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January 28, 2007

「徳川家康」第9巻 碧雲の巻

「徳川家康」 第9巻 碧雲の巻
         (山岡荘八著 講談社文庫)


さて本書こそは、山岡荘八が柴田勝家と言う男に捧げたレクイエムなり。
かつて、経営のバイブルと謳われた「徳川家康」。 ベストセラーの秘訣は、やはり、判りやすさ、メッセージの鋭さにあるのかと想う。 山岡版の勝家は、自らを時代遅れと知りつつも、最期まで意地を貫き通すしかなかった男の哀しさ、潔さを描き切る。


織田信長が本能寺に倒れ、三日天下の明智光秀を羽柴秀吉が討ち取った。
織田家中でも筆頭の位置にある柴田勝家と、今や破竹の勢いの羽柴秀吉。 もともと反りの合わなかったこの二人の対立は、主君の不在と供に、いよいよ表面化し始める。 なにしろ秀吉は、かつて主家の草履取り風情にすぎなかった新参者である。 勝家としては、たとえその実力を評価出来ても、その地位までは断じて認める訳にはいかないのである。

        ▽▲▽▲▽▲

本能寺の変で織田信長を討ち取った明智光秀だが、山崎の戦いで羽柴秀吉に破れてしまう。
ここでの秀吉は、単に主君の仇を討ったというだけではなしに、信長の後継者候補としていち早く名乗りをあげたようなものである。
その後の秀吉の行動は、正に疾風迅雷の如しであって、戦勝を祝う暇もなしに、すぐさま次の二の手三の手を打ってゆく。 信長の後継者レースは既に始まっていることを、そして勝ち残るために何をすべきかを、誰よりも好く心得えている秀吉であった。

一方、織田家中でトップの位置に立つ柴田勝家は、織田家の後継者を決める清洲会議は、当然のことながら自分が仕切るものと考えていたが、秀吉の巧みな采配により、チェアマンの座を持っていかれてしまう。 なにしろ秀吉と言う男は、こういうことを、おそろしく如才なしにやってのけるのである。

会議の始まる前から、一人でも多くの重臣を味方につけるべく、水面下で着々と運動を続け、勢力を広げて来た秀吉と、既得のポジションに胡坐をかいて、まったく危機感を抱いていなかった勝家。
時代の流れに附いてゆけない時と言うのは、大体こんなものなのかもしれない。 大丈夫、自分のやり方で間違いないと信じていたのが、シビアな現実に気づいた時には、もう、どうにもならなくなっている。

無為無策の勝家は、しかし清洲会議の後にお市の方を娶って束の間の春を迎える。 戦略的には然程の価値のないこの展開は、秀吉にとっては歓迎すべきところである。 とは言え、長年お市の方に懸想してきた秀吉としては、断腸の想いでもあったろうけれど。

        ▽▲▽▲▽▲

さて、この頃の家康はと言えば、地場固めに専心していたのである。
信長亡き今、天下取りに名乗りを上げる千載一遇のチャンス到来・・・・とは考えなかった。 いや、天下取りへの意思は、この頃既にあったものと想われるけれど、織田家中の熾烈な後継者争いから、ここは一歩身を退いておくべしと読んだのである。
家康は領地の経営に力を入れると共に、信長没後の混乱に揺れる甲府を手中に収め、旧武田家の武将達を自軍に吸収してゆく。
側室として鋳掛屋の後家、阿茶の局を迎える。

        ▽▲▽▲▽▲

信長の後継者争いのライバルを柴田勝家と見定め、額を寄せ策を巡らす秀吉と軍師黒田官兵衛。
織田家中で新参の秀吉が、信長の後継者の位置へと着くには、それに相応しい大義名分を造り上げる必要があったのである。 既に明智光秀を討って、仇討ちの手柄を上げた。 次の一手として、秀吉は主君信長の葬儀を取り仕切ることにする。 秀吉としては、こうやして徐々に勝家を刺激し、その立場を追い詰めてゆく必要があった。

        ▽▲▽▲▽▲

お市の方。
信長の死後、越前の柴田勝家のもとに嫁いだものの、前夫の浅井長政を忘れられず、勝家に打ち解けることが出来ないでいた。
故長政との間には三人の娘、茶々姫、高姫、達姫を設けており、その行く末をひたすらに案じる母である。 しかし、娘らは、そんな母を疎ましく想い始めており、それを知ったお市の方は激しいショックを受ける。 情緒的なお市の方に対して、理に聡い茶々姫。 この辺は、いつの時代にもありそうな母娘の関係か。

 「だってママはね、アナタたちの幸せだけを願って、
  こうして・・・・・」
 「はぁ?、それってママのエゴなんじゃないの?」

お市の方と言い、勝家と言い、その晩年には、どちらも孤独で辛い立場に追いやられてしまうのが哀れでならない。


そして、柴田勝家。
冬季は雪に閉ざされる越前北の庄にいて、より京に近い秀吉の動向が気になっていた。
明智光秀を山崎の合戦に屠って旭日昇天の勢いにある秀吉に対して、過去の栄光に縋るばかりの自分では、所詮適いっこないと言う意識が、この頃既に芽生えていて、だからといって、どうすることも出来ない苛立ちを振り払うことが出来ない。 しかし勝家には意地があり、その傍らには最愛のお市の方がいるのである。

勝家は、息子の柴田勝久をお市の方に遣わして、来る秀吉との決戦ではまず勝ち目の無いことを、そして、お市の方母娘には北の庄城から逃げ延びて欲しいことを諄々と説いて聴かせる。
そんな中で、これまで勝家に対して頑なであったお市の方の心が、次第にほぐれてゆくのである。 迫り来る破滅を意識しながら、北の庄の城には束の間の幸せがあった。
春になれば、この雪が解ければ、いよいよ最後の戦が始まる。

        ▽▲▽▲▽▲

越前を本拠とする勝家は、冬の間は雪に閉ざされて軍勢を動かすことが出来ない。
秀吉との決戦を避けられないものと知った勝家は、一縷の望みを託して前田利家、不破勝光、金森長近、養子の柴田勝豊らを和平の使者として秀吉の下に送り込んだ。
秀吉とは旧知の仲の前田利家は、なんとかして両者を和解させたいと願う。 ここに描かれる利家は、権謀術数とは無縁の、真っ正直な好漢である。
一方、柴田勝豊は、日頃から折り合いの好くない養父の勝家よりも、むしろ秀吉に人間的魅力、器の大きさを感じてしまい、懊悩する。
だが、どうにかして勝家を決戦の場に引っ張り出したい秀吉は、持ち前の老獪さを遺憾なく発揮して、一同をまんまと煙に巻いてしまう。

        ▽▲▽▲▽▲

賤ケ岳の戦。 秀吉VS勝家による、信長の後継者ポスト争奪戦である。
秀吉は例によって例の如く、十二分に勝利の確信できるだけの戦力を確保したうえで合戦の場に臨んだ。
更に、一旦、戦線を離れると見せ掛けて、血気にはやる勝家の甥、佐久間盛政が攻め寄せて来たところに、まさかの奇襲攻撃を仕掛け、これを契機に柴田軍を散々に打ち据える。
世に言う「賤ケ岳の七本槍」の活躍はこの折のこと。
秀吉と勝家の間に立って板ばさみ状態であった前田利家は早々に戦線を離脱してしまう。

敗走の勝家は、わずかな手勢を引き連れて北の庄城に帰還する。
もはや100パーセント勝ち目のない勝家は、お市の方と娘らを落ちのびさせようとするけれど、お市の方から自分と運命を供にする路を選ぶ覚悟と聴かされれ、まるで、恋を知り染めた若者のように欣喜雀躍してしまう。 まったく、男って奴はこんなもの。

北の庄城最後の夜、天守閣では勝家一家主従が酒盛りに打ち興じた。 人間、一旦開き直ってしまえば、最早怖いものなどありはしない。 皆々今生の別れである。
とは言え、酒の勢いもあってか、この期に及んで秀吉への悪口を繰り始める勝家。 「あの猿めが・・・・」 その未練な姿に、城に残ったことを後悔し始めてしまうお市の方。 「パパ、もう好い加減にしてよ!」 なのである。 この辺りの描写は、なにげに残酷と想いますよ。

しかし、それも終わった。 夜明けと共に、羽柴勢の総攻撃が始まると、勝家はお市の方とわずかな近習を供にして自刃し、北の庄城を爆破させる。 柴田勝家一代の終わり。
こうして秀吉は、信長の後継者レースを勝ち抜いた。
 
 
 
柴田勝久 「はい、ここらが秀吉の恐ろしいところでもあり、
        同時に偉いところでもございましょう。
        奇略縦横と見せかけて、その実、彼は敵より
        も少ない数で、戦に臨んだことは一度も
        ござりませぬ。」
お市の方 「・・・・・・・・・・・・」
柴田勝久 「挑む時には必ず敵に数倍する兵を引っさげ、
        相手の内部へ撹乱の手をさしのべながら
        攻めかかりまする。
        したがって、彼が兵を動かして戦うて、負けた
        ことは一度もありませぬ。
        勝つようにして戦うのでござりまする。」
お市の方 「まあ・・・・・・」
柴田勝久 「その秀吉が、雪解とともにやってくる・・・・・・
        お分かりでござりまするか。
        負けたことのない秀吉、負けるような軍勢
        では決して戦をせぬ秀吉が、必ず雪解に
        やって来るのでござりまする」
お市の方 「分かりました
        では、では、降参か籠城か、二つに一つの
        時が来たと・・・・・・」
柴田勝久 「いいえ
        一つに、一つの時でござりまする」
お市の方 「と、言われると?」
柴田勝久 「秀吉の下風には立たれぬ。
        父の思いは、これ一つでござりまする」
 
 
 
<<登場人部>>


<徳川家>
徳川家康:徳川家当主
阿浅の局:チャー
<徳川家家臣>
伊井直政
依田信蕃
岡部次郎右衛門正綱
榊原小平太康政
酒井左衛門尉忠次:宴会芸は蝦すくい
石川伯耆守数正
曽根下野守昌世
大久保彦左衛門
茶屋四郎次郎:京の商人、家康の密偵
鳥居彦右衛門元忠
平岩親吉
本多作左衛門:一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ
本多正信
本多百助信俊:甲府へ使者に立つ
名倉喜八郎信光:甲府へ使者に立つ


<織田家>
織田信雄:信長の次男
織田信孝:信長の三男、神戸侍従信孝
三法師:信忠の嫡男、信長の孫
織田信包
<織田家家臣>
岡本良勝:信孝の老臣
加藤光泰
高田彦左衛門:信孝の老臣
斉藤利尭:信孝の老臣
川尻肥前守秀隆:甲府城城代
福田文吾:川尻肥前守秀隆の小姓頭


<羽柴家>
羽柴筑前守秀吉
羽柴小一郎秀長:秀吉の弟
羽柴秀勝:秀吉の養子 信長の四男
寧々:秀吉の妻
三好秀次:秀吉の甥
<羽柴家家臣>
伊藤掃部助
一柳直末
稲葉一鉄
宇喜多秀家
羽田長戸守
加藤嘉明:荒小姓、賤ケ岳の七本槍
加藤虎之助清正:荒小姓、賤ケ岳の七本槍
糟谷助右衛門:荒小姓、賤ケ岳の七本槍
福島市松正則:荒小姓、賤ケ岳の七本槍
平野長康:荒小姓、賤ケ岳の七本槍
片桐助作:荒小姓、賤ケ岳の七本槍
脇坂安治:荒小姓、賤ケ岳の七本槍
石川平助貞友:賤ケ岳で戦死、七本槍に入り損ねた
石川長松:石川平助貞友の弟、賤ケ岳の七本槍に入り損ねた
加藤光泰
桑原右衛門
桑原冶左衛門
桑山修理介
桑山重晴:賤ケ岳を守備する
高山右近:岩崎山から敗走する
高木貞久
黒田官兵衛:軍師、孝高
黒田甚吉
佐々陸奥守成政
山岡景隆
山崎片家
山中長俊
山内伊右衛門一豊:「山内一豊の妻」の夫
氏家直通
紙子田正治
小西弥九郎行長
小川土佐守
小川祐忠
森長可
杉原七郎左衛門
生駒新八
生駒政勝
石田三成
赤松則継
赤松則房
仙石秀久
浅野長政
前野長泰
大塩金右衛門尉
大村幽古:お伽衆
大谷吉嗣
丹羽長秀:惟住五郎左衛門
池田輝政
池田勝入信輝
池田孫二郎
中川瀬兵衛清秀:大岩山で戦死
中村一氏
長谷川秀一
筒井順慶
副田甚兵衛
蜂須賀家政:彦右衛門の長男
蜂須賀彦右衛門正勝:小六
堀久太郎秀政
堀尾吉晴
明石則実
毛利秀頼
木下将監
木下昌利
木下利匡
木村隼人


<細川家>
細川藤孝
細川与一郎忠興:藤孝の子


<柴田家>
柴田修理亮勝家
柴田権六郎勝久:勝家の嫡男
佐久間玄蕃盛政:勝家の甥
柴田勝豊:勝家の養子、長浜城主
お市の方:勝家の妻、信長の妹
茶々姫:お市の方の長女
高姫:お市の方の次女
達姫:お市の方の三女
勝姫:勝家の娘
政姫:勝家の娘
<柴田家家臣>
阿美乃:勝豊の侍女
安井左近
安井四郎五郎:安井左近の弟
金森長近
原彦次郎
佐治新介
山路将監
柴田弥左衛門
小島若狭
大金藤八郎
中村文荷斎
中村与左衛門
直江田又次郎:賤ケ岳への使者を務める
徳永寿昌:勝豊の家老
徳山五兵衛秀現
拝郷五左衛門
尾藤知次
不破勝光
毛受家照
毛受茂左衛門:毛受家照の兄
木下半右衛門:勝豊の家老


<滝川家>
滝川一益


<前田家>
前田又左衛門利家:前田家当主
前田利長:利家の子
阿松:利家の妻


<武田家残党>
三井弥一郎:牢人、かつて山形三郎兵衛昌景に使えていた、十右衛門


<堺衆>
納屋蕉庵:竹之内波太郎
神谷善四郎
淀屋常安:大阪の商人

<その他>
曲直瀬正慶:医師、柴田勝豊を診る
近衛前久卿


この巻は、テーマとしてなかなか掴みやすいものを持っていたかと想う。
己の信念に従い、長年に渡って働き続け、しかし気がつけば、思うポジションを保てなくなっている悲劇と、その際の身の振り方。 勝家の場合は、如何にも彼らしい幕の引き方を選ぶ。

意地を貫いて果てた柴田勝家とお市の方。
おそらくは、秀吉には生涯理解出来ない境地だったのではないか。


天下泰平まであと17巻。

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椿山課長の七日間

  椿山課長の七日間

    浅田 次郎著

          朝日文庫


渋谷の老舗デパートに勤める、椿山和昭(46歳)は、高卒叩き上げの婦人服売り場担当課長。
現場第一の誠実な人柄で、社運を賭けた夏のバーゲンを成功させるために、日夜奮闘の毎日を送っていた。 それが、不幸にもバーゲン初日の夜に突然の過労死を遂げてしまう。

そのまま成仏するには、なにしろ気懸かりが多すぎた。
突然死した働き盛りの男が、現世に残して来た心残りの数々・・・・小学生の息子とのお別れ、自分にはおよそ不似合いだった美人妻、先立ってしまった老父、開催中のバーゲンの売上、そして、あの世の係員(?)から椿山課長が現世で犯したと指摘されたある罪について・・・・の各々にケリをつけねば、とてもではないが死に切れない。
椿山課長はあの世の役所の計らいで、期限付きで現世に戻してもらうことになった。 同じように現世への執着から逆送を希望する二人、武田(人違いで殺されたヤクザ)、雄太(本当の両親を知らない小学生)らと供に。


作品全体を覆う、ユーモラスで、ちょっとユルめの語り口が好い。 主人公たちの運命はあまりにも過酷なのに、雰囲気はどこまでも清澄で、穏やかだら、お話しが少しも深刻にならずに済むのである。
どうあっても悲しみはつきまとうのだけれど、いつか前向きな姿勢で臨もうとする登場人物たちの一人ひとりも魅力だ。
あの世の役所の、いかにもの官庁っぷりがオモシロくて、この小説は出だしからしてすらすらと愉しく読めた。 現世には、なにしろ生前の姿で戻るわけにいかないから、椿山課長は女性の姿を借りる羽目になって、そんな課長の慌てふためきっぷりも可笑しい。

現世で過ごすことを許されたわずかな時間のなかで、生前は知らずにいた、自分を取り巻く人々の秘密に触れる椿山課長たち。 そこには、平々凡々な人生なんてひとつもない。

ラストに向かって、現世に逆送された三人、そして周囲の人々の運命がひとつに収斂してゆく展開は、やや強引かもしれないけれど、最後まで飽きることがなかった。

テーマは家族愛、そして、誇り。 いつもユーモアを忘れずに。 可笑しくて、小粋で、やがて哀しい。 素直に泣ける佳品でした。

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January 25, 2007

☆★あのこの事もっと知りたい!!★☆ バトン

久々のバトン。 直感でバシバシ答えてみます。


01:そんな5人にバトンを回す
  どなたでも、気が向いたら持ってって下さい。

02:お名前は?
  もとよし

03:おいくつですか?
  気がつきゃ40代

04:ご職業は?
  ノーマル仕様の会社員

05:ご趣味は?
  詩歌管弦
    詩歌では短詩型を偏愛。
    管弦のほうはクラシックが主。

06:好きな異性のタイプは?
  年取る毎に、タイプなんでどうでもよくなってゆく
  みたいです。 思うに、私は生来情の薄いタイプ
  なのかもしれませんね。

07:特技は?
  フルートとチェロを、ほんのちょっとだけいじれる・・・
  でも目下サボり中なので、なんにも取りえ無しです。

08:資格、何か持ってますか?
  普通免許、中型二輪、それと仕事関係の資格

09:悩みが何かありますか?
  怒涛の体重増加

10:お好きな食べ物とお嫌いな食べ物は?
  好き:最近は、あれ喰いたいってのがなくなって
      来たけれど、あえて言わせて頂ければ、
      炊きたての白いご飯に焦がれてます。
  嫌い:不思議と思い当たらないなぁ。

11:好きな人はいますか?
  そりゃもう沢山・・・・

12:貴方が愛する人へ一言
  「どうにかなるって!」

13:送り主の名前
  晴薫さん

14:送り主の第一印象 情熱的。
  知的にして軽妙

15:送り主に一回やらせてみたいことは?
  ドライブ。 首都高かっ飛び!

16:送り主を動物に例えると?
  自己申告で白熊と聞き及んでいますが、
  思索するフクロウではないかと

17:送り主の良いところ
  すべてが

18:送り主の悪いところ
  ・・・・・

19:送り主が捨て犬だったら拾う?見捨てる?
  メシはご飯にお香々で好ければ面倒みます。

20:送り主と一緒にしたいスポーツは?
  綱引き

21:送り主がもし自分の前に現れたとき最初にいいたいこと
  「あ、どーも。」

22:送り主が岡村隆史と戦ったらどうする?
  岡村隆史って?

23:送り主とライヴに行くならなんのライヴがいい?
  懐かしめのロック

24:最後になにか一言
  最近やたらと眠いのです。

25:次に送る人5人
  例によって、気が向いたら持ってって下さい。

26:その人たちは自分にとってどんな人たち?
  「問はず語り」を読んで下さる方々。 いつもありがとう
  ございます。

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January 22, 2007

イージー・ライダー

  イージー・ライダー

  EASY RIDER

    監督:デニス・ホッパー
    撮影:ラズロ・コバックス
    出演:ピーター・フォンダ、
        デニス・ホッパー、
        ジャック・ニコルソン

          1969年 米国
  
 
星条旗デザインのチョッパーにノーヘル、長髪。 旅する二人。
この時代のアメリカ文化に食い入った脚本、大陸を捉えた映像に音楽(当時のロック・・・と言い切ってしまって好いものか、この手の音楽にはまったく疎いので自信無し)も素晴らしい、言わずと知れたロードムービーの名作。 

自由ってなに? と言う、一旦ぶちはじめたらヘビーになりそうなハナシはこの際さて置くとして、ですね。 映画の冒頭、Born To Be Wildの名調子と共に「EASY RIDER」のタイトルが上がるシーンのカッコ好さときたらないって。 元バイク乗りとしては、どこまでも続く一本路を二台のハーレーが疾駆するシーンに、長く忘れていた原風景を突きつけられたような気にさせられて、心中狼狽してしまった。

でも、今回見直して気が付いたけれど、バイクの疾走シーンは、上映時間中の割合にすれば意外に少なかったのですね。 それよりも、前回、初めてこの映画を見た時(高校時代に、地元の名画座で)にはひたすら退屈だった、キャンプでの焚火を囲んでのラフな会話や、後半の娼家から謝肉祭、そして墓地(ドラッグ体験を映像化したに違いない場年)に到るシーンが重要だったのだと、馬齢を重ねた今頃になって気が付く。

すっかり判った気になっていた映画でも、歳を経て見直してみると、もっとも多感であった筈の十代の頃には見落としていた、判らなかった部分が、なんと多かったことか。 こうしてみると、オトナになってゆくのも、そう悪くはないかって(ちょっと溜息混じりに、ではあるけれど)想うんだな。

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January 18, 2007

宇宙戦争

 宇宙戦争

 War of the worlds

   出演:トム・クルーズ、
       ダコタ・ファニング、
       ティム・ロビンス
   監督:スティーブン・スピルバーグ
       2005年 米国


原作はH・G・ウェルズの古典SF小説。 そして1953年に造られた同名のSF映画のリメイクでもある。 実はこの映画、ネットで映画ファンの感想を見るに、あんまり評判が悪いものだから、逆に興味が沸いて見てみた次第。

H・G・ウェルズの原作は読んだことがあるけれど、情けなや、ほとんど記憶に残っていない。 1953年の映画の方も、また昔テレビで見ていて、こちらはとっても面白かった覚えがある。

突然地球を襲ったエイリアンたちの圧倒的な攻撃力の前に、人類の兵器がまるで歯が立たず、人々は逃げ惑うばかり、と言う内容は、リメイクされたこの映画でもそのまま踏襲されている。 一つ目の探視装置やら、ラストの瀕死のエイリアンなども、1953年の映画と同じ演出。
ラストのオチも、ウェルズの時代であってみれば、最新の科学であったわけだけれど、現代に持って来ると、流石に辛いものがあるよね。 それだけこの映画は原作に忠実、いっそ教条的と言えるのかも知れないけれど。

トム君、この映画では意外にもダメ親父を演じる。
二人の子供たちも好演(ダコタ・ファニング嬢、上手すぎ!)しているけれど、それがかえってアダになったと想うな。 二人して父親に反抗しまくる演出がリアル過ぎて、どうにも救いが無いのだ。 いや、ドラマに奥行きを与えているのは認めるけれどもね。
それにしても、逃避行中の親子の葛藤や、地下潜伏中の仲間同士の反目など、この映画は見ていてイライラがつのって来る場面が多い。

トライポッド。
エイリアンたちの奇妙な乗り物。 三本のおっそろしく長い脚を、生き物のように自在に動かして歩き回るコイツらこそが、この映画の主役と想っている。 (そういえば、昔見たサルバドール・ダリの絵の中にも、こんなのが出て来たっけ・・・・いや、あれはバカに脚の長い象だったけれど) 時々、チューバみたいな野太い低音で吼える。
このトライポッドたちが、レーザー光線で家屋をなぎ倒し、無辜の人々を次々と、情け容赦なしに切り裂き進む。 こいつらのオッカナさったらないですよ。 もしもこんなのが実際に現れたら、絶対に逃げられないよなぁ、と確信させられるもの。
そんな邪悪極まりないメカだけれど、造形的には実に見事なもので、遠景の中にほんのりと浮かび上がるトライポッドのシルエットや、夜景の中で触手をうごめかすトライポッドたちには、夢幻的な映像美を感じてしまう。

なんだかトホホなラスト・シーンには、だって原作がそうなんだからサ、とでも言ってみる他ない。 SFの古典たるH・G・ウェルズの原作や、1953年の「宇宙戦争」へのオマージュと想えば、私としては十分に納得出来るんですけれどね。
ともあれ、スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演、そして「宇宙戦争」と言う題名から、痛快なSF娯楽作品を期待すると、見事に肩透かしを食らうことになる。

この映画が大方の映画ファンの不評を買ったのは判る気がする。 でも、トライポッドの迫真の戦闘シーンは見事の一語だし、親子の逃避行や地下室の潜伏シーンも、地味ながらずしりとした手応えを感じるしで、私にとっては観て好かった映画の一本に加えたい、これは秀作なり。

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January 08, 2007

旅行者の朝食

「旅行者の朝食」 

  米原万里著

     文春文庫 (2002年)


作家であり、またロシア語通訳者でもあった米原万里さんの、食物に関するエッセイ集。
幼少時にチェコスロバキアの小学校に通い、長じてはロシア語通訳として第一線で活躍した米原さんならではの、ロシア・東欧の食事情についての薀蓄が興味深い。

それにしても、通訳とは、優れた語学力の他に、知性やユーモアをも要求される仕事なのでしょう。 骨太の筆致でぐいぐいと描くような文体は実に頼もしく、だからといって、押し付けがましさなど少しも感じないのである。

人間、こと食に関しては保守的なものである。 現代の日本に居ては、なかなか実感し難いの感があるけれど、歴史的に見れば、そういうことになる。
今でこそ欧風の料理に欠かせないジャガイモも、ヨーロッパの食卓に定着したのは、意外に新しい。 16世紀に新大陸からもたらされた当時から、救荒作物として期待され、国家の肝煎りで栽培を奨励されたものの、気味悪がって誰も食べてくれなかったのである。 ロシアにおいては、一般にまで浸透したのは、実に19世紀も半ばになってからのことであった。

米原さんがチョコスロバキアで過ごした小学生時代、たった一口食べただけで、その虜になったと言うお菓子、ハルヴァ。 爾来二十数年、仕事で訪れる各国でも捜すが、終ぞ再開出来ないその幻の味とは。

美味しいものの紹介ばかりではない。
この本の題名にもなった「旅行者の朝食」は、ソ連時代に多く出回り、でも、あんまり不味いんで誰も食べたがらなかったという缶詰の名前である。
不味いんだったら改良して美味しくするとか、あるいは生産中止にでもなりそうなものだけれど、そこは計画経済のことで、売れまいが、人気が無かろうが、同じ物をひたすら生産し続けた。 そのムダさ加減はロシア小噺のネタになっていたらしい。
こうなると、果たしてどんなに拙いのか、試してみたくなるというもの。(?!) 好奇心に駆られた米原さんが、買い求めた「旅行者の朝食」を開けてみると・・・・

ソ連ネタでは他このにも・・・・
グリム童話の中に、パンを踏んで地獄に堕ちた娘の、ちょっと怖い話しがあったのを覚えていますか。
国民を飢えさせないことをスローガンに掲げたソ連政府が、パンを格安で供給し続けた結果、皆パンを粗末にするようになってしまった。
硬くなったパンは惜しげも無く捨ててしまうし、家畜の餌よりも安いものだから、飼料の替わりにパンを与えて一儲けを企んだりする。 パンを、それこそ水溜りを跨ぐための踏み石代わりに使うみたいに浪費しはじめた。 で、経済的に立ち行かなくなったその国は、やがて崩壊したわけですな。
我が国だって、と米原さんは警鐘を鳴らす。 減反やら補助金行政で、農家の米造りへの誇りを失わせるようなことをしているではないか。 この国もまた崩壊への道を辿ってはいないか、と。

後半は国内編となって、米原さんとそのご一族の、見事な健啖ぶりをユーモアを交えて描く。 読んでいて、人間、喰わなきゃあなんにも出来ないわい、と思わせられるのである。
終章の「叔父の遺言」、そのお終いに来て、ホロリとさせるところがなんともニクイ。

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January 07, 2007

えびボクサー

 えびボクサー

 CRUST

   2002年 イギリス
   監督、脚本
     マーク・ロック
   出演
     ケヴィン・マクナリー
     ペリー・フィッツパトリック
     ルイーズ・マーデンボロー
     マドハヴ・シャルマ


<あらすじ>
イギリスのとある片田舎でパブを経営するビルは元ボクサー。 現役時代を懐かしみながら、面白くもない毎日に我が身の不遇をかこっていた。
ある日、何でも屋のアミッドが手に入れた、全長2メートルにもなる巨大エビをボクサーに仕立て、目下連敗中のボクサー、スティーブと組ませて、人間対エビのボクシング・ショーをテレビ局に売り込むことを思いつく。


「えびボクサー」(CRUST)はイギリスのB級コメディ映画で、元々それほど注目されていなかったこの作品に眼をつけた配給会社の慧眼は中々のものと想う。
日本で上映してみたら意外(?!)にヒットしたそうだけれど、ナンセンスなコメディ作品と言うのに留まらず、「おもしろうてやがて悲しき」ドラマに仕上がっているのが、日本人の感性にも受け入れ易かったのではないだろうか。

ドラマの中心軸になる、全長2メートルにもなる「えびボクサー」。 エビと言うよりは、実際はシャコのようだけれど、それがどう見ても張りぼてと判る、露骨に造り物めいたところが可笑しい。 CGは全く使用していないか、使っていたとしても最小限度に留めているのだと想う。 エビを少しでも可愛くデザインしたり、まして人間と対話したりとかは、あえてやらない。 ナリはデカくても、あくまで海老はエビ。 見てくれや動作、それから鳴き声とかも結構グロいです。

建物、景色やら空模様のクラさ加減、どこか寒々とした感触に、やっぱりイギリス映画だよなあ、なんて勝手に納得してしまう。
一攫千金を夢見てロンドンに打って出たビル一行は、労働者階級を象徴するようで、それと、テレビ局に集まるセレブたちとの対立の構図が見て取れる。 この辺りはイギリスの社会事情をとらえているのではないかと想うけれど、実際のところはどうなんだろう。

ビルたち、それぞれにとって、一番居心地の良い場所を見つける、穏やかなラストがなかなか好い感じです。
とどのつまり、男たちはオロカなロマンチストで、女はどこまでもシタタカな生き物なんだよねえ・・・・・なんて、古今東西どこでも通用しそうな命題にオチを持っていくあたりがヒットの秘密かもしれない。

コメディとは言え、あんまりなバカバカしさだし、結構お下劣なシーンもあるしで、どなたにもお勧めの映画とはゆかないんですけれどね。

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January 04, 2007

素晴らしきヒコーキ野郎

素晴らしきヒコーキ野郎

Those Magnificent Men in Their Flying Machines, or How I Flew from London to Paris in 25 hours 11 minutes


  監督:ケン・アナキン
  製作:スタン・マーガリーズ
  脚本:ジャック・デイヴィスケン・アナキン
  撮影:クリストファー・チャリス
  音楽:ロン・グッドウィン
    1965年 米国


1903年のライト兄弟による歴史的快挙の後、ほんのわずかな年月ではあるけれど、世の全ての飛行機たちにとって、ただ飛ぶことだけがその目的であった、幸福な時代があった。
このドラマの舞台は、そんな旧き好き時代の1910年。 世界各国の飛行家達が集まって繰り広げた、ロンドン~パリ間の航空レースである。

当時の飛行機と言えば、骨組みに布を貼っただけのシンプルな機体に、非力なエンジンを乗っけた代物。 操縦席は、覆いも窓もない吹きっさらし。 航空力学が未発達な故、飛行機のデザインもまちまちであって、なかには笑っちゃうような、奇抜なナリをしたヤツもいる。
そんな黎明期の飛行機たちが、イギリスやフランスの田園地帯の上空を、ふわふわと、それこそカゲロウのように儚げに飛翔する。 その様子と来たら、本当に、夢見心地に見入ってしまうほど美しい。

喜劇だからして、飛行機を使ってのスラップスティックなドタバタ・コメディシーンにも事欠かないけれど、私は、こういうのはあまり好きではないな。 それよりも、クラシックなヒコーキ達が飛ぶシーンを見せてくれるだけで十分楽しいのに、なんて想ってしまう。

各国から集った飛行家達のキャラも楽しい。 西部劇から抜け出て来たようなアメリカ人。 愛妻家で子沢山のイタリア人。 調子好くて女好きのフランス人。 劇中コケにされまくる役処のドイツ人は石頭でマニュアル墨守と、それぞれの役者が芸達者で笑わせる。
そんな中で日本代表を演じるのは石原裕次郎。 出番はあまりないけれど、堂々とした立ち居振る舞いが頼もしい。 マジメで優秀だが、堅物の石部金吉と言う役どころで、コメディのシーンに参加させてもらえないのが、ややカナシイけれどね。
日本は未だ純国産の飛行機を持たなかったという設定で、外国製の2機の飛行機から、それぞれ翼と胴体を取って組み合わせ・・・・いわゆるニコイチですな・・・・メイド・イン・ジャパンを仕立ててしまう。 ここら辺りからは、ケン・アナキン監督のシニカルな視線を感じ取るべし。

この映画はまた、音楽が素晴らしい。 
テーマ曲は楽天的で威勢の好い男声合唱。
そして各国から集った飛行家達の一人ひとりには、それぞれに相応しいライトモチーフと言うか、テーマ音楽が付けられている。 すなわち、アメリカ人には西部劇風。 ドイツ人は軍隊行進曲風。 イタリア人はカンツオーネ風といった具合で、いずれもステレオタイプと言うか、あまりにもベタなのが可笑しい。
それにしても、ヒロイン(セーラ・マイルズ)に与えられた音楽は、どうしてこんなにも甘くて切ないんだろう。 どうということのない場面でも、ヒロインのテーマ音楽が流れるだけで、涙が出そうになって来るよ。 それはまるで、ここに登場するヒコーキ達の将来。 新兵器として軍事利用されることになる運命を暗示しているような気がしてならない。

この他、当時の自動車やバイクも登場するし、レース会場に集う人々の典雅な服飾など、見せ場に事欠かない。 私はこの映画を、これから折々、何度でも見返すに違いない。 堂々の娯楽作品だ。

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January 02, 2007

御慶

今年は諸般の都合から、例年のように兄宅で年を越すことが出来なかったものの、元日から二日に掛けては兄一家と共に過ごした。

例年の通り、兄の三人の子供たちにとっての大きな関心事は、叔父さんから貰うお年玉にあるわけだけれど、それを貰う前に、査定(?!)を受けねばならないことになっている。 つまり、それぞれの通信簿を持って来させて内容に目を通すわけですな。 まあ、成績によってお年玉の額が増減するわけではないけれど、一応、お正月恒例の儀式というコトで。

この二学期は、長女が初めてオール5を取って来た。 兄に訊くと、塾やら講習会やらで、それなりに元手が掛かっているらしいけれど、まあ、投資した分以上の成果は上がっているのではないかと思う。 ともあれ目出度い。 部活にも一生懸命だし、そのうえ今年は受験が控えていて、いろいろと大変だろうけれど、是非ともガンバッテ欲しい。

昨年高校に進学した長男も、二学期は少し成績が上がっていて、実のところ、今回はこのマサカ(?!)の快挙に一番驚いている。
その長男。 相変わらず毎日ゲーム浸りで、部活動などせず、無論勉強の方だってしやしないようだけれど、去年からスーパーでアルバイトを始めたとのこと。
おいおい、バイトなんてやって好い高校なんだっけ? 訊けば、この件では兄が担任の先生と談判して、特例として認めさせたらしい。
バイトはとにかく時間厳守だし、仕事もちゃんとやり遂げなさなければ許されないから。 お陰で、今までこれといった努力目標もなしに、安穏とし過ぎていた長男にもキッチリとした生活習慣が身に付き始めたのかもしれない。 おそらくは、それが、成績向上に結びついたのではないだろうか。

小学生の次女も、少し成績が上がった。 こちらの方の原因は判らないけれど、ともあれメデタイ。

元日の夕方、ゲーム浸けの長男を家に残して、皆でブックオフに出掛け、それぞれ思い思いの本を買い込んだ。 そういえば、去年のお正月もこんなことをやっていたっけ。
長女は相変わらず堅実な買い物の仕方を貫き、次女は豪快に遣いまくって、挙句叔父さんに援助を求めて来る。 三人の子ら、それぞれの性格の違いを、ハッキリと見ることの出来たお正月であった。


本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


   2005年の元日

   2006年の元日

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