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September 23, 2005

にあんちゃん

映画「にあんちゃん」(1959、日)
監督: 今村昌平
出演: 長門裕之、松尾嘉代、沖村武、前田暁子

標題の映画を観た。 これも今村昌平監督の作品。
舞台は、昭和28~9年頃の、佐賀県にある小さな炭鉱。 石炭産業が不況のどん底に喘ぐ時代、両親を失い他に身寄りの無い兄弟四人が、懸命に生きてゆく姿を描いた作品である。

両親を亡くし、今や唯一の稼ぎ手となった長男の失業。 口減らしのために長女が奉公に出たり、未だ小学生の次男と次女は知り合いの伯父さんの家に預けられたりと、四人兄弟は分かれて住むことを余儀なくされ、更に、これでもか、これでもかと、困難が降りかかる。
どんなに生活が苦しくとも、兄弟四人揃って暮らしてゆきたいと言うのが、彼らの唯一の望みなのだが、貧困のためにそれも叶わない。 やがて、炭鉱も閉山と決まる。

こういったシチュエーションから予想される愁嘆場とか、お涙頂戴の名場面とかは、しかし、今村監督作品の場合出て来ないのである。 その代わりに、過酷な現実を、ひたひたと、クールに描き綴ることで、却って四人兄弟それぞれの強さ、前向きさが伝わって来る。

長男役は長門裕之。 ここでは一家を背負って立つ純朴な青年役で、「豚と軍艦」でのようなハジケ方は見せない。 映画そのものは、どちらかと言えば暗い話しなのだけれど、隣家の伯父さんや、先生、長男の親友など、兄弟の周囲に好人物を絡めて、ドラマを軽快に進める。 コミカルな場面もある。
この映画からは、 「豚と軍艦」のような圧倒的なパワーは感じられないのだけれど、小学生の次男と次女の視点から描いて、将来への希望を語らせることで、ラストを明るくしているのである。 観終わって、気分の爽やかになる秀作であった。

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September 19, 2005

豚と軍艦

 
 映画「豚と軍艦」
  監督: 今村昌平
  出演: 長門裕之、吉村実子、丹波哲郎

    1961年、日本


標題の映画を観た。 セプテンバー11に続いての、今村昌平監督作品である。
舞台は昭和30年代の横須賀。 米軍基地に寄生するヤクザ組織のチンピラ欣太(長門裕之)が主人公。
夏だって言うのに、一張羅のスカジャンを手放さない。 兎に角滅法活きが好い。 これっぽっちも品が無くて、虚勢を張りたがるくせに傷付きやすく、その上、不器用で一途な大バカ野郎である。 要するにカワイイ奴なんである。
白状してしまうと、私、この時代の長門裕之に付いては何も知らなかったのである。 子供の頃から、テレビのホームドラマやバラエティものの人としだけ見知っていたので。
昔から、イワユルフツーの伯父さんとばかり想っていたのが、若い頃にはずいぶん無茶をやってたのね、ってな感じ。 すっかり認識を新たにしてしまったよ。 あのオジサンに、こんなにも輝いた青春があったのかよ! なんて言ったら失礼だろうか?

欣太の相手役、「はるっぺ」こと春子(吉村実子)。 若い。 その若さ故の、体当たりの演技・・・・・ってのは使い古された表現だろうけれど、この人に関しては兎に角他に言いようが無くて、その若さに終始当てられるっぱなしであった。

欣太の兄貴分、人斬り鉄次(丹波哲郎)。 この役者に付いても、壮年期以降のドラマや、やはりバラエティものでの怪演しか知らないのだけれど、どこか人を食った演技は、やはりこの頃から、単なる二枚目に納まる人ではなかったのだと想わせられる。

昭和30年代の横須賀の景観がまた好いのだ。 夏の横須賀の街と海と山、湾内にぷかぷか浮いたアメリカの軍艦、戦勝国らしく脳天気な米兵たち、そこにハゲタカのように群がる男女の群れ。
それからドブ板の様子。 その造り込み振りが素晴らしい。 ドブ板を闊歩する男女、米兵の一人一人に至るまでが活き活きと呼吸して、作品世界を造っているのだ。
映画のラストでは、そのドブ板を、無数の豚の群れが埋め尽くしてしまう。 全編汗臭くて泥臭い、夏の映画だ。 もの凄い映画を観た。
 

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September 15, 2005

セプテンバー11

映画「セプテンバー11」(2002、仏)
  監督:S・マフマルバフ(イラン)
      C・ルルーシュ(フランス)
      Y・シャヒーン(エジプト)
      D・タノヴィッチ(ボスニア=ヘルツェゴビナ)
      I・ウェドラオゴ(ブルキナファソ)
      K・ローチ(イギリス)
      A・G・イニャリトウ(メキシコ)
      A・ギタイ(イスラエル)
      M・ナイール(インド)
      S・ペン(アメリカ)
      今村昌平 (日本)

総選挙のあった2005年9月11日(日)。 投票を済ませてから、川崎市民ミュージアムで標題の映画を観た。
世界11カ国の映画監督が、2001年9月11日アメリカで起きた同時多発テロをテーマに撮った短編オムニバス映画である。 上映時間は各々11分9秒1フレーム。 それ以外には、統一したコンセプトなど無い。 その分、各国を代表する映画監督たちの個性や、この事件に対する視点がストレートに現われることになる。

イランからの作品。 もうすぐ、怒ったアメリカが攻めて来るぞ! 核シェルターを造ろうと、慌てて土を捏ねてレンガを焼き始める人々。
子供たちに貿易センタービルを説明しあぐねる若い先生。 この辺りで一番高いもの・・・レンガを焼く煙突を指差す先生。 円らな瞳で煙突を見上げる子供たち。

ブルキナファソ。 アフリカの小国からの作品も、アメリカの大事件など実感されない暮らしの中で、ビンラディン(のそっくりさん)を見つけた少年たちの、小さな冒険をユーモラスに描く。

イスラエルからの作品は、こっちではテロなんて日常茶飯事で珍しくもないさ、とでも言いたげに、テルアビブ市内のテロ現場からの中継を丸々11分描いてしまう。

フランスはクロード・ルルーシュ監督。 静謐さの中に、信じ合う心を描いて最も感銘が深かった。

インドの作品。 あの日、救助のために、崩落する貿易センタービルに飛び込んで、そのまま亡くなったイスラム教徒の少年がいた。 イスラム教徒である故に、実行犯の一味ではないかと疑われて、その家族は、世間はおろか、日頃から親しくしていた隣人からも白い眼を向けられる・・・ 信仰と信念、そして勇気を描いた秀作。

アメリカだけれど、不思議と怒りを描こうとしない。 何故だろう。 抗議しない、戦わないアメリカを見せられて、観ているこちらおn方が途惑ってしまった。 愛する者を失った老人の悲しみを、抑制の効いたタッチで描いた、素晴らしく完成度の高い映像作品である。

そして日本。 今村昌平監督の作品はある意味もっとも難解かもしれない。 聖戦を謳う太平洋戦争から、故郷の村へと帰って来た男。 旧弊な村社会の中で、もはや人間としての自分を否定し、蛇になってしまった男を描いて、聖戦なんかありはしないと叫ぶのである。

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September 11, 2005

投票日

第44回総選挙の日。
朝から投票に行く積もりが、結局お昼近くになってしまった。 何時でも行けると想うから、ついつい出遅れてしまう。 なにしろ、投票場となる小学校は拙宅の目の前、徒歩5分の好位置にあるのである。

<スタッフ>
投票場は何時もの通り、小学校の体育館の中である。 自分も、ここは初めてではない。 とは言え、久々のことなので、すっかり勝手を忘れている。 スタッフの方々に案内して貰った訳だけれど、みなさん笑顔を絶やさず、誠に気持ちが好かった。

<閑古鳥>
今回の選挙は投票率が高いそうだけれど、我が投票場に関しては、妙に閑散としていた。 我が地区は、投票率が低いのだろうか? ちょっと不安になる。 自分が、偶々空いている時間に出掛けたと言う事なのかもしれないけれど。

<何故に民謡>
体育館の床に置かれたラジカセからは小さな音で民謡が流れていた。 何節か、とかは不明。 まあ、こういう場所でのBGMは相当気を使うと想うけれど、(特定の政党や個人をイメージさせたりする曲はマズイでしょうし)民謡はびっくりしたなあ。

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September 08, 2005

コーラス

 映画「コーラス」 (2004、仏)
   監督: クリストフ・バラティエ
   出演:ジェラール・ジュニョ(クレマン・マチュー先生)
       フランソワ・ベルレアン(ラシャン校長)
       ジャン=バティスト・モニエ(モランジュ)

標題の映画を観た。
不肖、かつて合唱団で歌っていたことがる。 学生時代から始めて、社会人となってからも長く続けていた。 通算すると、かなりの年月を合唱に捧げてきたことになる。
今はやっていない。

一体、音楽に関わる映画と言うのは少なくないけれど、その中でも合唱が主役となると、とんと思い当たらない。 別に映画に詳しい訳ではないけれど、多分、殆んど存在しないのではないだろうか。 自分の合唱団時代を懐かしむような気分で、映画館へと脚を運んだ。

ニューヨークの、とあるコンサートホール。 楽屋で開演を待つフランス人指揮者モランジュ・・・ベテランの域から、巨匠への路を歩み始めたと言う辺りか・・・のもとへ届いた故国からの電話は、愛する母親の死を告げるものだった。
急ぎ帰国した彼は、葬儀を済ませた後、かつて寄宿舎で共に暮らした幼馴染のペピノと、半世紀ぶりの再開を果たす。
古いアルバムを挟んで、幼い日々を懐かしむ男たち。 指揮者として飛ぶ鳥を落とす勢いのモランジュの眼光の鋭さと、ペピノの人の良さ丸出しの顔つきからは、二人の過ごした、半世紀に渡る人生の相違を見て取ることが出来そうだ。
アルバムの集合写真に見入る二人の話題は、やがて、舎監のマチュー先生の想い出に・・・

巧みなイントロに導かれて、観客は第二次世界大戦後間もないフランスの片田舎、山中に建つ古城、と言うよりはまるで監獄のような寄宿舎へと誘われるのである。
その、山中の寄宿舎に舎監として赴任したマチュー先生が出会ったのは、殺伐とした環境の中で荒みきった少年たちと、体罰を信奉して止まない校長であった。
かつて音楽を志していたマチュー先生は、少年たちの悪戯に手を焼きながらも、彼らに合唱を教えることで、その荒みきった心を開かせることに成功する。 幼くて、未だみんなと声を揃えて歌うことの出来ないペピノ。 問題児だったモランジュは、マチュー先生からその音楽の才能を見出され、独唱者として抜擢される。

練習のシーンは、階名を教え、パート割けしたと想ったら、すぐに綺麗なハーモニーを響かせ始めるなど、至極あっさりとしたもので、先生や子供たちがどう苦労したかとか、猛練習したとか、その中で忍耐力や集中力を獲得していったかなど、語られることはないのである。 もっとも、自分は児童合唱と言うものをまるで知らないので、全然的外れのことを言っているかもしれない。
肝心(自分にとって)の合唱の方は、何れも初めて耳にする曲ばかりであった。 流石はフランス本国で大ヒットを記録し、音楽関係の賞を幾つも受賞したと言うだけあって、なかなか聴かせる内容である。 それも、音楽的に過度に洗練されきった風ではないので、その分、映像から浮き上がってしまうと言ったことも無いのである。

この映画は、ストーリー上ところどころに起伏があるものの、クライマックスらしきものはなく、どちらかと言えば淡々と進む。 コンサートを開くでもないし、コンクールに打って出るとか言う訳でもない。 慈善道楽の伯爵夫人を寄宿舎に招いての、言わば御前演奏会が、彼らにとっての唯一の晴れ舞台だったと言える。
そんな地味な展開の中での唯一のトキメキはと言えばマチュー先生の、モランジュの母親で寡婦のヴィオレットへの淡い恋心である。 中年男女、なかなか好い雰囲気ではないかと想っていたら、ヴィオレットはマチュー先生などまるで眼中になかったらしく、あっさりと他の男・・・自家用車を乗り回し、パリッとした身なりの伊達男と・・・再婚してしまう。

こんなオヤジは、やっぱり駄目ですか? ハゲだし(失礼)、デブだし(すまぬ)、でも優し、く誠実で、忍耐強く、あなたを愛し、その上子供たちの心をしっかりと掴んでいます。

ところで、ヴィオレットのこの選択は、後々モランジュのトラウマとなったのではないか? 彼の美貌と才能に惹かれる女たちは後を絶たなかったが、「オマエら、どーせ、見てくれだけが肝心なんだろ!?」 とばかりに、女性に心を開くことの無いモランジュは生涯を独身を通す・・・なんてね。 これは、もとよしの妄想ですが。

寄宿舎に札付きのワル、問題児が入って来た。 流石のマチュー先生も彼の心を開かせることは出来ず、挙句、最後には寄宿舎が放火されてしまう。 責任を問われたマチュー先生は職を追われる羽目に会う。
それから校長。 体罰の信奉者として登場した彼も、一旦は合唱団を始めたマチュー先生の理解者となったかと想うと、その合唱団の評判を我が身の出世に利用しようと立ち回ったりする。 寄宿舎への放火騒ぎに激怒して、マチュー先生を解雇したのも彼である。

同じく音楽教師と子供たちを描いた映画でも、例えば「ミュージック・オブ・ハート」(1999、米)などは、登場人物がみんな好い人・・・敵役で登場しても、ラストには主人公の頼もしいサポーターになっていたり・・・なのに比べて、ここでは、ワルは最後までワルなのである。 救いが無い、と言えばそれまでだけれど、ある意味リアルだし、観る側にも、それだけ懐の深さを要求していると想う。

この映画を観終わった後、実は若干の物足りなさが残ったのである。 やはり、盛り上がりには欠けましたからねえ。 でも、その翌日からじわじわと感動が湧き上がって来たのには、我ながら驚いている。 それは、今までに感じることのなかった、不思議な類の感動である。

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September 04, 2005

日曜日の世田谷線

久しぶりに完全フリーの日曜日だった。 砂漠のオアシスみたいなもの、と言ったらオーバーだけれど、そうでも言いたくなるくらい、今日は自分にとってありがたい一日なのである。

せっかくの休日なのだからして、のんびり映画でも観てやるかと思い立って、お昼頃に家を出た。 こんな日に家にいると、ぼーっと無為な時間を過ごして、挙句後悔ばかりが残ったりして大概ロクなことは無いですからねえ。 電車を乗り継ぎ、三軒茶屋から世田谷線に乗って、下高井戸までゆく。

世田谷線を利用するのは、本当に久しぶりのことになる。 映画ももちろん楽しみなのだけれど、この世田谷線に乗ることも、また本日のお楽しみのひとつだったりするのである。 一体、世田谷線と言うのは、ひょっとしてこれは何かの間違いなのではないかと心配してしまうくらい、ゆっくり、ゆっくりと走る。 その、沿線の風景を一々しっかりと見ながら走る、と言うよりは移動してゆく雰囲気がとても快適のである。 独特の車両のデザインも、のんびりとした雰囲気があって好きだ。

もう何年も前の梅雨時にこの世田谷線に乗ったことがあって、折りしも沿線一帯に紫陽花が咲き競っているのを観たことがある。 文字通りの紫陽花電車である。 あれは見事だった。 今日は晩夏の柔らかい陽射しに映える、世田谷線沿線の景色が、出来るだけのんびりとしたい、今の自分にはとてもありがたかった。 癒し系の沿線である。

すっかり忘れていたけれど、世田谷線は他の路線の鉄のような券売機がなくて、駅員に直接料金を支払う(バスみたいな)スタイルなのが面白い。 パスネットはここでも使えるのだろうか?

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