小説:影との戦い(ゲド戦記1)
影との戦い (ゲド戦記 1)
A Wizard of Earthsea
アーシュラ・K・ル=グウィン 著
1968年 米国
1968年に発表されてこの方、その独特の世界観が、広く各方面に影響を与えてきたファンタジーの名作「ゲド戦記」。 その第一巻が本書「影との戦い」です。
この本、地元図書館では児童図書の置かれている書棚に在りました。
児童文学の扱いですね。 でもこれ、充分大人の鑑賞に耐える逸品と想います。
そしてこれ、なんでまた「ゲド戦記」なんて副題を付加したんでしょう?
あくまで魔法使いの活躍するお話しであって(戦いこそすれ)決して戦記ものじゃあないですし。 いや、この題も嫌いじゃないですけど。(笑)
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私、実はこの小説を初めて読んだ折りは、全然面白く感じられ無かったんです。
とんと惹かれるものがなかった。
とはいえ、ファンタジーの名作として誉れ高い本書です。
これは絶対、自分の読み方が好くない/間違ってるに違いない。 ウン、絶対そうだ。(笑)
そう確信しまして、しばらく経ってから、二~三度(我ながらシツコイことに (^^ゞ )に渡って読み返してみまして、そしてようやく、その好さが実感出来るまでになりました。
時間を置いて、過度な期待は持たずに(気を落ち着けて、じっくりと)作品と対峙する事で、はじめて、その愉しさ/奥深さに触れることが叶ったかと想います。
「影との戦い」とは、私にとってそういう小説。
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※ とある小島の寒村に、鍛冶屋の息子として生まれた少年ゲド。
魔法使いとしての類稀な資質を見出され、島の魔法使いの下で修行に入ります。
ゲドにとって最初の師匠となったオジオンは、強大な魔法の力を持ちながら、ひっそりと隠遁者のようにして暮らす、穏やかで寡黙な人物。
その指導は、ゲド少年にとって地味で退屈に過ぎました。
(若者らしい)強烈な野心/抑えようの無い好奇心を満たすような、自由自在/派手やかな魔法など、なかなか教えてくれません。
そんな、島の魔法使いオジオン。
後に旅に出て、世界屈指の偉大な魔法使いの門下で研鑽を積むことになるゲドですけれど、それでも、オジオン師匠のことは決して忘れませんでした。
彼にとって一番大切な人。
後に各地を遍歴して、様々な(驚くべき)経験を積んだ末、最初の師匠の下に帰って来るゲド・・・・ この流れが素敵です。
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※ ある日、薬草を摘みに山中へと分け入ったゲド少年。
花咲く野原で、不思議な女の子と出会いました。
女の子はゲドに、魔法を見せてくれるよう熱心にせがみます。
雛にも稀な美少女の前で(すっかりイイ気になってしまい(笑))覚えたての魔法を次々と披露してみせるゲド。
お終いに女の子が出したリクエストは、死者の魂を呼び出してみせて欲しい、というものでした。
「あんた、こわいんでしょ。」
「こわくなんか、あるもんか。」
無論のこと(!)死者を呼び出す術というものは、みだりに試してはならない禁断の魔法に属します。
しかし未だ若く、およそ分別など持ち合わせないゲドです。
師匠の眼を盗んで、こっそり、この魔法を使ってしまうのですが・・・・
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それにしても、なんと奥深い設定/構成からなる作品でしょう。
後にこの「ゲド戦記」が、数多のファンタジー小説に多大な影響を与えたというのも、充分にうなずけるところ。 (「ハリー・P」のシリーズなど、「ゲド戦記」の影響下で書かれているのがハッキリ判ります)
多島海と呼ばれる、無数の小さな島々から構成される(瀬戸内のような(笑))地域。
文明レベルは中世ヨーロッパのそれ。
しかし各地に魔法使いが棲んで居り、自在に力を揮う世界です。
庶民/市井に住まう人々と、魔法との距離の、極めて近い社会。
人々は魔法というものと、日々、ごく当たり前に接しています。
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でも、いくら魔法だからって、どんなことでも出来るってワケじゃあないんです。
この作品世界には確たる大原則が在って、それが物語りのリアリティを高め、奥深いものにしています。
何事かを成すにあたっては、その代償を支払わねばなりません。 魔法も然りです。
陰と陽。 光あればこそ、影もあり。
そして魔法を行使するには、その物の「真の名」を知らねばなりません。(ココ重要!)
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※ その後、オジオン師匠の下を巣立ち、海を越えて魔法学校に入学(やっぱ「ハリー・P」ですね(笑))したゲド。
向上心/野心の塊のようなゲド。 錚々たる大魔法使いたちの下で、様々なまじない・太古の言葉・古の英雄譚・そして何より大切な「真の名前」などなどを学びはじめます。
程なくして彼は、その卓越した資質から、開校以来の逸材として周囲の注目を集めました。
が、ある日、若気の至りから、習い覚えた魔法を駆使して「影」を呼び出してしまいます。
この世にあっては、実態を持たない「影」。
それ故「影」は、(実態を得て、この世に現れ出でる為)ゲドに取り付いて、その心身を喰らい(!)、彼を乗っ取ろうとします。(>_<)
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それは、若さゆえの過ち。(ベタな表現ですけれど (^^ゞ)
ゲドが好奇心・虚栄心(自分をより大きく/強く見せたいという)、つまり己の未熟さ/弱さ故に仕出かした、愚かな行為でした。
が、なにしろ、後に偉大な魔法使いとなる少年です。
その性格。 強い負けん気や探究心・好奇心などは、優れた魔法使いに不可欠な資質だったのかもしれませんね。
しかし、同時に野心・功名心・嫉妬・驕りといった(時に取り扱い注意となる)感情も、併せ持っていたゲドでした。
だから「影」なんか(ホント、止せばイイのに)呼び出しちゃったんですね。orz
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ここまでならば、如何にも若者にありがちな、修行中の失敗談ということになります。
しかし、この「影」ってのがシャレにならない、もう超絶にタチの悪い奴でした。
ゲドを喰らい尽くそうとして、どこまでも。
野越え・山越え・海までも越えて、ず~っと付いて来ます。
想像を絶する執念深さ。
魔法使いとしてのキャリアの、最初のところ(魔法使いの資格を得る以前)で土を付けちゃって、以来ず~っと、そいつを引っ張ってるカタチです。(>_<)
若気の至りから禁忌に触れてしまう。 誰にでもあり得ることですけれど、しかし、ゲドの場合、その代償はあまりにも高く付きました。
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浅はかな私は(^^ゞ、最初この小説を、若き魔法使いの大冒険/単純明快、痛快なエンタメくらいに考えていました。
なので、上記の展開には、大いにがっかりさせられたものです。
なにしろ、キャリアの最初に背負ったハンデが途方もなく重いですからね。
ガックリ来ちゃって、ホント、愉しむどころじゃあなかった。
けれど、小説を読み返してみて、感想が大きく変わりました。
つまり「影」って、もう一人の自分ってコトですよね。
誰しもが抱えている負の側面。
誰にも(あるいは自分にも)覚らせない裏側。
そのものと相対することは困難で、まして、それを乗り越えることなど、中々出来ないけれど。
まして、後に史上最も偉大な魔法使いと讃えられることになる少年ゲドです。
超弩級に優れた資質を持つ彼だけに、その「影」もまた超絶級でした。
乗り越えようったって、とてもじゃあないけれど御しきれません。 その前に喰われちゃいますって。(^^ゞ
読んでいる私は、痛快な冒険が始まるものとばかり想っていましたれど、これって実は、自分自身と対峙し、それを乗り越えよう/先に進もうとする、若者の成長物語だったんですね。
だから、終盤に至ってゲドは気付くんです。
「影」から逃げ回ってちゃダメってことに。
「影」と向き合い、戦いはじめてからのゲドの苦悩と成長。
ファンタジー小説で、かつて経験した類の無い感動を味わいました。
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なるほど深いワ。
単純明快なエンタメどころではなかったです。
この「影との戦い」。
私はこれから、何度も読み返すことでしょう。(多分 (^^ゞ )
ファンタジーの名作と呼ばれるに相応しい、素晴らしい逸品でした。
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Comments
こんばんは
確かにファンタジーの名作ですよね。
読んでみたいなと思いつつ未読です💦
第三巻の「最果ての島へ」原案とした宮崎アニメがありますよね。2006年に映画化されたとか。
再放送しないかな。見てみたくなりました^^。
Posted by: みい | October 19, 2019 09:10 PM
>みいさん
「ゲド戦記」。みいさんもご存知でしたか。
意外と深い内容で(私には、最初)とっつき難かったですけれど、流石は名作、味わい深かったです。
機会がありましたら是非。(^ァ^)
そしてこれ、アニメ化までされているんですね。
でも、第三巻ですか。まだまだず~っと先のお話しです。(^^ゞ
まずは原作を愉しんで、アニメ鑑賞の方は、楽しみに取っとこうと想います。(笑)
Posted by: もとよし | October 20, 2019 07:17 PM