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August 29, 2005

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1~3番、ロンド

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番 K.207
         同・第2番 K.211
         同・第3番 K.216
         ロンド K.373
   ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリンと指揮)
   ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
       EMI CDM 7 69176 2

これも、随分と以前に買い求めたCDである。 それを先日、何の気なしに聴き返してみたら、これがバカに好かった。

実はこのCD、買い求めた当時は、それ程好い演奏とも想わなかったのである。 モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、やはり全曲聴いておきたい。 名ヴァイオリニストのオイストラフの演奏も、また聴いておきたい。 きっと、その程度の動機で買い求めた筈である。
で、それを買い求めて、早速聴いてみたら、訴えかけてくるものの少ない、地味なばかりの演奏と感じたのである。 録音の方も一向にパッとしないので、聴いていて少しも面白くない。 ヴァイオリン協奏曲の第1番~第3番と言う演目共々、やっぱり地味でつまんないや、と。 オイストラフと自分とは、どうも相性が悪いらしい。 ベルリン・フィルと言えども、こんな地味で大人しい演奏をすることもあるんだね、なんて具合に想い込んで、以来、CDを部屋の片隅に放り込んだままにしていた。

その、自分にとっては一旦は不発に終わったCDを、今度、偶さかプレーヤーに掛けてみて、俄然見直してしまったと言う訳である。
オイストラフのヴァイオリンは、なよやかな美音で聴かせたり、あるいは嫋々と泣かせたりもしない。 派手さ、華やかさとも無縁で、その代わり、極太の筆致でぐいぐいと旋律を描いてゆく。 地味なのではなく、滋味豊かな演奏のだ。
フレーズの隅々にまで、弦の旨味が乗っているとでも言う感じで、その音色に身を任せるのが、ただひたすら快感である。 一体、このヴァイオリニストは、旋律を奏でるのに、定規をつかって引くような、真直ぐな線など決して描こうとしない。 そんなことには重きを置かないで、どこまでもフリーハンドの自然体を通す。 その結果、線が少しくらいいびつでも、芯がしっかりしているから、全体的に見て、少しも揺るぐことがないのだ。 そんなところに強靭な精神性と、確かな構成感を感じる。
生憎と録音は、やはり、今ひとつパッとしないので、聴くときは、少し身を乗り出すような気分でいた方が好い。
オケも、派手なところが全然なくて、当初は全くつまらなく感じたけれど、それが、今は少しもでしゃばらずに、それでいて、やるべきことを十全にやり尽くした名演なのだと判る。 全員で唄っている。 音楽的ってのは、こういうことを言うのだろう。
演目が、また素敵なのだ。 モーツァルトのヴァイオリン協奏曲と言えば、何と言っても第5番「トルコ風」。 その他に第4番も演奏される機会が多いだろうか。 ここに聴くことの出来る第1番~第3番は、どちらかと言えば、添え物的に扱われることが多いかもしれない、そんな曲たちも、このCDを聴くと、仰々しさなどまるで無い、小粋で、時に甘く切ないところもある、掛け値なしの名曲なのだと知れるのである。

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August 25, 2005

黒い革靴

毎日の通勤に履いてきた革靴(ビジネスシューズ)が、気がつけばボロボロになっていた。 ボロボロって、比喩とかではなく本当に、文字通りボロボロのヨレヨレである。 靴底に未だ穴は出来ていない。

一体、靴には拘りを持たない性質である。 お洒落は足元からって話しを聴いたことがある。 出所は靴屋さんかもしれない。 あるいは、気に入りのを何足も買い集めて、履物道楽みたいにしている人も知っている。
自分はといえば、本当に必要最小限しか持っていないのである。 つまり、平日用の黒の革靴に、休日に履くスニーカーと。 それだけ。 (登山靴など、特殊な用途のもは別にして)

こんなボロ靴になるまで好く履いて来たわいと、吾が事呆れつつ、近所のマーケットで新しい靴を買って来た。
見たところ、これまで履いて来た革靴と何ら変わらないけれど、今度のはカンガルー革製である。値段は特に高くも、また安くもなかった。 そうですか。 カンガルー・・・ねえ・・・ 自分的には、この際、カンガルーでもコアラでも構わないので。 本当かどうか、確かめる術などないけれど、靴に挟んであった紙片にはそう書いてあったのである。
デザイン? どうでもよろしい。 黒い色を選んだのは、これまでに、黒しか履いた事がないから。 値段にも(少しでもお買い得な奴とか)それほど感心が無い。 それにしても、ちょっと、拘りが無さ過ぎじゃありませんかね。

で、履き心地の方は、これだけ、そろっぺえな買い物をした割には、これが、至って歩きやすいのである。 うん、悪くない。 これで、また暫くは、靴の事など考えなくなる日々が続くのである。

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August 23, 2005

バンダナ

ハンカチよりも断然、バンダナを愛好している。
普段、スーツのポケットに入れているのも、ハンカチではなく、バンダナであることが多いのである。

バンダナの色はなんでも好いけれど、やはり、白や濃緑などの地味な色合いが、なにかと扱いやすくて重宝する。
バンダナの模様と言えばペイズリー柄と決まっている。 何故だかは知らない。 但し、同じペイズリーとは言っても、ゾウリムシ(ちがふ)の大きさや配列は様々で、だから、色とりどりを何枚も並べて、それぞれを見比べてみたりするのも、また面白いのである。 最近は百円ショップで扱っているから、本当に買い求めやすくなった。

バンダナの使い道は、その人の工夫次第で無限大、と言ったらオーバーだけれど、自分の場合は、ハンカチとしての用途以外に、小さな風呂敷として使うことが多いかな。
新品卸したてのバンダナと言うのは、ジーンズと同じで、どこかこっ恥ずかしく、気拙さの付きまとうものである。 だから、買ったばかりの奴を、早く箔の付くよう、用も無いのに何度も洗濯機に突っ込んだりしたこともある。

昔々、バイク雑誌で読んで知ったバンダナの使い道のひとつに、焙煎したコーヒー豆をバンダナで包んで、それを石で叩いて粉々に潰して、そこにお湯を注いでコーヒーを煎れると言うのがあって、そんなワイルドな野点に長らく憧れていたものである。
これなども、真新しいバンダナを使ったのでは、お話しにならないのは言うまでもない。

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August 21, 2005

寄席芸人伝

「寄席芸人伝」 古谷三敏著 ファミリー企画 

標題の漫画を、仕事帰りにコンビニで買い求めた。 これは、最近流行の、往年の名作コミックの復刊と言う奴である。
この「寄席芸人伝」は、ずっと昔(初出は80年代)、兄が何冊も買い求めていたのを、自分も読ませて貰った事がある。 その兄は、特段落語好きであったと言うことも無くて、ならば、どうしてこのコミックにご執心であったのか、そに理由に付いては未だに知らない。
何しろ、自分もその当時、落語に付いては何も知らなかったしね。 落語と言えば、それこそ、テレビに映るのを偶に目にするくらいであったと想う。 でも、この漫画の方は、なんの予備知識もなしに読んでさえ、とっても面白かったのを未だに覚えている。

その懐かしい漫画を、今回、実に久しぶりに読み返してみた。
舞台は、明治から昭和初期辺りに掛けての落語界。 まだ、都内のそこいら中に寄席のあった時代である。 (作中のカットに度々描かれる、各地の寄席の玄関の図など、今では新宿末広亭でしかお眼に掛かる事が出来ない)
毎回、異なる噺家を主人公に、噺家社会の哀歓や寄席、遊郭の風情を淡々とした筆致で綴って、中には、結構泣かせられる話しもあるのだ。

作中で高座に掛けられる噺も、あの頃は、それこそ何の気なしに読み飛ばしていたけれど、いっぱしの落語ファンを気取っている今になって改めて読んでみると、それぞれがストーリーとしっかりリンクしているのが良く判る。 実に緻密な構成であったのだと、今頃になって知ったのである。 これは、自分にとっては、かなり痛快な発見であった。 まあ、歳を取ると、こう言った事にも出くわすってことだね。

古谷三敏のシンプルな絵がまた良くて、今見ても、少しも古さを感じさせられない。 テレビからは決して得られない、寄席ならではの空気感が伝わって来るのだ。 そこにあるのは、当節の漫画には滅多に見ることの叶わない、大人の顔、男の顔をした噺家たちの姿である。

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August 20, 2005

調味料バトン

バルカローレさんのブログから調味料バトンを頂いて来ました。
少し前にはミュージカル・バトンが流行りましたけれど、それに影響されたのかどうか、他にもいろんなバトンが出て来たようで、面白いもんですね。
この調味料バトンもそのひとつ。 自分の、日頃の食生活の貧しさと来たら、とても人前に晒せるようなものではありませんけれど、ともあれ、もとよしの調味料事情に付いて、ここに書き記してみることにします。


【Q1】次のメニューにどんな調味料をかけますか?薬味は含みません。

・目玉焼き・納豆・冷奴・餃子・カレーライス・ナポリタン・ピザ
・生キャベツ・トマト・サラダ・カキフライ・メンチカツ・コロッケ 
・天ぷら・とんかつ・ご飯(おかず無しの時)

 <もとよしの回答>
  目玉焼き:ごくフツーに塩と胡椒で頂きます。
  納豆:添付のタレと洋辛子。
  冷奴:お醤油に、夏場はおろし生姜があれば上出来。
  餃子:お酢どばどば+醤油ひと注し+ラー油八滴
  カレーライス:コイツ、辛味が足りねェ!と感じたらタバスコを投入します。
  ナポリタン:タバスコの雨降らせます。
  ピザ:タバスコのシャワーでどうだ!

  生キャベツ:何でもアリ。
  トマト:かけず。
  サラダ:ドレッシング。 和洋中から選べるならば和風を所望。
  カキフライ:基本はウスターソース。 タルタルソースなど添えてあれば感涙もの。
  メンチカツ:普段あまり食べないですけれど、きっとマヨネーズでしょう。
  コロッケ:まよ。

  天ぷら:普通に天つゆですな。でも、子供の頃はお塩ふって食べてましたっけ。
  とんかつ:これはもう、お醤油+洋からし以外あり得ませんです。
  ご飯(おかず無しの時):ゆかり。


【Q2】周囲に意外だと驚かれる、好きな組み合わせはありますか?

  お味噌汁にデフォルトで七味唐辛子を入れますけど、同席の方から意外な顔をされることも。


【Q3】それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか?

  先日、鰹の叩きにマヨを試したんですけれど・・・もとよし的にはアンマッチでした。


【Q4】バトンをまわしたい5名は誰ですか?

  どなたか、興味があれば持ってって下さ~い。

と言う訳で、調味料バトンでした。 食がテーマだけに、その自分の個性やら、地域性が出ているような、そうでもないような・・・まぁ、それなりに自分らしさは現われている気がします。 ハイ。

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August 19, 2005

ピアノで聴くバッハ

バッハの鍵盤作品を聴いてみたくなった。 それも、特にパルティータ。 パルティータならば何番でも構わないけれど、但しピアノで奏でたものに限る。 最近は、バッハの鍵盤作品のCDと言うと、本来のチェンバロで演奏されたものが多いけれど、ピアノにはまたピアノならではの良さがある。 そしてなにより、今回はピアノで弾くバッハに拘ってみたい。
周囲を捜すと、ずっと以前に買い求めたCDの中に、お誂え向きの一が枚あった。

 J.S.バッハ
  1.コラール前奏曲「我、汝を呼ぶ、主イエス・キリストよ」BWV639
  2.チェンバロ協奏曲 ヘ短調 BWV1056「アリオーソ」
  3.イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
  4.フルート・ソナタ 第2番 変ホ長調 BWV1031「シチリアーノ」
  5.パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV825
  6.イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV808
  7.主よ、人の望みの喜びよ BWV147

 ピアノ:スタニスラフ・ブーニン
 EMI CLASSICS 7 63904 2

自分は特段、ブーニンのファンと言う程のモノではない。 かつて、ブームの頃の騒ぎっぷりは凄かったけれど、静観していたしね。 このCD購入の動機はと言えば、曲目がバッハの鍵盤作品への入門に好適と想われたのと、価格が安かったのと、多分そんなところであったと想う。
自分はバッハの作品の中でも、フルートやチェロの絡んだものならば好く聴いてきたけれど、こと鍵盤作品に関しては、ずっと喰わず嫌いして来た。 だから、これは、言わば苦手科目の克服用として買い求めたようなものである。

イタリア協奏曲。 バッハの鍵盤作品の中でも、自分が特に好んでいる曲である。 取り分け速いテンポの両端楽章は、見通しの利いた路をフルスロットルで駆け抜けるような疾走感があって、これなど、バッハをピアノで聴く喜びのひとつに数えて良いと想う。

パルティータ 第1番。 情けないことに、何度聴いても、このメロディーを覚えられないでいる。 これまでに、オフ会などで何度も演奏に接して来た筈なのにねえ。 
演奏の方は、イタリア協奏曲と同様に強靭なドライブ感がウリで、なかでも軽快なテンポのAllemandeにみる躍動感、しなやかさは、ピアノならではの魅力と想う。 とは言え、全体的にメロディー重視と言うのか、ベースラインや対旋律など、強調してはくれないので、音楽がスッキリと聴こえて来る反面、ちと、物足りない気のする瞬間もまたあるのである。 緩除楽章など、重苦しさを極力排したライト感覚だけれど、この辺は聴く人により好悪が分かれるのではないかと想う。 自分としては、少々物足らなく感じた。

イギリス組曲。 これも、イタリア協奏曲やパルティータ 第1番と同様の佳演と想う。
Praludiumにみる強弱の変幻自在さはピアノならではで、ピアノで弾くバッハはこうでなくては、と納得させられるのである。 総じて、聴いていて実に爽やかなバッハなのだけれど、強烈な緊張感で押し通すと言った演奏ではないだけに、ゆっくりとしたテンポの部分では、ちょっと間が持たなくなるのが残念ではある。

このCDには他に、コラール前奏曲「我、汝を呼ぶ、主イエス・キリストよ」、「アリオーソ」、「シチリアーノ」、「主よ、人の望みの喜びよ」と言った小品が収録されている。 どれも好きな曲で、中でも「我、汝を呼ぶ、主イエス・キリストよ」が入っているのは嬉しい。 演奏の方は、淡々と弾いているようでいて、その実、緩急の変化がとてもしなやかであり、旋律の隅々までが活き活きとしている。 曲によっては、ちょっとムーディーに流れすぎかとも思うけれど、こう言った曲は、小五月蝿い事を言わずに、ゆったりと聴けば良いのだと想う。

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August 15, 2005

哀しきパルティータ

たった今、知人の訃報が届いた。

アマチュア・ピアニストであり、取り分けバッハの音楽を愛した方である。
自分はフルートで、何度か共演させて頂いた事がある。
一時期体調を崩されていたのは知っていたけれど、先日のピアノ・オフでは、お元気そうに参加されていたこともあって、自分にとっては青天の霹靂の如き知らせであった。

ピアニストの場合、どこまでも独り奏でて楽しむ、と言う方が少なくないように想うけれど、ご自身で、バッハのパルティータ連続演奏会を主催し、その参加者をネット上で募るなど、バッハ弾きの仲間の輪を拡げる活躍は、刮目すべきものであった。
あの、端正なバッハの演奏は、もう聴くことが出来ない。

心からのご冥福をお祈りいたします。

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August 07, 2005

ドレスデン国立美術館展[世界の鏡]

国立西洋美術館で開催中の、ドレスデン国立美術館展[世界の鏡]を観た。

自分の場合は基本的に一点豪華主義を好む傾向にあって、だから幕の内弁当よりも一品料理が好き。 美術展なども、各国各ジャンルに及ぶよりも、どれか一つにまとまっていた方がありがたいのである・・・なんてぼやきつつ、フェルメールひとつが目当てでこの展覧会に脚を運んだのである。
そもそもドレスデン国立美術館の歴史は、ザクセン選帝侯のコレクション「美術収集室」(1560年)から始まる。 以来、16世紀~19世紀に渡って収集されたコレクションの内容は膨大なかつ多岐に渡っており、今回の展示では全体が7つのセクションに分けられている。

<セクション1:ドレスデンの美術収集室>
様々な地球儀や製図用具など、当時のドレスデン宮廷の、科学技術への強い感心が伺われる。 宮廷の美術館に、こういったものが収蔵されていることに驚きを感じた。

<セクション2:オスマン帝国-恐怖と魅惑>
トルコからは軍事関係一色の展示である。 「やっぱりね~」と言頷きながら、それぞれに見入ってしまった。
当時強大で、ドレスデン宮廷にとっても脅威であったろうオスマン・トルコの美術。 トルコの軍隊の図や人形、さらに宝剣や鎧などの装飾的な武具が多かった。

<セクション3:イタリア-芸術の理想像>
イタリアの風景画と言えば、色々な美術展で観る機会が多くて、毎度お馴染みの感がある。 それだけ人気ジャンルで、作品の需要も多かったのではないかと想像される。 そんなイタリアの風景画の数々もさることながら、イタリアの様式で描いた、ドイツの風景画の方が一層興味深い。

<セクション4:フランス-国家の表象と宮廷文化>
これも美術展の定番と言える、フランス宮廷文化の粋。 フランスへの憧れは、ドレスデン宮廷でも例外ではなかったと見える。

<セクション5:東アジア-驚嘆すべき別世界>
中国と日本の磁器を中心として、さらにそれを模倣する処から初めて独自の様式を開花させたマイセン磁器の精華を紹介する。 日本からの輸入品で、図柄の中に大きく「B(ベー)」と記された磁器など、本で読んだ事はあっても、実際に目にするのは始めてで、ちょっと感慨深いものがあった。

<セクション6:オランダ-作られた現実>
個人的には、この展覧会の白眉がこのセクションであった。 レンブラントに代表されるオランダ絵画は、当時のドレスデン宮廷をも席巻していた訳だ。

フェルメール「窓辺で手紙を読む若い女」:  想っていたよりも、かなり大きな絵であった。 穏やかな、そして、少しくすんだような色合いが、何とも魅力的である。 構図の素晴らしさに加えて、全体に漂う静謐さが、観る者をして言葉を失わしめる。 堪能した。

レンブラント「ガニュメデスの誘拐」:  この絵は、子供の頃、親に連れられて一度観ている筈である。 いや、もしかしたら、全く同じ構図の別の絵かもしれないけれど、ともあれ幼いガニュメデスの苦悶の表情。 失禁しながら桜桃を握り締めている姿など、今も記憶に残っているのである。 画題に相応しい表現ではないだろうけれど、なんとも雄渾な一幅であると想う。

<セクション7:ロマン主義的世界観>
ロマン派の絵画には、かねて興味があったのである。 フリードリヒ「エルベ渓谷の眺め」やダール「満月のドレスデン」など、高度な写実性と文学性の調和した逸品が並んで、セクション6共々、大変に見応えのある展示であった。

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云ふまいと

今日は、実に、久々に(一体何週間ぶりだろう?)、一日フルに休んでいる。 この処の自分にとっては、貴重な休日となったけれど、それが、晴天のこととて、もう炎天燃える様な暑さである。 汗のひく間もない「夏らしい夏」は誠に結構だし、またそうでなければ、農作物の生育をはじめとして、いろいろと困るのじゃないかと想うけれど、それにしても暑いのには参った。

流れる汗をタオルで拭きながら、何の気なしに、大分前に買い求めた角川「俳句」平成17年4月号の頁を捲っていたら、俳人の澁谷道さんが、女学校時代のある夏、授業中に教わった句を紹介されていた。

先生は授業の始めに、イキナリ黒板にこのように書き付けられたとのこと。
 
 
 
 
    You might think but today's hot fish.
 
 
 
 
その後、語りて曰く。
 
 
 
 
    云ふまいと思へど今日の暑さかな
 
 
 
 
掲句は江戸時代の作で作者不詳。 ともあれ、クラス中が爆笑に沸くなか、授業が始まったとのこと。
脳みそも煮えくり返る夏の教室・・・暑さを吹き飛ばすギャグをかまして、女学生達の集中力を獲得した、先生のユーモア精神に脱帽したい。

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