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February 28, 2005

番狂わせ

仕事の段取りが、ここへ来て突然に食い違い始めた。 そこそこの労力で仕上がると踏んでいた作業に、追加分がど~んと上積みされた形だ。 もっと頑張らないと、追いつかないと言う訳だ。
困ったのは、心積もりしている事の幾つかを、諦めねばならなくなりそうだと言うこと。 背に腹は替えられないのだけれど、それにしても残念だなあ。


  陳列の抜き身なんぞも剽げたる気して浅草仲見世通り


掲出歌は、浅草演芸ホールからの帰りに浅草寺から仲見世通りを抜けた折のもの。 ここはお菓子や玩具、キッチュな土産物から、挙句、刃物まで売っていて、何度行っても飽きない場所。 次はいつ頃行けるだろうか。

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February 27, 2005

踊るサテュロス

東京国立博物館で開催中の特別展「踊るサテュロス 」を観た。
「踊るサテュロス 」は1998年、地中海はシチリア島沖で偶然漁船の網に掛かり発見された、およそ2000年前のブロンズ像。 本来であれば門外不出、イタリアの秘宝とでも言うべき逸品なのだけれど、今回は「愛・地球博」(愛知万博)への出展に併せて、一度限りの特別展示と相成った。
それにしても、「踊るサテュロス」と言う標題は、なんて魅力的なんだろう。 そもそも自分はギリシャ/ローマ神話には全く疎いし、なによりサテュロスに付いてなにも知らない。 それが、今回この展覧会に来る気になったのは、ポスターやテレビなどを観ての事ではなくて、「踊るサテュロス」と言う標題一発にシビレタから、なのである。(至極単純な奴・・・)

この展覧会、参考として模型や写真類も展示されるものの、主な展示品は「踊るサテュロス」が只一つ。 それが表慶館の中央に鎮座している。 好いね。 自信たっぷりの一点豪華主義って奴は大好きだ。
サテュロスを支える為の支柱や台座、そして照明なども好く配慮されていると思う。 色々の角度から観賞する事が出来て、それぞれに魅力的だ。 表慶館の内装とも素晴らしく好く合っていて、この建物自体、まるでこのサテュロス像一体の為に建てられたような気さえして来る。

2000年もの間海底に眠っていた事で、ブロンズ像は全体的に腐食が進んでおり、更に両手と右足、頭頂部が欠落、その他あちこちにも損傷が観られる。 この場合、両手と右足の欠けている事が、観る者の想像力を刺激して、本来製作者が意図していなかった魅力を生んでいると思う。 ミロのヴィーナスの失われた腕のようなものだろうか。

サテュロスとは、葡萄酒と享楽の神デュオニソス(バッカス)の従者。 つまり、高位の神様などではない野山の精と言う事なのだろう。 そのせいかもしれない、ここに描かれるのは雄々しさ、雄渾さよりも若さ、しなやかさであり、酔って踊りに我を忘れたサテュロスの躍動感である。(その一方で、表情には不思議な静謐を漂わす)
資料にあるサテュロスの図を見ると、右手に杖、左手には空の酒壺を持つ。 右足で立ち、左足は後ろに蹴り上げている。 踊りの一場面を捉えた像である。
それが、手足の欠落部分と、支柱によって宙に浮かんだ展示のお陰で、躍動感溢れる彫刻作品に生まれ変わっていると思う。 本来、大地を踏みしめていたであろう右足は、太股から下がないことで、まるで跳躍の瞬間のような、あるいは飛翔しているかのような印象を与える。 燃え立つ炎のように後方に靡く頭髪は、疾風の中を往くようなスピード感と若い情熱を象徴しているかのようだ。(巧みな照明が、それを強調している) 両の腕が鳥の翼のように美しく反りあがっていら・・・などと勝手に思いを馳せるのもまた一興ではないか。
サテュロス越しに見上げる表慶館の天井が、これまた美しくて見飽きる事がない。
一体のサテュロス像に、想いの外長居をしてしまった展覧会である。

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February 26, 2005

エックレスのソナタ(8)

今日は13時30分からのレッスンだった。
第一楽章。 相変わらず旋律がブツ切れになっている。 これは、主にポジション移動の箇所で起きているのである。 スムーズな移動が出来るように練習する事。
指板を強く叩きすぎなので、もっと丁寧に押さえていくべし。 この件、前回のレッスンでは指板を強く打てとの事だったけれど、今回、それとは全く逆の指示が来た訳だ。 指示が矛盾するようだけれど、要するにこれは、力任せは駄目と言う事なのだと思う。

第二楽章。 弾き方が、なんともお上品過ぎてイケナイ。 この楽章はもっと激しく弾かなければならない。 そして、ダイナミックレンジが狭いので、fとpの差が出せなくなってしまっている。 この第二楽章を激しく弾くと言うのは、イメージとして好く判るのだけれども、いかんせん技術が付いて往かない。 頑張ってもうひとつ先へ進まないと、この悩ましい状態からは抜け出せない。

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February 25, 2005

「天平の甍」

「天平の甍」(井上靖著 新潮文庫)
鑑真和上の来日は西暦753年。 それに伴って唐招提寺が建立された事などは学校で学んだ。 渡航の度重なる失敗と、その末の和上の失明など、来日を果たすまでの苦労も良く知られている話しであろう。 また先日、自分は東京国立博物館で開催中の唐招提寺展で鑑真和上坐像を拝見し、深い感銘を受けると共に鑑真和上への関心も増したのである。

「天平の甍」は、手にとって見ればそれほどの大著ではないけれど、鑑真和上来日までの二十年に渡る歳月を描いた、中身は堂々たる大河小説と思う。 小説は、和上の渡航を、それに関わった五人の留学僧達の半生を通して見てゆく。
当時、大陸への航海は遭難に見舞われる事が度々であり、文字通りの命賭けなのであった。 そんな悪条件の中、身を賭した留学僧達が乗り込んだのは第九次遣唐使船であった。 いずれも、一旦唐に渡れば十数年は帰国しない覚悟の若者達である。
帰国するまでの長い時間を、一体どのように使うか。 留学僧達の選んだ道は様々であった。 只ひたすら学問に邁進しようと願う者。 寺を出て大陸を歩き回る者。 諦めて望郷の念に焦がれる者。 写経のみに半生を費やす者。 そして、和上を日本に招聘する事に奔走する者たち・・・ 自分は、和上を迎えようとした普照や栄叡だけではない、どの留学僧の生き方にも(多少の差はあっても)それぞれ共感を覚えるのである。 異郷の地に居ながら、それぞれの目的を見つけて生きる人々の姿は、他人の目にどう映ろうとも各々が真剣であり、ギリギリである。 そこに、感動した。
鑑真一行が数度の失敗の末に来日を果たしたのは第十次遣唐使船においてである。 第九次遣唐使船での留学僧達の旅立ちから二十年が経っていた。

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February 24, 2005

題詠マラソン2005

題詠マラソン2005 に参加する。
その存在は以前から知っていたし、時々サイトをチェックもしていたけれど、自分が参加するのはこれが始めなのである。 この題詠マラソン、参加者は期間中(8ヶ月間)に100首の題詠を行って、出来上がった歌の全てがボード上に発表される。 因みに、マラソンとは言っても早く100首詠めばエライとかではなく、公式に作品の優劣が付く訳でもない。 参加者各位の中には錚々たる歌人もおられる(早速に、美里和香慧 さんよりトラックバックとコメントを頂いている)けれど、その割りに、会場(ボード上)には華やいだ雰囲気と言うよりは、むしろ和やかなムードが漂っているのではないかと思う。 そんな処に惹かれて、このマラソンに参加する人が増えているのではないか。 かく申す自分も、そのひとりだけれども。
順位無用とは言っても、期間内に100首の題詠をこなし切れるか、つまり、マラソンを完走出来るかどうかと言うのは、自分のような初心者にとっては結構なプレッシャーではある。 幸いなことに、このところ、ほぼ一日一首程度のペースが続いているので、どうにか完走仕切れるのではないかと踏んではいるけれど、その反面、長い間、題詠と言う事からは無縁でいたので、お題のどれかで引っ掛ってしまったりしないか、と言う不安もまたあるのである。

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February 23, 2005

ヘンデル生誕320年

今日、 2月23日はヘンデルの誕生日である。
1685年2月23日の生まれだから、 今年が生誕320年目と言う事になる。(全然騒がれていないけれど)
自分は一頃、ヘンデルのフルート・ソナタに夢中であった事があって、全音ベーレンライター版の全11曲(リコーダー・ソナタ原曲を含む)は一通りさらった。 だから、ヘンデルと言えば水上の音楽でもメサイアでもなく、断然フルート・ソナタだと思っている。 この処、すっかりご無沙汰しているなあ。 久々に吹いてみようか。

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パーカーのアルト

これは今日(と言うか、もう昨日になるけれど)、昼休みに asahi.com を覗いて知った話し。
ニューヨークのオークションで、チャーリー・パーカーのアルト・サキソフォンが22万5000ドル(約2400万円)で落札されたのだそうな。
何時から何時まで、何年くらい、どんなセッションで吹いた楽器なのか、と言った詳細に付いては不明。
自分は、パーカーについて詳しい訳ではないけれど、ともかく、あんまり物持の良さそうな人ではないという気がするね。 楽器を質屋に入れちゃったとか、人の楽器を借りて吹いたら、この演奏がやっぱり凄かったとかいった話しは、ずっと以前に本で読んだ覚えがある。
サックスに付いても素人だし、2400万円が妥当なのか、それともトンデモナイ額なのかに付いて良く判らない。 ともあれ、これはヴァイオリンなどで良くあるような、なんとかの名器とかでは無くて、「パーカーのアルト」であり、そして「ジャズの歴史」そのものって事なんだろうね。

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February 21, 2005

ぐぐれば

チェリストならば、誰でも「チェロ」をKEYにして検索(自分は Google を良く使うから「ぐぐる」か?)した事があるだろう。 だったら、チェロで検索して車関係のサイトが次々ヒットしてしまった、と言う経験もある筈だ。 チェロキーは米国製のアウトドアカー、と言うか、要するにジープである。
世の中には音楽好き、殊にチェリストよりもカーユーザーの方がずっと数多い訳で、自分の使うPCには、これまでに沢山のチェロキー関連サイトが引っ掛かって来た。 とは言え、こちとら車にはゼンゼン興味ないんだが・・・

先日、ヴァイオリニストのクライスラーのCDに付いて検索してみたら、またしても車関係のサイトがヒットした。 よくよく車に縁があるようだ。 クライスラーと言う名の乗用車。 同じく米国製である。 (チェロキーはクライスラー傘下にあるようだけれど、詳しい事情は良く判らない)
偉大なヴァイオリニストのクライスラーは、今年が生誕130周年にあたる。(先日知ったばかり) 折角の機会なのだから、クライスラー社の主催でフェスティバルか何かやれば良いのにね。

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February 20, 2005

唐招提寺展(再訪)と親と子のギャラリー「仏像のひみつ」

東京国立博物館で開催中の唐招提寺展に再び行って来た。
この展覧会には先週も行って来たばかりなのだけれど、「ご本尊、最初で最後のお出まし。」のコピーはまさにその通りと思うので、是非とももう一度観ておかなければと思った次第。

この展覧会は大変に評判が良いらしく、今日は先週に比べてずっと混んでいたのである。 まだしも空いていた先週に一度来ていたのは正解だったようである。 二回目ともなると落ち着いて観賞する事が出来るもので、唐招提寺金堂を再現した展示室など、前回よりも余程落ち着いた気分で観て廻った。(前回は、いささかのぼせ上り気味だったかも・・・) 今回は東山魁偉の描いた障壁画や、出土品の瓦類などを特にゆっくりと時間を掛けて観る。 一番人気は金堂の四方を守る隅鬼さん達か。

   ▽▲▽▲▽▲

今回、東京国立博物館では唐招提寺展に併せて、親と子のギャラリー「仏像のひみつ」を開催している。 唐招提寺展を観終わった後は、こちらの方も覗いて来た。

二部構成となっており、第一部「盧舎那仏のひみつ」では、唐招提寺の盧舎那仏坐像や鑑真和上坐像にみるような脱活乾漆造りに付いて、その製造工程の模型、カットモデルを元に説明していた。 なるほど、木像などとは違い、脱活乾漆造りと聴いても、実際にはどうなっているのかピンと来なかったのだけれど、こうやって説明されると良く納得が行く。 しかも、スケールダウンこそしてあるものの、今さっき拝んで来たばかりの盧舎那仏坐像をモデルにしているのだから、受け取る印象も強烈である。

第二部「仏像のひみつ」では、仏像の様々な種類や製法、時代毎のデザインの変遷などに付いて、実際の仏像を例にして説明されていた。 こちらも、とても判りやすい展示である。 解説文(子供にも判りやすいよう配慮された)もオモシロくて、企画・展示に携わった人達のアソビ心が感じられる。 なにより、目の前にホンモノがあっての解説であるから、説得力も充分・・・と言うか、なんて贅沢な展示なんだろうと感心する。

こういった、教育効果抜群の展示は常設展に加えて良いのではないだろうか。 タイトルに「親と子の~」とあるのだけれど、子供よりも大人が熱心に見入っていたようである。 とても優れた企画、展示であったと思う。

<追記>
前回、「仏像のひみつ」を覗いた時には、会場の入り口に13世紀鎌倉の文殊菩薩立像が展示されて、案内役のキャラクターを務めていた。 名付けて「もんじゅ君」と言う。
今回行ってみると、文殊菩薩立像はそのままだけれど、「もんじゅ君」のキャプションは外されてしまっていた。 自分的には、なかなか好いセンスと思っていたので、ちょいと残念ではある。
やっぱり、文殊菩薩に君付けってのはマズかったか? 大胆過ぎたのか?  いやいや、そうではなくて、運転再開計画の伝えられる高速増殖炉と同じ名前なので、無用な憶測や誤解を避ける為の措置って処なのかもしれない。

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February 19, 2005

エックレスのソナタ(7)

今日は12時からのレッスン。
第一楽章を暗譜で通す。 最初の旋律は、もっと大きな音で弾くこと。 とは言えこの部分、DからHの跳躍で気持ちが萎縮してしまい、なかなか大きく弾けないんである。(悩)
繰り返しの部分は、逆にもっともっと弱音で弾くようにすること。 こんなんで聴こえるか~!と心配になるくらいの小ささで、丁度好いのだ。 但しその際、旋律がブツ切れになりがちなので、そこのところを要注意。

第二楽章も暗譜で通そうとするのだけれど、こちらの方はあちこちで立ち往生してしまう。
左手の指はしっかりと指板を打っていくこと。 そうは言っても、暗譜がかなりアヤシイので、なかなか思い切って打つ事が出来ないのが辛いところである。
暗譜で弾く際にポジション移動の位置を間違えがちなので、ここらをチェックポイントとして押さえてゆくのが近道と思う。

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February 17, 2005

蟇の油


  キャラ的に蟇の油の口上がにあふをとこのあはれきまじめ


「蟇の油」は、先月の末に聴いた、立川談笑の第39回月例独演会での演題のひとつ。
掲出歌は、それとは直接関係がある訳ではないけれど、まぁ、そこからイメージを膨らませて生まれた短歌、とでも言った処である。 自分の詠む歌には、こんな風に、落語をネタにしたものが結構ある。

このところ展覧会通いが続いたけれど、寄席に行ってみたい気分にもなっている。 とは言え、それでなくとも、やらねばならない事が山積みだし、時間のやり繰りが大変に難しいところ。
落語聴きたしその時間なし、だ。 そのうちに、禁断症状が出て来るかもしれない。

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February 16, 2005

細切れにして咀嚼する

現在、鋭意練習中のエックレスのソナタ。
先日から続けていた、階名を紙片に書いて唱える作戦は頓挫してしまった。 まとまった時間が中々確保出来ないのと、唯一時間の来れる通勤電車の中は只もうひたすら眠い!と言うのが一応の言い訳ではある。 とにかく、続かない。
その一方で、もう一つの練習法。 旋律を数小節ずつに区切って、弾いて覚えてゆくと言うやり方が、ゆっくりとだけれど、効果をあげ始めている。 これは、前にも書いたように、自分が好きなやり方ではないんであるが、この際、背に腹は替えられぬ訳だ。
数小節ずつ弾くので、自然、ゆっくりしたテンポを取るようになって来る。 そのお陰で、今度は音程や音色にも注意を払い始める。 旋律を一旦細切れにして、細部を好く味わいながら進んでゆく、みたいな事になっているのだ。 最初は非音楽的と思っていたこの練習法だけれど、やってみれば、それなりに音楽的な満足を得ていることに、今頃になって気が付いた。(遅すぎ!)

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February 14, 2005

クライスラー自作自演集

Kreisler Original Compositions & Arrangements
フリッツ・クライスラーの弾くヴァイオリンの小品を集めたCDである。
収録曲目は全て本人の作曲または編曲によるもの。 CDそのものは、かなり以前に買い求めてあったもので、折に触れて取り出しては聴き入っている。 ここに収録されている24曲の小品は、いずれも1930から1938年に掛けての録音である。 随分と昔のレコードだけれど、音質的に、これと言って不足を感じない。 ヴァイオリンや伴奏の音色も美しく、充分観賞に耐えるのである。

Kreisler Original Compositions & Arrangements
EMI CLASSICS References 7 64701 2

1. Caprice Viennois
2. Tambourin Chinois
3. Schon Rosmarin
4. La Gitana for violin & piano
5. Liebesleid "Love's Sorrow"
6. Liebesfreud "Love's Joy"
7. Polichinelle for violin & piano
8. Rondino on A Theme by Beethoven
9. La Precleuse in the Style of Louis Couperin
10. Chanson Louis XIII and Pavane
11. Scherzo in the Style of Karl Dittersdorf
1~11 Composed by Fritz Kreisler
12. Partita for solo violin No. 3 / J.S.Bach
13. Londonderry Air / Irish Traditional
14. Rosamunde / Franz Schubert
15. Der Liebe Augustin / Johann Brandl
16. The Dancing Doll / Ede Poldini
17. Andante Cantabile / Tchaikovsky
18. Humoresque / Dvorak
19. Serenade Espagnole / Glazunov
20. Larghetto / Carl Maria von Weber
21. Midnight Bells / Richard Heuberger
22. Hindu Song / Rimsky-Korsakov
23. Lotus Land / Cyril Scott
24. Danza Espanola / Manuel de Falla
12~24 Arranged by Fritz Kreisler

ヴァイオリン演奏の技術的精度と言う観点のみからみるならば、新しい世代のヴァイオリニスト達の中で、この上を行くものは幾らもいるのだろうけれど、クライスラーのヴァイオリンからは、曲中の微妙な表情付けや音色の中に、他には無い、ある種独特の雰囲気を感じ取る事が出来る。 あえてCDの解説めいた書き方をしてしまうならば、それは馥郁たる香り、一つ前の世紀末の残り香とでも呼びたい何かであろうか。 どうも、上手く説明することが出来ずに歯痒いのだけれど。
まあ、なんにせよ、クライスラーの弾くクライスラーの曲なのだから、悪かろう筈はないよ! これは、よくぞ遺してくれた、掛け替えの無い名録音なのだと想う。

クラシック音楽のなかで、一体なにを持って粋と言うか、なんてぇ事をちょっと考えてみる。 コテコテの後期ロマン派はもう充分に聴いた。 近代フランスも好いけれど、お洒落に過ぎてね。 と言う訳で、クライスラーである。 その作品と演奏は、どうしようもなく甘美でいて、凛としたところ、また手に負ぬ程の優雅さをも合わせ持って、そしてなにより哀しい。 とまれ自分に取って、粋なクラシック音楽と言えば、クライスラーの自作自演に極まるのだ。

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February 13, 2005

唐招提寺展

東京国立博物館で開催中の唐招提寺展を観た。
唐招提寺金堂の平成大修理を機会に、盧舎那仏、梵天、帝釈天、四天王像、鑑真和上坐像他が東京で展示される運びとなったのである。 企画のコピー、 「ご本尊、最初で最後のお出まし。」は正にその通りだろう。

入場すると、いきなり唐招提寺金堂の中である。 すなわち、広い展示室の中に、盧舎那仏を中心として梵天、帝釈天、四天王の諸像が配置され、更に金堂の支柱や窓も造られて、金堂の空間を再現しようと言う趣向となっているのだ。
まずは自然、中央の盧舎那仏坐像に吸い寄せられる。 その荘厳さに圧倒されながらも、すぐ傍まで(おずおずと)近寄る。 唐招提寺展のポスター(これには素晴らしい写真が使われていた)で見たよりも、ずっと優しげなお顔であった。 感想として相応しい言葉を見付けられないままに、只々唖然として、じっと見上げる。 あんぐりと口を開いていたかもしれない。
梵天、帝釈天、四天王の諸像も素晴らしかった。 展示室の中をぐるぐると歩き回って、それぞれを拝見する。 金堂の空間を再現しようという、このレイアウトのお陰で、梵天、帝釈天、四天王のそれぞれ越しに、様々な角度から盧舎那仏を臨む、などと言った事も出来るのだ。
この展示方法は素晴らしいと思う。 それに、照明が好く工夫されているのか、諸像がとても美しく映えている。 何時までも、この部屋の中で過ごしていたかったくらいだ。 折角、金堂の支柱が再現されているので、柱の陰からそっと御仏を伺う、なんて事もやってみた。(ばか)
広い展示室が人々で埋まっているのを見て、こりゃあ~善男善女だねぇ、などと、しみじみ思う。 部屋の端っこ。 金堂で言えば入り口の辺りに佇んで、そこから部屋の反対側の盧舎那仏坐像を臨むと、まるで御仏の周りに衆生が集う図のようにも見えて来るではないか。 なんだか、感傷的になってしまった。

後半は、御影堂の再現である。 東山魁偉の描いた障壁画がずらりと並ぶ回廊を歩いたその奥に、鑑真和上坐像が安置されていた。
これは盧舎那仏坐像でもそう想ったのだけれど、写真に見るよりも余程優しいお顔である。 もっともっと、厳しくも逞しい雰囲気を想像していたのは「天平の甍」を読んで得た印象があるからかもしれない。 その表情、そして全身に漲る凛とした風格に打たれる。 少し離れた位置に陣取り、そこから和上像を窺って暫くの間離れる事が出来なかった。
和上像の背景には、東山魁偉の筆になる、和上の故郷揚州の風景画が配されていて、この事にも感じ入った。

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February 12, 2005

チェロ合奏練習会

今日はチェロの合奏を練習して来た。
チェロ教室の発表会では毎回、何曲かの合奏を披露する事になっている。 合奏と言っても、チェロの為のオリジナルは少なくて、編曲ものの演奏が多くを占める。 とはいえ、長年やっているだけに、選曲、編曲共にかなりこなれたものになっていると思う。
さて、今日の自分の場合、殆んどの曲に付いて、弾くのがほぼ一年ぶりと言う体たらくであった。 情けないなあ。 なんたってこのところ、自分がソロで弾くエックレスのソナタに掛かりっ切りで、他の曲など構っていられない・・・なんて言い訳にならないんだが・・・のであるからして、まったくの練習不足だったんである。 それでも昨年の発表会、あるいはそれ以前に弾いたことのある曲が多いお陰で、なんとか格好は付いたろうか。
サン=サーンスの「白鳥」の合奏は、オリジナルの楽譜そのまんまを斉奏すると言う、なんだか強引な気もするものだったけれど、いざやってみると、これが実に気持ち好かった。
今日の曲目は、時間をみて復習っておこうと思う。

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February 11, 2005

エックレスのソナタ(6)

今日は17時からのレッスン。 第二楽章の後半だけを集中的に弾く。
数小節間を繰り返し弾いて、覚えて来た頃に、今度は譜面を外して暗譜で弾くと言う事をやった。 これが出来たら、また次の小節へと進んで、同じように暗譜するまで復習うのだ。
先週に比べると、それなりに弾けるようになっているとは思うのだけれど、ある程度進んだ頃には最初の辺りを忘れそうになっている。 あるいは、最初から通して弾くと、後ろの方に来て記憶が頼りなくなる。 なかなか上手くはいかないねぇ。 三歩進んで二歩下がる状態だ。 もうちょっとだから、頑張ろう!

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February 10, 2005

また歯医者(2)

先週に引き続いての歯医者通い。 今日は左上奥歯に金具(?)を詰めて貰って来た。 治療の方はスムーズに進行したのだけれど、その途中、患部に風を当てて乾かしたり、金具をしっかり押し込んだりなどする事で、意外とダメージを受けていたらしい。 後々ジワジワと痛みが来て、結局鎮痛剤のお世話になった。 とまれ今回の歯医者通いはこれでお終いである。 早く済ませる事が出来て、目出度しめでたし。

ちょっと風邪気味のようで、気分が優れない。 このまま風邪ひきって言うのはなんとしても避けたいぞ。 こんな時は、暖かくしてしっかりと寝るべし、だね。

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February 09, 2005

金平糖

金平糖を買ってみた。 理由は、特に無い。 駅の近くのお菓子屋さんにあったのを、なんとはなしに買い求めたのだ。

金平糖と来れば、何と言っても色とりどりで体全体に角を生やしたあのデザインだろう。 普段は買う事の無かった金平糖を突然手に取ってしまったのは、急に食べたくなったとか言うよりも、あの色や形を愛でてみたかったのかもしれない。 袋一杯に詰められた金平糖は、どれもみな儚げで、可愛いらしい。

金平糖の製法と言うのが、また大変のようで、原料の入ったを釜をぐるぐる廻しながら、そこにグラニュー糖の溶液を少しずつ注ぎ足してゆく。 こうしている内に角が少しずつ、少しずつ成長してゆくのだそうで、この間職人は片時も眼を離す事が出来ない。 完成するまでに2週間もかかると言う。 実にデリケートなお菓子なのだ。

金平糖の味に付いては、一体どんなだったかをすっかり忘れてしまっていた。 なにしろ、最後に食べたのは何時の頃だったかさえ思い出せないでいる。 口に含むよりも前に、見て、掌に乗せて転がしてみるだけで、そこはかとなく満ち足り始めている自分に気が付く。 金平糖は、人を黙らせるお菓子かもしれない。


 通じぬと知りなほ放つ怒りもある金平糖が角持つやうに  (昨年詠んだ歌から)


金平糖を食べた。 ほぼ、砂糖そのままの味だった。

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February 08, 2005

キクラクゴ

キクラクゴを聴いた。 林家木久蔵の新作落語二席を収録したCDである。

「昭和芸能史」 2004年10月2日 にらやま寄席(韮山時代劇場大ホール)
「彦六伝」 2004年9月6日 第40回栃木市民大学 笑いは文化(栃木市文化会館大ホール)

どちらの演目も、木久蔵の代表作(と言うか、自分はこの他に知らないんだが)で、もう安心して笑いに身を委ねてしまえる逸品と思う。

「昭和芸能史」は、片岡千恵蔵はじめ往年の映画スターのモノマネが、もう滅茶苦茶に可笑しい。 繰り返し何度聴いても笑ってしまうので、これはもう天才的と言って良いのではないか。 そもそも自分は、ここで木久蔵の語るそのオリジナルを殆んど知らないままに笑い転げているんだから。 それと、声色を面白おかしく茶化しているのに、悪意を微塵も感じさせないのが好い。  これは、古き好き日本映画へ寄せる、木久蔵からのオマージュなのだと思う。
以前、寄席でこの噺を聴いた時には、このCDのとは別のクスグリで笑わせていた。 あるいは、「昭和芸能史」と言う噺は長年の間に培った数多のクスグリから成っていて、木久蔵は演じる毎に手を替え品を替え、違ったクスグリを繰り出して来るのかもしれない。

「彦六伝」では、木久蔵の師匠である林家彦六(八代目林家正蔵)の想い出を語る。 ここでも彦六の声色が、もう破壊的と言って良いくらいに可笑しい。 林家彦六を知らない人でも、これを聴いたら七転八倒して笑い転げるのではないか。 この噺も「昭和芸能史」と同様、彦六に関するクスグリ、珍談奇談からなっているのではないかと思う。
寄席に行くと、いろんな噺家が彦六の想い出話しを語るのに出くわす事があるけれど、それだけ幅広く愛された噺家と言う事なんだろうね。(自分の場合は、彦六を生では聴いていない) この、いろいろの伝説を残した永遠の噺家の語りは、今日CDで聴く事が出来る訳で、本当に有り難いと言う他無い。

自分はこれまでに二度、寄席で木久蔵を聴いた事がある。 やはり、CDやテレビよりも圧倒的に生が良いなあ。 
良く、高座と客席との一体感とか言うけれど、CDやテレビだと自分独りが置いて行かれるような憾みがあるよ。
それにしても、キクラクゴの二席は繰り返し聴いても毎回同じ処で笑ってしまう。 これはもう、立派な古典なのだと思う。

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February 07, 2005

アキバで買い物

買い物に付き合って秋葉原(あきばはら)に行った。
お目当てはデジタルカメラである。 実は、デジカメには全然詳しくないんだけれどね~。 ま、自分みたいなモンでも何かの役には立つっしょ。

折りしも旧正月と言うことで、あちこちに中国語のセール看板が目に付いた。 買い物客の非日本人比率も相当高そう。
偶々ぶらりと入った電気店(って、あの辺は電気店以外の店の方が珍しい訳だけれど・・・)で対応に現われた女性は少し訛りのある・・・要するにチャイニーズらしかった。 もちろん日本語での商談も完璧にこなせる。 如何にも話しの好きそうなオバサンで(旦那サンは日本人なのだそうな)、気持ちの良い人だったので、結局デジカメはその店で購入する事にした。
自分のする買い物って、大概こうなんである。 だからね、1円でも安く買いたい!なんて息巻く人は、自分には買い物を任せない方が良いよ~。

デジカメを買った後、件のオバサンが他のお客さん達に話し掛けるのを聴いていたら、日・中・英の(最低でも)三ヶ国語で仕事をこなしていた。 まったく、凄いねぇ!
次から次へと訪れるお客の半数くらいは非日本人のようである。 こうなると、お店の方だって幾つもの言語に対応しておく必要があるんだろう。 最近はあちこちにディスカウントショップが出現するしネットでも購入出来るしで、アキバの存在意義も幾分薄らいだのではないかと思っていたけれど、こうしてみると、外国からの買い物客にとってはアキバの電気街は実に頼もしい存在なんだろうね。

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February 06, 2005

ミュシャ展

東京都美術館で開催中のミュシャ展を観た。
  ミュシャ財団秘蔵 「プラハからパリへ 華麗なるアールヌーヴォーの誕生」

ミュシャがチェコ出身と言うのを、これまで知らずにいたのである。 とは言え、ベルエポックの時代の芸術家の一人として意外ではなく、さもありなんとさえ思う。
モラヴィア地方に生まれたミュシャは幼少の頃より画才を発揮し、やがてドイツに学び、その後更にパリへ出て研鑚を積む。 この間に装飾の仕事を多く手掛けているのは、後の作品群を考えると興味深いと思う。
そのパリで描いた「ジスモンダ」のポスターによって、ミュシャの才能(そして評判も)は一機に開花する。 すなわち、縦長の画面一杯に女性モデルの立ち姿を淡い色調と明確な輪郭で描き、様式化された髪や植物に様々な意匠を絡ませた、現在良く知られるあのミュシャ作品の数々がこの頃続々と生まれていった訳だ。

展示されているポスターの中には、自分にとってはかつてお馴染みの作品もあって、特にゆっくりと時間を掛けて観て廻った。 高度に様式化された図柄の中で、女性そのものだけが妙にリアルと言うか肉感的で、ちょっとドキリとさせられるようなところがある。 あるいは、そんな処が、ミュシャのポスターが現代人にも強くアピールする所以なのではないかと思う。
同時に展示されているスケッチは取り分け興味深かった。 画家の狙った構図や大事にしているラインが良く判る(気がする)んだ。 その他、パステル画の数々も看過出来ない。

人気絶頂の只中のアメリカ時代。 作品的に、パリ時代から大きな進歩は見られなかったかもしれないけれど、この頃のミュシャは、もっとも人生を楽しんだのではないか。

ミュシャは晩年に至って故国に、文字通り錦を飾った。 功成り名を遂げて後の画家の関心が故郷へ、民族主義へと向かったのは、時代に呼応してと言う事なのかもしれない。 ここからは、自分の知らなかったミュシャのもう一つの面、と言うよりもチェコ人画家としての本領を見る事が出来る。 それにしても、複製で良いから「スラブ叙事詩」を見せて欲しかったなぁ。 ミュシャの最晩年に至って、故国はドイツに侵略されてしまう。 気の毒な最期と思うけれど、とまれチェコの画家として本懐を遂げる事は出来たのではないか。

今回の展覧会では、故国での無名時代から、華麗を極めたパリ時代、そしてチェコを代表する画家としての晩年の作品までを通して観る事で、激動の時代を生き抜いた画家の生涯にまで思い至って感銘を受けたのである。
ミュシャと来ればお洒落なポスター、と言う程度の認識しか持っていなかった自分にとっては、大変に刺激的な展覧会であった。 もちろん、お洒落なポスターの数々もしっかりと堪能して来たのである。 素晴らしい展覧会だった。

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February 05, 2005

エックレスのソナタ(5)

今日は11時30分からのレッスン。 先日から始めた階名を唱える練習法は未だ効果あがらず。 辛い処だけれど、効果が出るまで続けるしかないよね。

第一楽章は暗譜の段階から漸く表現に関して工夫するレベルへと前進した。 全体的に音量が足りない、旋律が一音毎にブツ切りになっているなど、相変わらずの処を指摘される。

第二楽章。 中盤辺りの暗譜がまだまだ上手く行っていない。 もうあまり時間も無いので、そろそろ焦らないと・・・ 既に第一楽章の方はそこそこ覚えていて、その分、練習やレッスンも以前よりずっと楽しいものになっているのだから、第二楽章も早くそうありたいものである。 全体的には、前回よりも少しは進んだと言う処かなあ。

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February 04, 2005

「雪国」

「雪国」(川端康成著 新潮文庫)を読んだ。

これまでずっと、雪に縁の無い地域で暮らして来た自分は、子供の頃から雪国への漠とした憧れを持ち続けている。 そんな事を言うのは、雪の降らない地方で生まれ育ったからこそだってことは理解している積もりである。 以前、都内で小雪が舞い散るのに浮かれていたら、雪国出身の友人に呆れられた。 そりゃそうでしょうよ。 傍観者として眺めるのと、その中で生活するのとではまるで違う、判ってますとも~。

とまれかように、訪問者とは身勝手なものなのである。 「雪国」の主人公も、東京での何不自由ない暮らしに飽いた頃、手前勝手に非日常を求めてやって来る。 東京に在っても、実際には見た事の無い西欧の舞踏の評論をやるなど、浮世離れした渡世を選ぶのだ。 (どうでも良いけれど、これは、クラシック音楽の熱心なリスナーであった時代の自分のようではある。 実際の演奏を聴かないうちに、伝記や評論を読んだだけで感激しちゃった。 なんて言う経験が自分にもあるんだ。 生憎と、高等遊民じゃない一般庶民だけれどね。)
非日常の中に現実が見え隠れし始めたら、さっさと東京に帰ってしまえば良いのだ。 手前勝手のフィルターを通して見る「雪国」の冬、そして夏、捨て身でぶつかってくる雪国の女。
だが、主人公から見て非日常に在る女といえども、実際は地に足を付けて生きている。 無論のこと、主人公とてそれを承知しているであろう。 両者の求めるもの、与えるものに付いてのギャップから、女との間に何時か亀裂が生じるのを判らぬ主人公では無い。 二人の関係が決定的な破綻を見るよりも前に、物語は急速に結末を迎えるのである。

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February 03, 2005

また歯医者

歯医者通いが再開した。 先日やっと完治させたと思ったのに、またかと思う。
今度は左上奥歯。 以前、詰めて貰った金具(?)がポロッと落っこちて来たのだ。
次から次へとトラブルの続く、我ながら厄介な歯と思うけれど、まぁ仕方ないか。 その都度メンテしていくしかない訳だ。
お陰さまで歯医者さんともすっかり顔なじみとなっていて、治療に関する打ち合わせもすんなりと進む。 今回の場合、金具が刺さっていた周囲の歯が崩落して来ている為、まずはその部分を治療する事から始める。 今日は奥歯をゴリゴリと削った上で、その上から仮の詰め物をして貰って来た。

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February 02, 2005

暑過ぎる!

ニュースでは各地での大雪が報じられている。 自分の周囲も雪こそ降らないものの、しっかりと冬らしい気候になっている。 とは言え寒さにめげている訳ではない。 むしろその逆なのであって、職場の温度設定が自分の体には暑過ぎるのに参ってしまっている。 この季節にして団扇が手放せないんだ。 ちょっと異様な光景かも・・・
これは、職場の温度調整のせいとかではない。 なぜなら、職場の人々の間からは暑過ぎるなどと言った苦情を聞かないのであるから。 専ら自分の体調のせいに違いないのだ。
そういえばこの冬、自宅では暖房を一度も使っていない。 我が家の中は暖房が必要な程の寒さと感じられなくて、部屋着の上に軽く一枚羽織るくらいで充分なんである。
あるいは、体の方がすっかり寒冷地仕様になってしまっているのかもしれない、などと考え始めている。(科学的根拠などないけれどね) 一般的な室温よりも低め(温度計を持っていないのでハッキリと判らない)に馴染んでしまって、それでその分、職場の温度が身にコタエルのかなあ。
我ながら少し心配になっているのは、これが遠因となって体調を崩したりしないかと言うこと。 少し、気を付けてみようと思っている。

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