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October 31, 2014

津田沼そば

 
 
飲食店に栄枯盛衰はつきもの。
想えば私が当地に越して来てこの方、新しくオープンしたお店、そして惜しくも撤退していったお店、それぞれ少なくない数を見届けています。
我がソウルフードとも言うべきスタンド形式のお蕎麦屋さん(立ち食い、またはカウンターに簡便な椅子のみの)とて、その例外ではありません。
 
 
・以前問はず語りで記事にした、京成新津田沼駅改札前の「都そば・新津田沼店」は既に撤退。

・かつて京成線の踏み切り近くにあった「島津庵」。 ここは私のお気に入りでしたけれど、惜しくも撤退。 同じ場所に、現在はラーメン屋さんが店を構えています。

・JR津田沼駅構内の「あじさい」は、都内に通勤していた当時、朝食代わりに何度もお世話になりました。 ここではいつもコロッケ蕎麦を喰ってましたっけ。 フロア全体のリニューアルに合わせて撤退しまして、現在は同じフロアに「いろり庵きらく」が入ってます。

・同駅ビルの一階にも、かつて蕎麦店がありまして、こちらは駅のスタンド店にしては上品なイメージ。 美味しくて、ここにも好く入りましたね。 いつ入っても空いていたので、案じていたらば、やはり撤退。


今日、久々に入ったスタンドのお蕎麦屋さんは「つだ沼そば」。
京成新津田沼駅とJR津田沼駅の間という好立地にあって、麺・出汁・トッピングと、何処から見ても文句のない旨さ。 津田沼界隈で最強と言って差し支えのない、お勧めのお店です。
本日も、また美味かった!
このお店ばっかりは末永く続いて欲しいと、切に願います。
その為にも、もっと通わないとね。

聴くところによれば明日、その「つだ沼そば」の傍に、あの「富士そば」が新規開店するのだそうで。
「富士そば」かぁ・・・・なんか懐かしいです。 都内で働いていた頃、随分と喰いましたよ。
味はそこそこ(私の記憶の中では)ながら、価格の廉さと営業時間の長さ、それとかつ丼まであるメニューは「つだ沼そば」にとって脅威かもしれません。
負けるな「つだ沼そば」!
  
 

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October 29, 2014

小説:女信長

 
 
女信長
 
 
   佐藤賢一 著


      2006年  毎日新聞社


我が国の歴史上の人物の中でも、とりわけ人気の高いのが織田信長。
古今の歴史小説/ドラマ中で、さまざまな視点から、いろんな信長が描かれて来たわけですけれど、本書「女信長」の場合は、織田信長が<実は男装の女性であった>という、意表を突いた(というか、そうとう強引な(笑))設定となっています。

まぁ、男装の女性が活躍するお話しと言えば、フィクション/ノンフィクション含めて、古今いろいろと(ベルバラとか)ありますからね。 その中に織田信長を加えてみるってアイデア自体「むべなるかな」って感じですけれど。

が、そうは言っても戦国武将。 中でも文句なしにナンバーワン人気のこのお方を女性化してしまおうってのは、大胆不敵と言うか、とにかくぶっ飛んだ発想と想います。

        ▽▲▽▲▽▲

※ 父、織田信秀からその資質を見込まれ、娘でありながら嫡男として育てられた信長こと御長(おちょう)。
無論、その秘密を知るのは、ごく身近に居る者たちに限られます。
若いころからうつけを演じた御長は、やがて織田弾正忠家の家督を継ぎ、まずは尾張地方の平定に乗り出します。

そもそも織田信長を女性としてみると、(従来の、一般的な)信長のイメージからくる、暴君ぶり、癇癪も、女性ならではの感情の高ぶりなどで説明できるんですね。
信長は女であったという虚構ひとつをアタマに入れて読み始めた本書「女信長」ですが、小説の世界が理詰めでしっかりと構築されているのに感心しました。

さて、日頃から男装を通している女信長ですけれど、女性ならではの感性を捨て去ったわけではありません。 そしてなにより、男どもが(オトコ故に)持つ短所の類とは無縁です。
男性的な功名心に囚われませんし、まして戦の興奮に我を忘れるなんてバカなこともありません。 銭勘定に敏いところも、また強みです。
そして時には女の武器(!)の活用も辞さぬ冷徹さまで併せ持ちます。(というか、女信長、色仕掛けに頼りすぎの感も(サービスシーン(!)かもしれないけれど)ありますな)

その反面、女性ならではの依存心や仮借のなさ、また強過ぎる執着心(浅井長政のハクダミの件で発揮)など、マイナス面も、またありまして。(今に伝わる織田信長のユニークな振る舞いの数々も、女性とすれば説明がつくと言うワケ)

このように、女性ならではの観点に立って織田家を引っ張り、序盤では快進撃を見せる女信長ですが、それが小説の中盤以降に入ると自分を見失ってしまい、もうズブズブで・・・・
年下の浅井長政に惚れ込んで、政治/戦略的判断を大きく誤ったりするなど、手痛い反撃を喰らいます。
女信長。 他の歴史小説/ドラマに登場する雄々しい(男の)織田信長とは違い、女性らしい弱みを幾つも抱えているんです。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、そこで明智光秀の存在ですよ。
他の歴史小説/ドラマでは、マイナスイメージの先行しがちな光秀ですけれど、本書での存在感は圧倒的です。
数多ある歴史小説/ドラマで、常に不遇に扱われて来た光秀に対する印象が、これで吹っ飛びました。
とてつもなく優秀(自ら天下を望んでも不思議ではないほど)でありながら、己の栄達はまるで望まぬ無欲恬淡ぶり。
織田信長の覇業は、天才・光秀の献身的なサポートがあってこそでした。
その光秀と女信長の愛憎・・・・

        ▽▲▽▲▽▲

一体、私はなんの為に戦っているのか・・・・
天下統一が完遂に近づくと共に、だんだんと(気持ち的に)壊れてゆく女信長。
そりゃ、大変でしょうよ。 戦国武将を女性が、演じる(!)ってのは。
なにせ障害は山積。
それを、曲者揃いの家臣たち(その中には、秀吉のような超絶級の切れ者もいるわけで)を率いてクリアしていかなけりゃならないワケだし。

小説の序盤は、女信長の強さの理由づけとして、女性であることが強調され、そこがいささか強引に過ぎて、私としてはイマイチと感じました。
けれど、光秀が存在感を増すあたりから、お終いのエピローグまで。
これは、いったいどのようにして本能寺まで引っ張ってくれるのかと、ワクワクしながら頁を捲りました。

それにしても、中盤以降の女信長は、もう惑いっぱなしの、ブレっぱなし。
戦国大名というお仕事(!)は、土台、女性には無理なハナシですって、著者は言いたげです。(これってハッキリ男性視点ですね)
女性を主人公にして説得力を持たせ、しかも滅法面白くて、お終いまでハラハラさせながら読ませる歴史小説! とはいえ本書、あくまで男性読者向けだなと想いました。
 
 

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October 25, 2014

小説:亡国のイージス

 
 
亡国のイージス
 
 
   福井晴敏 著
 
 
       1999年   講談社
 
 
「終戦のローレライ」(2002年)の福井晴敏さんによる長編。 ローレライと同様の海洋/軍事ものです。 本書もなかなかの長編ですけれど、それを一気呵成に読み通させてしまう面白さでした。
 
小説の主な舞台は、海上自衛隊のミサイル護衛艦「いそかぜ」の艦内。
太平洋戦争下の潜水艦を描いたローレライとは違い、こちらは現代の(架空の)艦船です。
 
ミニ・イージスシステムを含めた、護衛艦内の諸設備についての詳細な描写もさることながら、海自の護衛艦という、外部と隔てられた社会の中での、乗組員の人間関係について、こと細かに描かれていたのが興味深かったです。
 
なにしろ自衛隊のことですから、艦内には階級毎の立場/意識の違いというものが厳然としてあるわけです。
その点、この小説では各階級それぞれに登場人物を配しているため、艦内の人間関係(階級間の確執(!)まで含めて)というものが把握し易かったですね。
 
なかでも、若手を仕切る立場に居て日々頑張っている海曹。
トップに立つワケではないけれど、でもこの人が居なければ艦が動かない(現場が廻らない)という、言わば陰のリーダー。(どの社会にも居ますよね。 こういう立場の人)
その海曹(それも、人生いろいろあってお疲れ気味の中年男)が、主人公(の一人)を務めるって設定が良かった。
「終戦のローレライ」の時は絹見艦長に入れ込んで読んだ私ですけれど、この「亡国のイージス」では専ら仙石(先任伍長)に感情移入して読み進めました。
 
最新の設備を備え、海自の精鋭たちが乗り組んだ護衛艦が、某国工作員に乗っ取られてしまったり、あるいは一瞬の判断の迷いから味方があっけなくヤラレてしまったりと、かなり大胆かつ衝撃的な展開!
序盤はゆるいテンポながら、一旦ストーリーが進み始めれば、もう止まりません!
それに、登場人物がその心情を熱く物語る描写も多々あって、この辺りは福井晴敏さんならではって気がします。
こういった要素諸々が、後に「終戦のローレライ」へと生かされてゆくわけですね。
 
 
  
   終戦のローレライ    福井晴敏 著  (2002年)
 
 

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October 23, 2014

NHK大河「新選組!」

 
 
NHK大河ドラマ「新選組!」
 
 
  脚本:三谷幸喜
  放送:2004年
 
  
 
2004年のNHK大河ドラマ「新選組!」
歴代の大河ドラマ中、取り分け高い人気を誇る名作ですけれど、私は放送された当事に何話かを見たのみで、ほとんど未見と言って差し支えのない状態です。
その「新選組!」のレンタルビデオを、このところ、せっせと借りて来ては(今頃になって!)次々鑑賞しています。

ことテレビ・ドラマに限らず、作品というものは、それが造られた時代の空気の中に居て味わうのが一番かと想います。
この「新選組!」にしても、ですからあの当時きちんと観ておかなかったことが、我ながら口惜しい限り。 やんぬるかな。

でもね。 2004年に放映され、高い評価を得ていたドラマを、2014年の今、改めてその全編を視聴する。 これはこれで、放送当事にリアルタイムで見るのとはまた別の面白さがあるんです。
なんたって私には、ここに登場する俳優さんたちの<それからの十年>が判っていますから。

現在、ドラマの序章にあたる部分まで観終えたところです。
江戸~多摩で剣術(天然理心流)を教えていた近藤勇と、その盟友土方歳三の下に、後に新選組の中核となるメンバーが結集。
浪士組に参加して勇躍京へと旅立ちます。

時代劇と言う、長年に渡って練りこまれ、完成され尽くしたドラマ・フォーマットの中にあって、三谷幸喜さんの脚本は、所々、ここぞ!というところで定型的な表現からズラして来ます。 言わば、変化球ですね。
台詞や演出のセンス、人物の行動(思考)様式などについて、時代劇というよりはむしろ現代よりに振って来て、それがとってもエキサイティング(あるいはコミカル)なんです。
<新選組もの>と言えば、見る側(の大部分)が、あらかじめそのストーリーを心得ていますから、こういった変化球を投げ込みやすいってことは、あるんでしょうね。

ともかく、放送から十年を経ている今見ても(俳優さんのお歳の外は)時の経過を感じさせられない、とっても面白いドラマです。

        ▽▲▽▲▽▲
 
以下は、ここまで観てきて、とりわけ印象に残ったキャストについて、覚え書き風に・・・・
 
 
・近藤勇 (香取慎吾)
この年の大河ドラマ自体が SMAP のメンバー、すなわちアイドルを主人公に起用して、一体どれだけのものが造れるかっていうチャレンジ企画みたいなものだったのではないでしょうか。

台詞まわしや演技など、流石にイマイチの感あり。 殺陣に至っては壊滅的(!)ですけれど、そうは言っても屈託の無い爽やかスマイル。 そしてスタイルや所作のカッコ良さなど、流石は現役のアイドル!

本作での近藤勇は、元来これと言ったポリシーを持たぬ男として描かれます。
来る者は誰であれ拒まず。 細かいことは気にしない。 そしてなにより無類の善人。
(この辺は、アイドル・香取慎吾その人と重なって見えて来ます)
こういう男だからこそ、その周囲に、後に新選組の中核となる、名だたる剣客らが集まって来るというワケ。 これはこれで、中々説得力がありますね。

但し、香取慎吾さん本人は、このドラマの後、俳優として伸びたかというと、クエスチョンマークですね。 やはり「新選組!」と言う、稀有なドラマの中にあってこその 香取慎吾 = 近藤勇 でした。
 
 
・土方歳三 (山本耕史)
土方を演じた山本耕史さんは、このドラマの後(今や貴重な)時代劇スターの座を掴みました。 まずは順当な躍進ぶりですね。

大河ドラマ「新選組!」の土方歳三は、幕末という動乱の時代にあって、新選組という史上稀な武士団を一から創り上げてみせた、辣腕プロデューサーという位置づけのようです。
新選組、そして局長・近藤勇も、彼の作品であった。 司馬遼太郎の新選組ものも、確かこのような解釈でしたね。

ところで歳さん。 嫌な相手(山南さんとか!)を前にすると、露骨に顔に出るんだよね~。 無論こういうのは、後々への伏線なんでしょうけれど。
 
 
・沖田総司 (藤原竜也)
数々の映画/ドラマで活躍し、その怪演で話題の藤原竜也さん。
放送の当時、数話でのみ目にしていた私ですけれど、その才能に気付きもしませんでした。
なんとも頼りない視聴者の私ですけれど、今になって、よくよく注目して観てみて、漸くスゴイ人って判りました。
 
 
・山南敬助 (堺雅人)
後の半沢直樹でありますね。
「新選組!」の若手キャスト陣の中にあって、文句なしの出世頭でしょう。
毎回、この人が顔を出す度にオッ!と想います。
それだけ求心力/オーラを感じるからなんですけれど、放送の当事はそこまで傑出したものを感じ取れなかったんだから、人間(というかワタクシ)の感受性ってのは、なんともいい加減なものですな。
 
 
・芹沢鴨 (佐藤浩市)
この人こそ順当な配役でしょう。
というか、このドラマ中もっとも妥当なキャスティング。
この人だけ、明らかに他とは温度感が異なっていますね。 冷ぇ~。
でもその異質感が(どこか不思議な)可笑しさへとつながってゆくあたりが三谷脚本の凄さ。
 
 
滝本捨助 (中村獅童)
捨助というのは、なにかと主人公に絡んでくる、ウザい(!)粘着キャラ。
専らコワモテで売っている現在では、もはや再現は出来ないキャラでしょうから、貴重ですよね。
役者本人にとしても(このドラマの後)捨て去ったキャラなワケで、まさに捨助。
 
 
・藤堂平助 (中村勘太郎)
私など、藤堂平助と言うと司馬遼太郎さんの新選組ものから、裏表のない爽やかな男、体育会系快男児といった印象が強いんですけれど、それがここでは、ちょっと頼りない茫洋としたキャラで来ましたか。
 
 
・原田左之助 (山本太郎)
超マイペースでハイテンションの左之助は正にはまり役。
後々になって、演じていた役者当人が(左之助以上に)もっともっとハイテンションで、その上お騒がせな奴であったということが判明するワケですね。
 
 
・永倉新八 (山口智充)
ここはシリアスに徹し、ギャグを封印してきました。
なんでも出来て、それが一々様になる。 さすがは芸達者。
 
 
・斎藤一 (オダギリジョー)
まずは順当な配役でしょう。
凄腕で、ちょっとヘンな奴。
こういう、印象的だが掴みどころの無い男の役とくれば、やっぱりオダギリジョーです。
 
 
・井上源三郎 (小林隆)
柔和な笑顔にソフトな物腰。
その源さんが、いざとなれば隙の無い武芸者モードへと瞬時に切り替わる。 そこのところがカッコイイんです。
山南さんからは、道場の使用人と勘違いされたこともあったけれど、歴とした門人であります。
 
 
・近藤周助(のちに周斎) (田中邦衛)
老境に入った田中邦衛さん。 その、余分な力の抜けた訥々とした演技/台詞回しは、落語の名人上手が語る長屋の住人そのものですよ。
只々可笑しさが込み上げて参ります。
 
 
・近藤ふで (野際陽子)
安定の鬼姑役。
 
 
・佐藤彦五郎 (小日向文世)
お調子者で、KYで、だけれど好人物。
その達者な演技に、もう惚れ惚れとしちゃいます。
この他、勇や歳三の親戚たち、多摩のご一党はいずれも芸達者なり。
 
 
・沖田みつ (沢口靖子)
沖田総司の姉で、主人公の密かな想い人。 翳りの無い、明るく前向きな性格。 それから、声がやたらとデカイ!
私が想うに沢口さんは、これまで私が他のドラマで見て来たような、品の良さ、頭の良さや、怜悧さとかではない、こういう、おきゃんなキャラが好いですね。
みつ役は、これまで見て来た中のベスト沢口です。
沢口靖子に、こういう起用方法があったとは! まったく驚かされました。
 
 
・桂小五郎 (石黒賢)
近藤勇らに相対する大人たちの代表、といった位置付け。
如何にも実力者然としたこの人が、(未だ何者でもない)近藤のことを高く買っています。
こういう存在の居るお陰で、一見して無謀な(!)近藤勇=香取慎吾のキャスティングにも、真実味が沸いてくるんですね。
 
  
・坂本龍馬 (江口洋介)
未だ世に出る前。 な~んも考えてなかった頃の坂本竜馬です。
でもスケールの大きさだけはあって、人間的魅力/器の大きさを感じさせられます。
これは、いつもの江口洋介ですよ。(笑)
但しこの竜馬は にゃ~にゃ~ 言う。
  
 

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October 06, 2014

チョコレート中毒

 
 
暫く前のこと、我が家の押入れの奥から、それはそれは旧~い一眼レフのカメラを発掘しました。 それも複数台。
はい、いずれも今主流のデジカメではなく、昔ながらの、35mmフィルムを入れて使う方式の一眼レフ・カメラです。
生憎と保存状態が悪く、ほぼジャンク品(!)としか言いようのない代物ではあるものの、その内の幾つかについては、全然使えないってことはなさそうです。 なにしろシャッターが切れましたから。(爆)

でも、ファインダーを覗いたら、しっかり黴が生えてました。(やっぱりね)
では露出計はどうかな、と試したら・・・・案の定電池切れです。 長年使っていなかったんだから、無理もありませんね。

早速、百円ショップに走りまして、ボタン電池を買い求め(規格にあったものを置いていないため、相当品(!)ですけれど)まして、カメラに入れようとしたんですけれど、これが上手く収まりません。
形状が少し異なっていたり、接点が劣化していたりして、ちゃんと接触しないんですね。
そこで、隙間にチョコレートの銀紙を詰め込んでやることにしました。
 
と言うわけで(今度は)近所のスーパーへと走り(銀紙を確保する、只それだけの為に!)板チョコを買い求めました。
それにしても、最近は銀紙で包んだ、オーソドックスな板チョコレートって少数派なんでしょうかね。 (メーカー/製品の)選択肢は思いの外少なかったです。
ともあれ銀紙を手に入れまして、電池の接点が復活! 露出計も動くようになりました。
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
こうしてカメラの電池問題は解決、と。
後に残った中身のチョコレートは・・・・その場でむしゃむしゃと喰ったわけですけれど、これが、実にウマかった!
チョコレートって、こんなに美味しかったっけ?

すっかりハマってしまって、以来、時々買い求めて食べずにはいられなくなっています。
ちなみに、断然ブラックチョコレート派です。
ミルクチョコレート? あちらさんはニガ手ですね。
ブラックの板チョコの、銀紙を少しずつ剥きながらカジるのが最高!
とはいえ、このところ、いささか喰い過ぎの感があります。 そろそろ自重したいと想っているんですけれど、一向に飽きが来ないんですよね。(悩)
 
 

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October 01, 2014

映画:ゴジラ(1954年版)

 
 
ゴジラ
Godzilla
 
 
 監督:本多猪四郎
     円谷英二
 音楽:伊福部昭
 出演:宝田明 (尾形)
     河内桃子(山根恵美子)
     平田昭彦(芹沢博士)
     志村喬 (山根博士)
 
 
       日本   1954年
 
 
 
 6
 
 
 
公開中のハリウッド製ゴジラ映画が大評判のようですね。
そちらについては未見なんですけれど、私としてはこの際、原点たるファースト・ゴジラの方を確かめておきたくなって、1954年公開の国産「ゴジラ」を観賞しました。 ご存知、元祖怪獣映画です。 
        ▽▲▽▲▽▲
 
戦後の混乱期を経て、高度成長期へ突入しようという頃の日本。
ここに、三人の若い男女が居りまして。
 
※ 芹沢博士(平田昭彦)
少壮気鋭の科学者として、碩学の老博士・山根(志村喬)に私淑。
その将来を嘱望され、博士の愛娘・恵美子とも親しかったものの、戦争で負傷したことが総てを変えてしまいました。
娘に対して距離をおくようになり、地下の研究室で独り研究に没頭する内、原水爆に匹敵する程の破壊力を持つ究極兵器を(偶然に)発明してしまいます。
 
※ 山根恵美子(河内桃子)
山根博士の令嬢。
芹沢とは幼い頃より親しく、このまま順当にゆけば結婚へと進んだのでしょう。
が、研究室に篭もってしまった芹沢と疎遠になる中で、若々しく健康そのものの尾形と出会います。
風にも耐えぬ風情の楚々とした美人。
 
※ 尾形(宝田明)
若いサルベージ技術者。
単純明快にして明朗闊達な海の男。 恵美子との仲は、あとひと押しというところまで来ている模様です。
 
この映画、のっけから男女三人の煮詰まった関係が提示され、視る者をして戸惑わせる仕掛けとなっています。
これが、例えば、一般的なドラマの展開であれば、まずは戦争で心身に傷を負った芹沢が、それまで親しかった恵美子を遠ざける。 その恵美子は、やがて若く健康そのものの尾形と出会う。 二人は次第に親密になってゆく。 といった過程が描かれると想うのですけれど。
それがこの映画の場合、その辺りがそっくりカットされているんですね。
ですから視聴者は、現在の三人各々の立ち位置。 そのいささかイビツな形から、ことここに至るまでの道筋/相関図を理解せざるを得ないわけです。
 
さて、この映画は何故かように(観る側を煙に巻くような)唐突なはじまり方をするのか?
戦争によって人生を狂わされた芹沢博士は、戦争の陰を引きずって生きてゆく他ない男です。
科学者として、続々と造られる原水爆の脅威についても看過出来ません。(その当人が新たな究極兵器を、図らずも発明してしまったという皮肉)
一方、戦争と関わっていない尾形青年は、高景気の到来に沸く日本の将来だけにしか視野が及ばず、(戦争というものを知らぬ故の)至極楽観的な人生観の持ち主と言えます。
 
一見して戦争とは関係の無さそうなこの映画ですけれど、戦前・戦中派と戦後派の価値観の対立を描こうとしている。 戦後十年にして早くも忘れ去られようとしている戦災の記憶を、今一度想い起こさせ、警鐘を鳴らそうという意図があるのでは・・・・なんて、私は考えていますけれど。 映画を見終わった今も、結論は出せないままです。
 
当事、俳優としてキャリアの出発点に居た宝田明さんのフレッシュさ。
後々の、粋で品のあるおじさん役しか知らない私にとって、まったくの驚きでした。
 
平田昭彦さんの、苦悩する科学者像。 映画の後、博士役ならば平田昭彦、というのがお定まりとなりましたね。
 
己の信念を貫く古生物学者を好演する志村喬さん(おそらくは「七人の侍」に出演した直後でしょうか)は、その圧倒的な存在感がドラマ全体に重みを与えています。
 
そしてなにより、ヒロイン河内桃子さんの綺麗なこと。
その清楚で品のある立ち居ふるまい、スレンダーな容姿は、現代の審美眼にも十二分に堪え得ますね。 実を申せば、この映画でもっとも目を見張らされたのが、この女優さんの魅力でした(おい)。
 
  
 
Photo
 
 
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
怪獣映画の話をしようとしていたのでした。
 
なにせ黎明期の特撮です。 ゴジラの撮影には、さぞや苦労があったろうと想像できます。(当事、撮影ノウハウの蓄積がどれほどあったか、私は知りません)
ともあれ、大怪獣の姿をフィルムに収めるにあたって、様々な演出/アイデアが試されており、その一々に感心させられました。

鳥小屋越しに望むゴジラ。 トロリーバスの架線越しに見上げるゴジラ。 国鉄の操車場に踏み入るゴジラ。 実況放送中の電波塔に迫るゴジラ、などなど。 本邦初の怪獣映画を世に問うにあたって、造り手側の、ああも見せたい、こうもやってみたい、そんなチャレンジ精神が伝わって来るんです。

なにより、この1954年版「ゴジラ」で暴れまわる初代ゴジラ。 まったく持って凶悪無比な存在であります。
ゴジラの通り過ぎた後は、文字通りの瓦礫の山、そして死屍累々。(モノクロの画面と相まって、往時の記録映像かと見紛うほどのリアルさです)
大戦時の大空襲を髣髴とさせる暴れ廻りっぷりからは、ゴジラ = 戦禍 というイメージの重なりがハッキリと感じられます。
映画の公開時は、観客の多くに空襲/戦災の記憶が鮮烈に残っていたことでしょう。 こう造るしか、なかったんでしょうね。

それから祈り。
人類にはまるで歯の立たない、圧倒的な災厄の通り過ぎた後、人々は只々祈る他ありませんでした。
その後、陸続と造られた怪獣映画に、このように厳かなシーンがあったでしょうか。
この初代ゴジラ、映画史上、唯一無二の存在と言えるかと想います。
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
それにしても、哀れなのは芹沢博士です。
彼は、その怖ろしい発明の秘密を、愛する恵美子に明かすことで、対ゴジラ兵器として活用するべきか否かの判断を、戦後派の二人に託します。
 
芹沢の発明を使用すれば、人類にとっての新たな脅威、ゴジラを退治することが出来る。 そして(人類にとってあまりにも危険な)発明の秘密を消し去ることが出来、同時に恋敵である芹沢も・・・・
 
この筋書き(芹沢の発明を、対ゴジラ兵器として使用する)は、戦後派の若い二人にとってみれば、ある意味、まことに都合のよい(!)話しなわけです。
しかしながら、この行為は、あるいは芹沢からの、遠まわしな意趣返しだったのかもしれない・・・・なんて、未だあれこれと想いふけっている私です。
 
 

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