そんな映画に、歴史/地理/軍事についてのいささかの知識もなしで臨んでしまった、当時の私。
ワケが判らなかったのも当たり前です。(笑)

上に記しました大勢のキャストの皆さん。
著名な俳優、いわゆるスターだけに絞ってみてもこんな具合になります。(皆さん、実際の肩書きはもっと複雑なんですけれど、ここでは(無理やり)略しました)
莫大な額に上ったであろう制作費は、あるいは集客力を持つスターたちを大量投入することにより賄う目論みだったんでしょうか。

さて、この映画でむしろ特筆すべきは、その十指に余るスターの背後に広がる景色の雄弁さです。
おっそろしく沢山の航空機、落下傘、戦車をはじめ軍用車両、なにより大勢の人ひとヒト・・・・
文字通りの人海戦術ってものを、スクリーン上に再現してみせてくれたことで、自分が歴史の一場面に立ち会っているかのような興奮を味わいました。
無論、その撮影には途方もない額のお金が掛かっていることでしょうけれど、でも、それだけのことはあったワケです。

        ▽▲▽▲▽▲

それでは、今次作戦の内容をまとめてみましょう!

イギリスの基地から飛び立った空挺部隊①②③が目標の橋の付近に降下。(映画の中では、アイントホーフェン、ナイメーヘン、アルンヘルムの三橋が中心に描かれます)。 それぞれを急襲制圧し、やって来る戦車隊を待ち受けます。

一方、マイケル・ケイン率いる戦車隊④はベルギーを発して北上を開始。 橋から橋へと進撃し、ドイツへ向かうルートの確保を目指します。
三日目までに、マイケル・ケインたち④がアルンヘルムの橋を通過出来れば、作戦は成功です。

        ▽▲▽▲▽▲

<イギリス>
    ・空挺部隊①②③がそれぞれ輸送機に乗り込み、
     攻略目標の橋へむけて出発!
 
 
 
<ベルギー領側>
  レオポルドビル 英第30軍団司令部
  ↓
  ↓ 戦車隊④が出発!
  ↓ ・国境を越え、オランダ領内を進撃
  ↓   マイケル・ケイン(英)
  ↓
  ↓
  ↓
  〕〔  アイントホーフェン(ソーン橋)
  ↓ ・空挺部隊①が降下。 浮き橋を敷設
  ↓   エリオット・グールド(米)
  ↓   ジェームズ・カーン(米)
  ↓
  ↓
  〕〔  グラーブ橋
  ↓
  ↓
  〕〔  ナイメーヘンの橋
  ↓ ・空挺部隊②が降下。 ドイツ軍に辛勝
  ↓   ライアン・オニール(米)
  ↓   ロバート・レッドフォード(米)
  ↓   ダーク・ボガード(英)
  ↓
  ↓   ハーディ・クリューガー(独)
  ↓
  ↓
  〕〔  アルンヘルムの橋
  ↓ ・空挺部隊③が降下。 部隊が分散して
  ↓  しまい、ドイツ軍の精鋭を相手に苦戦
  ↓   ショーン・コネリー(英)
  ↓   アンソニー・ホプキンス(英)
  ↓   ジーン・ハックマン(ポーランド)
  ↓
  ↓   マクシミリアン・シェル(独)
  ↓
  ↓   ローレンス・オリヴィエ(蘭・医師)
  ↓   リヴ・ウルマン(蘭・主婦)
  ↓
  ↓

<至ドイツ領>

        ▽▲▽▲▽▲

かくして1944年9月17日。
空挺部隊①②③を乗せた輸送機は英国より飛び立ち、各々攻略目標とする橋へと向かいました。
輸送機の大編隊と、それから降下する落下傘の大群(空を覆い尽くさんばかりの)が圧巻!

一方、ベルギー領レオポルドビルを出発したマイケル・ケイン率いる戦車部隊④は、オランダ領内へ踏み入って早々、ドイツ軍の反撃を受けます。
この為、予定のスケジュールから若干の遅延を来たしますけれど、この辺りはまだまだ余裕♪

        ▽▲▽▲▽▲

空挺部隊①の担当したアイントホーフェンのソーン橋は、ゴッホの画にでも出て来そうな鄙びた木造橋。
エリオット・グールド率いる米空挺部隊がいち早く制圧に向かうも、ドイツ軍の砲撃によって目の前で粉砕されてしまいます。
エリオット・グールド「シット!」
急ぎ軍用の浮き橋を取り寄せ、突貫工事により架橋します。
両軍が接近し緊迫する森の中で、ジェームズ・カーンがジープを疾駆させる名場面がここ。

ようやく浮き橋が完成して、戦車隊④を通過させますが、当初のスケジュールから36時間もの遅延を来たします。

        ▽▲▽▲▽▲

ライアン・オニール率いる空挺部隊②はナイメーヘンに降下して橋の攻略に取り掛かりますが、しかし予想外の苦戦。 スケジュールからの遅れはいよいよ深刻となります。

行き詰まった情況を打破するべく抜擢されたロバート・レッドフォードは、白昼堂々の敵前渡河作戦を敢行!
数多くの犠牲を出しながら、遂に橋を陥落させましたが、しかし連合軍内は横の連絡悪く、戦車隊に橋を渡って先へと進ませる許可が下りません。
決死の作戦が無駄となってしまい、ロバート・レッドフォード激怒!

        ▽▲▽▲▽▲

空挺部隊③が向かったアルンヘルムの橋は、この作戦中最大の激戦区でした。

ショーン・コネリー率いる本隊は、橋から遠い場所に降下してしまいました。 その上、グライダーの着陸失敗により機材を失い、通信機も不調というツキの無さ。

橋の付近に降りていたアンソニー・ホプキンス率いる別働隊が、先行して橋の手前に展開するも、相手は精鋭のSS装甲師団。 どこまでもツキがありません。
結果、橋上と市街での目も当てられない乱戦へと突入。 戦局は長引きますが、もともと兵の数や携行する武器に限りのある空挺部隊ゆえ、長期戦になっては勝ち目がありません。
アルンヘルムの橋のたもとで、アンソニー・ホプキンスの部隊は孤立してしまいます。

この局面で一番割を食ったのが、ジーン・ハックマン率いるポーランド軍。
遅れて降下した彼らを待っていたのは、極めて厳しい戦況でした。(実際には作戦三日目の出来事ですけれど、それを映画の終盤へと持って来たことで、何を今更な感じが強調される仕掛け。 この辺り、映画の構成は巧みです)

遂に連合軍はアルンヘルムを諦め、ナイメーヘンまで撤退します。 作戦九日目のことでした。

        ▽▲▽▲▽▲

この映画は、基本的に史実を叙述してゆくスタイルなんですけれど、ドラマチックな要素も少なくなかったですね。
また、各国軍人の気質が上手く描き分けられている、演出の巧みさに感心しました。 どちらか一方を悪者にしない、偏らない描き方にも好感が持てましたし。

只、幾つもの場所で、ドラマが同時進行するため、見ていて何がなんだか判らなくなりがちなのは難点ですかねぇ、やっぱり。

戦史の中にあって(一般的に)忘れられがちな、不成功に終わった作戦を、真摯な姿勢で描き切ったこの映画。
今となっては気作品とは言えませんけれど、でも私は高く評価したい。
よくぞこれほどの高いレベルで映画化してくれたモンと想います。
 
 

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January 03, 2016

映画:新・男はつらいよ

  
 
新・男はつらいよ
Tora-san's Grand Scheme
 
 
監督:小林俊一
脚本:山田洋次、宮崎晃
音楽:山本直純
出演:渥美清   (寅次郎)
   倍賞千恵子 (さくら)
   森川信   (おいちゃん)
   三崎千恵子 (おばちゃん)
   前田吟   (ひろし)
   太宰久雄  (タコ社長)
   佐藤蛾次郎 (源公)
   笠智衆   (御前様)
   財津一郎  (泥棒)
   佐山俊二  (蓬莱屋)
   二見忠男  (弁天屋)
   栗原小巻  (マドンナ・春子先生)
 
 
      1970年    日本
 
  
 Photo
 
 
「男はつらいよ」シリーズの四作目です。
山田洋次は第三作に引き続いて脚本へ廻り、本作の監督はテレビ版でも演出を務めた小林俊一が務めます。

        ▽▲▽▲▽▲

ご存知「とらや」は、葛飾柴又は帝釈天参道沿いで六代続くという老舗です。
商店街に店を構える以上、そこにはお店同士、店主たちの付き合いってものがあり、無論おいちゃんにだって、他所の旦那衆から「とらやさん」とか呼ばれる店主としての顔がある筈です。

このシリーズではこれまで、寅さんをはじめとする「とらや」の面々と、ご近所とのお付き合いってものが端折られて来ました。
「人情に厚い下町」って概念だけ提示しておいて、具体的なところは描くことなく(タコ社長と、その従業員らとの交流を除いて)済ませて来たとも言えそうです。

この「新・男はつらいよ」は、そこのところにスポットの当てられた、シリーズ中でもユニークな一本と言えるんじゃあないかと想います。

小林俊一監督は帝釈天参道沿の商店主たちを描くにあたって、その役割を佐山俊二(蓬莱屋店主)と二見忠男(弁天屋店主)と言う、二人の老練な喜劇人に委ねました。
これが芸達者で凄く好いんですね。 笑わせられると共に、葛飾柴又のイメージが豊かに拡がります。 それにしても寅さんって、どこへ行っても人気者だね。

        ▽▲▽▲▽▲

競馬で大儲けをしてのけた寅さん。
孝行がしてみたかったんでしょう、おいちゃん・おばちゃんを旅行へ招待すると言い出します。 それも、夢のハワイへ!

唄は世につれとか言いますけれど、映画もまた世相を反映するもの。
「新・男はつらいよ」は、それまで庶民にとって夢物語に過ぎなかった海外旅行が、そろそろ現実的になり始めた頃の作品なんですね。
昭和35年(1960年)の出国者数が119,420人に対して、昭和45年(1970年)になると936,205人と言います。(出典wiki) なんたって万博のあった年だものね。
「とらや」の壁を飾ったJALのハワイ旅行ポスターの眩しさよ!(場所が場所だけに、違和感ありまくりですけれど(笑))

この界隈で初の海外旅行と言うことで、浮かれまくり大騒ぎする葛飾柴又の人々(御前様まで一緒になって)。 こういうところ、下世話に下町風でイイ感じです。
それに、この一事を見ても、当時の庶民の海外に向ける視線・特別感が判るってもんです。

しかし、好事魔多し。 ワケあって渡航直前にハワイ行きを断念する破目となる(やっぱりね)寅さん一行。 深夜コッソリと(そこはやはり、ご近所の眼をはばかるわけです)「とらや」に舞い戻ります。
戸締りした店内に、五日後の帰国予定日まで潜伏することで、ご近所の眼を誤魔化そうと言う計略です。 でもそこは、人と人との距離感の密な下町のこと。 巧く隠しおおせる筈もなく・・・・

一同のやりとり、ドタバタと演技のアンサンブルが秀逸でした!

        ▽▲▽▲▽▲

ハワイ旅行の一件で(例によって)大喧嘩をやらかした末に「とらや」を出て行った寅さん。
久々に帰ってみたら、「とらや」の下宿人となっていたのがマドンナの春子先生(栗原小巻)です。

至って控えめで、なにやら複雑な家庭の事情を抱えている薄倖の美女なんですけれど、寅さんも「とらや」の人々も、そんな春子先生の内面、悩み/孤独については、遂に知らず仕舞い。
まぁ、春子先生がザックバランな葛飾柴又の人々とは正反対なタイプであったって事情もあるんですけれど。
ともあれ今作のマドンナは、寅さんや周囲の人々との関わりが薄く、また掘り下げも物足りないと想いましたね。

傷心の春子先生を慰めるべく、寅さんが印刷工場の労働者諸君(!)を巻き込んで画策した水元公園でのデートとか、演出はいろいろと頑張ってます。 冬景色で、視覚的に今ひとつパッとしないんですけれど。

それでもちゃんと見せ場は用意してくれていて、森川信が諄々と語って聴かす「婦系図」は、けだし絶品なり!

        ▽▲▽▲▽▲

今回は葛飾柴又の界隈、「とらや」周辺のみに地域限定されたお話しでした。
舞台にあまり拡がりのないのと、前半(ハワイ旅行編)・後半(マドンナ編)と言う二部構成になっているのとで、如何にも小品と言う感じがしましたね。 その分お話しが判り易く、また、葛飾柴又の世界がコッテリと描かれてもいるんですけれど。

ともあれ、葛飾柴又をホームとする寅さんの世界は(監督が替わろうと)確固として揺ぎなし。
寅さんは寅さん。 そう認識させられる良作でした。
 
 

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December 28, 2015

映画:次郎長三国志

 
 
次郎長三国志
 
 監督、脚本:マキノ雅弘
 原作:村上元三
 撮影:三木滋人
 音楽:鈴木静一
 出演:鶴田浩二      清水の次郎長
     山城新伍      桶屋の鬼吉
     松方弘樹      関東の綱五郎
     大木実       清水の大政
     田中春男      法印の大五郎
     津川雅彦      増川の仙右衛門
     長門裕之      森の石松
     佐久間良子     お蝶
     藤純子(富司純子) お千
     堺駿二        新吉
     藤山寛美      沼津の佐太郎
  
 
      1963年   日本 (東映)
 
 
なにを隠そう私め、往年の大スター・鶴田浩二ついて、昔っからさほど注目して来ませんでした。
だって台詞回しが如何にも朴訥だし、所作も何処かもっさりとして見え、どうにも不器用そうな印象が付いて廻って・・・・

その鶴田浩二が清水の次郎長を演じ、これまで東宝で幾つもの次郎長ものを撮って来たマキノ雅弘がメガホンを取ったのが、この東映版・次郎長三国志です。
なんの予備知識まないまま鑑賞に臨んでみたら、これがもの凄くヨカッタ!

なにせこの映画、お話しがサクサクと進んで、停滞するってことがありませんし、任侠ものだけあって義理人情も描かれるんだけれど、アッケラカンとして後に引き摺らないところが好い。
チャンバラ(スピード感溢れる)あり、笑いもありで、始めからお終いまで娯楽に徹しています。

鈴木静一の音楽がまた、なんともノーテンキで素敵なんです。(ところどころ差し挟まれる唄も愉しい)
時代劇の音楽にピアノを使うところがお洒落。

総じて、飛びっ切りの「粋」を感じさせる映画でした。

        ▽▲▽▲▽▲

※ 清水の次郎長が、駆け出しの渡世人であった頃のこと。
一家を構えるどころか、未だ乾分のひとりだって抱えちゃあいません。
そんな次郎長が(縞の合羽に三度笠の旅姿で)道中ふと立ち寄った秋葉神社の祭礼。
そこで起こった賭場での諍いから、このお話しは始まります。

イカサマ博打を見破られて激昂するヤクザを、擦れ違いざまスパッと斬ってみせた次郎長。 その時の、片足立ちでたたずむ姿のカッコイイこと!
続いて繰り広げられる立ち回りも、真剣勝負の重厚さよりも、むしろスピード感で魅せます。
鶴田浩二のアクション、私なんかが想っていたよりも遥かに達者なものでした。

さて、このときの縁から次郎長の乾分となった桶屋の鬼吉はとにかくパワフルな男! ハイテンションの名古屋弁で、激情家かつ感激屋というキャラは、若き日の山城新伍にぴったりハマってます。
後のエピソードで次郎長と再開した鬼吉。 感激のあまり、草鞋履きのまま奥へと上がり込んでしまうんですけれど、自分が仕出かした粗相に気付くと(なにせ根が気のイイ男です)平謝りで床を掃除します。 すると次郎長親分、自分も懐から手拭を取り出し(しょうのねェ奴とばかり)一緒になって床を拭きはじめます。
この時のごく自然な振る舞い、その謙虚さがまたカッコイイ! そして体面とか気にしない、次郎長の大物ぶりをもアピールしていますね。

名場面の続くこの映画の中でも、上記の二つのシーンが、私はとりわけ大好きです。

        ▽▲▽▲▽▲

この映画はでとりわけ、後に大スターへと成長する若手俳優らの見せるフレッシュな魅力が光ります。

次郎長一人目の乾分は桶屋の鬼吉(山城新伍)。
山城新伍と言えば、私なんかテレビのバラエティ番組で司会を務めた、ちょっとエッチで押し出しの強いオジサンとして認識していましたけれど。 のちのバラエティ番組の顔も、1963年のこの映画ではパワー全開! 俳優としての溢れんばかりの可能性で輝いています。

お次の子分は関東の綱五郎(松方弘樹)。
ホットな鬼吉とは対照的に、ダークな魅力を漂わすクールガイです。
殺陣の巧みさはこの当時から。
単にキザなイケメンってだけじゃあない、侠気にワルさ、甘やかさとそれから茶目っ気まで感じさせられます。 この当事からスター要素で満載だったワケですね。

それから、デヴューの年の藤純子(富司純子)。
後々の凛とした雰囲気は、さすがにその片鱗すら見えず、溌剌として健康的な魅力全開です。

        ▽▲▽▲▽▲

この映画は、幾つもの短いエピソードから成っています。 どのお話しも、引っ張ることなくスパッと終わるんですけれど、それがイイ。 余韻、よいん、です。
こういう辺りの匙加減がとにかく絶妙で、それってつまり、映画の造り手が「粋」ってものを好く心得ているから出来ることなんでしょうね。

後半、ある喧嘩の仲裁を買って出たのが仇となり、お尋ね者となる次郎長。
一家を率いて再び旅に出るんですけれど、清水一家にはやはり旅姿が似合いますね。
法印の大五郎(田中春男)が一家に加わり、増川の仙右衛門(津川雅彦)と出会って、更には沼津の佐太郎(藤山寛美)の下に寄宿する辺りから、お話しは失速気味に。

映画の終盤では身ぐるみ剥がされ、裸一貫になってしまう清水一家ですが、それでもなんら臆することなく、街道を駆けて往きます。 この楽天的な明るさ、前向きさ。 これで任侠ものなんですから愉快です。

若くて元気一杯の清水一家、只今売り出し中です!
 
 

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