ねこに未来はない
「ねこに未来はない」
長田弘.著 角川文庫
オドケテるんだかニヒルなんだか、いまひとつ捉えどころのない、不思議な標題を持つこの本は、その昔、学校の図書室にあったのを見た記憶があるから、また随分と昔の作品と言うことになる。(実際、1970頃の刊行らしい)
その、表題ばかりが気になっていた本を、今回初めて、実際に手に取って読んでみた。 それで、永らく、この本のことを、子供向けの物語、それとも絵本かなにかと想い込んでいたのだけれど、そうではなくて、見方によっては深い含蓄のある、大人向けの私小説(多分)なのだということを、今頃にしてようやく知った。
本書によれば、一体、猫と言う生き物は、脳内の未来を知覚する部分が未発達であって、だから、こやつらは、自分の将来にバラ色の希望を抱くと言うことがない。 その替わり、先々に不安を感じたりすることも、またないそうで。 つまり、猫にとっては「今」しか考えられない訳だ。(そんなのは、なにも猫に限らないんじゃあないかって突っ込みも、あるかもしれないけれど) とまれ、猫を飼うと言うのは、そういう刹那的人生と寄り添いあって、生きて行くことなんだね。
それまで猫嫌いを通して来た詩人が、結婚して安アパートに所帯を構えると同時に、生まれて初めて猫を飼うことになる。 子供のいないこともあって、もう夫婦して夢中になって可愛がるのである。 小説は、その猫たちとの交流を中心に描かれるんだけれど、なにしろ二人とも猫のことなんて何も知らないもんだから、飼う猫、飼う猫を次々と行方不明にしたり、あるいは死なせてしまう。 このあたり、猫好きの人は、見ちゃあおれんでしょうね。 さして猫好きとは言えない私でも、こいつあ如何な最中と想ってしまうくらい。 よってこの本、愛猫家にはお薦めすることが出来ません。
文章からして、おそらくは渋谷のNHK放送センターの近くに居を構えていたと想われる作者。 そこに描かれる日常からは、1960年代も終わり頃の東京の街角を背景にして、無名の文学青年の姿(それもベタな)が浮かび上がって来る。 とは言え、高潔な理想と厳しい現実の狭間で傷つきもがく若く貧しい詩人・・・・なんて、如何にもありがちで自己満足的なパターンに陥らず、それはもう軽いかるい、そしてまた馬鹿っ丁寧なくらいの文体からは、逆に詩人のデリカシーと、現実を見詰める厳しい視線が伝わって来るのだ。
いや、そんな小理屈は別にしても、私はこの私小説を熱烈に支持したい。 その個性的な文体は、読み手の私をして、かつて他の小説からは見出すことの出来なかった、それこそネコにマタタビ的な魅力を発散している。
それにしても、ちょっとばかりまわりくどかありませんかね、この人の文章。 いや、そこがまた好いんだけれど。 おそらくはこの作者、2点間を歩くのに最短コースを選んだりしないね、絶対に。 きっと、細い脇道を好んで歩いたり、猫みたいに、自分だけのお気に入りのルートがあったりするんだ。 私には判る。 なにしろ、私もそうだから。
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