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August 31, 2011

生協の白石さん

  
 
生協の白石さん
Shiraishisan working in the COOP
 
 
   白石昌則、
   東京農工大学の学生の皆さん

      2005年   講談社
 
 

何気に一杯イッパイな日々の続いている私です。(溜息)
流行った当時ついつい読みそびれていたこの本を読んで、ノホホンって気分になりました。

        ▽▲▽▲▽▲

東京農工大学の生協で、組合員(つまり大学生)からの要望や質問に回答する「ひとことカード」。
本書は生協職員である白石さんと学生諸氏との、「ひとことカード」を通した軽妙なやりとりをまとめた一冊です。
大学の構内限定のやり取りは、最初ネットに広まって、次第に話題を博し、こうして本にまでなりました。
私も、あの当時ネットで見た覚えが・・・・但し、本家(?)の「がんばれ生協の白石さん」ではなしに、他のサイトでちらと覗いただけですけれど。(それでも十分面白うございました)
 
 
 
<生協への質問・意見・要望>
「宇宙に
行きたいです。」
 
<生協からのお答え>
「大学生らしいスケールの大きな志、素晴らしいです。
私など今度の休みに予定している四国旅行が楽しみで仕方ありません。 いつからこんなに小さくまとまってしまったのか嘆くばかりです。
実は当生協カウンターにて旅行の申し込みも受付しています。 宇宙への夢がはかなくも破れ、傷心状態となりましたら、是非とも地球のツアーを当店にてお申込み下さい。」
 
 
 
不肖、学校を卒業してあまりに長い時間が経ってしまっています。
ですからキャンパスの雰囲気などというものは、もはやイメージし難いのですけれど。
それでも、読みながら想いを馳せたのは去年の秋、資格試験の為に足を運んだ地元某大学のキャンパスです。
白石さんの(当時)奉職された東京農工大も、きっとこんな感じ・・・・なんて想い描きつつ読んでみました。
 
 
 
<生協への質問・意見・要望>
「愛は売っていないのですか・・・?」
 
<生協からのお答え>
「どうやら、愛は非売品のようです。
もし、どこかで販売していたとしたら、それは何かの罠かと思われます。
くれぐれもご注意ください。」
 
 
 
「ひとことカード」に寄せられるのは生協の取扱商品に対するリクエストから、とんとイミフな質問、果ては人生相談まで。
その一つ一つに対して真摯に回答する白石さんのオモシロ真面目さ。
型通りのリクエストから、どんなに人を食った質問・・・・変化球でも鮮やかに打ち返してみせます。
それでいて生協の一職員の立場から決して食み出さない大人のスタンス。(これが背景にあるから、やりとりも可笑しいんだね)
 
 
 
<生協への質問・意見・要望>
「もういやだ
死にたい」
 
<生協からのお答え>
「生協という字は「生きる」「協力する」という字を使います。 だからといって、何がどうだという事もございません。 このように、人間は他人の死に関し、呆れる程、無力で無関心なものです。
本人にとっては深刻な問題なのに、なんだか悔しいじゃないですか。  生き続けて、見返しましょう!」
 
 
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
さて、こうして立派な本になった白石さんの「ひとことカード」は、以前にネットで読んだ時と比べて、少し印象が異なります。
鮮度が落ちたっていうか。
無論、書いてある文章は同じ。 そこに違いはないのだけれど、体温が伝わってこないとでもいうのか・・・・温度感/距離感がどこか違う気がしますね。
本としての体裁を取った途端に、少し余所よそしいカンジが付きまとうようで。

最初ネットで見付けた頃に感じたワクワク感。 これまで見たこともない、とってもオモシロイものに出くわしたという感動が、本という体裁をとることで、大分薄れてしまうようです。

随所に差し挟まれる解説/裏話(?)「白石さんからの言葉」は、私は余分であったと想いますね。
そこには白石さんその人の人格/イメージがクッキリと現れているため、「ひとことカード」のやりとりのみで成立していた面白さをかえって削いでしまっていると想うのです。
白石さんには一言カードの人に徹して欲しかったカナと。

まして組合理事氏によるご挨拶に及んでは野暮の極み。 こういうのは編集者の意向なんでしょうか? だとしたらこれはマイナス効果。 そもそも読者は特段ブームの真相とかヒットのメカニズムとかを知りたいんじゃあないワケで。

        ▽▲▽▲▽▲

本書に登場するキャンパス風景は2004年当時のもの。
全体的に、今より余程ノンビリしていそうですね。
読んでいてホッコリとしました。

中には就職に関するお悩み相談などもありますけれど、未だそう切迫感はみられないですし。
それに比べて当今の就職事情・・・・
一杯イッパイなのは、俺だけじゃあないよな! そう想い至って我に返りました。
 
 

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August 28, 2011

習志野シティフィル第52回定期

 
 
習志野シティフィルハーモニック 第52回定期演奏会
 
 
  2011年8月21日 (日曜日)
    習志野文化ホール
      14:00開演
 
    演奏:習志野シティフィルハーモニック
 
 
 
        指揮:田久保裕一
 
  G.ヴェルディ:
     歌劇「ナブッコ」序曲
 
  G.ボッテシーニ/小室昌広編曲:
     コントラバスとクラリネットのための二重奏曲
           クラリネット:友永信吾
           コントラバス:小室昌広
 
  W.A.モーツァルト:
     歌劇「後宮よりの逃走」序曲
 
  小室昌広:
     コントラバス協奏曲
      「この美しい御手のために」 の旋律に基づくモーツァルト風協奏曲
        ~ コントラバスとオーケストラの為の ~
           コントラバス:小室昌広
 
 
        ▽▲▽▲ 休憩 ▲▽▲▽
 
 
        指揮:小室昌広
 
  小室昌広:
     映画音楽メドレー
        「カレイド・スクリーン」 (1989年版)

  I.F.ストラビンスキー:
     バレエ組曲 「火の鳥」 (1919年版)
 
 
 
 
先日、習志野シティフィルハーモニックの第52回定期演奏会がありました。
前回、第51回定期演奏会は3・11の震災直後のこととて、開催の直前になって中止の英断がなされたのでしたね。
ですから今度のは久々のステージ。 場所はいつもの習志野文化ホールでした。
 
         ▽▲▽▲▽▲ 
 
ヴェルディの「ナブッコ」序曲。
はい、ご案内の通り、指揮者がいつものヒトとは違いますね。
のっけから想い切りの好い鳴らしっぷりのナブッコでした。
指揮って不思議なもので、棒振りが替わることで、こうも響きの変わるものかと実感させられます。
闊達で、ドライブ感がある音の流れ。 根っから明るい陽性、動の音楽造りと知れます。

途中現れる「金色の翼~」の旋律は、これこそは大震災後の日本、災厄を乗り越えてゆかねばならぬ時代に相応しい音楽じゃありませんか。 陰鬱な暗雲を突き抜け、やがて青空に。
コンサートの劈頭を飾るに相応しい序曲でした。
 
 
 
ボッテシーニ/小室「コントラバスとクラリネットのための二重奏曲」。
ソロ楽器の組み合わせとして、コントラバスとクラリネットというのは、随分とまた異色の組み合わせですよね。
作曲者はヴェルディと同時代のコントラバスの名手(今ぐぐった!)。 なるほど、そうであれば、この楽器の旨味を知り尽くしているのも当然か。

このオケを知る人には今更ご紹介するまでもなく、ソリストは団内から。
オケ内に名手が揃うと、斯様なユニークな企画が実現するんですね。
 
 
 
「後宮よりの逃走」序曲。
異国への憧れってありますね。
モーツァルト時代のヨーロッパにあってはオスマン帝国。 爛熟期のトルコ・イスラム文化がその対象だったりする。
オペラの方は、そのトルコが舞台。
打楽器も賑々しい、陽性の歌舞音曲。
 
 
 
コントラバス協奏曲。
コントラバス奏者による、コントラバス奏者のためのコンチェルトはモーツァルトの楽曲がベース。
なので、聴き覚えのある旋律が入れ替わり立ち代り登場して愉しいことこの上なし、です。

コントラバス(それからチェロも、ですね)のように縦に構える弦楽器の場合、弦を押さえる左手の位置は、奏でる音が高くなるほど、ネック上のより低い位置に移動させることになります。
出したい音の<高さ>と、棹上で弦を押さえる<高さ>が、相反する関係にあるのですね。 言葉の綾ですけれど。
ですから合奏の練習やらレッスンの場などで、<もっと高く>と指示された時は、左手を今より<もっと低い>位置に移動させねばならなりません。(この件、慣れるまでは結構手を焼きました)

この日のコントラバス協奏曲では、ソロ楽器の旋律が想いっ切り<高い>音程へと駆け上がるシーンが再三再四見られました。
即ち、奏者は大きな楽器の背後から覆い被さるようにして、想いっ切り<低い>位置へと左手を差し伸べます。 超絶技巧なるかな。

しかしながら、惜しむらくはこのホール、音響的にいまひとつなところがあります。 客席最後部に座った場合、独奏楽器の音が充分には届いて来ないんですね。
取り分け、独奏者がコンバスに覆い被さった時などそれが顕著に。 すなわち高音域になるほど、音が霞みがちになってしまって。(無論のこと、そんな場所に席を取った自分の責任なわけですけれど) もっと前に座っておけばと後悔しています。
 
 
        ▽▲▽▲ 休憩 ▲▽▲▽
 
 
「カレイド・スクリーン」(1989年版)
映画音楽のメドレー。 いろんな映画音楽が入れ替わり立ち代り現れては、やがてお次と取って代わるところがミソです。
但し書きに1989年版とあるのを見て合点のゆくのは、ちょっと懐かしい選曲/編曲なんだというところ。 もし今造ったならば、きっともっと違う内容になるのでしょうね。
次の映画音楽へと切り替わるプロセスが、凝った造りになっています。
 
 
 
「火の鳥」。
「カレイド・スクリーン」の後、オケはステージから引っ込まず。 そのまま「火の鳥」の演奏が始まりました。
今さっき映画音楽メドレーを弾いたそのカラダで、休憩もなしにすぐさまこの大曲ですよ!
これはもう、気力/体力的に大変なボリュームであります。
「ご苦労さまです」としか言葉が見つかりません。 (なんという他人事発言!)
ストラヴィンスキーのバレエ音楽。 激しい、爆発的な部分がクローズアップされがちですけれど、でもそれよりも、弱音のナヨヤカな箇所にこそ惹かれますね。 弛緩せずにお終いまで。
 
 
 
お終いにアンコール「この道」。
なんだかこのオケの、いつものアンコールとは雰囲気が違うではないですか。 (以前は「ハンガリー舞曲」とか、やってましたね)
管楽器メンバーが客席をぐるりと取り囲むような形へと、大胆に配置換えしての演奏効果も興味深かったですけれど、それよりも私には、総奏する弦楽器陣の渋い、底光りのする響きが何より聴きものでございました。
余韻の残るアンコール。 お疲れさまでした。
指揮者の持ち味、ソリストの個性などハッキリと現れて、倍愉しめるコンサートでした。
 
 
        ▽▲▽▲▽▲
 
と言うわけで私は、今回も(また)客席の人でした。
いろいろとあって、この日は会場へ聴きに来る事さえ儘ならないものと、以前からそういう積もりで居たのですけれど、でも結局のところ午後になって体が空いて、こうして会場へ聴きに来ることが出来ました。
こうなることが、もっと以前から判っていれば・・・・・とか想わないでもないのですけれど、でもこのところ毎週末、身動きがとれないでいましたからね。 私としては今度の演奏会、これ(客席詰め)が妥当な選択であったかと。

でもね。 まだまだ、マダマダの筈。
まだまだここ暫くは、一杯イッパイな日々の続くであろうヤツガレなんであります。
 
 
 
 
 習志野シティフィル第42回定期演奏会
 
 習志野シティフィル第45回定期演奏会
 
 習志野シティフィル第46回定期演奏会
 
 習志野シティフィル第47回定期演奏会
 
 習志野シティフィル第48回定期演奏会
 
 習志野シティフィル第49回定期演奏会
 
 習志野シティフィル第50回定期演奏会
 
 習志野シティフィル第51回定期演奏会
 
 

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August 18, 2011

空白の一時間(悩)

 
 
恥ずかしながら遅刻をしてしまいました。
って、こんなの滅多にないことなんですよ。(ホントだよ)
こう見えて、勤怠は至って良い方であります。

判らないのは、今朝は予定通りの時間に起床したにも関わらず、職場に入るのが計画よりも一時間ばかり遅れてしまったこと。
通勤途上の電車内、寝ぼけマナコで時計を確認したら、とうに職場へ着いている筈の時刻だったんですわ! (パッと目が覚めたのは、言うまでもありません)

起床してから通勤電車に乗り込むまでの何処かで、一時間ばかりロスしたってことになりますけれど、その間ワタシは何をやっていたのか?!
朝の支度、一連の工程の中で普段と違う何事かがあったのか? 空白の一時間に一体何をしていたのかが、我ながら判然としないんです。(悩)
え~、大方寝惚けてボンヤリ時間を潰してたんでしょうって? そ、そうかも。(汗)

あるいは、昨夜の暑さのため・・・・あんまり寝苦しいんで、一杯ひっかけた勢いで寝ようとしたのがマズかったか。(「一杯」ってのは言葉のアヤでありますが)
とりあえず、今夜はしらふで寝ることにします、はい。
 
 

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August 17, 2011

ファインディング・ニモ

 
 
ファインディング・ニモ
Finding Nemo
 
 
 監督:アンドリュー・スタントン
     リー・アンクリッチ
 
      2003年  アメリカ
 
 
 
あんまり暑いんで、涼しげな水もの映画でもひとつ。

人間に連れ去られた我が子を救うべく大海原を旅するカクレクマノミのマーリンと、その息子ニモの冒険物語!
2003年公開のフルCGアニメです。

お魚の世界を擬人化したお話し(物語り、マンガ/アニメ)とくれば、古今東西枚挙にいとまのないところですけれど、この映画は3次元コンピュータグラフィックスを駆使して、極めて上質のアニメに仕上げているところが画期的です。
とは言え日々進化を続けているCGの世界。 2003年の映像を今見て果たしてどうか、なんて少し案じたのですけれど・・・・まったくの杞憂に終わりました。

        ▽▲▽▲▽▲

なにしろフルCGの映像が綺麗なんです。 ホント、溜め息が出るくらい!

オーストラリアの珊瑚礁、その海中は極彩色で生き物たちの楽園。 アッチの人は海の中 ~ お魚の世界っていうとこんな、熱帯魚ショップの水槽の中みたいなイメージなんですかねぇ。 とにかく綺麗で、見飽きるってことがありません。

海上から差し込む光線の揺らぎ。 海水のたゆたい。 泡の躍動。 波の動きにつれ、揺れ動く海草。 海面の煌めきは、文字通りの金波銀波です。
ともあれ、CG化によって得られた海中(海上/空中/陸上も含め)シーンの、実写と見まごうばかりのリアル描写!

それから演出の巧みさ。
アイデア天こ盛りにして、これでもかこれでもかと、手を換え品を換え次々現れるシーンの愉しさ!
素人故、好くは判らないのですけれど、CGを存分に使いこなした結果としての、スピード感溢れる演出かと想います。

好いものは、古臭くはならない。 これ真理也、ですね。

        ▽▲▽▲▽▲

海中の描写は溜め息が出るくらい綺麗ですけれど、その代わり危険もイッパイ。
我が子に世の中(海中)の危険さを教える父。 その用心深い、守りの姿勢に反発する恐れ知らず/世間知らずの息子・・・・という、これは陸の(人間の)ドラマにも共通するテーマですよね。

CGによる描画がリアルなだけに、あわや大きな魚に喰われそうに、というシーンは本当にコワイです!
一瞬の油断もならない生存競争の世界。 子供向け/ファミリー向け映画ながら、なかなかシビアな世界観をもった作品です。

主人公のマーリン、ニモ親子はカクレクマノミ。 生態系の中にあっては捕食される側です。
こういった弱肉強食の設定は、動物を主人公としたドラマとしては珍しくもないですけれど、但しこの映画ではそれが想いっきりシビアなことに。
マーリンとその仲間たちは、終始徹底して<喰われる側>として描かれます。

        ▽▲▽▲▽▲

珊瑚礁に棲む一尾の小魚が、シドニーの歯科医院に置かれた水槽で飼われている我が子を救い出すという、ある意味気宇壮大なストーリー。

登場するキャラや背景がデフォルメされ切った(昔ながらの)アニメ/マンガ映画ならば、画面の中で何が起ころうと、そう驚きゃしませんけれど、でも背景の描写や演出が(時に実写とみがまうばかりに)リアルなだけに、その救出行は途方もない、絶対実現不可能な難事業と想えて来るわけですね。
そんな不可能を可能にしてしまう原動力は、父の意思と行動力、そして息子の(父親譲りの)頑張り。
弱いもの(捕食される側)同士が力を結集して、難事業を成し遂げてしまう痛快さ!

アニメ、お魚のマンガと想ってノンビリ構えずに観ていたのが、いつしかマジに入れこんでしまい、ワクワクして見入っている自分が居ました。 ヴィジュアル的にはもちろん、ストーリー的にも十分堪能出来た映画であります。
 
 

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August 14, 2011

またまた月下美人

 
 
残暑お見舞い申し上げます。
暦の上では立秋を過ぎているとは言え、容赦なしに暑い日が続きますね。

私は今日、職場の同僚から「日焼けして真っ黒けになったねぇ」なんて言われました。
そうかもしれません。 まぁ連日の炎天の中、なにかと外に出る機会が多かったですから。
もとより、日焼けなんぞ気にするほどにツラではなし。

7・24以降、我が家ではテレビを受信しなくなっておりますけれど、職場では・・・・時々見てます。
折りしも地元習志野高校が甲子園で健闘しており、今日はその二回戦!
仕事の合間にチラ見(おい)してやろうと目論んでいたのが、気が付けば試合は終わっていましたとさ。 トホホ。
でも、これで二回戦突破ですよ!

▽▲▽▲▽▲

さて、連日にも増して蒸し暑く感じられる今宵。
私はまたまた、月下美人とこの夏二度目の逢瀬を果たして参りました。
先日のと同じ株が、また花を咲かせたんです。
(私が気の付いたのが二度目ということで、実際にはもっと何度も開花させているのやも知れません)

全体的に、前回ほどの華やぎはなかったでしょうか。 個々の花房も、幾分こじんまりとした感じでネ。
それでも月光と街灯とにホンノリ照らされ、この蒸し暑さのなか澄ましている月下美人。
楚々として見えて、その実したたかなバイタリティーの持ち主のようです。
 
 
 
    2010年夏 に咲いた 月下美人
    2011年夏 に咲いた 月下美人
 
 

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August 08, 2011

決定版 男たちの大和

 
  
決定版 男たちの大和
 
 
    辺見じゅん
 
      2004年 ※   角川春樹事務所
 
              (※ 男たちの大和 (初版) は 1984年 に出版されました)
 
 
 
太平洋戦争当時、帝国海軍にあって不沈戦艦と謳われた大和と、それに乗り込み、戦い抜いた男たちを描いたノンフィクションです。

著者は、執筆当時健在であった大和関係者を一人ひとり(その家族/遺族も含め)を捜し求め、入念なインタビューを敢行。
その中には戦後、大和に関して一切語ろうとしない、沈黙をポリシーとして来られた方もおられたそうで、その果敢な取材ぶりには著者のもの凄い情念を感じますね。

大和に乗り込んだ人々から得た証言(無論のことそれは、巨大な艦内にあって各々が配置されたポジションから見た、ピンポイントの視点によるものです)を繋ぎ合わせて、その誕生、艦内の暮らし、激しい訓練、戦闘と壮絶な最期。 そして沈没後の処理顛末から、生還した人々の戦後の人生までを描き切ります。

        ▽▲▽▲▽▲

当時世界最高の性能を誇った最精鋭艦といえども、兵に対する鉄拳制裁が日常茶飯事であったのは、他の帝国海軍軍艦となんら変わるところがなかったそうですね。

兵らにすれば、日々殴られてばかりの艦内。 それは訓練時/平常時よりも、臨戦態勢下の方がむしろホッとする(さすがに味方の兵を殴っている暇はないわけで)程と言います。
訓練して、殴られて、訓練して、殴られて・・・・の毎日が阿呆のように続いたのが、大和乗り組みの一兵卒の視点からみた太平洋戦争、とも。

さて戦局も逼迫した昭和20年4月、いよいよ大和にも最期の時が。
沖縄特攻作戦。 その戦闘の描写は凄惨の一語に尽きます。
不沈戦艦と言えどもやはり沈むものかと、誰しもが感慨したそうです。 わずか四年にも満たない就役でした。

そして、大和生存者とその家族の戦後。
長い鎮魂の日々は、これも一つの戦後昭和史です。(この部分に、全巻の四半分ものボリュームを割いています)

        ▽▲▽▲▽▲

苦労の絶えない水兵の日々ですが、中には反逆児(?)もいました。 艦内の横紙破り、内田兵曹の辿った数奇な運命。
その波乱万丈の生涯は、初版から二十年後に書き加えられた「決定版 文庫版あとがき」に至って完結をみます。
このエンディングには胸打たれました。 (だからして、この作品は必ず「決定版 文庫版あとがき」まで読むべし、と想います)

        ▽▲▽▲▽▲

本書は長編の上、登場人物が多く、また決して巧みと言い難い構成のため、いささか読み辛いものがありましたね。
けれども全編を通読することで、不沈戦艦と呼ばれた大和の実際と、それに関わった人々の人生(開戦前夜から戦中/戦後~現在まで)が浮かび上がります。 読み終えての感動は、かなりのものでした。

大和関係者の証言に共通しているのは、それぞれが大和に寄せる愛情。 海軍を代表するフネに乗り込み得たという誇りでした。
それは戦時中の階級を問わず・・・・上級士官クラスから、日々鉄拳制裁を喰らい続けた一兵卒まで等し並に、なのです。
 
 

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August 05, 2011

津田沼散歩・田喜野井にて入道雲を見上げる

 
 
ここ数日の当地は、今まさに夏真っ盛りってところです。
今年は、やけに遅いかなァ・・・・なンて案じていた蝉も、今を盛りと騒ぎ出しました。
そこいらを歩いていると、暑くって堪らんのですけれど、流れる汗にTシャツがみるみる染まってゆく様は、いっそ痛快な心持ち。
見上げれば、あちこちに入道雲が幾つも・・・・モリモリです。 スケール雄大なのであります。
遠くから、オドロオドロしく響いてくるのは遠雷。 ところどころに、黒雲も禍々しく。
そんな夏雲の仕業でしょうか。 かっと照りつけていたお天気がいきなりの雨。 それも叩きつけるような土砂降りが、来たかと想うとパッと止む。
まこと盛夏に相応しいお天気を保っております。

それでも絶えず微風があって、木陰にさえ入れば涼しい、というのがなによりです。
こういう小気味好いくらいに夏らしい夏、私はここしばらく味わわずにいた気がします。
 
 
 
_trm
   入道雲をバックに、田喜野井界隈から見上げたメンテ中の鉄塔。
   ブルーシートで覆ってあるのが、なんだか要塞染みたイカツサです。
 
 
 
今日私が暑い最中歩いて来たのは拙宅からは北東方向。 船橋市内、田喜野井(たきのい)方面です。
この辺りは閑静な住宅街が拡がっており、小さな雑木林が散在。(この時期は蝉で賑やか!) なかなか住み心地好さそうです。
特徴として、あちこちに高低差がありますな。
それも、フラットな平地が暫く続いたかと想うといきなりの急坂。 それを上りきると(あるいは下りきると)またフラットな平地が続く、という具合。 その坂になっている土地を中心に、樹木が繁茂しています。
このエリアは住宅街らしく小路が入り組んでおり、これまでお散歩コースに入れずに来たんですけれど、しかし、なかなか面白そうです。 今頃になって気付くと言うのもナンですけれど。
田喜野井の界隈、これからしばらく歩き廻ってみようかと想います。
 
 

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August 03, 2011

ヤマカシ

 
 
YAMAKASI ヤマカシ
YAMAKASI
 
 
  監督:アリエル・ゼトゥン
  製作:リュック・ベッソン
  脚本:リュック・ベッソン他
 
 
      2001年   フランス
 
 
 
 Yamakasi
 
 
リュック・ベッソンという人は、一体誰に向けてこの映画を造ったんでしょう?

パリに実在すると言います、ストリート・パフォーマンス集団「ヤマカシ」。
超人的な身体能力を駆使して徒手空拳、身一つで高いビルをみるみるよじ登って見せます。
リアル・スパイダーマン達ですな。
以下は実在のそれではなしに、あくまで映画の中の「ヤマカシ」について。

         ▽▲▽▲▽▲

「ヤマカシ」の面々。 見てくれはとってもイイんですよ。 実にもうファッショナブルで。
チームワークも上々だし、動きもキビキビとしてスピーディ。 見ていてまことに格好よろしい。

けれど主人公らの行動基準、というか道義心/規範がまるっきり子供のそれなんです。
富裕層や権力機構を相手に悪ふざけ。 それも独り善がりな分(映画的に)スマートさに欠けるし。 彼らに対してシンパシーとか、まるで感じられないですよ。
なにより、義賊を気取ってみせるあたりが、もうガキそのもの。 バカにも程ってものがあります。
このドラマ/登場人物らの、一体何処に共感すれば好いってのか?
ヤマカシ(やその協力者)の風采が立派で態度も堂々としているだけに、その分違和感も強烈です。

でもね。
ヤマカシと警察とが追っ駆けっこするアクション・シーンは凄いスピード感で、スリル満点なんですよ。 とにかく魅せます!
もう惚れ惚れしちゃうほどカッコいいし、もっと幾らでも見ていたい・・・・から困るんだよな、これが。

この映画、いっそのことフィルム・ノワールとかドロドロの青春映画などに仕立てれば、傑作になり得たのではないかと想います。
アクション・シーンのこれほどのクオリティ、いやもったいない。

「ヤマカシ」の、この独り善がりな悪ガキぶり。
リュック・ベッソンはわざとこんな設定にしたに違いない、確信犯的にやらかしてるって、絶対にそうだと、私はにらんでいます・・・・・けれど、その目指すところが理解出来ないんですよね。
視聴者層として、十代の若者限定の映画だったのか?・・・・にしては画面に漂う空気感が、大人向け映画のそれ。 無駄にハイクオリティなんですけれど。
アクション・シーンは最高。 けれどその他の面で徹底的なまでに共感し得ないという、なんとも困ったチャンな映画でありました。
 
 

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