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February 19, 2015

ニット帽

 
 
どこから見ても、丸いアタマの持ち主である私。
丸顔 = 円満と表現すれば聴こえも好いんですけれど、これって言い換えれば、シャープさとは無縁の貌ですよ。 どこから見てもまるでメリハリのない自分の相貌に(詰まらない意識とは承知しつつ)いささかの引け目があります。

それに、まあるいアタマって、その形状からして、帽子のすわりが大変よろしくないんですよね。
どんな帽子をかぶっても、アタマに引っ掛かりのない分、どうにも安定してくれません。
ぴゅ~と風でも吹こうものなら、すぽっと脱げて飛んでゆきそう。
なので私は、帽子ってものがスゴク苦手でした。
子供の頃(校則でかぶっていた)はともかく、大人になってからはついぞかぶった覚えがありませんでしたね。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、私がそれまで短めに垂らしていた髪をバッサリ刈り上げて、坊主頭となったのが二年ほど前のこと。
当初は三部刈り(6ミリ)程度にしていたんですけれど、それも段々と短くなり、今では電気バリカン付属のアタッチメントを一切使わず。 直に刈ってしまっています。

こうして、能う限り短く刈り込んだ我がアタマ。
風通し好く、とても快適だったんですけれど、でも、真夏の強い陽射しにはまいっちゃった。 なにしろ目一杯に短くしていて(ほぼ)地肌みたいな状態のところに直射日光ですからね。(笑)

で、昨年の夏のこと。 散歩の途中、あんまり暑いんで、已むなく百円均一のお店に駆け込みまして、キャップ(野球帽)を買い求めました。
かぶってみると、これが日光を上手く遮ってくれて実に快適なんです。
現金なモンで(あんなに帽子嫌いであった私が)これに味を占め、外出のたびキャップをかぶるようになりました。

但し、この百均のキャップ、如何にも安っぽいんですよね。 いえ、詰まらない見栄と、判っちゃあいるんですけれど。
しばらくしてから(津田沼駅南口のユザワヤにて)もう少ししっかりしたキャップに買い換えました。 すっかり気に入りまして、以来こちらを愛用しています。

        ▽▲▽▲▽▲

そして先日。 風が強く吹いて、おっそろしく寒かった日曜の夕刻のこと。
オケの練習に出掛けようと楽器を担いだところで、愛用のキャップが見当たらないのに気付きました。 その時は時間もなかったので、久々に百均キャップを取り出して練習に出ました。
私のユザワヤ・キャップ、一体どこに隠れているのやら。

仕方がないので、翌日になってニット帽を買い込みました。
これ、暖かいっすね。 すっかり気に入っちゃった。(笑)
なにしろ丸顔ですから、そりゃもうぴったりとアタマにフィット。

かぶるにこと欠いて、丸顔の一番引き立つニット帽を愛用するとか。
もはや帽子についての苦手意識なんて、どっかにいっちゃってるワタシです。
若い頃は嫌であったオノレの丸いアタマを、とうに受け入れている自分が居ました。
 
 

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February 08, 2015

映画:空の大怪獣 ラドン

 
 
空の大怪獣 ラドン
Rodan
 
 
  監督:本多猪四郎 (本編)
      円谷英二  (特撮)
  音楽:伊福部昭
  出演:佐原健二
      白川由美
      平田昭彦
      田島義文
 
 
          1956年   日本
 
 __50
 
「ゴジラ」(1954年)「ゴジラの逆襲」(1955年)と来て、その翌年に公開された東宝三作目の本格怪獣映画。 この作品からカラー・・・・いや総天然色となりました。 パチパチ。
この時代のフィルムについて(その発色がどうとか)私はまるで知らないんですけれど、今時の映画と比べてコントラストが強め。 なんかこうカラフルでイイ感じです。

あのゴジラを陸の怪獣王とすれば、翼手竜をモチーフとしたラドンはまさしく空の王者。
但しデザインや性質が、今ひとつ地味と言うか、ワタシ的にいささかインパクトに欠ける気がしますね。 飛べるという、圧倒的なアドバンテージを持っていながら、今ひとつ押し出しに欠けるって言うのか。

        ▽▲▽▲▽▲

舞台は九州。 石炭採掘未だ盛んなりし昭和三十一年。 阿蘇山麓のとある炭鉱で起こった連続怪死事件から、このお話は始まります。
カラーフィルムの捉えた昭和三十年代の炭鉱と炭鉱住宅の様子が興味深いし、またヴィジュアル的にも愉しめます。

犯人は、メガヌロンという古代のヤゴでした。
永い間、卵の状態で眠っていたものが、突如活動を始め坑道に出没したものです。
ヤゴとは言っても5メートルはありそうな怪物で、襲われたらひとたまりもありません。

ちなみにこの映画、「ゴジラ」がそうであったように、主役のラドンは中々出て来ません。
姿を現わすまで、いやもう引っ張ることひっぱること。
そのお目当ての登場まで、前座を務めますのがこのメガヌロン。 デザイン/操演/演出、いずれも上出来と想います。

        ▽▲▽▲▽▲

坑道を出て、炭鉱住宅を襲いはじめるメガヌロン。
主人公(佐原健二)と恋人(白川由美)が寛いでいるところ、いきなり裏庭に現れます。
そのまま縁側から上がり込んで、座敷へと踏み入って来るんですけど、これってヤバ過ぎでしょ!(笑)
 
堪らず玄関から逃げ出す二人(佐原健二と白川由美)。
座敷から去りしな、佐原健二はわざわざ引き戸を閉めて出てゆくんですけれど、怪獣を相手に、引き戸一枚が一体なんの役に立つと言うのでしょう。(笑)
 
日頃の習慣が、こんな火急の場面でもついつい出てしまうものなんですね。
これって、突然の死/恐怖というものが、日常と隣り合わせにあるってことを描きたかったんじゃあないかと想いますけれど。
でも、なんか可笑しかったですね。 不条理ギャグって感じで。
主人公らにとっては突如直面した死の恐怖なんですけれど、でも、見ているコチラはなんだか笑えて来ちゃった。 如何です? こんな演出。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、満を持して登場したラドン。
それを追い駆けますは、空自のF-86Fジェット戦闘機隊。
青空をバックに、ラドンとF-86Fが飛行機雲を曳いて描く壮大な一筆書きは、さながら抽象画の趣があります。

空より舞い降りたラドンが、強風を巻き起こして福岡市街を破壊するシーン。
木っ端微塵に崩れ去るビル群とか、激しい風に屋根瓦の一枚一枚が吹き飛ばされる様子など、いずれも壮絶な破壊の地獄絵図には違いないんですけれど、そのミニチュアワークがとにかくもう唖然とするくらい素晴らしいです。
昭和三十年代の福岡市街。 東京のそれとはまた一味違ったローカル色を出しているのがお見事。
この福岡襲来シーンだけとっても、この映画は鑑賞するに足る価値があると想います。

音楽(伊福部昭)も、ゴジラの時よりは若干現代音楽方向に振った(娯楽作品としては)ストイックさで聴かせます。

        ▽▲▽▲▽▲

怪獣ものの第一作「ゴジラ」のラストシーンを印象づけたのは怖れ(原水爆に代表される科学に対する)でした。
そして第二作「ゴジラの逆襲」のラストでは怒りと愛惜(友の死に対する)の感情があった。
それが本作「空の大怪獣 ラドン」では、憐れみの感情がラストを支配します。

怪獣 = 討つべし、と言った単純なリクツでは決して語ることの出来ない、これら初期の怪獣映画。 深いですね。
ラドン。 想えば哀れな怪獣でした。
 
  

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