読書:京都ぎらい
京都ぎらい
井上章一 著
2015年 朝日新書
一 洛外を生きる
二 お坊さんと舞妓さん
三 仏教のある側面
四 歴史のなかから、見えること
五 平安京の副都心
なんかドキッとする標題でしょ?(笑)
言ってしまった(決して語っちゃイケナイことを)感、タブーに触れちゃった感ありありじゃないですか。(笑)
京都とはナンの関わりも持たない私でけれど、興味を持って読み始めました。
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そもそも「京都」と聞いた時に(そのエリアについて)私なんかがイメージするのと、実際に彼の地に住まう方々のそれとは、全然異なるんだそうで。
京都というのはかつての平安京、碁盤の目の内を指すのであって、その周辺部、つまり洛外は(行政区域とは別に)京都と名乗っちゃイケナイって意識が根付いているらしいですね。
そうは言っても、京都府の内だったら、そこは京都でしょ。
ワタシなんかそう想っちゃうワケですけれど、でもこれはあくまで余所者(他都道府県の者)の感想。 京都にあって京都と名乗れるのは洛中のみ、ってことらしいです。 この歳になるまで、ま~ったく知らなかったです。(^^ゞ
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本書は、京都市嵯峨(洛外)に育って宇治市(こちらも洛外)に住まう著者が、そんな、古都に根強く底流する洛中洛外の差別意識(!)について語った一冊。
嵯峨とか宇治とか、関東者のオレからしたら雅そのものなイメージなんですが。 洛中の人士からすれば「嵯峨は京都とちがうんやで」ってことのようです。
とはいえ、それを相手に告げる段に、オブラートに包んだような独特の嫌味でもって相対するのが京都流。
誰しも子供の頃には(小学校教育などで)郷土愛を育まれるもの。
著者もまた、京都の子という意識を持って成長したわけですけれど、大学に進み、洛中の人と交流するようになって初めて、そのシビアな現実(洛中洛外の差別意識)と向き合ったと言います。 人には言えない類のショックですよね。(>_<)
時に京言葉を交え(洛中とそれ以外とでは、アクセントに微妙な違いがあると言われるそうな)愛憎の入り混じった、他所の者には理解し難いキモチを怜悧に、そしてユーモラスに、時に自虐的wに吐露してくれます。
なんだか、念の入った意趣返しって気もしますけれどw、嫌味な感じの少しもないのは著者の卓越した文才のなせる業。
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以上が第一章の「洛外を生きる」。
その後の章では寺社の経営努力(!)、花街で遊ぶ仏僧(!)、歴史に翻弄された京都などなど、興味深い論考が続きます。
それにしても著者の文筆力には参りました。 頭の良い人ってスゲエや。(笑)
あまりの面白さに、読み終えると直ぐに、頭からまた読み返してしまった一冊でした。
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