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October 30, 2005

寄席芸人伝 2

「寄席芸人伝」 古谷三敏著 ファミリー企画 

以前、近所のコンビニで買い求めた「寄席芸人伝」の事を書いたけれど、これの続編が出ていたので早速読んでみた。

今回もストーリーと、作中で語られる落語とが巧みにリンクしていて、なかなかに読ませる。 どれもフィクションと想うけれど、登場人物には三遊亭円遊や桂文治など、現在まで引き継がれている名跡が出て来る。 こういうビッグネームが出て来ると、途端に物語がリアリティを帯びて、こちらに迫ってくるような気分になって来る。

古谷三敏の絵は単純明快な線ばかりで構成されていて、影の部分があまり無い。 スクリーントーンなど、滅多に使っていないのではないか。 それでいて、登場人物一人一人の性格、年恰好の描き分けが実に巧みなのが凄いと想う。 マンガの舞台となる、明治から戦前の昭和までに掛けての都内の風景や風俗も、空白の矢鱈と多い構図で表現するお陰か、全体的にのんびりとした明朗な雰囲気が漂って、陰湿なところは少しも無い。

世間の落語ブームは、未だ続いているんだろうか? このところ、すっかり寄席から脚が遠のいているので、最近の状況が良く判らないでいる。 この地味な(?!)落語マンガは、ブームになんて乗らなくて良い。 その代わりに、長く読み継がれて欲しいと切に願う。 それだけの価値があるよ。

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October 27, 2005

爆笑龍馬伝

都内のとある寄席。 出囃子の「我は海の子」が鳴って、三遊亭歌之助が高座に上がる。 色浅黒く、きりりと引き締まった、なかなかに男前の噺家である。 しかし、だ・・・・・これが一旦喋り始めると、雰囲気はガラリと変わって2.5~3枚目辺りまで下降する。 けれどその反対に、それまで落ち着いていた客席のテンションはあれよあれよと急上昇を始め、寄席は何時しか爆笑の坩堝と化してしまう。
これは、その歌之助の新作落語、「幕末龍馬伝」の一席を納めたCDである。

   「笑うたらいかんぜよ!! 爆笑龍馬伝」
       三遊亭歌之助
                   KING RECORD KICX 651

このCDの標題は「爆笑龍馬伝」となっているけれど、落語の題名としては「幕末龍馬伝」が正しい。 確かに、CDの標題を「幕末龍馬伝」にしたら、坂本龍馬のマジな評伝と間違って買ってしまう人もいるかもしれないから、これはこれで懸命なネーミングと言えるかもしれないね。 

鹿児島県出身の歌之助の高座は実直でいてどこか剽軽。 真面目にやればやるだけ可笑しいタイプだ。 ここでは坂本龍馬に付いて熱く語る訳だけれど、話の途中で、ついつい身辺のあれこれ、鹿児島に住むご母堂のことや、苦手の飛行機に付いてなどへと、すぐに話題がそれてしまって、なかなか先に進まない。
そう言えば学生の頃、授業中に話が脱線しまくる先生がいたなあ。 その、授業とはまったく関係の無い話がとても面白くて、クラス中が聴き入ったモンである。 この落語もまた、しょっちゅう話を脱線させた挙句に客席を大笑いの渦に巻き込み、さて・・・・・何の話だったっけ?と我に帰っては、慌てて本題の龍馬に戻ると言う格好である。
寄席で聴くと、時間の都合で後ろの方を端折ってしまう事が多いけれど、このCDではしっかりと龍馬の最期までを語ってくれる。 そして、そのついでと言っちゃあなんだが、小泉首相までバッサリとやってくれるのである。

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October 26, 2005

モントゥーのブラームス:交響曲第2番

秋である。 ブラームスに耳を傾けるには、今がもっとも好い時期かも知れぬ。 と言う訳でここ数日、夏の間は手にする事の無かった、ブラームスの交響曲第2番のCDを取り出して聴いている。

 1.ブラームス:交響曲第2番ニ長調 Op.73
 2.ブラームス:大学祝典序曲 Op.80
 3.シューベルト:交響曲第8番ロ短調 D.759「未完成」
  指揮:ピエール・モントゥー
      ロンドン交響楽団 1962年11、12月(1、2)、
      ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1963年11月(3)
         PHILIPS UCCP-9060

ピエール・モントゥー(1875~1964)はフランスの名指揮者。 まとまった録音のあまりないこともあって、知名度は今ひとつかもしれないけれど、その音楽に共鳴する熱心なファンは少なくない。
カイゼル髭、これは端っこの反り上がり具合が肝心な訳だけれど、その両端を正にピン!と押っ立てた円満でクラシックな風貌は、一度見れば忘れる事が出来ない。
学生時代の先輩に、大のモントゥー贔屓と言う人がいた。 この指揮者のどこがどう良いとか、どうして好きかとか言った能書きの数々に付いて、色々と聴かされた筈だけれど、詳しいところは、もう、忘れてしまった。
この、いささかマイナーな巨匠への憧れには、今更カラヤンやベームでもないし・・・・・と言った風な、若さ故のちょっと斜に構えたディレッタンティズムも、幾分は混ざっていたかもしれない。 (当時は、オタクなんて言う言葉は未だ無かったよね) ともあれ、私が未だにこの巨匠に関心を寄せているのは、その先輩に影響されて以来の事に違いないのである。

ここに上げたブラームスは、そのモントゥーの代表的名盤だと言われている。 オケはロンドン交響楽団。
決して高度な技巧で聴かせる演奏ではないし、激しい気迫で押して来ると言う訳でもない。 ケレン味たっぷりに、大きく振りかぶったところもない。 それでいて、この演奏から受ける充実感ときたらどうだろう。 各パートが奏でるフレーズのそれぞれに、熱い気持ちが込もっていて、意味の無い音などひとつもないのだと感じさせられる。 音楽とは只単に、目の前にある音符を、適切なタイミングで音にすれば良いってモンじゃあないんだね・・・・・当たり前の話だけれど。 こういうのを、花も実もある演奏と言いたい。
交響曲第2番の、円満な中にも厳しさのある曲想が、このモントゥー・スタイルにピタリとハマって、稀有の名演をものしたと思う。

大学祝典序曲も交響曲第2番と同様の名演。 深刻さや荘重さの無い替わりに、指揮者の持つ音楽性の豊かさ、そして何より懐の深さを感じさせる。

「未完成」ではオケがロイヤル・コンセルトヘボウへと替わる。 こちらは、ロンドンのオケよりも好く鳴っている代わりに、ブラームスで見せたような豊穣感には、いささか乏しいかもしれない。

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October 24, 2005

第26回 津田沼混声合唱団演奏会

第26回 津田沼混声合唱団演奏会

 2005年10月23日(日) 14:00 習志野文化ホール

  津田沼混声合唱団
  東京ブルーア・アルボ
  習志野フィルハーモニー管弦楽団
  指揮:青木八郎、溝口秀実


 日本民謡集
    そうらん節
    最上川舟歌
    相馬盆歌
    音戸の舟歌大島節
    八木節
 女声合唱組曲「萬葉・愛の歌」庭もほどろに
    峯陽 訳、詩 中島はる 作曲
 ヴィヴァルディ:グローリア・ミサ RV589
 モーツァルト:戴冠ミサ KV317
 
  
通りすがりに、ふらりと立ち寄って聴いた。 コーラス、オケとも初めて聴く団体である。
 
 
 
1.日本民謡集
 
のっけから指揮者、団員とも半被に団扇と言うお祭スタイルで登場。 どこかのパートが突出するとか言ったことの無い、とてもまとまりの好いすっきりとした響きで、こういうのが、この合唱団のカラーなのだと知る。 民謡の合唱編曲ものと言うと、これまでにもイロイロと聴いてきたけれど、この日の演奏はなかなかに風格の∄ある、そして技巧的な作であったと想う。
 
 
 
2.女声合唱組曲「萬葉・愛の歌」庭もほどろに
 
初めて聴く合唱曲である。 このステージは東京ブルーア・アルボによる演奏。 この団体の特徴は、とにかく響きが立派で、そして押し出しの好さがある。
楽曲としては、万葉集として一般的に考えられている、いわゆる益荒男ぶりとは大分異なる、女性らしさを前面に押し出した作品になっているのが興味深い。 同時に、そこのところがこの曲を幾分難解にもしている。
作風としては、各パート毎の短いフレーズが交錯して全体を形作っている、どちらかと言えば寡黙な語法が全曲を支配している。 生憎と各パート共、音の立ち上がりが鈍くて、その分、曲の特性を十二分に生かしきれていなかったかもしれない。 そこのところが惜しい。 
 
 
 
3.ヴィヴァルディ:グローリア・ミサ RV589
 
ここからは習志野フィルハーモニー管弦楽団との共演である。 一般的に、オケ付きの合唱曲の演奏と言うと、アマチュアの合唱団がプロオケを頼んだり、プロオケが合唱団員としてアマチュアを募集したりと言った形が多いと想うけれど、ここでは合唱団、オケ共にアマチュアであり、更には指揮者、声楽ソリストも一部を団員が担当すると言う、アマチュアイズムの横溢する演奏である。 こういう姿勢は大好きだ。
「萬葉・愛の歌」とは対照的に、どこまで明解な曲想。 ステージがパッと明るく晴れ渡った感じだ。 演奏の方も、この日の秋晴れの空のように、すっきりとして気分爽快。
 
 
 
4.モーツァルト:戴冠ミサ KV317
 
これはヴィオラ抜きの曲なので、アマオケでは滅多に演奏されないのではないか。 こちらも、ヴィヴァルディと同様の好演。 オケの編成が大きくなった分、音楽のスケールが増したし、声楽ソロ陣の健闘も相まって、風格ある演奏になったと想う。
 
 
文字通り、通りすがりに立ち寄った演奏会として、とても結構なものを聴かせて貰ったと言う気がする。
すっかり好い気分になって、ホールを後にした。

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October 18, 2005

題詠マラソン2005完走

未だやってたのかよ、なんて、呆れられるかもしれないけれど、ひっそりと走り続けていた。 それで、今朝漸く題詠マラソン2005のボード上に100首の短歌をアップし終わった。 題詠マラソン2005、これにて完走である。

この題詠マラソン2005には8ヶ月と言う、100首詠むのには充分かと思われる期間が設けられているけれど、私が作歌に掛けた時間は、実はそれほどでもない。 スタートした当初、勢い込んで詠み始めたのは良いけれど、途中ですっかりバテてしまって、まるで詠めない日々が続いたり、あげく、題詠マラソンに参加していると言う意識が薄れてしまったり。 中断していた期間が随分とある。 辛うじて、形ばかりは完走したとは言え、我ながらあまり熱心なランナーとは言えなかったと思う。

なんとか完走出来て、今はそこそこの満足感を味わっているけれど、でも、100首それぞれの拙さは、まあともかくとして、その中に、自分らしくない歌の混ざっていることについては、我ながら忸怩たる気持ちでいる。
自分らしくない、と言うのはつまり、普段の自分ならばまず使わないような単語、語順、言い回しを持った歌があったりして、今になって改めて読み直してみると、とても自作とは思えないような気分になる。 締め切りに追われて大急ぎで造ったりすると、自分を見失って、こういう結果になるものなのかもしれないね。

出題された100のお題と、もとよしの詠んだ100首は以下の通りである。 今すぐにでも手直ししたい、あるいは他と差替えたい歌が幾らもあるけれど、ここでは、題詠マラソン2005へ参加した記録として、そのまま上げておくことにする。

 
001:声
絵本読む声聴きあふて病院の待合室がひとつになつた
 
 
002:色
「この柄で色違ひつてありますか?」熱帯魚売り場にスコール兆す
 
 
003:つぼみ
「あとごふん」布団の中の云ひ訳はいつかな咲かぬつぼみのこころ
 
 
004:淡
「淡い」とふ言の葉一つ想ひ出に十五の春が過ぎて往くなり
 
 
005:サラダ
サラダ巻選ぶ君見て他愛ない話題に逸らす回転寿司屋
 
 
006:時
云ひ出して後には引けぬ奴が好きで仲裁人は時の氏神
 
 
007:発見
月の無い夜に小さき星明かり発見したと言ふべき鈴音
 
 
008:鞄
どちらかを持たうと言へば躊躇せず軽き鞄を渡す君なり
 
 
009:眠
頬杖を突いた瞬間眠るのに慣れて仕舞つた秋雨の庭
 
 
010:線路
廃線と思しき線路その跡を儚き者らが辿り往くのだ
 

011:都
移動する手段に敢へて加へたる都電の中の豊かな気持ち
 
 
012:メガホン
怪気炎上げる一座のメガホンの柄が気になる東京メトロ
 
 
013:焦
焦つても焦らなくても似たやうなもだと想ひしかし焦つた
 
 
014:主義
好きなもの後から食べる主義守る吾の見詰める集合写真
 
 
015:友
吠え止まぬ犬に向かつて友好の印しみたいに護謨毬放る
 
 
016:たそがれ
なにかしらすがつてみたくなるなんてよくあることでたそがれどきは 
 
 
017:陸
着陸のジェット旅客機唐突にずどんと降りて澄ましをるなり
 
 
018:教室
教室の扉やたらと重い日は深呼吸ひとつしてから入るべし
 
 
019:アラビア
アラビア種牝馬の瞳哀しげなままでこちらを見やうとしない
 
 
020:楽
忙しい最中頁を捲らせる楽譜、告白タイムは今だ!
 
 
021:うたた寝
海峡を渡る鳥たちうたた寝の間に通り過ぎて往つたか
 
 
022:弓
武具は知らず楽器としての弓ならば先で人突くこと無きにしも非ず
 
 
023:うさぎ
裃を着けたうさぎが仰々しく吾の置かれた立場を諭す
 
 
024:チョコレート
ブラザーの大きミシンのフレームに嵌め込まれたるチョコレートの夢
 
 
025:泳
うつ伏せの眠りから覚め嗚呼君が畳の上を泳いで来るよ
 
 
026:蜘蛛
ああこれが蜘蛛の糸かと想ふたら爾来廻りに優しくなれた
 
 
027:液体
遠慮して手を出しかねた欠き氷の液体に戻る過程ねめつけ
 
 
028:母
テレビ観る母の目の前横切つて仕舞つた今日は仏蘭西語講座か
 
 
029:ならずもの
この辺でクールダウンと行きたくてならずものなる仮面を外す
 
 
030:橋
銀の笛抱き都電の夢見れば面影橋はとうに過ぎたり
 
 
031:盗
盗まれた自転車のこと語るさへ屈託なしに済ませる君は
 
 
032:乾電池
乾電池切れたふりしてひと休み背中に子供乗つけたまんま
 
 
033:魚
魚偏に貫で目刺と読むのだと云つて感心されて慌てて
 
 
034:背中
本領を見せず平気でゐる奴のここらで誰か背中押してやれ
 
 
035:禁
「近頃の若い奴ら」と言ふ台詞禁句とした日想ひだしてる
 
 
036:探偵
池袋駅に探偵降り立ちて探偵小説作家も続く
 
 
037:汗
手の中の汗に気付いた青銅の像若人の踊るさま観て
 
 
038:横浜
先輩の暑中見舞いの結句には「横浜快晴」字が唄つてる
 
 
039:紫
ふくさ解く手付きが好くて見詰めをる古代紫抗いもせず
 
 
040:おとうと
おとうとでゐれば良かつたあの頃の自分の瞳見下ろしてゐる
 
 
041:迷
嬉々として巨大迷路に飛び込んだ、何時出れるやらどうにかなるやら
 
 
042:官僚
回れ右して去つてゆく官僚のやがて追ひつく蟻の行列
 
 
043:馬
本棚の「竜馬がゆく」全八巻に積もつた埃吹き飛ばした日
 
 
044:香
マニフェスト?だつて私は猫だものテレビの前で香箱つくる
 
 
045:パズル
磊落はジグソー・パズルお終ひのピース足らぬと気付き笑ふ声
 
 
046:泥
泥んこになつて遊んだ遠い日々もはや忘れてどぜう汁飲む
 
 
047:大和
大和煮の鯨缶詰吾が部屋の特等席に鎮座まします
 
 
048:袖
真つ先に袖をまくつておきながら寒い寒いと云ひ出す男
 
 
049:ワイン
とつときのワイングラスを愛でやうにも満つべき美酒が無い曼珠沙華
 
 
050:変
聴きも知らぬ変奏曲が流れをる行方も知れぬ地下道を往く
 
 
051:泣きぼくろ
泣きぼくろ左右の頬に持つ君の俯くままに止まる想ひ出
 
 
052:螺旋
捻じ曲がる螺旋階段何時からか目的もなしに歩める吾は
 
 
053:髪
今やこの貴重なる髪切つてゆく床屋に篤と解き聴かせたきこと
 
 
054:靴下
見付からぬ片割れなんどこの際はどふでも好くて靴下のこと
 
 
055:ラーメン
品書きは醤油ラーメンそれだけの店で決起の計画を告ぐ
 
 
056:松
五人まで並べ上げたらあと一人想ひ出せない、なに松だつけ?
 
 
057:制服
反抗期と云ふぢやなしでも制服を着崩すことに夢中の日々よ
 
 
058:剣
剣先のスルメ両手に握り締めひとつここらで勝負に出るか
 
 
059:十字
三十字以内で述べよ故郷から逃げて戻つて又出た顛末
 
 
060:影
サッカーのテレビ観戦止めてみる魚影に小石投げ込むやうに
 
 
61:じゃがいも
じやがいもを訊ねて来たと云ふ女見たかいまるでにんじんぢやないか
 
 
062:風邪
風邪に効く薬はないか萎びてる蜜柑一つが千両だつて
 
 
063:鬼
金堂の屋根を支える隅鬼の一人は千年余にして果てり
 
 
064:科学
科学的根拠は知らず只今は祈る心で茗荷噛み締む
 
 
065:城
江戸城は誰が建てたと訊ねれば大工さんさと答へやがつた
 
 
066:消
容赦なく使い続けた消しゴムの遂には何処かに隠れてしまひ
 
 
067:スーツ
三つ揃ひスーツ着こなす時にさえポケットに忍ばすバンダナひとつ
 
 
068:四
混声の四部合唱のソプラノが残り発声練習極まる
 
 
069:花束
ぽつねんと花束のある公園のベンチに誰が座れると云ふのか
 
 
070:曲
曲間のサーフェスノイズもはしきよしLPレコード聴いた想ひで
 
 
071:次元
三次元感覚持たぬお互いが身振り手振りで大いに語る
 
 
072:インク
想つてもみない形となるものが運命それにインクの染みも
 
 
073:額
父がゐて猫の額に譬うべき我が家の庭で物干す残像
 
 
074:麻酔
麻酔薬効き始めるのを待つてゐる歯医者の椅子のあはれ硬さや
 
 
075:続
続編のあるを心得読んでゐる正編の終章もどかしもはや
 
 
076:リズム
草臥れたコピー機械が後打ちのリズムで白い紙を吐き出す
 
 
077:櫛
櫛の歯の欠けたみたいに並んだら合唱団の練習始まる
 
 
078:携帯
バッテリー切れたつ切りの携帯のディスプレイには孤独と云ふ文字
 
 
079:ぬいぐるみ
ぬいぐるみ買つて帰つたその夜から一線越へてしまつたワタシ
 
 
080:書
読めぬ書の前に佇む吾をまた鹿爪らしく見てゐる子供
 
 
081:洗濯
気が付けば洗濯物が山成して早く洗えと促す週末
 
 
082:罠
罠だつて知つてるさ、でも覗き込むショーウィンドーの靫葛(ウツボカズラ)を
 
 
083:キャベツ
千切りのキャベツ上達する頃に独り暮らしは飽いてくるかも
 
 
084:林
どこからか誰か見てゐる果実なす林彷徨ふ羽虫の吾を 
 
 
085:胸騒ぎ
胸騒ぎしたらまあるいお腹撫でそこから上に手はやらないで
 
 
086:占
占ひに任すのもありその代はりお代はちやんと置いてゆくこと
 
 
087:計画
そのかみのアポロ計画兎らは笑ひこらへて隠れてゐたさ
 
 
088:食
悪食の鴉ゴミ箱漁り終へ次はこちらへ歩いて来るぞ
 
 
089:巻
忙しさ極まる日々に読み出した徳川家康二十六巻
 
 
090:薔薇
薔薇園を一巡りして来たと云ふ暢気な君が付けて来た棘
 
 
091:暖
ドタバタと炬燵を出せばそれだけで体、心も暖かなりし
 
 
092:届
気紛れに放つた小石なんとまあ向かふ岸まで届いてゐたか
 
 
093:ナイフ
ありていに喋り尽くしてこのうへはマック・ザ・ナイフ唄ふしかなく
 
 
094:進
何処よりか祭囃子の聴こへ来るやうに尽きせぬ行進曲なり
 
 
095:翼
トビウオの胸鰭翼となる日まで収斂進化信じて止まぬ
 
 
096:留守
留守番は楽し人気もなき部屋の吾は束の間みなしごハッチ
 
 
097:静
「静かに」と記せし白扇墨痕も鮮やかなるを呑み教壇へ
 
 
098:未来
十歩先往つてるやうな君に訊く未来はどんな風が吹いてる
 
 
099:動
背を向けて項垂れてゐるゴリラ見て動物園つて侮れないと
 
 
100:マラソン
たとふればマラソン周回遅れなしのルールと決めて棄権はしない
 
 
 
 
なんだか、いろいろと文句を垂れてしまったけれど、それでも歌を詠むと言うのは楽しいし、そうして出来上がった歌が、例えどれ程の愚作であっても、そこに自分らしさが込められている限りは、どれもみなカワイイものである。

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October 15, 2005

Becky!

メールソフトを ニフターム から Becky! Ver.2 へと切り替えて、そろそろ一月が経過しようとしている。
私がPCを買い入れて、最初に使ったメールソフトはニフティ・マネージャーである。 その次に使ったのがニフターム。 ニフティ・サーブでパソ通をやっていて、しかも当時はダイヤルアップだったので、自然、こういう選択になる。 これは、何度かバージョンアップをしながら、かなり長く使った。 こうしてニフタームにすっかり慣れてしまったので、他のメールソフトを使うことなど考えたことも無かったのだけれど、ニフティのパソ通撤退と共に、代替のメールソフトを選ぶことになった。

ニフタームに替わるメールソフトを Becky! にしたのは、これが定番ソフトのひとつだからと言う理由以外、特にない。 操作方法も(例によって、マニュアルなど碌に読みやしない)だんだんと覚えてきた。 一ヶ月近く使って、特に不満もなし。 メールの振り分けの仕方は、ニフタームによりも細やかかもしれない。 テキストメールとHTMLメール、ヘッダー部分をそれぞれ別に参照できるところなどは、とても気に入っている。
但し、これまでニフタームを使って交わして来たメールを、Becky!に移行しようとしたのが上手く行かなかった。 ここのところが、まったく持って残念至極。 ネットで、ニフターム → Becky! のコンバージョンを行うソフトを捜し出して、試してみたのだけれど、上手く行かなかった。
これが、もっとメジャーなメールソフトからの移行であれば・・・・・例えば Outlook Express → Becky! などの場合は、移行の対策やソフトなど、いろいろと用意されているようだけれど、ニフタームだとそうもいかないようで、これって、意外にマイナーなソフトだったんだねと、もう用済みとなった今頃になって思い知った次第。

【追記】
本分を投稿後、もう一度ニフターム → Becky! のコンバージョンにチャレンジしてみたところ、今度は上手く出来た!
どうやら、データをBecky!側にインポートする際の手順が悪かったようで、現在は、かつてニフターム時代に交わしたメールの全てをBecky!に取り込むめている。

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October 12, 2005

龍馬と乾杯!

もう、一ヶ月程前の話になるけれど、アサヒビールのサイトが毎週行っているアンケートで『一度で良いから、お酒を飲み交わしたい歴史上の人物は?』と言うお題が出ていた。 
 
男女別のアンケートで、一緒にお酒を飲んでみたい第一位は男女とも坂本龍馬である。 さもありなんってところか。 きっと、多くの人が幕末と現代とを重ね合わせているのじゃあないか。 天馬空を行くような、壮大な夢を聴かせて欲しい。

男性の第二位、女性の第三位は織田信長。 何と言っても戦国時代のヒーローだし、果断なリーダーに憧れるのは判るけれど、私など、万が一逆鱗に触れでもしたらと想うと、おっかなくてお酒を味わうどころではない気がするなあ。

ダントツ人気ではないかと想われた豊臣秀吉だけれど、男性が第四位、女性に至っては第十位と言う意外な結果である。 でも、私も秀吉と一緒の酒席は用心するかもしれないね。 なんだか、この人が独りで好きなだけ喋り倒して、周囲は煙に巻かれそうな気がするよ。

男性の第三位、女性の第二位は聖徳太子と言うのは、秀吉の順位と相まって興味深い。 たとえ酒席がどんなに賑やかでも、この人ならば、皆の話を余さず聴いてくれる筈である。 話し上手よりも、聴き上手を求める・・・・そうしたものなのだろうか。 一寸、意外に感じた。

さて、私なら誰と酒席を共に・・・・そう、蕪村を呼んで名月の下で一献、なんてのはどうか。

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October 10, 2005

にっぽん昆虫記

映画「にっぽん昆虫記」(1963、日)
監督: 今村昌平
出演: 左幸子、吉村実子

標題の映画を観た。 また、今村昌平監督の作品。
題名からファーブルの「昆虫記」が連想されるように、これは、一人の女の半生を冷徹な視点で描く。 それも、学者が地を這う昆虫を観察するようなクールさで。 そう。 虫は、その行く手にどんな困難があっても決してメゲナイ。 時に、傍目には愚かな程の実直さでひたすらに歩み続けるのである。

山間の貧しい村に生まれ育ち、終戦と同時に家族を離れて上京する主人公。 ふとしたきっかけから賤業に手を染め、その世界で漸く成功を収めようというところで惨めな挫折を味わう。 それでも、主人公はどこまでも自分の道を往くのである。
場面の変り目毎に画面がストップモーションとなって、主人公がその心境を詠う狂歌がアッケラカンと朗詠される。 モノクロの画像が凄く好い。 モノクロの旨味を知り抜いているね。 流石。

主人公が地にしがみつくように、無我夢中で生きていく様子を観察する今村監督の視線は厳しい。 けれど、その厳しさを突き抜けたところに姿を現わす人間の力強さからは、観る者を惹き付けて離さない一種の磁力を感じる。
決して軽くは無いテーマを描いて、時折コミカルな部分もあるのは「豚と軍艦」と同様で、これは今村監督の持ち味なのだろう。
「豚と軍艦」と同様、これも、深い感銘を受けた映画。

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October 08, 2005

徳川家康」第8巻 心火の巻

「徳川家康」 第8巻 心火の巻
         (山岡荘八著 講談社文庫)
 
 
 
     ときは今天が下しる五月かな    惟任日向守
 
 
 
武田家を倒した織田信長が安土に向けて堂々の凱旋を果たす。
その道中、駿河、遠江、三河を通過する信長一行を、常日頃は質素倹約をトレードマークにする家康が、至れり尽せりの大盤振る舞いで持てなすのである。 これは、信長に対する感謝と友好の現れなどではなく、また一歩、天下人に近付いた信長のことを、家康がどれだけ恐れていたか、慎重な態度を取らざるを得なかったかの証しであろう。
傍目には極めて良好に見える徳川と織田の関係だが、実際は徳川方に取って大変にリスクの大きものであったと知れる。 とにかく、こと信長との付き合いに関しては、万事に遺漏があってはならなかった。

信長はその返礼として、家康を安土城に招待する。 だがこれには、それまで同盟関係を保ってきた家康を臣従させると言う、その確認の儀式としての意味合いもあった。 前巻では信長の一存で妻子の命を奪われたり、共に仇敵武田家と戦ったりして、それが今回は安土への招待である。 これほどまでに信長に振り回されても、一向に弱る風でもない家康。 何ごとも平然と受け止める、おそろしい程の懐の深さは余人に真似の出来ないところであろう。

家康は岡崎城で、久しく逢うことのなかった於大の方との対面を果たした。 かつて、松平家のもっとも苦しかった時代を知っている於大の方にとって、今や駿河、遠江、三河三国の主となった家康を迎える、その感慨はいかばかりだったろう。 他の者から見れば上げ潮に乗ったかのような家康であったが、聡明な於大の方だけは、信長との関係に苦悩している家康の立場に気付いていたのである。 母の前でしばしの間、竹千代の昔に帰る家康。

家康は重臣たちと共に安土へ旅立った。 家康が信長へと持参した進物は、徳川家の一体どこに、これほどの財力があったかと思わせる豪華さであった。 常日頃から家中に徹底させてきた倹約分を、ここぞとばかりに、進物に注ぎ込んだのである。 ここからも家康の、信長に対する畏れを窺い知ることが出来る。

   △▼△▼△▼

信長は、家康の接待役として重臣たちの中から明智光秀を指名する。 万事に卒の無い光秀が考え抜き、贅を尽くした接待振りはしかし、信長の不興を買い、光秀は満座の中で打擲を受ける。
この、性格の激しく異なる主従の意見が対立するのは、珍しいことでもなかったのだが、折悪しく、徳川信康、佐久間信盛、荒木村重、林佐渡ら、大名、重臣らへの粛清が相次いだ時期である。 こうなると光秀としては、信長との間に起こる出来事を、なにもかも悪い方向へと考えざるを得ない。
「このままでは、次に滅ぼされるのは自分に違いない・・・・・」、こう考えるのは自然な帰結であり、その先には謀反と言う選択肢以外あり得なかった。

この当時の信長は、その臣下たちにとって、あまりにもリスクの大きな主君になっていた訳である。 でも、そんな信長を本気で心配していたのは、光秀だけだったのかもしれない。 常に信長から怒りを買いやすいポジションに居ただけに、そこのところを切実に感じたのではないか。
本書の執筆当時の一派的な光秀感としては、光秀は主君の真意と時勢を読み違えて謀反に走った愚かな家臣と言うことになるのだろうか。 でも、信長が光秀の被害妄想を煽ってしまい、更には明智家中をまとめてキレさせてしまったのだとしたら、謀反の原因は光秀ばかりにあると言う訳にもゆかぬのではないか。

   △▼△▼△▼

こうして謀反は決定したのだが、光秀はその決行直前に連歌興行を催す。 その発句として、このような句を詠んでいる。
 
 
     ときは今天が下しる五月かな
 
 
「とき」は土岐氏=明智氏に掛かると言う。
光秀は何を言いたかったのだろう。 この発句を廻っては、いろいろな解釈があるようだけれど、光秀は、本当はその謀反を誰かに諌めて欲しかったのじゃないか・・・・・ 自分としては、そのように想っている。
この後、光秀の率いる明智勢一万一千余りは本能寺を目指すのである。

   △▼△▼△▼

本能寺の変である。
もしも信長が、この時生き延びていたら・・・・・ いわゆる歴史上の if の中でも、これは、もっとも魅力の尽きない if かと思う。 だが、作者の山岡荘八は、信長は既に戦国の世の破壊者としての役割を終えており、もはや時代の子ではなくなった彼の、その滅亡は必然と言う見方をしている。

明智軍に完全に包囲された絶望的な状況の中、自ら弓を取って反撃する信長。
この日、信長の警護にあたっていた家臣は少数ながら、その何れもが一騎当千の者供であった。 小姓の森蘭丸はもとより、その弟の坊丸、幼い力丸までもが死力を尽くして戦う中、濃御前もまた薙刀を取って、明智の軍勢の前に立ち塞がる。
信長が、その覇業を進めるなかで、次第に自分との距離を感じ始めていた濃御前である。 当代きっての英雄の妻が心に秘めた悩み。 それが、この最期の場に至って、若い日のように、吉法師と濃姫の二人に帰って共に戦っていた。 不思議な満足感の中で、敵の刃に倒れる濃御前。 そして、夜の明け初める頃、本能寺は灰燼に帰したのである。

   △▼△▼△▼

本能寺の変の少し前、安土城を後にした家康一向は故国へ帰る途中、堺に降り立っていた。 家康の堺デビューである。
家康ら戦国大名が互いにしのぎを削る世とは別に、堺を中心に大商人たちの世が出来上がっていた。 諸外国との貿易を通じて、その視野は大名たちなどよりも、余程広かったと言える。

ここに、あの竹之内波太郎が久々に登場する。 一体何巻ぶりのお目見えであろうか。 三河にあっては神職であった波太郎だが、ここでは何故か堺の商人となっており、納屋蕉庵と名乗る。 年齢を感じさせない美貌と思わせぶりな態度は以前と同様。 相変わらずよく判らない男なのである。
その納屋蕉庵をはじめとする堺の商人たちに言わせれば、戦国武将の戦いなど馬鹿馬鹿しい限りである。 天下国家を論じる大商人たちのビジョンは、なまじい戦国武将の遥かに先を行っている。

本能寺の変の知らせを聞いた家康主従は、急遽堺から三河へと向かう。 とにかく、大急ぎで帰還し、信長なき後の天下の情勢に対応しなければならなかった。
家康は、この逃避行の途中、図らずも市井に暮らす農民、漁師、更には一揆の首謀者と言葉を交わした。 家康は、こうした中から時勢を読み取り、ここ当分は天下取りに乗り出さないことにする。

家康の懐刀、京の商人茶屋四郎次郎は、大阪に下る三十石舟の中で旅姿の女と出会う。 茶屋は、身分を明かさないその女と会話するうちに、その正体は明智光秀の娘にして細川忠興の妻、細川ガラシア夫人なのだと見抜いていた。
彼女はこれから夫と、出来れば父に逢いに行くと言う、この女性もまた、本能寺の変によって運命が一転した一人である。 茶屋と話す中で、父、光秀の戦略眼の無さを容赦なく批判し、夫の優柔不断をなじるガラシア夫人。 娘による父親評は極めて辛らつなものであり、また、夫に対する評価もクールである。 運命を父、嫁しては夫に手に委ねるしかなかった、当時の女性の無念さ。

さて、私には、ここへ来て作者山岡荘八の光秀感が今ひとつ良く判らないでいる。 時勢を読み違え、独り先走って信長を討った。 誰よりも思慮深い光秀が、気が付けば、もっとも自分らしくない道を選んでいた。 と言うのが、どうにも説得力に欠ける気がして、今ひとつ納得がいかないのである。
何より、謀反と言う後戻りの出来ない選択に、ここでの光秀は、あまりにもあっさりと行き着いてしまった。 これが不自然。 「そうだ! この日、本能寺の信長はノーガードなのだ!」と気が付く瞬間や、謀反を決行することへの逡巡の場面などを読んでみたかった気がする。

   △▼△▼△▼

さて、羽柴秀吉である。
信長の訃報を聴いて子供のように泣きじゃくる一方で、同時に天下取りへの布石を打ち始める。 これが秀吉である。 対陣中の毛利軍を寝技で押さえ込み、中国大返しを成功させたあとは、山崎の合戦に、文字通り全身全霊を注ぎ込む。
一体、秀吉のする戦とは、それ以前に充分な準備、根回しをし尽くし、敵方の有力武将も味方に引っ張り込む。 そうして、自軍の勝利する以外ありえないところまでやり遂げてから、ようやく合戦を始めると言うものである。
山崎の合戦は、いざ始まって見ると数時間で勝負がついた。 光秀の旧態依然とした合戦のスタイルが、秀吉の合理的な戦略に追いつかなかったのである。
光秀、50余年の経歴のあっけない幕切れである。 思えば、信長に仕えていた頃から最期の瞬間まで寸刻も、心身ともに休まる暇のない人生であった。 そこには、真面目一方で遊び下手、働くばかりのお父さんと言うイメージがあって、その哀れな末路には共感してしまうのである。
 
 
 
 
細川ガラシヤ夫人 「それはのう、二つのことが確かめて
             みたいばかりであった」
茶屋四郎次郎   「二つのこと・・・・・・と、いわっしゃる
             と?」
細川ガラシヤ夫人 「かりに明智どのをわが父として・・・・・・
             父が何を考えて、右府さまを討った
             のか?
             右府さまのようなお方一人を斬りさえ
             すれば、この世が正されるものと
             思ったのかどうか?」
茶屋四郎次郎   「そう思うて斬ったといわっしゃったら?」
細川ガラシヤ夫人 「笑うてやります。 そのような浅はかさ
             では、斬って斬られて
             乱世は永劫につづきますると、笑うて
             やります。
茶屋四郎次郎   「ウーム。 それが一つで、もう一つ
             確かめたいといわっしゃるは?」
細川ガラシヤ夫人 「父のもとから丹後へ赴き、
             良人に一言訊いてみたい・・・・・・」
茶屋四郎次郎   「何とお訊ねなさりまする?」
細川ガラシヤ夫人 「父へ味方するは無駄なこととすすめた
             上で、良人にわらわを何とするかと。
             逆臣の娘ゆえ、首を討って差出すと
             言われるか、それともわが身の命
             乞いをしてくれるか?」
茶屋四郎次郎   「首討って差出すといったら」
細川ガラシヤ夫人 「笑うてやります。 それは意思でも
             義理でもない。
             弱い負け犬の、保身のための追従と
             笑うて首を討たれてやります」
 
 
 
 
<<登場人部>>

<徳川家>
徳川家康:徳川家当主
お愛の方:西郷の局
於大の方:家康の生母
於義丸:家康の次男
長松丸:家康の三男
福松丸:家康の四男
<徳川家家臣>
阿部善九郎
伊井万千代直政:小姓
穴山梅雪:元武田の重臣
高力清長
榊原小平太康政
酒井左衛門尉忠次:宴会芸は蝦すくい
菅沼定蔵
石川康通
石川伯耆守数正
大久保治右衛門忠佐
大久保忠隣
茶屋四郎次郎:京の商人
長坂九郎:血槍九郎
鳥居松丸:小姓
鳥居彦右衛門元忠
天野康景
渡辺半蔵
服部半蔵正成
牧野康成
本多作左衛門:一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ
本多百助
本多平八郎忠勝:家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多平八

<織田家>
織田信長:織田家当主
織田信忠:織田家嫡子
神戸信孝:信長の三男
織田源三郎勝長:信長の末子
濃御前:信長の正室
<織田家家臣>
加藤光泰
高橋虎松:信長の小姓
高山右近
山田弥太郎:信長の小姓
柴田修理亮勝家
小川愛平:信長の小姓
織田九郎次郎
森坊丸:信長の小姓
森蘭丸:信長の小姓
森力丸:信長の小姓
神子田正治
杉原七郎左衛門家次
青山与総
大塚弥三郎:信長の小姓
丹羽長秀:惟住五郎左衛門
池田信輝
中川清秀
中村一氏
長谷川宗仁
長谷川秀一
長谷川竹丸
津田勘七
津田又十郎
筒井順慶
薄田与五郎:信長の小姓
飯川宮松:信長の小姓
堀久太郎秀政
又一郎:信長の小姓
木村隼人
弥助:宣教師ワリヤーニが信長に献じた黒坊主
夕菴:右筆
落合小八郎:信長の小姓

<羽柴家>
羽柴秀吉
羽柴秀勝:秀吉の養子 信長の四男
<羽柴家家臣>
黒田勘兵衛:軍師
蜂須賀彦右衛門:小六
蜂須賀家政:彦右衛門の長男
山内伊右衛門一豊:「山内一豊の妻」の夫
藤堂与右衛門高虎
浅野弥兵衛
石田佐吉
大村幽古:お伽衆
大谷平馬
福島市松
三好一路
小西弥九郎行長

<毛利家>
<毛利家家臣>
清水宗治:高松城城主
安国寺恵瓊:毛利の交渉人

<明智家>
明智光秀:惟任日向守
明智十兵衛光慶:光秀の長男
明智十次郎:光秀の次男
明智十三郎:光秀の三男
明智乙寿丸:光秀の末子
明智左馬助光春:本能寺攻めを指揮する
明智治左衛門
明智左衛門
明智十郎左衛門
明智光廉入道長閑斎
<明智家家臣>
阿部貞征
安田作兵衛:本能寺攻めに加わる
伊勢与三郎貞中
隠岐五郎兵衛
奥田宮内一氏
御牧三左衛門
溝尾勝兵衛
荒木山城守
荒木友之丞
妻木主計頭
斎藤内臓助
斎藤利三
三宅式部秀朝
三宅孫十郎
三宅孫十郎:本能寺攻めに加わる
山岡対馬守和久
山本三右衛門:本能寺攻めに加わる
四王天但馬守:本能寺攻めに加わる
四王天又兵衛:但馬守の嫡男 本能寺攻めに加わる
柴田源左衛門
松田太郎左衛門
進士作左衛門
諏訪内藤介利三
諏訪飛騨守
村越三十郎
村越三十郎景則
村上和泉
津田与三郎
東六郎兵衛
藤田伝五郎
比田帯刀
並河掃部介
堀尾与次郎

<堺衆>
おぎん:千ノ宗易の娘
今井宗久
松井友閑:宮内卿法印 堺奉行
杉本新左衛門:曾呂利新左衛門
納屋蕉庵:竹之内波太郎
木の実:納屋蕉庵の養女 水野信元の娘

<細川家>
細川藤孝
細川与一郎忠興:藤孝の子
桔梗:忠興の妻 明智光秀の次女 細川ガラシヤ夫人
<細川家家臣>
松井康之

<その他>
角屋七郎兵衛:松阪の商人
亀屋栄任:商人 家康の道案内を務める
吉永小平太:上京する明智軍を目撃する
近衛前久
兼如法師:光秀の連歌興行に加わる
顕空:当正住院住職 家康を助ける
幸若八郎九郎太夫
行祐房:西の房威徳院 光秀の連歌興行に加わる
桜谷の関兵衛:一揆の首謀者
山口藤左衛門光広:宇治田原の長者 家康を助ける
鹿飛村の弥六:一揆の首謀者
小川孫三:家康一行を海路案内する
昌叱法橋:光秀の連歌興行に加わる
紹巴法橋:里村紹巴? 光秀の連歌興行に加わる
心前法橋:光秀の連歌興行に加わる
村井長門守:所司代 吉永小平太の主人
大石村の孫四郎:一揆の首謀者
大善院宥源:光秀の連歌興行に加わる
丹波猿楽梅若太夫
柘植三之丞:伊賀者 家康一行の道案内を務める
田上の六左衛門:一揆の首謀者
八兵衛:庄屋 家康一行の道案内を務める
淀屋常安:大阪の商人
 
  
 
光秀の最期は、己の野望の果てと言うよりも、生き延びるために止む無く選んだ路が、謀反と言う、もっとも彼らしくない手段であったところがあまりにも痛烈な皮肉と感じられる。 作者、山岡荘八が、この、稀代の叛臣を単純な悪役として据えなかったことで、これは、自分にとって忘れられない一巻となった。
それにしても今や、山岡荘八がこの作品を執筆した当時よりはずっと、明智光秀と言う人物に対して共感しやすい時代となっているのではないだろうか。
 
 
 
天下泰平まであと18巻。

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October 04, 2005

檸檬爆弾

※ なんだか、屁爆弾さんのご親戚か?と言う感じの標題だけれど、ちょっと気に入ってしまったので、この題で行かせて貰います。 何卒ご容赦を。


丸善(書店)の京都河原町店が近く閉店する。
それで、梶井基次郎の「檸檬」よろしく、陳列してある本の上にそっとレモンを置いて、「なに喰はぬ顔をして」立ち去る客がいるのだという。 そういったことは、これまでにも年に数回あったらしいけれど、それが、閉店を間近に控えたここへ来て急増しているらしい。 駆け込み檸檬だ。
丸善側も心得たもので、こうして集まったレモンをバスケットに納めて、文庫版の「檸檬」の傍に置いてあるのだと言う。 なんとも粋な計らいではないか。 そのお陰か、「檸檬」が日に60冊も売れるのだそうだから、これまた結構な話しである。

私は京都には全く疎くて、無論、丸善の京都河原町店に入ったこともない。 知っているのは、「檸檬」の中に描かれる丸善京都河原町店。 梶井基次郎が黄金色の檸檬爆弾を置いていった、ハイカラな店のイメージのみである。 それでも何時か京都を歩いてみたいな。 ホンモノの、物騒な方の爆弾は御免だけれど、心中の檸檬爆弾ならば、在庫が幾らももあるのだ。

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October 01, 2005

ウォークマンを買う

このところ、疲れが眼に来たものか、通勤電車内で本を読み辛くなってしまっている。 車中では元々、大概雑誌やら文庫本(家康とか)を読んでいるのだけれど、最近は、じきに眼が痛くなってしまって、それが捗らないのだ。 頭痛がするとかとは違い、眼さえ使わなければ好い訳なので、長らく使っていなかったウォークマンを持ち出して、車中の退屈しのぎにあてようと想い付いた。
以前は車中ウォークマン派で、カセット、CD合わせて、これまでに数台のプレーヤーを愛用して来たのである。 で、ずっと以前使っていたウォークマンを捜したのだけれど、これが見当たらない・・・・とっくに捨てていたらしい。

早速、近所の電気屋へCDのウォークマンを買いに行った。 いや、当節はMP3が流行で、ipodがブレイク中ってことくらいは、自分だって心得てはいますよ。 けれど、そこは生来のオクテで、どうしても昔ながらの(?!)CDのウォークマンに眼が向いてしまうんだね。
一体、自分は余程保守的に出来ているものなのか、こういうモノを導入するのに、極めてオクテの性質である。
初めてカセットのウォークマンを買ったのも、普及し始めてから大分経ってからの事だし、それをCDのウォークマンに切り替えるのも同様、かなりオクレテの事である。 とは言え、どちらも一旦使い始めるとなると、すぐにハマってしまったんだから、我ながら現金な話しではある。
で、そのCDのウォークマン。 店頭の品揃えは、かなり寂しかった。 ユーザーとして、選択肢の少ないのは、やはり残念な話しではある。 やはり、商品としては盛りの時期は既に終えていると言う事だろうか。 無論、カセットのウォークマンの品揃え程、寂しくはない訳だけれど。 それでも、昔日の活気は、もう見られないみたい。

結局のところ、買い求めたのは、かつて愛用していたのと同じく、SONYの製品えある。 特段、メーカーに拘りはないのだけれど、スッキリとしたデザインと、比較的小さいのと、余分な機能が付いていないのと、バッテリーが連続42時間使えると言った辺りが決め手。
それにしても、ウォークマンも随分と進化したものである。 価格が安くなったし、小さくてスマートだし、昔使っていた奴と比べると、隔世の感があるよ。 マニュアルなんて読みやしないズボラなユーザー(わたしのことです。 はい)でも、どうにか使いこなせてしまうリモコンや、簡便なケース。 商品の梱包すら、徹底的に無駄を省いてあって、感心してしまった。

このところ、このCDのウォークマンを毎日使っているけれど、まずまず満足している。 でも、バッテリーの充電が、何時終わったのか判らないのが不満と言えば不満かな。 それと、そのバッテリーだけれど、能書きの通り本当に連続42時間も使えているのかしら。(ちょっと懐疑的)

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