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March 26, 2017

第20回千葉県知事選挙

 
 
本日は日曜日なれどもお仕事。
なんですけれど、この日、三月二十六日は千葉県知事選挙の投票日でもあります!
私は出勤の前、自宅から駅までの道すがらに在ります投票所にて、早めの投票を済ませておく事にしました。
今日はまた、オケの本番日でもあるのだよなぁ。(嘆息)

それにしても、今度の選挙は精彩を欠いています。
立候補者は四名。
千葉県、人材に乏しいなぁ・・・・と言うのが私の率直な感想ですかね。
投票率も好くは無さそうです。

過去二回、2009年、2013年と連続当選している現職・森田候補が圧倒的で、なんかこう、付け入る隙が無さそうですものねぇ。
が、そんな中にあって、松崎候補は現職・浦安市長のポジションを投げ打っての知事選出馬ですから、その覚悟のほどが窺えます。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、夜になって帰宅してみれば、森田健作氏の当選が確実ですと。
熱血知事の三期目、(失礼ながら)まさかこんなに長く続くとは、想ってもみませんでした。
是非とも頑張って頂きたいものです。
 
 

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小説:復活の日

 
 
復活の日
 
 
   小松左京 著   1964年
 
 
いつ何処で聴きかじったのかは忘れてしまいましたけれど、人類最大の脅威と言えば・・・・犯罪・戦争・飢餓・自然災害から野生動物といろいろとあれど、細菌・ウィルスなどの微生物がトップなのだそうで。 奴ら、確かに有史以前から、他の何よりも多く人のを苦しめ、また命を奪って来た、人類の仇敵なのかもしれません。

小松左京、初期の代表作である本書。
熱心なSF小説ファンであった父の書棚にも、これがあったような(微か~な)記憶が。
が、なにしろ若きSF作家が全力投球で書き下ろした野心作ですからね。
ガチなハードSFで、生憎と子供に興味の持てるような内容ではなかったです。
以来、手に取にすることもなかった「復活の日」ですけれど、それを今頃になって読んでみたんです。

※ 時は冷戦時代、某国が軍事目的で開発したウィルスが外部に流出。
ウィルスは歴史上例の無い程の高い致死性と増殖力とを持ち、感染したものは次々と正体不明(当初は)の病気に倒れ、死んでゆく。 瞬く間に世界中に蔓延した結果、人類を含むほぼ全ての動物が死に絶えてしまうのだが・・・・

壮大な破滅ものSFでした。(今風に言えばディザスター・パニック小説ってところでしょうか)
条件さえ揃えば、驚く程短期間に広がるのがウィルスというもの。
まして、軍事目的で創られたが故に、感染力も致死性も圧倒的で、新種故(また、ウィルスってのは次々と変種が現れるだけに)対策が容易でないときています。

なにしろ冷戦当時の小説です。 実際に、どこか大国の研究機関が造っていたとしても、ちっとも不思議ではない生物兵器。
それがきっかけとなって、人類が全滅の危機に・・・・
この顛末が、博覧強記のSF作家によって、一つ一つ理詰めで、論理的に展開されるだけに、リアリティと怖さはいや増すワケですね。 お話はその分、若干お固くもなっているんですけれど。

主人公こそ日本人ですけれど、その他の登場人物や舞台などは国際的。 ストーリーは世界各地で進行します。
大阪万博まであと6年前と言うタイミングで記された本書。 ネットでつながった現在とはまた異なった、世界的な視点への志向を感じますね。
ややお固い文体は、あるいは純文学を意識していたんじゃないかと、私は思います。
SFってものが、未だ異端視されていた時代ですから。

ところで、バイオテクノロジーが一般的なブームとなったのって、いつ頃でしたっけ?
もう随分と前のような気がしますけれど、ともあれ、本書の発表当時は(バイオもそうですが)パンデミック、感染爆発、スーパースプレッダーなどと言う言葉(概念)自体、未だ一般的ではなかったと想います。
そんな時代に、細菌・ウィルスによる破滅をテーマにした長編ハードSFをものした小松左京の慧眼。

ウィルスと聴けば、まずはコンピューター・ウィルスを連想してしまう現代ですけれど、日頃から納豆を好んで食し、ヨーグルト造りにはまり、漫画「もやしもん」を愛読し、更に先日、風邪にこっぴどく悩まされた身としては、意外に身近であり、共感し易いプロットを持つSF小説でした。
 
 

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March 20, 2017

東京散歩:アキバをぶらつく

 
 
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                                       (この画像のみWikiから)
 
久しぶりのお休み、こんな時って何をしたら好いか判らないです。(笑)
で、特段これといって用向きも無いんですけれど、秋葉原の電気街でもぶらつくコトに。
しなくちゃならないことは、他に沢山あるのにねぇ。(溜息)

拙宅からそう遠くもない位置にあるアキバですけれど、最近はすっかり足が遠退いちゃいましたねえ。
若い頃オーディオ好きであった私ですから、日頃からもっと出掛けても好さそうなもんですけれど。

まず向かいますは、駅前の秋葉原ラジオセンター。
昔ながらの小店舗が集まった電気の魔窟です。
電気部品・電子部品・パーツ・パソコン関連・工具・計測器などなど、なんでもござれ。
ちまちましたバーツがギッシリと詰めこまれた棚。 この凝縮感は、いつ来ても堪りませんなぁ。

次に訪ねた東京ラジオデパートも同様で。
この二つに入ると、私の気分は一気に昭和へ!
静岡より上京しまして、花の東京・秋葉原を訪れた当時へと引き戻されます。

しばしノスタルジーに浸った後は、裏通りに軒を連ねる小店舗を次々ヒヤカシてゆきます。
電気・電子部品の数々。 一体何に使うのか?怪しげなバーツや、中古パソコンの店が多くって愉しいんです。
でも、昔はもっとオーディオ関係のお店とかあったような。

ご存知の通り、近頃のアキバはゲーム・メイド喫茶・アニメ・コスプレショップなどなど、サブカル関連のお店が幅を利かせております。
が、そうは言っても、こっちは昭和のオッサンですよ。
路上でメイドさん達からメイド喫茶のチラシを差し出されようと、「待ってるニャン =^_^=」とか声掛けられようと、ここは(笑顔でうなずきながら)素通りするしかないのであります。(溜息)
 
 
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少し往けばこの界隈、こんな昔からの建物・景色に出会えます。
 
 

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映画:沈黙 サイレンス

 
 
沈黙 ~ サイレンス ~ 
Silence
 
 
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジェイ・コックス
   マーティン・スコセッシ
原作:遠藤周作 「沈黙」(1966年)
出演:アンドリュー・ガーフィールド (セバスチャン・ロドリゴ)
   アダム・ドライヴァー     (フランシス・ガルペ)
   窪塚洋介   (キチジロー)
   イッセー尾形 (井上筑後守)
   塚本晋也   (モキチ)
   笈田ヨシ   (イチゾウ)
   浅野忠信   (通辞)
   リーアム・ニーソン      (クリストヴァン・フェレイラ)
 
 
     2016年     米国
 
 
既に公開は終わっている頃でしょうか。 少し前のことになりますけれど、私はマーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙 ~ サイレンス ~」を観て参りました。

フランシスコ・ザビエルを嚆矢として、あの当時、ヨーロッパから、未だ神の恩寵に預からぬ国(しかもその地での布教は困難を極め、主人公の旧師は棄教さえしたと言います)、遥かな日本へとやって来た宣教師たち。

長い月日を掛け途轍もない距離を、遭難のリスクを承知の上で大海原を越えて、しかも生還の可能性はわずかという。 今で言うなら、火星移住計画の募集に申し込みますかってレベルですよ。

これはもう、宗教家と言う以前に、冒険家とでも呼ばねばならないのではないでしょうか。 ともかく、この時代の人間のスケールの壮大さには圧倒されます。
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
実にしっかりと造られた映画でした。
微に入り細に渡って配慮の行き届いた演出・美術・撮影等々には、もう感服するしかありません。

キャストは序盤(日本国外)のシーンと、宣教師役等の数名を除いて、そのほとんどが日本人俳優で占められます。
世界的大監督とスタッフ、ハリウッドの製作システム、邦画とは桁違いの大資本。 しかも、日本文化に対する理解とリスペクトを受ける中で、役者魂が炸裂!
日本人キャストが奮起! 頑張っちゃうところは、「ラストサムライ」(2003年)の折りと同様でしょうか。
ともあれ、極めて良質の芝居空間を創り出してくれました。

中でも、老獪な奉行に扮したイッセー尾形。
温和にして冷徹、無邪気で知的、ユーモラスでかつ無情。
私は、この方の一人芝居を度々テレビで見て来ましたけれど、長年続けた人間観察・表現の成果がハッキリと感じられる、奥行きのある演技が素晴らしかったです。

この「沈黙 ~ サイレンス ~ 」は無論、キリスト教徒である米国人マーティン・スコセッシ監督の作品ですけれど、ドラマ中に見る 主人公 VS 奉行 間で繰り広げられる問答を描くシーンの、その視点は至極公平に見えます。 政治経済軍事から歴史までも踏まえた東西文化の衝突は見応えがありました。

それから映像のクオリティの高さ。
アジアの空気を感じさせる(台湾での撮影と言います)島の風景、慎ましい漁村の佇まいは、そのまま主人公であるポルトガル人宣教師らの孤独感を物語るようです。
夜のシーンなど、そのまま一幅の宗教画のようで。 漆黒の闇に松明、貧しい漁民と殉教者と静寂と・・・・もはやジョルジュ・ド・ラ・トゥールの世界です。

さて、映画の映像は斯様に素晴らしいのですけれど、音の方もそれに負けないくらい雄弁でした。
それでは音楽はと言えば・・・・まるで無い、わけではないですけれど、でも、ほんのわずかしかありません。
その替わりに自然音の繊細な演出。 風になびく草木、打ち寄せる波、虫の声などなど・・・・夏の日差しから、草木の匂いまで伝わって来そうでした。
その音響の効果は目覚しく、見知らぬアジアの島国に来て、次第にその地の自然・文化へと取り込まれてゆく、西欧人の孤独・不安感が立ち現れます。

地道な布教活動、苛烈な拷問の末に辿り着いたのは、「この国は沼だ」と言う、あまりにも皮肉な結論。
すべての宣教師が捕らえられた後も、草の根レベルで伝えられ、やがて日本風にカスタマイズされてゆく教え。
外国語の典礼文も、意味は判らずとも音だけはそのままに、土着の信仰として永く残ってゆくのですけれど。
でもこれ、ローマ・カトリック的には歓迎すべからざる展開でしょうね。 その昔、原作を読んだ当時は、そんなこと考えもしませんでした。

終盤は布教云々よりも、主人公個人の信仰の問題へとテーマが移ってゆきます。 そして映画オリジナルのラストについては、私はとても好いと想いました。

        ▽▲▽▲▽▲

骨太のテーマとがっぷり四つに組んだ、極めて良質な作品として、この映画は長く見続けられ、語り続けられることと想います。 初見の折りには未消化であったため、私としては珍しく(シン・ゴジラの折もそうでしたけれど)二度鑑賞しています。
 
 

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